ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

NTライブ『十二夜』鑑賞記録

NTライブの『十二夜』を観てきた。観た後、友人と1時間感想を語った。

2017年公演@Olivier Theatre &制作。

 

*内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。

 

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・NTライブの『ハンサード』も手掛けたサイモン・ゴドウィンの演出。NTライブ『夏の夜の夢』に出演していたオリヴァー・クリスがオーシーノ公爵役。(知っている人が出ているとうれしい。少しずつNTライブ経験が溜まってきた証のようで)

・わたしは『十二夜』自体は初めて観るので、他の演出と比べられないけれど、場面展開が多くて、喜劇のドタバタ感がよく出ていた。馬鹿騒ぎもはちゃめちゃで楽しい。

・人がいっぱい出てくるけれど、主役級の人より脇役の人の出番の方が多い、ちょっと不思議なお芝居になっている。『真夏の夜の夢』もそうだけど、たくさんの人に役を与えて舞台に立たせたいときにいい演目なのかも?(想像)

・音楽がいっぱいで楽しい♪  道化役の人が歌が上手くて満足。楽隊のサックスの人が、フルートもクラリネットも演奏していて、びっくり。

・ポスタービジュアルやトレイラーを観てわかるように、執事をフィーチャーした演出。マルヴォーリオをマルヴォーリと名前を変えて、女性が女性を演じている。ゆえにヴァイオラ(シザーリオ)の葛藤は控えめ。この演出、脚本だと、彼女に対する「イタズラ」は度を越していて、かなり悲惨な目に遭っている。女性が女性を好きになるというマイノリティ性を感じるだけに、見ていてつらい。しかも下男?に「恨むより笑い飛ばすべき」などと言われている。差別や偏見、マイノリティへの暴力の加害者が口にしているのを聞いたことがあって、背中がスッと寒くなった。

・マルヴォーリア、去り際に"notorious" "notoriously abused"と口にしていたなぁ。切ない。notoriousと聞くとRBGが浮かぶ("Notorious RBG")。RBGだったらきっと人権重視で裁いてくれてたと思うよ!彼女の痛みが劇中で回収されなかったので、ぜひ続編が観たい。。

・これを観たあと、道ゆく人やテレビなどに出ているいろんな人の顔や身体を観察してみて気づいた。女性、男性の別って、もちろん身体的特徴はあるのだけれど、かなりグラデーションのあるもの。女らしさ、男らしさの「極端」のイメージに当てはまるような人はごく一部で、ほとんどの人がその間、あるいはどちらでもない領域にいる。
広告にそそのかされて無理やりイメージに寄せて自分を改変してきたのかもしれない。あるがままでイイねとなって、分類や評価の眼差しがなくなったら、素敵な世界になりそうだ。唯一の理想を作って憧れさせることで消費が成り立ってきた時代は終わっていくのかもしれない。「らしさ」って幻想では? 観客がそんな気持ちになることをシェイクスピア自身が意図して作ったのだとしたらすごい。

・笑い、喜劇の難しさについて考えた。今まで自分がおもしろいと思っていたものは、マイノリティや立場の弱い人を見下したり、違いを排除する気持ちを顕にすることで成り立っていたと気づいたから、もう笑えない。もう誰も貶めないもので笑いたいと思うようになった。でもそこが難しい。安心して笑えるのは今のところ狂言ぐらいしか思いつかない。

・かといって作品として駄目というわけではない。なかったことにする、隠せばよいというものではない。時代背景や文脈の中で問い直しながら鑑賞することに意義はある。その場合の「楽しみ方」は当時とは変わっていくという前提で観ることになるが。

・階段を使った舞台や、マルヴォーリアのショートヘアが、オペラ(デイヴィッド・マクヴィカー版)《アグリッピーナ》のジョイス・ディドナートを彷彿とさせる。→これ

 

次の上映作品、『ジェーン・エア』も楽しみ。

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NT Liveのオリジナルサイト。マルヴォーリア役のタムシン・グレイグへのインタビュー。後日見る。

www.youtube.com

 

 

1996年の映画『十二夜』。オリヴィア役はヘレナ・ボナム・カーター。今観たい!

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松岡和子さんはどんなふうに訳されたんだろう。戯曲も読んでみたい。

シェイクスピア全集 (6) 十二夜』松岡和子/訳(筑摩書房, 1998年)