https://www.geigeki.jp/performance/theater245/
初めての野田演劇。演出はシルヴィウ・プルカレーテ。
感想はいろいろあるけれど、言葉にするのが難しい。
ヘレナの内面に迫った脚本、演出は、思いがけず心の深いところにグイグイくる感じがあった。
音や映像が、70年代終り〜80年代初めぐらいの人形劇や人形アニメーションのコワイ雰囲気があって、懐かしかった。グイグイきたのはそのせいもあったと思う。
サンリオ映画の『くるみ割り人形』を思い出した。
ちょうどおととい、早稲田演劇博物館のオンライン講座「もしも私が女なら~シェイクスピア劇におけるジェンダーとセクシュアリティ」を受講したばかりだったので、異性配役や、ジェンダーの描き方についてはいつも以上に関心を持って観た。
なんの意図でそうされているか?
良かったとしたら、なぜか?
良くなかったとしたら、なぜか?
考える習慣が鑑賞を豊かにする。
エピローグの口上にぐっときた。
ああ、この人たちが役者として舞台にいられる今の時間に感謝いたします。
そしてこの時ができるだけ長く続きますように!
それと、これはほんとうに残念なのだけど、間違いなくNGなセリフや、ちょっとこれは今の時代にはそぐわないのでは?という表現があった。
アンケートに書いて送りたいが、窓口が見つからない。もやもやしている。
終わってから友達と感想シェアをしていて、NTライブのニコラス・ハイトナー版『真夏の夜の夢』がすごくよくて、それとどこか比べちゃったところもあるのかな、という話も出た。それもあるかも。
いや、ほんと、あれはすごくよかったんだよね!
たぶんだれが観ても楽しい、傷つかない脚本と演出だったと思う。
意地悪さのようなものも感じたりしたのかなぁ。
比べると言えば、同音異議の言葉遊びは、ずっと以前に、ある作家の朗読会での小品のパフォーマンスが素晴らしかった記憶があり、自分の中でそれを超えなかったので、それほどおもしろがることができなかった。
NGワード以外は、自分の側の問題なので、批評するとかそういう次元では全然ない。
ただ、いろんな演出で、いろんな『真夏の夜の夢』を観てみたいなぁとさらに思えたことは、大きな収穫だった。
そして後日。
この公演で衣装と舞台美術を担当された方のレクチャーを聞きに行った。
舞台美術と衣裳の助手を務められたスタッフさんのお話が聞ける。
余談もたっぷりでうれしい。
"助手"という言葉のイメージを軽く持っていたなと反省。今回の場合、演出家やディレクターのアイディアを具現化する人や、日本での受け手になってローカライズする重要な役割を担っている方々だった。
これは大変なお仕事だ。
技術と知見と経験と、コミュニケーション、インスピレーション、レジリエンス、タフネス……。
しかも、新型コロナ感染症流行のために、在ルーマニアの演出家が日本に入国できず、ほとんどZOOMで稽古を行った。隔離の終わった瞬間から舞台初日まで最終調整(演出家が自分の目で実際に確認しての)に5日しかなかったという。
あれはほとんど奇跡的な舞台だったのだ!
ルーマニアから送られてきたブツと指示とを元に作りながら、役者の身体や動きに合わせて調整したり、代替したり、ときにはアイディアを捨てたり。
部材がルーマニアにあって日本にないものがあったり、アイディアはいいけど構造的にはあり得なかったり。
やってみてわかること、最後の最後まで調整し続けるのが舞台なのか。
魔法のように見えた舞台装置も、めちゃくちゃアナログな作りだったり、人力だったりして、すごい!しか言葉が出てこない。
レクチャーの場には役者さんはいらっしゃらなかったけれど、役者さんのほうの身体能力や調整力の高さにも驚嘆した。役者さんがいないのも、このレクチャーではよかった。裏方の仕事に照準を合わせたいいレクチャー。
十分に意図をもって作るからこそ、観客が自由に想像したり解釈ができるのだな。
質疑応答の時間は、どんな人がこのお芝居を観に来ていて、どこに注目していて、どんな質問をするのかが興味深かった。「そこを見るのか!」とか、「そこを抜かすか!」とか。
今後他の舞台を観るときにも、もしかしてあれはこういう人がこんな作業を重ねてつくったものかも、など想像できる。学びの多いレクチャーだった。
劇場のこんな企画、これからもぜひぜひやってほしい。