ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

NTLive『リーマン・トリロジー』鑑賞記録

National Theatre Liveの『リーマン・トリロジー』、観てきました!
先日このようにご紹介していた作品です。
 
明るい気分にはならないだろうし、観たらいろいろ考えちゃうかもしれない。
今はシリアスすぎるものはけっこうキツイし、何より舞台が回転するのかーーと思うと尻込みしていました。
 
が、ツイッターで感想を漁っていたら、どれもこれも絶賛の嵐だったので、思いきって行ってきました。
 


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いやはや、すごかったです。

これはぜひ観てほしい。

 

心配していた通り、舞台はじゃんじゃん回っていました。

 
1幕、2幕はわりと平気。

3幕は回り続けてなかなか止まらなかったり、スピードが早かったり、背景に投写されている映像も回るので、なかなかハードでした。音響とも相まって、時々顔を覆ったりしていました。(これは誰もレビューで書いてなかった。みんな強いんだなー......)

破滅へのクライマックスだからなんですよね、すごく効果的だった。


3幕は他にも演出で、フラッシュ(たぶん1回?)や銃声(数発)や暗転(15秒)があります。これらは冒頭でも予告されます。

銃を使った自死の演技や、男性同士が激しく怒鳴りあうシーンもあります。

なんともない人にはなんともないんだろうけど、苦手だったり、生命の危機を感じる人には重要な情報だと思うので、お知らせしておきます。

 

 


でも、でも、それを超えて、ほんとうに観てよかった!!!
今という時にこそ、観てよかった作品です。

 

まず、美しかった。

大きな透明のガラスボックスの舞台装置は照明に映えて美しく、生のピアノ演奏(わたしたちが観ているのは録画ですが)の透き通るような音との共鳴は、SFやアンビエントな世界観を醸し出しています。

 

演出がサム・メンデスなだけあって、映像的。

彼が監督した『アメリカン・ビューティ』好きだったなぁ。

観る前は、無機質なフレームに黒づくめのおじさんが3人...をどう美しく感じられるんだろう?と思っていたけれど、舞台を構成する要素がぴったりと一つに結ばれると、目が離せないほど美しいのです。

初めから終わりまで。

だから破滅の物語なのに、ギリギリのところで観ていられるのかもしれない。

 

 

様々な舞台芸術の要素があって、わたしは特に活弁お能とオペラを感じ取った。

・ピアノが役者のように演技したり、心理描写や情景描写をする。

・ピアノが重要なシーンで主題を繰り返す。

・繰り返すセリフがある。

・ト書きを本人が動作しながら言ったり、そのシーンで役に当たっていない人間が言う。

・限られた数の人間だけが舞台の上にいる。

・限られた小道具と作り物の見立て。

というところが。

 

他の舞台芸術のフィルターをかけて観てみるのもまたおもしろいです。

 

 

ウォール街を綱渡りするブローカー。落っこちても大丈夫なように、ネットつけときましたよ(椅子の背についていた^^)

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鑑賞者は、リーマン兄弟、一族とその継承者に最終的に何が起きたかはわかっている。
この物語には基本、栄光と凋落しかないわけですが、そこに至るまでのきっかけ、展開、伏線がミステリーのように交錯して、潜伏しては表出してくる、この繰り返しのダイナミズムに圧倒されました。
 
まるで神話や叙事詩のような、時代劇や大河ドラマのような。
 
 

舞台が回転するのは、輪廻を表しているのだろうと思います。

150年にわたるリーマン一族3世代とその後継者の物語は、時代が変わっても、人間が変わっても、結局のところ、同じところをぐるぐると周り続けているだけだった。

リーマン一族のことだけではない、人類への皮肉なのか。

  

何が彼らをそうさせるのだろうか。
金融業界が男社会だからこうなったのかしら。 
 
野心、野望、興奮、熱狂、最上志向、競争、闘争、攻撃、先制、統率......などのワードが脳裏をチラチラとしていました。
 
男性にだけあるものとは思わないけれど。
女性もいたら、また別のバランスがあったのかなと思って。
 
おもしろくてしょうがない。
やめられない。
やめ方がわからない。
作り上げた仕組みが成り立たない。
勝てなくなったらどうしたらいいのか。
自分でも何をしているのかわからない。
 
そこまで暴走させるものとは。
 
 
最近コミック化で話題になった「戦争は女の顔をしていない」という本のことも思い出しました。
 
また、感染症に席巻される現在の世界のことがいやでも想起されるし、人類が数えきれないほど「やらかしてきたこと」も思い当たらずにはいられなかった。
 
特に、言葉や映像が世界中に溢れ、押し寄せてくるように感じられる苦しさは、今まさに進行している。
 
「どこが分岐だったのだろう」と何度も思うけれど、「リーマン・トリロジー」の中にいると、もはや「どこが」かなんて分からない。
どこかで引き返せたような気が全然しない。
最初からそうなるように決まっていたようにも見えてくる。
 
観ているときは没頭はしているけれど、誰かに共感したり感情移入したりすることもなく、いつまでも胃に重く抱えて夜眠れない、ということもなかった。
でも忘れられない。
 
この感じは、ラーメンズの舞台が好きな方は好きそう。
3時間ちょっとの長尺ですが、2回休憩もあるし、スリリングでまったく飽きません。

登場人物もたくさん出てくるけれど、役者が完璧に演じ分けていて、0歳〜100歳以上の老若男女が、ほんとうにそのように見える。すごい。
舞台には3人しかいないのに、何人、何十人、何百人、何万人、何億人の人間を感じさせるのも、すごかったなぁ。空気のようで顔がない人間たち。そこから切り離されてガラスボックスの中で極限の孤独を舞台上で生きる「3人」。
 
うーん、すごかった!
 
歴史、宗教、金融の知識がなくても、一つひとつ積んでいくので置いてきぼりになりません。それでいて説明的でないのがすごい。
 
という具合に、とにかく、ひたすらベタ褒めしたい。
 
ご都合つく方は、ぜひ。前夜はよく寝て、体調万全のときに行ってください。
 
パンフレットに掲載されている小田島創志さんの「『リーマン・トリロジー』のダイナミクスと言葉」という解説が非常におもしろかったです。
このためだけにパンフレット買ってもいいぐらい!
 
今回の現地の劇場はPiccadilly Theatre(ピカデリー劇場)。