吉田博展へ行ってきた。
昨年から開催を楽しみにしていたので、はりきって2日目に乗り込んだ。
まだフレッシュさの残る展示空間は、人も少なめで、ゆったりと鑑賞できた。
いつものようにまとまらない感想やら調べ学習の結果をバラバラと。
・とにかく美しい。美しい世界の中に身を浸せる。静けさの中、心を遠くに飛ばせる。
・1枚目の展示は「朝霧」。25歳のときの水彩画。世界観はこの頃にもう出来上がっている。光の取り込み方、対象との距離感。描きたいもの、捉えたい美。彼が自然に見出している形の複雑さや色の種類なども。画家としての基礎を作ったときに、師からどんな教えがあったのか聞いてみたい。
・44歳で木版に出会い、49歳で本格的に木版画に取り組む。この時期は「奇跡の1926年」と題されたコーナーで、作品点数が人生で最も多いのだそう。たまたま前日にすみだ北斎美術館に行って、葛飾北斎と名乗りだしたのが45歳。45〜50代までが最晩年に次ぐ作品点数なのだと知った。なんとなくこの40代で二つ目のキャリアのスタートというあたり、自分の肌感覚としてもわかるような気がする。
・国費でフランスに留学する若い洋画家たちを尻目に、親戚から金をかきあつめて片道切符と自作だけを持ってアメリカに渡航した23歳の吉田。若さって素晴らしい。「えー!」と反対されたり、馬鹿にされたりしたけれど、実行したんだろうな。全く違う気候、自然、言葉、人、文化、感性に出会い、しかも自分の作品が熱狂的に迎えられ、評価された。こんなにも大きな原体験。生涯に渡って影響を及ぼしていたというのも理解できる。どれほどの刺激だったか!
・木版画に関わった最初だという「明治神宮の神苑」。本殿の造営費は国費だが、それ以外の聖徳記念絵画館、競技場、野球場などの施設や杜は、民間から寄附を募って建設された。その返礼として3,000枚が刷られたのだそう。今でいうクラウドファンディングのリターンだ。しかも明治天皇が詠まれた和歌入り。
ちょうど展覧会に行く少し前にこんなツイートを見ていたので、あ、あれのことだ!とすぐに結びついた。植原さん、ありがとうございます。
明治神宮の凄さを理解したからまとめる
— 植原正太郎|グリーンズCOO (@little_shotaro) 2021年1月18日
荒地だった代々木の土地に明治天皇と皇后をお祀りするべく「永遠の杜」を創建するPJTが始動.気鋭の林学者3名が100年後に自然林に還るように計画.全国への呼びかけで365種12万本の樹木と270億円の寄付が集まり10万人のボランティアにより1920年完成.壮大が過ぎる pic.twitter.com/gmlNpjTjaG
・木版は、木目や木肌が、大気や湿度をやわらかく表してくれているように感じる。
・版木の性質や絵具、紙によっても違うだろうし、天候、気温、湿度なども違う、力加減も違う。その、意図と完全にぴったりには現れないところがおもしろさなのだろう。吉田の水彩、油彩、スケッチを見れば見るほど、ただ描くだけでも相当再現している、描きたいものを描いているように感じられるが、木版の形でしか現れない偶然や不確実さ、変数の多さがよかったのだろうか。あるいは、版木がある限り、何度でも再現できる、挑戦できるのがよいのか?最近消しゴムハンコで表現活動をしている友人のことを思い出す。
・「瀬戸内海集 帆船」のシリーズは何度観ても興味深い。同じ版木でも摺りの技術の使いようによって時刻も変えられるし、見せたいものも変えてしまう。太陽を出したり引っ込めたり、夜は対岸の明かりを目立たせたり、奥の帆船の存在感を出したり消したり、空と海を一体化させたり、連続をもってグラデーションをかけたりしている。粒を出したり、滑らかにしたり。絶妙な技!
・写真の現像や、印刷の技術でも、細かなデジタルの目盛りを調節して、表したいものを表していくのだろうけれど(シュタイデル社のドキュメンタリーや、さかざきちはるの本展で感じた)、これはその挑戦を原始的なやり方で、素人にもわかりやすく教えてくれているようだ。ある効果を求めるための探究過程を見せる。表現に含まれる技術の因数分解。
・「帆船」のバリエーションは、例えばモノクロでしか見たことがなかった昔の写真がカラーになったときの衝撃に似ている。物の見方が固定されていた、一つのイメージにとらわれていたことに気づかされる。批判的に観る、つくる姿勢。
・絵が上手いのは当たり前で、その先を妥協なく目指していく姿の物凄さ。かといって、山登りでいえば、絶壁や絶頂だけを好んだのではなく、裾野や麓も愛したという。バランスの良い人という印象。
・朝焼け、夕焼け、昼間のあの光、あの色を留めておきたい、とわたしもしょっちゅう思うけれど、写真にとっても再現はできない。脳裏に焼き付けているしかない「あの感じ」を取り出して、こんなふうに自分の手で留められたら、どれだけの喜びだろうか。
・色あいが色鉛筆やパステルの優しさ、柔らかさも感じる。繊細でありながら、のびのびと息ができる。
・ほとんどの作品、左上に〈自摺〉と入っている。これは「吉田が自分で摺った」という意味ではなく、江戸時代からの版元がコントロールする形での木版画の制作システムではなく、絵師がディレクターとなって制作するシステムをとっていたということらしい。絵師の元に彫師と摺師を従属させ、監督が納得するまでやらせて刷り上げた一枚、ということらしい。(東京美術の『吉田博 作品集』より)
・「雲井櫻」山桜の希少な大木から特大版(1辺が70cm超)を作るときに、桜をモチーフにしたところが、桜の精への鎮魂のようで粋。紙や版木の収縮率の違いからズレることもあるらしいが、作品として展示されているものはどれもそんな努力の跡も感じさせず、最初からこのように存在していたかのように美を放っている。
・版木も美しい。色数が多い、摺りが多いからといって色版の数が多いわけではない?(この点、知りたい)
・膨大な写生の山にも惹かれる。会場には写生帖の一部が展示されていたが、もっともっと多いのだろう。わたしで言うところのメモ魔みたいなものだろうか。記録であり、日々の練習であり、創作の源。"一期一会を速筆で描き留める"、その勢いが伝わってくる。
・山に親しんでいる人ならより山の作品に愛があるだろう。わたしは山も好きだが、それよりも水のそばで生まれ育ったので、水ほうへの親しみが強い。水の描写をよく見てしまう。水の流れ、揺れ、枯れ木の映る水面、山を映す水。
・摺りの回数が凄まじい。30回はざらで、88回、最高96回も摺りが重なっているという。江戸時代の浮世絵が十数回というのが少なく感じる。
・義妹で、のちに妻となる「ふじを」さんのことが気になった。アメリカに展示をしに渡航したときには、ふじをの作品を博と同数出している。博が好きに芸術を極めている中で、ふじをは女性ということで葛藤もあったのだろうか。東京美術社の「吉田博 作品集」にはふじをについてのコラムがあったので読んだが、もう少し突っ込んで知りたいところ。歴博の「性差の日本史」展のあとでは、制作活動を支えていた(多くの場合自分の表現には光が当たりづらい中で)女性の存在は、どうしてもジェンダーの面から気になる。
・次男の吉田穂高さんは1995年に亡くなられたが、町田市国際版画美術館のAVコーナーで木版画の解説映像で会える。この解説がとても丁寧でわかりやすいので、同館へ行かれたときはぜひ。
・67歳で木版の制作が途絶えている。やはり版画制作には体力が要るのだろうか。(メスキータ展の図録に書いてあって、まだピンときていなかった)
・自然物のようにただそこにあり、インスピレーションを与え続ける作品。もしもそういう点からダイアナ妃やフロイトが愛したと言われるなら、納得。(ダイアナ妃が〜という宣伝文句にやや食傷気味だったので)
・世界は複雑で千変万化。子どもが見たら、勇気付けられるのではないかと思った。ほら、やっぱり山は緑、空は青の一色ではないんだ!と思えるのでは。
・一色や一塗りでは描き表せない何かがある、でもどうしても表したい。それこそがあなたがとらえた美であり、あなたの中のアート。
とにかく、よい。気づいたら3時間ぐらい観ていた。
どれだけ精細な印刷やモニター画面であっても、この繊細さや奥行きは生でしか感じられないので、行ける方はぜひ現地で鑑賞していただきたい。
点数が多く見応えがあるので、時間に余裕を持ってお出かけいただくのがよいかと。
動画解説が2点あるので、それぞれは短時間だけれど、余裕があったほうがおもしろく観られる。
単眼鏡か、単焦点の双眼鏡をお持ちの方は、ぜひ持参で。近くで観られるのだけれど、覗いてみると繊細な部分まで確認できる。
わたしも予定が合えば、会期中、再度訪れたい。
左:1997年 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館(現SOMPO美術館)での図録
右:2020年 東京都美術館での図録
観終わって外へ出ると、世界がぜんぶ吉田博の作品のように見えた。
美術館を出るといつも思うけれど、世界は美しい。
今年10月のSOMPO美術館での川瀬巴水展も楽しみ。
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