練馬区立美術館で開催の『電線絵画展-小林清親から山口晃まで-』展に行ってきた。こちらは、昨年の津田青楓展以来。
はじめにこの展覧会の宣伝を観たときは、おおおー「電線絵画」!
そんなジャンルを見出しちゃったのかーー!とニヤニヤしてしまった。
これを企画した学芸員さんは、相当おもしろい人だろうなぁ。
しかも「小林清親から山口晃まで」というサブタイトルもいい。どちらも好きな画家、作家。ポスタービジュアルもいい。富士山に電信柱と電線。いやーそんな絵画があったんだ!「富士には電信柱もよく似合ふ」のキャッチコピーも最高。
題字のデザインもいい。
いやーこの展覧会、想像以上に、よかった!
普段美術館に行かない人にも全力でお勧めしたい!!
実際、普段美術館であまり見ない感じの人が多かったので、もしや電線や電信柱を愛好する方々なのかもしれない。(わくわく!)ケータイの着信音を鳴らす人が続出だったのも、いつも来ない層の人が来ている、という感じがした。
なにがいいって、
・電信や電気事業の起こりと発展(電気通信史)
・東京のまちの変遷(東京史)
・明治〜現代の、画家、版画家、美術家の紹介(美術史)
の3つのラインが、電線の交錯の如く縦横無尽に行き交っているような体験ができることが大きい。いっぺんにすごくいろんなことが知れてお得。電線で歴史を串刺してみたら、いろんなことが見えてきた!という感じ。
会場に入るとまずは、用語の確認から。
架空線:空中に張り渡した線(絵空事の意味の「架空」ではない!)
電線:電気のための架空線
電柱:電気のための支柱
電信線:電信のための架空線
電信柱:電信のための支柱
架線:電車に電力を供給するための架空線
ここですでに「へえええ!」となる。こういう違いがあったんだ。さらに、一般的な電柱は、10m、12m、14m、16mがあって、その1/6が地中に埋まっているとか、知らなかった。
「じゃあ電信線や電線っていつからあるの?」と思ったら、すかさず隣には「電線年表 -草創期の東京の電信・電気・電車事情」が!これは保存版である!
1854年にペリーが持ってきた電信機による実験が横浜で行われたというのが、日本における電信線のはじまり。1871年(明治4年)に東京ー長崎の電信線の建設がはじまる。同じ年に郵便制度がはじまる。ここから電信と郵便はセットで発展していく。同年に、長崎ー上海で海底電信線がデンマーク企業によって敷設されたというのにも驚く。こんなに早い時期に?!
電気を送る電線は1887年(明治20年)と少し遅れてはじまる。なるほどー!
先日、鷗外記念館で抱いた問い「明治から大正の郵便や通信ってどんなだったんだろう?」にまた少し近づいた!やはりここから郵政博物館や電気の史料館に行くとよいかも!またいろんなことがわかるかも!しかも郵政博物館は4月20日から『郵便創業150 年記念企画展 日本郵便の誕生』という企画展がはじまる。タイムリーすぎてすごい!
......と、もうこの時点でわくわくが止まらない。
以下はわたし用の記録。
・小林清親の作品が15点ほど。どれもよいが、『帝国議事堂炎上之図』は、清親のルポルタージュ性が出ていてよい。まだ纏(まとい)を持って屋根に登っている時代。明治に移って変わっていくまちの風俗の記録として貴重。清親の写生帖もいい。水彩スケッチの透明感。やっぱりもっと清親の作品が見たくて、以前手放した『小林清親 文明開化の光と影』展図録をネットオークションでもう一度購入した。(あ、今気づいたけれど、これも練馬区立美術館の展覧会だ!)
・高橋由一の『山形市街図』に描かれているのは、明治14年〜15年の山形の県庁あたりの近代建築の立ち並ぶ様子。明治11年にイザベラ・バードが山形に来たときに、こういう風景を見ていたのかも。また、もう明治なのに、旅装束は江戸のままという人の姿も、先日読んだコミック『ふしぎの国のバード』とつながる。
河鍋暁斎も電信柱を描いています。今は邪魔者扱いですが、当時としてはまさに文明開化!
— 暁斎×暁翠 (@kyosaikyosui) 2021年2月3日
画像はKADOKAWAの玉置さん @tamatama2 お気に入りの作品。八王子市の東京富士美術館までいらしていただきました。 https://t.co/eWEIvSkwZp pic.twitter.com/jt3L9Dh1zk
・岸田劉生の『切通之写生』(東京国立近代美術館所蔵)にきょうだいの絵があった!別の場所、別の角度から観た切通し。しかも2枚も展示されている。これはおもしろい。へえ、ここってこういう場所だったんだ。しかも電信柱が重要な登場人物になっているとは思いもしなかった。
・明治42年に日本橋が石造りに架け替えになり、大規模工事がはじまる。明治44年には東京市の人工が200万人になる。市電の架線と電線が行き交うのが「電化したモダン都市東京」の象徴。どの作品からも、まちの賑わいや、近代化、発展の熱狂と誇らしさが伝わってくる。同時にこの電線絵画という企画、串刺し方は、東京でやるから意味があるし、観客もおもしろいと思える展示なのだろうな、と気づく。自分がその延長上にあることが実感できるから。
・ふと思い出したけれど、ベトナムのまちは電線がすごい。交差しているなんてものではなくて、絡まって団子みたいになっている。ちゃんと電気通ってるのかな?「ホーチミン 電線」で画像検索すると出てきます。
・川瀬巴水が電線を景色に違和感なく溶け込ませたのに対して、吉田博は電線も電柱も一切描かない。吉田の美学を感じる。川瀬の作品を観ていると、東京の市中を描いているものが多いので、電線や電柱のある風景も込みで愛していたのかもしれない。『東京十二題 木場の夕暮』は、材木が浮かぶ川にの水面に電線が移って揺れている様が美しい。これ、今年10-12月のSOMPO美術館での川瀬巴水展でも観られるといいなぁ。
・藤牧義夫の『隅田川両岸画巻 第二巻』、現代の作家の作品かと思うほど、モダン!全部展開して観てみたい。キャプションには「完成後に失踪」とある。ミステリアス。
・福田豊四郎の『スンゲパタニに於ける軍通信隊の活躍』、戦争画にも電信線が見られるということと、戦争のまた一つの側面、通信を担う部隊があったという二つの発見。「そもそも明治政府が電信網の整備を進めたのは、軍事・治安維持を第一に考えていたから」とのキャプションに驚く。経済や生活ではなかった。はじまりは西南戦争対策のため、東京ー長崎と九州内の整備が進んだとのこと。この展覧会、こんなことまで教えてくれてほんとうにすごい。
・かつての東京の西の郊外を描いた作品もある。板橋、落合、練馬、高田馬場のあたり。農地や原野だったところが次第に開拓されていく。まさに今展覧会を観ているこの練馬美術館のあたりも、以前はのんびりとした農地や牧場だったりしたのかと思うと、タイムスリップのようでおもしろい。
・「ミスター電線風景」と名付けられた朝井閑右衛門と木村荘八のコーナーもよかった。朝井の電線は生き物のようにうごめいている。木村の『東京繁昌記』おもしろい。観察眼の発揮の仕方は、エッセイストというより在野の研究者やデザイナーの仕事に近い。明治と昭和の20歳の女性の体型や身長の比較とか。本読んでみたくなった。関東大震災前は建物より電信柱のほうが高いが、震災後は高い建物が多く建っているので電信柱が低く見える。今後、"電柱絵画"を見るのに役に立ちそう。
・碍子のコーナー。愛好者にはたまらない展示。碍子(がいし)が美術館に展示されているなんて、みたことがない。碍子とは、絶縁しながら、電線を電柱に固定する部品のこと。ガラスケースに陳列されている様は、工芸品のようで美しい。でも名称は「55kV用ピンがいし」!碍子をモチーフにした日本画があるなんて!
・デンセンマンの電線音頭!!!これが今回の展示で一番衝撃だったかも。探したらYoutubeにありました。1976年(昭和51年)発売。ここのキャプションは学芸員さんの愛がダダ漏れでイイ!
・現代美術のコーナーへ。山口晃の漫画の生原稿。食い入るように読んでしまった。1話だけネットで読める。http://www.moae.jp/comic/shuto/1
単に電柱萌えという内容ではなくて、どきっとする核心をついたやり取りも混ぜ込まれている。『趣都』の連載は今止まっているようだけど、コミック化されたら読みたいなぁ!
はぁ、楽しかった。他にも書ききれないほどたくさんの「へええ!」があり、一人で行ったけど楽しくて大満足!
美術館を出たら、案の定、電線や電柱に目が行く!いつもはじゃまだなとか、全部地下に埋められないのかしらと思っていたけれど、あんな時代、こんな時代を経てきたのかと思うと、けっこう味わい深い、かも。写真や映画を観ていて、「あれ、これどこの国?」と思ったときに、電線が見えることで、「あ、日本だな」とわかるのも、まぁ悪くないかもと思ったり。
しかも、わたしも電線を入れた写真をしょっちゅう撮っているのだ。思いついてコラージュしてみたら、これイイ感じ、よね?
展覧会図録。美術館以外でも販売もしている。
練馬美術館の本展担当の学芸員さんと電気の史料館の学芸員さんの寄稿がやはり読み応えがある。読めてよかった。監視員の人にうかがったら、この企画を10年温めてらっしゃったそう。アツいなぁ!!
おまけ。電信柱と絵と聞いて思い出すのはこの本。ちょっと怖い。
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