たばこと塩の博物館で開催の『明治のたばこ王 村井吉兵衛』展に行ってきた。
たばこと塩の博物館(通称:たば塩)には、渋谷の公園通りにあった時代に一度行ったことがある。細かいことは忘れたが、たばこ用品やラベルなどの収蔵品の膨大さと美しさに圧倒された記憶がある。当時の様子は、美術ブロガー・青い日記帳さんによる移転前の最後の企画展のレポートが詳しい。
2015年に墨田区に移転した後、行きたいと思いつつも、ずっとタイミングを逸していたが、今回の企画展示は、「明治」というキーワードがヒットしたので出かけることにした。
樋口一葉記念館を訪れたあたりから(この記事をどうぞ)、加速度的に明治に関心が向いている今日この頃。
今の日常は、明治の近代化がルーツになっているものが多い。日本という国の大きな節目に起こったことを分野横断的に探究することで、疫病や災害によって揺れる今の時代をどうにか生きるヒントがつかめるのではないかとわたしは考えており、それを日々、ミュージアムやライブラリー、シアターを訪ね歩き、鑑賞し、記録している。
今の目で過去を見つめ、そして視点を過去において今を見てみる。
それら二方向への眼差しを向けながら、さらにここから先の未来を見据える。
私個人として感じ、考え、想像しながら一歩踏み出す。
誰かと共に踏み出す。
そのような同時代の人間の営みのためにミュージアムは存在している。
活用しがいのある学びの宝庫。
今回の鑑賞で印象に残ったこと、新たに知ったことをまとめた。
●たばこで串刺す歴史
常々、歴史とは人・物・事・地で串刺してみると、その度ごとに見え方が変わると思っているが、今回のように「たばこ」で日本の歴史を串刺してみるのは新鮮でおもしろかった。たば塩以外の誰も、たばこの歴史を知らせようと教育普及活動をしている者がいないということも大きい(とはさすがに言い過ぎだろうか)。
●JTとこの博物館の成り立ち
現在、日本でたばこの製造販売を担っているのは、JT(日本たばこ産業株式会社)。財務省所管の特殊会社。1985年の民営化で日本専売公社のたばこ事業を引き継いで設立された。
日本専売公社とは、1949年に発足した特殊法人で、戦後GHQからの要請で、それまで大蔵省専売局が行ってきた、たばこ、塩、樟脳の専売業務を引き継いだ。
大蔵省専売局>>日本専売公社>>日本たばこ産業株式会社 の流れ。
専売制とは、特定物資の生産、流通、販売を独占して、国家などが利益をはかる仕組み。日本では江戸時代の初期から存在していた。
今回の展示は、たばこが政府の専売制となる前に、一代で財を成し、その後歴史の間に消えていった実業家、村井吉兵衛の物語。
たばこと塩の博物館は、JTが運営するミュージアムで、大蔵省専売局時代からの所蔵資料を持つ。
たばこと塩に関する資料の収集、調査・
常設展だけでも見応えがあるが、特別展の視点のおもしろさと切り込み方の深さは独特。たとえば現在開催中の「ミティラー美術館コレクション展 インド コスモロジーアート 自然と共生の世界」などは、たば塩でしかやらないような目の付け所が魅力的。
今回の特別展は、「たばこ」そのものの歴史にガッツリと切り込んだ、言ってみればたば塩としての研究成果の披露。これだけの充実した内容で、常設展と合わせて入館料が100円なのは、企業運営のミュージアムとはいえ、ほんとうに驚き。
●知られざる実業家、村井吉兵衛
村井吉兵衛(1864-1926)は、たばこが専売制になる1904年(明治37)以前に国内最大手だったたばこ業者です。京都のたばこ商の家に生まれた吉兵衛は、将来有望と見込んだ人物を引き入れて「村井兄弟商会」を設立し、アメリカの技術を学んでシガレット(紙巻きたばこ)の製造に乗り出します。
1891年(明治24)に「サンライス」、1894年(明治27)には「ヒーロー」を発売し、同じく大手たばこ業者だった岩谷松平や千葉松兵衛と「明治たばこ宣伝合戦」を繰り広げました。さらに1899年(明治32)には葉たばこ産地のアメリカで勢力を増していたアメリカン・タバコ社と資本提携を結ぶなど、その斬新で大胆な経営は日本の産業界に大きな影響を与えました。
たばこ専売制の施行によってたばこ業から撤退した後は、銀行を足がかりに鉱業や農場経営など様々な事業に着手し、政財界に幅広い人脈を築きました。当時の実業界では、渋沢栄一や岩崎弥太郎に匹敵する人物として評価されていましたが、今日ではその名を知る人は多くない“隠れた偉人”といえます。
本展は6つの章とエピローグで構成します。たばこパッケージや看板・ポスターなどの多彩な館蔵資料から、村井兄弟商会を中心とした明治のたばこ産業について紹介するとともに、文書や写真などから吉兵衛が興した事業や一族の足跡をたどります。約150点の資料を通して、近代たばこ産業を創った実業家・村井吉兵衛の人物と業績を紹介します。(たばこと塩の博物館HPより)
村井吉兵衛は、たばこ以外にも様々な事業を手がけて日本の産業や経済を発展させ、海外との取引も業界ではいち早く乗り出した人物なのだが、一般的に名はあまり知られていないと思う。少なくともわたしは全く知らなかった。
同じ実業家でも、渋沢栄一でも岩崎彌太郎などの超ビッグネームとはまた違うポジションに置かれているのは、名前や業態が変わって過去の偉業の痕跡がわからなくなっているからなのだろうか。あるいは、名を上げたのがたばこだから、なんとなく忌避されているのだろうか。
いずれにしても、これほど大々的に、たばこという切り口から村井吉兵衛に光を当てられる者は、繰り返しになるが、たば塩しかいないという気がする。
村井吉兵衛ゆかりの有名なものといえば、モダン建築。その存在は知っていたけれど、来歴は初めて知った。
長楽館 https://www.chourakukan.co.jp/chourakukan
旧村井銀行祇園支店 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/113777/1
村井銀行七条支店 https://kyo-kindai-archi.hatenablog.com/entry/2019/02/09/153000
村井ビルディング https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2013/08/55.html
●村井吉兵衛の人物像
吉兵衛はもともとたばこを商う家の出だったが、小商で終わりたくないという野心があり、会社を設立した。自分が見込んだ人物をつぎつぎと妻の妹たちの婿養子にし、村井家の一員にして連帯を強めていくなど、戦略的に拡大していった。
村井吉兵衛は研究熱心だった。洋書などから独学でたばこの製造法を会得したり、英語の銘柄で売り出したり、もっと質のよいたばこを求めてシカゴ万博に視察に行って製造機械の購入契約と、アメリカ産のたばこ葉の買い付けもしている。清国(当時の中国)や韓国向けにも販売量を伸ばしていく。(この野心と先見性よ!)
もう一人のたばこ王で、ライバルの岩谷松平(岩谷商会)との広告合戦でもそうだが、とにかく競合他者がやらないことを先んじて仕掛けていったのが村井。同じたばこ業界だけを見ているのではなく、他の業界、他の国など、視野を広くとっていることが見て取れる。
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t20/index.html
実際にパッケージ一つとっても、デザインが洗練されている。ライバル会社のパッケージも、今見るとそれはそれで味わい深いけれど、明治に入って「浮世絵ってもうダサいよね」という雰囲気の中で、感性を先取りしたデザインは、人々の目を引いたことだろうと思う。デザインだけでなく品質にもこだわっていたそう。
たばこ業界において最先端のモードを作り出して行った手腕は、当時のたばこ業界においてはやはり別格だったではないかと想像する。
「列強に追いつき、対等になり、さらに追い越そうとした」を一代で成そうとしていたのか。たばこ事業から撤退した後も、銀行、農林、鉱業(石油・石炭)、物流、紡績など幅広く事業を手掛けた村井に、いったいどういうビジョンがあったのか。
また、外国の異なる人種、言語、文化、風習の違いの中で、どんな驚きや悔しさや喜びがあったのか。アメリカン・タバコとのやり取りの中では、15年間の利子無配当というえげつないこともされたようだ。
自伝や日記の類は残っていないそうで(手紙ぐらいはありそうなものだけど)、もともとなかったのか、遺族が提出していないのか、散逸したのかは不明だが、ふと村井自身の言葉を聞いてみたくなった。
●たばこの専売制から見る、日清戦争から日露戦争のあいだに起こったこと
自由に製造販売していたたばこが、なぜ1904年に政府が独占的に行う専売制(葉煙草専売法)となったのか?
ここの流れが少々複雑で、会場では文書だけが展示されていて、全く流れがつかめなかったが、図録を読んで少しずつ理解した。
理由は二つ。一つは、日清戦争後、軍備拡張のための税源を確保するため。もう一つは、村井兄弟商会がアメリカン・タバコと資本提携しているために、日本のたばこ市場が海外資本に侵食されるのを防ぐため。
背景には、専売法が施行される前の1902年、
「アメリカン・タバコ社とイギリスのインペリアル・タバコ社が手を結び、巨大なトラスト、ブリティシュ・アンド・アメリカン・タバコ社(B.A.T.社)が成立し、村井兄弟商会の株もB.A.T.社が保有することとなりました。(図録p.61)」
これが脅威としてあったようだ。(ブリティッシュ・アメリカン・タバコは現在もあるたばこ企業で、世界シェア2位、KENT, KOOL, LUCKY STRIKEなどのブランドを持つ)
村井のライバルである岩谷商会の岩谷松平は、当初は専売制度に反対していたが、政府から施行後のたばこ業者への補償(交付金)措置が示されたことで一転、専売施行を認める立場に。ただし、その補償額の産出基準が村井兄弟商会に有利だと批判して、衆議院で修正案を可決させた。外資 VS 国産 の構図。
しかしこの規程は、村井兄弟商会の株を保有する英米の資本家の批判を浴びて、外交問題に発展。(このときの外務大臣は小村寿太郎)
交付金と原料、機械、土地建物などの資産買い上げに加え、B.A.T.社 はのれん代(goodwill)も請求。アメリカ国務長官を巻き込んで申し立てを行った。
「日本政府は当初こうした批判や要求に対し安易に譲歩しなかったが、日本の国際評価が下がり、日露戦争のための公債募集に支障を来す危険が生じたため、最終的には大幅に妥協することとなった。交付金は規程どおり売上の2割としたが、東洋印刷会社の工場などを買い上げ、多額の上乗せを行うことで対応した。(図録p.67)」
この時期、日露戦争の戦費調達のため、ニューヨークやロンドンで公債募集に奔走していたのは、日本銀行副総裁の高橋是清。ついこの間まで鎖国していたような東洋の小国が、ロシア帝国に向かって仕掛ける戦争などだれも期待せず、日本の国債を買う人などおらず苦戦していたところ、アメリカ金融界の重鎮、ジェイコブ・シフ(ユダヤ系投資銀行クーン・ロープ商会 頭取)から応募の約束を取り付けた。「シフの意図としては、日本が戦勝すればロシアのユダヤ人迫害が緩和すると見込んだ」というようなことが『高橋是清自伝』で回顧している。
この決断を聞いたアメリカン・タバコ社の社長が、シフを訪ね、「専売制導入における補償の見直しを交わし続けるような日本政府の公債募集に、シフが応じた」ことを非難した。シフはこれを受けて、「日本政府は然るべき説明をすべき」と高橋是清に伝えたという記録がある。この後高橋から政府筋に連絡が行き、たばこに関する交渉は妥協の方向へ進んでいったと思われる。
戦費の方も無事に獲得でき、かくして日本政府は調達した資金で軍艦を購入し、東郷平八郎率いる日本艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、1905年日露戦争で勝利した。
ジェイコブ・シフと日露戦争に関する論文(『ジェイコブ・H・シフと日露戦争 ―アメリカのユダヤ人銀行家はなぜ日本を助けたか― 二 村 宮 國』帝京文化研究第19号)
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/mnimura19.pdf(PDF)
専売の時代(戦前)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t21/index.html
なんとこんな流れがあったとは。
戦争費用を公債によって調達していたことも知らなかったが、日清戦争と日露戦争のあいだにこんなごたごたがあり、そこにたばこが関係していることなど全く知らなかった。
ただの名称や起こった順番としてしか把握していなかった年表上の史実が、たばこという虫眼鏡で観察したことで、誰かの意図や行動でできていることを確認できた。しかもその誰かというのは、自分と同じ人間である。
史実と史実の間に文脈が生まれる瞬間はおもしろい。それを取り持つものが、人や物。おもしろい!
●「成功」ブーム
日清戦争後に「成功」という言葉がブームになったという展示も興味深かった。
実業之日本社(現在も営業中)が1902年(明治35年)に刊行したA.カーネギー『実業の帝国』(原題:The Empire of Business)が、「成功の秘訣を説く」という売り込みでヒットしたことがきっかけと言われている。
同社は、雑誌『実業之日本』や書籍で、実業家の成功譚を紹介することで部数を伸ばし、たばこ業界のトップに君臨した村井吉兵衛もよく取り上げられていたという。今で言う、ビジネス書、ビジネス雑誌のはしりといったところか。
「ビジネス書」で歴史を串刺したら、これが一番最初に出てくるのだろうか。それとも日本で一番古いビジネス書はもっと前の時代にあるのだろうか。「成功」という言葉もこれが一番古いのだろうか。
いずれにしても「成功」という言葉がこの時代にブームになったということ。やはり「男社会」の用語として誕生したのか。なんだか納得。
●印刷、パッケージデザイン、広告の発展
「岩谷 VS 村井 〜20世紀広告紙の幕開けを飾った宣伝合戦」と題したパートでは、岩谷商会と村井兄弟商会の工夫を凝らした宣伝を繰り広げた様子が展示されていた。
馬車を連ねた音楽隊のパレードで練り歩いたり、人気歌舞伎俳優をイメージキャラクターに据えて販促グッズを作ったり、馬が山車を引く「宣伝カー」で練り歩いたり、配送用リヤカーをラッピングしたり、店構えそのものを広告として使ったり、サーチライト付きの広告塔を作ったりと、現在も街中で見ることができる広告の手法が多い。
村井は1899年(明治32年)に自社製品のパッケージ印刷のために、アメリカの印刷会社と提携して、京都に東洋印刷株式会社を設立。
岩谷も1900年(明治33年)(やはり岩谷はいつも後手......)凸版印刷合資会社(現・凸版印刷株式会社)の設立を支援。それぞれ違う印刷技法を採り入れ、発展させた。
たばこが広告や印刷の技術や手法を発展させてきた。もちろんたばこだけではなく、同時代に発展していた、酒、薬品の他、化粧品などの日用品も開拓してきたと想像する。
このあたり、わたしが高校生の時に好きだった天野祐吉の本『嘘八百! 広告ノ神髄トハ何ゾヤ? 』を思い出す。
印刷や広告に関するミュージアムにも何かヒントがありそうだ。
印刷博物館 https://www.printing-museum.org/
アドミュージアム東京 https://www.admt.jp/
●人とたばこの歴史(常設展示より)
・そもそもたばことはどういう植物なのか?
ナス科タバコ属。栽培種としては2種。その名もニコチアナ・タバカムとニコチアナ・ルスチカ。ちょっと冗談みたいな名前。発祥は南アメリカのアンデス山中。嗜好品として、神々に捧げる聖なる植物として用いられていた。メキシコ・マヤ文明の遺跡の中にはたばこを吸う神の彫刻がある。神のいる天井界と人間のいる地上界をつなぐ聖なる供物として、呪術的に使われていたという学説がある。
たばこ文化のふるさと(たば塩HPより)https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t2/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t3/index.html
・たばこの広がり
15世紀末の大航海時代にヨーロッパ人が南米で発見して持ち帰り、広めていった。その後世界中へ。薬としてのたばこの効用がスペインの医師によって発表されたことで、薬用植物として注目された。
たばこの伝播(たば塩HPより)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t4/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t5/index.html
・たばこ用品
木、陶磁器、鉱石、ガラス、金属など、いろんな材質でパイプが作られ、パイプレスト、たばこジャーなど周辺機器も。嗅ぎたばこ、葉巻、水たばこ、キセルなど、凝った装飾のたばこ用品が作られていった。中国の鼻煙壺なんて香水瓶みたいで美しい。ここのコーナーはとにかく展示品が見目麗しい。たば塩が渋谷にあったころにあった所蔵品が引き続きこちらでも展示されている。
たばこ文化の広がり(たば塩HPより)https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t6/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t7/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t8/index.html
●日本への伝来、江戸時代のたばこ
16世紀後半に来航していた外国船から伝わったらしい。鉄砲やキリスト教が伝来していた頃。日本はたばこの葉を細かく刻み、きせるで喫煙するようになる。
「刻んだたばこを吸う例は他の地域にも見られますが、日本の刻みは髪の毛ほどの細さで、世界に類がありません」(常設展示の図録より)
江戸時代は鎖国していたので、日本のたばこ文化は独特な発展を遂げたということらしい。
当初、喫煙は風紀の乱れや失火を理由に禁じられたこともあったようだが、次第に容認されるようになり、17世紀前半には喫煙は日本中(蝦夷以外)に広がった。琉球でも生産があった。土地ごとに異なる気候や土壌の質の影響で、特色が出てきたため、その産地名で呼ばれていた。
・たばこの他に伝わったもの
「南蛮人」との交流で伝わったものは他に、皮革、せっけん、めがね、ボタン、時計、カッパ、カルタ、パン、南瓜、とうもろこし、さつまいも、じゃがいもなど。
・江戸のたばこ文化
煙管(きせる)、根付、たばこ盆、たばこ入れ。それぞれの専門職人、専門店も生まれる。(昨年の東京国立博物館のきもの展を思い出すと、この頃の町人たちの凝り性、「粋」の発見など時代の空気を思い出す)
江戸のたばこ文化(たば塩のHPより)ここから数ページ続くhttps://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t9/index.html
たばこやたばこ用品だけに注目してみると、時代劇、落語、浮世絵などの「江戸時代のフィクション」の世界の小道具としてではなく、人々が暮らしの中で使ってきた日用品、実在する物としてぐっと身近になってくる。
今の自分で言えば、財布、スマホ、タブレット、筆箱、化粧ポーチ、マスクのようなものか。それぞれに作り手がいて、素材やTPOや流行りや好みや気分があると考えると、目の前のたばこ入れが、ただの古い物に見えないというか、生き生きと物として語りかけてくるように見える。またそれをどんなふうに、どういうシーンで使ったのかは、「フィクション」の世界に戻して、イメージを補うことができる。想像と実感とを行き来する。
またそれぞれに製造工程や販売ルート、使用方法があることが、当たり前だが、あらためて見てみるとおもしろい。
●明治のたばこ
開国と同時に外国からシガレットや葉巻が入ってきて、喫煙文化が一大転換を起こす。マッチが入ってきたのもこの頃。マッチは日本からの輸出品としても多く製造された。
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t17/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t18/index.html
1886年(明治19年)には国内に5千人のたばこ製造業者があったらしい。非常に多く見えるが、手作業で刻みたばこの製造をしていた職人たちがそのままシガレットも製造するようになったからこの人数になっていると思われる。
この頃のシガレットは、ブランド名やパッケージはかなり和風。「本廣雲井」「赤」「第一玉椿」「牡丹」(千葉商店)、「鷹天狗」(岩井)など。そこへきて、村井吉兵衛が1891年(明治24年)に売り出したのが、「SUN-RISE(サンライス)」という横文字のハイカラなパッケージのたばこ。日常が一気に西洋化されていった日本の都市部でのインパクトは、さぞ強かっただろう。
1894〜95年(明治27年〜28年)の日清戦争で軍の用命があり、シガレットの需要が伸びて、製造は工場で行われるようになる。
さらに村井はアメリカへ視察に行って、アメリカ産のたばこ葉を使ったたばこ「HERO(ヒーロー)」を発売して、名声を上げ、事業を拡大していく。
1899年(明治32年)にアメリカン・タバコ社と資本提携し、村井兄弟商会を設立。巨大な外国資本を背景に工場を機械化する。清国や韓国他、アジアにも進出。
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t19/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t20/index.html
この後は先に挙げた専売制への移行へとつながる。
明治維新、シガレットの舶来、国内製造販売と海外進出、専売制までの移行期の渦中にいたのが村井吉兵衛ということだ。
たばこの歴史の流れの中で見る村井と、村井の側から見る日本の歴史。行ったり来たりしながら、この時代をつかんでいくのがおもしろかった。
戦後から専売制の廃止についてはこちら
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t22/index.html
●女性とたばこ産業
展示を見ていると「女性とたばこ産業」というテーマでも串は通ることに気づく。
まず、展示の最初の家系のところで立ち止まる。
吉兵衛の妻となる宇野子は、村井家の「縁女」だった。「縁女」という言葉を初めて知ったが、「将来自分の息子(通常は長男)の妻とするために、他家から来て養子縁組する少女」なのだそう。結婚を前提としている点で「養女」とは違うらしい。
事業拡大のために、自分の見込んだ男たちを妻の妹たちの婿養子にするというあたりにもモヤッとする。そもそも吉兵衛も本家から分家に婿養子に来ている立場。家父長制の時代は養子縁組は当たり前だったのか。女性が「本人の意思」を持てない時代の産物か。当時は普通にあったことなのだろうか。
調べてみないとわからないが、いずれにしても、今の時代から見るとのけぞる。いや、今の時代でも、商売や芸事やなんらかの伝統を「イエ」を守っている人にとっては当たり前なのかもしれない。わたしの知らない世界はたくさんある。
また、働き手としての女性の姿にも目が留まる。
「自宅工女500名、通勤工女500名」を募集するポスターも展示されていた。巻たばこの製造に携わっていた職工は、多くが女性だったようだ。女工と言えば紡績業の「女工哀史」。女性によって殖産興業は支えられていた。
吉兵衛の妻の宇野子は、たばこ工場の製造監督や工員の世話、東京支店との連絡などを担っていた。これは現代の言葉で言えば、マネジメント、アドミニストレーションなどの重要な仕事であるが、「共同運営者」とは表現されない。
女性の仕事は「職業」ではなく、「手伝い」「人手」という扱いなのだろうか。「誰かの娘」「誰かの妻」、そして歴史に名が残るのは男性......なのか?
『性差の日本史』展に行く前はなんとも思わなかったこのような展示も、女性の社会的立場の低さという点で考え込まずにいられない。
吉兵衛と宇野子の娘、久子は、『雛乃名残』という追懐録(日記)でこの頃の経験を綴っている。当時の女性たちにとっての文章(あるいは俳句や短歌)という表現手段の貴重さを思う。男の人たちが「列強に追いつき、追い越せ」を繰り広げていた時代、女の人たちは何を考え、何をしていたのか、もっと声を聴きたいと思う。
また、もっと隠れた存在として、これだけ男女の性役割が厳密で限定的な時代だったからこそ、男女二項ではないジェンダーについてもまた知りたくなる。
●たばこのパッケージと切手
常設展の一番最後のコーナーに、年代ごとのたばこのパッケージを見せる展示がある。
郵便切手が印刷やデザインの技術を促進したり、あるメッセージを込めて大衆に見せたり、対外的なアピールに使われてきたように、たばこもまた似たような機能を持っていることを受け取った。また非常にその時々の時代を映すものとして、貴重な記録だとも感じた。
●現代社会とたばこ
おもしろいなぁと思いながらも、うっすらと張り付いていたのは、たばこに関する展示を観ることに、自分がどういう態度でいればいいかわからない、という戸惑いだった。
人体に害を与えるものとしてエビデンスも出ていて、公共の場から次第に見えなくなっていっているたばこが、このミュージアムでは全面的に押し出されていることには、どうしても奇妙な感覚を抱く。
今やどれほどの衰退産業になっているだろうと思って、一般社団法人日本たばこ協会の発行する「たばこの年度別販売実績(数量・代金)推移一覧」を見てみたら、
1990年 3,220億本 35,951億円
2019年 1,181億本 28,063億円
大幅な縮小傾向とはいえ、まだまだ一大産業。2020年の売上は、コロナ禍の影響で、たばこの身体への影響が指摘され、さらに減少したかもしれない。
喫煙する公共の場所はどんどん減ってきたが、それでもまだ一部の人の嗜好として残っているのだろう。吸っている人もいるし、たばこ農家を生業にしている人もいる。
あるところにはある。
たばこのできるまで(たば塩HPより)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t25/index.html
●たばことたば塩への戸惑い
たばこを嗜好してきた文化は、人間の創造性をかきたて、美しいものも数多く生んでいる。それを観るのは楽しい。過去の歴史を紐解くことで、その時代を生きる人を知る手がかりになる。今の時代との比較から多くの発見がある。文化のルーツを知るのは楽しい。
しかし、教育的文脈からは、あえて学ぼうと奨励されることが少ない対象ではある。たばこを製造販売している側のミュージアムなので、もちろんたばこの害の話など、展示からはほぼ出てこない。
いやでも「こんなにおもしろいのにな、こんなに熱心に収集・展示されていて楽しいから見てもらいたいなぁ」という気持ちと、「でもこれってなぁ」という戸惑いとがないまぜになる。微妙な立ち位置なんだよな、たばこ。かといって「白黒はっきりしたらいいじゃん、たばこなんか製造も販売も終わらせてしまえばいい」ともわたしは言えない。
展示が現代に近づいてくるにつれて、「これから人間はたばこをどう扱っていくのだろうか」と疑問が湧いた。
●塩、塩、塩
最後に観たのが常設展の塩。ここにたどり着くまでにものすごいインプットだったので、へとへとだったが、ここもまたおもしろかった。
・ポーランド、ヴィエリチカの世界遺産、聖キンガ礼拝堂の紹介コーナー。地下の岩塩の採掘場に作られていて、像も床も天井も岩塩でできている!
https://www.shiotokurashi.com/world/europe/1014
・塩は世界中で採れる。岩塩、塩湖、海塩。日本には岩塩や塩湖はなく、海水から作る。
・かつての「揚げ浜式塩田」はキツイ仕事だったが、科学技術の発達した現在は、イオン交換膜製塩法が標準。https://www.nihonkaisui.co.jp/small_customer/learning_salt/Japanese_salt
・日本の塩作りの文化のあるところには塩竈神社があり、人々に塩作りを教えた神、塩土老翁(シオツチノジ)神が祀られている。宮城県塩釜市の鹽竈(しおがま)神社が有名。http://www.shiogamajinja.jp/index.html
(たしか昨年末の生活工房でのしめかざり展でこの鹽竈神社のしめかざりのことが展示されていたように思う)
(鹽竈神社は能『融』でも出てきた)
いろんなテーマが凝縮されている、ほんとうに充実の展示だった。
物量がすごいので、ゆっくりと時間をとってお出かけいただきたい。
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