東京都写真美術館で開催中の《世界の秀作アニメーション 2021秋編》のランナップのうち、『父を探して』を観てきた。
原題:O Menino e o Mundo(英題:The Boy and the Worldと同じ意味)
*映画の内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。
以前、南米の映画の宣伝イベントでこの映画が紹介され、絶賛されていたのでずっと気になっていた。そのときはもう通常の劇場公開は終了していた時期。たまたま今回のアニメーション特集のラインナップで見つけることができた。
(※今公式ウェブサイトを見たら、トップページにネット配信へのリンクがたくさんあるので、興味ある方はぜひネットで見てみてください)
そのときの紹介では、「ブラジル映画って暗い、つらいのイメージだけれど、そうでない作品も多いし、最近はいろいろと出てきたのでぜひいろいろ観てほしい」とのことだった。
『父を探して』、子ども向けの心が温かくなるアニメーションなのかなと思って見始めたら、いやーこれはまたなかなかタフな物語だった。
内容的にもタフだし、映像表現的にもタフ!
父と母と子の三人暮らし。少年はある日出稼ぎに出て戻らない父を探しに出かけることを決意する。探せど探せど父は見つからない。それどころか、「父の出稼ぎ」の先にあるものは想像以上に広大な世界だった。(もしかしたらそれが父を飲み込んでしまっていたかもしれないことも想像される。)
資本主義社会での労働者からの搾取、機械化、合理化による労働者の足切り、広がり続ける貧富の格差、独裁国家への道......。もはやこれを誰の欲望が動かしているのか、何のために行われているのかわからないレベルまでテクノロジーは進む。人の命は軽んじられているどころか、全く感じられない。一つ、父の笛の音と同じ色や形を持ったものだけが、世界にわずかな希望をもたらしているが、それも度々駆逐されそうになる。
少年と世界。少年から見た世界。少年が世界と出会う。
世界における少年の無力さが容赦なく迫ってくる。
自分の知っている場所や風景から一歩出たところ、たとえば電車のホームからすでにもう世界は自分の知らないシステムで回っている。少年はどんなところにも果敢に飛び込み、時には危ない目に遭い、時には人に救われ、不思議なものを見て、壮大な旅をする。平和そうに見えて恐ろしいもの、人の営みに関係なく美しいもの、悲しくつらいもの......多く目にする。そのほとんどに対して、自分は何もできないし、そもそも自分がいてもいなくても世界は変わらず運行されている。そういうことに遭い続けるのが人生だとも言える。
映像や音の面では、線描や色の美しさはあるのだが、立ち止まって見ていることができない。とにかく動きが大きく速い、激しく回転したり揺れたりするもするので、画面酔いしやすいとつらい。
音もかなり怖い。列車の到着する音、金属同士がぶつかる音、軍隊の行進。人がしゃべる言葉はところどころにあるが、何語かもわからないし、字幕もない。そのぶん音が印象的になっている。心理的に迫ってくる。
隣の席に人は途中で退席してしまった。わたしもかなり迷ったが、この物語の行方が気になるので、とりあえず耳栓をしてたまに目を伏せながら最後まで見ていた。
結果的にはがんばって観ていてよかった。ラストにかけて思いがけない展開を見せていくので。ただ、最後まで悲情ではあり、見終わったあとは正直ぐったりしてしまった。全然ほっこりではなかった。でも描いていることはとてもよくわかる(という感覚)。わかりすぎるだけに、つらいのかもしれない。
わたしにはちょっと「こども向け」とは言い難いけれど、実際の「こども」の心には響くのかもしれない。わたしよりもずっと受け止める力が大きいかもしれない。
大人のほうがここから想起されるリアルな経験がたくさんあるので怖く感じるのかもしれない。こどもにとっても詳しくはわからないけれど直感的に怖いかもしれない。特性や感性の違いもある。ちょっとこのあたりは判断しかねる。
メイキングがおもしろかった。
試行錯誤の年月、作画の細かな過程、音作りのアナログさ、スタジオの開放感。「生」な感覚がたくさん吹き込まれていることがわかる。これも同時上映したらとてもよさそう。
劇中では月が2つあることで、今わたしたちがいる世界とは異なる「架空の世界」であることが示されていたので、埋め込まれた秘密をじっくり辿っていくと、もっとたくさんの謎に迫れそうだなと感じていた。でも画面の動きが速くてそれをする暇もない(というか無意識に感じとる方を望まれている)。そのあたりをじっくりとこのメイキングで味わえる。
また一つ、新しい表現、新しい世界に会えた。
取り急ぎの記録。