ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』読書記録

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』を読んだ記録。

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日記のような、エッセイのような、文芸のような、ガイドブックのような、インタビューのような、何とカテゴリ分けできない、不思議な感触のある本だ。

 

軽いタッチの文章ながら、読むのにえらく時間がかかった。

その理由は三つある。

一つには、その「カテゴリ分けのできなさ」に由来している。先に挙げたようなさまざまな表現スタイルと内容が次々にスイッチしていく。一定ではない。

各章はだいたい美術館ごとになっているので、訪問した美術館での鑑賞体験が核にはなっているのだが、そこに至るまでにあちこちにスイッチしていくので、「ええっと、今なんの話だっけ」と混乱し、読み返したりしているので時間がかかる。

時間がかかった理由の二つ目は、この本は、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』というタイトルだが、「目の見えない人とアートを見るってどういうことなのか?」をただ説明しようとしている本ではないということを飲み込むのに時間がかかる。

本書では、「目の見えない人とアートを見るってどういうことなのか?」に対する答えに直接踏み込んでいったりはせず、白鳥さんと見に行くことになった顛末や、自分自身とアートとの関わり、誰と行くか、何を観るか、どこで観るか、観たあと何があったか(つまりその日の出来事の流れの中での鑑賞)……を紹介しながら、その中に自然に「白鳥さんと観る」ということを含めている。

つまり、ある日のある人とのある鑑賞という体験が、どのように人生や生活の営みの延長として位置づけられているかを読者に共有するために、すごーく遠くから、広く範囲を取って、だんだんとアプローチしていっている。

全盲の白鳥さんがどうやって美術館に通うようになったのかも、たぶんこんなに回りくどい書き方をしなくても、インタビュー記事なら2,000字ぐらいで済んでしまう。でもそうじゃないことを伝えたい。そうではない営みをきっと伝えたいのだろう。

説明ではないというところが、この本の持ち味なのだろう。

ともにアートを観るということを通して、人と、世界との「かかわり方」とでも言うべきものを、読み手もかかわって見に行く本と言ったらよいのか。

そして、理由の三つめ。

川内さんがご自身の友人関係をひらいて、大切な人を丁寧に紹介して、一緒に鑑賞ツアーに連れて行ってくれるのはとても楽しい。ただ、その登場人物や、登場人物との関係に関心を持ったり、微笑ましく感じられないと、なかなか読み進めるのがしんどいところも実はある。

もともとの川内さんファンや、かれらのうちの誰かを知っている人にはもしかしたらとても楽しいのかもしれないが、この本で初めて著書を読む人には少し戸惑いを与えるかもしれない。そして時間がかかったということは、私もどこか馴染めなさがあったのだろうと思う。

私は本のタイトルや概要を読んで興味を持って、全盲の人と作品を観ることの体験そのものを知りたい人、そこで筆者が気づいたことを端的に知りたいと思っていたので(つまり読書で得たい体験が明確すぎる)、「前後」の経緯や会話の部分は冗長に感じてしまった。この入れなさってなんだろう、とちょっと考えている。

ただ、観ることの楽しさや意味、発見の喜びなどを共有しようとすると、こういう全体性に及ぶよな、ということも思う。

ある見方をすれば冗長なのだけど、説明になるとこぼれ落ちてしまうたくさんのことがある。

誰と観るか、どんな経緯やシチュエーションの中でそれを観るか、自分という個人にとってのその作品を観る意味とは何か、観て話すことで思い出したこと。それらすべて「鑑賞」にとって重要なことだ。

それを他人にひらこうとすると説明ではなくなるし、少し遠くから共有していくことになる。そして個人的な関係や、主観的な語りが含まれていく。そのことがやや他人を居心地悪くさせるところもある。逆に親近感を芽生えさせることもある。

羨ましいという気持ちもあるのかな。不遜にも。「私もこういうのを書いてみたかったなー」という。私がいつもやっている営みもまさにこういうものだよ。なんとか表現しようともがいているけれど、これというものが形になっていない。うぐぐ。

 

いやまてよ、とも思う。

ここまではもしかすると友達と美術館に行って話しながら観ることに慣れている人間にとっての感想かもしれない。

そうではなく、本はよく読むけれど、美術館にはあまり行かないという人は、ここまで書いてきたようなごちゃごちゃしたことは考えないのかもしれない。

普段美術館に行かない人、あるいは一人で行くのが常で、誰かと観るとどうなるのか、あまり想像できないという人が、こうやってツアーのように連れて行ってもらえたら、とても楽しいだろうと思う。

美術館で作品を観るってどうやってするんだろう、
なんのために観るんだろう、
誰かと話しながら観るのも想像つかないのに、見えない人と観るってできるのかな、

そんなことを考えている人にはピンとくるのかもしれない。

 

本編中、実際に鑑賞しているときのやり取りはとてもおもしろかった。人と観ることによって大事なことを思い出したり、分野を超えた知識や経験が急に収斂される感じや、学んでいく過程は、人の体験として読んでいてもやっぱりわくわくする。

それぞれの美術館の成り立ちや取り組み、作品や作者、制作背景などの解説も詳しい。(表現がスイッチして、突然詳しく説明されるのでやや驚く)こういう解説ができる方は、「アートは素人なので」とか絶対言ったらあかんーー!ずるいー!

 

 

目が見えるとは・見えないとはどういうことかに気づくところも、とても新鮮に読んだ。障害のある人とのかかわりは、私もおそるおそるだから。

たとえば白杖をついている人に駅で見かけたときに声をかけていいのかどうかとか。困ってそうだったら声をかけることにしているけれど、声のかけ方はそれでいいのかとかわからなかったので、この本で白鳥さんが教えてくれてありがたかった。

でもこれも白鳥さんが目の見えない人代表というわけではないので、個々人で経験しながら学んでいくことではあると思う。川内さんの中でちょっとずつ気づきが生まれて発展していく感じがよかった。そうか、誰でも最初からいっぺんに全部はわからない。お互いに知っていくんだ。

 

その作品を観ている自分がどういう人間なのか。それが観ているうちにわかってくるところ、人の知らなかった面を少し垣間見られる。ときには怖れを抱くところかもしれないけれど、作品を通して語るから、表面的に終わらない。ずっと自分の中に残って問いかけ続けてくれる。それこそが鑑賞の醍醐味。

それを川内さんのお引き合わせで、白鳥さんやマイティさんの話を聞けたのはよかった。暴力のこと、優生思想のこと、差別のこと……黙って聴いている自分の中でも考えがめぐる。

 

実際に白鳥さんと鑑賞している様子は、こちらの特設サイトにある動画で見られます。

www.shueisha-int.co.jp

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年