ヤスミン・アフマド監督の長編デビュー作 『ラブン』を観てきた。
ヤスミン・アフマド監督の映画は、昨年末にはじめて『タレンタイム〜優しい歌』を観て知って、大好きになってしまった。翌日に『細い目』も観てほんとうによい映画だったので、こんな感想も配信。ぶっちぎりで称賛しています。
わたしがヤスミン・アフマド映画が好きなのは、彼女の眼差しの誠実さと優しさ。
対立と分断に傷つきながらも、微かな希望を見出して生きているわたしたちへのエールだと受け取っている。
『ラブン』もまた素晴らしい映画だった。
都会と田舎。田舎への根拠なき憧れと現実。南と北の文化の違い。人のつながりの濃厚と希薄。血縁や家族関係であっても希薄だったり遠かったり様々だ。逆に「他人」であっても、民族が違っても濃い関係は生まれる。一概には言えない。
〇〇人だから、〇〇な世代だから、女だから・男だから、障害者だからなどの、一元的な物の見方やラベリングをばりばりを剥がして見せる。
「あなた、霞み目(ラブン・Rabun)なんじゃない?」と。
中心になって描かれるのは、老齢期に入った夫婦。
タレンタイムも細い目も、若い世代が物語を牽引していたので、長編デビュー作で老年期を主人公格に置くのはちょっと意外だった。
この夫婦がまたとても仲良しで、いつもキャッキャいって楽しそうだ。二人の間にしかないコミュニケーションがなんとも微笑ましい。老年期の性などもサラリと描かれる
かれらは田舎の別荘を買って、たまに滞在して少しずつ整えていくのを楽しみにしているが、親戚関係にある隣家の男から逆恨みにあって、騙されたり、嫌がらせを受けたりする。これがシャレにならないというか、見方によってはほとんどホラー映画じゃないかとさえ思うのだけれど、独特のユーモアで軽やかに運んでいくのが、ヤスミンらしい見せ方。その狂気ぶりを描きたいわけじゃない、というところが観客にも理解できる。
それでいて、そこに重く横たわる格差や分断や暴力、人の性(さが)なども見過ごさずに描いている。
あの夫婦だって決して善人というわけではなく、格差に無頓着で、無意識に「えげつない」こともしてしまう。それぞれの民族の伝統的な家族制度の世代間の歪みもありそうだし、もしかしたらDVの問題や、田舎の教育の問題、若者のコミュニケーションや発達障害からくる引きこもりのような問題もあるかも、、など、いろんな背景も想像される。
とにかく徹底して「ある」ということから目を逸らさないし、こうであるべきということも言われない。
ただ最後にたどり着くのは明るい場所。
人々は笑顔で、すべてが許されていて、温かく満ちる。
流れるのは、ドビュッシーの『月光』。
お互いがお互いを照らす存在ということか。
ヤスミンの宗教観か死生観かを見るようなシーン。
いや、そんなラベルもまた自分を「ラブン」にしてしまうか…。
ヤスミン・アフマドが映画として遺したのは長編6本と短編1本。
他の作品も観たい。また近いうちにリバイバル上映を期待したい。
おまけ。
予告編で『欲望の翼』がかかって思わず息が止まった。
我が青春のウォン・カーウァイ!思えばなんて贅沢な映画だったのか。
この映画がリリースされた頃から、香港はすっかり変わってしまった。
そしてユジク阿佐ヶ谷は8月終わりで休館とのこと。悲しい。
クローズまでに何か観に来られるといいな。
約50席を半分に減らして、「満席」の状態というのが、なんとも切ない。
ヤスミン・アフマド映画についてはこちらにまとまっている。
愛と敬意でいっぱいの読解書。ほとんどファンブックと言ってもいい熱量。
そしてなんと、ヤスミン・アフマド監督の『細い目』と、先日観た『タゴール・ソングス』との思いがけないつながりがあったことを知る。驚喜♡
『ラブン』の中でも歌を歌うシーンが出てきて、タゴール・ソングを彷彿とさせた。
歌は慰め。感情を一瞬で分かち合うもの。
つながりあい、分かち合う、世界。
美しいね。
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