ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

映画『ドライブ・マイ・カー』鑑賞記録

2021年9月13日に鑑賞。『ドライブ・マイ・カー』

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すごかった。評判よりずっとすごかった。

すごすぎて、朝10時の回を観たのに、気づいたら夜になっていた。映画の世界からなかなか帰って来れなくて、一日中ぼーっとしてた。

観賞後に友達が駆けつけてくれて、カフェで1時間ばかり感想を話したので、とりあえず人心地はついていたけれど。映画の力がすごかった。

どうしてここまで吹っ飛ばされちゃったんだろうと思ったら、なるほど、わかった。これはまずはセラピーの面が浮いてくるのだな。

だから他の人と話しても、いまいちずれる感覚が湧いたり、「いやそうじゃなくて」と言いたい感じが出てくるんだろう。自分の人生で経験してきたことが詰まりすぎている。固有の体験をしている。たぶん一人ひとり違うものを観たはず。

けれど、私たちが失ったたくさんのもののことを暗い中で共有している感覚もあった。

いやはや、まずはそこがすごかった……。

カズオ・イシグロの白熱教室の冒頭で提示されていた「人はなぜ小説を書いたり読んだりするのか?」を思い出す。 わたしにとっての答えは「ある種の小説はセラピーの働きをする。傷つきと喪失が抱えられるように」。今、英語の原書で読んでいるカズオ・イシグロの"Never Let Me Go"もそうだし、村上春樹の作品もそう。

 

映画を観ているときは、小説を没頭して読んでいるときのあの緊張感や集中がずっと続く。もちろん映画を観ているときも没頭して観るんだけど、いつものとはちょっと違っていて、「あの集中は小説を読んでいるときのやつだ!」と思い当たった。

 

観終わって、友達とラストシーンについての意味を交わし合うのもおもしろかった。

 

この作品が、コロナの時代に公開されたことで、ずいぶんと助けられた人はいたんじゃないかと思う。

誰にも話したことのない、暗い、深い喪失、孤独に連れこむ、向き合わせる。見ないふりをしてきた数々の痛み。

 

蓋が開いたあと、底に残っていたのは希望。

 

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俳優にはこういうふうに、自分がかかわっている作品と日常がリンクしていくことはあるんだろうか?

わたしは、鑑賞対話の場づくりで一つの作品にかかわるとき、日常で関連するものがどんどん飛び込んでくる感覚があるけれど、似たようなことが起こるんだろうか。あまりそれに振り回されないことが大事なんだけど。

 

劇中劇が他言語で行われているところも魅力だった。この頃、『28言語で読む「星の王子さま」』を読んでいたのもあって。違う言語でも伝わるものがあったり、同じ言語でも全く伝わらなかったりする。

 

広島でコーディネートをしてくれる韓国出身の「ユアンさん」の笑顔。

韓国出身の俳優「イ・ユナ」と中国出身の俳優「ジャニス・チャン」のやり取り。韓国語、日本語、中国語の混じり合い。

俳優たちの戸惑い。

 

西島秀俊は映画『風の電話』でも車で女性と北に行く。広島から宮城まで。あのときのかれらの深い深い喪失感も重なる。

www.kazenodenwa.com

 

高槻の破滅的な人格は、ダンス・ダンス・ダンスの五反田くんを思い出す。抑えられない衝動。陰で行われる暴力。

 

 

岡田将生の演技は、TVドラマ『昭和元禄落語心中』の八雲の「死神」を彷彿とさせる。

www.nhk.or.jp

 

 

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そんなふうに、この映画から派生する作品もいくつかあった。

原作も読んだ。一度読んでいたけれど、うろ覚えなところもあり。

ああ、このお話をこんなふうに取り込んだのか、と脚本の力に驚く。

『女のいない男たち』村上春樹集英社

 

劇中劇として出てくる『ワーニャ伯父さん』。俳優で演出家である主人公の人生に、戯曲の台詞が重なってくるのが印象的だった。

『ワーニャ伯父さん』チェーホフ(光文社)

 

主人公の西島秀俊は、市川準監督の映画『トニー滝谷でナレーションをしていたのを思い出したと友達に聞き、Amazonの配信で見てみた。『トニー滝谷』も原作は村上春樹

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濱口竜介監督の過去作も気になって、寝ても覚めてもを観た。感想は別途。

www.bitters.co.jp

 

 

西島秀俊さんインタビュー

www.banger.jp

 

三浦透子さんインタビュー
 
舞台挨拶
 
 
 
(追記)※内容に深く触れているので未見の方はご注意ください。
 

音は「きのうの話」を忘れたふりをずっとしてきたのかもしれない。家福に気づかせるために。

何を? 彼女の中にある暗い穴の存在を。彼女が子を失った喪失、それを本当には分かち合えないことの痛み。どうして失ったのかは明らかにされていないけれども、音のほうが遥かに傷ついていることが感じられる。あるいはもっと他にあるもの?

それでも、その暗い喪失の沼から音を救えるのは家福だけだった。家福は何の理由からか気づかないふりをして、「きのうの話」を語って聞かせるごっこをずっとやってきた。理解し合えている夫婦の芝居をしてきた。シエラザードで置き土産をする少女の話を聞かせてもみた。けれども、ダメだった。

家福が「きのうの話」を初めて「忘れた」と言ったときに、もう引き延ばせないと「今夜話がある」と切り出した。

音は、追い詰められて、死にものぐるいで助けを求めていたんだろうと私は見た。

このことはまたいろんな作品で感じることになると思うので、まとまらないけれど、置いておきます。

 

 

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2020年12月著書(共著)を出版しました。
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社