ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

人を表現者にしてしまう〜リブトビトークライブvol.2

土曜日のリブトビトークライブvol.2 ゴルゴ事件、無事にひらきました。

liveandbeauty2.peatix.com

 

 

横浜の会場に来てくださった方、オンラインでご視聴くださった方、時間も空間も超えたところで一緒にいてくださって、ありがとうございました。

当日も後日も、鑑賞してくださった感想やファンレター(!)に、その方にしかできない表現を見て、何倍にも幸福を味わっています。

これはPerforming Artsなので、ほんとうにお好きに鑑賞してください。

こちらもそのつもりで演っています。

 

 

またこれからの1ヵ月でいろんなことが起こっていくのだろうな。わくわく...^^

 

ゴルゴ事件に関連していえば...。

ちょうどきのう夢を見ました。ごく身近な人が出てきて、怖れや不安の感情からくる高圧的態度と言動をとったために、わたしは反射的に言葉で突き飛ばして斬りつけました。あーまたゴルゴになっちゃった(と夢の中で)。その話題に対して、いまだに癒えていないわたし自身の傷があることを知り、わたしへたっぷりと共感を送りました。ちほさんが言ってた「夢が見せてくれる」ってこんな感じかぁと。

 

 

今回も一部競技かるたの話をしたのですが、わたしは競技かるたが一人ではできないところが好きです。必ず人を必要とする。真剣にぶつかってくれる相手がいるからこそ、自分の感情を見つめることができる、自分への信頼を高めることができる、至れる場所がある。

わたしもそのように人を必要として生き、美を感じ、生きる希望に火をつける非日常の空間や時間を生み出すことを、今生での魂のおしごととしてやっていきます。

 

今回もちほさんと、そのような表現の場がつくれて幸せです。まとまらない、意味のわからない、説明できないものを慈しみ、愛で、楽しんでいきましょうね。

 

会場を貸してくださったkosha33/ライフデザインラボさま、ゆかさん、ありがとうございました!

 

・・・

▼動画はこちらのアーカイブでご鑑賞いただけます。

zoom(ちほ側カメラ)
https://bit.ly/2qRrtrz

Facebook(せいこ側カメラ)
https://bit.ly/2TmPGD3

 

投げ銭は引き続き謹んで承っております。
http://ptix.at/huQO7u

 

▼リブトビ最終回は12月16日(日)田町にてひらきます。
テーマは「子育て」または「子育てっていうか」
ぜひお立ち会いくださいませ。

ptix.at

 

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シスターから聞いた話

息子を出産した病院はカトリック系の病院だった。

カトリック系だから選んだのではなかったけれども、家から近いことと、病院の建築や中の雰囲気のやわらかさが、病める人間を迎え慈しみ休める場所として、とてもいい感じがしたからだ。

妊婦は病気ではないけれども、生き物として一時的に弱い部分、弱い立場を持つことになるという意味で、病める人と同じような場所にはいると思う。

 

 

妊娠中の母親学級は、シスターで看護師の方がしてくださった。

そこで聞いた話を今でもはっきりと覚えている。

 

可能なかぎり妊娠中に、母親との関係を整理しておきなさい。

もし妊娠中がむずかしければ、出産後に。

いつでも思い立ったときに。

あなたたちが母親になるにあたって、母親との関係を見直すことが出てくるのです。

困ったときはここに相談に来てください。何年経っていても大丈夫です。

 

それから、シスター自身の母親との関係を、自分の名前にまつわる小さなエピソードを起点に話された。きりりと姿勢を正して話されていた。おそらく何百回も話されている話を、何一つ落とすことなく。

そのときわたしは、「あの人なにゆうてはるんかな?」という感じでポカンとしながら聞いていたのだけれど、今ならとても大切なことを伝えてくださっていたとわかる。

 

大切な言い伝えだったのだ。語り部

その内容もさることながら、そのように使命をもって生きている誰かにとって、大切なことを語り伝えたい人間として自分が扱われた記憶というのは、なかなか消えないものだと思う。

 

個人にとってどうという前に、もっと広く大きく、人間という種として受け継いでいかなければならないことを、正面から語るという態度。

 

それが、キリスト教という宗教に根ざしていたことを、ここ1〜2年の学びから、ようやく百分の一ぐらいは理解できるようになった。

 


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アドルフ・ヴェルフリ展に行ったことの短い記録

昨年の春のことだけれど、下書きに入ったままで進まないので、いまさらだけれど行ったことの記録のつもりで投稿する。

 

東京ステーションギャラリー『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201704_adolfwolfli.html

 

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かつて滋賀県立近代美美術館の「abcコレクション展(アール・ブリュット)」で出会って以来、気になっていたアーティストの一人。

 

隣で見てたおばちゃんが「これは描けないわぁ〜」と言ってて、「おお、これを描いてみる!?」と思いつきさえしなかったのが自分でもおもしろくて、少し模写してみた。が、受け取るだけで精一杯で、どう線をとればいいかわからなくて、ほとんど無理だった。

 

 

見出されたといえば「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」だし、

発表を意図せず人知れずといえば「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」だし、

そこから「アドルフ・ヴェルフリ」へ。

ボナールに傾倒したNYのナビと言われた「ソール・ライター」を見ていると、「オルセーのナビ派展」へつながる。

企画展同士が時期的につながるのは偶然だろうか。

それとも日本のアートシーンの傾向?

 

 


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ダーガーとヴェルフリが違うのは、人との交流があったということかな。

愛されてもいる。
ものっすごい閉塞感もあるのですが、ものっすごい開放感もあり。全部同じように見えて、全部が違う感じにもくらくらして。変な気分で会場をあとにした。

 

 

"Brotkunst"=Bread Artという言葉がでてきた。「日々の糧を得るための作品」という解説だったが、こういう単語があるのか、ヴェルフリがそう呼んでいたのか定かではない。Googleで引いてみたけれど、パンをつかったアートしか出てこなかった...。

 

 

 

こんな投稿も見かけたりした。

 

 

ときどきチラッとのぞきに行きたくなってしまう作品。チャーミング!

 

 

アレッシィのキッチンペーパーホルダーの話

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アレッシィのキッチンペーパーホルダーをもう20年近く愛用している。

買ったのはなぜかドイツ。セールをしていて目に留まり、一目惚れしてして日本に持って帰った。

しかしいざ家にあったペーパーをセットしようとすると芯の径が合わない。いろんなスーパーで見かける度に径を確認して買うのだが、なかなか合わない。仕方がないので途中まで挿してどうにか使うなど、見た目にいまいちながら、10年以上だましだましやっていた。

 

ある日、友だちがコストコにドライブがてら買い物に行かないかと誘ってくれた。行ってみたら、もうこれしかない!というぐらいぴったりのペーパーが見つかった。コストコ行くならこれ買うといいよ、と友だちもおすすめしていた商品。大量に買って分けた。

 

そうだよ、海外製のを探せばよかったんじゃないか!とそのときにようやく気づいた。今思うと、ちょっと考えれば探しようもあったのに、全然思い至らなかった。

 

コストコで買ったストックがなくなってからは、Amazonでメーカーで検索すると普通にヒットした。今日日、かさばるものをわざわざ買いに行かなくても家まで届けてくれる。ありがたい。なんだったんだろう、あの日々は...あたしあほか...とも思うけれども、快適である今に目を向けると、それがないと困窮するほどではないけれども、なにか具合がわるかったところがぴったりする喜びって、暮らしや家の事の醍醐味だなとしみじみと思うのだった。

 

またある日は、ふと思いついてつくった鶏団子スープがとてもおいしかったときに、冷蔵庫やストッカーにある食材を余すところなく使って、使える期限内のいいタイミングで食べられて、ひらめいておいしいものがつくれたときに、ああ、うれしいなぁと思った。そういう日の晩ごはんは、何かが伝わるのか、息子ももりもり食べてくれてさらにうれしい。

 

基本面倒くさがりだし、相変わらず片付けてもすぐものが増えるし、料理もたいしてうまくならないけれど、今年一年さまざまに取り組んできて、観察や調律の習慣はついてきたように思う。

 

うまくいかないのは、見なかったことにするからで、怖れや恥をかかえつつも、目を開いて(ほんとうに大きく開ける)見てみたら、日々の痕跡はいろんなことを教えてくれている。

 

その日気になっていることをひとつでもやれると流れがよくなる気がする。

たとえば、

おとといは自転車のタイヤに空気を入れた。

きのうは靴下の穴を繕った。

きょうは朝顔の種をとる。

 

 

 

暮らしの営み方や生き方は人それぞれだと思うけれど、わたしは家の事を他人にまるっきり明け渡したくないし、自分で手入れできる範囲にしておく鍛錬を日々積み重ねたいし、最期まで棲家(すみか)の手入れをしながら生きたいと思う。

 

日常の手触りを感じながら生きる。

 

その中には買うこともあるし、人に頼むこともある、捨てることもある。それをイライラしたままにせず、ちょっと立ち止まって自分で考えて決める。

 

 

 

好きとか、かわいいとか、きれいとか、おいしいとかが、家の中にいられる「スペース」をわたしは大切に優先したい。それを無視しては、やはり希望をもって生きられないから。

 

そのように手入れされた厚みのある土台から、よいものをつくりたい。

 

という宣言をあらためてここに。

 

 

ムンク展がよかった話

東京都美術館で開催中のムンク展に行ってきました。

【公式】ムンク展ー共鳴する魂の叫び


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じっくり観てたら3時間もかかってしまった!出る頃にはとっぷりと日も暮れて、さっきまで観ていた作品のように。

 

絵っていくらでも観ていられるので、つい時間を忘れてしまいますが、特に今回は予習して行ったので「これがあそこにのっていた作品の実物だ!」といちいち喜びながらだったので、より見応えがあって、時間をかけてみていました。スタイリングの会をやってから、色をより丁寧に観るようになったのもあります。いい影響!

 

今回は、批判的に多様な視点を持って、とても自由にのびのびと観られた!という感触をこれまでになく強く持ったことが、わたしにとって新鮮でした。

 

 

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事前情報がないほうが自由でしょ、と思っていたのです。でも、ある程度の鑑賞筋(肉)がついていて学習欲もある人は、このぐらいしたほうがいい体験ができるんだ、いやむしろ、このぐらいしないとお金を払って時間を使っているんだから勿体ないんだということがわかりました。より自由になれる。

 

わたしの場合は、ですけど。

 

特に個展では、自分にとってのその画家のイメージを覆す、壊す、というのが一番楽しいのだから、気分、共感、同調、自分との関係だけで観ているのも楽しかったけど、もうそこはとうに過ぎたらしい。わたしの鑑賞史もようやくここまで来られました。ふー。

 

「観ておいたほうがいい」という衝動を手放し、「観たい」という強い感覚のあるものを丁寧に観る、ということを今年は心がけてきたのですが、こんなふうに一つを深掘りし、心ゆくまで味わうと、全部を観なくても不思議と他もよりよく理解できるようです。展覧会以外のことでもこんなふうなんだろうな、きっと。ジャンル全部を網羅的に知っていることはそれはそれで大きな価値ですが、わたしはあまりそこへの意欲がないみたい。

 



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正直すぎたり、チャーミングだったり、大人になりきれなかったり、しぶとかったり、あざとかったりとおもろい人でした。ムンクのいろいろな面が見えた。

「狂気が芸術をつくる」という芸術家のイメージづくりを生涯をかけてやってみせたのかもしれないとも感じました。

 

どんどん試してみる。

自分の感情の動きを徹底的に見つめてみる。

それを人に見せる。

表現技法への飽くなき追求。

 

膨大な日記やメモや習作や油彩・水彩の作品群がオスロ美術館にあるそうですが、最終的にできた作品だけではなく、過程であったり、自分の生き様すべてを芸術にする意欲が、好ましく感じられるような展覧会でした。それは先日のデュシャン展でも感じた類の共感。学芸員さんが書かれたキャプションにも、随所に「ムンクへの好感」が滲み出ていてよかった。

 

「ああー、もう絶望だ」「怖い...迫り来る何かに、どうしていいかわからない」というときに、「そうだ、わたしの心境は今ちょうどこんなふうだよ」を表してくれる「叫び」の存在に、だれでももしかしたらそっと日常の中で救われていることがあるのかもしれない。

 

世紀末の不安と憧憬がないまぜになった心象風景のようなものは、ホドラーを彷彿とさせます。活動時期も合っているので、影響し合うこともあったのでは(仮説)。要調査。

 

 

やや混んでたので、いつもの模写をしていたら、いろんな人が覗いていったり、物販のレジのお姉さんに「上手ですね〜」と言われたりしてどきどきしました。それもまた楽しかった!

 


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読み聞かせ・小4・11月


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きょうの読み聞かせは、石川直樹の「富士山にのぼる」。季節も合うし。最近たっかい山に登ってらっしゃったこともあり。(Instagram>> https://www.instagram.com/straightree8848/ )

 

あの高い高い富士山、それも冬。雪と氷と風と...それってどんな感じ?こんな感じ?

千分の一でも味わえたかな。

 

わたしは強い強い風におののきながら、みんなと励ましあって、一歩一歩のぼったり、頂上からの見晴らしに心がぶるぶるする感じだったよ。

 

楽しかった!

きょうもみんなと一緒に本の世界に行けてうれしかった。ありがとう。

 

終わってから先生が、「おもしろかったですーー!!」と声かけてくださって。この本の存在は知ってたけど、きょう聞けてすごくよかったです。山好きな教員が多くて。わたしもたまに登るんですけど。。なんてお話も聞けて。

 

ああ、よかったよかった。

謝罪を受け取らない勇気

こどもの頃に大人から散々言わされていた、「ごめんね」「いいよ」みたいに、謝罪されたら当然受けるもんだと思って生きてきたけれど、先日たぶん初めて意識して謝罪を受け取らないということをした。

 

すごく落ち着かなかった。

申し訳ないような気分になった。

自分が極悪人になったような気さえした。

 

でもわたしに心当たりのない謝罪は、相手とわたしの2人の問題ではなくて、相手の人の問題なのかもしれないと思った。

謝罪の気持ちを持っている、というのはわかったけれども、その感情はその人の境界の内側でだけ起こっていて、言葉も、わたしに向き合っている感じがしなかった。

 

 

その謝罪を受け取ることが、わたしたちの関係においてあまりよいこととはどうしても思えなかった。

受け取らないほうが、正直で誠実な態度のように思えた。

 

それで受け取らなかった。

けっこう勇気の要ることだった。

 

 

それがよかったのかは、今はわからないけれども、後悔はしていない。

 


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フィードバックを受け取る力(読書会のつくり方セッションから)

先日「読書会のつくり方講座」をひらきました。

dokushokai3.peatix.com

 

「本が好き!本をきっかけにおもしろい人と出会いたい!」
「読書会に興味があって、自分でもはじめてみたい!」など、読書会を主催したい方向けのつくり方が学べる講座です。

読書会にはいろんな型がありますが、今回は基本の「持ち寄り紹介型」と「感想シェア型」の読書会を体験します。そして、企画の立て方を知り、あなたにとって楽しくわくわくする読書会を描いていきます。

質問やディスカッションの時間を大切にできるよう、少人数での開催です。今の読書会をもっと素敵にしたい、お困りごと解決のヒントがほしい運営中の方も歓迎です!

 

 

そのときのレポートがこちら。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

それを見てくださった方の中で、

「日程が合わないから別の日にまた開催してほしい」

「遠方なのでオンラインでセッションをしてほしい」

とご連絡くださった方がいらっしゃったので、Zoomでお二人とセッションすることにしました。

このような働きかけはとてもうれしいです。その方の関心の向いたタイミングでダイレクトにお役に立てるのは!

 

 
 
既に読書会も場づくりもご経験のあるお二人の、読書会に関するお悩みやご関心をうかがって考えてみて、90分何をしようかなと考え、

・読書会の種類レクチャー

短文を読んで感想をシェアするミニミニ読書会の進行練習

・2人からフィードバック
をやるのがよさそうだなと考え、進めました。
 
まったく読書会をやったことがない、何を考えればいいのか皆目見当がつかない、という方と違って、経験のある方は、
・自分のやり方と違うやり方にふれたい、
・なんとなく自己流でやっていたけれど、これでみんなに満足してもらえているのか、よい出来になっているのか確認したい
という自分の軸を確認したり、

・もう一段上がるための苦手への向き合いを一緒にやってもらうこと
ができるといいかなぁと思いました。
 
 
 
ミニ読書会のところは事前に、

・課題本の中から10分ぐらいで読める文章をピックアップ。

・その本一冊野中で自分にとって特に重要である、人と共有する必要がある、人と話し合う必要のあると思う部分、投げかけが含まれているなどの箇所がよい。

・おおよそ20ページぐらいまで。事前に送っておいてもらい他の参加者は当日までに読んでマーカーなどを引いておく。

をお願いしました。

 

進行は一人分がこんな感じで二人にしてもらいました。

・あいさつ(3分:わたしは何者か、きょうの読書会をひらいた経緯、きょうどんなふうに参加してほしいか等)
・キーノートスピーチ(5分:読んでない箇所のフォローとディスカッションへの土台・前提をつくる)
・一人ずつ第一感想(5分)
・全体ディスカッション(7分)
・ふりかえり(3分)

 

だいたい25分。これに対してわたしともう一人の参加者の方からフィードバックをするというやり方で進めました。
 
選んでくださったテキストがおもしろくて、つい買ってしまいました!
 
本選びはもちろん、二人二様のまったくタイプの違う場のつくり方。それぞれの存在が学びになる時間でした。
 
 

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わたしにとって、やってみてよかったことはいろいろありますが、大きく4つ。
 
① 看板は掲げてないけれども、興味を示すこととわたしのやりたいことが合致すればいくらでもアレンジできる。整っていて値段がついているものだけが商品ではない。そのような注文が今はめっぽう楽しいです。これについては一本記事を書こうと思います。
 
Zoomでのセッションや講座は、物理的距離や時間の制約からかなり自由になれる。
 
自分はどんなタイプの読書会が合っているのか、やりたいのかを見つけてもらえたこと。類型とその特徴を知ることで、どのような型を採用し、読書会をひらくときに何を抑えればいいのかが、それぞれの方の中でしっくりきたようです。
 
 
 
それから、
 
「フィードバックを受け取る力」ことについて考えるきっかけをもらえたことが大きかったです。
実際にやっているところを見てもらい、フィードバックしてもらうのが一番いいし、それができてよかったとご感想もいただいたのですが、フィードバックを受け取るというのは、なかなか難しいことでもあるなと感じています。でもお二人ともそれはそれは真摯に受け取ってくださいました。
 
 

このことで思い出したのが、競技かるたの練習をするときの感想戦です。対戦が終わってから相手とふりかえりをすること。将棋の感想戦の話ですが、こちらに詳しくあります。

感想戦は、対局の直後、まだ余韻が残っている中で始められます。負けた方は悔しさに打ち克って、勝った方は嬉しい気持ちを折りたたんで相手の気持ちを察しながら、実戦では現れなかった指し手や敗因となってしまった手、そこでのより良い手など探っていきます。勝者も敗者も関係なく、一緒に行う共同作業です。

 

わたしは実は本当につい最近まで、感想戦で言われたことを何日も引きずることが多かったのです。よりよくなるようにと思って相手がフィードバックしてくれているのに、傷ついている自分がいました。しかも競技かるたでは、中学生、高校生、大学生の選手がほとんどなので、自分より圧倒的に若い人から指摘されることになります。

 

フィードバックに対して、口では「ありがとうございます」と言っているのですが、「そこまで言わなくたっていいじゃない」「わたしだって一生懸命にやってるのに」「バカにされた」「わかってるのに言わなくていいから!恥かかせないでよ!」と怒りの感情がわいてくるときがありました。

 

不甲斐ない自分への怒りや自己嫌悪の感情を相手に転嫁しているのですが、どうしてもわいてきてしまう感情。でも心から感謝もしている。それにどう折り合いをつけたらよいのかと考えていたのですが、結局のところ、傷ついていること自体は歪められないので、傷つきを自分で認めて、ゆるして、受け入れて、愛して、その上で、勇気をもってそのプライドを捨て、また次も教えを乞うていくしかない。

 

その感情を見ることでしか強くならない。

 

逆に自分がフィードバックするほうに立ってみると、相手がもう一歩も二歩も先に進むために真剣に伝えている。ここに何かあるんじゃないかと思って来てくれているから、今自分にできることをする。

そういうときには、どうしてもギリギリの表現にならざるを得ない。言葉を選んで配慮して使うけれども、揶揄しているように受け取られても仕方がないぐらいギリギリになるときがある。でも当たり障りのないことを言っていては意味がない。なんのために今、「対戦」したのか、一緒にいるのか。

 

もちろん人間だから、「相手を下に見る気持ち」が絶対に混じっていないとも言えない。そうではない、学びや成長や共に高め合うことから言葉を発しているかと自分に問いながら、言うほうも軸を持って常に揺れながらいる。

 

そのことを今回のセッションではっきりと理解することができました。

ありがとうございます。

 


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ご要望に応じて、講座の形でもZoomでのグループセッションでも承ります。ご自身のつくりたい読書会の形、ワークショップの表現を一緒に模索していきましょう。

・お問い合わせはこちらのフォームからどうぞ。

・セッション料金については、ウェブサイトをご覧ください。

hitotobi.strikingly.com

 



 

「ちはやふる」の世界を豊かにする人たちの祭り

ちはやふる祭り」と題し、映画のちはやふるを観て語る会を友人らでひらきました。

 

はじまりは今年の6月にひらいたこの会。

映画「ちはやふる-結び」の感想をあーだこーだ語る会、ひらきました! - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

「結び」がよすぎて、語る会をひらいたぐらいなので、DVD/Blu-rayが10月に出るとなれば、もうこれはまた語る会をせねば!なんなら3本連続で見る祭りにするぞ!となり、語る会をいっしょにひらいたゆきこさんと夏ごろから企画しました。

 


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朝9時から夜9時まで。

「上の句」を観て食べて話し、「下の句」を観て話し、「結び」を観て食べて話し。

メンバー入れ替わりながら。最後は海外とZoomでつないで。

 

スピーカーから音がでなくて、あーでもないこーでもない、どうしよう、音出なかったらどうしよう、と時間に迫られ、冷や汗が出る中、いきなり音が出たときは、「あたしたち、チームになった!」という感じがして、いきなり青春でした(笑)。

 

 

一人ひとりとみんなにとってのちはやふるの分かち合い。

ちはやふる好きで話したい人しか来てないから、なんの遠慮もなくトーク炸裂できる喜び!

 

競技かるた、スポーツ、青春、伏線、演技、俳優、部活、恋愛、言葉、台詞、時間、歴史、文化、歌、家族、人生、進学、勉強、師匠と弟子、先生、仲間、強さ、弱さ、孤独、、、たくさんのテーマが行き交いました。

 

 

長編漫画(11/13に40巻が出るところ)、映画も3本とボリュームあるものなのに、こんなに前提を共有しながら話せるなんて、ほんとうにすごい!

 

 

わたしにとって「ちはやふる」は人生に関係ありすぎる物語なので、大好きな人たちが大切に聴いてくれてうれしかったし、大好きな人たちの大切な話もシェアしてもらえてうれしかったです。

 

普段なかなか競技者じゃない人と競技かるたの話をすることってない。話してもわたしが一方的にしゃべる感じになるし、目の前に何もないから説明も表現も難しい。

でも「ちはやふる」を真ん中にするとわかってもらえることもたくさんあって、「ああ、それをやってたの!」となるのがわたしもうれしいのです。

 

競技をしていると、一枚の札に出会うたびに自分だけのシーンや言葉やエピソードが積もって、百首ぜんぶがかけがえのない歌になってゆくのですが、ちょうどそんなふうにこの作品にもたくさんのものが降り積もっています。

 

何度見返しても発見があるし、いい。

特に「結び」の素晴らしさをあらためて感じています。

これから何十回もの鑑賞に耐えるでしょう。

 

あー楽しかった〜!
そして翌日は友だちの練習会に参加し、かるた5本取りました。幸せです。

 

 

 

いろんな話が出ていて、記録もしていないので、ほんとうにその時間だけに交わした言葉なのですが、その中で競技者として印象に残ったのがこれ。

 

 

武井壮流トレーニング理論 日常生活をすべてスポーツに変える 

miyearnzzlabo.com

 

畳の上でも、畳の上以外でも、強くなるためにはこれだ!

 

つまりスポーツというのは、「自分の体を頭で思ったように動かす」に取り組んでいるということ。自分の頭、自分の体、自分の精神。全部がぴったりしているときにリラックすしながらのびやかに動ける、思ったように札が取れる、ができる。

たまたまそういうふうにぴったりできるのではなく、そういう状態をいかに作って、畳の上で出していけるか。

日常のすべてにおいて、自分に意識を向ける。自分の頭と体の一致。内外一致。

わたしはそれを調えたくて、自分のためにかるたをやっている。
それを真ん中に置くと、人との比較に陥らずに済む。

 

大事なことを教わりました。

 

 

子育ての何かの終わり

2017年11月20日の日記

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さっきラーメン屋で餃子つつきながら息子が、「『アルバイトしたらいいこと』を挙げていくゲームをしよう」などと言ってくるので、「オイコラ、33も歳上でアルバイト経験豊富なあたしに小学生がよう言うたな!」と完全にナメてかかっていた。

 

そうしたら、

「アルバイトの後にお疲れ様ってみんなでビール飲みに行くのが最高」とか、

「アルバイト先やお客さんで友だちができて仲良くなれる」とか、

「ごはん屋さんで働いてたら、常連のお客さんが、同じ職場の人を連れてきてくれて、あー美味しかったって喜んだら、紹介した人もうれしくなって、そういうのを見てるとこっちもやっててよかったなって思える」とか、

「疲れたときにアルバイト先の人ががんばれって励ましてくれるのがうれしい」とか、

どんどんいいネタを繰り出して来てびびった。

 

確かに息子は先月、近所の商店街で半日お店屋さん体験をする授業のため魚屋さんで働いてた。でも、それだけじゃないものが息子の中に蓄積されてきて、今まさに表現されているという感じがした。

 

人とのつながりの中で自分が生かされている、人に喜ばれていることがうれしい、愛し愛されている、という確かな実感があるのだな。

働くことの本質が見えている。すごいなー。

 

わたしはもうネタが尽きてきて、「アルバイトでコツコツがんばってたら、"○○くん、正社員にならないか"って言ってもらえる」など苦し紛れに言ったら、「正社員って何?アルバイトとどう違うの?」と息子に質問されてまともに答えられず。内容もひどすぎる。

けっきょく20ネタずつぐらい出たところで、わたし完敗でした。まじか。

 


なんでそんなにいっぱい出せるの?って聞いたら、「企画者だから当然なんだよ」と言われた…。キカクシャ…!!(◎_◎;)

 

子育てのうちの何かが終わったという感じがしました。その何かが終わるごとに関係性が変わっていく感じ。

 

これからもこの人といるのが楽しみだなー

「キャリア教育」とかわざわざしなくても、今ある環境で良さそうかも。

 

 

 

 

2018年11月1日の日記

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ここのところモヤモヤすることがあって、きょうはついにこのままじゃ眠れん!あしたの仕事にも差し支える!てとこまできたので、頼みの綱、息子(小4)に聴いてもらった。

 

わたしが瀑布の如く話しまくるのを息子はただじっとまるごと聴いていて、その聴き方にびっくりした。

 

さらにわたしがひと塊を話し終えて息をつくタイミングで、「ああー、うーん、そうか、すれ違ってるんだね」とか「それはもうやりたくないんだね」とか「解読しようとする気持ちも持ち続けてるんだね」とか、めちゃめちゃ共感たっぷりの要約や返しをしてくれた。

 

息子にしてみたらまったく知らない単語やまったく経験したことない出来事や感情や感覚の話なはずなのに、話したわたしはすごく共感して理解して聴いてもらえた感じがして、ありがたかった。開放されたり、認められたり、やっぱりわたしはわたしでいいんだって思えた。

 

ありがとう、まじ助かったよーと言ったら、
「まぁこういうのよくあるし。話聴くの好きだし、聴いて自分なりに返してあげて、相手から話してよかったって言ってもらえるとうれしいんだ」……って!!!

 

わたしの子育てのけっこう大きな部分がまた終わったと思った。あとはわたしは自分が健康で息子に迷惑かけず、がんばってお金を稼ぐくらいしかしてやれることないや。

 

いやーここまでほんとよくやってきた、わたし。
そしてよく自分を信じて生きてきてくれた、息子。

 

ギフトが多すぎて大きすぎて抱えきれないこの頃。

各々が言葉にすることで場が立つ

11/22にひらくスマホ写真講座のガイドのさっちーさんが、ブログに書いてくれました。うれしい、ありがたい。

sachycamera.com

 

 

 講座をひらくにあたっての経緯と願い、撮る教える上での哲学。

もしわたしがさっちーさんのこと知らなくても、これを読むだけでもう「この人に習ってみたい!」「この人に撮ってもらいたい!」と思っちゃうぐらいなので、ぜひ読んでみていただきたいです。

 

 

実は今回、「書いてもらいたいなぁ」とわたしからボールを投げてみたこともあって、書いてくださったんです。

 

さっちーさん、おはようー!もしよかったら、FBに投稿してくれたことを中心にブログ一本書いてもらいたいなぁ。宣伝としていろんな人にシェアできる形にしたいのもあるし、 わたしがもちょっとだけ、これ書いたあとに生まれた肉がついたもの、一歩進んだものを読みたい欲求。
さっちーさんがこの企画の何をおもしろいと思ってくれてるのかを、文章でも読んでみたい。で、うちらは今回何によってつながってるんだろ?ていうのをさらにつかみたい。 もし気が向いたら!
(忙しい人に言ってるのは承知であります〜)

 

 

 

と書いて送ったら、「書きます!書こうと思ってたんです!」とお返事がきたのがまずうれしかった。もともと彼女も記事を書く予定ではあったそうなんですが、共催者(わたし)が求めることで、書く意欲が強くなったのかなぁと思います。

 

それを書くことはわたしにとっても意味があるから!

集客という目の前のことだけではなく、その先の広がりに未知のワクワクがあるから!

...という姿勢でいてくださる方と組むのはとても楽しい。いや、そのような人としか今は仕事で組むのが難しい、とすら思います。

 

 

打ち合わせではいろいろ話していて、わたしたちとしては共有している。でもそれは、「だよねー」「そうそう、わかるー」な分かち合いでもあって、わたしたちの間でしか通用しない可能性が高い。

 

経緯や意図や思いを公の場で表現していくことでしか見えないものがある。時間もエネルギーもつかうことだけれども、そこを超えて書いて共有してくださるのは、ほんとうに有り難くうれしいことなのだ。

 

ああ、相方さんの側から見た風景はそのようだったのか。

相方さんにとって、あのひとつの単語、ひとつの事象、ひとつの道具はそのような意味があるのか、そのようにとらえていたのか、ということが書かれることによってはじめて知ることができる、理解することができる。

 

あとはそれを片方だけが背負わなくてもいいということもある。

 

公に言葉にしたときのお互いの発見があり、お互いのつながりが確認できることによって、場が立つのではないかと思います。

舞台で自由に舞うための土台をつくるイメージ。

 

以前にもこの記事

 

だれかと場をつくるときに、最終的に何が自分たちを支えるかといえば、知識や経験もだけれども、思いの共有や交換が大きい。

 

と書きましたが、今回の講座づくりを経て、より土台をつくっている感覚を明確に持てるようになりました。これからはもっと意図してやっていけます。ありがたい!

 

 

 

うんうん、いい感じ。

 

「才能は磨けないがセンスは磨ける」って魔夜峰央も言ってましたよ!(先日原画展に行った)

 

影技術はもちろん、撮ることの本質を学ぶとってもいい会になりそうです。

お申込みお待ちしてます!

 

portraitbysmartphone.peatix.com

 

 

 

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METオペラ「アイーダ」がよかった話

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前期のアンコールはなんとなく食指が動かず、今はお能の気分だなぁと、オペラからは少し距離を置き気味だったのですが、2018-19シーズンはなぜかまたMETLV(Live Viewing)にひたるぜ!と気合いが入っており、トップバッターの「アイーダ」から行ってきました。

 

▼こういう色の感じだった。
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バーっとツイートしておいて、それを元に書き直そうかと思ったのですが、まだ温度が高すぎて触れないので、そのままを貼ります。

 

オペラをMETLVという形式で見るのがおもしろくて、毎回見るたびに発見があるんだけれど、今回もすごかったなぁ。どうしてわたしは芸術を必要とするのか、の一部が言語化された気がしました。

 

オペラに関しては、お祓いしてもらいに行っている感じもあります。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今期は他に「サムソンとデリラ」「マーニー」「カルメル会修道女の対話」が気になっています。楽しみだなぁ。

 

 
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小倉遊亀展がよかった話

平塚市美術館で開催中の小倉遊亀展に行ってきました。

 

平塚市美術館は今回がはじめての訪問。でもなぜか所蔵品のアートカードセットを持っています。アートカードを見ながら、どんな美術館なのかなぁ?といろいろ想像していました。

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さて、小倉遊亀について。

http://www.shiga-kinbi.jp/?page_id=115

 

わたしと同郷ということもあってずっと親近感を持っている画家です。

小倉遊亀の作品を数多く所蔵している滋賀県立近代美術館には、小中高校生の頃にたいへんお世話になり、たくさんの画家や作品やアートの潮流や提案を見せてもらいました。常設展には小倉遊亀のコーナーがあり、いつもおなじみの作品に会っていたのを覚えています。

 

きょう展覧会を通してあらためて画業をじっくりと訪ねてみて、わたしが彼女の作品からもらったものがたくさんあって、それは親近感という以上のもので、知らないうちに一緒に時間を過ごしていたことに気づきました。

 

子どもの頃から変わらず好きな何か。

熟していった何か。

 

 

今回展示されていた120点中、滋賀県立近代美術館からは43点が来ていて、中には30年ぶりに再会した作品もあって懐かしかったです。

 

覚えのある色や筆致。
今ならわかる厳しさや美しさ。


もっと知りたい。
わたしももっと描きたい。

もっと描けるようになりたい。 

 

きょうも友だちと一緒に行けて、感想をあーだこーだと話せたのもよかった。

 

 

 

そうだ、もう一つ。

自分も模写してみて、習作が見たいなぁってすごく思ったんでした。

スケッチやデッサン。どんなふうにはじまるのか。どんなふうな道を通っているのか。

 


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▼一番好きで、一番親しんでいる作品かもしれない。「姉妹」
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▼わたしがこういう色が好きなのも、もしかして小倉遊亀の影響なのかも。

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▼それから、エントランスにあったこの作品は、先日藝大美術館で見た「深井隆退官記念展」っぽい感じがあったのでアートカードを確認してみたら、作家の三沢厚彦さんは東京藝大の彫刻科卒。やっぱりー!87年卒だから84年から教鞭をとっていた深井さんに師事してらしたのかな。いろいろつながるなー。おもしろい。
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▼先日の深井隆展。よかった。最近厳選して見ているからか、どの展覧会もよい体験。
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 ああ、きょうもいい日でした。

 

 

たとえばこんな絵

ライフテーマのひとつである、ジェンダー

 

女性である自分についてこの何十年も考えて取り組んできて、今、「男性による男性のための支援があってほしい」という願いがわたしにはあります。

 

それについての自分の見えているもの、自分の実感を偏りいっぱいに書きました。

男性による男性のための支援と場について - ひととび〜人と美の表現活動研究室

「同性」の共感と応援によってしか行けない場所 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

関係の中の精神的自立と境界線、または尊重と感情的な安全性 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

 

読んでくださった方々とやり取りする中で、これを書いたことによって、既に存在している「男性による男性のための支援」が見えてきました。勝手に脳が見つけるようになった、と言ってもいいかもしれない。

 

未熟ながらも書いてほんとうによかったです。書いて人目に触れるようにしたことで気づけた。

 

はっきりと看板を掲げているものから、実は支援の機能を持っていると読み取れるものまでさまざま。

 

 

 

それから、こんな絵も見えるようになってきました。

 

www.asahi.com

 

npotadaima.com

 

 

長い長い過渡期だけれども、こうして言葉にして、そこから対話したり、実際に場をつくったり、試したり軌道修正したり、やっていければいいなぁと思う。

 

あたたかな共感や応援や祝福をもって。

いっしょに。

 

それは同じ世代だけではなく、同じ時代を生きている人たちにも祝福だと思うのです。

 

特に、わたしはそういう絵を子どもらに見せたい。

 

 

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リブトビトークライブの打ち合わせをしたよ

リブトビトークライブまであと9日!(リブトビとは?前回のレポート

 

きょうはちほさんとTORAYA TOKYOで打ち合わせしてきました。

 


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こはちょうど3週間ちょい前に公開コンサルテーションをやったお店ですね。いやはや、あれからなんて濃ゆい時間を過ごしてきたんだわたしたち…と呆然としました…。

 

さて、と気を取り直し、いつものように3時間しゃべりたおして、リブトビ当日のだいたいの山登りのルートが決まりました。

 


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うーん、写真に撮ったけど、よう見えんかったので書きます!

 

・演者と鑑賞者の話(やってみてわかったこと)
・聖子さんの1ヶ月を見ていて鑑賞できるようになった気がした事件
・多様な美を知っておきたいな
・“生きている”ことを優先しようと思って実践中
・"それは発達のせい"と一度おいてみた
・"これでいいんだなって"と言われることの嬉しさ、"意味のわからないこと"のすごさ
・表現
・ゴルゴ事件(後日相討ち事件)
・触れてほしくない話題
・あんたになんかわからない
・わたしのために心を使え!
・ギリギリのとき外からの刑務官
・あたしだってがんばってるのに
・支援
・怒ってよかった
・感情を感じると輪郭がハッキリ
・回復途上
・侵入を防ぐ
モラハラは私?
・恥、罪悪感、軽蔑
・"反省させると犯罪者になります"
・積極的不登校児とくらす
・疎外されたいた・いる辛さ→本当はどのように包摂?
・善良すぎるからこそ
・あなたの罪悪感はあなたの境界の内側に
・passive aggressive
・どっちが悪いか(ではなく)、どっちのせいか(ではなく)
・距離感、ケンカしない?
・かるたの主張と感想戦が聞けない
・なんで相談できなかったんですか?
・無防備さ
・わたしは息子に産んでもらった
・男性のスカート

 

ふぅ…‥ (´∀`;)…こうして並ぶとすごいですネ…

 

 

こんな感じに盛りだくさんでぎゅっと詰まった話をします。

まだ9日あるので、ここに新たに加わったり、変更されたり、上書きされたりすると思います。

 

会場でオンラインでお会いしましょう!
どうぞお楽しみに!

 

詳しくはこちらをご覧ください。

liveandbeauty2.peatix.com

 

 

秋の日はつるべ落とし。


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