ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

だれのための場 〜子連れと場についての一考察

前々から書こうと思っていたのだけども、いざ書こうとするとそれだけでふーっと深呼吸せずにいられない緊張を覚えるこのテーマ。

 

場をつくっていると、「そこに子どもを連れて行っていいですか?」という問い合わせが来ることがある。

また日々メディアを通して見聞きするニュースだったり、友人知人との会話の中にも「子連れ出勤」「子連れイベント」というテーマが出てくることもある。

それはしばしば論争の種になっている。

 

 

もともとわたしは、「子どもを連れて来てもいい=優しい場とは限らない」というテーマで、場をつくる(主催)側からの景色を書こうとしていた。そして何度も書いては消し、書いては消し、していた。

この一年ぐらいずっと。

 

難しいのは、「~が~であるときにもよる」っていう条件をたくさん出すことになるからだ。

しかしそれを全部書くとわけがわからなくなる。

 

 

 

書く衝動が生まれたときの、過去の自分のツイートを引用してみる。

 

「子どもを連れて来てもいい=優しい場とは限らない」というテーマで、主催側から見える景色としてブログ書きたいけど、けっこう勇気要るこれ。何のため・誰のための場、参加者の満足度、親と子・大人と小人の境界、自由と尊重と選択、受援力、働きかけ力、東京の子育て環境等の話、たぶん。

 

逆に言うと、子どもを連れて来てはいけない=優しくない場のときもあるし、=優しい場(安心できる場)のときもある。「どちらかが正義」ということではなくて。子の存在も、子にかかわる大人の存在も、どちらも軽視してはいけない、尊重したいということ。

 

さらに「子ども」の想定の話でもある。日本では0歳0ヶ月から18歳まで「子ども」と表現される。これは参加者はできるだけフレンドリーに解釈したいから、主催側がちゃんと提示したり条件をつけたりしないといけないよね、とか。このテーマは本当にここ6年、紆余曲折があります。。

 

夫婦や一緒に子育てしている人とのパートナーシップ、生活や人生のある時期を共にしているファミリーシップの話でもある。あるいはワークライフバランスや働き方の話でもあるし、Lifelong Learningの話でもあるし、専門家・専門職とは何かっていう話でもある。多岐に亘る。

 

ひとつの場をつくったときに「その場にかかわる人」がみんなハッピーでいてほしいっていう気持ちがある。

 

 

シンプルにわたしが一番書きたいことからはじめてみると、「そこはだれが何を目指す場だと意図されているか」ということに尽きる。

場と子どものことについて書きたいので、子どもと大人という軸で切ってみると、

だれのための場というのは、

  • 大人と子どもの両方のための場なのか、
  • 大人のための場なのだけれど、子どもも「いてもいい」場なのか、
  • 子どものための場なのだけれど、大人が「いる必要がある」あるいは「いてもいい」場なのか

何を目指す場なのかというと、例えば

  • お互いの声がよく聞こえる環境で集中して議論や作業に取り組む場なのか、
  • 集まった人同士が交流しゆるやかにつながる場なのか、
  • 様々な年齢の人が思い思いに過ごし、表現や活動を自由に楽しむ場なのか、

など。もっとたくさんあるだろう。

 

それから、先のツイートにも関連するけれど、場を守る人としても、育てている子どもがいる親・保護者としても、願いとしてもっているのは、親が親役割を離れて一人の大人/個人として集中して働いたり学んだりすることと、子が安全と健康が守られた環境の下、子どもらしく伸びやかに過ごせる時間は大切なもので、親と場をつくる人はもちろん、かかわる人全員によって確保されてほしいということだ。

 

「子連れ」という言葉も曖昧で、「子が親とその場にいる」と「その場が託児所を設置している」がごっちゃになっていることがあるが、わたしが慎重になりたいのは、「その場が託児所を設置していなくて、子が親とその場にいる」という状況が良いときもあるし、「誰が何を目指す場?」に照らしたときに、必ずしも良い、優しいとは言えないこともあるのでは、というところ。

 

場の目的や、集う人同士の関係性によっては、子どもを連れてきてもいいよと言われる場合もある。その場で行われることに対して、子どもがいることで中断される可能性について、全員が了解・許容しているなら、やむを得ず連れていかなければならないときなど特に助かることだろう。

わたしにも多々身に覚えがある。

 

 

***


抽象的になってしまったので具体的なエピソードを一つ。以前こんなことに遭遇した。

 

大人向けのエクササイズの講座で、参加予定の人から「3歳の子どもを実家に預けて参加する予定だったが、急に預けられなくなった。どうしても参加したいので連れて行ってもいいか」と問い合わせがあった。

主催者はOKを出した。

会場には高価な精密機器が置いてあった。エクササイズは大人向けの内容で、子どもが真似をして楽しめるような、身体を動かす遊びのようなものではない。連れてこられた子どもは手持ち無沙汰なので、その辺を歩き回ったり、高価な精密機器に手をかけたり、親が構ってくれないとぐずったりしていた。

会場の貸主はその機器を大切にしていたし、子どもも苦手なのか、機嫌を悪くし、講座にはぴりぴりとした空気が漂っていた...。

 

誰が悪いという問題でもないこの経験は、わたしの中にずっと残っており、「子連れ」という言葉を聞くとき、何年も前のことなのにいまだにサッと心をよぎる。

 

 

どうしたらよかったのか。

 

今の自分がもし主催者だったとしたら、まずは運営メンバーと相談する。そしておそらくこのように返事をするだろう。

「この講座は大人だけを対象としており、3歳のお子さんを連れていらっしゃっても見守りができる余剰スタッフがおりません。子どもがのびのびと安心安全に過ごせるスペースもありません。さらにせっかくいらっしゃっても、お子さんのケアのためにエクササイズに集中して取り組めないととてももったいないと思います。とても申し訳ないし残念ですが、今回は参加をお断りさせてください」。

 

これが唯一の正解ではない。けれどもその場に集う、関わる全員にとっての安心、安全、満足とは何かと考えたときに、時には「断る」ことも出てくる、ということが言いたかった。大人が集中して何かに取り組む場は、子どもにとっては居心地のよくない場にしばしばなる。

 

話は少しずれていくが、子どもにとってほんとうに楽しい場、居心地のいい場か、という問いは、わたし自身、子どもが4〜5歳ぐらいになるまで直視できないでいた。

「本来大人向けの場で、見守りのスタッフもいないが、自分で見守っているなら連れてきてもいい」という場や、「大人も子どもも対象の場」に何度も連れて行っていたが、子どもが興味が持てず、飽き、わたしに構ってもらえないのでぐずり、中座したり途中退出したりして、やり場のない怒りを抱えながら帰途につく、ということがよくあった。

 

乳幼児を気軽に預けられる人がいない、施設がないという問題はあると思う。

 

子どもの月齢・年齢、発達段階や性格や特性にもよって、「うちの子は動き回らないので一人で静かに過ごせるので大丈夫」ということもあるだろう。もしかしたら状況によっては、運営メンバーの中に「予定にはなかったけど、他を調整してみようよ。わたし見守りするよ」という声があがるかもしれない。

 

ケースバイケースとしか言いようがない。

 

その場にかかわる全員で知恵を絞り、事前に設計し、当日起こることに対応し、場としての誠実な態度を、最後は場を守る人が引き受けるんだろう。

 

今年になって場づくりのエッセンスを教える、伝えるようになって、だれのためのなんのための場なのかをよくよく準備し、起こりうる可能性を検討し、参加者と共有することの大切さをより感じている。

 

 

この原稿も何ヶ月もあたためていたが、ようやく心構えができたのでリリースしてみる。

 

 

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途中の分かち合いはじゃぶじゃぶの温泉(学びのシェア会)

仲間内でひらいている学びのシェア会に参加してきました。

なんともう6回目!

 

学びのシェア会とは、数ヶ月に一度、個人的にシェアすることで、発表する人もそれを聴く人もお互いの学びを活性化していこうじゃないか(それはいい!楽しい!)という集いです。

第1回

第3回

第5回

でも書きましたが、とにかく毎回楽しい。

毎回コアになる運営メンバーは居つつ、単発参加でふらっとくる方がいたり、同じ人しか発表しないのでもなく、居心地がいい。

今回は過去最多の9名が参加でした。(定員は10名)

 

 

つくりについてもう少し書くと、

・発表者による発表15分と参加者との対話15分を3セットで3時間半

・会場は区民館(ホワイトボードがあるところで個室)

・会場費を人数割り

・おやつ持ち寄りウェルカム

・参加者10名(発表者3名含む)

・1ヶ月前にテーマとプロフィールを募集

 

そしてこれがとっても大事な、

!注意事項!
※受講した講座の丸写しNG
※受講した講座の資料流用NG
としたうえで
※シェアされる内容は、あくまでもその人個人の受け取ったものであり、伝えた側の意図とは違っていることを前提として受け取る
※シェアの内容を二次使用する場合は、原典(もとの講座や本など)にあたってからを推奨。
※少人数で気楽にやってOK(編集しきれてなくても、学びの最中のものでもよい)。発表者だけが主とならず、対話自体でさらに学びが深まることを意図する。

 

 

こちらは友人または友人の紹介で成り立っているクローズドな場なのですが、気になる方がいたら、ぜひぜひ真似してやってみてほしいです。

 

 

 

今回すごかったのは、チェックインで近況や前回からあったことなどのシェアを1人3分ずつぐらい全員が話していくのですが、この25分ぐらい時間がすでにエネルギッシュだったこと。

 

いつも何かとつるんでいる友人の、

「学びのシェア会に出て人生が進んだ!」

「最新のわたしはこうなの!」

という喜び、、歓び、悦び、慶びがあふれていて、胸がいっぱいになりました。いや、そのときの表現では、「頭がおかしくなりそう」でしたね。。

 

今回は、

マルセル・デュシャンはキライだ!

・インタビューについて〜ジャーナリズムとエディティング

・子どもの育ちをかぞくの外側から支える可能性と多様性

 

いやー、どれも自分に関係がありすぎる話で、頭からけむりがでそうなぐらい、頭も心もいっぱい使いました。

 

おもしろい!!!しか出てこない。ここにくると語彙が貧困になる現象多発!!

 

ここでやっているのは、学びのシェアであり、宣言であり。
生半可な途中の分かち合いこそが生きている実感だと思える。

 

見た目にもわかる完成や到達って、ほんとうに一瞬なんだなって思う。

テープカットとか、表彰式とか。

そして次の瞬間にはそれももう過程になっていく。

でも取り切った場や時間があるから、スポットライトがあたる瞬間があるから、限り有ることを感じられて、生きていける。

 

 

この学びのシェア会にくるとふしぎなのが、「この人がわたしの代わりにこの分野の見聞を広めていてくれた、学びを深めておいてくれた、ありがとう!」という気持ちになるところ。

 

自分の体系をつくるには、こうやっていろんな人の学びを取り入れ、刺激を与えていくことも大事だと思うのです。というか、そうしないと体系立てられない。それを一生続けていく。

 

 

途中で見えている景色や手触り、自分にとっての真実、実感をもっともっと出していこうと勇気をもらう。

それは客観や統計を無視することではなく、それらを読み解く力をつけることで、その時代の、その必要のために、使う人間を育んでいくことになる。

 

 

 

都会のど真ん中に、その日その時間だけいきなり湧く温泉みたいに、じゃぶじゃぶ、あったかい場です。

 

 

いつもありがとうございます。次回も楽しみ。

 

 

 

▼ライチさん

http:// https://ameblo.jp/lychee-tangerine/entry-12423196446.html

こうやって書いてもらえると、共感めちゃくちゃするけど、個体としては違う体験をし、違う表現をしているのがわかっておもしろい。
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▼まゆみさんのブログ

丁寧なレポートだぁ。すんごいメモとってたからなぁ。才能ですね。

mayuminaba.hatenablog.com

 

 

 

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箏を演奏させてもらった話

今年の夏の話。

文京区千駄木にある島薗家住宅で、和楽器の体験会に息子と行ってきた。

 

箏(こと)と尺八の演奏を聴いて、自分でも演奏してみれて、最後にもう一度演奏を聴くというもの。合間でお菓子とお抹茶もいただけて、親子で2,000円。なんてお得な!

 

「和のものに興味がおありですか?」と聞かれたのだけど......どうなんだろう?
あまり考えたことがなかった。そうでもないかも。そうなのかも。

楽器も音楽も好きだし、それぞれが「道」のものって一度のぞいてみたい気持ちがある、というのは確か。

 

 

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まずは箏。

「心の琴線に触れる」っていうやつだ。

でも触れただけでは音がしない。

本物は太くて硬いし、親指、人差し指、中指に爪をつけてかなり強めに弾く。左指で弦を抑えてテンションを調整するのもかなり力が要る。

ギターピックのように使ってトレモロしたりも教えてもらった。

実際やってみると当たった感触や、自分の身体に響く感じは、ただ見ていただけと全然違う。

和装の美しい女性の手さばきがエレガントだなぁ、きれいな音だなぁというぐらいだったけど、やってみたときに感じた力強さを足すと、最短でキメていく感じが競技かるたっぽくてカッコいい。

 

 

 

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ずっと「あさきゆめみし」のこのページが昔から気になっていて、「和琴、箏(そう)の琴、琴(きん)の琴ってどう違うの?」と思っていたのがきょうついに明らかになって興奮した。

・箏(そう): 現代で「こと」といえばこれ。昔は「そう」、今は「こと」と呼んでいる。琴の字は箏が常用漢字でなかったための代替として。奈良時代に中国から渡来。13弦。
・和琴(わごん): 日本にもともとあった琴。6弦。
・琴(きん): 白い「柱(じ)」がなく、弦を抑えて弾く。奈良時代に中国から渡来。

…ということはこの絵は和琴と琴が逆なのかな??

 

 

 

 

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尺八はリコーダーの唇ではさむところがまるごとないので、息を当てるのが難しくて、まず音が出ない。

がんばってやってると過酸素になるので休み休みする。

楽譜を見るのが好き。数式もそうだけど、言語がそれぞれに違うのがおもしろい。

そこそこのもので10万円、プロが一生使うものでも50万円と、楽器というカテゴリーの中では意外に廉価。

 

 

島薗家といえば、以前読書会をした「いのちを"つくって"もいいですか?」の著者の島薗進さんは元当主の甥御さんなのだとか。ご縁を感じる。

 

見たこと聞いたことはあるけれど、実際のところは知らないようなものに思いきって分け入っていくと、自分の体系がまた豊かになる。

 

楽しい。

ボナール展がよかった話

ピエール・ボナール展に10月はじめにいってきて、ずっと放置してましたが、徒然と書きます。

 

bonnard2018.exhn.jp

 


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すごくよかった!

色を浴びた!

目は美しい色を見ると幸福なのだ!!

 

去年の三菱一号館美術館ナビ派展のときは、若々しく前途にあふれた若者たちのムーブメントだった。

今回は扱う範囲も焦点も解釈も違っている。

 

わたしも変化していて、あの時とは違うものを受け取っている。

でも「また会えたね!」って感じ。

去年のことをいろいろ思い出しました。

ポッドキャストで、「オルセーのナビ派展がよかった話」を配信したこととか。

この展覧会のサブタイトルの、"The Never-Ending Summer" だなぁと思いながら観てました。

 

ボナール一人を切り出してその画業人生を深堀りしてみると、目覚めたあとに思い出す夢のような、気配だけで実態のつかめない影のような、謎めいた感じが残る。

 

 

 

ナビ派展のときは、仲睦まじい、画家にとって最上最高のミューズと見えていたマルトも、実は不穏さを抱えた親密さだったのか?ということを年表が教えてくれた。

ボナールが二股をかけていた?マルトの友人の自殺、神経症の治療のための入浴が日課のマルト、ボナール20代半ばで知り合ったのに60近くになって結婚、結婚するまで本名も実年齢も明かさなかったマルト…などなど。

 

顔をぼかして描くのはなぜかも気になりました。

彼が追究した画法、技法以外にも、女性遍歴や彼の持つ独特の性的嗜好または性的強迫観念となにかしら関係があるのではないか。野次馬的な想像かもしれないけれど。

 

そんなことは置いておいても、この色彩の感覚はとにかく素晴らしくて、プロの写真家が実際の視界よりも鮮やかに撮ってみせて鑑賞者をハッとさせるように、油絵の具の科学を駆使してそれを行っているような。

色を感知する器官が呼び覚まされるような刺激がありました。

 

 

これをより楽しむには、モネ展のときと同様、片目をつぶって利き目だけで見る方法。おすすめです。

 

そういえば、晩年のモネと交流していたという話もあったな。みんな知り合いで狭い世界にいる感じはまるで平安貴族のよう。

 

 

先日ムンク展に行ったので、ちょうどボナールと同じ頃に、ムンクはパリとベルリンを行き来していて、ナビ派からも影響を受け、カメラが19世紀末頃から出回りはじめ、二人とも写真を絵画制作に活かすということをしている。たまたま同時期にひらかれている展覧会で同時代性を感じられるのはうれしい。

 

 

たまたまだけど、10/3はボナールの誕生日だったのでよき記念の鑑賞日となりました。

 

観終わったあと、友だちと待ち合わせて話せたのもよかった。30分だけだけど、この感想を交わし合える時間が有るか無いかで、もうぜんぜん違う。人間と鑑賞体験が結びついてゆくこと。わたしにとってはもうなくてはならないものになってしまった。

 

いっぱい描いた。もっと描きたかったなー!

 

 

会期終了は12/17(月)国立新美術館にて。

火曜休館です。


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リフレクティング(トークとプロセスと場)

久しぶりに「場」の勉強に行ってきました。

 

リフレクティング。家族療法の一種、対話の手法、コミュニケーション・モデル。

 

主催していたのは、NPO法人マザーハウス。犯罪からの回復とグループセラピーを行う団体です。https://motherhouse-jp.org/

 

講師は矢原隆行さん。リフレクティングの研究者であり、リフレクティングが実践されている刑務所への視察や、実践してきた方々との交流もされています。

 

募集の文章はこんな感じでした。

リフレクティング 「場」と「間」を大切にするひととき。

 

 

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単に矢原さんがずっと話しているだけの講演のようなものではなく、マザーハウスの岩崎さんやスタッフさんや協力者や参加者がみんなでつくる講座であり勉強会でありイベントでありワークショップであり、もっとシンプルに「集い」という趣のあるあたたかな場でした。

 

 

とにかく時間がゆっくりとすすむ。

友人も参加しているからとはいえ、はじめて参加してこんなにしっくりくる場は久しぶりでした。

急がず、焦らず。自然のコールにしたがって。一切の無理がない。

配慮されていてうれしく、心地良かった。

 

場をつくるということに真摯である人と一緒にいる、

真摯につくっている人の場にいると息がしやすい。

来てよかった!と何度も思った。

この体感を忘れないようにしようと思います。だから書いておく!

 

 

 

まとまらないからいつものようにメモを並べる。場で見聞きしたこととわたしの感想が混じっています。すみません。うまく分けられなかった。

 

・話せる場。正直になれるところ、裁かれないところ

・一人ひとりに語りかけられているか、たくさんいても一人ひとり

・生き生きとした場であるために場←→間、互いに生み出しあっている

・藤岡淳子さんのグッドライフモデル。性犯罪者の回復ワーク

・回復。人間は生きている限り必ず回復する

・観察を観察する

・「あれかこれか」から「あれもこれも」へ。(「それをやめてこれをしろ」から「今までやってきたことに加えてこれもやってみたら」へ)

・話し合いのプロセスの新しい共有の仕方

・目の前にその人たちがいたらしないような失礼な話を、専門家同士では平気でしている。それを見られているところで配慮をもってしてみるとどうなるか

・舞台を鑑賞する

・みるーみられるの逆転。演者と鑑賞者の入れ替わり、行き来

・コミュニケーションとは情報を渡す行為ではない

・How you are、一人ひとり全く違うという前提

・専門家のあいだでも意見が分かれている、その画を観る

・アイディアとアイディアの間にあるもの、出たアイディアからずれたもの

・矯正プログラムとしてではなく、「刑務官が入所者との会話をうまくできるように、またその機会を最大限に生かすことができるように手助けするために」

・場の設定。形式だけではない、その場をどうやってつくりあげるのか。言ってみれば当たり前のようにも見える数々のことが、実際にやろうとすると難しかったり抜けてしまったりする。何をやるかよりも、設定し、人とつくりあげていく。葛藤や対立も含め、やり取りしながら場をつくる中で生まれるものが価値、意味、成果。

・Trialoguesの有効性(話す、聴く、観る)

・「囚人と職員のどちらの味方か?」「私はそこに橋を架ける者だ」(Wagner, J.)

・入所者の家族、出所者と出所予定者およびその家族をリフレクティングに招いたら来てくれた。そのことが最大のエビデンス。こんな豊かなエビデンスがあるだろうか?

・プログラム化、マニュアル化ではなく

・「私自身は刑務所の"雰囲気"に注目しています」(Wagner,J)

・そもそも場をつくること自体が変容。単なる対話実践、形式のことではない。対面的な相互行為を実現させ、実質あるものにするための地域変革、社会変革。

・一当事者の姿をありのままにみること。偏見や先入観や既成概念を排除して聴く

・囚人化されない

・話す人を主役にする、どこまでも話し手が主人公、話し手のためにある場

・展開や解決をしようとしない(感想をあーだこーだ話す、に近い?)

・喫茶店の隣の席でしゃべっている人がいるようにいる、聴く

・「言いたいことが言えるっていいですね」

・病院につながると、ソーシャルワーカーが住所をつくってくれる。まずは病院につながれれば

・リフレクティングの型をライセンス化するようなものではなく、これがいいと感じた人がやる、マニュアル化したものをコピーするのではなく、それぞれのオリジナルで広がることもまた、リフレクティング・プロセスでは。「自分たちの現場でやりたい」という思い、情熱。同じ場所で同じ形がただ続いていくために続いていくことよりも。

・安全に内側にいられる状態

・黙っているからといって考えていないわけではない

・ここでの「会話」があなたたちの「会話の」役に立つかもしれない

・可能性をそっと置く

・「わたしにとってよい会話とは、わたしの言ったことについて答えることである。わたしに対して考えていることを言うことではない」

・ちょうどいい違い。次の一歩が出しやすい(まったく違うと鑑賞できない。「オネアミスの翼」のちょうどいいズレ感は意図してつくっているから)

・「縦の関係が残らないフラットな場ってほんとう?ぬぐいがたくあるからこそ斜めの関係を入れていくことができるのでは」あるものをないように見立てることへの違和感。

・「人を見て、自分であることを続けていく」

・〜が印象的、〜な感じがした

・繰り返す言葉

・やったことのないものはイメージできない、イメージできないものはやれない

・計画を一緒に立ててくれる

・自分の経験を話せると、聴いてもらえると、うれしい

 

 

 

「場をつくっています、つくり方を教えています」と自己紹介すると、空間プロデュースやPlace Makingのほうに捉えられることもあって、「あーそっちじゃなくて関係性のデザインや設計のほうです」と言っているんだけれども(それもまだ遠い気がするけど)、そうそう、わたしが言ってる場ってこういう方向です、ということが全面に満ちていて、説明不要でそこにいていい感じがありがたかった。

もちろん何者でいてもいなくてもそこにいられたと思うけれど、「人の集まる場を設計していて」とさらっと言っても、「ああ、それね」と思い至ってもらえる感じ。

 

 

 

それから、わたしにとって非常に大きかったのは、リフレクティング・プロセスという概念。

「僕らがどんなふうにやっているか、つまり僕らが見つけた結論じゃなく、どんなふうにそこにたどり着いたのかを見せるのは、彼らの役に立つんじゃないだろうか」(トム・アンデルセン

矢原さんも繰り返しおっしゃってたのが、どういう形式、どういうトークをするかだけではなくて、リフレクティングの場が立ち上がっていくまでのプロセスや、リフレクティングが起きたあとに起こるプロセスこそが本質なのだということ。

このあたりは、わたしが去年から少しずつ取り組んでいる、つくり方を見せる、経過を共有する、その経験をふりかえる、それらを発表したりすることを講座という学びの場にしたりアート作品にする、ということにとても非常に近い。

 

あるいは、これはまた別途書こうと思うけれど、みるーみられるの逆転。演者と鑑賞者が入れ替わる、行き来することによる新しい創造の開花ということでもある。そこには素朴な感想を安心安全に話す場が不可欠。

これはぜひ他のアーティストとチャレンジしてみたいことです。

 

 

リフレクティングの可能性は非常に大きい。

 

とてもとても勇気づけられる場でした。

 

 


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わたしの持っている文脈を並べてみると……

一日保育士体験、映画「むかしmattoの町があった」上映会、映画「夢の間の世の中」、裁判傍聴、証人尋問、映画「望むのは死刑ですか?〜考え悩む世論」、冤罪、極限芸術(クシノテラス)、「生きていく絵」、「プリズンブッククラブ」やまなみ工房、自死遺族、聖書、宗教、多職種連携、医療、介護、看取り、ジェンダーギャップ、リスニングママ・プロジェクト、カウンセリング、セラピー、周産期医療、産後ケア、子育て、Family in Transition(FAIT)、Meditation, Facilitation、ワークショップデザイン、コミュニティデザイン、インターフェイス、表現、離婚、シングルマザー、リブトビ逆噴射トークライブ、演劇、鑑賞、虐待、DV、モラルハラスメント、グリーフ、発達障害プレイバックシアターインプロヴィゼーション、オープンダイアローグ、ファミリー・コンステレーションポッドキャスト、十五分文庫……

 

......ほかにもたくさんたくさんある、数々のものが、きょうこの文脈で、わたしの内で語り直される爽快さがありました。

(わたしが個人的に体験したものとそうでないものが混ざってます)

 

 

 

帰宅して息子とバトル。

「おかあは二重人格だ。悪いおかあと、ままのおかあがいる。悪いおかあは一度キレるけど、20分黙っていたらままのおかあに戻る」らしいです。

確かにキレたけど、ケンカふっかけてきたのは息子だぞー!思春期めんどくせぇ。

 

対話って大事だよねって勉強してきて、でも帰るとちゃっかりこんなで、まぁこれはこれで愛おしい日々...なのかな。

 

 

勢いで矢原さんの著書「リフレクティング」を購入しましたが、パラパラ見ていて、ぬおー、これはおもしろい!!対話という見えにくい現象をこうやって言語化できる人はすごいなぁ。でも関心がない人から見たらなんのことかさっぱりわからないかもしれない、ひとつの「道」の感じもまたオタクっぽくて好きです。

 


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カウンセリングってどんなもの?

自分では手に負えない問題がある、関係者と話していてもどうにも進まない・話し合いにならない・話し合いが持てない、、などのとき、カウンセリングを利用するということを覚えたのは、わたしの人生にとって大きなことでした。

それによって道がひらけて、今のわたしがあるといっても過言ではありません。

 

 

先日読んだカウンセラーの信田さよ子さんの「傷つく人、傷つける人」(ホーム社)という著書の序章「カウンセリングってどんなもの?」が、カウンセリングを利用したことがない人向けの説明になっていて、とてもわかりやすかったので、引用します。

 

 読者のみなさんはカウンセリングにどんなイメージを持っていますか。精神科・診療内科などのクリニック受診とどこが違うかをご存知でしょうか。

本書では最初にそのことを説明しておきましょう。

 寒気がして熱っぽいときは薬を飲む、検温して三八度以上あれば近所の内科医を受診する。このように体が不調のときは医療機関を利用します。

 では職場で問題が起きている、同僚とうまくいかない、上司の叱責に深く傷つき仕事に行きたくない、といった状態になったときはどうしますか。

 あるいは過程で、夫から暴言を吐かれ続け苦しくてたまらない、結婚しえtから実家の母親のことがうとましく思え会いたくなくなった、自分は人間としてどうなのだろうと考えると苦しくなってしまう......。

 こんなとき、だれに、どこに、相談したらいいのでしょう。

 自分のことばかりでなく、ときには家族の問題で苦しむこともあります。父親のアルコールの飲み方、弟が引きこもってゲームばかりしている、母親がカードで高額の買い物をし、消費者金融からの借金が発覚して父に暴力をふるわれている、こんなとき、どうしたらいいのでしょう。

 そんな人たちに対して「カウンセリングに行く」という道があることは、意外に知られていません。

 

(このあとは医療機関とは異なる相談機関としてのカウンセリングについての説明が続きます)

 

信田さよ子さんの原宿カウンセリングセンターの場合、たとえばこんなテーマを扱っているそう。

  • 夫婦関係、親子関係、その他の家族関係
  • 職場の人間関係、学校人間関係、恋人関係、その他の人間関係
  • ED(摂食障害)、AC(アダルト・チルドレン)、共依存
  • DV加害者、DV被害者
  • 親への暴力被害者、親への暴力加害者、虐待加害者、虐待被害者
  • 子育ての悩み、不登校、引きこもり、うつ、自傷、アルコール問題、薬物依存、ギャンブル、借金・浪費、PTSD、性被害、性加害、生き方、、

(わたし自身は原宿カウンセリングセンターに行ったことがないので、推薦しているわけではありませんが、信田さんの著書は何冊も読んでいます)

 

 

 

 

それから、友人でカウンセラーの高橋ライチさんの扱うテーマの一部はこんな感じ。

人生全般

  • 人生の目的
  • ライフワーク人生設計

対人関係

  • 親との関係
  • 子どもとの関係
  • 夫婦関係
  • 家族の問題
  • 対人全般

パートナーシップ

  • 恋愛不全・恋愛依存
  • セックスレス
  • セックスが苦手
  • 自分の女性性を受け入れる・楽しむ
  • 不倫問題
  • 離婚・離婚後の自己回復

生活

  • 家事のストレス
  • 食・睡眠・運動など
  • 生活習慣の改善

仕事

  • 仕事の悩み
  • 仕事のブレストや企画、進行管理など頭の整理
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内面

  • 性格・欠点・陥りがちなパターンを変える
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  • 過去のトラウマを癒す

 

 

 

「自分の悩みはそこまで名前がつくものではないけれども、何かモヤモヤが晴れない」「いつも同じパターンに陥ってしまって苦しい」「友人にも相談できない・してもどうにもならなかった・むしろ傷ついて悩みが深くなった」というようなときは、その話が、友情から親身に聴いてもらえる範囲を超えているのかもしれません。

 

聴くや課題解決のトレーニングを積んだり知識を持っていない人は、望まないアドバイスや励ましや願望の押し付けをしてしまう場合もあるし、「重い話」だと聴く方も話す方も心理的負担になることがある。いつも同じ話を聞かせて申し訳ない、という気分になることもあるかも。

 

仮にトレーニングしていて知識をもっている人でも、友人が相手だとどうしても「なんとかしてあげたい」と思ってしまうかもしれない。

 

 

もちろんカウンセラーも人間なので、相性の合う合わないがあります。

「よきカウンセラーに出会えることは人生の宝」と言ってもいいぐらいだと思っています。

 

 

 

感情的な安全性のある中で本当に思っていることを話せるって大切なことです。

 

 

 

ずれるかもしれないけれど、少し広げると、専門家とは、そのテーマで世界を見渡し、収集して経験して蓄積して、仮説と検証を日々繰り返して感性を磨いているので、見通しがつけられ助言ができる人である、とわたしは思っています。

 

そして相手の話だけを集中して聴く、全部の自分をつかって聴くというのは、会話とは違って不自然な状態です。その「不自然な」聴く器としての機能を一定時間、来談者のためだけに確保する約束ができ、実行できるというのは、やはり専門家やプロ、お仕事として聴く人なのではないかなぁと思います。

 

専門家に「それはよくあることです」とか「それにはこのような名前がついています」と言ってもらえることで、安堵するということはある。「わたしだけじゃないんだ、わたしが悪いんじゃないんだ」ということが救いになることも。

 

 

深い悩みを持っているけれども誰にも相談できず、孤立してしまい、本当は望まないほうへ足を踏み出してしまったり、そこから抜けられなくて苦しんでいる人の話を見聞きするにつけ、「カウンセリングがもっと身近になるといい」とつくづく思うので、書いてみました。

 

カウンセリング以外の人と人とのつながりの中で解決されていくのであれば、それはそれでよいし。でもそれがない場合にはカウンセリングがあるよ、と言いたいです。

 

なんとかつながって、そして生き延びてほしい。

 

あなたには力があるから。

生きることが祝福されているから。

 

 

 

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★小学生以下のお子さんがいるお母さんの人には、20分オンラインで無料で聴いてもらえるリスニングママ・プロジェクトをどうぞ。わたしが個人的に応援しているプロジェクトです。

https://lis-mom.jimdo.com/

 

 

★原宿カウンセリングセンターは性別問わずです。

http://www.hcc-web.co.jp/

 

METオペラ「サムソンとデリラ」がよかった話

先日の「アイーダ」に続き、今季どうしても観たかった「サムソンとデリラ」にも行ってきました。 

今季のMETライブビューイングのラインナップはなかなかよいです!

https://www.shochiku.co.jp/met/

 

はじめてご覧になる方は、「カルメン」や「椿姫」など有名な演目もあるので、ぜひ体験していただきたいなぁ。

 

METライブビューイングがおもしろい話についてはポッドキャストで話したこともあるので、ご興味あれば聴いてみてください〜 32:54からその話してます。

第11話 ひょっこり動物感: 週刊ことほぎラジオ

 

わたしはこのあとは「マーニー」を楽しみに。映画とオペラの融合?解説以外で出演しているレナードを観てみたいのと、なんといってもファッションに注目。15着もお色直しですってよ!幕間にインタビューがあったのですが、イメージボードが素敵だった。

 

同じくレナードが出る春の「カルメル修道女の対話」も期待してます。

 


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先日ムンク展がよかった話で書きましたが、予習しているとたくさん受け取れるので、今回はいつもより気張って予習しました。

 

まずは聖書。去年勉強していたので、おびただしい付箋つき。

 

サムソンについて書かれたのは、旧約聖書の「士師記」の13-16節が該当します。そのまま読むと、誘惑する女&破滅する男...歌舞伎や文楽で言うところの「傾城」かな。洋の東西を問わず、やっぱりおもしろい(かった)のかな?

3回うまくいかず、4回目でバーン!とくる、この繰り返しは昔話の形式。読み聞かせをしたりするとここはけっこうおもしろいのかもと思ったりしました。

が、それ以上は思考も想像も進まず。なぜここをフィーチャーしたのか、オペラを観てみたらわかるかも。

 

次はYoutubeで「サムソンとデリラ」で検索してとにかく聴く聴く。音楽を入れておくと、その場面になったときの情景の立ち上がり方が全然違ってきます。

「バッカナール」はフィギュアスケートでよく聴く曲で、宿敵サムソンを捕らえたことに狂喜するペリシテ人の饗宴シーンでバレエダンサーが入ってくる場面。曲をよくよく聴いて、オペラ動画も観てみて、実際の演出はどんなだろうと楽しみになりました。

 

 

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で、当日どうだったかというと、いろいろと、いろいろとありましたが、、、

まず衣装!!衣装が最高に美しい。METのコスチュームデザイン展とかあったら行きたいし、写真集があったらほしい。もう眼福とはこのことです。

あれもこれも着てみたい〜 描いてみたい〜 一日中眺めていたい〜 一瞬一瞬を音と共に目に焼き付けたい〜 とたいへんな騒ぎでした、わたしの中で。

 

それからなんといっても、もうこれさーR15じゃないのか?!というとっても官能的な舞台でありました。振り切れてて楽しかった。

ガランチャもアラーニャも、酸いも甘いも嚙み分けた大人の色気たっぷり。

オペラ歌手ってこういう表現をどうやってトレーニングしているんだろう?と知りたくなりました。相当いろんなことをしているはず。。

 

「バッカナーレ」の男性ダンサーの肉体美をフィーチャーしているところも、もうなんか...ひえー...ってなりながら凝視してました。ああいう酒池肉林かぁ。ううーん、美しかった。

 

にしてもいくら異教の神だからって、真っ二つはなかろうて...というダゴン大仏...。

 

いろいろと斜め上いっててよかったです。

 

 

去年「椿姫」を観る会をひらいてから、何人かMETライブビューイングの話をする仲間ができたので、観るとそこで感想を話せるのが楽しいのです。「こういう話ができる仲間がほしい!」と思っていたそのままの、いやそれ以上のつながりが自分に今あるのがうれしい。感謝。

 

 

 

直後のツイートメモ。

 

 

 

アイーダ」のときに、ガランチャが幕間にインタビューに出ていて話していたこと「役に新しい解釈を加えたい」や、今回もインタビューで「神や宗教、社会が違えば、もっと違う人生が二人にはあったかも。役にはより優しく豊かな人間性を与えたい。悪女は見飽きたでしょ(笑)」と話していて、そして実際に舞台の上で彼女の解釈を観せてくれて、ああ、好きだなぁと思った。そういう演者の姿勢が。

 

考えてみれば、演者や演奏者というのは、その作品の最高の研究者なのだよね。

すばらしいおしごとを観せていただいたように思う。

 

 

 

他にわいてきた感想をつらつらと箇条書く。

 

・「ろくでもないことをしてしまうけれど、だいじょうぶ。あなただけじゃない」と言ってくれている。

・MET歌劇場で生で観てみたかった

・オペラも能のように徹底的に主観的に観て、自分が救われるために使えばよい

・「恋をしましょう、姉妹たち。いつも恋を!恋をしましょう」のシーン美しかったぁ。

・アラーニャの"I love to sing!"とにこやかで真っ直ぐでよかった。正直さっていいな。

・「アイーダ」の幕間インタビューで、アラーニャが「目が塞がれているから石臼をどのぐらい回せばいいのかわかんなくて困った」みたいな話も頭に入れながらみているとたのしかった。シーズンを通してみているとこういうお楽しみにも会えるのか。

・ガランチャは去年「薔薇の騎士」で観て、若い男性の役だったから、ちょっとタカラヅカ的に観ていたんだけど、今回の成熟した大人の女性そのままでどきどきした。

・2幕の掛け合いはほんとうに辛いのだけれど、支配とか暴力の現場で起こっていることそのままという感じで、非常に現代的だと思った。試す、巧みに聞き出していくところがスリリングでもあり、目を覆いたくなるほど辛くもあり。

・デリラも操られている、たきつけられている、煽られている、怖れを注入されて、自分が「憎しみ」そのものになろうとする姿。

「わたしの心を痛めつけるのはやめてくれ」

「わなたは変わってしまった。変わらないのはわたしだけ」

「わたしを責めるのか。君のために心のすべてを話しているのに」

「心を偽っているから」

「君の幸福と心に秘めている秘密は関係ない」

「わたしを責めるの?」

・明るい曲調なのに歌の内容はえげつなく暗く、反対に暗い曲調なのに歌の内容は気味が悪いほど明るく、そのギャップに震えた。

・ガランチャのインタビューでなんの話だったか、オペラ?歌?芸術について?「ハチミツやオイルの代わり。川。この世界の一部になれる」

・自分の神のために正義を尽くすことは、相手の神を冒涜することにもなり得る。

・ライティングや衣装や大道具小道具に、赤と青のテーマがあったかな。

・最後の終わり方がオペラ版?この演出?ではよくわからないので、士師記やっぱり読んでいてよかった。

 

 

あとはこのレビューもよかったな!

forbesjapan.com

 

 

カーテンコールでは自動的に涙が出てしまう。

役を全うしたあとの安堵や仲間とのつながり、観客の芸に対する惜しみない拍手、愛に包まれる時間。

 

今回もよき鑑賞体験を、生きる力と希望を、ありがとうございました!

 

 


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子への愛が描かせるのだ!

スタイリングの会を一緒にやったりしている、ナカオクミさんが講師をつとめる、「秋の『我が子を描こう』上手い絵よりいい絵を目指すスケッチ会」に参加してきました。

wagakosketch3.peatix.com

 

前回がとても楽しかったので、今回もぜったい参加するぞー!と募集が出てすぐ申し込みました。

 

前夜に写真をピックアップしようとアルバムを見ていたのですが、どれもかわいくて選べない〜!となってたいへんでした。

全生き物の中で息子が一番好き!

赤ちゃんの頃に遡って、かわいいなぁ〜かわいいなぁ〜とため息つきながら(息子にもういいようるさいよ、とあきれられながら)、なんとか30枚に絞って当日現場で決めることにしました。

 

 

あー楽しかった!!楽しかった〜!楽しかったなぁ!
皆さんのお子さんへの愛がいっぱいで、ほくほくぬくぬくでした。

夢中で描いていたら、90分があっという間。

 

 

「上手い絵よりいい絵を目指す」

「親だから描けるこの子の個性、いましか描けない愛しさ、そんな写真以上の思い出を一緒につくりませんか」

という呼びかけがクミさんらしくて、終始あたたかな気持ちでいられました。

 

 

きょうは鉛筆、竹ペン、割り箸、チャコールペンシル、ダーマトグラフ透明水彩パステル、クレヨン...といろいろチャレンジしてみました。

紙もいろんな材質、厚み、色、手触り、サイズのものを試せました。同じパステルでも白にのせたときと、色付きの紙にのせたときではぜんぜん変わってくる。組み合わせは無限大でおもしろい。

 

あーまちがえたぁ...と思っても、乾いたり時間をおいて見ると、あら...味わいがあるわネ...と思えるのはほんとうに不思議。

 

写っているものを全部描かなくてよくて、全部の線を取らなくてよくて、全部の色を塗らなくてもよくて、もうここ!ここがね!かわいいの!愛おしいの!というところにちょん、と色を塗ったり、線でなく色で説明したり、ということの意味がやるたびにわかってくる感じ。

 

たとえばもう亡くなった犬を一緒に描いてみたり、別々に写っている家族を一緒に描いてみたりの合成もできるのが絵のよいところ。

 

最初の1、2枚はどうしても漫画や塗り絵っぽくなるんだけど、少しのってスピードが出てくると、迷いのない線がスッとひけるようになる。おもしろいなぁ。

 

写真を見て描くのは、子どもはじっとしていられないからという理由もあるだろうけれど(そういえば聞いたことがないわ)、この瞬間の我が子を撮り収めたい!という思いで撮った写真から、さらに絵に起こすと、そこにはもう凝縮したエッセンス...つまり愛の熱やきらめきしか残らない...。

 

それを見ていてあたためられるのだろうなぁ。

皆さん、普段は絵を描かないとか、ちゃんと絵を描くのははじめてという方も、うそでしょ?!と言っちゃうぐらいお上手で、すてきな絵ばかりでした。

その子と過ごしてきた年月があるからこそ描ける表情や仕草にぐっときて、なんだかきょうは涙腺ゆるかった...。

 

息子に見せたら、ふーんという感じでしたが。

まぁこれはわたしの満足のためなので、うん、いいのだ!

 

次回も楽しみです。

 

 

きょうの一枚は左下のピンクの紙のもの。描けてうれしい。

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知って変わった!人物写真をもっと撮ってみたい!

先週、知れば変わる!人物写真が得意になるスマホ写真講座 をひらきました。

portraitbysmartphone.peatix.com

 

 

募集をはじめてからこちらも書いて、迎えた当日。すごーくたのしかった!

江戸東京たてもの園に行くのが実に18年ぶりだったので、たてものをみるのも楽しかった。

あの頃は前川國男を知らなかった。
田園調布にも行ったことがなかった。
ガラケーの写真はデジカメに遥か及ばなかった。
18年のあいだにいろんなことがあったなぁ。

...など思い出したり。

 

 

▼こんな感じで撮ったり撮ってもらったり。

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▼すてきに撮ってもらった!!

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▼思い通りに撮れた二枚!

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▼建物も撮ってみたり。

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▼小物も撮ったり。

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▼たてもの園のガイドの方に撮っていただいた。う...上手い...。

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いろいろ書こうかと思ったのですが、ガイドしてくださったさっちーさんとしゃべってみることにしました。そっちのほうが楽しそうだから。

動画配信なんてはじめてとビビるさっちーさんをあれこれ言ってたきつけ、出演していただきましたよ。ありがとう!

 

youtu.be

 

 

さっちーさんの親切丁寧なレポートはこちら!これで復習します〜!

sachycamera.com

 

うん、楽しかったな!

来てくださった方も、とても楽しんでくださってうれしかった!

もっともっと人物写真を撮ってみようと思いました。

 

 

こんなふうに、ふと切実に必要として、声をかけて、一緒に、看板やメニューには出していないようなことをどんどん場にして、つくるのもやっていきたいなぁ。

 

ありがとうございました!

 

 

 

▼打ち合わせメモ
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映画「メッセージ」と時間の話

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夏のことですが、映画「メッセージ」を観て語る会をひらきました。

それをしたことが今年の後半のわたしにはとても影響が大きかったのです。

 

今まで知っていた時間の流れ方と異なる「時」があり、そこでは物事は同時に起こり、しかも矛盾がない。辻褄というものがない...という時間を扱う映画だったと思っているのですが、違ったらすみません。

 

 

見てみんなで感想をしゃべってから、ずっと不思議な体感が続いています。

 

今はわからなくてもあとでわかる、

先で起こったことは実はもっと前に起こっていたことだった、

ぜんぶこうなるとわかっていた、

過去に喪ったように思えても、実はそれは永遠の喪失ではない...

...ことをありありと感じるようになったのです。

 

その直後にお盆で帰省して、分断された過去とつながる非日常を過ごしたのもあり、ますます「時間」というものを考えるようになったから、というのもあったかな。

 

あのときは「こちら側」からしか見えなかった景色が、いつのまにか自分が「あちら側」に立っていて、こちら側を見ているということもある。

それでようやく理解できたこともたくさんある。

例えば、教わっているだけではわからなかったけれども、教える側に回って見えることがあるというようなことです。

 

こういう四字熟語あるのかな?

時間を超えた贈り物が、なんども巡ってくるようなこと。

 

ずっと不完全で未熟なまま生き長らえているからこそ、「わかる」っていうのは、有難いことだと思えるようになったり。

 

 

とにかく宇宙を経由して時間差で届くことが最近やたらと多い。

 

リブトビを一緒にやっているちほさんにも同じことが起こっているようで、「過去からの宅急便を受け取り続け、未来に向かって宅急便を出し続けている」と表現していた。ほんとうにそんな感じ!

 

 

SFってもしかして人間を生きやすくするための聖書なのでは!

 

 

 

この体験は、わたしが場をひらく・営むことにも大きな影響を与えています。

自分と相手と場を今までとは違う次元で信じられるようになってきました

スケールを大きく捉えることができて、時間の有効性を信じられる。

自分の人生の時間よりもっと大きく、数十年、数百年、数千年...とか。

宇宙を経由して、時間差で届く。

数年後、数十年後。もしかしたら明日。

自分の生きているあいだに出会うのは奇跡かもという気さえしてくる。

 

 

そうはいっても三次元で、限りある肉体を持っている生命体として生きているので、この命の残り時間をどこで、だれと、どう使うかということにも目が向くようになってくる。

 

 

時間の不思議。

 

 

ひらいてよかったなぁ、この上映会。

 

そのとき話した感想は特別すぎるので、今は書かないことにしました。

 

 


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【受付中】冬至のコラージュの会、ひらきます

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*12/19現在、満席です*

 

暦の節目につくるコラージュの会。
今回は12/22(土)冬至の日に執り行います。

はじめての方には今までにない新鮮な体験を。
何度かつくったことのある方には、より自分が確かになる体験を。
わたしは皆さんを3時間半、心を込めてガイドします。

「今わたしにはこれかもしれない」という気がしたら、どうぞご自身の直感を信じておいでください。

 

*****


雑誌やチラシや写真を切って台紙に貼り付けていくだけの、だれでも気軽に楽しめるコラージュです。


頭の中でもわもわしている好きなこと、したいこと、ほしいもの、行きたい場所。

あらゆる制限をとっぱらい、直感を頼りに写真や絵や文字を切り貼りしているうちに、
今の自分の状態とこれから生きたい世界の様が、おぼろげながら形をとってきます。

無心で集中する心地よい時間です。

 

制作のあとは発表会。自分では理由もわからず貼っていたものにも、他の参加者からの感想や質問により、一つひとつのパーツに大切な願いが込められていたことに気づきます。

 

会が終わる頃には、作品にあふれる自分らしさを愛おしく感じることでしょう。

暦や季節の節目に作るとよりパワフル!今回は《冬至》です。
2018年をコラージュでふりかえってみませんか。

 

前回・秋分のレポートもご参考までに。
http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/09/23/215344

 


★今回は、ご自身が使う雑誌を1〜2冊選んできていただこうと思います。そのココロはふたつ。

①こちらでも用意しているものはありますが、ファッションやライフスタイルの雑誌ってその人それぞれの好みが出るものなので、ご自分でしっくりくるものが一番いいだろうなぁということがひとつ。


②もうひとつは、最近あまり雑誌って買わない方が多いと思うので、目的をもって選んでみるときっと楽しいのではないかと。雑誌ってこんな楽しい世界だったのか〜という発見を事前にプレゼントしたいと思っています。青山ブックセンターなどの大きな書店は雑誌も充実しているので、自分にぴったりくる一冊を探すのは楽しいですよ。


★遠方の方は、Zoomでもご参加いただけます。その場合は材料をご自分でご用意いただくことになりますが、事前ワークや制作、制作後の共有すべてご参加いただけます。準備するものはご連絡します。

 

ご参加お待ちしております!

 

 

-------くわしいこと-------

 

▼日時
2018/12/22(土)冬至 13:30~17:00

 

▼会場
台東区谷中の会場(お申し込みの方にご連絡します)
東京メトロ千駄木駅またはJR日暮里駅から徒歩7分
②Zoom (お申し込みがありましたらオンラインルームを設定します)

 

▼参加費
①谷中会場 5,000円(おやつ付)
②Zoom 会場 3,500円

 

▼定員
5名(会場、Zoom共)

 

▼持ち物など
・B4サイズのコラージュ作品を持ち帰るための袋やバッグ
・雑誌1冊。雑誌はこちらでもご用意していますが、ファッションやライフスタイルは好みがはっきりとあるものなので、できればご用意いただくといいかと思います。
・その他雑誌の切り抜き、写真、ポストカード、チラシ、マスキングテープ、シールなど、自分の制作で使いたいものがあればご持参ください。(雑誌、はさみ、のり、マスキングテープはご用意します)

 

▼注意事項など
集中してワークに取り組むため、保育の必要なお子さんは信頼できる方に預け、単身でご参加ください。


▼進み方
お互いのことをちょっと知る

キーワードから物語るワーク

コラージュを作る

発表・こんなの作ったよ

あーだこーだ感想を話す

きょうどうだった?

 

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★申込み★
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下記フォームの「お問い合わせ内容」に「冬至のコラージュ参加希望」と書いてください。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/97f33a63303170


キャンセルについて:
2日前までのキャンセル -->無料   
前日のキャンセル -->参加費の50%   
当日のキャンセル-->参加費の100%   
をお支払いいただきます。

 

★ガイドプロフィール
舟之川 聖子(ふなのかわ せいこ)
場のツアーガイド・守人・相談員。関係や交流を大切にする場とつくりたい人をサポート。コラージュ製作の場を催して7年目。他に読書会や映画・舞台・美術展の鑑賞感想会で、人の生み出す表現にふれることを通して、自分の中にある美の感覚にふれてみる、自分の美を表現してみる場づくりを研究中。

 

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言葉であり歌だからこそ(競技かるた体験会)

今週はUmiのいえでの競技かるた体験会がありました。

ひらいた経緯などはここに書きました。

 

参加してくださった3名はどなたも競技かるたははじめて。

 

いつものように百人一首の成り立ちやつくりやユニークさ、歌人のこと、競技かるたになるまでの1,000年の歴史をつまみながら解説しました。

そしてまずは並べてみて、一字決まりから取りながら、やりながらルールや取り方、どうなると勝ちになるのか、を少しずつ知っていってもらいました。

 

決まり字のこともピンとくるまでには時間がかかります。一度に覚えられるのは最初は4枚程度。どの決まり字の札がどの位置にあるか、決まり字を言いながら、指差し確認を何周も回してから、ランダムに読み上げて取ってもらいました。

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覚えて→狙って→手を出す→取れた!!!の繰り返し。

かるたを取るというとどうしてもいろはかるたのような、「書いてある字と音をつなげる」というイメージがあるため、上の句と下の句のつながりで取る感覚をなんとなくでも身体に入れてもらえるとよいです。ちょっと不思議な感じがするのがおもしろいはず。

 

-「ちはやふる」の漫画や映画で知っているから、「ちは」なら取れた!

-払い手をやってみれた!

-脳の違うところをつかった!つかれた!

などなど、2時間たっぷりお楽しみいただきました。

わたしも楽しかった!!

 

 

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競技かるたの体験講座は今年に入って数回やらせてもらっているのですが、毎回違うことを発見しています。今回はこんなことを。

(講座そのものがこうだったというより、講座をやってみて想起されたこと、という感じです)

 

 

 

未知との出会いには、楽しさだけでなく不快の感覚もあると思います。それとしばらく付き合ってみたところにふいに訪れる、「!?」の感覚を面白がれるといいなと思いながらわたしはガイドをしています。

 

競技かるたって、今までやったことのある何とも結びつかない未知のものかもしれない。

 

いつも書いていますが、わたしは教育普及的な理由、つまり、競技かるたのおもしろさをもっと多くの人に知って、競技かるたを始めてほしいと思って講座をやっているのではないです。もちろんきっかけになったらうれしいけど。

 

それより、未知を安全に体験することで発生するもの、その人の中で起こることや、一緒に体験した人との間で起こることが大事で。

わたしが取り扱いやすいから競技かるたを使っているのと、競技かるたが持っている特別な性質と文脈・歴史によって、体験が多様で重層的になるという点がよいからです。

 

だから、「競技かるたをやってみたいから講座をやってほしい!」と呼んでいただけるのはありがたいのです。

 

うーん、うまく説明できてる気がしないな。。

 

 

 

 


競技かるたの実戦を教えていて興味深いのは、ある種の「反感」「反発」が生まれるところです。

「小さい頃に家族と(あるいは学校で)やっていたやり方と違う」

「取り札を見て上の句(決まり字)がわからないとどうにもならない」

「出札と同じ陣を全部払ってもお手つきにならないなんて」

 

ずるい、美しくない、信じてたものが崩れる......。

  

こういう感覚、わたしにはすごくありましたねぇ。

 

他のスポーツではあんまり起こらないと思うのです。

ラケットにボールが当たって、コートのラインの中にボールが入るようになる。
そうしないとラリーにならない。
ラリーにならないとテニスの試合が成り立たない。
だから、前提・基礎の練習をする。

 

ところが、競技かるたの試合を成り立たせるにあたってのルールの把握や決まり字の暗記、隣の札ごと一気に払う、、というところで、「えええ?!」となってしまう。

それはやはり「言葉・歌である」ということに尽きるんだはないだろうかと思います。

 

札を見て、字を読む、言葉から感じ取る、歌を聴く。

それ以外のやり方で接することがないので、頭や心の中で混乱が起きる。


ひと通り混乱しきると、だんだんと受け容れられて、おもしろくなってくるポイントも見つかることもあります。

でも、それだけ札に書かれた歌や言葉というのは、大切な思いを込めたものなんだなぁとあらためて思います。ただの厚紙じゃないのよね。

 

そういえば、最初は激しく払う様子が暴力的にも見えて辛かったこともあったなぁ...。

 


でも競技をするようになってからも、わたしにとってはかるたはずっと歌にかわりはないし、歌でなかったらこんなに夢中にならなかったと思います。

無粋のように見える先にある深遠な競技かるたの世界のことも、どうにかお伝えできるように、もっともっと精進したいなと思いました。


競技かるたがカードゲームの延長ではなくスポーツで、競技者がアスリートだというのは、このぴりりとした空気を生で感じてみないとぴんとこないかもしれないです。

Youtubeに動画もたくさんあがってるし、映画もあるけれど、スローモーションも入ってるからどこかフィクションぽかったり、修正して見てしまうかもな...。


とはいえ、生で見る機会も教わる機会もなかなかないので、こういう講座をやったときに来てもらえるとうれしいのです。

 

べつに競技かるたをはじめなくても、好きにならなくてもよくて。必死に音と札と身体を結びつけようとしてひらかれる回路に気づいてみる。

へぇ、こんな世界があるのか、こんなことに取り組んでる人がいるのかとかなんでもいいので発見があってそれを口にして、みんなで分かち合ったり、おもしろがったりできればいいなぁと思っています。

 

特にUmiのいえでやるときは、かるたを通じて変化していく身体とこころのことを話せるといいなぁと思う。

 

 


次回Umiのいえでは2/20水の午後です。ご予約受付中。

coubic.com

 

PTAに[子どもの話を聴くコツ講座]を呼んでみた経験をZoomで話します

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「子どもの話を聴くコツ講座」は、リスニングママ・プロジェクトという母の聴く力・聴いてもらう力をサポートするNPOが提供している講座です。


プロジェクトが自主開催したり、幼稚園〜高校のPTAなどに出張してひらいています。ご参考:https://ameblo.jp/lis-mom/entry-12360237370.html

中高向けには思春期版もあるらしい!

 

 

わたし・せいこは今年度、子どもが通う小学校のPTAの委員になり、この講座をお招きしました。


それがすごくすごくよかったのです!
ほんとうにやってよかったと思いました!!

 

話を聞くことは、子どもたちの成長にとって大事だな、聞いてあげなきゃな」と思いつつも、日々の生活の中では、なかなかじっくり聞くのが難しいと感じている方もいらっしゃるのでは?
-気持ちに余裕がなくて、「あとでね」が口ぐせになってしまう
-尋ねても子どもが話をしてくれない
-自分が興味のない話を聞くのが辛い
-きょうだいがいるといっぺんに聞けない
そんなお悩みに「聴くプロ」のカウンセラーがコツを伝授します。

 

そうしたら、「まさにうちこれなんです!」という方が、講座が終わってから「これをやればいいんだとわかった」「さっそく実践してみたら子どもとのコミュニケーションが変わった!」と目をきらきらしながら感想を聞かせてくださいました。

 

うれしくて、うれしすぎるあまり、この体験、つまり、
・講座はどんな内容
・何がどうよかったのか(わたしにとって。みんなにとって)
・どうやって実現したのか(企画書、段取り、呼びかけ方、PTA内のコミュニケーション)
などをだれかれ構わずシェアして、

 

・これから呼ぶことを検討中のPTAの方
・これから講師を務めることを検討中のリスニングママ・プロジェクトのリスナーさん
・なんだかいい気分になりたい方
のお役に立てたらいいなぁと思い、この会をひらくことにしました。

 

お昼ごはんを食べながら楽しく聞いてください^^
どうぞよろしくお願いします。

 


★参加方法
[ ライブ参加 ]
オンライン会議システムのZoomを利用します。当日時間になりましたら以下のリンクから会議室に入ってください。
https://zoom.us/j/753124862
事前にアプリをDLしておいていただくとスムーズです。

 

[ アーカイブ視聴 ]
録画してあとからでもみられるようにアーカイブします。期間限定にしようと思います。シェアURLが決まりましたらここに追加します。
>>こちらで期間限定で録画を公開しています。(11/27追記)

※遅刻早退、中抜け、チラ見して閉じる、飲食ぜーんぶOK、発言しなくてOK
※録画するので顔出しNGの方はビデオOFF、ミュートなど各自お好きになさってください

 


★当日の進め方
・ご挨拶
・せいこよりシェアしたいこと15分スピーチ
・質疑応答
・皆さんでフリートーク

 


★参加費
視聴は無料ですが、もしお気持ちが向きましたら投げ銭をいただけると、わたしのアーティスト活動資金になりますので大変ありがたいです。お賽銭はこちらで承っております。http://ptix.at/huQO7u

 


協力:リスニングママ・プロジェクトのリスナー有志の皆さん(ありがと!)

coubic.com

ポッドキャスト「まにあっくドイツ観光」で競技かるたの話をしました

久しぶりにポッドキャストでしゃべりました!

 

ドイツにお住まいのChika Kietzmannさんのラジオに出演しております。
Chikaさんが「まにあっく」なドイツの観光スポットやトピックを見つけてわくわく楽しんでおられる感じが大好きで、以前からツイッターをフォローさせていただいてました。

 

ご自身でひらいておられるポッドキャストでまにあっくな話をしてくださる方募集〜!とお知らせが出たので、「はいはいーい!Chikaさんとおしゃべりしたいです!」と名乗りをあげました。


1時間ほどしゃべって、15分にすてきに編集してくださってます。

Chikaさん今は博物館と化石を探究中とか。その話は残念ながら入ってないんですが、おしゃべりはとにかく楽しかったです。

 

よかったら聴いてくださーい!

 

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note.mu

 

Chikaさんのtwitter>> 

https://twitter.com/ChikaCaputh

blog>>

http://chikatravel.com/

 

ちがう世界に身を置く、ちがうものに触れる、感覚を観察する(競技かるた体験会)

もうあさってですねぇ。Umiのいえでの競技かるた体験会。

coubic.com

 

 

前にもちょっと書きましたが、直前の気持ちをもう少し書こうかな。

 

Umiのいえで今回担当してくださるスタッフのさとみさん。「ちはやふる祭り」にもきてくださいました。

 

きのうはこんなご紹介をしてくださった。

先週の土曜、ポッキーの日の前日は、聖子さん主催の
「劇場版ちはやふる」を一気見する会に参加したのです~。

私、2年前、「劇場版ちはやふる上の句」をふらっと映画館で観たとき
オープニングの数分で、ドドドと涙が出た経験が。
画面に千代紙のような文様が微かに震えながら流れていく
イメージ映像を見ただけで。

もちろん、その後に続いてみずみずしく紡がれる、
かるたと青春の疾走感が本当に気持ちよくて何回か観ました。
快感のために観ましたな。。。。

あのイメージ映像はきっかけに過ぎないのですが、
監督の手腕がずば抜けていることを感じつつ、
この作品に込められている世界の奥深さにくらくらしたのでした。

ここには、なにかとんでもないものが埋まっている、、、、
そんな気持ちだけ持ち続けて二年。

聖子さんと、Umiのいえでのワークショップでお会いして
ちらっとちはやふるの話が出てきたので、
こんな企画まで発展しました。

感覚を研ぎ澄ませて、身体とつなげていく

(これは松田先生の「身体感覚講座」でずっとずっとやってきたことでもあり)

聖子さんは「精緻に感じ分けていく」「相互理解」ための言葉や理解の手段が多彩。とっても魅力。

競技かるたの体験会です。
ですけれど、何か違うものに触れる、観察する、
違う世界に自分の身を置いてみる会 でもあると思います。

楽しいとおもうよ!!!!!!

 

うれしいな。そうなんですよ、競技かるたの体験会なんだけど、ほんとうにやってみるとどんな感じがするんだろう?という確認をしていただけたらいいなぁと思っています。

 

もしこれをきっかけに競技かるたをはじめる人がいたら、それはそれでめっちゃアツいけどね(笑)。

 

 

こういうおもしろさか!こういう世界か!

Amazing!!!な感覚を共有したいのです。

夢中になって楽しんでもらいたい。

そして間違いなく、ぜったいに、これは楽しい。

 

 

 

競技かるたをやったことがない方、

百人一首の歌をほとんど覚えてない方・知らない方大歓迎です。

そういう方のためにやります。


そもそも、散らし取りや源平戦や坊主めくりはやったことがあっても、「ちはやふる」でやっている公式の競技かるたを体験する機会ってなかなかないと思います。

 

はじめての方向けにわかりやすさを大切にしています。


場所を覚えて→狙って→音を聴いて→相手より速く取る!→取れた!!!の爽快を味わっていただきたい。

 

大人同士が勝った負けたの真剣勝負を通して、自分の中の熱にふれる時間を心を込めてガイドします。お待ちしております!

 

お申し込みはこちら>>
https://coubic.com/uminoie/174356

 

 

 

ちなみに、、11/29(木)には台東区で現役競技者向けの練習会をやります。

9:00-17:00まで5本です。冬大会シーズンに向けて鍛えませんか?

お問い合わせはこちらへ!

 

 

 

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