ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『熱帯魚』『1秒先の彼女』鑑賞記録

早稲田松竹でチェン・ユーシュン(陳玉勲)監督二本立てを観た。
映画の日だから2本観ても800円。最高すぎる。
 

bitters.co.jp



『1秒先の彼女』(2020年)→『熱帯魚』(1995年)の順で観るのがよかった。
源流を辿る感じで。

『熱帯魚』は当時話題になっていたけど見逃し、そのまま月日は流れ。台湾映画祭でも上映あったのに縁なく。

今年の台湾映画祭で観た『台湾新電影(ニューシネマ)時代』か『あの頃、この時』かどちらか(どっちでも?)紹介されていて思い出し、今度見かけたら絶対観ようと思っていた。

1995年頃の台湾映画といえば、侯孝賢『好男好女』、蔡明亮 『愛情万歳』、萬仁『スーパーシチズン 超級大国民』、楊德昌『エドワード・ヤンの恋愛時代』『カップルズ』、李安『恋人たちの食卓』など、台湾ニューシネマのその次の波。当時学生だった私にもその盛り上がりぶりは伝わってきていた。


『熱帯魚』はゲラゲラ笑った。
こういうんが観たかったね!これぞ喜劇!
そして笑ったぶんだけ哀愁もある。『吹けば飛ぶよな男だが』に近い笑い。
戒厳令解除後の拝金主義的な社会で、学歴獲得にあくせくする大人とそれに従わされる子どもたち、そこについていけない人たちの対比と不思議な交流。都市と地方の格差、個人間の貧富の差。過酷な世を風刺して笑い飛ばす。
まるで今の日本を見ているようでもある。既視感......。
「お上品」なニューシネマに汚い・臭いで殴り込みかけた若者(監督)の勢いみたいなものも感じる。

笑いの中にも女性の辛さや旧体質の家族観や地域コミュニティの構造、広くは社会にある女性差別が見えてくる。映画が描き出している。
それを深追いするのでもなく、物語の添え物でもなく、絶妙なところで止めているところが素晴らしかった。
 
誘拐先のおばちゃんがやってる商売が見世物小屋。たまたま最近見たチラシに似たようなのがあった。
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『1秒先の彼女』のほうは、ちょっと気持ち悪さが上回って、手放しでは楽しめなかった。着想はおもしろかったし、旅行では見えない台湾の普通の人の生活が垣間見えてわくわくしたり、『1秒先』から『熱帯魚』に遡る形で二本立てで観たことで原点回帰を目指したことがよくわかったけれども。
音楽もポップで楽しかった。主演のリー・ペイユーの歌もよかった。けれども。
『1秒先の彼女』で感じた気持ち悪さは、ホフマン物語についてのラジオ番組を聴いていて腑に落ちた。人を(特に女性を)動かない人形として理想化することの気持ち悪さだった。
 
今回、『ラブ ゴーゴー』も同時上映していたが見逃したので、またの機会を待つ。
 

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*追記

ユリイカ2021年8月号』の「特集:台湾映画の現在」で、チェン・ユーシュン監督へのインタビューが掲載されていた。インタビュアーは栖来ひかりさん。
まさに私がおぼえた違和感について、インタビューの中で質問してくださっている。
読んでみて、やはり監督の他の作品も観てみたいと思った。特に『健忘村』は「フェミニズム運動映画でもあった」と監督自身が言っているので、気になる。
 
 
*追記*2022.6.20
牟田和恵さんによる記事。私が感じた気持ち悪さはこういうことだ。インタビュー中の監督の反発にもギョッとしたことも思い出した。
 

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2020年12月著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社

映画『耳に残るはきみの歌声』鑑賞記録

サリー・ポッター監督『耳に残るは君の歌声』を観た。

原題:THE MAN WHO CRIED

日本公開日:2001/12/15

 

youtu.be

 

以前友人がアレンジしてくれた、「サリー・ポッターの『オルランド』(1992)を観る会」で、『耳に残るは〜』への系譜の話などした。その後、参加者の一人に、「METライブビューイングで『真珠採り』を観てすんごいよかった」と話していたら、「映画では『耳に残るは〜』が満載ですよ」とDVDを貸していただき、観ることができたのだった。

 


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観終わってしばらく、「耳に残るは君の歌声」が耳に残る。
音楽と映像と、幸せな映画体験。

3頭の馬を自転車で追いかける夜のパリの街、
ロマの人たちの野営地で始まる演奏、
劇場でのオペラ、

やはりこの監督の映像は美しい。

ロマの人たちは馬喰の仕事をしている人もいる。だからここでジョニー・デップが馬つれてやってくる、とわかる。(昔、卒論で調べたことが役に立ったぜ!)


2000年、まだまだミニシアターブームが続いていた頃の公開なので、私の青春とも重なり、映画世界に浸りつつも、俳優さんにも目がいく。
あーあの人、あの作品よかったなとか、同時期にはこれにも出てたのかとか。

だって、
クリスティーナ・リッチ
ケイト・ブランシェット
ジョン・タトゥーロ
ジョニー・デップ
ハリー・ディーン・スタントン
だし。しょうがない、しょうがない。

多言語だったのもおもしろかった。英語、ロシア語、フランス語、イディッシュ語、イタリア語、ルーマニア語、ロマ語。ドイツ語も聞こえたような。

ケイト・ブランシェットが、英語がちょっと訛ってるロシア人の役がハマっててすごかった。色ボケしてるふうで、彼女なりに生き抜くのに必死なところもグッとくる。


ジョン・タトゥーロは両親がイタリア系だから流暢でも不思議はないけれど。Turturroはイタリア語読みすればトゥルトゥッロなのかな。移民として来たときに英語っぽく読ませたのか。。『リーマン・トリロジー』が頭をかすめる。

あと、どうも私の中で1996年の「ポネット」とごっちゃになっていたらしい。お母さんが帰ってくるのを待ってる女の子の話。似てるから観たつもりでいたけれど、そうではなかったことが判明。

 

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NTLive『ジェーン・エア』鑑賞記録

National Theatreの公演が映画館で観られる、NT Live。

今回は2015年収録の『ジェーン・エア

www.ntlive.jp


劇場は、Bristol Old Vic

bristololdvic.org.uk


パンフレットによると、「2016年に創設250周年を迎える」「英語圏で継続的に運営されている最も古い劇場として知られている」、そして、『戦火の馬』を演出したトム・モリスが芸術監督を務めているそう。

伝統ある劇場での『ジェーン・エア』、雰囲気たっぷり。NTLiveのたびにイギリスの劇場を知っていくのも楽しい。

演出は、サリー・クックソン。幕間のインタビューで「自分独自の道を切り開いてきた」という話をしていた。これはおそらくパンフレットの田中伸子さん(演劇ジャーナリスト)の記事にあった、「NTでは女性の演出家が多く活躍しているが、演出家、作家、俳優に関してはまだまだ男女平等にはほど遠い」という話と関係あるのだろう。2021年製作のパンフレットなので寄稿された文章も最新と思われる。NTも努力しながら進んでいるのだな。

 

NTライブのツイッター

シャーロット・ブロンテの古典を大胆でダイナミックに自由と充実感を求めて戦う一人の女性を描く舞台に

・力強く生き抜く女性に勇気が湧く重厚な舞台 3時間半、引き込まれます

期待たっぷりで観に行った。

 

そうそう、観るか迷っている方にはこちらの記事もよいかも。

【限定配信】ナショナルシアター「ジェーン・エア」 | 道草はどちら?

 

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以下、まとまらない感想をいつものようにつらつらと。
内容に深く触れているので未見の方はご注意ください。

 

・不遇な人の切ない恋愛話として描かれることが多かったこの物語、ジェーン・エアという人の生き様を中心に据えた演出。人間と人間とが出会う、さまざまな愛を描いている。連帯もあれば憎しみもある。

・想像以上に今日的なテーマ。女性の自立、男女の対等性、教育や信仰に名の下で行われる虐待、継承される憎しみの連鎖、家族の後ろ盾の有無が左右する人生......。

・私は亡霊が出てくる話だと思っていたけれど、それは間違ってなかったな。亡霊共がうようよしている。

・生演奏のバンドと歌手が出てきて、重要な役を担っていたところは、サイモン・ゴドウィン版『十二夜』を思い出す。神様って草葉の陰であんなふうに歌としているのかもしれない。。

・アスレチックジムのような舞台装置を俳優が坂を上り階段を上り梯子を登り下りし、下を潜り柱にもたれ、と縦横無人に駆け回り、距離や時間や関係性を表していく。

・原作を読んでみたいなぁ。シャーロット・ブロンテ自身の生きづらさが反映されているようで、当時の女性のことをもっと知りたい。幕間のインタビューで、主演の二人がジェーンとロチェスターのセリフは原作をかなり?ほとんど?取り入れてると言ってて、ますます読みたくなった。あの魂からの愛の言葉は鳥肌……。俳優さんが本気で泣いてて迫力があった。

・"It's a girl" が方々から聞こえてくる。その中には失望の色も見える。ナイキのCMを彷彿とさせるよね、と友達のコメント。これ→https://youtu.be/JI1zJ6-SYhU

・ジェーンが引き取られた父方の伯父の妻(血の繋がらない伯母)が、なぜあんなにジェーンを憎んだのか。おそらく彼女が自分というものを持っていたから。何の社会的な後ろ盾も持っていないのに堂々として自分らしくいて、自由だったからでは。自由でいる女は脅威。自分がなし得なかったことをする女は敵。感情を出すこと、我慢しないこと、弁えないことへの強烈な嫉妬と恐怖があったのではないか。

・メイドのベッシーは、伯母の家で唯一ジェーンを可愛がってくれた人だったが、基本は構造の中で生き抜いている人なので、ジェーンにも我慢や服従を勧める。舞台を見ている方は、それは違うんじゃないのと言いたくなるが、彼女なりのやり方と可能な範囲でのサポートにならざるを得ない、それ以外の選択肢を知らないという壁が立ちはだかっていることも感じる。話し方もおそらく「階級の低い人」の英語なのだろう。小さなやり取りでも胸に刺さるところがある。

・親が亡くなって親族に引き取られた先で虐待に遭い、守ってくれるはずの児童相談所や児童養護関連の施設でも暴言や暴力に遭い......となってしまった人の話を聞いたことがあり、ジェーンの生い立ちはとても過去の時代に作られたフィクションとは思えなかった。もちろんすべての相談窓口や施設がそうというわけではない。

・ローウッド学院で子どもたちが規律と命令の中でみんな猫背になってしまっているのが、見ていて胸が痛む。伯母の家とはまた違う地獄。

・大人になって、学院に留まるジェーン。かつて教わったことを子どもたちに教えているがふと、「あの山々を超えていきたい。自由がほしい。ここから出ないと自分を失う。新しい奴隷になってしまう」と逡巡する。Think, Think, Think, Think, Think! What can I do? そしてひらめく。「新しい人たちと新しい環境で働く」!新聞広告を出す!もうここのくだりが最高すぎる。第1幕のハイライトといっていい。

・第2幕の幕開けは、1幕で語られたセリフのラッシュになっていて、お能でいうところのアイ狂言前場で起こったことを説明する役割)のようだった。

ロチェスターの妻・バーサの人生への目配りもあるところが現代的。今の時代から見ればケアが必要な病や困りごとに見える。けれど、当時は精神の病は世間から隠さなければならないものだった......。バーサも、もしかしたら望まない結婚をさせられた犠牲者。適応障害を起こしていただけなのかも。

・バーサのくだりは、源氏物語の玉蔓の段を思い出した。玉蔓に求婚する髭黒の正妻が精神を病んでいて(物の怪が取り憑いていて)、それを隠しながら玉蔓に癒やしと愛を求めるあたり。髭黒が無骨でハンサムではないところなどが似る。

ロチェスターの傷つきの深さも感じられた。身分の低い人&女性に対して横柄な態度をとっていいわけではないけれど、繰り返し語られる言葉や様子に、深い後悔と葛藤と苦悶が見て取れる。「今までよりいい人間になりたい。善良な人間に」またそれを誰かに漏らす、助けを求めることがしにくいという上流階級ならではの、あるいは男性ならではのつらさが想像できて、ほんとうにこの構造は誰にとってもつらいものなのだよな、とあらためて思う。

・ジェーンを支えているものが、幼い頃に「学院」で刷り込まれた信仰にも根ざしているのは皮肉にも思えるけれど、自分の人生に与えられたものをフル活用して、自分の信念を打ち立てていった。不当な扱いに対して屈しない。その「常人からはやや見えづらい」地味なカリスマ性に牧師さんが目をつけて所有しようとする感じも、あるあるだなぁ。「一生僕に従いついてくる者、僕に遣わされた人、僕の目的にふさわしい人。夫婦になれば愛情も生まれる」これは愛とは違うよなぁ。

・ジェーンが妻・バーサの死の報せを聴いて、ここで一旦しっかり悲しむ姿がよかった。その前にもロチェスターとのやり取りの中で彼女に心を寄せるシーンがあるのも。

・犬のパイロットがよかった。人間がこんなに犬を演じられるのか!『戦火の馬』の馬のリアリティを彷彿とさせた。

・悪者も弱者もいなくて、誰にもどこかしら共感ポイントのある描き方に救われる

・何もなくしたところからの再出発。ロチェスターは失明してしまったのかな?失って弱くなることによってはじめて、ほんとうの自分を見せられるというのは悲しいけれども、ジェーンにとってもロチェスターにとっても人生の第3章のはじまりがラストに来ているのは希望に思えた。

・プロポーズの前のすごく真剣で大事なシーンで笑いが起きてたのが残念。そこはほんっとに笑わないでほしかったなぁ。NTライブの観客の笑いのツボは相変わらずよくわからない。

・現状を打破するために結婚する、人生変えたいときに恋愛だと思い込むというのは、女だから男だから関係なくあるものなのかなと思った。ジェーンの言う、「自分の自由な意思から」ではなく、怖れや不安、抑圧や逃避からの結婚はやはりよくない、ほんとよくないよ。

・家庭教師の身分の低さは『サウンド・オブ・ミュージック』に描かれていたな。

・淑女に求められるのが、礼儀作法、刺繍、ピアノ、お菓子作り。家庭教師も語学や数学、歴史といって勉学ではなく、そういうものまで網羅しなくてはならないというくだり。『あのこは貴族』で華子がやっていたなぁと思い出す。「女性も自分の才能を発揮しなければ。自分の能力を生かし、自由な生活がしたい」このセリフの強さよ。1847年にすでにこういう言葉があったのか。

・帰宅してパンフレットを見てはじめて、歌っていたのがバーサ・メイソン役だったと知って驚いた。ロチェスターの妻だ。全く気づかなかった。兄のリチャード・メイソンが「あいつに噛まれたー」と出てくるシーンで、リチャードの向こうに立っていたから、あれ?どうしてそこにいるんだろうと思っていた。歌詞も、「なんでこんな内容なんだろ?」と思っていたので腑に落ちた。
・バーサ(と今ならわかるが)の衣装のドレスが真っ赤なのも、伯母さんちの「赤い部屋」と呼応しているように思える。つまり、「女が閉じ込められているところ」を表しているのでは。バーサは全編にわたって出てくるから、これは彼女の物語でもあるということではないか。バーサであり、伯母さんであり、ジェシーであり、ヘレン(ジェーンの学友)であり、女たちの哀しみが渦巻いている。
・私が個人的に追ってる樋口一葉と重なるところもある。樋口一葉の物語も、今作ったら、貧困の中で夭逝した薄幸の乙女じゃない女性の像が立ち上がってくるんじゃないでしょうか。
 
 

おまけ話①

当日、家を出る前にガスのスイッチを消したか急に自信なくなって、ハラハラしながら見てた。吹きこぼれたり温度が急上昇したら自動で止まるようにはなっているはずだけど、こういうときってそれすらもどうだっけ?とわからなくなる。

よりによってジェーン・エアを観ながら、うちの火事の心配をする!火事が2回も出てくるのに! 結局消して出てたのだけど、ボケッとしてると冬場はあぶないですね。気をつけねば。ヒヤリハット

 

おまけ話②

中学生のときに初めて海外に行ったのがイギリスだった。父にヨークシャー地方のハワースにあるブロンテ姉妹のミュージアムに連れて行ってもらったことがある。なだらかな丘と草をはむ羊がいて、長閑なところだった。イギリスらしく天気がくるくると変わっていたが、夏だったので快適だった。秋冬はとても寒々しいと繰り返し小説やミュージアムの展示で説明されるのが信じられないほど。

あのときはまったくそこを訪ねられたことの意味や価値がわかってなかったが、しかし何十年か経って今「行っておいてよかった、お父さんありがとう」と思っている。今回の出会い直しは、時の贈り物。

 

ブロンテ博物館

www.bronte.org.uk

 

この方のブログ、写真いっぱいでよい。

http://little-puku.travel.coocan.jp/1kaigai/12england/9bronte.html

 

右から2つ目が当時ミュージアムショップで買ったしおり。その隣のピーターラビットのしおりも、このあと行った湖水地方ベアトリクス・ポターの博物館で買ったもの。

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サウンドトラックここで試し聴きできます。

Jane Eyre — benji bower composer

 

ジェイン・エア』(上)(下)(光文社新訳文庫)

 

 

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〈レポート〉11/29 『あのこは貴族』でゆるっと話そう w/ シネマ・チュプキ・タバタ

2021年11月29日、シネマ・チュプキ・タバタさんと、映画感想シェアの会〈ゆるっと話そう〉を開催しました。(ゆるっと話そうとは:こちら

 

第25回 ゆるっと話そう: 『あのこは貴族』

異なる地域、社会の異なる階層で生まれ育ち、それぞれに息苦しさを抱えながら東京で生きる二人の女性が、一人の男性をめぐって偶然出会う。違いがもたらすのは分断ではなく、ゆるやかな連帯であり、解放へのエール。今の時代ならではの青春ドラマであり、人間讃歌の物語です。
 
▼ オフィシャルサイト
 
▼ イベント告知ページ

chupki.jpn.org

 

当日の参加者

今回の作品が東京と「地方」の対比も描いていたので、話題のきっかけになるかなと思い、差し支えない方にはZoomの名前欄に「出身や今居住している都道府県」を表示していただきました。ずっと東京、「地方」から東京へ、東京を経由して「地方」へなど、さまざまでした。

 

進め方

人数が多めだったのと(8名)、それぞれの立場や切り口を少しずつ出していくのが合う作品だと感じたので、ブレイクアウトルームで3部屋に分かれて少人数で話してもらい、その後メインルームで軽くシェアをしながら、少しずつ対話を深めていきました。ブレイクアウトルームのファシリテーションは、舟之川の他、チュプキの平塚さんと宮城さんにお願いしました。チャット欄も活用し、「話しやすい」方法で参加していただきました。


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出た話題

※映画の内容に触れていますので、未見の方はご注意ください。

劇中で具体的な大学名が出ていたせいか、東京の私立大学で幼稚園や小学校から大学まであるところの内部生・外部生の感覚を知る方や、「地方」からいわゆる六大学に入学した美紀のような立場の方、華子が通っていたような私立の女子校にいた方などのシェアがあり、その中における細かなヒエラルキーのことなど、物語背景に肉付けがされました。

そのような経験や感覚を持たない方もいました。お話を聴きながら「へえ〜」という声が上がったり、「わかるわかる」とうなずいたり。このようなやり取りは話題を変えながら時間中ずっと続きました。「その世界」では当たり前の感覚が、一歩外へ出るとまったく通用しない、まさに「棲み分けがされている」ことを皆さんで生々しく体験しました。

「育ちは見かけだけじゃない、食べ方やふとした仕草などに隠そうとしてもにじみ出てしまう。そのあたりの描き方がリアル」

華子の世界にも、美紀の世界にも言えること。こういったことは、「育ち」が「良くない」ほうに入るほうが劣等感が強いのかと思いきや、「自分はまさに華子だった」という感覚があったという方にとっては、「(名家だとかお金があるとかではないけれども)生い立ちの環境から自然と身に付いてしまう習慣や知見、決められた枠から外れられないから自分で道を切り開いてがんばっている人には負けがちで、そこに劣等感を持っていた」という告白もありました。「同じぐらいの階級だと思っていたら、就職や結婚でもっといい家柄の子だったことを知って傷ついたことがあった」など。

「『階級の違いがある』ということに切り込んだ上に、『"苦労人"の美紀に共感が集まり応援され、一方華子のような特権階級は揶揄されるパターン』じゃないところが画期的」

だからこそ湧いてきた感想でした。シェアしていただけてよかったです。

 

出身地、学校、世代、性別……わかる人とは親近感が持てるしつながりやすい、安心感もある。けれど、あまりに強固な所属や同質性を求めると、それ以外のつながりが持ちにくい、逃げられない、辛くなるという話題も出ました。守られもするけれど抑圧にもなる。結婚も、家族も、地域も……。

 

不自然ではと思えるシーンへの感想(美紀が少しいい子すぎるのでは、きれいにまとまりすぎでは等)に対して、原作小説を読んだ方からのシェアがありました。映画だけでも楽しめるのですが、こうして少し補足をもらえると、映画世界に奥行きが生まれます。小説ならではの描写と、映像だからできる表現などにも注目が集まりました。

また、幸一郎の生きづらさへも話が及びました。

「定めにのってあのままいくしかない、『政治家の家』で『男性として生まれたから』逃げられない(と思っている)彼にとって、そこから軽やかに抜けていった美紀や華子は羨ましい存在なのでは」

「普段は完璧に演じているが、池に石を投げ込む幸一郎は少しワルい部分が出ている。(高そうな鯉がいる池に石を投げ込んじゃう)」

「美紀といるときの幸一郎は『ふつうの男の子』という感じ。大事な居場所だったのでは。美紀が言うような『便利に使っている』だけではなかったかも」

「女性だから産むことを迫られる」のも「男性だから家を継ぐ」のもどちらもしんどい。華子の世界の幸一郎の世界は近いようで種類の違うしんどさがある......。

「この社会には、学歴によって「就職」や「結婚」などが規定されるような世界が、階級や地域によっていまだにある、ところもある。しかし一方で、政治や経済の変化、さらに世界を一斉に覆う新型ウィルス感染症の影響で、所属意識や価値観なども世代で少しずつ変わっていっている。そういう今を描いて見せてくれている作品なのかもしれない」というやり取りで最後は終わりました。


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後日アンケートより

「一つの映画を見て感想を語り合うのはとても楽しかったです。原作を読んだ方の補足情報や、ヒーリング効果があったという感想などおもしろかったです」

「ひとりで見終わった時点ではまだ衝撃が言葉にならなくてぼーっとしていました。放っておけばそのまま流れそうだったところをこうやって話してみることで形にできたし定着できたと思います」

視覚障害者のガイドヘルパーをしていて、『普段出会わない(種・階層の)人との邂逅』とそこで新たに得られる気付きが、今後の人生の糧となっていくんじゃないかと感じていた時に、この映画と昨日のトークイベントに出会い、また一歩を踏み出せたような気がしています」

「言葉でなく映像表現を通して、原作の世界を細かく表現した作品だったんだなと、みなさんの意見を聞いて気づきました。小説を映画化するって、ただストーリーを移し替えるだけじゃなくていろいろな表現の工夫やチャレンジングなことなんだなと、映画監督をされている方のお話が具体的でよくわかり、これからますます映画を見るのが楽しみになりました」

お声を寄せてくださった皆様、ありがとうございます。
アンケートからもまた発見があります。他の人と感想を交わすことでもらえるものはほんとうにたくさん。

 

 

ファシリテーターのふりかえり

階級や学歴、ちょっとした差異で上下つけあう世界も残りつつ、所属意識や世俗的な価値よりもゆるやかな連帯を指向する動きもある、という今を描いている作品。

今日のような話を日常の雑談ですると対立構造や劣等感が生まれやすい。こうして映画の感想として話すと比較的違いを違いとして聴ける。過去の痛みも感想に載せれば話せたり、受け止めやすくなる。きょうもまたそれを実感しました。

家や親、学校、会社など、何かに囚われているしんどさから、自他を傷つけたり自尊心を損ってしまう。でも自分ではどうしようもない何かから「そうさせられている」だけで、傷つかなくてもいいんだよと言ってくれる映画なのかもしれないとあらためて思いました。そして、囚われから脱することができるという希望も見えました。

映画の宣伝で「シスターフッド映画」という言葉が出ていますが、それは決して「女性向け」ということではない、誰しも何かしら響く作品だということを私はこの場で共有したかったので、「男性」が参加してくださって、個人としての感想をシェアしてくださったのはとてもよかったです。

今回、いつもより10分増やして70分にしてみたら、ゆとりをもって進行できました。試してみてよかったです。次回も70分の予定です。

 

ご参加くださたった皆様、ご関心をお寄せくださった皆様、チュプキさん、ありがとうございました!

次回は12月下旬の予定です。詳細は近日中にお知らせします。

 

 

 

▼参考図書

原作『あのこは貴族』山内マリコ集英社

 
100分de名著:ブルデューディスタンクシオン」(NHK出版)
「社会の棲み分け」についての名著を解説してくれるテキスト。
紹介ページも参考に。

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/104_distinction/index.html

 

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seikofunanokawa.com

〈掲載情報〉インタビュー 『仕事文脈』vol.19

掲載誌のお知らせです。

2021/11/24発売の『仕事文脈』vol.19に舟之川のインタビューが掲載されています。
ライターの太田明日香さんによる連載コラム「35歳からのハローワーク」です。

私がなぜ今の仕事をするようになったのかをライフイベントと働き方の面から書いていただきました。

とてもよい記事なのでぜひご覧ください。

(私がどうとかってより、太田さんの筆が素晴らしいんです)

 

太田さんの著書『愛と家事』には個人的に大変救われたところがあるので、今回インタビューしていただけて、とてもうれしく、光栄でした。

 

タバブックス
http://tababooks.com/books/shigotobunmyaku-vol19


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今号の特集は「グレーでいること」
特集扉にはこんな文章が。
---
自粛、お願い、自己責任、その先には監視、非難、思考停止
決まりだから、常識だから、そういうものだから、そんなものに縛られるのはウンザリだ
大きく変わった世界のなかで、白黒つけず、グレーの領域で考えるくらしと仕事のいろいろ
---

この号に載っていることがうれしい。

私もめっちゃグレーだもの。
ほかのコラムも読み応えあり。

今、こういう言葉が読みたかった!という一冊。ぜひお手元に。

 

〈お知らせ〉11/29(月) オンラインでゆるっと話そう『あのこは貴族』w/ シネマ・チュプキ・タバタ

ほぼ毎月開催 の〈ゆるっと話そう〉

第25回は『あのこは貴族』

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映画館のシネマ・チュプキ・タバタさんとコラボでひらく、
映画を観た感想をシェアする会です。
ファシリテーターが進行します。
話題や話者の偏り少なく、差別や偏見に配慮します。

女同士のいがみ合いをネタに笑う時代は終わったかも?!
違いがもたらすのは分断ではなく、ゆるやかな連帯と解放へのエールです。
違いを楽しみながら感想を語ってみませんか。

初めての方、ウェルカム!
他の劇場、配信で観た方、ウェルカム!
これから観る方はぜひチュプキさんで!

ご参加お待ちしています。

 

chupki.jpn.org

 

 

本『きみの体は何者か』読書記録

『きみの体は何者か』伊藤亜紗/著(筑摩書房, 2021年)

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これは 『きみがつくるきみがみつける社会のトリセツ 』の第1章 あなたの心と身体のこと にまつわる図書として紹介したかったなぁ。もちろん発刊年がこちらのほうが新しいので全然間に合っていないのだけれど。

 

身体をどう使うか、身体をどう大事にするかという話の前に、これなんだよな〜

 

「その体を自分で選んだわけじゃない」

「きみはその体、一生かけて引き受けなくちゃいけないんだ」

「もちろん、努力して体をきたえ、理想の体型に近づけることはできるよ。勉強をして、学力を高めることもできる。整形手術わや性転換手術を受けることもできるし、遺伝子操作だって技術的には可能だ。だとしても、やっぱりそこには限界がある」

まえがきのここで、そうだよーーとガツンとやられる。やられる、痛いというか、安堵というか。

 

最近仕事で『難病者の社会参加白書』の編集のお手伝いをしたので、エピソードを寄稿してくださった方々のことが頭に浮かんだ。

 

そして、白眉は「体、この不気味なもの」と題された第2章。いや、ほんと体、不気味ですよね!自分でコントロールできないし、振り回されるし、仕組みも不明。そんな体に頼らないと生きていけないんだからなぁ。

 

伊藤さん自身の持つ吃音という特徴を徹底的に分解していく。私は吃音がないし、身近にもいなかった(たぷん、気づいていないだけかも)ので、こうして事細かに当事者から解説されるのははじめてで新鮮だった。そういうことだったのか。

 

伊藤さんがここで吃音を紹介したのは、吃音について知ってほしいということではなく、体について考えるときに「わたしにとっては」これについてシェアすると一番体について話しやすかったからそうした。体に付随している吃音とは何か、それをどう取り扱ってきたのか。

 

そう、これこそまさに、「体のトリセツ」じゃないか。

伊藤さんに『きみトリ』を読んでもらいたいよ〜!

 

『きみトリ』を書くときに、毎日小学生新聞辻村深月さんのコラムや吉本ばななさん『おとなになるってどういうこと?』(これも筑摩書房だ)を参考にした。あのときこの本が出ていたら大いに参考にしたと思う。

本『常識のない喫茶店』読書記録

『常識のない喫茶店』僕のマリ/著(柏書房, 2021年)


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「無礼な人や迷惑な人とは喧嘩していい、出禁にしてもいい」がモットーの喫茶店で働いてきた4年余りの日々が綴られたエッセイ。筆者は喫茶店の店員さんをしながら文筆の仕事もされている。出版当時は両立されていて、現在は喫茶店は辞められて、新しい道を進まれているそう。



すっごいワカル!と思った。

私も不特定多数の個人客が出入りする施設で接客業として働いていた経験がある。お客さんとのよい思い出もあるが、ほとんどトラウマになっているしんどい経験のほうが上回っていて、なおかつブラックな職場で、結局過労から身体を壊し入院したことをきっかけに辞めた。

当時のことは恐怖に近い記憶として残っているため、新しい職をと考えたときに、個人への接客の仕事だけは絶対にしたくない!特に飲食やアミューズメント関係は絶対に無理!と頑なに避けてきた。

もちろんお店や施設によるのであろうが、とにかく接客業の現場で出会った個人客の常識のなさは、想像を超えて凄まじかった。さらに当時は「若い女」ということでナメられてもいたと思うので、より悲惨な目に遭った。



なので、この本に書かれていることは分かりすぎるほど分かる。「迷惑です、お代は結構ですので帰ってください」「もう来ないでください」とか言えたらどんなによかったか。人間らしく働けたかと思う。

このお店はマスターがしっかりとしたポリシーを持ち、店員さんたちを守っているところが読んでいてもありがたい。私が働いていたところの上司は、手に負えなくて助けを求めて呼びに行くと、「そんなあしらいもできないんだ」などと鼻で笑うような人だったので、屈辱は倍になった。



小さなまちに暮らしはじめて、お店の人の本音を聞くことも増えて、個人商店と客の付き合い方について考えることが多い。自分もまた傍若無人な振る舞いをいろんなお店でしてきたことを恥じるし、申し訳ないとも思う。

こういうの(マナーや振る舞いや健やかな距離感)ってわざわざ誰かが教えてくれるものでもないし、身についた習癖に自分で気づいてあらためるしかない。お店の方が胃を削りながら教える一方なのも違うと思う。困った客はいなくはならないので、場を守る人の覚悟や言動が大きいのだろうけれど、それもたいへんだし……うーん……。



本に書かれていることは、全部が全部いいね!わかる!だけでもなく、そこまでやるのは行き過ぎでは…正直引く……という部分もある。ここも人によりまた違った読み方があると思う。

 

 

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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

 2020年12月著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社

〈レポート〉10/29『パンケーキを毒見する』でゆるっと話そう w/ シネマ・チュプキ・タバタ

2021年10月29日(衆院選投開票日の2日前!)シネマ・チュプキ・タバタさんと、映画の感想シェアの会〈ゆるっと話そう〉を開催しました。(ゆるっと話そうとは:こちら

 

第24回 ゆるっと話そう: 『パンケーキを毒見する』

現役政治家や元官僚、ジャーナリストへのインタビューにブラックユーモアや風刺アニメを交えたドキュメンタリー映画。様々な角度から菅政権に切り込みながら、観客に「日本、これでいいの?」と問いかける政治バラエティ。日本映画で初めて現役の首相(公開当時)を題材にした、タブーに挑む作品でもあります。
 
▼ オフィシャルサイト
 
▼ イベント告知ページ

chupki.jpn.org

 

当日の参加者

・全員が〈ゆるっと話そう〉のリピーターさんという、珍しい回でした。それだけこの場が定着してきたということですし、どんな場かが予め分かっているから、政治というやや語りづらいテーマも安心して参加できるということかもしれません。

・選挙の2日前の開催だったので、ちょっとした遊び心で、Zoomの名前表示のところに、ご自身のお住まいの小選挙区名をつけていただきました(差し支えない方のみ)。東京、埼玉、静岡、石川からのご参加で、少しずつその地域の特色なども聞けたのがよかったです。

 

進め方

・冒頭で皆さんにこのようなお願いをしました。「この映画に登場する政治家や政党を支持している等の立場がある方は、可能な範囲で申し出ていただけたらありがたい」と。この映画は「特定の政治家や政党への批判や皮肉」という明確な軸があるため、感想も批判的なやり取りに傾くと予想されます。もしも積極的に支持している方がいた場合には、感想によって傷つくことがあり得ます。予め共有しておいていただいたほうが、ご自身も他の方も居心地よくいられるのではと考えて、このように投げかけました。実際には該当の方はおられませんでしたが、今後も立場を明確にしたほうが話しやすくなるテーマについては冒頭で確認していこうと思います。

・情報量が多い映画で、一度見ただけでは忘れてしまうので、登場人物や流れ、キーワードなどを資料にまとめ、画面共有しておさらいしました。

・一つの輪で話しました。最初のお一人から挙手して話していただき、その話を受けて話したいことがある方がバトンを受け取る形で進めました。発言する方が偏ったときは、発言の少ない方に戻して「もしあれば」とコメントをいただいたりしましたが、ゆるやかでリラックスした中でお話しいただいていたように思います。

 

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▼出た話題

映画について

・日本でこういう映画が上映できることがすごい。できてよかった。

・2020年から2021年前半までの記録、総括という感じだった。ふりかえれてよかった。

・長い間一人の政治家が権力を握ってきたことで分断が生じていった様にあらためてショックを受けた。
・海外の人にもこの映画を観てもらえたら。
・客層について。近くに座っていた60代と思しき4、5人のグループが要所要所で笑っていたおかげで、より楽しませてもらった。学生さんもちらほら。

・アニメーションの挿入でテンポがよかった。アメリカのアイロニカルなアニメ作品っぽい。

・(上西充子さんによる国会解説の場面)今まで国会中継になったらチャンネルを変えていたが、こんなやり取りをしていたとは!「あなたに何を言ってもしょうがない」という気分にさせられるという過程に納得。

・最後の学生さんが出てくるところ、政治に興味があって顔出しして名前も出して発言していて驚いた。そうでない人たちはどのように感じているかも知りたくなった。

・オリンピックまで入れられていたら映画としてもっとおもしろかったかも。

・音声ガイドがよかった(※チュプキさんによると、その作品に入り込めるシンパシーが強い人をキャスティングしているそうです)

・(最後にデータが列挙されるシーン)国政選挙の投票率は日本だけが低いわけでもない? 意外とフランスのほうが低かったり、スイスも低いと聞いたことがある。それぞれに理由がありそう。

・映画にほぼ年配の男性しか出てこない。60代以上のイメージ。


映画から思い出したこと、気づいたこと

・政治のことを考えないような教育を受けてきたことに気づいた。

・自分が60歳を過ぎてはじめて政治に関わらなきゃと思った。国会中継、税金を使ってあんなことをしているとは。

・与党と野党の椅子の配置や話し合い方に工夫できないのか。今のままでは対立構造しかつくれない。

最高裁判所裁判官の国民審査の人の名前の上に×をつけるのは勇気が要る。巧妙ではないか。/もっとわかりやすくならないか

・沖縄では国民審査の回答率が高いと聞いたことがある。(関連記事:https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/849697

・自分も投票はするけど、「どうせこうなるんだろうなぁ」と思いながらではある

・最近は政治についてわかりやすく解説してくれている動画がたくさん出ていていい。→教えてもらえなくても学べる!

・映画を観ていて、そんなに権力っていいものなんだろうか、と素朴に疑問が湧いた。

・選択肢が少なすぎて消去法でしか投票できない

・まずいことやったらタダ働きとかどうか。民間企業などで同じようなことをやったらこんなものでは許されないのに。

・人数が多い党が偏っている

・若い人が立候補しにくい仕組みは変えてほしい

 

話してみてのふりかえり

・政治にまつわるモヤモヤの正体を知りたくて観た。一人で悩んだりしていても見えないところを語ったり、ふりかえったりして、クリアになっていくのがありがたい。

・政治ってやっぱり難しい。でもこうして話すといろんな意見が聞けていい。

・「政治について考える」だと構えてしまうけれど、映画の形式だとシンパシーを持って入り込めるので、観てよかったし、話せてよかった。

・こういう話ができるのはまだ平和ってことなのかなと思う。とはいえ現状に甘んじず、考えたり行動し続けていかないといけない。

 

後日アンケートでいただいたご感想より

・話をみんなで始まる前に、映画の内容や登場人物、発言などを整理してもらえて要点が確認出来て良かった。

また他の人の感想を知ることで、自分にない視点で考えることが出来て良かった。
話すことで不安が和らいだりもするし、政治をタブー視せず語ろうと思えることが出来て、映画の存在そのものも語る場があることも有難い。
とても貴重なひとときでした。政治について、初めて会う人たちと語れることが新鮮。それはチュプキさんを通した出会いという安心感があるからだと、実感。自由に話せる雰囲気が、心地好かったです。遅まきながら目覚めたミイラ状態ですが、若い皆さまの意識に刺激され、やれることをやろうと決意しました。感謝。

 

ファシリテーターとしてのふりかえり

・話題が途切れることなく、様々な角度からのコメントが出て、映画と現実世界を行き来するような時間でした。2日後に迫っている投開票日があったので、いつもとは違うリアリティというのか、エネルギーの集まる場だったと思います。

・私自身も特定の友人以外とは政治の話はなかなかできていないので、このような場は貴重でした。

・政治の話が口にしづらいのは、「政治」と一口に言ってもいろんな切り口があり、人によって関心や理解度や、そもそもの人生の背景が違うからだと思います。政局、戦略、政党、政策、争点、個々の議員の経歴、政治の仕組みなど多岐に渡ります。知識量や理解度、言語化できている範囲などが人によって違いますし、知らなかったら恥ずかしいという気持ちが生まれますし、実際に知らなかったことで話し相手に優位に立とうとされた、という嫌な経験をしている方も多いのではないでしょうか。自分自身の困りごとと社会的立場を出すのもなかなか怖いことです。

・政治とはそのようにとても複雑なテーマだという前提を持ちつつ、しかし「話す方法は確かにある」ということも今回の場で実感しました。映画や本や演劇などの「作品」を鑑賞した人という前提があれば、まずはそこの感想を話すことから始められますね!

・今回の『パンケーキを毒見する』のようなある立ち位置から語られる映画でもじゅうぶんにフラットに話すことはできる。むしろ作品を通したほうが、違う立場や意見を認めやすいのではないかと思います。言葉だけ、概念だけでやり取りしているほうがずっと難しいと思います。

・鑑賞対話ファシリテーターの私としては、ぜひこのような作品を真ん中に対話する文化がそこここに芽生えてほしいとますます思いを強くしました。

 

ご参加くださった皆様、チュプキさん、
場を共につくってくださり、ありがとうございました!

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▼公開記念舞台挨拶

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▼日本外国特派員協会主催  プロデューサー&監督 会見

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▼参考図書

『自分ごとの政治学中島岳志/著(NHK出版, 2020年)
どの候補者、どの政党に投票するかの前に、そもそも政治とは?を、時間がないながらもなんとか自分なりに考えてみたい方に。

 

『中高生からの選挙入門』谷隆一/著(ぺりかん社, 2017年)

段階を追って選挙を考えられるようになっている。大人にとっては今さら聞けないことをわかりやすく記してくれているありがたい一冊。

 

『YOUTHQUAKE: U30世代がつくる政治と社会の教科書』NO YOUTH NO JAPAN/編著(よはく舎, 2021年)

 

 

『25歳からの国会: 武器としての議会政治入門』平河エリ/著(現代書館, 2021年)

「政治の話」の中でも一番よくわかりにくく、高校以来アップデートされにくい部分の話。素朴な疑問、「素人」そこがわからん、ニュースやウェブ記事はわかってる前提で進んでしまっている......というところが解説されている。こういう本を待っていた!

 

『「日本」ってどんな国?――国際比較データで社会が見えてくる』本田由紀/著(筑摩書房, 2021年)

「パンケーキを毒見する」の最終章をもっと詳しくしたような内容。データで突きつけられていく事実に落ち込みつつ、知りたかったことを知れているような感覚。まずはここから。

 

『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。』和田靜香/著(左右社, 2021年)

こちらに感想書きました。人間が二人、真摯な対話を繰り広げているのを同じ部屋で聞いているような感覚。その聞いている自分もいろんな思いや考え、疑問が湧いてくる。メモをとりながらじっくり読むのもおすすめ。

 

『北欧の幸せな社会のつくり方』あぶみあさき/著(かもがわ出版, 2020年)

北欧諸国の投票率はなぜ高いのか。その理由がよくわかるレポート。これが当たり前な社会がうらやましくなる。カラー図版満載で雰囲気が伝わってくる。もちろん「北欧」が理想に満ちているわけでもない。課題もあるし、国により状況も異なる。

 

 

共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』
拙稿「シチズンシップのトリセツ」もよろしくお願いします!

 

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本『女たちのポリティクス』読書記録

『女たちのポリティクス』ブレイディみかこ/著(幻冬舎新書, 2021年)

 

「女性の政治家はなぜ増えないのか」はここ数年わたしに浮上してきたテーマ。

やはりこれは読まねばなるまい。

ネットニュースで見たりやウェブマガジンで断片的に読む。(今やソースがこれなんだなー!)
あの政治家、この政治家をブレイディみかこさんのキレのいい文体がざくざくと斬っていく。
日本からは稲田朋美小池百合子が登場。なるほどなー、こういう見方もあるかー


どんなふうに見られてきたか、どのように意図し、どのように行動してきたか。
誰によって影響を与えられ、誰に影響を与えたか。

時間が経ったから語れることがある。それを通覧できるのはありがたい。

世界の政治事情をさらいながら、女性の政治家についても考えられる。
特に我が国、これからどうなってゆくんだろうか......。

 

こちらもおすすめ

 

本『性教育はどうして必要なんだろう』読書記録

性教育はどうして必要なんだろう : 包括的性教育をすすめるための50のQ&A』浅井春夫、艮香織、鶴田敦子/著(大月書店, 2018年)

 


包括的性教育という言葉を聞いて自分の中から出てきたトピックをはるかに超えた、隣り合う領域と思っていたものまでつなげて解説してくれる本。

たとえば憲法改正草案、戸籍、選択的夫婦別姓、道徳の教科化、等。

企画から出版まで3ヶ月なのに(だから?)、執筆者は27名。
一遍一遍は短いが、ものすごい濃さと切実さで迫ってくる。

眼の前で起こっていることには経緯があり、繰り返されていることがあり、明確な理由があることを知る。

日本における性教育の通史でもあり、人権やジェンダーを切り離された「教科」のようなものではなく、当然の土台として議論していくための提言書でもある。海外の例なども取り上げていて、興味深い。切実なテーマほど視野は広く。

現状がまるで近づいているような気がしない、むしろ遠ざかったのではと泣きたくなるが、現場実践者や研究者の「沸々と燃えたぎる良心」を感じて、心の中で連帯を決める。

 

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本『中高生からの選挙入門』読書記録

衆院選とそれに関連するイベントの準備のために読んだ。

 

 
 
 
 
 
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〈100分de名著〉で衆院選2021を表す

ふと思い立って、今回の衆院選の結果が市民に問うている(と私が感じた)ものを、手元にある《100分de名著》のテキストで表してみました。


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とりわけ上段の3つは「意外な結果」を考える上での整理に役立ちそうです。

そして人生は続く。

『黒い皮膚・白い仮面』〜「私」に潜む差別の構造
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/106_fanon/index.html

ディスタンクシオン』〜「私」の根拠を開示する
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/104_distinction/index.html
『群衆心理』〜熱狂が「私」を蝕む
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/113_gunsyushinri/index.html
資本論』〜甦る、実践の書
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/105_sihonron/index.html
『戦争は女の顔をしていない』〜声を記録する
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/112_sensouwa/index.html
『力なき者たちの力』〜無力な私たちの可能性
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/95_havel/index.html

本『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』読書記録

『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』

ブレイディみかこ/著(みすず書房, 2017年)

 

最初にタイトルを読んだときに「子どもたちが階級闘争をしている」、つまり「階級格差をネタにいじめ合っている」ということなのかと思っていたが、政治の問題が子どもたちにまで影響が及んでいる、ということだった。

 

 
 
 
 
 
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他に印象的だったのは

サッチャーの置き土産。「サッチャーが犯した罪」

・「『自分の力』主義。というのは各人が自分の生き方の指針にすべき考え方であって、それを他人にまで強要するのはヒューマ二ティの放棄である。(p.30)”

・子どもを手放さざるを得ないほどに親が踏ん張れなくなっている。(2015年当時)

発展途上国から来た向上心の強い母親たちの中には、努力しない人が貧しいのは当然だという自己責任論者もいて、子どもに対して手をあげることもあるという。この件は以前、児童虐待防止のシンポジウムでも耳にした。

・人種と階級の複雑な絡み合い。「ちょっと階級を昇ったりすると、外国人こそが最も積極的に他の外国人を排他する人々になるというのは、あまりにリアルでサッドだ」(p.65)

・「DBSチェック(子どもを相手に働く人に義づけられている犯罪履歴調査)」これ、日本でも必要。動いてくれている人もいる。https://dual.nikkei.com/atcl/column/19/062200074/082700003/

・保育園の保育士配置基準における課題。当事者でなくなるとアンテナが立たなくなっているが、現状はどうなんだろうか。

・「分裂した英国社会の分析は学者や評論家やジャーナリストに任せておこう。地べたのわたしたちのしごとは、この分断を少しずつ、一ミリずつでも埋めていくことだ。(p.142)」

・「いろいろな色を取りそろえる意味は、やはりあるのだ。そしてそれは保育士と子どもたちの関係だけではない。『レイシズムはやめましょう』『人類みな兄弟』とプラカードを掲げていくら叫んでもできることはたかが知れている。社会が本当に変わるということは地べたが変わるということだ。地べたを生きるリアルな人々が日常の中で外国人と出会い、怖れ、触れ合い、衝突し、ハグし合って共生することに慣れていくという、その経験こそが社会を前進させる。それは最小の単位、取るに足らないコミュニティの一つから淡々と進める変革だ。この道に近道はない。」(p.86)

 

 

しかし何よりもずっしりと心にきたのは、これかもしれない。

「きっとこの人には辛いんだろうなと思った。育ちがよくて心根が優しいから、大変な境遇の中で生きていて、そのために歪んでいる子どもたちと触れ合うのがきついのだ。」(p.208)

ここのことをわたしはずっと考えているのだ、たぶん。

 

本『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた』読書記録

昨年、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を観てから注目している国会議員・小川淳也さん。小川さんを取材した本を読んだり、日々のSNSyoutubeでの発信を見てきて、今年9月、このような本が出たことを知る。

すぐに買って、刊行記念トークライブも見たが、実際に読み始めたのは、衆院選期間に入ってから。

 

 

読後のツイートから。

『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた』ようやく6章まできた。読んではメモを取り、悩み、考え、調べ、一旦消化できたタイミングでまた読む、というとても時間がかかる読み方をしている。その分本と対話し、自分と対話している手応えがあって、とても充実感がある。

とても長いタイトルなのだけれど、略せない、略しようがない。最短でも「時給はいつも最低賃金」までは言わせる(書かせる)!というような、なにか鬼気迫るものを感じる。

遊び紙が白い分厚めのコート紙で、表紙側と裏表紙側と2枚ずつ入っているのが、ちょっとホワイトボードみたい。対話の場にはやっぱりホワイトボードなのか(いや、知らんけど)。私はここに気づいたこと、疑問に思うこと、わからないこと、誰かと話したいことなどを書いた付箋をぺたぺた貼っている。

著者の和田靜香さんが私の代わりに聞いてくださっている!という感じがどこまでもする。そう、そういうことが知りたかったんですよ!そういう言葉を聞きたかったんですよ!聞いてくださって、たくさん学んでくださってありがとうございます。私もずっと同じ部屋にいて対話に参加している感じです。

楽観的になれることは一つもないんだけれど、少なくともここに隠すことなく課題が並べられているということと、それについて人間が二人、懸命に真摯に対話をしている、諦めずに模索しているということが、ものすごい希望だと思った。そしてそれが本の形で残っているということも。

これを手がかりにまた何かが起こっていくし、誰かが勇気づけられていく。こういう無数の「誰かがやっといてくれはった」ことが世の中にはあるんだろう。私の知らないところでたくさんあるんだろう。自分も「やっとく」一人になって、手が止まらないようにしたい。

アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』を思い出す。男の言葉で語られた歴史からは拾われなかった声、置き去りにされていた感情、ないことにされていた存在。 民主主義の女の顔の面を見る思い。

読了!「初めに詩(うた)来たる」ってそういうことだったのか。。小川さんと和田さんの幸福論に泣く。

和田さんがすぐ相撲たとえするのワカル。私もすぐ競技かるたにたとえるし。スポーツや武道って自分がプレイヤーであれ観客であれ、入れ込んでおくとどこかしんどいときに助けてくれる。スポーツに限らないか。なんでも「道」というものは。

https://twitter.com/seikofunanok/status/1456448138718240777?s=20

 


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