ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

「弱法師」能楽師コメンタリー上映 鑑賞記録

お能のコメンタリー上映という、画期的なイベントに行ってきた。

https://www.sunny-move.jp/sunny/speventinfo/

 

能が上演されている映像を流しながら、能楽師の演者が一人、楽器奏者が一人、それぞれの立ち位置から、どこで何が起こっているのかを解説してくれるものだと思われる。
何の演目を観るのか、申し込み時点では不明でした。

 

でも、これは行ってみたいぞ!と思ったのは、リード文にグッときたからなのです。

能を観慣れない人からすると、そのパフォーマンスは一切隙のない完璧なひとつの構造体のように思われます。
しかし人の手によって築かれた芸術であるからには、そう易々と成り立っているわけではありません。
生の舞台を淀みなく遂行するための能楽師たちの暗躍がものすごく小さな単位で目の前にあふれていることに、
観客は気付く余地もありません。それはとてもスリリングではないでしょうか。
知る必要はないかもしれないけれど、知るとその凄味が迫力を増します。
能の静謐な舞台で密やかに巻き起こっているあらゆることを、目と耳を凝らして追いかけてみます。

 

特に、

知る必要はないかもしれないけれど、知るとその凄みが迫力を増します。

というところが好き。

 

 

コメンテーターは、

のお二人。

 

 
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「弱法師」の公演映像を一曲まるまる流しながら、シテ方と小鼓方の能楽師さんが掛け合いのコメントを入れていく。

 

おもしろかった!!

なんとなんと、聴いてみたかった話がどんどこ出てくる。たとえば、

 

・舞台のどんなシーンで、どんな感覚でいるか、何を考えているか、何が見えているか

・舞台に出るまでに何をしているか、どんな心境か

シテ方囃子方とのコラボレーションの感覚

・身体的なことも含め、どんな役作りをしているか

・何をどこまで決める権限があるか、どこまで自由か

・どんなふうにその作品や登場人物を解釈しているか(超個人的、超主観的に)

・何を大切にしているか

・あなたにとってお能とは

 

特にグッときた話は、

・舞台で恐怖心がある。朝起きて行きたくないぐらい嫌。でも幕から出るとだいじょうぶ。おそらく記憶することに対する恐怖心がある。

・各流儀による謡の違いがあり、一文字違うと鼓を打つタイミングがズレてしまって破綻する

・能は到達すべき点があるが、技術点を狙っていくのではなく、未知のことに挑戦していく気持ちを持ちたい。そして相反するようだが、実は破綻しているほうが、人間惹きつけられる

・ありとあらゆるトラブルを自分の中にストックしておく

・アクシデントが起こる可能性を徹底的に排除することと、人に訴えられるものをつくる、その狭間にある

・お稽古は、ぶち壊されること。こうやったらいいと教えてもらうことではない。(ある程度の水準になったら、ということかな?)

 

わぁ〜これを書きながら思い出しても、やっぱりいい時間だったなぁ。

 

 

教科書に書いてあるような、客観的で正しいことではなくて、ご自身の実感や感情や心境や体感の話が聞けたことが、すごく貴重だった。

それに加えて、ご自身の役や流派、経歴などの立ち位置が掛け合わされて、唯一無二の感覚としてシェアされた感じがした。

 

あくまでわたしの個人的な感覚だけれど、

パフォーマー、アーティストの方は、その芸や表現、作品やパフォーマンスを見てもらうことが最も重要なので、そこまでの制作過程、思考・思想、その人自身の人生と表現の関わりについて、出すことを好まれない方が多いように感じている。

特に伝統芸能に携わる方が、自分の実感を話す場というのは、なかなか珍しいし、貴重だと思う。

ワキ方能楽師の安田登さんは講座、講演、執筆など多数されていて、ざっくばらんな感じで表現されているけれど、お能の世界全体からいったらやっぱり特殊だろうなぁという気がする。

 

 

「弱法師」も観てみたかったので、こんな贅沢な解説で予習ができてうれしい。

この曲について聞けば聞くほど、今のわたしたちの社会で起こっていることの映し鏡という感じもする。600年も前の作品なのに、とても今必要なものを見せてくれている。

まだ記憶が新鮮なうちに観たいなぁ。

 

 

 自分なりのペースで少しずつお能のことを知っていけるのが、いつまでも、喜び。

 

 

 

★「能ってなんなん?」シリーズ。よかったら聴いてください。

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蝶々夫人@METライブビューイング 鑑賞記録

オペラ鑑賞でもいつもお世話になっているライブビューイング。

映画館のスクリーンで、迫真の映像でメトロポリタンオペラ(松竹系)やロイヤルオペラハウス(TOHO系)の舞台が観られてしまうというもの。

過去に観た作品の感想を書いたものはこちら
椿姫 
魔笛 
トスカ
アイーダ
サムソンとデリラ 
マーニ

 

さて。

今回観たのは、『蝶々夫人

https://www.shochiku.co.jp/met/program/2085/


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わかりやすい新国立劇場のダイジェスト動画。

 

わたくし初鑑賞。

しかも「日本が舞台で芸者が出てくる悲劇」ぐらいのざっくりとした認識。

今回はじめてあらすじをちゃんと知って、おののいた。 

 

観られるかなぁ...。

というのも、最近、子との離別や子の喪失の物語が、どんな表現形式のものでも、やたらと苦手になってしまっていること。能の「隅田川」も怖くて観られない。

また、蝶々さんからピンカートンへの感情を「不滅の愛」「一途な愛」と描かれるのは、納得いかない。

しかも「日本人女性」というステレオタイプが満載??

子を思いながら自分が亡くなる『蝶々夫人』。

それを感情にガンガン訴えてくるオペラで…。

プッチーニだから、より感情が動きそう…。

 

散々迷ったけれども、先に観た仲間から、「人形が出るらしい、文楽からインスピレーションを受けているらしい」と聞き、人形劇好き、文楽好きのわたしとしては行かねばなるまい、と腹をくくりました。

 

2017年の#MeTooから、芸術がこの問題にどう取り組んでいっているのか、立会い続けたいという気持ちがある。

 

それに今回の見所は、2008年に亡くなった映画監督のアンソニー・ミンゲラが演出をしていること。『リプリー』『愛しい人が眠るまで』『イングリッシュ・ペイシェント』の監督だ。

 

それはきっと美しい舞台に違いない!

 



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いろいろ感想メモ

いつものように雑多な感想を並べます。

 

・全体として日本の文化への深い敬意や愛を感じた。入念なリサーチの上に成り立っている。
パッとみるだけで、日本の伝統芸能...能、文楽、歌舞伎、日本舞踊などの要素が取り入れられていて、それが本質の深い理解と共にある。もともとのプッチーニの曲からしてもそうだし、ミンゲラの演出もだし、歌手たちもそう、他の舞台に関わる製作の人たち全員がそれを共有している感じ。

・逆にアメリカはこんな描き方されて大丈夫か?と心配になるくらい。NYでやっているわけだけど、お客さんはどういうふうに観ているんだろう。

 

蜷川実花の映像世界を彷彿とさせるコスチュームは、平安貴族やら武蔵坊弁慶やらで時代はいつ…烏帽子はそんな被り方じゃないし、そんな着物斬新すぎる...宗教…とかいろいろツッコミどころはあるけれど、「だいたいこんな感じでしょ?」と雑な感じやバカにしている感じが一切ない。意図を感じる。奇抜なのに不思議とこういうのもアリだな、と思えるのは、敬意と愛があるからかも。

・帯で下半身が安定するから、歌いやすかったとかあるのかな?

 

・ピンカートンは代役になったそうで、1幕は彼の緊張が伝わってきて、えらく疲れた。他の人はみんな役になっている、舞台の中にいるんだけど、肝心な人が素のままで、役になってないからすごく変な感じがした。
堂々とゲスな役をやってほしかったんだけど、視線うろうろ、表情筋固まり、棒立ちに...。蝶々さんや脇を固めるスズキや領事にかろうじて助けられている。やっぱりオペラってただ歌唱がうまいだけではだめで、演技が重要なのだと知る。2幕は出番なしで、3幕は少し緊張もほぐれたのか、演技も出てきてよかった。

代役の準備はしていたけれど、言い渡されたのが2日前で、彼にとっては初役で、しかもライブビューイングの収録日という、彼としては何重にもプレッシャーのかかる、大変な日だったことを幕間のインタビューで知る。おつかれさまでした。

 

・ホイ・へーの蝶々さんはイメージしてたのと違って北条政子っぽかった。線の細い人だったら痛々しさが倍増していたかもしれないから、北条政子でよかった。だんだん引き込まれた。ホイ・ヘーとしての解釈がちゃんとなされていて。しかし15歳で現地妻にって、今から考えると犯罪...。

 

・1幕冒頭から死の匂い。不穏さしかない。痛々しくて狂気をはらんでいるけれども、どこか惹かれる。この感じ、完全に文楽の「曽根崎心中」を観に行くときのやつだ!

 

・2幕。蝶々さんの衣装がかわいい。ピンクと黄緑。菱餅みたい。「ある晴れた日に」泣ける...。

 

・2幕、衝撃の人形の坊や登場。わかっているのに衝撃!!バーン!と登場する。ここの演出がすごい。今思い出しても鳥肌。

 

人形遣いの人たちは、人形と同じ表情になっているのがなんとも言えずよかった。よく漫画家が描いている人物と同じ表情になりながら描くと言うけど、そんな感じ。抱っこされているときの足の動きや、「お母さん、大丈夫?」と顔を覗き込む仕草など、細かくてリアル。すごい!能面を参考にしているのか、あごの角度や照明の当たり方で表情を変えて見せていて、演技している!

 

・人形が、止まった時間の象徴であったり、生身の人間では叶わなかったことを表現する存在として描かれている。

 

・2幕の最後はまさに「せぬひまがおもしろき」。色と音楽とかすかな動きで絶望を表していて、圧巻!「観客に様々なことを想像させてくれる演出」まさに!

 

文楽を展開、発展させて新しい表現を作り出していてすごかった。ミンゲラ、すごい!年末に行った演劇博物館の人形劇の展示でも言われていたけど、ほんとに人形劇って発展し続けているんだな!

 

・スズキ役のエリザベス・ドゥショングの演技が素晴らしかった。「スズキは黙っているときがもっとも雄弁」とインタビューでも答えていたけれども、ほんとうにそれを体現していた。蝶々さんの夢想を痛々しそうに見ているスズキや、蝶々さんと一緒に歌っているスズキ。二人にしかわからない愛や信頼や絆が感じられる。

 

アンソニー・ミンゲラが指導しているところが間で入る。次に何が起こるかわからないという感じで演技して、と。「何が起こるかわからない、だから伝わる」「ここは振り付けではないんだ、欲望からなんだ」

 

・今回はMET常任照明デザイン担当の方へのインタビューもあり。裏方の人にもスポットを当てていく、このMETLVのインタビューはいつも楽しみ。

 

・METの合唱の人は、48時間中に4役もこなす?!というのもすごかった。「ちょっといいかしら?きょう夫の誕生日なの。おめでとう!」とかも、すっごいアメリカっぽい。

 

・いろんな時代の日本の人たちが蝶々夫人を観て、そのときどきでいろんなことを考えてきたのかなぁ。今のわたしと同じ気持ちではないかもしれない。残念に思う演出や舞台も多々あったかも。

 

・3幕。「僕には耐えれらない、僕は逃げ出す、僕は卑怯者だ、僕は卑劣だ!」おそろしいほどの正直さ!!許すことはできないけれど、やっぱり何も考えてなかったのね、と確認ができて、思いっきり悪態がつける感じになる。

 

・観ているうちに、自分の中から蝶々さんに対するsisterhoodがあふれてきて、びっくりした。今の時代ならもっともっとできることがある。世が世なら!ああ、でも今の世でもこんなことはいくらもあるのかもしれない。いやいや、だからこそ。

 

・今の時代であれば、女性が身分の低い者と侮られ差別され、社会によって損なわれることも、名誉のために自分または他を殺めることも、もう起こってはならない。世界のどこであっても。ということを受け取る。「逃げんな、てめえ」と言ってもいいんだから。

 

・こんなに悲しい物語なのに、どうして普遍的なのか。わかっているけれどやってしまう。知っているけれど止められない。そういうことが人間には起こるよ、ということなのか。人間には芸術を通した悲劇の疑似体験が必要なのかもしれない。「王女メディア」「菅原伝授手習鑑」「源氏物語」「舞姫」など、古今東西の物語が浮かぶ。

 

・そういえば一番最初にMETライブビューイングに連れて行ってもらったときに、すごく文楽っぽいなって思った。「なんつー酷い話!」「な、なぜそうなる?」と思うような物語なのに、なぜか音楽や演技で没入してしまうし、しばらく経つとまた観たくなる、というようなことが起こる。オペラと文楽はもともと親和性が高い表現形式なのではないか?

 

・蝶々さんにとって生きのびるための選択だったのかもしれない。1幕から、ピンカートンとは、愛というよりも何か別の関係があり、その歪さが気になった。蝶について話すあたりや親戚との関係も気になる。

蝶々さんの生い立ちはどうだったんだろう。それが選択に影響してる可能性を考えてしまう。映画『トークバック 沈黙を破る女たち』を観てからだったから、叔父から性暴力受けてたんじゃないかとか、親戚たちもわかってて知らんふりしてたんじゃないかとか、邪推してしまう。

 

・最後カーテンコールで蝶々さんがホイ・へーとして出てきたときに、「よかった生きてて...」と本気で思った。

 

・ロイヤルオペラハウスのライブビューイングのタイトルバックと共に出てくるあの音楽が流れた。そうか、蝶々夫人だったんだね!!でも曲名がわからない。まだまだオペラ初心者のわたし。

 

  

ふりかえり

いろいろ思うところはあったけれども、ただの酷い話、可哀想な話ではなく、芸術の形で受け継がれている物語の普遍性と底力を感じた。

他の演出でも劇場でも、またバレエなど他の表現形式でも、観てみたい。

特に、文楽お能で観てみたい。

文楽はすごく昔に上演があったらしい。こんなページが

お能にするなら新作ということになりますね。

 

こちらの本もやっぱり買おう!

キーンさんのオペラ愛、METLV愛を感じつつ、鑑賞体験をふりかえりたい。

 



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次回楽しみにしているのは、「アクナーテン」

https://www.shochiku.co.jp/met/program/2086/ 

 

次から次へと観るたびに世界を広げてくれるライブビューイングに感謝!

そうだ。

感謝といえば、わたしは劇場の2階席や3階席がちょっと怖い(高所なので)ので、生で見るとなると1階席。

でもオペラの1階の席、めっちゃ高い!!!

...ということで、生で観るなら、「もうこれは絶対散財しても観る!!」というものに限られそうです。

そういう意味でもライブビューイングありがたいです。

 

ものいう仕口展@LIXILギャラリー銀座 鑑賞記録

京橋に行く用事があり、そういえばLIXILギャラリーで建築部材に関する展示をやってたっけ、と思い出して寄ってみた。

 

ものいう仕口

www.livingculture.lixil

 

「仕口」とは、柱と梁のような方向の異なる部材をつなぎあわせる工法とその部分のことで、日本の伝統木造建築において世界に誇る技術です。大工技術の粋として発展し、風土によって異なる民の住まいにも用いられてきました。 本展では、福井県山麓にあった築200年以上の古民家で使われた江戸時代の仕口16点を、個々の木組みの図解説と併せ紹介します。一軒の家を支えてきた木片の素朴な美しさに触れながら、先人の優れた大工仕事をひも解きます。(展覧会HPより)

 

 

昔の民家やお寺などで、木材に凹凸の部分をつくり、それをはめ込むだけで頑強な骨組みができる伝統的な工法があり、大工が備えるべき基本的且つ非常に重要な技術......と曖昧な知識はあった。

 

そうか、仕口とはあれのこと、これのことだったのか。

 

しぐち

しくち

呼び方が二通りあるらしい。

 

接合部の凸凹のことを「臍(ほぞ)」というらしい。

あー、臍を噬む(ほぞをかむ)の臍だ!

おへそ。

臍帯血の臍の字。

 

 

 

ここには民家を解体したときに出る古材のうち、再利用の過程で不要になった柱や梁の部分が展示されている。

建築や建設の世界の人にとっては不要なものだろうけれど、形態に魅了された人にとっては、もうお宝とも言うべきもの。

 

それがこうして陽の目を見る。

わたしの目の前にある。

 


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家の部材のはずだけれど、まるで彫刻作品か、太古の文明の忘れ形見のような、不思議な静けさと温かみをもって、まだ生きてそこにある。

 

木目が、波紋のような、さざ波のような美しさを見せてくれる。

しばし見とれた。

 

もちろん、構造物としての解説もついています。

 

 

 

やっぱりここのギャラリーはいいなぁ。

 

昨年『台所見聞録』という展示に来て、こんな感想を配信しました。

よかったら聴いてみてください。

note.com

 

毎回無料でいい展示を見せていただいています。

ありがとうございます。


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www.instagram.com

 

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こちらのギャラリールームは2Fにあり、出たところの休憩スペースでは椅子に腰掛けてLIXIL出版の本を閲覧することができる。

1Fでは書籍や企画商品を販売している。

 

書棚を見ながら思いついた!

 

たぶんこのシリーズが好きな人、いっぱいいると思うのよね。

マニアックなテーマばっかりだから、何かを偏愛していたり、人が見逃していることにわざわざ目を留めてじっと見ているような習慣の人が好きなんじゃないかなぁ。

みんながそれぞれ持っているLIXIL出版の本を持ち寄って、紹介しあう読書会をやったらぜったい楽しいと思う。

LIXIL出版さん、書店さん、図書館さん、読書会をひらいてみませんか?
鑑賞対話ファシリテーターへのオファー、お待ちしてます^^

https://seikofunanokawa.com/


▼うちの子たち。ほんとはぜんぶ集めたいぐらい好き!
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▼目録。眺めているだけでわくわくする。f:id:hitotobi:20200220070807j:image

10年の美術館とわたしの軌跡〜『画家が見たこども展』@三菱一号館美術館 鑑賞記録

三菱一号館美術館で開催中の『画家が見たこども展』に行ってきました。 

mimt.jp

 

三菱一号館美術館のサポーター鑑賞日を利用しました。

https://mimt.jp/mss/

サポーターというのは、いわゆる年間パスポート。何回鑑賞しても定額なのと、いろいろ特典があります。

今回のサポーター鑑賞日は、一展覧会につき一回、設けられている限定公開日。

展示内容や見られるものが変わるわけではなく、休館日にゆったり観られますよ、という感じのもの。うれしいのは、この日のみオーディオガイドが無料になる特典。

わたしは仕事柄、「へーこういう人が年パス買ってきてるんだね」と来ている人も気になってチラチラ見ていますが、年パスを買うぐらいなので、鑑賞態度もとても熱心で、じっくり観ている方が、普段よりも多い印象があります。

サポーター限定だからといって、会場が空いているわけではなく、むしろ、「意外と来てるんだな!」という感じ。

熱心な人がほどほどにいて、とても観やすい。

 

・一号館美術館の展示は3/4は行ってるという方、
・職場が近い、
・美術館初心者だから、一館に決めて馴染んでいきたい。
という方に、サポーター制度、おすすめしたいです。

 


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今回は、こどもをテーマにした展覧会。

しかしそれ以上に意味合いとして大きく感じられたのは、三菱一号館美術館の開館10周年記念という節目だということでした。

これまで同館が力を入れて収集し、「発見」し企画し紹介してきた美術のムーブメントや感性を、あらためてふりかえり、一号館の推し画家たちの作品をさらにボリュームをもたせて並べ、一号館らしい祝福の形にした!!

という感じがありました。

 

わたしも、三菱一号館美術館にはだいぶ育ててきてもらっているので、そのことを思い出していました。

 

その歩み。

 

▼2014年『冷たい炎の画家 ヴァロットン展』

初めてナビ派というグループについて知りました。また、このときはじめて「友だちと観に行く」のではなく、「展覧会で鑑賞対話の場をひらく」ことを試みました。わたしにとっては記念碑的で忘れがたい展覧会。

その予習のために行った荻窪の六次元の「ヴァロットンナイト」というイベントもよかった。青い日記帳・Takさんがゲストで。展覧会が好きで真剣に楽しく語れる人がこんなにもいるんだ!みんな感想をしゃべりたいんだ!と知って勇気が出ました。

seikof.blog.jp

 

▼2017年「オルセーのナビ派展」

観ることや展覧会が好きな人の、素朴で主観的な感想を不特定多数の人が聴くことを意識しながら表現してみたい、という衝動にかられ、音声配信にチャレンジしました。

doremium.seesaa.net

 

▼2018年『ピエール・ボナール展』

こちらは国立新美術館での開催。ナビ派の一員だけじゃないボナールの生涯の画業にぐーっと迫った展覧会。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

▼2019年『フィリップス・コレクション展』

こちらも三菱一号館美術館展。いい展覧会でした。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

▼2019年『印象派からその先へ展-吉野石膏コレクション』

三菱一号館美術館での展示。今度は感想を動画配信してみました。

一発撮りで無編集に挑戦しました。だいぶ話すことに慣れてきたし、間違っていたり未熟でも、自分だけの探究を大切にする姿勢みたいなものを持って、やってみました。

また、特に強い関心がなかったものから、発見する。何を見ても何らか感想を語れる自分の発見もありました。

note.com

 

あと、子どもというテーマで思い出すのは、2006年に上野の国際子ども図書館で開催された「もじゃもじゃペーター」の展覧会と、その講演会のこと。

この講演会ではじめて、「実は子どもというのは以前はいなかった。子どもは作られた、または発見されたのです」という話を聴いて、「へーーーー!」と思ったことを今でも覚えています。

もじゃもじゃペーターとドイツの子どもの本|過去の展示会|展示会情報|展示会・イベント|国立国会図書館国際子ども図書館

 

自分の関心にしたがって足を運んだことや創ったことは、どれも確かに糧になっているなぁとしみじみ思います。

また、鑑賞の筋力というのは積み重ねで、質、ある程度の量、頻度、熟成の時間が必要なことも思います。どの道に行くのもそうだと思いますが。

ただ、他の分野で、芸術に限らず、このルートを通って筋力をつけている人は、橋がかかりやすいことも事実です。端から見たら、どんな関連があるのかわからないという分野でも、感受性や解像度が高い方は、受け取れるものが多いです。

だから自分に関係ない領域と思わず、何も受け取れなかったらどうしようと思わず、わたしと一緒に橋を渡ってみてほしいなぁ、と常々思います。

 

......脱線したけれど、 

まぁそんないろいろな経緯をひっさげての、この日の鑑賞でした。

 

 

展覧会の感想メモ

・1. モーリス・ブーテ・ド・モンヴェルからはじまる!この方は庭園美術館フランス絵本の世界展で知った方。いきなりどん!っとほほえましく、美しい子どもの絵ではじまるの、すごくよかった。

・4. ウジェーヌ・カリエールという画家の、「画家の家族の肖像」がとても不思議な絵なので、注意して見てほしい。どの角度や距離から見ても、絵の中の人たち全員と目が合うのですよ!!!近くだと淡い感じがするけれど、少し離れて、場所を変えていちいち目を合わせながら観ると、すごい迫力があります。

これ、ほんとうにただの肖像画なのかな?

・7.8.ゴーガンの水彩によるモノタイプ。すごい、モダン。色きれい。モノタイプとは版画技法の一つ。ゴーガンの厚みをまた感じる。

・23. ヴュイヤールの「赤いスカーフの子ども」はまるで写真家ソール・ライターの作品!というより、ヴュイヤールが先で、ライターが影響を受けたんだけど、鑑賞者の立場で言えば、「まるでライター」という感覚になるのがおもしろい。(ソール・ライター展 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/

・42. モーリス・ドニの「雌鶏と少女」は国立西洋美術館の所蔵なので、常設で会える。友だちに別のイベントでまた会う、みたいな感覚。うれしい。

 

・ボナールやドニ、ヴュイヤールの知らない作品にもたくさん会える。多作の人たちだな!とあらためて。

・多幸感の流れの中に時々潜り込んでくるヴァロットンやミュラーの不穏さが、ちょっと笑ってしまうぐらいの展示。学芸員さんの狙いについて聴いてみたい。

・80. ヴァロットンの海水浴を楽しむ家族を描いた作品。珍しく平和なのかな?と思いきや、やっぱりちょっと不穏。さすがヴァロットン。当時、健康増進の目的で海水浴がブームになり、鉄道網の発達もあってヴルジョワの間で人気のレジャーだったらしい。郊外でのピクニックや、海外のリゾートに行くなどが流行ったのも、この頃。

・アリスティード・マイヨールなど、新しい画家との出会いもうれしい。一点とても好きな絵があったので、小さいキャンバスを買ってしまった。『山羊飼いの娘』。ほんものの色の鮮やかさはそれはもう例えようもないほど。いつも見ていたくなった。

画家を目指していたけれど、自分の方向性がつかめず悩んでいたときに、ゴーガンのやり方で描いてみたら道がひらけて、その後40代で彫刻家に転身したという転機の頃の作品もよかった。影響を与え、与え合い、悩み、同じ時代を生きた人たち。


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 ・58. ボナールの、そのへんにあった紙にサッと描きつけたようなラフさと勢い。やさしさ、慈しみ、親愛、子を含めた家族のいる風景。ボナール展のときは、彼の人生の困難さにも光が当てられていたので、こちらの多幸感いっぱいのほうをみるとちょっとホッとする。こういう時間もあったんだなぁというか。

・構図や写真や色、浮世絵など他文化からも新しいものを採り入れながらも、モチーフは盛り場のような刺激的なものではなく、自分の家族や自宅や庭の日常の風景というささやかさが、ちょっと不思議ではある。

ナビ派としての活動は1888年からの約2年だけ。そこからゆるやかに交流しながらも、それぞれの画業を重ねていく。こういうことって、あるよね。わたしもあったな。ぎゅっと集中して一緒に活動した期間があるからこその、それぞれの今を、たまに会う人と交換している。

・102. ボナールが撮ったヴュイヤールとボナールの甥の写真がほほえましい。家族ぐるみの付き合いだったのだな。

・103.ドニの子どもたちほんとかわいい。写真はモノクロだから、色をつけてもっと生き生き表現したい!と思ったかもしれない。(妄想)

・108. ボナールの大装飾画、圧巻。映画の予告編みたいな、さまざまなシーン、さまざまな角度のカットが繋がれて一枚の絵になっている。別の時間、別の場所、別の人たちが一堂に会するような。シャガールを思わせる。

・全体的にいつもより絵が下のほうにかけられている感じがして、背の低いわたしでもみやすかった。

・「18世紀以前、子どもは未熟な大人とされていた」

それに関連する資料が何点か、資料コーナーに展示されていて、どれも読んでみたいものばかり。

こどもの歴史
絵でよむ子どもの社会史

<子ども>の誕生
子どもとカップルの美術史
こども服の歴史

この資料コーナーは、地味だけど、過去に日本や海外でひらかれた展覧会の図録なども閲覧できて、すごく貴重です。椅子が置いてあるので座って、ゆっくり読むことができます。

 

ナビ派って何?という方にはこちらもおすすめ。

 

 


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いやー、いい展覧会でした。

いい気分になること間違いなしなので、どなたでも楽しめます。

3月30日は、月に一度のトークフリーデーなので、気の合うだれかと感想を話しながら観たら楽しいですよ。

 

ぜひ!


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noteでも話す、書く表現をしています。

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イベントのお知らせ

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鑑賞対話ファシリテーション、場づくりコンサルティング、感想パフォーマンス

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水族館とミュージアム〜沼津港深海水族館 鑑賞記録

競技かるたの静岡大会に出場したついでに、水族館に寄ってきた。
遠征はあまりしないポリシーなのだけど、静岡の中でも沼津市は比較的東京に近く、日帰りが可能だったので、行ってみた。

あっという間に初戦で敗退して、午前中には沼津駅に戻ってきたので、見学時間はたっぷりとれた。

 

www.numazu-deepsea.com

 

 

 

ここは、深海魚、古代魚好きのわたしとしては、気になっていた水族館。

 

駿河湾に面した沼津港からすぐのところにあって、磯の香りがする。魚市場の建物も見える。

あたりは干物のお店や新鮮な魚を出す飲食店などが立ち並ぶ、活気のある区画。

このすぐ近くに2,500mの深さの湾が広がっているのかと思うと、わくわくした。

 

展示解説によれば、「世界には400-500の水族館があって、そのうちの1/4〜1/5が日本にある」そうだ。

そうなの?まずそれにびっくり。

しかも、深海生物に特化した水族館は世界でも珍しい存在という。

なぜなら、深海生物の飼育は難しいから。

生態がまだ解明されていないものが多いので、何を食べているのか、どんな環境が適切なのか、常に試行錯誤だそう。

 

また、継続的に展示するのが難しいという理由もある。死んでしまったら、ということですね。

希少な深海魚なので、たいていの水族館はすぐ補充できるような状況にない。

 

その点、この水族館は地の利がある。

深海で捕獲してから館まで運搬する時間があまりかからないので、デリケートな深海生物へのストレスが少なくて済む。

とはいえ、ラブカやミツクリザメなど、深海のサメを飼育するのは非常に難しいとのこと。

そりゃそうだよな...それに、そこまで生き物に無理させなくても、という気もする...。

 

どうやって深海魚を補充しているかというと、駿河湾で100年前から行われている底引き網漁の漁期(9月〜5月)に、水族館スタッフが一緒に乗船させてもらって、漁で獲れたものから展示用に持ち帰っているらしい。へえ〜

 

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目玉展示の-20℃で冷凍中のシーラカンスには、さぞ人が群がっているのだろうと思ったら、意外とガラガラ。

混んでたのは浅い海のカラフルな魚のコーナーだった。あれ??

 

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わたしはもう、3億5,000万年前からほぼ変わらないこの姿で命を継いできたものが目の前にいるー!!!と写真を撮りまくっていた。

思っていたよりもだいぶ大きい。166cm。大きいもので200cm、100kgぐらいになるらしい。

なぜか薄っぺらいものを想像していたけれど、ぶっとくてガッチリしていて強そう。

 

 

泳いでいるシーラカンス、カッコいい〜 

 

 

...と興奮しつつも、どうも物足りない。

なんだか展示もバラバラとしている。

順路に沿って見ているのに、流れが自分の中で立ちあがってこない。

 


もう少し学術的な要素はない??
アミューズメント性や趣味性が高い観光施設の方向性??
そういえばここって研究機関、ではない?
売店に関連書籍さえも売ってない??

 

...と思って、運営者を確認したら、地元の水産会社だった。

町おこしの目的で2011年に設立、とのこと。

 

なるほど。


なるほどー。

 

なるほどーー。

 

脱力感を覚えたのは、

わたしの中で、地元である滋賀県立琵琶湖博物館での学びのよい体験があって、「水辺のミュージアムならあのくらいの信頼のおける体系と濃度の中に行けるんだよね!」という期待が大きすぎた、

ということがあったと思う。

 

そうか、あそこは公設の博物館で、研究機関でもあったから。

だからだったのか。

 

 

存在の目的が全く異なるのか。

 

  

 

もちろん研究機関ではないから軽薄とかダメとか、決してそういうことを言いたいわけではない。

飼育員の方々もその分野の専門家としてお仕事されているだろうし、来館者の中にも大きな学びを得ている人もたくさんいるだろう。

 

ただ、アミューズメント施設では、

  • もっと知りたくなったときに、「その先」がない、意図されていない。
  • 質問したいときに聞ける人・体制が用意されていない。
  • 消費的で見世物的な展示になる

 

わたしの物足りなさの出元がわかった気がして、スッキリした。

 

ただ、これは単にわたしの好みの問題を言っているのではない。

じゃあアミューズメント系の水族館に行かなければいいではないか、
行きたい人だけ行けばいいじゃないか、という話ではなくて。

 

そもそも、 アーカイブ、学術研究、展開する知的体験のデザインのない施設にも「ミュージアム」と名がつくのは、どうなんだろうか?という疑問。

これは、日本だけの特殊状況なんだろうか。

だから日本の水族館の数が多いのだろうか。

水族館とはどのような使命をもったミュージアムなのか。

公設ミュージアム、私設ミュージアムそれぞれの役割とは何か。

 

そして、

ミュージアムとは。

icom.museum

 

日本語訳はこちらに。(真ん中より下の方にあります)

https://bijutsutecho.com/magazine/insight/21339

 

 

一旦、このあたりまで考えた。

 

冷凍のシーラカンスを見られたことよりも、こっちのほうがよっぽど大きな収穫だった。

考えるきっかけを与えてもらった。

引き続き追っていく。

 

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ちなみにシーラカンスの展示は、アクアマリンふくしまにもあるらしい。

シーラカンスの世界|展示ガイド|アクアマリンふくしま

 

そもそも、この貴重で珍しいシーラカンスを、捕獲して持って帰っていい...というのが。えっいいんだ?だれとどういう取り決めで?という気がするし。

日本国内だけで7体も標本があるって...。購入した?誰から?......もしかして、世界中で学術調査と言いつつ、けっこうな量が捕獲されていたのでは?

今はIUCNのレッドリストに載っているけれども。
今はワシントン条約でも規制されているけれども。

その前は?

 

うーん...。

書籍『サイト別ネット中傷・炎上対応マニュアル』

近所の公共図書館に行ったら、リサイクル本のコーナーにこれがあったので、貰い受けてきた。

 

 

リサイクル本とは
図書館の蔵書から外す「除籍」の対象になった本。所蔵になっていた本もあれば、献本されたが所蔵本に加えられなかったものも含まれている。

ほしい人はだれでも無料で持ち帰ることができる。
公共図書館では定期的に行われている。

思いがけない掘り出し物があるので、わたしは行くと必ずこのコーナーをチェックしている。

 

 

この本に目が留まったのは、いじめがテーマの読書会をひらいたときに、扱った小説にtwitterでの誹謗中傷のシーンが出てきたことを思い出したからだ。

闘う必要が生じたとき、自分がこういう被害にあったとき、子が巻き込まれたとき、どうしたらいいのだろう、という疑問もわいていた。

わたしがもらってきたのはこの本の第一版なので、情報がやや旧いところがあるかもしれないが、どのような権利が侵害されているか、何が問題か、どのような手続きで解決できるかは基本変わらないので、とても参考になる。

 

 

 

さらにtwitterでこんな投稿が流れてきたのも目にしたので、備忘として投稿しておく。

 

twitterSNSが悪なのではなく、使い方なのだ。 

このようにtwitterを叡智の共有の場にすることもできる。

 

 

先出の本の前書きにある、

当初はインターネットの情報は信頼性がない、所詮は仮想現実だなどとして、あまり気にする必要はないといった声もありましたが、インターネットがもはやインフラの1つとなっている以上、現実のものとして捉える必要があるのはいうまでもありません。

という一文は非常に重要だ。

根本の部分をアップデートさせること。

被害当事者、当事者の周りにいる人が抑えておきたい点。

 

また、手続きがある、教えてくれる、支援してくれる専門家がいると知ることは、社会の中で生きる上で、怖いものを減らしていくことにつながる。

 

現代現世で起こること〜能「西行桜」「善知鳥」鑑賞記録

喜多能楽堂で観能。

喜多流能楽堂だけど、きょうの能会は観世流


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http://kita-noh.com/schedule/9109/

先月末から通っている能楽講座があって、その講座の先生が出演されるので楽しみにしていた。

 

 

先生がシテを務めるのは、「善知鳥(うとう)」。

想像していた以上にとても痛々しかった。

こんなお話>>http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_063.html

 

その狩猟の残酷さをこれでもかと再現して見せてくれる

善知鳥の猟は、雛鳥を捕る。

猟師が「うとう、うとう」と呼ぶと、雛鳥が「やすかた、やすかた」と答えるので居場所がわかる。

 

親ではなく、親のふりをして子を誘い出す。

その狩猟の残酷さをこれでもかと再現して見せてくれる。

猟師の、「うとう、うとう…」と呼ぶ声。

善知鳥の親が雛を殺されて流す涙の血の雨、それを避けるための傘。

 

殺生の後悔を描いた「三卑賤」の他の曲、「鵜飼」と「阿漕」を以前観たときは、反省よりも、禁猟区とわかっていて猟をすることの興奮や欲望や熱狂をわたしは感じた。

 

でも「善知鳥」の猟師は、「わたしはこんな酷いことをやっていたんですよ、ほんとうにどうしようもないクズです」というふうに、自虐していた。

 

もうわかったから、もういいから。
あなたも傷ついてたんでしょう?
あなたは優しすぎてこの仕事には向いてなかったんだよ。

家族を食わしていくための仕事だとしても、他の仕事を選べなかったの?
善知鳥の雛を獲らないでもいい猟はできなかったの?

…そんな言葉がわいてくる。

 

ああ、でももし家が代々その仕事、親もその仕事だったら、それ以外の仕事を知る機会がなかったら、選ばないかもしれない。

 

猟師の死は、良心の呵責に耐えかねた自死だったのではないか、という気さえしてくる。
一周忌を前に(おそらく)家族に会いに来たけれど、善知鳥の子を獲っていた罰として、自分自身の子には会わせてもらえない。

そして、死後の世界では、鷹になった善知鳥から、雉になった猟師へさまざまな報復、責苦がある…。

 

この曲、作られた当時は、仏教における殺生の説話として観られていたのかな?

 

人があのようになる前に、なにかできないか。

地獄に行ってから祈祷してもらうのではなくて。
今、苦しんでいる人をもっと具体的に助けられないか。

舞台の上では猟師は幽霊なのだけど、わたしの住んでる現実世界では、精神があの猟師のような人たぷんいる。

もしかしたら、組織の中で、偽装や殺戮の一端を担ってしまった人の苦しみにも見えてくる。

 

このところ犯罪や更生、生き直しについて考えているからか。

 

やりきれない思いでいっぱいになったので、寄り道して帰宅した。


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今、本館14室で〈伝説の面打ちたち〉という展示をやっている。
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9室には能装束の展示。

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ちなみに法隆寺宝物館の1階3室には金・土曜日のみ公開の伎楽面も。

 

売店で買った図録。
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この本も。

https://www.amazon.co.jp/dp/4872591488/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_w3-rEb5YZNGJZ

 

ああ、知りたいこと、学びたいこと、究めたいことがたくさんあって、人生の時間が足りない…。

 

他の講座参加者の皆さんはどんなふうにご覧になったかな。

感想聞くのが楽しみ。


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国立能楽堂2月公演「蟹山伏」「井筒」鑑賞記録

国立能楽堂2月公演の定例公演に行ってきました。

2月定例公演 蟹山伏・井筒

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国立能楽堂の公演は自分でも毎月チェックしているけれども、今回は演者の方とご縁があって行くことになった特にうれしい機会。

ちょうど今、わたしは樋口一葉にまつわる作品を制作しているところなので、「たけくらべ」が題名あるいは内容を敷いたと言われる「井筒」はぜひとも観てみたかった。

そのあたりの解説(PDF)>https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/1/15793/20141016124022334935/kbs_26_1.pdf

 

いつものようにこちらの本と、演者さんが個人的に送ってくださった解説も読みながら、予習をして、いざ当日。

 

 

お能漫画『花よりも花の如く』

 


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狂言「蟹山伏」 

とにかく蟹に度肝抜かれる。蟹やけど!蟹やけどさ!!見た目もすごいし、動きが笑える。

見所(けんしょ/観客席)から何度も笑いが起こる。

山伏とお供の強力(ごうりき/歩荷や登山案内を生業とする日本古来の運送業者)の情けなさも楽しい。

近江の国の蟹ケ沢ってあるのかな?と調べてみたけれど、出てこない。

kyogen.co.jp

zenchiku.xyz

 

 

 

能「井筒」

www.the-noh.com

 

いつかはと思ってようやく観られた曲。

ゆっくりで静かで登場人物が少なくて、ドラマティックなことはそれほど起こらない。

心情と風景を味わう曲。

初心者向けじゃないことがわかるくらいにはお能初級者になれたかな。

序の舞の優美さに、透け感のある単の直衣によく合っていて、ふわふわとこの世の者ならぬ感じがよく出ている。

ひたすらに美しい世界か続いていく。

 

詞章も舞も美しいんだけど、「そうあってほしい女像」がなんかムカついて、勝手に性別を入れ替えて観ていた。

「熊野(ゆや)」も観てみたいけど、ストーリー的には「なぜ?!」って感じだよなぁ。

世阿弥先生のことはまだよくわからないわ…。

 

あ、でももしかしたら男女の恋や愛の物語に託して、違うことを言おうとしているかもしれないな。

性別や関係さまざまな、別離、未練、執着、老化、凋落、赦し、鎮魂、とか。

あるいはその時代の政治的な意図とか。

 

今回は、詞章を3回ぐらい音読していったらほんとよかった。

次に何言うかわかっているから、細かいところに観察がいく。

先月末から能楽講座に参加していて、

当日までに詞章を2、3回は声に出して読んでくる。始まったら謡本は見ない。正式な謡でなくてもよい。何を言っているかわからないと思われがちだけど、知っている言葉や音はちゃんと聴こえる。それだけで舞台の楽しみ方がぐんと変わってくる。

と、講師の先生からすすめられたのでやってみた次第。

それはきっと自分が想像した節、強弱、抑揚、聴こえ方でなかったとしても「知っている音」として拾ってくれる。何かしら内で呼応するものがあるということなんだろう。

舞台とのつながりを詞章を通してもっと太く豊かにできる。

自分もその舞台の一部に、より深く、なっていく。

 

井筒は和歌の鑑賞を楽しむ曲でもあって、きょうはそこを目一杯感受した。
こういう曲は特に予習大事。

 

久しぶりに頭空っぽにして、何も見立てようとせず、ただあるがままを観たら、すごーく気持ちよかった。

温泉に浸かった感。

風呂屋さんで洗面器のカコーンていう音が響くみたいな。

きょうは忙しくせず、昨夜もちゃんと寝たので、体調よく楽しめた。

お能に限らず、観劇ってコンディション大事。

 

あらためて思ったけれど、舞台の上にいる演者たち一人ひとりが、いろんな時空、次元を受け持っている感じがある。お互いにその領界にところどころ接触しながら、何かが起こっていく。

 

流派の違いなどはまだまだ到底わからず。

これは自分でお稽古に行くぐらいしないとわからなそう。

あるいはこの先お能を観る機会がもっといっぱいになってきたら、どこかが臨界点になって急にわかったりするのかな。

 

 

今週は明日も観能。

緑泉会 令和2年度 第1回例会 | 喜多能楽堂

能楽講座の先生が出演されるということで、楽しみです。

 

 

おまけ。

お能の公演スケジュールはここが詳しいです。

www.the-noh.com

 

あとは、行ったときに能楽堂でチラシをもらってくるのが、わたしはけっこう決め手になっています。

やっぱりいまだにチラシってありがたいです。

お能以外にも映画や展覧会やコンサートなども、チラシを見ることがある。

特に東京はたーくさんあるから、決め手に欠ける。

ある程度わかるようになってきても、ウェブ上のテキストだけじゃなくて、ビジュアルやデザインからもその会、その公演の雰囲気が感じ取りたいほうです、わたしは。

 

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noteでも話す・書く表現をしています。

note.com

 

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seikofunanokawa.com

 

イベントのお知らせ

約束の25年〜『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』展 @東京都現代美術館 鑑賞記録

『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』展に行ってきた。

mina-tsuzuku.jp

 

行く前に、1月4日の朝日新聞の切り抜きを読み、

予習がてら友人が送ってくれたページをサッと読んだ。

www.asahi.com

 

わたしはミナ ペルホネンの服を持っていない。

持っていて、大好きで着ている、という友人もあまりいない(たぶん)。

ミナのお店でハギレのパックを買ったことはある。

www.instagram.com

そしてそれをブローチにしたことはある。

www.instagram.com


 

皆川明さんは、西村佳哲さんの本に出てくる人として知っていた。

自分の仕事をつくるにあたって影響を受けた本の一冊。


とはいえ、皆川さんのパートで何が書いてあったのか実は覚えていない。

そのときは、自分にすごく関係があるとは思わなかった。

「服をつくっている人なんだ、ものを作るってこういうことなんだなぁ」というぐらいで。

 

 

当日は鑑賞後に、友人たちと誘い合わせて2Fのサンドイッチカフェで感想を語った。

 

 

印象に残っていること

  • 継続、積み重ねること。
  • ひとつのクリエイションが次の可能性を示す。次へ繋がる要素を表す。
  • "ミナ ペルホネンのデザイナーたちのアイディアや思考は日々の暮らしの細かな事象や出会いから生まれている"
  • "日常のための特別な服"
  • ミナを着て、会いにくる人たち。
  • ミナの服がとても愛されてる
  • ベビーカーの人もいっぱいで、普段あまり現代美術館に来ない感じの人があふれていた
  • 新聞の挿画が印象的。皆川さんの中にこのような沼や森があって、表出しているのは着ることができるぐらいの状態になった上澄み、氷山の一角なのだ。
  • 自分から流れを作り出し、自分がその流れに乗る。
  • "擦り切れることが楽しみなコート"
  • 馬への執着
  • 計算されたセオリー、恐ろしいまでの几帳面さ
  • 村上春樹と似てる説

他にも、ミナ ペルホネンのファンではない同士からこそ話せたことなどがあった。

逆にミナのファンの人があそこで何をどんなふうに体験したのかも、聴いてみたい。

きっとその方の人生と切り離せない関係にあるのだと思うから。

 

 

ふりかえり

服の可愛さに歓喜しに行くだけではない、ということは行く前からわかっていたけれども、ふりかえってみるとなんだか課題付きの講義に出席したような感じがある。

きょうのわたしの課題は、「素人とプロの違い、思いつきと愛される商品との違いは、なんだろう?」という問い。

いろいろあると思うけれど、一つは計画性。

思いつきに文脈がある、流れや経緯がある。同じことをやって毎回同じようになる何かがある。それでいて発展がある。だから飽きない。

それは少しふれるだけでわかる。

ほんとうに些細なことでわかってしまう。

そしてわかる人だけが長く愛してくれる。

 

 

帰ってきてから「わたしのはたらき」の皆川さんへのインタビューパートを読み返して、あまりの変わらなさに驚いた。

この本が出版されたのが平成23年、2011年。

もちろんチャレンジはたくさんしてこられただろうけれども、スピリットやフィロソフィは変わっていない。人間や世界に対する態度も。

そして、やると決めていたことを、実際にやった。やっている。

その途中の様子を、一旦の区切りとして、この展覧会で披露されていた。

 

可愛いと感じる、愛着を持つ、これが着たいと熱望する。

そう思えること、そう思ってもらえるものを作ること。

実はとても根源的で命に関わるようなことなのかもしれない。服に限らず。

 

去年からヴィンテージの服が好きで、古着屋さんに出入りするようになった。(その話をnoteに書いた

店主さんが世界各地から買い付けてきた古着は、場所も時代も違うとサイズ表記がないものがほとんどだし、あってもなんの参考にもならない。

自分の身体や気分に合うかどうか、一緒に出かけたいか、愛着がもてるか。

そういう気持ちを大切にしたい。

 

 

そういえば、この本は「あとがきと謝辞」もすばらしくて、ここばかり何度も読んだ記憶がある。

 

アキツユコさんの音楽を聞きたくなった。

https://www.hora-audio.jp/aki-tsuyuko-ongakushitsu.html

 

 

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分解された浮世絵世界〜肉筆浮世絵名品展@太田記念展美術館 鑑賞記録

太田記念美術館の肉筆浮世絵名品展に、最終日、滑り込みで行ってきました。 

 

開館40周年記念 太田記念美術館所蔵 肉筆浮世絵名品展 ―歌麿・北斎・応為 | 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art

 

太田記念美術館 (@ukiyoeota) | Twitter


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経緯

今年は太田記念美術館に行こう!と思っていたときに、ちょうど観たい作品がきたから、というのが行った理由。

以前から「太田記念美術館はいい!」という噂は聞いていたけれど、なかなか浮世絵に興味が持てずにいたのです。

そう、ここは浮世絵専門の美術館。

うーん、浮世絵に興味が持てないというか、好きな絵もあるけれど、持ちきれずにいるというか。

 

それが去年少し変わってきました。

発端は東京の水道の歴史について、調べたことをラジオで配信したこと。

これまで約20年暮らしてきた東京の成り立ちや歴史に興味を持つようになりました。

note.com

 

その勢いで20年ぶりに江戸東京博物館に行ってみたら、すごく楽しかった。
息子がちょうど社会で東京の歴史を勉強しているので、一緒に観に行ってみたら余計に楽しかったです。

ラジオの中でも話しましたが、わたしは東京の出身ではないので、「社会の内容が違うんだ!」ということにまずびっくりしたのです。

そのときになんとなく、「次に入ってみる道は浮世絵かも?」とふと思ったのでした。
知っているようで、知らない。
絵画、彫刻、音楽、演劇、芸能......いろいろなものを鑑賞してきた、見聞きしてきた今なら、おもしろく見られるのかもしれない。

 

東京ではいろんな美術館や博物館でしょっちゅう浮世絵の展覧会がひらかれていますが、今回の展覧会に食いついたのは、メインビジュアルが、葛飾応為の「吉原格子先之図」だったため。

commons.wikimedia.org

 

葛飾応為のことは、数年前に人からおすすめされて読んだ杉浦日向子の『百日紅』で興味を持ちました。 

 

そして、2017年のNHKドラマ『眩〜くらら、北斎の娘』を観て夢中になりました。

www.nhk.or.jp

 

応為のことで言えば、女性の芸術家で名を残している人が少ない時代の、「描かれる側だけではなかった女性」のことをもっと知りたいという気持ちがあります。

サラ・ベルナールの世界展も行って感想を書きましたが、そんな感じで引き続き、探求していきます。

 

 

太田記念美術館と展覧会について 

・公式の概要はこちらにあります。

・原宿/明治神宮前にある私設のミュージアムです。アクセス至便!

・14,000点の浮世絵のコレクションがあります。常設展はなく、企画展のみ。毎月展示替えがあって、お宝を順繰りに見せてくださる感じ。1ヵ月なので、観たいな〜と思ったときに行かないと終わってしまいます。

・海外流出を嘆いた実業家の太田清藏さんがコツコツと集めてこられたそう。
やはりこのような篤志家の存在が、文化芸術を支えてきてくれたのだなぁ。
そのあたり、今の時代はどうなっているんだろうか。

・浮世絵といえば分業制の版画のイメージが強かったのですが、絵師がすべてを一人で描く肉筆画もある。浮世絵は版画と肉筆画の両輪で、この両方が多数所蔵されていて、なおかつ保存状態が良好な、この美術館が日本にあることは貴重とのこと。

・ガラスケースから作品がかかっている壁までの距離が近くて、ほんとうに間近で見ることができます。

・1980年1月に開館し、2020年1月に開館40周年を迎えるということで、今期は開館記念の肉筆画のお宝とも言うべき作品が展示されていました。

 


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感想

今回はほんとうにいろんな発見がありました。

●「吉原格子先之図」は意外と小さい

思ったより小さかった。調べてみたら26.3×39.8cm。

小さくて繊細で、見飽きない。一人ひとりに役(Role)が与えられているような。ベラスケスの「ラス・メニーナス」のような謎めいた絵。

二次元の絵画なのに、細やかな動きや音が聞こえてくる。

表現がモダンでクール。陰影、明暗。

「格子之先」の女性たちよりも、格子の手前にいる明かりに寄ってくる男性たちのほうが、身をのけぞらせたり、くねらせているように見える。滑稽でもあり、淫靡でもある。

見ているのは男だけではなくて、女もいる。

足元を明かりで照らしている少女、禿だろうか、一人だけ格子のほうを見ていなくてなんとなく気になる存在。

見れば見るほど、いろんなことに気づいていく。

この一枚を見て、複数人で「これはなんだろう」「ここからこういう印象を受ける」「こういうことを言っている評論家がいる」「この頃の女性の絵師ってこうだったらしい」など、あーだこーだと話したら、すごく楽しそう。

他の来館者の皆さんも気になると見えて、この絵の前ではどうしても立ち止まってしまうので、館員さんから動くように何度もうながされてしまった。

 

・掛け軸、表装、表具の世界

まるで着物の柄や色の組み合わせ方のように多種多様で、絵画と一体の世界観を作り出している。テキスタイル、刺繍、織り、布テープのようなもの、和紙。

とにかく作りが細やか!

もしかしてこれは天井画の柴田是真(ぜしん)の作品を真似た?と思われる表装もあって、真偽を知りたいところ。柴田が活躍したのが、江戸〜明治中期なので、あり得る!

掛け軸って全体を見ないと魅力が半減するのではないか?というぐらいの豪華さ。

西洋画の額装とはまた違う感覚のようにも思える。

表装にはまた表装の技術や決まりや美学があって、もしかしたら流派のようなものもあるのかもしれない。表装、額装についても今後注目していきたい。知りたい。

 

・浮世絵の女性の顔が苦手だった!

目が細くつりあがって、唇が突き出ていて、顔は面長で...。今の(わたしの)美の感覚からすると「わかる」「近い」感じがあまりない。

浮世絵とは庶民的なものだから、まぁ当時の流行りやいい感じってこうだったんだなぁ、みんなこういうのが好きだったんだなぁ、と思いながら見る。漫画やアニメでもその当時の流行りの描き方はあって、時代が変わると感覚が「今」じゃなくなっていくことは多々ある。

だから、浮世絵って日本の漫画の流れの途中に確かに君臨していたものだとわかる。

でもたくさん見ているとクドい。観光地でカリカチュアの似顔絵を見た時の気分に似ている。うん、やっぱりこれが正直な感想!

今の感覚でもcool!と思うのはやはり、歌川広重葛飾北斎葛飾応為小林清親だった。対象に現実味があるのが好きなのかも。あくまで好みの問題。

 

・肉筆画は漫画の原画展

肉筆画をみているときに、漫画の原画展(これとか)に行って、「やっぱり原画ってきれい〜印刷されたのと全然違う〜」となったことを思い出した。

やはり漫画の由来の一つに違いない(持説)。

 

・遊女、遊郭、吉原

もしかすると今回の最大のお土産がこれだったかもしれない。

隣で見ていた女性二人が、「なんかこういうの見ると複雑な気分になるのよね。だって公設の遊郭だったわけでしょ。華やかだけれど囚われていて。禿みたいな小さな子どもも、いずれああいうことをするんだって間近で見させられてる。今の感覚から言えばなんとも言えないわよね」というような話をされていた。

そのときに「そう!!まさにわたしも!!そこをどう考えたらいいか、ずっとわからないんですよ!!」とその方々とハイタッチしたい気持ちになりました。

独自の文化を生み出し、既存の芸能や芸術を発展させた土地、場所であるのはわかっていて、でも一方で、今の時代感覚から考えると、複雑な気持ちにもなる。それを時代が違うからといって飲み込めるほど、今、その複雑さが解消されてはいない。。

後日、台東区立中央図書館に行ってみたら、郷土資料のコーナーでちょうど吉原細見の展示をやっていた。細見(さいけん)とはガイドブックのこと。
どこの妓楼にどんな遊女がいるか、そのランキング、金額、などが書いてある。

吉原についてまとめた棚もあって、方向性で言うと、
・吉原の文化やしきたりの紹介。美麗で豪奢で大人の粋な社交場!
・吉原や遊女への負のイメージは小説や映画の影響受けすぎ!実際は違った!
・吉原の遊女の悲劇どん底物語

など、ほんとうにいろんな切り口の本があった。
うーん、きっとどれもほんとうなんだろうな。

わたしは漫画『花宵道中』の衝撃がすごすぎて、あの世界観からまだ抜けきっていないのかも。圧倒的に美しくも儚く悲しいっていうのが、苦手といえば苦手...。

 

・着物を見る目が変わった

最近、競技かるた用に着物と袴を購入して、はじめて袴の着付けを習ったり、着物について教わったりしている。

そういう今の自分から見ると、
すごい布の量だな!
このだらっと、ゆるやかで、ぐしゃっと着る感じが遊女のたおやかさを表したいのかな?
この柄とこの柄、この色で組み合わせるのかー!

といった感じで、一枚一枚を見た。

もしかしたら当時の人びともファッションスナップ的に浮世絵を見ていたのかもしれない。こういう着方やポーズがおしゃれなんだ、自分じゃ着ない(着られない)けど素敵〜♪などおしゃべりしていたのかもしれない。

着物を観察する目をスライドさせていくと髪飾りや、持ち物や、室内の調度品などにも目がいく。当時の生活や風俗がわかる。

着物に親しんで来なかったので、これまではあまりそのあたりに目がいかなかったのだけれど、自分が体験した途端、視界に入ってきて、あたらしい発見を得られたのはおもしろかった。

 

・地下の視聴覚室で流れている解説映像は必見

浮世絵の成立や歴史、作家の特徴についての30分の解説映像がわかりやすかった。

 

木版と肉筆から生まれた浮世絵の流れ、江戸の大火事「明暦の大火」からの大復興と江戸への資本流入、墨一色刷りから、朱を基調とした複色刷り、大量に版木を使い分業化していった多色刷り、絵師の登場と成功者と代替わり、浮世絵の盛衰、、

特に絵師の名前って、単体でバラバラでしか自分の中に存在していなかったのが、

"まず菱川師宣が初期浮世絵を興して、その後流派が別れて大阪出身の鳥居派と......、鈴木春信が大きな影響力を与え...、喜多川歌麿...、東洲斎写楽が...、と続き、浮世絵の幕末に葛飾北斎歌川広重歌川国芳・歌川国貞が活躍....、国芳門下の月岡芳年は洋画を取り入れ...、河鍋暁斎小林清親...."と追って説明してもらえたことで、わたしの中にも流れをもって組み込まれていった感じ。

この解説映像がかかっているのは、毎日かどうかはわからないので、行く前に確認されると確かです。

 

 

ふりかえり

・「浮世絵」というざっくりとした捉え方だったものが、いくつもの軸や切り口で細分化され、自分の中で体系立てられた展覧会でした。浮世絵を見る楽しみ方が少しわかった!という感じ。これは大きな収穫でした。

・「好き嫌いで見ちゃいけない、それは美的発達的に稚拙」という言説にどこかとらわれていた自分がいたけれど、好き嫌い、得意苦手は、やっぱりある。そこを受け入れることではじめてその先に行けると思う。

・太田美術館の4月〜5月の月岡芳年展が楽しみになった。前期と後期で展示替えとのこと。こんなんも見つけてしまった>https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18054

2018年練馬区立美術館...これは今あったら絶対に行っている!

・2020年はオリンピックもあるし、東京でやるから、浮世絵も盛り上がっているのかも。東京都美術館で7月〜9月までThe UKIYO-E 2020が開催。
https://ukiyoe2020.exhn.jp/

 

フラグが立っていると視界に入ってくるし、立っていないとほんとうに入ってこない。脳の仕組みやご縁っておもしろい。

 


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イベントのお知らせ

そういえは日本書紀ってなんだっけ?〜出雲と大和展@東京国立博物館 鑑賞記録

東京国立博物館の夜間開館で、〈出雲と大和〉展に行ってきた。

izumo-yamato2020.jp

 

twitter.com

 

 

行くことにした経緯

このチラシを見たときに、学生時代の友人が松江出身で、出雲の話をよくしていたのを思い出しました。「昔の出雲大社は巨大だった。神殿は雲をつくように高く建てられ、階段が長く伸びていたんだ」と。

彼女とは一緒に出雲大社に行きました。当時はあまり勉強していかなかったけれど、特別な土地だということは感じました。

一昨年末には伊勢神宮にも行ってみたり、短歌、和歌からの流れで古事記にもふれたり、日本の神話や仏教も勉強テーマとして常にあります。

ということで、こんな関心から行ってまいりました。

  • ここで「出雲と大和」の関係を見ておくと、またつながること、わからないこと、知らないことが出てくるので、探求が深まるだろう。
  • 古代が現代にどのような影響を与えているかの理解にもつながるはずだ。
  • 昨年興味が深まった「正倉院展」の少し前の時代を訪ねられる!

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おすすめ鑑賞スタイル

●公式サイトで展覧会の概要をざっとおさえる。なぜ今これを?何がテーマ?

https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1971

●公式サイトのブログで見所をおさえる。会期がはじまったからこそ言える学芸員さんや研究員さんの推し品を読む。

https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/category/108/

●平成館入って右の映像ガイダンス(約12分)を見る。これでだいたい体験の流れが掴める。そして何の実物を見に行くのかを予習できる。これを見ておいたから、実物を見てみて思ったより小さい、本物の美しさがすごい、などがわかる。

●荷物はコインロッカーに預けて軽装で。

●オーディオガイドは借りる。博物館では特に解説パネルのテキスト量が多いので、耳で聴いたほうが楽な人はぜったいオーディオガイドがおすすめ。

●日本語を読んでもスッと理解できないもの、単語や固有名詞の難しいものは、英語の解説を読んだほうがわかることがある。

●メモを取る。小さな!や?を自分だけにわかるようにメモ。会場はペン類不可のため、鉛筆を持っていく。バインダーもあると尚良。

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売店も楽しい。わたしはクリアファイルをコレクションしているので、今回はこちらを。


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●体験を話し合う。行った人と感想を話す。

●体験を発信する。書く、話す場(機会)を予め決めておく。

 

 

感想

・巨大な神殿はあった。1/10スケールの模型があったけれど、1/10でこれか!!が体感できてよかった。やはり作ってみるってすごく意味がある。実物は高さ48m(16階建てのビルに相当)、階段の長さ約109m。

・巨大な神殿は鎌倉時代の造営だった。鎌倉。それまでも大きいのを作っていたのか、この時代だけ何かがあって?こうしたのか。

・日本史のメインの年表だけを辿っていると、なんだか戦ばかりしていたようなイメージがある。こういう支流や底流で動いていたもののことを知って、イメージが覆っていくのが楽しい。

・勾玉を英訳すると、Comma-shaped bead(magatama)になるらしい!ビーズ。そうだよね。beadsはもともと祈りという意味。

・ブログに書いてあった通り、後半の第二展示室には仏像がどっさり。奈良、飛鳥、平安時代のものばかりなので、素朴であったり、大陸からの伝来の影響が感じられて好み。これの前に東洋館や本館で開催中の特別展とのつながりも感じられる。

・伎楽面の展示もあり。前回の正倉院展で見たものとはまた少し違った趣。

 

 

浮かんだ疑問 

◆そういえば日本書紀って何だっけ?
会場についてあれっ?!てなってしまった。

日本書紀が編纂されて1,300年記念の展示。

古事記』とどう違うんだっけ。
対象にしている時代と目的と形式が違うのだったっけ?
これを端的に教えてくれる資料に会いたい!

...と思ったら、サックリ出てきましたよ!
さすが奈良!わかりやすい!聞かれ慣れてる感じがある!

古事記と日本書紀のちがい|なら記紀・万葉

 

 

◆出雲と伊勢の関係ってどうなんだっけ?

出雲と大和の関係はわかったけど、出雲と伊勢の関係って?
基本のきが知りたい。

この本を読めばわかるのかな??

 

◆銅器を使った祭祀って?

銅矛、銅剣、銅戈(どうか)、銅鐸、銅鏡を使った祭祀って実際にはどんな感じだったんだろう?

お墓に埋めたのはよくわかったけれど、儀式的なものの再現したものを見てみたい。

 

◆出雲は、墳丘墓のあとどうなった?

大和では、前方後円墳が作られるようになって、その後は百済からの仏教の伝来によって寺院が建てられて...という流れはわかったけども、出雲では銅器による祭祀(カミマツリ)から、四隅突出型墳丘墓の上でのマツリになって、その後は?

出雲でも前方後円墳や寺院が作られるようになったのか、やはり出雲大社を中心とした祭祀が続いていったのか。

 

 

 

 

考古展示室がすごい

多くの人が特別展を観て、けっこうエネルギー使って帰っちゃうかもしれない、または他の博物館や美術館にハシゴするかもしれないんですが、ぜひ平成館1階の考古展示室に行ってみてほしい!

少なくとも今回だけは!!

東京国立博物館 - 展示 平成館

 1階の考古展示室では、考古遺物で石器時代から近代まで日本の歴史をたどります。縄文時代土偶や、弥生時代の銅鐸、古墳時代の埴輪など教科書でみたあの作品に出会えます。(東京国立博物館HPより)

そう、つまり、さっき上で観て知った展示を、
・そもそもの「基本的な流れ」として見せてくれて、
・間が空いているピースを埋めてくれたり、
・上ではサラッとしか触れられていなかったことを詳しくみせてくれたり、

しているので、より理解が深まります。

 

ここだけで一つの博物館になるぐらいの圧倒的な展示数と充実の内容があります。
写真も撮れるし(一部不可)、解説パネルもまとまっていて入ってきやすいです。
歴史の教科書が立体空間になってるみたいな感じかな。

特別展と常設の考古学、の2つ合わせて行って、わたしの場合は2時間半〜3時間ぐらいでした。(参考にならんか...)



▼はにわが目印

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ふりかえり

特にものすごく古代史が好き!というわけではないけれど、古代を紐解いていくのは楽しい。今回思ったのは、

・今当たり前にあると思っているものが、実は千年、二千年前の人が意図的にやったことの結果だとわかると、見える景色が違って見える。

・古代の遺物から新しい発想がもらえる。

・おもしろいなー、なんでこういうふうにしようと思ったんだろう?きっとこんなことを考えたんじゃないか?と妄想しているだけでわくわくする。

・今の感覚で捉えると「遠い」と感じるような距離でも、同じものが形を変えながら海山超えて伝播していくことのすごさ。人間ってもっともっと「できる」んじゃないか?という希望が湧く。

 

今回もよき学びでした。

宿題になったことは、また必要なタイミングで出会えていくはず。

 

 

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おまけ。

 

わたしが大好きなトーハクをもっとおすすめしたい。そのためにはこれです。

年間パスポートはほんとうにおすすめ。

以前持っていたカードが期限切れになっていたので、今回更新しました。

プレミアムメンバーズカードは、5000円で1年有効。
国立博物館(東京・京都・奈良・九州)の常設展を見放題

・特別展無料観覧券が4枚もらえる

・特典の観覧券がなくなったあとも、団体料金で購入可。だいたい200〜300円引きになる。

東京国立博物館 - 東博について 会員制度、寄附・寄贈 メンバーズプレミアムパス

「特別展に年3回は行く、常設展も気軽に寄りたい」という方におすすめ。

 

 

2020年4月から常設展の入館料は値上げとのこともありますしね。

theory-of-art.blog.jp

 

 

 

夜間開館で鑑賞するのにぴったり。

こちらの記事でも書いたけれど、やはり夜間開館はすごくいいです。わたしは大好き。

16時半からの上野公園 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

ワヤン、人形劇、東洋館 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

場づくりをはじめてから、時間帯や所要時間とロケーションの関係、それらが体験に与える影響はものすごく大きいと感じています。

展覧会によっては昼間に行くときもあります。

毎週金曜、土曜日は21:00まで開館しています。

他にも特別な夜間開館日などもあるので、公式HPの開館時間で確認してみてください。

 


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hitotobi.hatenadiary.jp

《レポート》2/8 あのころのいじめとわたしに会いに行く読書会、ひらきました

ご案内していた読書会、ひらきました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

大人になって、「いじめ」について真摯に対話した経験がない、という人が多い、という感触があります。

わたしもそうです。
「いじめ」事件の報道を見て胸をざわつかせても、そのことについて誰かと話をしたことはあまりなかったと思います。
話題にしても、「ひどいね」「つらい」を超えられない。

かといって、あらたまって語るのも、怖れが大きい。

だからこそ場が必要。
本、小説、物語の存在が必要。

安心、安全に語れる場です。
物語の世界を経由して、あのころのいじめとわたしに会いに行ってみませんか?

 

 

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当日は、さまざまなきっかけや気持ちでご参加くださった4人と

タイトルどおり、会いに行けました。

あのころにのいじめとわたしに。

みんなで。

 

皆さんが今まさに、ある気持ちを感じて、言葉にして、出してくださっていました。

思い出して苦しいこともあれば、忘れられない喜びもある。

 

もう大人になったから、できることがたくさんある。

方法もいつの間にかたくさん知っている。

大事なことを忘れちゃっても、また思い出せばいいだけ。

不安になったら頼ればいいだけ。

 

ハードルを超える覚悟を持って、真剣に対話して、動かす。

それが楽しいし、生きる希望だと思う。

 

変化を怖れず、分かち合いながら、近くに遠くに、同じ時を生きていこう。

 

 

企画を持ち込み、一緒に場をつくってくださったUmiのいえの斎藤麻紀子さんが感想を綴ってくださっています。皆さんからのご感想の紹介も。

麻紀子さん、ご参加の皆さん、ありがとうございました。

www.facebook.com

 

 


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(※作品の複写は会の終了後に回収し、廃棄しています。)

 

 

 

場づくり的には。

企画検討から、作品選び、作品の鑑賞と解釈、背景のリサーチ、ファシリテーション計画、資料の準備、心身のメンテナンス、当日の進行まで、

鑑賞対話の場を営むファシリテーターの務めが果たせられて、安堵しています。

 

今回は、単行本で40ページほどの短編小説を、会場に着いてから読んでもらうという方法にしました。

事前にタイトルはお知らせして、読んできたい方は読んできてもらってもよいというふうにする。選べるように。

自分で読むときの1.5倍ぐらいはとるようにしています。今回30分はちょうどよかったです。

 

 

選書理由

この小説にした理由はいくつかありますが、例えばこんなことに気をつけて選書しました。

・陰惨ないじめのシーンや心情描写が主になっていないもの。(特に身体的なものや言葉などで、読んでいて苦しくなりすぎると、その先に行きにくい)

・いじめの構造が見えやすいもの。

・こどものいじめ・大人のいじめ、リアルのいじめ・オンラインのいじめ、を扱い今の時代に沿った設定であるもの。

・第三者介入の手段を示しているもの。

・誰でも何かひと言感想が話せる、自分の体験と結びつきやすい。(あのころのいじめとわたしに会いに行ける)

・揺さぶられても、希望がある。

・20分〜30分で読める。

 など。

素晴らしい作品でした。

 

 

作品を通した対話だからこそ

暴力、犯罪、宗教、性やジェンダー、病や障害、介護や看取り、生殖医療…など、生命や存在に関わるようなテーマ、扱いに細心の注意が必要なテーマも、作品や表現を通した対話によって、他者との分かち合いが可能になります。

どんな表現形式の、どの作品を取り上げるのかも、ファシリテーターの専門性になります。

場づくりのご用命をお待ちしています。

 

 

参考図書

誰もがもっているいじめの当事者体験(さまざまな立場があります)を、大人になった今、どのように変革に活かすことができるか。

また、人間や人間の集団の機能や構造として備わっているものだとして、どのようにそれをよいほうへ導いていけるか。

という観点から、参考になる本をご紹介しました。

 

 

進行スケジュールとグランドルールのメモ。
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今回用につくった資料。
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ファシリテーターと鑑賞対話の場をつくりませんか?
・本や映画や展覧会や舞台の力を借りて、考え学ぶ場です。
・目的、作品の選定、プログラムの設計、対象者の設定、会場、ファシリテーション計画、宣伝など、鑑賞対話ファシリテーターとディスカッションしながら組み立てていきましょう。
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・ご自身の企画やファシリテーションのご相談は、対面またはZoomでセッションいたします。30分・60分の枠いずれか。
 
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映画『ライファーズ ー終身刑を超えて』鑑賞記録

映画『ライファーズ終身刑を超えて』を観た。

chupki.jpn.org

 
2/11に『トークバック 沈黙を破る女たち』でゆるっと話そうという場をひらくにあたり、同じ監督の前作も観ておこうと思ったからだ。
 
「観ておこう」というとエラそうだ。
いや、ずっと観たかった映画だった。
見逃していた、観る機会がなかった、観る勇気がなかったのといろいろあって、ようやく巡ってきた機会、というのが正しい。
 
1月下旬から公開されて話題の『プリズン・サークル』の坂上香監督の劇場長編映画の第1作目が、この『ライファーズ』。
 
アメリカ、カリフォルニア州で、終身刑の受刑者を映したドキュメンタリー作品だ。
刑務所、終身刑、受刑者、犯罪、刑罰など、日常生活の中で身近でない人のほうが多いのではないかと想像する。
でも、だからこそ、観てほしい。
 
 
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感受性の鋭敏さは人それぞれではあるけれども
少なくとも苦手なものの多いわたしでも、なんの不安もなく最後まで観ることができた。
怒鳴り声や叫び声や金切り声、身体的・精神的暴力、手持ちカメラの揺れ、不安を煽るような音楽は、一切なかった。
それぞれの、過去を語るシーンなどはあったけれども、生々しすぎて耐えられないということはない。
 

むしろ、そこにあったのは、

真摯な言葉の重なり、ごく当たり前の痛みと悲しみの感情、温もり、愛、希望。

 

劇場からの帰り道は、あたたかさと、やるせなさが交互にやってきた。

人間性、尊厳の回復、生き直しは可能だという希望。

それと同時に、目眩がするような暴力の連鎖の根深さ。

自分の人生経験に深く食い込み、あちら側とこちら側に分けられない、行き来するような感覚もある。

「じゃあこういう場合はどうなるの?」
「もしわたしが加害者や加害者家族や、被害者や被害者遺族なら?」

という問いも次々に生まれる。

 

映画の中で印象的なのは、皆、真摯で誠実な言葉を重ねていた。
受刑者、更生プログラムを実施する人、家族、被害者、被害者遺族。

本当のことを話す、ジャッジせずに受け止める、

ということがこの映画の中には貫かれている。

 

そのおかげで、今まで理解が困難だった
加害者とは何か、
更生とは何か、
なぜ公判で罪の意識を感じたり、遺族に謝罪の気持ちが生まれる様が見られないのか、

ということの手がかりを見つけたような気がする。

 

まるであの人たちはわたしのもうひとつの姿なのではないかと思った。
それから、わたしは本当のことを話しているだろうか、と自問した。
 
『プリズン・サークル』を観た友人が、同じようなことを言っていた。
この映画が気になっている方は、ぜひ友人の感想を読んでみてほしい。
わたしもトークバックで対話の会をしたら、『プリズン・サークル』も観に行く予定だ。
 
ライファーズ』と『プリズン・サークル』を並べることで、共通と相違を見出し、さらなる対話が広がる。
もちろんそこに『トークバック』も含めたい。 

この三部作の問いかけを、大切に受け止め、わたし自身の言葉で真摯に語りたい、とあらためて思った。 

  

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サブタイトルの「終身刑を超えて

どういう意味なのかな?とずっと思っていた。

英語のタイトルは、LIFERS -Reaching for life beyond the walls

映画を観たあとに覚えたこの手触りとこのタイトルとの関係を、まだうまく言葉にすることはできない。

ただ、どちらのタイトルも、その言葉の襞の奥にあるものを表していて秀逸、ということは確か。 

 

「自分の中に平和を築けないと苦しみが終わらない」

 

 

あとから確認したこと。

終身刑とは、アメリカ合衆国カリフォルニア州における終身刑とは。

終身刑とは、刑事上の有罪判決 に基づく処罰であり、国家に対し人を生涯、つまり死ぬ まで刑務所に収容する権限を与える刑罰を意味する。(終身刑:政策提言特定非営利活動法人 監獄人権センター)

・仮釈放のない終身刑、仮釈放のある終身刑が存在する。
・仮釈放の制度のある終身刑であっても、却下され続ければ、実質「受刑者が獄死するまで収容し続ける」ことになる。

・日本における無期懲役も、終身刑に含まれる。

・リンク先の文書によれば、アメリカにおける終身刑の受刑者の数は他国と桁が違う。アメリカは厳罰化の傾向にあり、終身刑受刑者の人数は年々増加している。

・死刑制度の代替として採用している国や自治体もある。

 

アメリカにおける終身刑は、

州の刑事法は、州憲法に基づき、州ごとに制定されており、地方色が強い。(Wikipedia

ライファーズ』本編では、(おそらく2002年当時の)カリフォルニア州では、受刑者が500万人おり、そのうち10%の50万人が終身刑の受刑者とのことだった。

カリフォルニア州では、死刑制度が存置されていたが、2019年3月に一時停止が決定された。(米国:カリフォルニア州知事 死刑執行を一時停止 : アムネスティ日本 AMNESTY )しかし、連邦レベルでは、16年ぶりに死刑執行が決定されている。(https://www.bbc.com/japanese/49123965

政府、政権の動向により、刻々と変化していく。こちらの論文も参考になる。

 

知識がなくても映画を観ることはできるが、
疑問がわいたら、このあたりのトピックも辿ると、
より理解と学びが深まることと思う。

 

 

 

シネマ・チュプキ・タバタでの上映は2020年2月14日まで。

ぜひ観て、そしてあなたの周りに対話を起こしてほしい。

そうすることであなたの周りにサンクチュアリが生まれる。

chupki.jpn.org

 

 

2月11日(火/祝) 19:05-『トークバック』でゆるっと話そう
 
 

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書籍『スケープゴーティング』ほか 〜集団心理を学ぶ

以前調べものの関係で読んだ本が、新型コロナウィルス感染症に対する社会の反応を理解するのに役に立っている。

 

 

 

なんの因果関係もない人が責められたり排除されることなんて、普通に考えたらありえないわけだが、実際には起こる。

 

集団心理、心理に基づく行動を学ぶことで、望まない選択をしなくて済む。

からくりがわかれば不安なもの、怖いものが減る。

自分の生きづらさを理解できる。

人生を他人に奪われない。

 

社会の構成員としての義務と責任は一人ひとりにあるとしても、
「あの人のせい、この人のせい」「この人を罰すればどうにかなる」ほど簡単ではない。

意志というあやふやなものや、強い言葉のスローガン、脅しでは、根本的な解決は難しい。

 

場をつくる、複数や集団の人間とのあいだに機会と関係をつくるわたしの仕事では、理論、体系、構造、機構、制度を学ぶことが欠かせない。

同時に個別具体を見る。丁寧に聴く。

その行ったり来たりを愚直に繰り返していく。

東京文化会館音楽資料室〜専門図書館を活用して自分のテーマを深掘りする

第九の予習会をして聴きに行ったり

noteで「打楽器のいい話」 を配信したりと、

ここ数年、クラシック音楽にふれる機会が多くなってきました。

 

美術に関しては、展覧会に行くたびに歴史を辿り直して、自分なりに少しずつ体系ができてきたけれど、さて音楽に関しては?

  • そういえば音楽の歴史って、あんまりよく知らないかも。
  • 今一番身近になっている西洋音楽史って、どんな変遷なんだろう?
  • 音楽を知ることは、美術を理解するためにもよいのでは?

と考えるに至りました。

 

こういうとき、わたしはやっぱり本から調べます。

上野の東京文化会館に音楽専門の図書館があったことを思い出して、さっそく行ってきました。

www.t-bunka.jp

  

専門図書館の良さは、なんといってもそのジャンルでまとまっている、ということ。

特定の調べ物をするときに探しやすいです。

そしてまだ検索項目がはっきりしないというときにも、棚に並ぶ背表紙を並べるだけで、「そのジャンルの中にどういうトピックが存在するか」がわかることで、次の一歩の助けになります。

 

以前noteで国際子ども図書館の調べ物の部屋の話を配信しましたが、それと同じですね(こちら の26:40から)

 

ざっと棚を眺めてみて、わたしには今、以下のような関心があることに気づきました。

  • 西洋音楽史の概要を流れをもって知り、頻出単語を自分の文脈の中で体系化したい
  • そもそも人間にとって音楽とは何か、音楽の起こりは何か
  • 西洋楽器にどんな変遷があり、それによって音楽や、楽譜や、演奏技術がどのように変化したか知りたい
  • 楽家の偉業ではなく、実際の日々の暮らしはどのようなものだったのか
  • 女性の音楽家はいたのか、どんな活動をしていたのか、なぜ表に出てこなかったのか

 

見つけたのは、こんな本たち。

 

 

閉まる間際に入ったので、棚の本を見るだけで時間切れになってしまいましたが、それだけでも十分ほしかった資料に会えて、ほくほくです。

閉架図書もあり、検索すればもっといっぱい出てきます。

貸出はしていませんが、図書(視聴覚資料以外)のコピーサービスがあります。

じっくり読みたい場合は、書名を控えて最寄りの公共図書館で借りるか、書店で買うかになりますが、それでもこのジャンルの読みたい本にショートカットでアクセスできるのはありがたいです。

 

 

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  • 作曲家や演奏家、曲について調べる
  • 楽譜を見ながら音源や映像を視聴する
  • 東京文化会館の過去の来日公演プログラムを見る

なども叶います。

この図書室は、演奏者やオーケストラや吹奏楽の団体にとっては、パート譜の館外貸出でおなじみの場所だそう。カッコいいなぁ。

 

調べ物のコツがわかると、学ぶことはもっともっと楽しくなります。

調べるために、いろんな場所に行くことにもなりますし、

好きなこと、楽しいことが、どんどん自分の世界を広げてくれます。

自分にしかない探究が、生きる実感と希望を与えてくれます。

 

それは子どもや"学生"の特権などではなく、だれもが持っている可能性の翼です。

そしてライブラリーやミュージアムは、その翼を羽ばたかせてくれるユートピア、知の泉です。

 

 

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