ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

アサヒビール大山崎山荘美術館と清宮質文展

年明け、京都のアサヒビール大山崎山荘美術館に行ってきた。

この美術館の評判は何人もの友人から聞いていて、ずっと訪問の機会を待っていたところだった。ちょうど東京で見かけた清宮質文(せいみや・なおぶみ)展のチラシになにやら強く心をつかまれ、帰省と重なることもあり、ついに機巡る、と喜んで出かけた。

www.asahibeer-oyamazaki.com

 

JR山崎駅から徒歩12分ほど。線路を渡るといきなり入山。急な坂道をてくてくと行く。駅から無料の送迎バスもある。鳥の声、山の音が気持ちよい。玄関までの数分のアプローチにはたくさんの草木や花が植えられている。山のロッジのような玄関を入ると、別世界が広がる。

 

わたしは清宮質文のことは何も知らなかったが、作品をみていると、こどもの頃からとてもよく知っている気がした。


深く静かな内面の静寂(しじま)を聴いて、捉えて、色と共にそっと写し出す。いろんな人がそれを試みているけれど、こんなに小さな気配の音まで拾ってくる人を知らない。

 

作品から受ける印象とは裏腹に、緻密な計算の上に成り立っていて、相当な力仕事のために毎日腕立て伏せをしていたなどの解説がある。

いや、おおよそ仕事とは、そういうものなのかもしれない。

 

作品リストに図版入りの解説までついていた。展覧会用の図録はなかったのでうれしい。

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ポストカードセット。可能な限りの色の再現の跡。どれも好きな作品ばかり。
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清宮のどの作品もこの美術館にしっくり合う。もはや館の一部となっている常設の作品たちも、居心地が良さそうだ。

もともとは山荘だから普段使いではなかっただろうが、それでもどこか生活の気配を残している。丁寧に作られてはいるが重厚すぎず、自然と共に在るような建築や調度品に心が落ち着く。

 

テラスからは見える平野と川の広がり。

暖かい時期には、この席からお茶を飲みながら眺めを楽しめそう。

 

清宮の作品にこの美術館で出会えたのがよかった。

会期は2020年3月8日まで。


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映画『台湾、街かどの人形劇』〜伝統と継承、父と子、師と弟子

映画『台湾、街かどの人形劇』を観た。

 

購読している毎日小学生新聞に載っていて、これは観なければと思っていた。 

mainichi.jp

 

都内のどのトークイベントも来日イベントも逃してしまい、ようやくたどり着いた劇場は、横浜シネマ・ジャック&ベティ

ようやく来られた老舗の劇場。
1991年の開館だから、わたしが10代で、BS放送レンタルビデオで映画をみまくっていた頃からあるということだ。

この佇まい。大阪時代に行ったACTシネマヴェリテ、第七藝術劇場扇町ミュージアムスクウェア京都みなみ会館や、東京に来たばかりのときによく行ったシネヴィヴァン六本木、三百人劇場、中野武蔵野館などの映画館を思い出した。

いろんな映画館でいろんな映画を観てきたんだなぁ。
やっぱりわたしは映画が好き。映画館が好き。


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しかしこの劇場、上演本数が凄まじい。
週替わり、2シアター、1日12〜14本の映画をかけている。
見間違いかと思ったけど、数えてみたらそうだった。すごい......。

 

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この映画にたどり着くまでに、いろいろな支流があるが、うまく整理しては書けない。
書いてしまうと大切なものがこぼれ落ちるような気がする。

ただ、とにかく、わたしにとって特別なものがたくさん詰まっている映画。

そういう予感が強くあった。


そもそも、このドキュメンタリーで追っていたのは、あの侯孝賢ホウ・シャオシェン)の、あの映画『戯夢人生』で描かれた李天禄(リー・ティエンルー)の息子・陳錫煌(チェン・シーホァン)というのだから! これが特別でない、わけがない。


見終わっての第一感想は、とにかく素晴らしかった。美しかった。
なんと精緻な技芸、静謐な世界。
一人の人間の営みと芸を膨大な歴史に織り込んだドキュメンタリー作品。

原題は「紅盒子」。紅い小箱の意。英題は"Father" 
血筋の父子、家の父子、伝統の父子、技芸の父子、国の父子…。

陳錫煌の枯れ木のように皺だらけの手。
繊細で詩的な指遣い。小さな人形に命が吹き込まれる。

台湾語台湾語以外の言葉。薄れていく言語。一度「封殺」された言語。「言語も文化も奪うのは容易いことだ」という言葉に、胸が苦しくなる。かつてわたしの国の人は、他の国や地域の人の言語や文化を奪ってきたから。その「台湾語」も「わかる人も少なくなってきた」のだそう。

日常生活の延長、娯楽だった布袋戯が特別なものになってしまっている、風化。伝統として手厚く「保護」される対象にも、まだなりきれないでいる。その苛立ち。


激動の時代を生き抜いた人形遣いたち、楽師たち。迫害され、持ち上げられ。
でもまだ終わっていない、終わらせない、終われない。
天命だから。選ばれてしまったから、逃れることはできない。

10年の歩み。人の変化。関係の変化。人の死。過ぎ去っていく時間。

それでも、大切なものを受け取り、受け継がねばという切実さを持った次世代の手により、確かにこの伝統は続いていくことが予感される。

その一方で、次第に明かされていく親子の、兄弟の、家族の、あるいは血を超える師弟の愛憎。

映画を通した、それぞれの人と「父」との対話。「息子たち」はただ、「お父さん」に愛されたかった、認めてもらいたかったのではないか。

どのシーンも美しく忘れがたいのだけれど、とりわけラストの美しさはまったく文字での表現を放棄したくなるほどだ。

これが記録でありつつ、映画作品として、鑑賞対象としてあることに、心から感謝したい。

 

パンフレットも丁寧に作られている。映画の中の陳錫煌は芸神のような存在として映るが、インタビューを読んでいるとやはり生身の人間。気さくな人柄が見える。

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それにしても人形劇というのは、どうしてこうもわたしを惹きつけるのだろう。

年末に訪れたエンパク(早稲田演劇博物館)の企画展『人形劇、やばい』の感想も書きたいが、どうしても書き出せないでいる。

今はまだわからない。

でもいつか、何か重要な根っこにつながる日がくるのではないかと思っている。

《お知らせ》2/8(土) あのころのいじめとわたしに会いにいく読書会

同タイトルで2回ひらいてきた、いじめをテーマにした読書会。
第1回:http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2019/10/04/091730
第2回:http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2019/11/28/173713

 

2/8(土)にもひらくことになりました。
Umiのいえのシリーズとしては、一旦最終回です。
気になっていた方、ご参加お待ちしております。

いじめをされたわたし、
いじめをしたわたし、
いじめを観て楽しんだわたし、いじめを見ないふりをしたわたし...
すべての人に関係がある《いじめ》をテーマにした本を読んで感想を語る読書会です。

 
今回はこちらの本を取り上げます。
萩原浩『サークルゲーム
(『いじめ』をめぐる物語:朝日出版社刊より)

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https://amzn.to/382bhHn(単行本)
https://amzn.to/36QUDup(文庫)
 
物語の世界を旅しながら、あの頃の《わたし》に会いに行ってみませんか?
大人になった今のわたしだからこそわかることや、
物語の感想を通してだからこそ話せることがあるかもしれません。
また、みんなの感想を聴くことから、気づくこと、
日常に持ち帰れることが見つかるかもしれません。
 
当日は、コピーを配布して会の冒頭で読書の時間をとります。
著作権保護のため、コピーは終了後に回収します。
事前に読んでからの参加も歓迎です。
 
挨拶→ 読書の時間→ 感想トーク→ ふりかえりの流れで、
読書会のプロ、鑑賞対話ファシリテーターが進めます。
読書会がはじめてでも安心してご参加ください。

ご参加、お待ちしております。
 
2020年2月8日(土)10:00~12:30
■対 象:いじめのテーマに関心がある方、物語の感想を話し合ってみたい方。
     読書会がはじめての方大歓迎。
     ハイハイ前のお子さんは同伴可。
■参加費:3,800円(税込)
■定 員:6名  *3名以上で開催とさせていただきます!
■会 場:NPO法人Umiのいえ
■アクセス:JR横浜駅から徒歩12分 http://uminoie.org/access/
■キャンセルについて:
 2日前までのキャンセル -->無料   
 前日のキャンセル -->参加費の50%   
 当日のキャンセル-->参加費の100%   
 をお支払いいただきます。

お申し込みはこちらhttps://coubic.com/uminoie/979560


ファシリテーター:舟之川聖子(ふなのかわ・せいこ)
鑑賞対話ファシリテーター。場づくりコンサルタント
芸術や文化を発信する作家や施設、届け手と共に、作品と対話を中心とした新しい鑑賞体験の場をつくることを通して、表現は人間にとって生きる上で不可欠なものであり、希望となることを伝えている。また、読書会のつくり方講座や場づくり講座、コンサルティングサービスを通して、場をつくりたい人のサポートもしている。
・Umiのいえにて『爽やかな集中感 百人一首と競技かるた体験会』を開講中
 https://coubic.com/uminoie/174356
・過去の読書会
 ・『夜と霧』を読む会
 ・『いのちを”つくって”もいいですか?』読書会
 ・『あさきゆめみし』を語る会
 ・『CIPHER』を語る会
 ・大人のための『おしいれのぼうけん』読書会
 ・こくごのじかん読書会『シッダールタ』
 ・そういえばギリシャ神話ってなんだっけ?の会
 ・積読本をひらく読書会、ほか多数
 
HP: https://seikofunanokawa.com/
Blog: http://hitotobi.hatenadiary.jp/
Twitter: https://twitter.com/seikofunanok

 

 

《Umiのいえより》

第3回目の今回でこのシリーズは最終回。
小説を通じて「いじめ」を語り合う。
自分が感じたことを話すのも、
他の人の感じたことを聴くことも、
大変貴重な体験です。

扱うテーマはシビアだけど、
集中して感じ考え話す読書会のスタイルが、本当に面白く深い体験だった!ので、みんなにすすめたい!

📗小説の中に、過去の自分がいるかもしれません。
被害者、加害者、傍観者、教育者、保護者。
一人一人の気持ちを読み解き、
人の弱さと強さ、複雑さを眺めてみよう。

📕そして、私の胸の中に、何が描かれるか。
何かを思い出したり
何かが消化したり、
動くと思います、きっと。

読んでディスカッションする2時間半が、映画のように、心に残ります。

 

《今回の選書のポイント》

●これまで2回ひらいてきた中で生まれた、疑問や課題意識を元に選びました。
・少し前の時代感覚→同時代性(2018年刊)

・リアルの場のいじめ→オンラインで行われるいじめも描いたもの

・男子をいじめるのは男子とは限らない→性別や年齢をさまざまに

・大人にもいじめあるよね?→大人同士のいじめ、ネット炎上なども扱う

・加害行動の原因が家庭環境以外にもありえる→さまざまな原因または不明な状況を見る

●いじめをテーマにした読書会だからこそ、
・どこからがいじめか(なぜいけないか)
・その場でのいじめの起きやすい構造とは
・その立場からできることは何か
・こどもの頃のいじめの体験は大人になってどんな影響を与えるか
などの点について、読みながら、感想を話しながら、考えていける物語を選びました。


●いじめをテーマにした物語というと、凄惨な描写があるものもあり、読み進めるのが辛くなるものもあります。できるだけ読者の不安が少なく、読後に勇気や希望が感じられるような物語を選びました。

 

●今回のテキストは少し長くて40ページほどあります。

人によっては時間内に読み終わらない可能性もあります。
未読のところは、あらすじを補足しながら進めます。
もっと短いものにしようかとも思いましたが、この物語のもつ力を信じてみたいと思いました。

読み終わらなくて心配な方は、図書館で借りて読むなどしてくださってもだいじょうぶです。

 

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\_____鑑賞対話ファシリテーターにご依頼ください_____/

対話の進行はもちろん、対話にふさわしい対象(作品や資料や場所)を見つけることも、鑑賞対話ファシリテーターの職能です。

ファシリテーターが必要な方、ファシリテーターのアドバイスを受けたい方、どうぞご活用ください。

seikofunanokawa.com

奈良・平安・令和〜平安宮廷スポーツスタジアム

ツイッター

東京国際フォーラムのロビーで何やらすごい展示をやっている、平安時代の装束が見られて、写真撮り放題、ぜったい行くべし!

...という投稿を目にしてすぐに行ってきた。

 

J-CULTURE FESTという、東京国際フォーラムが主催するイベントの一環。

j-cf.jp


企画協力:井筒企画、制作:NHKアート、企画制作:NHKエンタープライズ

 

展示は3つのコーナーにわかれている。

 

平安宮廷スポーツスタジアム

東京オリンピックとの関連でメインのコーナー。

最も広いスペースを使って、蹴鞠(けまり)、騎射(うまゆみ)、打毬(だきゅう)を紹介している。

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相撲節会

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相撲や騎射など、左右に別れて行う競技において演奏された舞曲「蘭陵王(らんりょうおう)」と「納蘇利(なそり」のジオラマや装束も展示されている。今年はついに雅楽の「陵王」の舞を聴きに(観に?)行くことになったので、どういうシーンで使われていたのかを予習できてよかった。

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どうして平安なのかというと、令和に改元もあったし、受け継がれてきた独自の儀礼や装束にも関心が高くなってるからね、ということだと思う。

令和の初春 梅花の宴

飛鳥・奈良の時代の装束。素朴で美しく、風通しよくおおらか。
万葉集の「梅花の歌三十二首幷せて序」の解説も展示されている。
この時代は花といえば梅。

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御大礼の儀式と装束

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わたしは民族衣装や装束を見るのが大好き。
さらに平安文化は競技かるたにふれていると身近なものなので、とにかく驚喜しながら観ていた。中でも個人的に萌えポイントだったのが、源氏物語の場面を再現している騎射(蛍)と蹴鞠(若菜上)の展示。

 

36歳太政大臣となった光源氏。養女にした玉鬘に執心したかと思うと、異母兄の蛍兵部卿宮とくっつけさせようと仕掛けたり、翻弄させる。正妻だった葵の上との子・夕霧は幼馴染の雲居の雁のことが忘れられないが、父の内大臣の許しが得られず悩む。そんな時期に六條院でひらかれた騎射。光源氏の余裕が見える。

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若菜上

蹴鞠に興じている公達を眺める源氏、その隣で柏木が女三宮を見てしまう場面。源氏は41歳、臣籍降下したにも関わらず、不義の子・冷泉帝のはからいによって准太上天皇まで上り詰めたばかりで、人生で最高に充実した時期にあった。

本来やんごとなき立場の女性は、御簾の際に寄って姿を見られるようなことがあってはならない。しかしそのあたりの自覚がなく迂闊な女三宮は、飼っている猫がじゃれついて御簾があおられ、姿を見られてしまう。装束によってそれが女三宮であることがわかってしまうというところも解説されているのが心憎い。

夕霧の肩ごしに見えたものに息を呑む柏木の微妙な感情が伝わってくる。光源氏凋落の予感。運命の瞬間。世代を超える連鎖。

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いやぁ、いいですねぇ〜!!!!

ここでオタク得意の妄想力を発揮すると、まるでその場面に居合わせたかのような緊張感が走ってたまらない!!オタクでよかった...。

 

 

写真やテキスト、博物館で展示される宝物、絵画や絵本や漫画やアニメーションやゲームや映画...さまざまな出会いのツールがある中で、「この時代ってほんとうはどんな感じだったんだろう」を知る、確認するのに、この再現ジオラマというのもまたあらためて素晴らしい工夫だと思った。

 

ほぼ全方位からまわりこんで見られるのが最高。

自分の身体ごとそこにダイブする感覚。

 

色や文様や形。素材や比率まで丁寧に再現されている。

 妻戸ってこういうふうについてるのか、

 この服で座るときって裾はこういうふうにさばいて、こういう姿勢をとるのか、

 男性と女性の居る場所の距離感てこのぐらいなのか...とか。

ほんものを見た、という感じがする。

 

こういう体験もまた、今後の鑑賞や競技の中で生きてくることだろう。

 

これはほんとうに見られてよかった!

喜びをおすそ分けしてくれた方々に感謝!!

 

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格子と御簾と几帳と屏風の世界...。とにかく寒そう

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武官束帯、スキ...。

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田端文士村記念館で芥川龍之介に再会する

去年から鑑賞対話の場「ゆるっと話そう」もあって、シネマ・チュプキ・タバタに通うようになって、田端に急にご縁ができた。

駅前のコメダ珈琲に寄ったとき、同じビルの1階に田端文士村記念館という施設があるのに気づいた。北区の博物館のようだ。

いつか訪れたいと思っていたところに、芥川龍之介の死に迫る特集との町内会の看板を見つけ、これは絶対に行くぞ!と決意。

ちょうど芥川賞の発表があったのもきっかけになり、ふらりと寄ってきた。

 

《企画展》芥川龍之介の生と死~ぼんやりした、余りにぼんやりした不安~

https://kitabunka.or.jp/tabata/news/3611/

 

入口すぐの展示ルームは、田端文士村にどんな芸術家たちが暮らしていたのか、活動年表、交流などの概要がまとまっている。

真ん中の吹き抜けの展示スペースには常設のビデオコーナーと企画展その一、奥の展示スペースに企画展その二、という配置。こじんまりとしているが中身は濃い。

 

文士や芸術家たちが田端近辺に暮らしていたということをわたしは知らなかった。なんとなく大森近辺にはそのイメージがあったが、田端もそのような土地だったのだ。しかも芥川龍之介室生犀星萩原朔太郎菊池寛堀辰雄佐多稲子など超有名文人をはじめとして、歌人や画家や工芸作家なども数多く住んだという。こちらに芸術家一覧がある。錚々たる顔ぶれだ。

1945年終戦近くの大空襲で焼けて、この文士村は「解体」してしまうが、かつてこの地に培われた芸術の都が確かにあったという痕跡を、各々の芸術家の作品や遺品や記録資料に見ることができる。それらが展示されている館があるのは貴重なことだ。

 

 

ちょうど先日友人と「蜘蛛の糸」の話になり、「芥川龍之介っていじわるだよね」と意気投合したところだった。あの話、教訓話なのかと思いきや、そういうわけでもないような、何か後味が悪いような、薄ら寒い感触があるなぁと思っていた。

どの作品も彼にしかない完璧な美学で貫かれている。わたしは彼の作品を好きや嫌いの判断が未だにつかない。

 

ただ、どうしても惹きつけられてしまうところがある。

芥川龍之介の写真はどれも出来過ぎだ。カッコよすぎるほどカッコいい。
高校の国語便覧の中でも際立ってカッコよかった。

けれども甘さはない。神経質で洞察力鋭く斬られそうだ。
一番言ってほしくないことを言う。当たっているだけに痛い。
そんな意地悪さを感じていた。

怖い人だなという印象をずっと持っている。

 

龍之介と藝術論を戦わせた谷崎潤一郎、龍之介が人生と作品に多大なに与えた影響を与えた室生犀星、龍之介が創作を励ました堀辰雄、死を知らせる記事や友人たちの言葉、遺書、弔文の数々によって、龍之介の死の前後の日々が描き出される展示になっている。

 

誰もがある種の思い入れを持たずにはいられない人。

 

龍之介と親交のあった芸術家一覧を見るとざっと700人はいようか。さしずめFacebookの友達一覧のようだ。師の夏目漱石に倣い、毎週サロンをひらいていたという。
場をつくっていた人。

「あれほど人とつながっていた人であっても、相談する相手がいなかったとは...」という死後の友人の言葉が胸に刺さる。もちろんそうかどうかはわからない。相談をしたのかもしれない。それでも、そういう度合いを超えていたのか、という気もする。

本人にしかわからないことがあるのは、いつの時代の人間も同じ。

 

親友への遺書には、近親者との関係について触れているくだりもあるが、展示の中では解説されていない。謎めいた死。
もしかするとこれだけ時が経っても、語れないことがあるのかもしれない。

 

 

二つあらためて思ったことがある。

一つは、この時代に夭逝した芸術家は芥川龍之介のほかにもいた。急激に西洋化した近代日本の大きな時代のうねりの中で、繊細な感受性を発揮しながらも、それがために翻弄され苦悶する人たちの姿が、またここでも見えてくる。

もう一つは、生い立ちや、人間関係や、心身の病が人間の生涯に与える影響が大きいことを、わたしは芸術家の人生を通して学んできたところがある。その表現作品、作品の変遷、日記や写真や手紙など遺したものによって、精緻に知ることができる。同じようなことを、科学者や経営者や政治家からも学ぶ人もいるだろうと思う。わたしの場合は、芸術家から。

 

 

館内に置かれていたこの本は、「家族」一人ひとりの言葉を通して、また新たな龍之介の人柄に触れることができる。不思議と自分も龍之介に近い立場の者になったような、そこはかとない悲しみと優しさと癒しに出会うような一冊だ。

  

ロビーのビデオ視聴コーナーでは、芥川龍之介が自宅の庭で子どもたちとくつろぐ2分ほどの動画を見ることができる。
ほいほいと木に登り、屋根をすたすた歩いていく。
子どもからつばの広い帽子をばさりとかぶせられ、一瞬驚くが、すぐに目線をこちらに向けて、タバコに火をつける。

 

 

世が世なら、と思わずにはいられない。

 

 

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《レポート》12/27『ディリリとパリの時間旅行』でゆるっと話そう

遅くなりましたが、『ディリリとパリの時間旅行』でゆるっと話そうのレポートです。

 

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暮れもおしせまった12/27(金)の夕方。

直前に新聞に映画の紹介が載ったこともあってか、劇場は満席となりました。めでたい。

ゆるっと話そうのほうには、まだ観ていない方2名も含め、10名がご参加くださいました。

 

ほとんどの方が直前の回を見終わって、2階のゆるっとの会場にいらっしゃるのですが、どなたも「ああ、いい映画だった〜♡」というお顔で、うれしくなります。

 

パリやヨーロッパの文化が好きな方

美術や音楽や文学が好きな方、

ミシェル・オスロ監督の作品が好きな方、

鑑賞対話の場づくりに関心がある方、

音声ガイドを担当された方など、いろいろな方と円座を組んでお話しました。

 

今回の進め方

・まずはお隣の方と2人でペアになり、話す人・聴く人に分かれてお互いに5分ずつ、観た感想を話してもらいました。観ていない方は、どんなイメージを持っているか、どうして観たいと思ったか・興味を持っている点について話してもらいました。
・その後、「2人で話していて印象に残ったこと」を全体にシェアしてもらいました。

・そのシェアを聴いてまた思ったこと、気づいたこと、話題には出ていないけれどふれておきたい箇所や視点について話しました。

 

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わたしが今回のトークで印象に残っているのはこんなこと。
・パリ、フランスの誇りを感じた。一つの文化や時代をつくった「怪物たち」がこれでもかと登場する。あれはフランスの人たちを鼓舞する効果もあるのではないか。
・パリのまちがとにかく美しい。DVDが出たらほしくなった。(出てます!→
・途中怖いことも苦しいことも起こる。実際に現代のフランスや世界が直面している課題(女性差別、人種差別、貧困、暴力など)も多々出てくるが、最後には希望をみせてくれるところがよかった。
・アニメーションだから直視できた。
・フランス語の美しさにうっとりした。
 
観ていない方は、みんなの話を聴いて絶対観たくなった、
観た方は、みんなと話して、もう一回観たくなった、とのこと!
 
いいですねぇ^^
 
わたしはゆるっと話そうをひらくにあたって、2回目を観て、さらにオスロ監督の前作『アズールとアスマール』も観たのですが、こちらも素晴らしい作品でした。国籍、人種、移民、性、身体的特徴による差別や文化の軋轢など、深いテーマを扱いつつ、愛と美と光にあふれていました。おすすめです。
 

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ご参加くださった方、ご関心をお寄せくださった方、ありがとうございました。
 
・・・・・
 
上映会、鑑賞対話の場づくり、ご相談ください。
プログラムの設計、対象者の設定、会場検討、プログラムの内容、目的、ファシリテーション計画など、鑑賞対話ファシリテーターとディスカッションしながら組み立てていきます。
・主催者としてファシリテーションをご依頼くださる場合は、概要をお知らせください。
・ご自身の企画やファシリテーションのご相談は、対面またはZoomでセッションいたします。30分・60分の枠がございます。
 
コンタクトフォームよりお問い合わせください。 https://seikofunanokawa.com/
 
 
 

読み聞かせ・5年生・1月

今年最初の読み聞かせでした。


冬の一番寒い時期を念頭に、家の本棚にあった2冊を選びました。科学写真絵本と民話の組み合わせは、読み聞かせの一つの型です。理由はのちほど。


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あし→てぶくろの順で読みました。

 

「あし」

福音館書店では品切れ(絶版?)のようです。図書館にはあるかと思います。

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=4042

 

ヨシとも言います。平安や鎌倉時代にはアシと言っていたようですが、いつからかアシ=悪しと音が一緒なので縁起が悪いということで、ヨシになったらしい。わたしが湖や川に縁のある生い立ちだから、その思いを込めて。葦原の四季を追った写真も美しいです。途中に詩のような歌のようなフレーズが入っているのがまたよいです。

 

「てぶくろ」

福音館書店版が有名かと思いますが、わたしはのら書店版が好みです。

のら書店:てぶくろ

 

息子も大好きなお話。三木卓さんの訳文のテンポよくメロディアスな言葉が連なる。お芝居をしている気分で楽しく読めます。こちらが楽しんで読めるのが、聞いている子どもたちにも伝わるのを感じます。絵もすてきなのです。針金のような繊細な線に数を抑えた少しスモーキーな色味。

 

なぜ科学写真絵本と民話の組み合わせなのか?

子どもたちにとって、朝一番のまだぼーっとしている時間はゆっくりと始め、見ているだけでわかる写真絵本がよいです。

少し場に慣れてきたら、情景や物語を自分の中でも描いていく物語が、その後の活動時間につながります。中でも民話は、長い時間をかけてその土地その土地で培われてきた物語なので、安心して読めます。

 

てぶくろを勢いをつけて速めに読むため、あしは少しゆっくりめに読むことを心がけました。

練習のときより少しずつ意識して本番。時計を目の端で見ながらコントロールして15分ぴったりでした。

 

きょうもみんなで読めて楽しかった。

ありがとう。

 

次の当番は3月。

春を待ちわびるがテーマかなぁ。

 

*****

 

読み聞かせの場づくりのご相談承ります。

対象者、場所、選書、順番、読み方など、ご経験やご興味をうかがいながら、つくりたい場について一緒に考えていきましょう。

https://seikofunanokawa.com/

《レポート》2020年・新春の百人一首と競技かるた体験会、ひらきました

「Umiのいえ」での競技かるたの会も5回目となりました。

前回からの間に、わたしはB級弐段に昇級昇段することができました。
ここで教える、百人一首や競技かるたの世界に橋を架ける、ということも、なんらかの形で力になっていたと思います。ありがとうございます。


さて、きょうは年も明けて、あらたな気持ちでひらきました。

はじめて参加の方もいらっしゃり、7名でわいわいと進めました。
「子どもの頃から百人一首が好きで、この会も前々から注目していたけれどなかなか日が合わなくて、きょうやっと来られました」と言っていただけ、うれしかったです!

 

 

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いつものように百人一首の成り立ちや歴史的背景を解説したあとは、和歌の鑑賞です。

前回、秋の歌をじっくりと鑑賞し、それを後半の競技かるたの時間に取るのが大変好評だったので、今回は冬の歌をピックアップしました。

今は旧暦では春なのですが、体感的には一番寒いとき。

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冬の歌は100首の中でたった4首。

 

雄大な富士山とそれを白く染める雪...。

冬の夜空にきらめく星々と、鳥の白い羽、橋に降りる雪の白さ...。

枯れた野山に侘しさをつのらせる吹きすさぶ風...。

月明かりかと思ったら、眼下に広がるあたり一面の雪の白さ...。

 

雪の白さや反射する月や太陽の光、澄み切った空気の冷たさなど、感覚的な印象の強い歌が多いです。

少ないだけに特徴がつかみやすく、親しみやすいという声もありました。

 

後半は、この冬の歌4枚と、秋の歌のおさらい、むすめふさほせの一枚札、音が途中まで同じの友札などを取り混ぜて入れ、10枚 VS 10枚で対戦の体験をしました。

 

競技かるたは、上の句を聞いてそれに対応する下の句を取る。
最初の1〜6つの音をとらえ、札を取る動きにつなげていきます。

本格的に競技かるたをやるには、まとまって取り組む時間や根気、そもそもやる動機が必要ですが、この体験会ではそのハードルをだいぶ下げて、その場でできる範囲で、しかしできるだけ本式の競技に則って、疑似体験をしてもらっています。

身体ごと和歌を体験する、ということですね。

 

時間が余ったので、源平戦をしてみました。

わーきゃー言いながら取るのも、この体験会ならでは。

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慌ただしい毎日に、千年前の人々と時間とつながるひととき。

取り入れていきましょう。

 

次回は3月22日(月)14:00-16:00です。
大人になったからこそ楽しめる、
・季節を歌で感じる、「鑑賞の味わい」
・身体ごと歌を感じる、「全感覚の覚醒」
・教えると教わるが混じり合い、「持ち寄る場」を大切にしています。

春や離別の歌をご紹介する予定です。

coubic.com

 

 

Information

百人一首と競技かるたの出張開催、承ります。

●概要:千年の時を経て、文学、文化、芸術、スポーツなど様々なジャンルにわたって発展してきた百人一首。競技かるたを通して、その奥深さにふれてみる、未経験者や初心者向けの体験講座です。

●内容百人一首の成立〜競技かるたに発展していくまでの歴史や文化的背景を知り、和歌を鑑賞します。後半は競技かるたの公式ルールにのっとって、実際に取る体験をします。

●プログラム一例:

・お互いをちょっと知る時間
・解説:百人一首の歴史、文化的背景、歌の解説。競技かるたの成立の経緯。競技かるたのルール。
個人戦:公式の競技かるたのルールで、1対1で対戦。レベル分けして、基本のきから段階を追ってゆっくり進めます。
・きょうどうだった?

●講師:舟之川聖子

"競技かるたの聖地"滋賀県大津市の出身。子どもの頃から家庭や学校で百人一首に親しむ。2012年に漫画「ちはやふる」を読み、百人一首を好きだった気持ちを思い出す。友人と「かるたCafe」というコミュニティを立ち上げ、2017年まで活動した後、かるた会に入会。競技かるたに本格的に取り組む。現在はB級弐段。

●講師料
3.5万円〜+交通費別途。
(講座時間:〜2時間, 参加者:4名〜, 事前打ち合わせ:〜1時間。

●実績

杉並区 【男女平等推進センター講座】マンガから学ぶ「女性の働き方と両立支援」 (実施者:こどもコワーキングbabyCo)

http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/10/08/152323

中央区 女性センター「ブーケ21」講座 「ようこそ!百人一首と競技かるたの世界へ」

http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/03/27/175736

はじめての競技かるた@アカシデカフェ
http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/06/18/152850

●お問い合わせフォーム●

 

映画『アナと雪の女王2』鑑賞メモ

映画『アナと雪の女王2』を観てきた。

事前になんの前宣伝も見ず、前知識もなく、後でレビューも読まずの状態なので、ほんとうにただのメモです。

※映画の内容に詳しく触れています。未見で影響されたくない人はご注意ください。

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・少し前に映画『ディリリとパリの時間旅行』の2回目を観て、鑑賞対話の会で語り、アニメーション映画とは、何がリアリティの感覚を呼ぶか、など考えてからこれを観た。ディズニーの映像表現は年々「過激」になっていっていて、ややついていけなさを感じている。あくまで好みの問題だが、スペクタクル、体感を伴う「リアリティ」を追求したもので、映画というよりもアトラクション。チームラボに近い。きれいさに目や身体は驚いているけれども、心はあまり動かない感じ。

・展開が早くてたくさんの要素が詰め込まれていて隙間がないので、常に緊張状態にあって疲労困憊。グリーフさえも素早くあっという間に回収される。詩的な余白がないと物語が組み立てられない。主人公たちは「あ、そういうことだったんだ!」とわかっているようだけれど、観客がわかるようにつないでくれる存在が、いるようでいない。説明している人がいるけれど、必要なのは「説明」ではなく。。うーん、なんだろう。。

・キャラクターに爪が生えていて、なぜかぎょっとした。手の平側から見たときに1mmほど爪が伸びている感じに。

・オラフが途中でアイ(間狂言)のような役回りをするところがあったのが興味深かった。エルサが不思議な声に導かれて、冒険の旅に出ることを決めて、霧の中の森に飛び込んでいくところまでが、能で言えば「前場」。

・霧の中で30年も同じ戦いを繰り広げていた2つの種族。閉じ込められて、600年同じ演目を続けてきた能の中の登場人物たちを彷彿とさせる。そこにワキとして通りかかるエルサと「ツレ」。

GAFAの動きを考えると、多国籍巨大企業が何の意図もなく発信しているとは思えず、これは何の象徴であるのか、ということを考えながら見ることになる。

・物語層と歴史層と象徴層。

・過去に入り込むトラウマリリースセラピーの手法?それでも解決法は武力、圧倒的な力。。トラウマの元を力で破壊して無くする。荒療治も多い。映像と音楽によるアメリカ的サイコマジックとも言えるか。

・一人の圧倒的な魔法の力を持った将軍と、それを支える勇敢な武勇兵たちの構造。

・アナの苦手なところをあえて際立たせる。人の話を聴かない、最後まで聴かずに、かぶせてくる、慌ただしい、落ち着きがない、先回りして突っかかってくる、責める・非難する。

・映画『サーミの血』を観てから観たらまたちょっと受け取るものが違ったかもしれない。

ネイティブアメリカンと入植者の関係、奴隷・移民・難民で構成されアイデンティティが揺れ続けるアメリカ。アメリカの脅威となる「アート・ハラン」「ノーサルドラ」「ダーク・シー」とは。今、アメリカの未来が見えない感じ?なぜ今これが作られ、世界中で見せられているか。

・今の自分を認める、自分には力があることを受け入れる、内なる呼び声に耳を傾ける、ルーツを知る、みんなとは違う自分の生を生きる覚悟を決める。自分にしかわからない特別さ。才能、能力、霊性。自己一致して生きていると、見た目(姿形やファッションや放つ雰囲気)も変化していく。アナとの統合後のエルサにとって、再分離し自立する更なる解放の物語。

・あえてこの時代に「男子VS女子」を持ち出したアナ。なぜ?

・『フィフス・エレメント』『天空の城ラピュタ』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』へのオマージュが感じられる。

地震津波、台風、洪水、竜巻、山林火災など、自然災害とその甚大な被害を思い起こさせられて辛かった。

・ミュージカル部分が多かった。ディズニーの開発したミュージカル映画というお家芸と最新のCG技術、音響で見せつける。

・出てくる人物皆それぞれにどこか生きづらそう。本作の「キレやすさ」「衝動性」は何なんだろう。記憶を取り戻そうとするときに痛みが発生することのモデル?

・オラフのセリフに込められているメッセージ・意図は何か。賢人というより何か。。
「大人になったら 大人になったらぼくは、ほんとうにすてきな大人になるんだ」
「先端技術は救世主」
「水は記憶を持つ。4人の人間または動物の中を通ってきた」

・回転するもの、明滅するものが多くて酔う。目を閉じて突っぷすシーンが多々あり辛かった。人間がこういう映像体験に歓喜し、のめり込んでいく傾向というのは、何の表れなんだろうか。自分では身体を動かさずに、安全に疑似体験することで何を得ようとしているのか、何を欲しているのか。

・「魔法ではなく、森の恵みを受けて暮らす」とは?

・「なぜ子守唄にはいつも脅すようなことが入っているの?」確かに。

・「真実をみつけて、国・故郷(くに)に帰るのよ」、現実で生きることを忘れない。

・年末にドラマ「逃げ恥」を見ていて、妄想でそのシーンや役柄に自分を置いて話したり動いたりする、演劇的手法によって自分を客観視したり、衝撃を和らげたり、次の手を見出そうとするのはあり。ミュージカルにはそういう効果がありそう。位相を変えて感情を味わう。

・「過去を形にして見せる」どこまでも具体的なアプローチ。具体的な表現。グリーフも直截的。

・「二人でやっていきましょう」現実的なやり方で再統合する。分離しながら分担して発揮する。意識と無意識。表層と深層。存在を認めたというところが画期的?

・訪ねた先に源の母へつながる、の意味。

・「やあ、ぼくオラフ。ぎゅーってだきしめて」。ディリリの「ほうよう(抱擁)って?」とまったく違う。

・恐れの気持ちを信じちゃだめよ。行きすぎると溺れる。闇の力に引っ張られる。引っ張られすぎないようにする。サイコセラピーの注意点。

・「ダムは平和の贈り物」「相手は武器を持っていないのに」「正しいことをしない限り国は守れない」、、体制批判のようで、、どうなんだろう。

・橋をかける魔法がなくても、飛べる体力と運動神経があるアナ。今回は「アナと雪の女王」の、アナの物語?

・クリストフ「どうしたらいい?」、アナ「ダムに連れて行って」、クリストフ「よしわかった」。。このやりとり!クリストフは自分が手柄をとる野心も、引け目も持たない。結婚するが城には入らない。王ではない。イエには入らない。新しい時代の結婚。今後の後継問題はどうなるか。

・国の礎に巣作っている「悪い物語」を破壊し、囚われている人を解放し、世界を癒す。ディズニーにしか描けない。

・エルサの二拠点生活。エルサは行き来ができる。アナはアレンデール(現実・表層)にのみ暮らせる。エルサは精霊だから従来の「結婚」はない。新しいパートナーシップ、新しいロイヤルファミリーの提案とも見えるし、分家して入植する植民地支配とも見える。

・文明と「非文明」の分断は真に解消されたか?

 

・・・

 

とりあえずこんな感じのことが出た。

他の人のレビューを読めばまた展開しそうな気はする。

 

書籍『戦争とは何だろうか』

今この時にこそ、読むべき一冊。

 

 

 

わたしは「戦争を知らない世代」などでは決してない。

 

たとえば、わたしはベトナム戦争収束の翌年に生まれた。

10代を、冷戦とその後の揺れの中を生きた。 

ソビエトアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争スーダン内戦パナマ侵攻、エチオピア内戦、ルワンダ内戦、湾岸戦争ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争東ティモール紛争、アメリカのアフガニスタン侵攻、イスラエルのガザ侵攻、シリア内戦......書ききれないほど多くの戦争、紛争、内戦、テロリズム、報復攻撃を目撃してきた。

 

世界で唯一の核爆弾の被爆国の国民として、見聞きし、学んだこともたくさんある。

国家間戦争や植民地侵略の中で行った加害、受けた被害の疵が癒されないまま世代を超えて受け継がれているとも感じる。
曾祖父母、祖父母、親から自分へ伝わったもの、自分が人生を通して向き合ってきたもの、子の世代へ手渡すまいとしてきたこと、残念ながら手渡さざるを得ないもの......。

 

なぜこのような社会・世界の有り様なのかを知りたいとき、人類の歴史を「あるテーマ」で串刺すことで見えてくるものがある。
戦争はその中でも最も大きな核となるものと言ってもよいかもしれない。

 

とりわけ今、知らねばならないことがある。

特に国家間戦争から対テロリスト「戦争」へと移行した20世紀後半から21世紀の戦争について。

戦争のイメージ自体を刷新することが急務だ。

 

今まさに目の前で起こっている、起こされている戦争や軍事行動、政治、経済の動きには、どのような歴史的経緯があるのか、
誰が首謀者で、
何が目的なのか、
どのような手法や技術なのか
その根底にある思想は。

世界は戦争と共にこの先どのように変化していくのか。
わたしたち、わたしとどのような関わりを持っているのか。

目を凝らしてゆかねばならない。

 

不明瞭だった領域に、力強く引かれた補助線のような本だ。

 

一概に戦争といっても、争い合う集団の性格や利害をまとめる枠組みは時とともに変わり、それに伴って戦争の仕方も変わってきました。何度も言うように、現代のわたしたちがふつう「戦争」という言葉で想定するのは、近代国家の枠組みができてからの戦争、いわゆる国家間戦争であり、国民同士の戦争です。その枠組みがヨーロッパででき上がってから二世紀半、それが世界中に広がってから一世紀余、いくつもの戦争を経て世界の構成状況そのものが大きく変わり、技術や産業の発展もあって人びとの生活の仕方も変わってきました。ところが、世界の物理的ないし制度的な条件・状況が変わっても、人の考え方(想像力)はなかなか変わりません。とりわけ人びとの生き死にを巻き込み、愛憎や犠牲などの情動を伴わずにいない戦争についての議論は、条件が大きく変わった現在でも、なおプリミティヴな、あるいは安直な旧時代のモデルに囚われた戦争イメージに引きずられがちです。

だからこの講義では、現在の戦争がどのようなものなのかを理解するために、世界の状況の変化につれて戦争はどう変わってきたのかをたどってみました。(西谷修(2016)、おわりに、『戦争とは何だろうか』ちくま書房、p.184-185)

 

2016年の発刊。

その後の戦争の変化も加えて解説された、2019年の100分de名著も非常にわかりやすい。

お知らせ:1/10(金)『人生をしまう時(とき)』でゆるっと話そう

来月のシネマ・チュプキ・タバタでの「ゆるっと話そう」は、こちらの作品です。
1月10日(金)10:30の回終了後、12:30-13:15の45分間。どうぞお越しください。

 

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[ゆるっと話そう]は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、45分のアフタートークタイムです。
映画を観終わって、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?
印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。
他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。
はじめて会う人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

✳︎


第8回は、『人生をしまう時(とき)』をピックアップします。
http://chupki.jpn.org/archives/5099

患者と家族の最後の時間に、看取りを共にする埼玉県新座市の医師・小堀鷗一郎氏とそのチームの日々を撮ったドキュメンタリーです。
「死」という共通の行き先に向かいつつ、地域とのつながり、医療・福祉、病、障害、介護、家族、親子、夫婦……観る人によってそれぞれ大切なテーマが見えてくる映画です。

感想を語ること、他の人の感想に耳を傾けることで、自分の思いや願いに気づくことでしょう。ご参加お待ちしています。

 

✳︎

日 時:2020年1月10日(金)12:30(10:30の回終映後)〜13:15

参加費:投げ銭制  ¥500〜

予 約:不要。
    映画の鑑賞席は予約がおすすめです。
    http://chupki.jpn.org/archives/5099

対 象:映画『人生をしまう時(とき)』を観た方。
    別の日・別の劇場で観た方もどうぞ。
    観ていなくても内容を知るのがOKな方はぜひどうぞ!

会 場:シネマ・チュプキ・タバタ 2F(1F映画館受付にお声がけください)

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過去のレポート

 第7回 ディリリとパリの時間旅行
 第6回 おいしい家族
 第5回 教誨師 
 第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
 第3回 人生フルーツ
 第2回 勝手にふるえてろ
 第1回 沈没家族


進行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター
twitter: https://twitter.com/seikofunanok
blog: http://hitotobi.hatenadiary.jp
hp: https://seikofunanokawa.com/ 




この映画は自主上映形式でのひろがりも勧めています。
自主上映会の中に対話の場を設けたい方、
やり方や進め方を知りたい個人の方、
ファシリテーターが必要な団体の方、どうぞご相談ください。

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映画『三十四丁目の奇蹟』とアメリカ社会とサンタクロース

クリスマス気分やユーモアやほっこりを味わえるかなと思って、映画『三十四丁目の奇蹟』を観に行きました。

 

chupki.jpn.org

アメリカのデパートMacy'sにサンタクロース役で雇われた初老の男。実は本物のサンタクロースで、人々の心から「クリスマス精神」が失われたことを嘆いている。自分を雇った女性とその娘にサンタクロースの存在を信じるよう、女性宅の向かいに住む男性とタッグを組んで奮闘していく。デパートのクリスマス商戦の話がなぜか政治的ないざこざも絡んで、裁判沙汰に発展。「彼は本当にサンタクロースなのか?サンタクロースはいるのか?」を法廷で争うことに。。

 

 

以下は、内容に詳しく触れた感想になるので、未見の方はご注意ください。

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はじまってすぐに、「わぁ、映画館でモノクロ映画を観るってゼータクだな!」と思いました。家でレンタルDVDなどで見ていると、画面が暗い・黒いのが気持ちよくて寝てしまうということがよくある。映画館で観ると集中できるからいいよね。

 

...としばらくモノクロの美しさに浸っていたのですが、

「なんというこのWASP男性社会よ...!」

と気づいた途端、時代のギャップの大きさにくらくらきました。

 

映画公開は1947年。第二次世界大戦後まもなく。

キング牧師もまだ世に出ていなくて、フェミニズムもLGBTQもない。

登場する人ほぼ全員白人で、認識できた白人でない人は、黒人の女性のメイドさん

百貨店の経営層は男性のみ。

おそらくその中で「異例の」女性の管理職。

 

アパートメントのお向かいの一人暮らしの男性の家に、少女を預ける。

これも今ならアウトでしょう...。
ついつい、犯罪が起こるんじゃないかと見ていてドキドキしてしまった。そういう話じゃないけど。

 

「クリスマス精神」と言い換えているけれど、もしかするとこの頃、アメリカ社会の中で、キリスト教への帰依心が薄らいだり、何かキリスト教の立場が揺らぐような時期があったのかもしれない、とも読めます。もしかすると移民のちゃんと調べていないので、あくまで仮説ですが。

 

人口過密の大量消費社会の権化のような都会に暮らし、自然豊かな郊外の一戸建てに憧れる。このあたりにも当時の社会の反映を見ます。

 

またこの頃はアメリカで精神分析が流行りだした時期だったのかもしれません。映画中にとんでもない精神分析をする人が出てくるのですが、この人医療者かと思いきや、「精神医学は神聖なものだ。免許もないのに少年の心を傷つけるな。勝手にすん分析する素人は許せない」というようなことをサンタクロースに言われる。サンタクロース自身も「精神に問題がある人」という扱いを劇中でずっとなされ続ける。

精神病院のシーンもある。アメリカの精神医療の歴史を少し知っていれば、読み取れることが多いだろうと思います。

そういえば、精神疾患の患者の脳の一部を切除する、史上最悪の外科手術と言われていたロボトミー手術もこの頃は行われていました。(ロボトミー手術については相当に残虐なので、調べるときはご注意ください。。)

精神分析や精神療法については、いろいろな映画で観る。パッと思い出すだけで、『普通の人々』『マーニー』『アニー・ホール』...。

 

 

サンタクロースも清く正しいわけではなくて、腹を立てて杖で件の精神分析者の頭を殴ったり、「もう誰もクリスマス精神なんて持っていない」と絶望したり、「嘘つきで利己的でずるくて邪悪なやつのほうをなぜ信じるんだ」と怒ったりする、けっこう人間的なキャラクターなのは面白かったです。

 

 

観ながら思い出したのですが、20代の頃に通っていた英語の学校で、「おとぎ話を子どもに語ることについてどう思うか?」というテーマで、ディスカッションする授業がありました。

そのときわたしは、「おとぎ話の中にもバイアスがかかって呪い化するもの(ロマンティックラブなど)があるので、お話にもよる。生きる上で力になるものなら、ファンタジーは重要」というようなことを話したような気がします。

クラスメイトで「現実には起こりえないことを信じさせるのは罪深いんじゃないか。もっと現実の厳しさからのサバイバルを教えたほうがいい」と言っていた人がいたなぁ。この映画に出てくる女性のよう。

 

 

サンタクロースについて一昨年こんなことを書きました。

note.com

今はもう息子はサンタさんを卒業してしまったのですが、でもやっぱりファンタジーは生きる力になるもの。大切なもの。

 

 

「願いを口にすれば叶う」ということをここ2年ほど実感している身としては、もしかするとサンタクロースというのは、願いを聴く(耳を傾ける)目に見えない存在。聴いてくれる存在を意識の中に強く持つことで、叶いやすくなる、ということなのかもしれない。

もちろん毎日でも願い事はしたらよいのだけれど、とっておきの願いを一年に一つ、機会をつくって口にするというのは、それはそれで素敵なことなのかもしれないなぁ。

 

 

この作品を当時の人々と同じ感覚で観ることはできないけれど、今の感覚や社会情勢からのいろいろな発見はあったし、時代を超えて変わらない、人間の願いや思いにも気づけました。

いろいろ書きましたが、やっぱり観てよかったです。

 

 

 

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子どもの宿題にまつわる「私の」モヤモヤを安全に語る

10月に「子どもの宿題にまつわる私のモヤモヤを語ろう」という場に参加した。

参加しておいてよかった。

そうしみじみと感じたこの2ヵ月だった。

 

 

どんな場だったのかは、主催のすわれいこさんが丁寧なレポートを起こしてくださっているので、ぜひお読みいただきたい。

note.com

 

息子が5年生になり、どのような教育を親としてしていくべきか、してあげられるのか、というようなことを考えたくて参加した。

他の家庭の方針や選択を参考にするのは、あらゆる要素が異なるので難しい。つまり、構成員も違う、経済力も違う、地域も違う、世代も違う、本人の受けてきた教育も学んできたことも違う、子どもも違う。


だから、ただとにかく自分で自分の覚悟を決めたいという一心だった。

 

 

いろんなことを話したが、結局自分の中で決まったことがいくつかあった。

・宿題および勉強をみるのはわたしの役割としない

・宿題をするかどうか、どの宿題をするかは息子が決める
・わたしは、どのように学びたいか息子が決めるのをサポートし応援する

・わたしは、担任の先生と連携をとり、学びの状況を把握する。心配があれば相談する。
・衣食住のサポートをする。わたしと生活する時間は、息子が健やかで機嫌よく過ごせるように配慮する、息子の状態をよく観察する、わたしも楽しむ

・否定しない、非難しない、強制しない
・楽しく提案する、共に喜ぶ

・質問には最大限の努力をもって答える、わたしの学びの中から提供する、わたしも学ぶ

・課題の分離を心がける。「それはほんとうは誰の課題か?」

・わたしの不安から行動しない。自分に不安があるときは別で聴いてもらう

・わたしの自己犠牲を前提にしない

・手段はひとつではない、因果関係が不明なことのほうが多いことを常に持つ

 
「え、そんなことを思ってもいいの?」と言われるかもしれないが、この5年間、考えに考えてきた末にこうなった。今年も夏休みの宿題を巡り、こんなことや、こんなことを考えてきた。

 

今のところ息子は自分で気づき、判断し選択し、相談し、喜びを味わい、学びの毎日を生きている。そのような息子の日々の学びや成長を、わたしは心から祝福している。

息子と担任の先生、わたしと担任の先生、わたしと息子との信頼関係も強くなった。息子の担任の先生は、学校の外で活躍する場を持っていて、本質的に健やかな人だ。

 

これらの軸の言語化は、間違いなくあのときにわたしが、わたしの気持ちと考えを言葉にして宣言できたことが大きい。他の人たちの話を聞く、つまり、わたしが選ばなかったものを選んでいる人と対話をしたから。

 

気心の知れた友人であっても、雑談ではできない話だ。
やはりテーマを据え、作法のある対話の場が必要。
矮小化されたり、一般化されたり、アドバイスされたり、愚痴に終わったり、話題を奪われたりしない場の設定。
そこに自ら望んで集っている生身の人とのあいだで起こることが、希望や力をくれる。

 

日本の教育制度は岐路に立っているし、高等教育(入試制度、大学経営)も新卒採用制度も揺れている。「順当に積む」という以外の手段での「達成」が可能になった。何が起こるかわからない時代に、このような個々のちいさな葛藤と決断と歩みの積み重ねがとても大切になってくると思う。

 

また、最近よく思うのは、「子どもの力を信じる」というのは、親が自分自身を信じてないと無理だということだ。親が、自分自身のために、挑戦や学びと共にあること、あり続けること、自分を信じること体験をしているからこそ、子の力を信じることが真に成せる。

 

 

揺れてもいい、間違ってもいい。

わたしもまだ途中の存在として居る。

 

覚悟を決めさせてくれた場に感謝。

 

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《レポート》12/22 冬至のコラージュの会、ひらきました

2019年冬至のコラージュの会、ひらきました。

 

今回のご案内ページはこちら。

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コラージュの会とは?はこちら。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

今回も6人全員が無事に揃い、ゆっくりとはじめていきました。
わたしもインフルエンザにも胃腸炎にも風邪にも見舞われず、予定どおりひらくことができて、ほんとうに感謝です。

 

・前からこの会のことを知っていて、「自分がつくるとどうなるのか」楽しみ
・自分一人ではなかなかやろうと思ってもできないから、みんなでできるのがうれしい
・コラージュのワークショップは出たことがあるけれど、使う素材が絵や美しい写真など、他であまり見ないものだったから
・自分の場づくりの参考にもなりそう

などいろいろな楽しみをもってご参加くださいました。

 

 

最初に2019年で印象に残っていることを書き出して、話して、味わい、労い、感謝しました。じっくり60分。

制作はじっくりと集中。90分

つくったものを紹介したり感想を話す鑑賞の時間。60分

数字だけ見ていると長いようだけれど、集中して取り組んでいると、濃い時間はあっという間にすすんでいきます。

 

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皆さん初めてコラージュを製作される方ばかりでしたが、未知のことを一つひとつ楽しんでくださり、一人ひとり大切な作品に思いを詰めてくださいました。

 

自分の属性、立場、環境、状況、
あらゆる制限をとっぱらったら、
何がしたい?どこに行きたい?何がほしい?

 

言葉より、ビジュアルが語るもののパワフルなこと!!

寒い雨の日でしたが、よい旅でした。

 

みんなで一緒にいながら、めいめいで潜っていって、火にあたりながら釣果を見せ合う海女小屋。

目標でもタスクでもなく、根拠のない前向きな夢ではなく。
ほかのだれでもない、だれにもなり得ない、「じぶんらしさ」に根ざし、花咲く心からの望み。

 

つくりたての作品に感想をもらうことによって、自分が発見することもあるし、
他の人の作品を見ていて、感想を言ったり、質問して出てきた言葉にハッとすることもある。

つくるだけではなくて、こうして鑑賞の時間をもつことで、持ち帰った作品が自分にとって特別な体験の証になります。

 

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 ▲わたしの作品は最後の横長のもの。音楽、詩、歌う、パフォーマンスというキーワードが出ました。何を意味しているんだろう。楽しみです。

 

 

これからの3ヵ月、半年、1年。どうぞ眺めていてください。

わたし変わってきたな、と思ったころにまたつくりなおしてみると、また新しい自分、新しい方向、道が見えてきますよ。

 

次回は春分の日 2020年3月20日(金・祝)に開催します。
会場は東京都内。決まり次第お知らせします。

 

最後に。 

欅の音terraceとご縁を結んでくださり、たくさんサポートくださった、tsugubooksさんありがとうございました。

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コラージュの出張ファシリテーションは3名〜承ります。
謝金はお問い合わせください。
場づくりのご相談も常時承っております。

 

 

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今年も「第九」、今年は今年の。

今年も第九を聴きに行きました。すべり込みでチケットをとって行ってきました。

 

去年、第九のこんな予習会をして、聴きに行って、振り返るという体験をしました。

第九ふむふむ予習会がよかった話

第九を聴きに行ったクリスマスの夜

それが当たり前の世界の住人と擦れ合うこと(第九その後)

 

 

今年一年で生で音楽を聴く機会が爆発的に増えたわけではないけれど、チャンスがあれば優先してでかけました。仲良くなったクラシック曲も増えました。そういえばお能もよく観たし、競技かるたも上達したし。

音を聴くことについては意識的に採り入れていたと思います。

そんなわたしとして、今年の第九で何を感じるのかなと楽しみでした。
オーケストラも違うし、指揮者も違うし、ホールも違う。
いろいろ違う中での一期一会。

 

それから、やっぱり第九といえば一年の締めくくり、労い、祝福。 

 

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感想。

 

前から3列目。指揮者と弦楽器しか視界に入らないという、これまたなかなか経験できない迫力ある角度で聴いていました。ステージを仰ぎ見る感じ。

音の粒が一つひとつ細かくて、澄みきっているのに湿度はあって、曲調は激しいところも繊細で。日本画みたい。第九ってこんな曲でもあったのかぁ。と思いながら聴いていました。去年のマッシモ・ザネッティが個性的すぎたのか…。

チョン・ミョンフンは、思っていたよりすごーく小柄ですごーく振りが小さくて、よよよ、よくあれで入れるなすごいな、と素人は思ってしまった。

 

コンサートを聴きに行ったというより、音楽をしに行ったという感じがしました。
総譜をなぞりながら聴いていたのと、『蜜蜂と遠雷』の影響もあってやたらと詩的になっているんだな。

生の音にふれると、「ああ、ヴァイオリンのピッツィカートってこんな雨だれみたいだっけ!」とか、「あそこのホルンの歌うようなパッセージ!」とか、自分もまるで「聴く楽器」になったような感覚になります。

わたしの聴く楽器としての精度も、この一年でだいぶ上がってきたかもしれない。以前はこんなにいろんな種類の、いろんな深み、色は聴けなかったから。鍛えれば、聴けるようになる、というのはほんとうだった。

 

 

 

今のわたしとして、演者と聴き手たちと、みんなで一緒に音楽をしたんだと思います。幸せな時間でした。

 

人間に音楽があってよかった。

 

聴きながら強く思っていたのは、人間はこうやってずっと音楽をしていたらいいよ!ということ。
そうしたら諍いは起こらない。
こんなに美しいものの前で、そんなことする必要もない。
芸術の場では国境も国籍も関係ない。

 

師走の金曜日夜の渋谷はものすごい人人人...で、人に酔ってしまい、たどり着けないかと思うくらいだったので、来年は違うホール、サントリーホール東京芸術劇場にします。