ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

或るかるたーの年末年始日記

競技かるたを本格的にはじめたのが2016年6月ごろ。

競技かるたをする人のことを業界では「かるたー」と呼んでいるので、「かるたー歴2年半」ということになる。

 

年末年始はかるたー的に過ごして満足だった。

 

 

 

三重のかるたーさんと練習会。

ひょんなことからtwitterで盛り上がったのがはじまり。6本も取れて満足。ご自宅に泊めてもらって三重のかるた事情などをうかがう。

翌日伊勢神宮に行った。友人知人に情報をたっぷりもらい、冬至のコラージュの会の最中にも「伊勢の記事ありますよ!」と切り抜きをいただいたりしていたのだけれども、年末の参道はさすがに人が多くて、あまり名物も食せなかった。なんとか入れた五十鈴川カフェのコーヒーとチーズケーキは美味しかった。

猿田彦神社内の佐瑠女神社で芸能のお守りをいただく。(かるたは武道で芸能といっていいのかわからんが。。)。

そして伊勢神宮で圧倒されまくる。パワースポットというものがよくわかっていなかったけれども、そういうことか、と身体でわかった。これまでに訪れ、詣った人間のあしあと。行ってよかった。メッカとか、サンティアゴ・デ・コンポステーラに行ってもこんな感じがするんだろうか。

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宇治の平等院

小学3、4年生以来なので、ずいぶんイメージは変わっていた。記憶の中よりずっと小さかった(自分が小さかったんだな)。建てられた当時の再現とか、ここ数十年でテクノロジーと共に研究も深まったんだなぁと時の流れを感じた。長いこと生きているとこういういいことがある。

世界遺産になっていたけれども、周辺は宇治茶のおかげか、昔ながらの店も多くて、いかにも観光地的な派手派手しい店があってもあまり気にならない。ほどよいバランスが保たれていて、人も多すぎなくてよかった。

鳳凰堂の不自然なシンメトリーに西方極楽浄土感があった。楽器を奏でる雲中供養菩薩像を展示したコーナーがすばらしくて、死んだらああやってたくさんの菩薩が、現世では聞いたこともないような、えも言われぬ美しい音楽を奏でながら、阿弥陀如来を筆頭に金色の雲に乗ってお迎えに来てくれるのかと思うと、たいへん楽しみになった。(極楽浄土に行く前提...) 

宇治川のほとりでは、去年「あさきゆめみし」宇治十帖編の読書会をしたことなどが思い出された。堰で水量調整している今でもこれだけ流れが急なので、かの時代の宇治川はさぞかし。

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兵庫のかるた会に出稽古。

かるた会に所属していても、日程が合わないなどで大会に向けての練習が足りないことがある。自分で積極的に出稽古に行ったり、有志の練習会に参加させてもらったり、自分でも練習会を催して機会をつくっていかないと、大人が強くなり、強さを上げていくのは難しい。

出稽古はアウェイで取るということなのでやはり緊張するが、それもわたしにとってはよい挑戦であり鍛錬。スタイルの違う方たちと取れて、ご指導までいただけて、とてもよい練習日になった。ありがたい。

人間、実現したいことがあれば、与えられるのを待つのではなく、いつもの快適な領域から出て、自然と飛び込んでしまっている。それはいつも成してみてからあらためて不思議な気持ちになるし、我ながらすごいなとも思う。そして動きだせば、人が助けてくれる、力を分けてくれるということも、絵空事ではなく実際に起きる。

 

西宮が最寄り駅だったのだが、会場までに見かける看板で、「人形劇のまち」と盛んにいうてるのはなんで?と思ったら、後に文楽になる傀儡子(くぐつ)の源流がここにあったとわかって、興奮した。

卒論が大雑把に言うとこのへん(傀儡子、山窩瞽女とか)のことを扱っていて、大阪にも住んでいたから、何かと近かったのに、ぜんぜん知らなかった。もっと知りたくなる。

ちょうど行きにドナルド・キーンの「古典を楽しむ -私の日本文学」を読んでいて、文楽のことも出てきたのでタイムリーであった。

関心と関心、いろんな線がこのタイミングで!という点で交わるのは、楽しい。歳を重ねるのがますます楽しい。

小さい頃から人形劇が好きで、文楽も好きだし、チェコ人形アニメも好き。アウトサイダー、芸能集団、旅をしながら芸を売る/芸を売りながら旅をする、というようなものになぜか惹かれる。

 

西宮市観光協会のホームページより

[人形操り発祥の地 西宮]
室町時代西宮神社の近辺には傀儡子(くぐつし)と言われる人々が住んでいました。彼らはえびす様が鯛を釣るという素朴で信仰的な内容の人形まわしで国々を回り、えびす様の札を売り福を祈りました。傀儡子たちのこの芸能は「えびすかき」と呼ばれ、庶民文化が発展した時代に、えびす信仰とともに民衆に広く受け入れられました。芸に秀でたものは能を人形に舞わせて人気を博し、西宮の傀儡子が宮中に招かれたという記録が残っています。
江戸時代には、当時流行していた浄瑠璃と人形操りが結びつき、技芸がさらに磨かれて舞台芸術としての人形浄瑠璃が生まれ、後に文楽にも発展しました。
傀儡子たちが厚く信仰した人形操りの祖、百太夫をおまつりする神社が西宮神社の境内にあります。人形浄瑠璃文楽にいたるルーツを持つ西宮は、人形操り発祥の地と言われています。


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名人・クイーン戦を観た

競技かるたを本格的にはじめてから今年で三回目、近江神宮の勧学館で生で観覧する機会を得ている。ありがたいことだ。

2回戦をのぞいてすべての回の観覧席を友だちが当ててくれていたのだけれども、4回戦が終わったあとに、独特の緊張感の中で、トレースを必死にしながら、根を詰めて見ていたので、頭痛と吐き気が出てしまい、5回戦は解説会場に切り替えた。…というぐらいものすごいエネルギーが、会場には渦巻いている。

クイーンは防衛に成功。
名人は4度目の防衛ならず、新名人誕生。

4名とも、あそこに立つためにどれほどの努力をされてきたのだろうと、ただただ、そのことばかりを考えていた。

わたしも同じ道のだいぶ端っこのほうで、わたしなりの動機から同じ競技に取り組んでいるのだよなぁ。

 

一昨年のメモ。

生で見る試合は本当にもう「お願い、誰も息をしないで」の世界。すごく近いのに、そこだけ別世界のような時空が生まれてました。神事のような。美しかった、なんか。それでも自分がやっていることの延長上に(はるか遠くだけど)、この場が存在しているんだなぁってことも強く感じていました。わたしも競技者のはしくれとして、そこでなにが起こってるのか、なんとなくわかるから。その感じはとても幸せでした。全身が、脳みそまで筋肉痛だ。

 

今年は会場で「あら、こんにちは〜」と声かけ合う人が何人もいてうれしかった。同会の高校生に浦安の間で会ったのはびっくり!

 

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こうして振り返ってみると、なにやら時間の重なりを感じる場所や、時空を超えて長大で超越したものに寄ってみていた年末年始だった。

 

 

それにしても。

年末・年始の「あわい」はほんとうに不思議な体感があって、日本に(あるいは日本の中でも特定の地域?)生まれていなかったら、ここまでくっきりと意識することもなかったのだろうと思うととても興味深い。

新月のリストと片付け


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新月に願い事のリストを書き、満月に見直すというワークを一昨年の年末から毎月やっている。最初の3ヵ月はここで「先生」に教わり、それ以降は卒業した仲間たちと新月、満月当日または近い日程に予定を合わせてZoomでやっている。

 

毎回わたしのリストに出てくるのは、「片付け」。

このワークをしている仲間にもこのテーマを挙げてくる人が多い。

 

以前は「片付けられないダメなわたし」がみっともなくて恥ずかしくて、どうにかしたい、という気持ちで書いていた。しかし昨年あれやこれやと片付けに取り組んできて、衣食住や仕事が今の自分にぴったりのものになってきたら、最近は片付けというのは実におもしろいテーマだよなぁと思うようになってきた。

 

そんな話をきょうのリスト書きの時間に仲間に話したら、「それはニーズにもあるからねぇ」という応答。

 

そうだー、住処を整えておくというのは、人間の根源的なニーズから起こっていることなのだ。だから女性特有の何かでもないし、まして役割の範囲でくくるようなものでもないのだ。

 

 

以前このブログでも書いたNVCのニーズのリストの中にあるものでパッと浮かぶのは、

・秩序(Order)

・空間/場/余裕(Space)

・効率(Effectiveness)

 

 

実際に作業をしていくと感じるのは、

・調和(Harmony)

・ニーズを満たす力(Power)

・帰属すること(Belonging)

・つながり(Connection)

・信頼(Trust)

・現実の共有(Shared Reality)

・心身の健やかさ(Well-Being)

・自主性(Autonomy)

・悼む・嘆く(Mourning)

・成長(Growth

・意思疎通(Communication)

...などなど、その他まだまだある。たくさんのニーズが満たせるのだ。

 

 

 

毎月一緒にワークをしている仲間の一人に整理収納アドバイザーがいて、彼女がきょう言っていたことがとってもよかった。

「片付けというのは、見た目に整っているということではなくて、自分が快適で暮らしやすく、何がどこにあるかわかっていること」

「片付けられる人と片付けられない人という人間がいたり上下関係があるのではなく、『物がこのように置かれている』という事象がある」

 

いやはや、ほんとーにそう!

救われる話。

 

 

年末年始に片付け上手な妹の家に泊めてもらって、どういうポリシーやルールで整理収納・掃除されているのか観察したり聞いたり、便利グッズの情報を仕入れ、やる気をむくむくさせて帰ってきた。

 

きのうはさっそく息子に付き合ってもらって、ダイソーニトリ無印良品とはしごして収納用品などを買い、家に帰ってあれこれ作業をしたら、すばらしくぴったりきた。

足りないものは段ボールで自作して、うまくいって気分がいい。

 

 

「気になっているところをそのままにしない!」ということを決めて、実践してみて、ぴったりはまると気持ちがいい。

 

 

所用時間10秒ぐらいのことも多いのに手が出ない、身体が動かないこともある。

でも、「せいこちゃん、やれば気持ちいいよ!」と自分を応援する。

  

 

わたしはわたしが気に入るように、環境や状況を変えていける。

わたしにはその力がある。

物事に片を付けることができる。

頼もしいわたし。

変わっていくわたしが喜ばしい。

 

 

こうなってくると片付けというのはもはや「(めんどうくさい)家事」ではなくて、セルフセラピーになる。

 

そうなるとしめたものよね。

 

うん、忘れないように書いておこう。

あけましておめでとうございます

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実家で迎えるお正月に、恒例のトレッキング。

今年は姪1と義兄も加わり、総勢6名でぞろぞろと。

車で10分〜20分も走ればいい感じに歩ける山があるという環境は、やはりいい。

 

今回は身近だったけど登ったことのない山。

山の上に小さなお寺がある。

隣接の社務所では、旧式の薪ストーブが焚かれ、おせちや甘酒をふるまっていただいた。これがめっぽう美味しかった。

 

標高600mで山としては高くはないのだけれど、手水が凍る程度には寒い。

登ってきた道のりを考えると一体どうやって食材を運んだんだろうか。

そう考えるともう「有り難い」しか出てない。

 

お寺の由緒を調べていたら、なかなかおもしろかった。

平安の時代からよくこんな山深いところのお寺を守ってこられたものだ。

継ぎ繋いできてくださった方々に、ありがとうございます。

 

元旦なので、行き交う人たちと「おめでとうございます」と挨拶を交わし合い、とても清々しい気持ちで歩いた。

 

やっぱり山はいいなぁ。

 

 

今年はあと3回ぐらい山に登りたい。

盤石な自然に胸をかりて、自分を整えたい。

かるたで強くなるためにも、足腰鍛えたい。

 

装備の整え方もだんだんとわかるようになってきた。

 

やってみたかったことを、自分に制限をかけずのびのびと、今年もやっていきたいです。

 

こちらのブログも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 


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9 years after

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今年の春にこんなことがあった。

 

近所のお店で、たまたま隣同士になった人といろいろしゃべっていたら、その人が、

「ねー、あたし幸せになりたいんだけど、どうしたらいいと思う?」

といきなり息子に聞いてきた。

 

それに答えて息子、

「自分の好きなもの、たとえばかるたとかなんでもいいけど、それで会をつくって、人を集めて自分の好きなことをすればなるよ〜」

と。

 

横で見ていて…なんか…涙が出た…。

 

この9年間、わたしの生き様を一番近くで見て、確かに何かを受け取ってくれてる。

 

ありがとう息子。

 

 

 

ブログを読んでくださる方々、今年一年、ありがとうございました。

わたしたち、よく生きた。

迷ったときは愛のあるほうへ。

 

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

それが当たり前の世界の住人と擦れ合うこと(第九その後)

きょうは12月27日。

今ぐらいの時期は実家に帰省することもあり、いつも何かと落ち着かない。

仕舞われていく。

こちらとあちらのあいだにいて、歩みを進めながら、道をふりかえって見ている。

 

 

2018年は何かと出会い直すことの多い年だった。

 

自転車を修理して4年ぶりに乗ったり、

止まっていた時計をオーバーホールに出して、また相棒として活躍してもらったり、

9年ぶりに再会した人と友だちになったり、

ほんとうにあれこれとめまぐるしかった。

 

この記事でも書いたけれど、そんな日々を過ごしているあいだに、時間の感覚がすっかり変わってしまった。有限の身体を持ちながら、この先一体どんな景色が見えてくるんだろうか。

選ばされること、人生がわたしにさせてくること。

 

 

第九にも出会い直した。

予習会をひらいて本番を聴きに行って、その感想をみんなでまたオンライン上の場で共有して。その後も年末という時期的なものもあって、第九周りの話題が尽きず。

たいへん!たいへん!満足である!!

 

 

日々音楽に携わっている友人たちにとっても、今回の場はとても新鮮だったと聞いた。「あちら側」からの景色を見せてもらえたことがうれしかった。

 

例えば音楽が空気のように有ることは、音楽を「お役目」としていない人にとっては、当たり前ではない。

お役目をなんと表現してよいかわからないけれど、好きというかなんというか、考える前にやっているし、ずっとやって生きているし、もうお役目としか言いようがない。

たとえばわたしにとって、鑑賞の場をつくったり、場の守人を務めることはもはや好きかどうかという軸ではなく、お役目だ。選ばれてしまった。

 

お役目に携わるのは日常であり、それが優先されている。

それを中心に暮らしも構成されている。

 

 

あちら側の人は、当たり前のことを少しひらいているだけでも、それがお役目でない人にとっては、新鮮な驚きや感動を与えることができる。

 

わたしたちは一人ひとり、同じ時間の中に生きながら、全く違う世界、違う景色を見ている。違うお役目を生きている。

それをときどきこうして、感覚・感想と知識・経験が集まる場をつくり、場に集うことによって、見せ合い、擦れ合うことができる。

優劣や正誤の判定ではなく、ただ、対象への愛と関心から行う。

 

そこでは、自分が携わっているお役目を確認できる。

自分がよい影響を与えている人の姿を直に見ることができる。

その唯一さや意味や価値について考えることは、これからのお役目を歩む人生をさらに豊かにすることだろう。

 

こちら側・あちら側にいながら、行き来しながら、「鑑賞」をひらき、深めていく場。

この世に無限にある分野、ジャンルが待っている。

 

おもしろい。もっともっとつくっていきたい。

 

《追記》

そういえば以前、山の上で星空観望会に参加したとき、星の先生が、「 一番好きな星座はなんですか?」と聞かれて、びっくりしたように、「考えたことないし、 今考えてみてもわからない」って答えてたのが印象的だった。

星を読む、聴くんだから、星座のことも好きで好きでたまらないんだろうと思っていた。

星空になにを見てるんだろう?

 

2年前のわたしは「そういう感じはわからないなぁ」と思っていたけれど、今はその感覚が理解できる。お役目になるとか、それを生きるというのは、たとえばこういうことなのか。

 

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読書会の体験会を提供しました

先日、とある団体よりご依頼いただき、読書会の体験会をひらきました。

 

ご依頼の内容が、

事業で扱うプログラムの中で読書会のエッセンスの一部(または全部)を取り入れてみたい。

しかし読書会とはどのようなものなのか、参加したことがない。

体験してみたい。

とのことでしたので、こんなプログラムをつくり、ご提供しました。

 

 

読書会体験会とつくり方


●参加人数

5名

 

●内容
①持ち寄り型読書会「テーマ:今年読んだ本」(55分)
[ 紹介3分+コメント5分 ] × 6名=50分
ふりかえり5分

②課題本型読書会・その場で読む編(40分)
読書10分+感想シェア20分=30分
ふりかえり5分

③質疑応答 25分

 

所要時間:合計120分 

 

●用意していただくもの

ミーティングルーム、机、椅子、紹介する本(各自1冊)、筆記用具、付箋

 

 

 

①持ち寄り型の読書会では、年末ということもあり、一年をふりかえる意味で、当初「今年のわたしの一冊」としていましたが、「普段あまり本を読まないので、ハードルが高いと感じている人がいる」というお声があり、「今年読んだ本」としました。

 

テーマの選び方は、集う目的やメンバーの本への嗜好なども踏まえて、このように臨機応変に変えていきます。集う人がなるべく負担なくと考えるのであれば、誰にでも当てはまるような「大きな広いテーマ」に上げていくのがいいでしょうし、普段から読書習慣があったり、特定の分野の本をよく読んでいるメンバーが多いのであれば、「小さく細いテーマ」に絞り込んで階層を下げていくのがいいでしょう。

それにより雰囲気もずいぶんと変わります。

 

 

集まったのはこちらの本!それを気に入っている人から紹介してもらうと、どれもこれも魅力的な本ばかりで、ぜんぶ読みたい......!!となる幸せ。


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本の形をしていれば、ジャンルは問わず、写真集でも漫画でもOKとしました。

電子書籍でもよいですか?」とのご質問があり、今の時代ならではの多様な読書に触れてみたかったので、もちろんOK。しかしもしこれが本という紙でできた物の手触りを味わいたいのであれば、紙の本限定とするのでしょうし、このあたりもひらく人がメンバーと何を共有したいかによって考えていくといいでしょう。

 

紹介してもらうときにはいろいろとコツがありますが、今回は本を通じて人を知ったり、読書の楽しさを再発見したり、またそこから協働プログラムの手がかりを見つけることが目的だったので、あらすじや本の内容を詳細に説明するというよりは、

・なぜそれがその人の手元にあるのか、経緯

・なぜきょうそれを持ってきたのか(その本を読んで感じたこと、どんな影響を受けたか、些細な感想)

を話していただきました。

 

 

 

 

 

②の課題本型読書会は、その場で読める長さの短編を使って感想を共有しました。

同じテキストを読んだ、感じ方の違い、一人ひとりの違いを味わってもらいながら、書かれたものが立体的に、且つ深遠な体験として心に残る様を実感していただきました。

 

クリスマスが近いこともあり、ポール・オースターの「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を選びました。


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巷の読書会では、あまりその場で読むタイプの読書会はわたしは知らないのですが、わたしが以前ひらいていた読書会(ブッククラブ白山夜)では毎回短編小説や、長編小説の一部をその場で読んで感想を話すということをしていた経験もあり、またこの記事を読んでくださったこともあり、今回はこのタイプの読書会にも興味を持ってくださいました。

 

「読みながら「気になる箇所」に傍線を引いてください、あとで共有するときに使います」とお声がけしてから読みはじめました。

おもしろかったのは、読み終わったときに、「国語の授業のようで、なにやら当時のことを思い出してしまった。自分の中で葛藤が起きた」「傍線を引いて読むのは仕事に使う本のことが多いので、小説では戸惑った」「気になる箇所というのが最初ピンとこなくて二周目でようやく一箇所引いた」など、いろんな声が聞かれたことでした。

一人ひとりの読書行為や読書体験は全然違うことにあらためて気づきました。

 

読書10分、シェア20分というごく短い時間でしたが、気になった箇所を一人ひとり共有したあとフリートークの流れにして、話題が次々に出て、掘り下げられたものもありました。

 

 

 

ご感想

・本の魅力を掘り下げて紹介するときに、他の人の紹介も聴きながら、じゃあ自分はどんな言葉を出そうか、どんな表現で伝えようか、などを考えられたことがよかった。

・ダイナミック!

・読書会がどういうものか、なんとなくわかった。体験できてよかった。

・他の読書会にも参加してみたくなった。

積読本が気になりだした...。

・たくさん本を読もう!語ろう!と思った。

・翌日、「読書会からつながっている!」と思えるキーワードがパチパチとはじけて、刺激的に感じました。

 

 

 

質疑応答の時間も、読書会のつくりについて知りたいことをどんどん出してくださいました。ありがたいです。よき時間をありがとうございました。

 

 

一人ひとりが違う、その具体的な違いをその人自身の言葉で表現してみて、みんなで味わってみる。同じ体験を共有した人同士の前提やつながりが生まれる。

直接質問をして答えてもらうのは難しいけれども、本を通じてなら、その人が人生で大切にしているもののこと、どんなふうに世界を見ているのかの一端を垣間見られる。

 

やっぱり読書会は楽しい^^

 

 

 

★企業や団体の方

・販売促進や普及などを目的とした読書会をお手伝いします。

・読書会という場を体系立ててレクチャーする講座や、読書会の運営コンサルティングファシリテーションを実施します。ご要望に応じてタイプや進行はカスタマイズいたします。

 

★個人の方

・読書を楽しむ仲間のつくり方や企画したい読書会のコンサルティング、読書会への同席とフィードバックなどでサポートいたします。


詳しくはお問い合わせください。

 

 

 

読書会についての過去記事

母になった女性に集中と表現の時間を:託児付きコラージュのこと

先日、冬至のコラージュの会をひらいたことを書きました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

そして、その会に申し込んでくださっていたけれども、都合がつかなくなりキャンセルされた方がメールをくださいました。

 

2014年に、産後ドゥーラの友人と一緒に、見守り保育つきのコラージュの会を自主開催していた時期がありました。

http://seikof.blog.jp/archives/8334257.html

http://seikof.blog.jp/archives/10159558.html

http://seikof.blog.jp/archives/11712958.html

http://seikof.blog.jp/archives/13508534.html

 

メールをくださったのは、そのときに参加していた方で、同じときに参加していた別の方も、今回の冬至の会をご検討くださっていたとのことでした。

 

 

友人とも話していたのですが、あのときは救われました。衝撃的なイベントでした。いまだに新鮮な衝撃を持ち続けています。

自己表現できる場がありがたかったのです。
その時は何に自分が飢えていて、どうしてこれが「ごくごく飲み干したい」感じなのかも分からなかったけれども、今思えば、自分のニーズに一番ぴったりで、ほどよいスペースを与えてもらっていた気がします。

 

そのようなこと伝えてくださいました。

4年も前のことなのに、大切に持っていてくださってほんとうにありがたいです。

 

 

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当時のわたしは、切実に感じていたことがありました。

 

息子が今よりうんと小さかった頃(生まれてから3歳頃まで)、わたしはまとまった時間がなかなか取れませんでした。


「まとまって自分と居る」時間がほしいのに、まとまって考えたり、自分のことに関心を向けて集中する時間がほしいのに、どうしても子どものことや家のことで中断されて、時間が細切れになっていく。

 

周りの女性と話してもそのことが辛いという話はよく出ました。でもその話は「今の時期は仕方がないから」という諦めの言葉で終わる...。


でもわたしには、この欲求はごく自然なもの、真っ当なものだと思っていました。

自分が今何に関心があるのか、どんなものを好きで心地良いと思っているのか、出産前はどんなものが好きだったのか、これからやってみたいことやほしいものは何か、行きたい場所はどこか......それらに思いをはせ、探り、選び、紙の上に集約していく作業は、日々の子どもやパートナーとの生活を送る上で、とても大切なことだと感じていました。

 

それに取り組むためのまとまった時間を自分も含む女の人にあげたい、女の人の手に時間を取り戻してあげたい、という気持ちもあって、見守り保育付きコラージュの会や、百人一首の会(当時は仲間内で)をひらいていました。

 

集中する時間をたった60分だけでもいいから...と。

ほんとうに切実だったのです。

 

 

 

それから時は流れ、息子が成長するにつれ、その切実さは次第に薄れていきました。

まとまった時間はたくさん取れるようになり、アイロンがけが必要な服を着ることもでき、おしゃれをしてクラシックのコンサートに行くこともできるようになりました。

 

でもそのメールをもらって、当時の気持ちが蘇ってきました。

今のわたしができること、したいこと。

 

このプログラムがそのように役に立つものだとしたら、例えば母親へのサポート、産後の女性の支援をしている団体や行政の方などからオファーいただけるのであれば、出張開催の形で提供をしたい。託児スタッフをつけてもらって、実施できる場所で。

 

自主開催の形としては、わたし個人には切実さがないので、もうできないのです。

(つまり、自分でスペースを探して使用料を払い、自分で宣伝をして人を集めて、参加費を収入とし、自分で参加人数の変動リスクをとってひらくやり方)

 

でもお役に立ちたいと強く思っている。

スペース(場所)とコミュニティや募集ルートを持っている団体に呼んでいただいて、講師やファシリテーターとして、講座やワークショップとしてこのコラージュの会を提供することをしたい。

 

どなたがニーズをお持ちなのかわからないのですが、宣言してみます。

もちろんご紹介も歓迎です。

お話をうかがい、講師料と交通費のお見積もりをお出しします。

 

 

お問い合わせをお待ちしております。
ご連絡はこちらのフォームからお願いします。

 

 

 

 ▼2014年のコラージュの会です。

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第九を聴きに行ったクリスマスの夜

きのうはクリスマス。

第九ふむふむ予習会をして、楽譜を買い、聴き比べ、歌いまくって臨んだ生の第九のコンサートの日でした。

東京芸術劇場にて。読響。

芸劇に前回来たのは、ハイバイの芝居だったかな。ずいぶん前だ。そしてここでコンサートを聴くのはたぶんはじめて。


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一緒に予習会をした友人2人と近くの席をとっていたから、聴き終わってすぐの感触を交わし合った。

一人の「こんな日が来るなんて」という発言に、「ほんまそれ!」と思った。

彼女の言っていた感じとはたぶんちょっと違うと思うのだけれど、わたしは、今年になってやっと、「アイロンがけの必要な服を着てもよいわたし」になっていると気づいたところだったので、それにさらに「クリスマスの夜に第九を生で聴きにきてよいわたし」にもなっている!と気づいて、それに対して祝福の気持ちがあった。

 

しかも予習を一緒に楽しみ、一緒に聴きにくる仲間もいるのってすてきだ!

 

今までだって、大変だと思っていた時期だって、その気になれば聴きにくることはできたのだけど、こんなに我を忘れて好奇心のままに堪能できなかっただろうと思う。まず関心のあることにはどんどん行ってみるという自分へのOKが出せて、あまり知らない世界のことにも時間を使ったり、深めていくことができている今、ということがうれしいのだと思う。

見知った世界(美術展や文楽や能)ならそこまで思わないのだけれど、わたしにはクラシック音楽は少しずつの準備が必要だった。

 

この話ができる仲間がいる、ということも。

たくさん橋を架けてもらって、少しずつ渡ってきての今。

 

はー……なんかすごいな。長い旅をしてきたような気分。

 

 

オーケストラの生の音を聴くのは、時間の集積を聴いているんだという話をまた思い出した。

曲自身の時間、これまでこの曲が演奏されてきた時間、指揮者と演奏者が携わりはじめてからの練習や数々の本番の時間、楽器の時間、楽器に使われている材質の時間、ホールができてからの時間、ホールが立つまちの時間、集う人たちのきょうここに来るまでの人生の時間......。

 

 

演奏のほうは、聴いてきたCDたちとも、わたしが歌ったときの演奏会とも違っていた。CDと生の違い、楽団の違い、指揮者の違い...ってほんとうなんだーということを確認した。

何度も聴いたり、歌ったり、予習会でパート別にバラして注目して聴いたからわかったことだと思う。

第三楽章がやさしくてふんわりしててうっとりしててきれいできらきらしてて、モーツァルトみたいだったところのティンパニは、"Ich-liebe-mirって叩けって教わった"という話を聴いていたから、納得だったし。

 

おもしろかったのは、何回も観て(聴いて)いて、次に何が起こるかよく知っているはずなのに、「一体全体どういう展開になるの?」とはじめて観たときのように、固唾を呑んで見守る感じが起こる。

 

でも逆に「次にどの音が来るかわかっている感覚」もある。何回も聴いてるから当たり前なんだけれども。

 

が、しかし実際に音が出てみて、「あれ?こんな曲だったっけ?」という感じも起こる。これは先に書いた指揮者の違い、演奏者の違い、生だからこそ、ホールによる響き方、座席位置、体調...などいろんな違いがあるからだと思う。

 

その3つが、ずっと同時に進行している感じが不思議だった。

どんな曲かは知っているけれど、どんな音が聴こえてくるか、どんな体験になるかは鳴ってみないとわからないところがライブはおもしろい。

 

 

今思い返してみればすごく独特な第九だったのかもしれない。

タメるのかな?と思えばあっさりしているし、テンポ早いな〜と感じるところもあれば、強弱の付け方が独特なところもある。

たくさん聴いてるわけじゃないから、まだ批評はできなくて、「独特」なのかはわからないけれども。

 

 

 

 

先発で読響のサントリーホールでの演奏を聴いていた友人のレポートも助けになって、指揮者のマッシモ・ザネッティの"アモーレ♡"ぶりを想像しながら聴いてみたり。

サントリーホールには、P席というのがあってステージの後ろにあるので、指揮者の振りがよく見えるらしい。一度ここで聴いてみたい。


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それにしても。

今まさに目の前で人間によって起こっている出来事を、人間が息を詰めて見守る、支える感覚が「舞台」で行うものにはあって、大変に魅了されることよ...と思うわけなのです。音楽に限らず、演劇も能もスポーツもプレゼンも。

舞台があり、本番があり、器として従事している間の、付属するものは一切関係がなくなり、ほんものになり、光を放っている人間は目が離せないのですね。演奏でも手術でも消火作業でも通訳でも。不思議だ。

 

 

予習会での解説や感想の交わし合いと、先発隊のレポートがほんとうにありがたくて、自分一人で行ったのの百万倍ぐらいすごい体験になった。

近くに橋を架けてくれる友人たちがいることに感謝!

ティンパニコントラバスにこんなに注目したことなかった。交響曲としてまるっと聴いていたのが、トライアングルもシンバルもチェロも...。

 

響き合いとかうねりとか応答とか受け渡しを目でも聴けるってすごくいい。

音楽の色の帯や粒が見えたんです、ほんとうに。

楽器ごとの方々の運動量の半端なさとかも聴けるのもいいし。

 

 

あとは、普段いかにデジタル処理された音を聞いているか、ということも感じたし。

生の楽器の音を摂取することで、活性化される細胞があるように思う。

クラシック音楽に関しては、自分にとっての楽しみ方をこんなふうに一つずつ獲得しながら、細く長く楽しんでいけたらいいなぁ。

 

 

未知の分野に詳しい人に選んで連れて行ってもらう企画は、6年ぐらい前から自分も能や文楽などでもコツコツとやっていたり、企業に提案したこともあった。そのときは通らなかったけど、今また取り組んでいるのだな。

 

音楽でこんなふうにするのもとてもいいですね。またやりたい。

 

そして

 

みんなやればいいのに!!(お決まりのフレーズ...)

 

 

うーん、楽しかった!よかった!!

 

 

 

風物詩っていいですね。一年に一度コンサートに行って、時間の重なりを感じてみるのもいい。そして「第九」なら、普段はコンサートに行かない人も、聴きに来られるような雰囲気がある。

一方で、水を打ったような静かなコンサートにも立ち会ってみたいとも思う。競技かるたの名人戦・クイーン戦のような、息を止めていてください、というような静寂も好きだ。

 

 

 

はー、なんか東京での今年が終わったって感じ。ようやく帰省の準備にかかれる。

つまり、わたしにとって年末とは2回来る感じ。東京でまず仕舞い、実家で仕舞い...。

 

実家のことを考えたら、コンサートが終わってからあっという間に家に着いてるところもすごい!あたしの今の環境すごい!

実家のほうなら、コンサートホールから家に帰るまでに電車とバスと徒歩で1時間半はかかるからなぁ。

 

つまり、わたしは今のわたしの仕事をつくるのにこの環境が必要。だから今ここに暮らしているんだなぁとあらためて思いました。

 

 

 

▼右の月刊オーケストラの特集で、オーケストラの方々が「第九」を語っている座談会がおもしろかった。あーだこーだの会だし、ふむふむの会だし、〇〇を語る会って、〇〇を寿ぐことで。やっぱり楽しいよね。

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★普及やファン獲得のための鑑賞体験を広げる場づくりを考えておられる企業や団体の方

★自分の好きなことを楽しむ仲間がほしい個人の方

講座やコンサルティングなどでサポートいたします。
詳しくはお問い合わせください。

 

 

冬至のコラージュの会、ひらきました

自分の今とこれからを見つけるコラージュの会《冬至編》、ひらきました。

 

 

冬至は「一陽来復」とも言われていて、この日を境に隠が陽に転じる日なのだそう。その日撒いたものが万倍になって戻ってくるという「一粒万倍日」の2018年最後のターンでもあり、翌日未明は満月という、何かおめでたい日でした。

 

寒桜も咲いていましたよ。

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コラージュの製作時間は80分ほど。
その前に一年をふりかえるワークをし、製作した後に発表会をするので、ぜんぶで3時間半。

長いようであっという間です。

 

 

集中して感覚と思考を行き来しながら手を動かします。同じ海に別々に潜っているような感じ。近くにいるのはわかっていて、安心して潜っている。

この時間はあまり言葉が出てこない。出そうという気にもならない。


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最後の発表の時間では、自分が意図したものを聴いてもらうと同時に、観賞者が感じ取ったものを表現してもらいます。大きな受容、応援、愛、もしかしたら未来の予言も?

お花がぽこぽこ咲くような、その花を渡し合うような、幸せな時間です。


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一人ひとりぜんぜん違っている。

自分でも思いがけないものが出てきたという方が多いです。「今までとこれから」の節目に立った今、という地点の感覚だけがあって、あとは自由。理想の何かを描いてもよいし、決めてきた好きなもので埋め尽くしてもよいし、直感だけを頼りに橋を渡ってもよいし。


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中身はそのときの季節や気分やメンバーの顔ぶれによって、毎回すこーしずつ修正や調整しています。もう6年はやってるけど、なぜか飽きないのはなぜだろう。

 

たとえば、冒頭のふりかえりのワークはこんな感じに。

・スケジュール帳をめくりながら「こんなことあったなぁ」と思った「予定」を紙片に書き出していく。
・紙片を話したいこと、話したくないことに分ける。話したいことは1つだけでもいくつでも。複数ある場合は順番を決める。

・ペアになって5分話す。聴くほうは相槌だけ。

・聴いていたほうが3分で今聴いた話の感想を話す。

・話す人、聴く人を交代する。

・みんなでちょっとシェア。

 

製作のためによく機能してくれていたならよいのだけど。わたしは一緒にワークをしたペアの方から、「この一年に起こったいろいろのことをぜんぶよいものとして受け取っているって感じがしました」と感想をいただけて、うれしかった。

 

 

ほんとうにわたしたち、この一年よく生きましたねぇ。

 

 

12月も半ばを過ぎると、今いる今年が此岸で、来年は彼岸になる感覚があります。

年が明けて彼岸に渡ってしまうと、此岸で起こっていたことはなぜか忘れてしまう。

一旦の小さな死があるのかもしれない。

この一年に起こってきた事とそれにまつわる感情一つひとつを悼み、自らの生き様を祝いながら、その小さな死に向けて準備をしているというのが、今回のわたしが得た感覚でした。

 

 

集ってくださって、ありがとうございました。作品がそれぞれの光になりますように。

関心を向けてくださった方もありがとうございます。

 

 

ご感想

理屈抜きで選んだ自分が好きだと思ったもの、自分が美しいと思ったもの、自分がこの世にあってほしいと思ったものだけを集めて作ったコラージュ作品なので、いつまでも見ていられます。不思議な感覚。私にとって美しいものは、ただただ美しい。それを確認できました。

 

何も意図せず、頭で一切考えず好きなカタチや色だけ集めていく作業が楽しすぎました!2018年は忙しかったので落ち着きたい…と感じていたけど、出来上がったコラージュを見ると2019年も賑やかになりそうです。

 

・ブログに書いてくださった方も。

sachycamera.com

 

 

 

 

次回は春分

6年ほど年末年始を中心にゆるやかにひらいてきたこの会ですが、一昨年から公募をはじめ、今年は3ヶ月に一度の暦に合わせるのがいい感じになってきました。

 

春分夏至秋分冬至

 

次回は3月の春分の頃にひらく予定です。日程や場所が決まりましたらご案内しますので、知りたい!という方はこちらよりメールアドレスをお知らせください。

 

出張開催いたします

団体やグループからオファーいただければ、暦に関わらず、講師料+交通費にて出張開催もいたします。ぜひ呼んでくださいませ。

 

ひととび お問い合わせフォーム

 

 

 

 

《まとめ記事》また行きたい!と思える場をつくるゼミ

今年、まちの教室KLASSで個人の方向けにひらいていた「また行きたい!と思える場をつくるゼミ」のレポートをまとめました。

(現在、こちらは個人セッションとして提供しています。お問い合わせはこちら

 

 

2018/4/18

お知らせ:KLASSの講座はじまります!(場づくりゼミ、読書会、コラージュ) - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/5/18

KLASS 第1期の3 また行きたい!と思える場をつくるゼミ(第1回)ひらきました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/6/2

【KLASSの講座】また行きたい!と思える場をつくるゼミ(第2回)、ひらきました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

 

2018/6/18

【KLASSの講座】また行きたい!と思える場をつくるゼミ(第3回)、ひらきました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/6/22

人の場に参加して学ぶ!6/23場づくりゼミパート練習会のお誘い - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/7/11

【KLASSの講座】また行きたい!と思える場をつくるゼミ(第4回)、ひらきました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/7/18

場づくりゼミ第2期、はじまりました! - ひととび〜人と美の表現活動研究室


 

2018/8/10

Zoomでひらいた場づくり講座 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/8/17

場づくりは関係づくり(また行きたい!と思える場をつくるゼミ) - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/8/28

場づくりだって練習したらいい!:場づくりゼミで進行練習をしました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/9/16

また行きたいと思える場には何がある?:秋の場づくりゼミ、ひらきます - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/10/21

場をつくる人が何を大切にしているか - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

 

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第九ふむふむ予習会がよかった話

だいたいがよかった話なので、わざわざ「よかった話」にしなくてもいいのだけど、なんべんでも言いたい感じがあって、毎回こうなる。。

 

 


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さて、きのうは「第九ふむふむ予習会がよかった話」をしてきました。

音楽やオペラの場を一緒につくってきたゆかこさんの発案。

ゆかこさんがつけてくれた「ふむふむ」っていうタイトル!ヘッダー画像もすてき!

 

 

年末に第九を聴きに行くにあたり、せっかくだからみんなで予習する会をしたい。

お互いに教えあったり、興味のあるトピックを話し合ってみたりしたい。

知識や情報を仕入れるというよりも、

私ここの、このフレーズが好きなんだよね!
ここの楽器の掛け合いが最高だよねぇ〜

など、愛を語り合う自由な時間になったらいいな!

と思っていたのだけれど、ほんとーにいつもどおり想定以上に場がなってくれて、幸せでした。

 

 

帰ってきてコーフンのままツイート。

 

 

 

 

 

 

 

そして今朝もまた発見してツイート。

 

 

 

 

 

 

いやはや、ほんとうに楽しかった〜

 

第九ってすごくまるっとしたものをして存在している感じがしていた(「あのフレーズ!」「暮れの風物詩!」とか)。

すごく前ではあったけれども、合唱で参加してみたら見えた世界がまずあって、そのときの体験は忘れ難かった。

そこからまたきのうの発展があって、この体験は、これから第九を聴くたびに思い出すと思う。

 

これは何が起きているのか?

 

身近なもの、知ったつもりになっているもの、有名だけれど知らないもの、難しそうなもの・簡単そうなもの...なんでもとにかく真ん中にもってきて、一枚一枚みんなで丁寧にひらいていて、感想を交換しあいながら、発見を楽しんでいくと、こんなに楽しいのかぁという、やっぱりあの手この手で味わい尽くす鑑賞は楽しい。

しかも、予習して、仮説を立てて、検証しにいって、実際の体験して、そのあとに感触を交換しあうところまでやる鑑賞は、一人でただ聴く、ただ観るときの何百倍もAmazing!!!

 

こういう場は自給自足できるし、自分がはじめるとどんどん周りの友だちもやりはじめてくれるので、ありがたいのですよね。

 

わたしは、価値の普及をしたい方々(今回で言えば、クラシックのコンサートをひらいている劇場や興行主、楽譜を出版している会社や、CDを販売している会社など)とパートナーを組んで、10人〜100人規模の場(機会)をひらくお仕事をいたします。

自分も人を集めてやってみたい、という個人の方のご相談にものっています。

どうぞご相談くださいませ。お問い合わせはこちら。

 

 

 

▼上: ティンパニパート譜、左: 合唱譜、右: 総譜
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総譜も「スコアの読み方ハンドブック」もせっかく借りて、先日古本屋さんで「これがオーケストラだ」という本も買った!

こんなに豊かな時間をいただいて、ありがたくて、なんとか生かしたい気持ちでいっぱいで。本番まであと4日しかないのだけれど、一夜漬けでも素人ながらできるとこまでやってみようと思います。


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第九をまた歌いたいなーとふと思った話をポッドキャストでしたのが去年の今ごろ。

それから友だちの市民オーケストラのコンサートに行ったのが6月。そのときのことはここで話した。

それから、友だちが「だれか一緒に行きませんかー」とつぶやいていたのに、「はいはいはーい!」とのっからせてもらったのが8月。

せっかくなので、予習会をしたいねぇと話してやることになったのが10月。

それから友だちに声をかけて、気持ちを高めつつ、集まったのがきのう。

 

そして、4日後に東京芸術劇場に第九のコンサートを聴きに行くので、そこでこの一連の流れが収束するような、わたしの中では一年がかりでここにきているという感覚がある。

 

実は合唱でステージに立った時に聴いたことしかなく、客席で聴くのははじめてなのだ!楽しみ!どの服を着て行こうかな〜♪

 

 

タータン展がよかった話

三鷹市美術ギャラリーのタータン展を見てきた。神戸ファッション美術館でやっていたときから次は三鷹に巡回だな!とチェックしていたので、予定通り行けてうれしい!



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今、一時的にタータンに詳しくなっている自分がおもしろい。

展覧会の愉しみってまずはここなのかも。

一時的に詳しくなる→人に言いたくなって言う→聴いてもらえる→!展開する!

 

 


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まずは今までわたしは、

・タータン

・チェック

・キルト

をごっちゃに理解していたことが判明。脳の「格子柄のものボックス」の中にがさっと入っていた。

 

タータンとは、

・2色以上の色を使い、それらの糸が直角に交わる格子柄である。

・たて糸とよこ糸に使う糸の色と数が同じで、基本パターンが繰り返される

の2つを満たしたものを言う。織ることによって生まれるチェック柄のことを指している。だから、プリントされたものはタータンではなくてチェックということになる。あるいはタータン風の柄?

 

チェックとは、

・日本の市松模様のような、2色の正方形が交互に配置されたもの

 ・タータンではないもの

なのだそう。

 

だから正確に言うと「タータン・チェック」というものはない、ということになる。「フラダンス」みたいなものかしら?

 

 

キルトは、

タータンをつかったスコットランドの正装で、巻きスカート状のものだけれども、決してスカートとはいってはいけないらしい。かつてはハイランド地方の人たちの日常着であり正装であり戦闘服だった。

 

18世紀はじめにあった、ジャコバイトの反乱で、イングランド国王ジェームズ7世の支持者たちが着たのでイングランドのほうにも知られていったらしい。何回も反乱は起きていて、弾圧されたときに文化の衰退を狙って、バグパイプゲール語と共にタータンが禁止された時期もあったとか。

 

このあたりのスコットランドの歴史や文化もあまり詳しくなかったので、こんなふうに出会えてうれしい。この体験を覚えておけば、他で出てきたときにもピンとくるはず。

実際に、「インヴァネス」という地方の名前が出てきたときには、「おお、シェイクスピアの『マクベス』じゃん!」と思ったし。小さい頃に読んだきりの「アーサー王と円卓の騎士」ももう一回読み直したい(関係ある?ない?)。

 

 

タータンには種類があって、家・氏族ごとに固有のタータンがあるというのはちょうど今年知ったばかりだったのだけれど、他にもあった。

・クラン・タータン
スコットランドの由緒あるクラン(氏族)とその家族が身につけられる

・ディストリクト・タータン
地域に関連したもの(ニューヨーク市のタータン、ジョージア州のタータンなども展示されていた。スコットランド人が移民先のアメリカやカナダでもタータンは盛んになった、ということか)

・ミリタリー・タータン
軍隊用(有名なブラックウォッチはもともと軍関係だったのね)

・ロイヤル・タータン
王室専用(ロイヤル・スチュアートがたぶん世界で一番有名な柄)

・コーポレート・タータン
組織や企業が販促や象徴として(日本でも伊勢丹タータンがある。スコットランド・タータン登記所というところで公式に登録されている柄だそう)

 

 

 

いろいろ観ていて印象に残ったのは、とても単純な制約の中で、個別性を表すという様式美。デザインの生まれ方。

例えば、ブルドッグソースの105周年記念につくったというタータンがわかりやすい。ウスターソースの起源が、イギリスのウスターシャー地方にあるからということで、タータンをつくることにまずなったらしい。そして、どんな色を使うかというときに、

 黒:スパイス
 赤:トマト、りんご、にんじん
 緑:その他野菜

という由来を込めている。色や数字や組み方にも何か意図があるのだと思う。

こんなふうにタータンでは、伝統を尊ぶ・守ることも表せるし、ビジネスや文化的なつながりを促進する効果もある。

 

ロビーでは、織り物工場で生産している様子と、タータン・デザイナーがデザインの過程を説明してくれる動画が3〜4分ずつ流れていて、これがとってもよくまとまっていていい。

デザイナーが最後に言ってくれた、「どんなデザインになっているか注目してほしいです。そして自分でデザインしてみるのもいいでしょう」という言葉にじんわりきて、帰り道はさっそくすれ違う人、電車に乗り合う人のマフラーやらシャツの、タータンやタータン風のチェック柄が気になった。

 

脳って関心があることをじゃんじゃん拾ってくれるからおもしろい。

 

 

 

▼家に帰ると、掛け布団カバーも息子の着ているシャツもタータンだった。 

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▼2018年9月発刊したての「たくさんのふしぎ」シリーズ。わかりやすく網羅的でおすすめ!
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▼イギリスでタータンといえばやはりこの人!次はこれを観に行くかー!!
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▼はぎれがぜんぶ美しくて、何に使うか当てはないけど、ほしくなっちゃう。
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《追記》

図録は書籍として一般に販売されていて、展示されていたものや解説も読めます。こういう展開はいいよね〜 実物観に行けない人にも、もちろん行った人にも。
http://amzn.asia/d/6f0GKK9


銀座和光で、150周年記念 キンロック アンダーソン フェアというのを先月やっていたとツイッターのフォロワーさんが教えてくれました!キンロック・アンダーソン社は、タータン展でもフィーチャーされていましたよ!このサイトに書いてあることも興味深い。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000036.000025779.html

 

 

お気に入りの図録を見せびらかしあう会

友だちが素敵な思いつきをしてくれて、「お気に入りの図録を見せびらかしあう会」に参加してきた。

集まったのは界隈の、つくる・描く・デザイン・設計する人たち。

みんなの行きつけの近所のカフェで、とにかく愛を語りまくって、きゃっきゃしようね、という趣旨。

「見せびらかす」というところがいいよね。「紹介」などと澄ましていられない。見てみて〜、いいやろ〜と言いたい。そういう力が図録にはある。

 

時間の関係もあるけど、単純に重いから「5冊まで」という縛りにして。

この5冊を選ぶのものなかなか楽しかった。図録という物、そのものがもう素敵で、見せびらかしたい気持ちになるか、というところと、なんとなくカブらないようにしたい(カブったらカブったでおもしろいけど)、、などいろいろ悩み、最後はキメで。

 

 

その展覧会との出会い、その作家やアーティストとの出会い、そこでの体験、そしてそれらが人生をどのようにあたためてきたか。

よく知っているようで、図録という方向から見てみると、その人への光の当たり方がまた変わって、しみじみと、まずそれがよかったなぁ。

 

自分の愛も語れて、あまり人に語ったことのない、ジョゼフ・コーネル愛もしょっぱなからもりもり語れてうれしかった。

メンバーの一人が言ってくれてそうだなと思ったのが、箱だとガラスケースに入っていることが多くて、いろんな方向から見えるのだけれど、反射もするし、「遠い」。

図録だとよく見える。

 

その、図録の何がいいかとか、図録らしさって何か、の話もよかったな。

 

画集や写真集と違って、図録は本物を見ていることがほとんどなので(見ていなくても買っちゃうときあるけど)、時間と体験がつまっているのがいい。

 

わたしは、パウル・クレーのイメージがカラフルで形がおもしろい感じの人?「こども向け」の世界でよく見かけていた人、というすごく雑なイメージしか持っていなかったのだけれど、バウハウスのメンバーだったとか、クレーの他の作品も見せてもらって、がぜん、「(カラフルで形が云々ではない)こっち路線」の企画展が見たいなぁと思った。

そのへんから、じゃあその企画展やるならどこの館でやりますかね?など、妄想するのが楽しかった。妄想キュレーション。

 

愛あふれすぎちゃって、2周するだけでやっとだったけど、もうおなかいっぱい。

うちの図録たちに風を通して、いろんな人に愛でてもらって、よかった。

 

 

気になる方は、ぜひぜひご自分の周りでもやってみてくださいね。

楽しいこと間違いなしよ。

 


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▼1992年のジョゼフ・コーネル展は、展覧会も図録もわたしの心のベストテン第一位。
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ドナルド・キーンに教わった日本の古典

日本の古典文学、古典芸能、歴史をドナルド・キーンに教わったという人は多いのではないかしら。

 

かく言うわたしもその一人。

 


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右「能・文楽・歌舞伎」

文楽を観はじめた高3か大学の頃に友人に勧められて読んで、いつか能も観たーい!と思いをつのらせた元になった本。これを読んでいなかったら、あの決定的な体験だった「鵜飼」を「今がその時だ」と確信して観に行かなかっただろうし、その後もこんなに能を好きにならなかったかもしれない。

 

 

左「古典を楽しむ」

先日図書館で借りて良かったので、手元に置こうと思った一冊。ドナルド・キーンの著作はそんなにたくさん読んではいないけれど、解説もしながら、素朴な疑問も、どこにグッときたのかも、ユニークな比較考察も、惜しみなくシェアしてくれていて、ただただ、おもしろい。時間も場所も軽々と超えて、今のわたしとあの世界をつなげてくれる。瑞々しいドナルド・キーンの感性がすてきだ。

 

 

ドナルド・キーンでは他には、先日友人がシェアしてくれた「日本人の戦争〜作家の日記を読む」も気になっていて、Amazonの「あとで買う」に入りっぱなし。

 

尾崎翠の「第七官界彷徨」が漫画化されてるらしいし、手元に戻ってきた「昭和元禄落語心中」もまた一気読みしたい。百人一首の自分用の解説ノートを作っていて、後鳥羽上皇が気になってきたので、「承久の乱 真の『武者の世』を告げる大乱」も読みたい。3月には「ユダヤ5000年の教え」の読書会があるのでぼちぼち読みたい。

 

ジェンダーギャップ指数が更新されてるのを見て、統計学も勉強したいと思ったので、こどもの本のコーナーを漁って、さっそく図書館に予約した。

 

ああ、忙しい。

読みたい本がありすぎるって幸せだ。

年末年始はスーツケースに本を詰め込んで、帰省先で読書に勤しむつもり。

リフレクティング的なグループインタビューの可能性

食のグループインタビューにまたまた参加させていただいた。楽しかった!!

 

前回6月に参加してからというもの、インタビューで出てきた野菜のことを考えたり、外食が減って家でつくるようになったり、飲食店で働いてみたり、食にまつわる場やプロジェクトを企画したいと思うようになったり、たった一回のグループインタビューがきっかけで(もちろんそれまでにもそれからも他の要因はあったものの)生活がすっかり変わってしまった。

だから、「きょう行ったらまた何が起こるんだろう?」というわくわくで、冒頭から楽しみすぎて動悸がしていた。

 

 

家族のごはんをつくる人が、日々、

  • どんな食材(主に野菜や果物)を
  • どこで
  • どのくらいの頻度で購入し
  • 何を大切に選んでいるのか
  • どんな料理に使うのか
  • 調理の工夫は何か
  • 生活や暮らしの中で食とはどんな位置付けなのか
  • 子どもの嗜好が食卓にどのような影響を与えるか

...などなどを、素朴な関心、わかりやすい言葉でインタビューしてくれた。
用意してきた質問にとらわれず、流れやインタビュイーの関心によって質問を変えていくなど、とても上手かった。

 

 

こういうことは誰からもあらたまって聞かれることのない質問だし、友だち同士でもそんなにじっくりはしない。ご近所さん同士なら情報交換的にするけれども、価値観とセットで問われて、何を言っても安心して答えられる場ってなかなかない。

 

答えているうちに、「いろんなことを考えて比較して検討して決めて実行して、がんばってたんだーわたし。こだわりをもってるんだ。この食材が好きなんだ」などが、じわじわわいてくる。

もちろん、学生さんから「がんばってますね」とか言われるわけじゃないし、言われたいわけじゃない。

何を答えても、「へえーそうなんですね」と関心をもって聴いてもらうだけで、自分で自分に思ったり、インタビュイー同士がお互いを労ったりする雰囲気が勝手に生まれる。

 

それがとてもイイ。

 

帰宅してから届いたメールの中に、

「食べ手」の話はいつでもどこでも聞こうと思えば聞けると考えていたという学生が、

今日一日を通して「食べ手も一人ひとりこんなに違うんだ」と分かったと話していました。

という一文があって、そうそう、それってやっぱりテキストだけでもわからないし、こういう他者との関わりや、違いを受容してもらえる設定のかかった安心安全な場の中ではじめて出てくるんだなぁと思った。

 

このグループインタビューは5年目ということで、プログラムはよく練られていて、場づくりという点からもとても興味深かった。今回も没頭しながらいろいろ観察させてもらった。わたしのひらいた場づくりゼミに参加してくださったときの学びも取り入れられているそうで、その循環の中にいられることは大変ありがたかった。

 

年齢が我が子といってもおかしくないほど離れていることや、これから就農しようという若人たちということもあり、やはり「若い人に貢献したい」みたいな思いもくすぐられ、息子が保育園児の頃にお世話になっていたスリールで感じたことを思い出したり、なんだか懐かしいような、妙な興奮状態にいて、連れとわぁわぁ言いながら駅までの道を歩いた。

 

圧倒的に知らないから、意外性がたくさんあって楽しい、ということはある。

生産者-消費者というラベルの付け方もあるし、それを二項ではなくもっとたくさんの軸を持ち込んで斜めにずらしていったら、違う風景が見える。そこはじゃぶじゃぶじゃぶの創造と希望の泉。確かな人間同士のつながりの中を、たべものが往来する。

あらためて「リフレクティング」的な場、リフレクティング・プロセスには非常に大きな可能性があると思った。やりたいことがどわっと湧いて、野望がふつふつと。

 

考えてみれば、「自分の生産するものの良さを知ってもらい、好きになってもらい、食べてもらい、命の糧にしてもらい、それを小規模なチームで商う」という働き方生き方は、わたしもまったく同じところにいるので、同志という立場での共感もあったんだろうな。

 

 

お茶農家さんより開発中という煎茶を淹れていただき、
さらにお土産として、干し柿干し芋、富有柿、ようかんをいただいた。

・ベジファームゴトウの富有柿 http://www.vegefarm-goto.jp/
・深緑茶房のようかん http://www.shinsabo.com/
・角田製茶 https://www.kakudaseicha.com/ 

 

 

 

ブログでの速報レポート: onozemi | ブログ

当日中に上がるの、すばらしい!! 

 

 

 

この時間自体も楽しいのだけれど、終わってから、次第に起こることもまた楽しみにしている。

 

ありがとうございました♪

 

 

 

 

▼お土産どっさり。干し芋と柿は朝ごはんにいただきました。

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▼帰りにさっそくこんな本を図書館で借りてみたり。サラダに関するインタビューがあったので。

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