ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

展示〈Walls & Bridges 壁は橋になる〉@東京都美術館 鑑賞記録

東京都美術館で〈Walls & Bridges 壁は橋になる〉展を観てきた記録。

 

www.tobikan.jp


今のわたしたちの持つ苦しみを理解し、各々に寄り添ってくれるような作品に出会えそう。または、苦しみとの向き合いを促されるかもしれないけれど。いずれにせよ、作品との対話を通じて、生の実感を得られるのではと想像。

長めの会期がありがたい。

増山たづ子さんの作品は、Izu Photo Museumで観たことがある。
2014年の「すべて写真になる日まで」展。
あれから時間が経って、この展覧会ではどんなふうに見えるのか、楽しみにして行った。

 

 

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▼鑑賞メモ

・編集は橋をかける作業

・分断に橋をかける

・権力に対する声なき強い抵抗

増山たづ子

写真に写っている子どもたちは、時期的におそらくわたしと同年代。実際にわたしの子どもの頃の体験とも近い。それも相まって、特別な感情が湧く。

撮られることに慣れている。家族を撮るように。大きな家族。家族の写真を保存するようなアルバムに勝手に愛を感じる。

性犯罪の被害に遭い、生きることに絶望していた人が、写真に出合い、撮ることで少しずつ生きられるようになったという話をしていたのをふと思い出した。インパール作戦で出征した夫を亡くした増山さん。

10万カットという途方も無い物量を想像させる展示内容。

・東勝吉

83歳から絵を描き始める。美術の教育は受けたことがない。

5メートルほど離れて観ると、何を描こうとしたのかがとてもよくわかる

・静けさに触れるだけでも、異なる世界に橋がかかる

 

・人間にいつ発現するかはわからない。何がきっかけになるかもわからない。人生の早い段階でできる限り多くを与える努力には、あまり意味がないように感じる。まして幸せとの関連は、もっとわからない。

 

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映画『ブラックパンサーズ』『壁画・壁画たち』『ドキュモントゥール』鑑賞記録

早稲田松竹でのアニエス・ヴァルダを観たのに続き、横浜シネマリンに巡回していた〈特集カンヌ国際映画祭とフランスの女性監督たち〉のアニエス・ヴァルダの3作品を観てきた。はじめての横浜シネマリン。映画の舞台になっているロサンジェルスダウンタウンの雰囲気と近い。

ブラックパンサーズ』(1968)
『壁画・壁画たち』(1980)
『ドキュモントゥール』(1981)

cinemarine.co.jp

 

この3作品は、テーマがどれも違うが、『顔たち、ところどころ』のエッセンスを感じる。

アメリカという地に来ても、やはりアニエスが関心を寄せるのは、現実に生きている人の生活で、現実の人間関係で、その人を特徴付ける何かなのだと感じる。

 

 

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▼壁画で思い出した、サルデーニャ、オルゴーゾロ村の壁画。

 

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・マイノリティの歴史

・男性による男性の搾取

・告発、ストライキ、困難、夢、発明、インスピレーション、苦痛と不安、思想、歴史

・「標識とゴミしかない。美が必要。良いアートに飢えている」

 

ロサンジェルスの壁画は今はどうなっているのだろうか?と

〈mural los angeles〉でGoogle画像検索してみたら、たくさん出てきた!

 

 

また2006年と少し前だが、研究紀要も見つけた。映画の中でも触れられていたメキシコ系住民との関連について特に詳しく触れられている。

https://core.ac.uk/download/pdf/15921011.pdf (PDF)

 

ブラックパンサーズに関するページ。動画もある。

nmaahc.si.edu

 

・「拳をかため、ダンスする」

・「攻撃はしないが、身は守る」

・「丸腰なのに、撃たれた」

・「本を持てるようにしてほしい」「執筆は気をつけないと取り上げられる」

・「黒人コミュニティについて学べば、自分たちで行動を起こすようになる」

・「ナチュラルだと誇りが持てる」

 

▼ドキュモントゥール

・喪失の悲しみがひたひたと押し寄せてくる。やるせない気分

・郊外のキラキラしていないロサンジェルス。移民が多く、貧困やDVなども垣間見る。

・母と息子の組み合わせは、まるで自分のことのようでえぐられる。「ママと一緒に寝たい」と息子が言うのを頑なに「一人で寝て」と言ったり、学校からの帰宅に合わせて帰宅できなかったときの(物思いに耽っていたため)息子の反応など、あるあるならぬ、あったあった。

 

映画を観たら、また読み返したくなる、『シモーヌ

 

来週(2021/8/15)発売になるらしい書籍!

 

映画『軍中楽園』鑑賞記録

映画『軍中楽園』を観た記録。 

 

2014年台湾製作、2018年日本公開。

監督は『風櫃(フンクイ)の少年』の主役だった、ニウ・チェンザー

gun-to-rakuen.com

 

今年6月の侯孝賢監督特集上映で、侯のプロデュース作としてラインナップしていたが、わたしはどうしても観る気がしなかった。

軍中楽園とは、台湾の金門島に設けられた慰安所だ。女性に対する性的搾取を公的に容認する施設で、日本軍の慰安所から、発想から運営まで学んでいる。

これを美麗な映像で、恋愛や青春の物語として見せるのは、果たしてどうなのだろうか、出来事の重大さが無視され、美化されているのではないか、と抵抗感があった。

しかしwam(女たちの戦争と平和資料館)を見学して、どんな感想を抱くにせよ、やはりこれは見ておかねばと思った。

幸いタイミングよくネット配信で観ることができた。

 

※ここからは、映画の内容に詳しく触れています。未見の方はご注意ください

 

観てみて、この映画は、問題作と言ってもいいのではないかと思った。

「特約茶室」の全貌の解明もされておらず、台湾社会でもまだ議論の俎上に載っていないテーマを、加害者の追及も被害者の救済も十分にされてない(かもしれない?)中で、「ロマンス」や「青春」に向けてしまっている。

これが「誰の」「どのような目線」で描かれているかを何度も考える内容だった。

「タブーとされた触れにくいテーマを扱いやすくするために、あえてこのようにした」としても(実際に台湾では大ヒットし、国民党時代に秘匿されていた事実がまた一つ明らかになったようだ)、それでもなお歪である。

結局のところ、この軍中楽園のような施設や性的搾取のためのシステムが生まれる「理由はいつも同じ」ということが実によくわかる作品だった。

 

軍中楽園の背景が、映画の公式サイトからでは不十分なので、別の資料から引用する。

軍中楽園」「特約茶室」という名の慰安所

一方、日本軍の慰安所に酷似した兵士用の遊郭が作られ、戦後40年間も運営されてきたことがわかってきました。国民党軍は中国人民解放軍の攻撃に備えるため、中国大陸から数十万の青年を軍隊に投入し、1949年からは金門島に5万を超える兵を派遣。法律によって結婚を禁じられていた兵士たちは、島民とのトラブルや性暴力事件を引き起こします。そこで中華民国国防部は1952年、兵士の性欲を解消するために「軍中楽園」を金門島や馬祖群島、台湾本島の軍施設周辺に作り、「特約茶室」と呼びました。台湾本島では1974年に廃止されましたが、金門島では1992年までありました。

軍中楽園」では管理・運営のほとんどを日本軍の慰安所に学んでいます。少なくとも5万人以上はいたと言われる女性の徴集は民間に委託して人身売買、就業詐欺、強迫なども行われ、本島で逮捕された私娼も"島流し"として送りこまれました。今ではかつての「特約茶室」が展示館として公開されていますが、全貌が明らかになるのはこれからです。

※以下は写真のキャプチャ

金門島軍中楽園は、今では特約茶室展示館になっている。金門島では政治工作要員が250人の女性を管理していた。女性たちは15歳〜30歳で、通常は1日に30〜40人の兵士の相手をした。50人を超えると爆竹を鳴らして祝福を受けたという。/『中国文化とエロス』李敖 著/土屋英明 訳(東方書店, 1993年)

p.29『台湾・「慰安婦」の証言 日本人にされた阿媽(アマー)たち』(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)編集・発行)

 

映画に描かれていたこと、そのままだ。こういう背景があった。

 

 

映画の主人公、ルオ・バオタイ(羅保台)は、純朴でコミカルな仕草をする青年として描かれている。過酷な訓練と先輩からの熾烈ないじめのある精鋭部隊からは、泳げないという理由で「幸運にも」外してもらえ、831部隊が管轄する「特約茶室」へと異動になる。

本来なら、女性たちに対する短時間の行為のために、男性たちが列を成しているという図自体がおぞましいはずだが、ここでバオタイが、何もわかっていないように振る舞うことで、映画の観客は"安心して"観続けることができる、できてしまう。

女性がどのような酷い目に遭っても、バオタイが関与せず、ただぼんやりとして、むしろ勤勉にチャーミングに業務をこなすことで、「これはこの世界では当たり前のこと、仕方のないこと」と思えてしまう。百歩譲って、「それこそが異常な感覚だ」という裏のメッセージがあるとしたら、成功しているが。

もちろん男性も酷い目に遭う。理不尽に連れ去られ、故郷に帰ることはなく、軍隊で苛め抜かれ、脱走して海へ逃亡せざるを得ない。緊張状態にある対岸との間で、砲弾の飛び交う中を日々生きなければならない。しかし彼らの辛さは、特約茶室の女性が受け止めてくれる構図になっている。そのために設置したのだから当然といえば当然ではあるが。

女性は受容し、慰安する。ケア役割として存在させられることに、作り手の批判は一片も感じられない。当時がどうであったにせよ、批判の姿勢がないことはやはり問題ではないのか。女性の"事情"も人によっては明かされるが、バオタイは、そこには「無知なままで」「何ら感知も関与もせず」に存在することができる。

女性が男性によって、身体の所有権が奪われ、身体的な安全が常に揺らぎ、その命すら大きく左右させられる一方で、男性は女性に対して何の責任も負わされないで済んでいる。免除されている。身体的な痛みや精神の苦しみも描かれはするが、美化されたり、笑いや美的なもので矮小化されているため、実感として何も伝わってこない。避妊具を使わない兵士がいることで、妊娠させられた女性がおり、ラスト近くで出産するシーンがある。出産は歓迎され、831のメンバーによって赤ん坊は可愛がられる。ここも異常な状況なのに、笑顔と明るさに包まれていて、感覚がおかしくなる。

むしろ女性を嫌悪の対象とすることすら、許容している節がある。ニーニー(妮妮)の過去を知ったバオタイは、彼女に嫌悪感を抱き、避けるようになる。"小悪魔的な" 阿嬌(アジャオ)の役を物語に置き、彼女を利用しながらも嫌悪し、暴力の果てに殺害するという蛮行にさらす。殺害した老張(ラオジャン)は逮捕され、何らかの刑を科せられただろうが(おそらくは死刑?)、観客の脳裏に残るのは、彼の故郷や母への強い思慕と、それを"小悪魔的に"嘲笑し、"裏切った"アジャオへの怒りではないだろうか。アジャオの死を女たちが悲しむ姿は一瞬映るが、それ以上ではない。このような描き方には、恐怖すら覚える。

この物語は、監督のニウ・チェンザーが、かつて金門島で兵役についていた読者が寄せた新聞投稿を目にしたことをきっかけに生まれたそうだ。

百歩譲って、どんな過酷な状況にあっても、人々が生き抜くために心の交流を持ったとして、それを語っているのは「誰」なのか? 語り手の属性や立場に大きな偏りがあるのではないか?そこは抜け落ちてはいないか?

 

 

バオタイが831を去るシーンも、「『軍中楽園』は、いろいろ辛いことはあったけれど、最後に去るときには、文字通り軍中の楽園だった!青春の一ページだった!」という雰囲気になっているのだ。

 

エンドロールの「あり得たかもしれない世界線」も寒気がした。「感動」は当然なく、蛇足とも違う。なぜなら、その「夢」は、男性たちが語っていたもののみだったから。男性たちの側が女性を巻き込み、勝手に思い描いた夢だからだ。女性たちがどんな「夢」を持っていたのかには、一切触れられていない。一人ひとりにあったはずの物語が、すっぽりと抜け落ちている。これは「監督が男性だから仕方のないこと」なのだろうか?ほんとうに?

 

映画は最後に、

父と祖父と、全ての時代に翻弄された人々へ

と捧げられている。

ここまで「百歩譲って」を心中で幾度となく繰り返しながら見ていたが、ここに来てやはり「完全に無視されている」と感じて、重苦しい気持ちで映画を終えた。

 

2014年は、2017年の#MeToo以前だ。百歩譲って(そればかりだが)まだ認識が不足していたとして、しかし今は変わっているだろうか。

中華民国国防部が参考にしたという、太平洋戦争中の慰安所のことも、日本軍が女性たちにしたことも省みられていない、話題にすることが忌避されがちな日本で、この映画は公開されている。果たしてこれを「エンターテインメントに昇華されている」と文字通り受け取っていいものだろうか。いや、考えていかなくてはいけないと思う。なぜなら、まったく過去のことではないからだ。

 

いくつかこの映画のレビューを探してみたが、わたしの読みたい内容のものはなかった。それどころか、驚くような反応のほうが多かった。

こちらのレビューは、わたしにはなかった視点を興味深く読んだ。

medium.com

 

 

繰り返すが、愛や青春の物語の「舞台」にするには、早すぎた。

現段階ではそうとしか思えない。

 

※追記

一旦書いてみて、わからなくなってきた。

物事はある側からしか描けないのだろうか。

女性たちが可哀想な人ではなく、彼女たちなりにそれぞれに誇り高く生きていると描かれていると称賛すべきなのだろうか。

 

映画『私たちの青春、台湾』鑑賞記録

映画『私たちの青春、台湾』を下高井戸シネマで観てきた。

ouryouthintw.com

youtu.be

 

昨年の公開時にはまだ台湾に注目しておらず、見逃していた。

今年の初夏に台湾映画を20本ほど観て、ようやく台湾の民主主義まで辿り着けた。ここでこのドキュメンタリーを観られたのは、とてもタイミングがいい。たまたま日程を合わせられたのもラッキーだった。

 

www.instagram.com

 

 

 

ひまわり運動 "sunflower movement" について(7:21から)

youtu.be

 

この本よかった。こういう人が大臣の国......。その国で生きる若者たちの記録が、今回の映画、か......。

『自由への手紙』オードリー・タン/著, クーリエ・ジャポン編集チーム/編(講談社, 2020年)

 

 

充実のパンフレット。今はここで買えるみたい。

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▼監督インタビュー「権力やウイルスへの最大の防御は利他的であること」

最後の質問への答えが非常に重要だと感じた。

www.vogue.co.jp

 

 

▼メモその他( ※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください

・台湾の民主化への道のりを 客観的に撮ったらそれはそれでわかりやすいだろうけど、それを台湾社会はどう受け止めたのかを知りたいとき、今回のドキュメンタリーにあるようなものは、たぶん映らない。まずはこの作品を通して知ることができてよかった。

・どんな運動にも変革にも、一人ひとり人間がいて、背景があって、思惑があって、違う大きさのエネルギーの持ち寄りがあって、思いもよらぬ展開がある。

・『私たちの青春、台湾』の中にも出てきたし、『香港画』の予告もあって(下高井戸で7/2まで)、『乱世備忘』(7/1まで)のチラシもあって、「普通選挙」を切望する人たちの姿を見ていたら、普通選挙のある国に暮らしている人間として、やはりこみ上げるものがあった。学生たちが声を上げて、集まって、社会を変えようと動く。日本では学生運動がトラウマなのか、学生が活動することに対する社会の視線が冷たいように感じる。もちろん批判の仕方も、運動の仕方も教えないからと言い訳しようとしていたけれど。でも教わらなくてもやる人たちの姿を見ていて、何が違うんだろう?と何度も思った。いい子すぎる?飼い慣らされてしまった?何かが人質にとられている?

 ・映画の中ではりんご日報が取材していて、香港の黄之鋒(収監中)や周庭(6月に出所)が活動していて、写っているだけでなく、ひまわり運動の学生たちと同世代の運動家として横からの関係を当事者目線で描いていて......。これは過去の話というより、パラレルワールドにいるみたいだった。

www.cnn.co.jp

 

・1989年6月3日 天安門事件のフィルムを見る学生たち。台湾では見ることができる?中国の中では情報統制されている。しかし中国の外に出た人たちは知ることができる。知ったときにどう感じるのか、自分の国に対する思いや考えはどのように変わるのか。そのことは語られていなかったように思う。

・「弱者にも夢見る権利を!」

・2012年 反メディア独占運動。中国による台湾メディアの自由への挑戦。サービス貿易協定の強行採決。大陸資本が入ってきたら、台湾の民主的言論が守られない。台湾はこういう脅威にさらされてきたのか。「両岸関係」。

・日本で今同じようなことがあって、「民主的な言論が守られない」ことの脅威を実感して立ち上がれる人たちはどのぐらいいるだろうか。。

 

 

・陳為廷:「死んだ母への侮辱は絶対に許さない」「ぬいぐるみを抱いて寝ていた」「帰る家がなく、居場所がほしかった」「社会とのつながりを感じたかった」という。社会を変えるという情熱の下にあった、あっけないほどごく当たり前のニーズ。「自分の国は自分で守る」も決して嘘ではなかっただろうけれど。

・陳為廷が性暴力の常習犯だった過去が発覚。。まさかの展開。しかし「カウンセラーに相談してようやくやめられた」というのもよかった。カウンセラーを頼るという発想が映画を通じて発信されたと思う。ここの犯罪者の心境まで語るところを映画におさめたところが凄かった。「相手を人とも思わない」自分勝手な言い分が続くが、真実なんだろう。吐き気がする。

・蔡博芸:中国をよくしたいと願い台湾で学ぶ留学生。中国から台湾に留学に来るのはレア?と知る。「台湾にきてはじめて政治とは何かを体験した。草の根からはじめるというのがどういうことなのか知った」ない社会にはない、許可されていない国にはない、という衝撃。「中国人が罵られるのは、わたしのことみたい」この難しい立場にあえている彼女の勇敢さ。学生代表選挙で国籍を理由に拒否される。差別という言葉は使われないが、これは明らかに差別。

 

・50万人にものぼるデモ隊への警察の介入で、多数の怪我人が出る。「この現場を見るのはつらい」わたしも辛い。いまだに香港の映像が見られない。

・政府による土地収容反対運動は、金馬奨史を描いた映画『あの頃、この時』で紹介された映画にも出てきた。

・どの文脈だったか忘れたが、「有名人が話すのを見ても時間の無駄」というセリフがあった。「有名人が話すのを見ているだけで何も行動を起こさないなら意味がない、そんなことをしている間に現場に行け」というような意味だったかと記憶。わかる。

・2013年中国に取材に行く。上海の学生との懇談。「学生の社会運動にどんな圧力がかかる?」の質問に「いつも圧力を受けている」と回答。中国における学生の社会運動を垣間見る。これはまた別の場所で知りたい。

 

・二人を呼び出して、またあれを一緒にできないかと問う監督。蔡博芸の落ち着いた態度に大物さを感じる。。「ドラマみたいにはいかない。劇的な変化は無理。自分が重要だと思い、出来そうなことをインタビューや文章に書く。「個人は変化していくから、期待されても困る」ときっぱり。しっかりした線引きがあり、でも信頼もある?健やかさに救われる。「人物に焦点を当てていた」個人を崇拝するのは危険。人は変わるから。「人生の目標があるから。決定待ちになっていない?独立思考が大事。超人が来るのを待っていてはダメ。当時の大衆と同じ」。

・監督の理想はなんだったのか、が結局よくわからなかった。「国が敵対していても、相互に理解しあう関係。中国、香港、台湾の公民社会」が監督の目指す理想?最後の最後に監督の決意。「二人に期待を押し付けたりしない」「真に自分の力で目標に進むために」。

・「この人がいないとできないと思っていた。でも、これは一人でもやることだ。引き受けるのだ」と腹を括る話だな。そこに至るまでの葛藤。みっともなさもぜんぶさらけ出す。一人のようでいて、決して一人ではない。必ず一緒にやってくれる誰かがいる。何か成したいことがあるとき、信念を形にしたいとき、人が必ずといっていいほど通る道。だから「青春」。

・この映画を観ているわたし自身、出版して、モードを変えて、「社会、社会」と言い出して、熱くなりすぎて失敗もした。まるで傳楡監督のような「イタい」半年間を過ごしてきた。人に期待しては勝手に裏切られたと騒いでいた。恥ずかしい。「人は変わっていく」「関心は変わっていく」「自分がやりたいなら一人でやる」

・それも必要なプロセスと思えば愛おしい。

「失敗してもかまわない、それも一つの選択なのだ」

アレハンドロ・ホドロフスキー

 

・青春物語の体を取りつつ、込めているテーマは重い。そしてこの一本で、自分の国の政治体制と自分のごく身近な人間関係の両方を同時に考えさせる力がある。こういう映画が世に出せるのがすごいし、賞を出す金馬奨がすごい(第55回金馬奨最優秀ドキュメンタリー映画賞受賞)

 

 

書籍化されている。まだ読めていないけれど!読みたい!ああ、積読だらけ......。

『わたしたちの青春、台湾』 傳楡/著(五月書房新社, 2020年)

 

この映画を観たあと、都議会議員選挙だったので、民主主義についてより切実さをもって考えることができた。

 

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展示「郵便創業150年記念企画展 日本郵便の誕生」@郵政博物館 鑑賞記録

6月終わりか7月初めに行った展示。

緊急事態宣言が出されて、しばらく休館していたが、宣言明けから会期を延長してくれていたので、行くことができた。よかった。

www.postalmuseum.jp

―今から150年前、日本に「郵便」が誕生しました―

今や国民にとってなじみの深い「郵便」ですが、その始まりの経緯については、意外に知られていません。日本の「郵便」はどのような経緯で誕生し、その実態はどのようなものだったのでしょうか?
2021(令和3)年は、日本に「郵便」が創業してから150年目にあたります。そこで本展では、幕末から明治前期までの時期を中心とし、日本に「近代郵便」が確立するまでをストーリー仕立てで紹介していきます。(公式HPより)

 

 

今回の訪問の動機。 

今年の春に開催されていた二つの展示を観に行って、郵便事業のはじまりや、軍事郵便のシステムなどにさらに興味を惹かれた。

2013年まで大手町にあった逓信総合博物館(ていぱーく)には一度行ったことがある。大規模な切手コレクションを見た記憶がある。

hitotobi.hatenadiary.jp

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原爆の悲惨さ伝えた「はがき」

https://www.postalmuseum.jp/column/collection/post_1.html 


制服の移り変わり

https://www.postalmuseum.jp/column/transition/postman.html

 

▼メモ

前島密(1835-1919)は「日本郵便の父」として知られているが、他にも偉業は多数。遷都、国字の改良、海運、新聞、電信・電話、鉄道、教育、保険など。こちら(日本郵政HP)も。

前島密没後100年記念展の資料(PDF)
https://www.postalmuseum.jp/publication/description/0329_Yu_Maejima_Panf.pdf

・近代国家に欠かせない交通、通信制度の整備が必要。当初は宿駅の機能を活用し、飛脚制度を再編するのが前島密の構想。他の業務命令が出て動けなくなった前島のあとを引き継いで実践したのは、杉浦譲。制度の説明、用品の準備、切手の製造等、開業に向けての準備を担う。(発案した人の名は「超有名人」として残り、現場でメインで作業した人の名は残りにくいものだ。。杉浦譲について

1871年4月20日新暦:この頃はまだ旧暦と新暦のはざま)東京ー大阪間の郵便を試験的に実施。

・会場で流れていたフィルムが詳しくかった。江戸時代の飛脚制度の再現映像がよくでてきていてびっくり。飛脚の頼み方、受け取り方、運搬の仕方がよくわかる。当時飛脚屋専門店があった。東京ー大阪間は、飛脚で8日間。1日75〜100kgを走る。ある地点からある地点へパスするリレー式飛脚もあった。ちなみに、1889年(明治22年)に東海道本線が開通したときの東京ー大阪間は20時間。

・幕府公認の尾張紀伊の藩独自で雇う飛脚は、葵の御紋を笠に着ての傍若無人ぶりが酷かったそう。

・郵便制度ができたときも最初はまだ郵便屋さんが「走って」いた!リレー式で東京ー大阪は3日。汽車が通っていないところも多かった。自転車もない?車もまだない?(『山の郵便配達』という映画を思い出す)

・東京ー大阪や都市から都市への郵便が整うにつれて、市内郵便も展開。多いときは一日19回の集配。電話より先に発達していた。

・最初は参勤交代時の宿場電馬制を郵便にも展開していたが、宿場のある村や、人馬を供給する助郷村の負担が大きくなりすぎたことと、民間に委託しているとコストが高くつくということから、国の事業とすることになった。(これが何年ごろだったか?)

・1867年〜1871年ごろまでいろんな人が試行錯誤している。当たり前だが物事とは急にはじまったり終わったりするわけではなく、いろんな準備があり、導入があり、改良があり、発展がある。衰退して、終焉もある。

・今は当たり前にある郵便の制度も、人が走って(!)運ぶという時代があり、国全体の大きな変化に伴って「近代国家として西洋に追いつくために必要なインフラ」という目的を据えた時代があり、スピードアップしてきた時代があって、そして今はどんな時代にあるのか。

・はじまった頃は時計もまだ一般的ではなかった。時刻を決めて集配するシステムのため、時計が必要になった。こちらの資料、こちらの資料参照。(この頃の人々の時間感覚はもっとゆるやかだったのかも)街灯が少なく、配達の回数も多いので、日が暮れると灯火器(ランタン)をもって家々の表札を確認していた。郵便屋さんが携帯する銃の展示もある。(治安が悪かったのだろうか?)

・情報量が多かったので、あとで図録で確認したかったのだが、制作はないとのこと。残念。

・郵政博物館の歴史。
 郵便博物館として1902(明治35年)に開館。190万点の資料を所蔵。日本で唯一の通信の伝道を行う。もともと逓信博物館(ていぱーく)が建てられたのは、1964年の東京オリンピックを見据えていたそう。体験型の機能を持った博物館。2013年閉館、移転。

・現在は押上のスカイツリーの中にある。ただ、かなり外れたところにあり、周りは、塾、英会話スクール、大学の展示ルームなどで、通りがかりにフラッと入るようなところではない。駅から一番遠いビルで、エレベータの細かい乗り換えもあって、目的をもってここを目指してこないと辿り着けない。展示内容はいいだけに、知られにくくて残念。切手のコーナーは健在。膨大な量。

 

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▼参考になりそうな資料

『日本における近代郵便の成立過程』井上卓朗(郵政博物館)(PDF)https://www.postalmuseum.jp/publication/research/docs/research_02_03.pdf

郵便局の歴史とその役割
http://www.postmasters.jp/index.php?a=role

 

日本郵便創業の歴史』藪内 吉彦/著(明石書店, 2013年)

 

『郵便の歴史』井上卓朗, 星名定雄/著(鳴美, 2018年)

 

これ買いました。保存用!

www.post.japanpost.jp

 

こんなんやってた。郵便配達バイク......いいな。

www.shop.post.japanpost.jp

wam (アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」)訪問記録

7月上旬、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)を訪ねた。

ずっと来なければと思いながら、5年?6年? 

#MeToo、沖縄、台湾と経てきて、ようやくタイミングが訪れた。

 

wam-peace.org

 

入ってすぐ、wamのエントランスには、証言した元「慰安婦」の女性たちのポートレイトが壁一面に貼られている。一人ひとりの存在、それらがまず胸をえぐる。

白い花の印は故人ということだろう。そして、訪れる度にこの花の数は多くなっていくのだろう。

 

展示スペースは、思ったよりもこじんまりとしているのだが、パネル展示を見てみると、情報量が多く、はじめて知る内容ばかりだ。メモを取りながら見ていると、2時間近く経っていた。

 

現在の特集展示は、今までどこでも見たことのない(少なくともわたしは)ものがテーマになっている。そういえば不思議だ。なぜこのことが取り扱われてこなかったのか。

 

 

www.instagram.com

 

慰安婦」と括弧付きである意味......。

その名称は、制度を組織的に作り、容認し、参加した人間が勝手につけたものであり、彼女たちが自分たちを自ら呼んだものではない。そこが非常に重要だと思った。

 

2000年12月に「日本軍性奴隷制の責任者を裁く女性国際戦犯法廷」が東京で開かれていたそうだ。

archives.wam-peace.org

社会でそんなことが起こっていたなんて、わたしは全く知らなかった。いや、他のどんなことにしても考える余裕がなかった。仕事に時間やエネルギーを奪われ、生きているのがやっとだった。食べる時間があればいい方だった。まったく働き方は社会への関わり方に直結する。

 

 

台湾について、台湾と日本との関係についてわたしなりに学んできた流れも、ここへつながった。一人ひとりの証言が重い。しかし、このようにまとまっていなければ、なかったことになってしまう。

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誰もが一度は訪れるべき場所だと思う。
「日本」にルーツを持つと自覚している者は特に知らなければならない。知ることから。

過去にあったこと。それらの延長上に今があること。戦争は終わっていないこと。

無視した、逃げた、追及しなかった。癒えていない傷の果てが今......。

見落としていること、知らないできてしまったこと。

戦争の話をするときに、必ず抜け落ちているもの二つ。

それが生き延びた人たちは、今を生きる人たちも苦しめ続けている。

 

何をシェアしていきか、何を伝えていくか。

考えなければならない。

 

 

▼「東京裁判は、ジェンダー植民地主義への認識が欠如していた」この点、『東京裁判』のBlu-rayを買ったので確かめる。 

 

▼こちらも読書中。

『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』平井美津子/著(高文研, 2017年)

 

▼『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』松井久子/編(岩波書店, 2014年) 

本書には「強姦救援センター・沖縄(REICO)」を設立した高里鈴代さんのインタビューもあり、読み直す。初夏から追いかけてきた沖縄ともつながった。

 

ドキュメンタリー映画『何を怖れる』公式HP

http://feminism-documentary.com/

  

池田恵理子さん出演動画

youtu.be

 

まだわたしは観られていない映画『主戦場』。ここにwamの方が出演されているそう。

www.shusenjo.jp

 

時間が経つごとに、進展するのか、後退するのか......。すべてはこれからのわたしたちにかかっている。

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展示『川端龍子の院展時代』@大田区立龍子記念館 鑑賞記録

6月下旬、大田区立龍子記念館に『川端龍子の院展時代』展を観に行った記録。

 

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▼鑑賞メモ、

・自分を見出し、育ててくれた横山大観院展、そこからの脱退の決意、覚悟にふれてみたくて観に行った。わたし自身の現状になにか通じるものがあるような気がして。

・30代はじめ、アメリカからの帰国の2年後、1915年 第2回院展で初入選。

・西洋画から転向するといっても、日本画の師にもつかず、日本美術史も知らず。「まずパステルでやってみた!」というその発想と勢いがイイ。パステルを砕いて、膠で溶いて。これはこれで味がある。やったことないけど、やってみるという思い切りの良さ、若々しさ。

1917年に院展同人に推挙され、「一にも川端、二にも龍子」と徴用される。1928年に院展脱退。その後20年関係断絶。こういうことって人生あるよね。「庇護と自立」って語りたいテーマだ。

・「同人」「院友」「会員」は違うものらしい。どのように?

・「積極的未完成」っていい言葉だな。アレハンドロ・ホドロフスキーみたい。

・洋画/日本画の境界を超える。異端児。大観も異端児、龍子も異端児。ルネサンスを彷彿とさせる。

・「洋画教育には立派な橋がかけられているけれども、日本画にはないのでは」という問題意識。

1920年 自宅を建て、画室ができる。喜びに溢れた一枚>https://twitter.com/ota_bunka/status/1385481006749143042?s=20

当時の建築中の家の写真、棟梁たちが屋根に上がっている?誇らしげな感じが伝わってくる。

・「会場芸術(会場で目立つだけの絵」と揶揄された龍子、「展覧会における芸術が広く大衆と結びつけばつくほど、それはよい意味の会場芸術となる」。1921年「火生」

・1923年 10回院展 会期中に関東大震災が起こり、会場で避難者の救護に奔走する姿が新聞に掲載されている。このことが「関東大震災の経験が龍子に、民衆と芸術との関係を考えさせた。(1924年「龍安泉石」)芸術を探究するというのは個人的なことではなく、誰のための芸術か、ということへの目配りがあってこそ、ということなのだろうか。「偉く」なると見えなくなりがちなことかも。

・「役行者役小角(えんのおづぬ)に、院展の中で突出した「影響力」を持ちすぎてしまった自分を重ねた?大作主義を異端視されたとか。作品が大きくなったのは、展覧会会場で、多くの人が立ち止まっても見やすいようにという、配慮もあったと何回か前の企画展で見た。役小角って懐かしいですね。『宇宙皇子』を思い出す......。

・「民衆のための美術行動としては、小さく凝り固まるものではなく、大きくひらけて民衆の美的興味に訴えるものを」「健剛なる芸術の実践に情熱を傾けていった」

・大観や院展との目指すべき芸術の方向性の違いが顕著に。(あるあるですね。)1928年院展から脱退(同人を辞める)。この年に発表した「神変大菩薩」は、モチーフは日本的だけれど描き方が革新的だったのか。今の目から見れば、これも「日本画」に見えるけれども、当時の流れからは亜流、異端だったのか。

・1929年44歳で青龍社を創立。自分に目をかけてくれ、こちらも敬愛していた師をある地点から超えてしまった驚きと、ある意味ではもう目指しているもののベクトルが全く違うことに気づく。尊敬はしているけれども、自分はもうそっちではないとわかったとき、この場にはそぐわない、貢献できない、挑戦したい、、、なにかいろんな思いがあったのではと、作品から読み取る。(自分の話かもしれないけれど)

・青龍社創立して最初の公募展を院展と同じ会場で同じ期間中に開いたのは、たまたまなのか、挑戦状なのか。わざとだとすれば、大観が「君、嫌なことをするね」と激怒するのも仕方がないかなと思う。

・後年、川合玉堂のとりなしで和解して、ほんとうによかった。またこの一件を山種美術館川合玉堂展で確認できたこともよかった。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

三人で展覧会を開いたときの写真をテキトーにスケッチしたもの。左から玉堂、龍子、大観。楽しそうだった。

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・140点以上を所蔵している。毎回違うものを見ているし、同じ作品でも企画展のテーマ、切り口や編集が違えばまた違って見える。一人の作家を自分の変化と共に毎回追えて、作品に新たに出会い、出会い直し続けられるのは、個人美術館の醍醐味。

・わたしは龍子記念館に来る時は、それ専用に設られた、落ち着く広々とした空間で、大きな絵を観て堪能したい〜!と思う。そういう体験を龍子は鑑賞者に提供したかったのだろうな。それが龍子式会場芸術。自分が信じているものを、信じているように作る。その気概を今回の企画展ではさらに感じた。

・企画展の作品が並んでいる逆サイドの壁際には、11歳〜13歳の学校で描いた作品が並んでいて、これがめちゃくちゃ上手い。墨一色でさらりと描いた玉ねぎ、茄子、牡丹、瓢箪などなど。評価が思いっきり作品の上に書いてあって、たいてい中か上。上のほうが多い。

・学級委員タイプで、成績優秀、後輩に勉強を教えていたそう。

・和歌山から先に東京へ行っていた父のところには他の女が一緒に暮らしていた。実の母と離れて暮らすという、少々複雑な生い立ち。

 

 

敷地は広いのだけれど、運営としてはおそらく小規模な部類に入るであろうこの美術館で、とても熱心にやっておられるのが、Youtube解説。

遠方の方もこのチャンネルをチェックして、【ズバリ解説】を楽しんでいただきたい!

今回のポスタービジュアルになっている〈阿吽〉の他にも、この企画展示分だけで10数本の解説動画がUPされています。すごい......。こちらにも動画へのリンクがあります。

youtu.be

 

 

  

龍子公園(旧邸宅&アトリエ&庭園)も緑でいっぱい!

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いろんな人におすすめしているのだけれど、ほんとうにいい場所なので、一度訪れてもらいたい。大森駅からバスと聞くと、ちょっとひよるかもしれないけれど、バス停もわかりやすいし、本数も多いし、慣れれば楽です。

入館料がたったの200円!この満足感で!

 

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映画 アニエス・ヴァルダ特集『ラ・ポワント・クールト』『5時から7時までのクレオ』『ダゲール街の人々』『落穂拾い』鑑賞記録

7月。早稲田松竹アニエス・ヴァルダ特集を観てきた記録。

 

スタッフ・すみちゃんさんによるレビュー。きりっとした短文に凝縮された魅力。こんなレビューが書けるようになりたい。どうしても冗長になるわたし......。

wasedashochiku.co.jp

 

シモーヌ VOL.4 特集:アニエス・ヴァルダ』 (現代書館, 2021年)をきっかけにヴァルダに出会い直している。

 

 

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▼特集上映を観る前に、こちらのイベントを視聴したのもよかった。(イベントは終了)

readinwritin210704.peatix.com

 

▼その後の感想ツイートから。

トークイベント〈フェミニズムと出版 〜「女性史」の可能性〜〉のアーカイブを視聴。『新編 激動の中を行く―与謝野晶子女性論集』の編者であるもろさわようこさんの言葉を信濃毎日新聞記者の河原さんがご紹介くださった。

「生きている限りは自分を新しくしていかなければならない。自己解体しないで言葉だけ新しくしても、ちっとも歴史は動かない。一人一人が自分を新しくしていくときが、歴史が新しくなるときだと思う」

「30代、40代は煉獄。煉獄を抜けたからこそ見えるものがあり、出会えるも人がある。それを祝福しよう」

90代のもろさわさんからのメッセージ。ああそうか、わたし今、煉獄中なんだな。

「もろさわさんの評伝を河原さんに、書いていただきたい!」というコメントが入っていたけれど、わたしも同感です!

 

2冊の本をめぐる対話。主に話されているお二人以外にも、新泉社の高橋さん、与謝野晶子アニエス・ヴァルダ、もろさわようこさん、石川優実さん、『新編 激動の中を行く』の編集さん、リアルの参加者さんなど一人ひとりの声が聞こえてきて、想像以上にみっちりと思いを聴き合う時間だった。よかった。

「先人たちの活動や言葉から元気や勇気をもらっている」というお話もほんとうにそう! わたしは晶子からいてうかの比較で言えば(まぁする必要あるんかわからんけど)、個人的なご縁かららいてうに関心があって、田端文士村記念館で公開されている小さな特集展示にとても勇気づけられました。

独立した個人同士で、いろんな言葉を集めて分かち合って、連帯しながら状況をよくしていきたいなと思う。 

 

そうそう、わたしも出版の末席で小さく声をあげてみたんだった。

その誇りを胸に、『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』で引き続き対話の場、行動のきっかけをつくっていきます。


よろしくお願いします。

kimitori.mystrikingly.com

 

展示『夢二デザイン1910-1930  ー千代紙から、銀座千疋屋の図案までー』@竹久夢二美術館

4月のはじめ、まだ緊急事態宣言に入る前、根津の竹久夢二美術館に行ってきた。

夢二デザイン1910-1930  ー千代紙から、銀座千疋屋の図案までー

https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/exhibition/past_detail.html?id=1788

 約100年前の日本で“可愛い”というキャッチコピーを使用し、自らデザインしたグッズを売り出した画家・竹久夢二(1884-1934)。
 伝統と近代、和と洋の美術様式を交差させて、暮らしに身近な日用品から商業図案まで、夢二は洗練されたデザインを幅広く展開しました。
 本展では、1910年から1930年の間に夢二が手掛けた千代紙、絵封筒、雑誌表紙、楽譜表紙、本の装幀、双六、銀座千疋屋のための図案、ポスター、レタリング等を展示紹介し、グラフィックデザイナーの先駆けともいえる、夢二の美の世界を考察します。(公式HPより)

 

夢二と言えば「夢二式美人」ですよね!という人もいるかもしれないけれど、わたしにとっては断然「図案の人」。

 

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▼鑑賞メモ、感想

・1900年頃 絵葉書が登場する
 →1904年〜1905年の日露戦争で大流行
 絵葉書の歴史 | 絵葉書資料館

 →1905年(明治38年)夢二、絵葉書図案でデビュー
・1914年 港屋絵草紙店、オープン(この背景や顛末がすごい......)
 港屋絵草紙店 竹久夢二専門画廊 港屋

 可愛い(かあいい)という言葉で宣伝。もしやニッポンの"Cawaii"はここからはじまった??

・少女向け雑誌の中で書いていた夢二の言葉。(確か裁縫の図案?か何かのページだったような、うろ覚えですみません)

 「身のまはりの衣服調度は、なるべく自分で工夫して気持ちよく便利にそして、簡素にしてゆきたいと思ひます。流行を追ふといふことは、自分で自分の生活を工夫することの出来ない人か、物を所有してゐることを見得にする人のことです。」

「日毎に緑が深くなってゆく麦の葉にも、ひと雨ごとにふくらむでゆく桐の花にも、来るべき夏を用意している自然の美術館の営みが見られます。」

「色調の仕方はコントラスト(対比)とハルモニイ(調和)とがあります。

身近な人以外の大人から、こんなふうに声をかけられた少女たちは、どんなふうに受け止めたんだろう。ちょっと説教臭くもあるけれど、目線を上げてほしいという願いも感じられる。

・ブックデザイナーとしての夢二は、自著含め、300以上の装丁を手掛けている。雑誌の表紙絵や本の装丁からは、夢二式美人や少女像に見える「かわいくてふわふわ」ではない夢二が見られる。幾何学的なデザインや、動物、植物、虫などをモチーフにした図案は、今見てもカッコいい。怪しさや怖さもあって魅力的。

・大正後期から昭和初期に起こった童謡運動(鈴木三重吉北原白秋が創刊した児童文芸雑誌「赤い鳥」がきっかけであり活動の舞台にもなった)によって生まれた、童謡や唱歌の楽譜の挿画を夢二がてがけている。これがまた美しい!これを手に取った子どもたちはわくわくしながら歌を歌ったのではないだろうか。

・レタリングやアール・デコ風の図案、扉、カット、タイトル字など展示物たっぷり。いせ辰でみかける図案もある。

・同時代のデザイナーに、津田清風、杉浦非水、橋口五葉、恩地孝四郎武井武雄などがいる。

 

めくるめく図案の世界はとてもよかったけれど、わたしはどうにも夢二の女性遍歴の話や、なよっとしてぼんやりしている美人画の感じが好きになれない。

そんなのは好き嫌いだから別に放っておけばいいのだけれど、なにか気になるところがある人でもある。

何かまた他の切り口で展示があれば、観に行きたいと思っている。

 

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展示「はじめまして、かけじくです」@板橋区立美術館 鑑賞記録

7月上旬、板橋区立美術館で『はじめまして、かけじくです』を鑑賞した記録。

www.city.itabashi.tokyo.jp

 

全然注目していなかったが、青い日記帳さんがイチオシの展示ということで、慌てて終了間際に駆け込んだ。

bluediary2.jugem.jp

 

行って、ほんとうによかった......!!!

 

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今回行ったのは、実は昨年あたりから、かけじくが気になっていたから。

掛け軸の表装の世界というのは、西洋画の額縁とは全然違うものなんだろうなぁ、知りたいなぁと思っていた。

ここにもメモしてあった。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

だから今回は、願ったり叶ったりの展示だった。

疑問が湧いたり、仮説を思いつくのはギフト。それを持ったまま、かといってずっとそのことばかり考えているのではなく、一旦忘れてしばらく日常を過ごしていると、ある日ふとアンテナに引っかかってくる。

ひっかかりやすくするために、わたしの場合はこうやってブログに書いたり、SNSで発信しておいている。探していたものに出会えたときは、めちゃくちゃうれしい。

 

▼「こんなに変わるの!? 新しい表装に仕立て直すまで(PDF)」
かけじくってこんなふうにできてたんだ!がわかる資料。繊細!職人さんすごい!

https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/_res/projects/project_artmuseum/_page_/004/001/474/kakejiku_hyoso1.pdf

 

▼メモと感想

・掛け軸のはじまりは、文字や絵を記した布を吊り下げる行為から。人間ってやっぱりきれいなものを飾りたいという気持ちがあるんだろうなぁ。タペストリーのようなものだったんだろうか。

室町時代、書院造が生まれて、かけじくを床の間に飾る風習が生まれる。茶の湯でさらに発展。この頃、かけじくはまだ貴族のもの。

・もし床の間がなければ、かけじくはこんなに長細いものではなかったかも?

・色紙を飾る習慣とも

・江戸時代には一般の武士や豪農や町人の間でも流行る。でもそれ以下の身分の人たちはかけじくなんて買えないので、大津絵のようなものを飾っていたのかな??庶民が家の壁に絵を飾るようになったのって、明治に入ってから?このあたりの歴史も知りたい。

秋田県藩主佐竹氏の依頼で、などの解説が出てくる。秋田県知事って確か佐竹さんですよね。今も藩主の家系が首長として続いているということなんでしょうか。

・縦長、横長、小さい、大きい。2幅でセット、4幅でセットなどいろいろ。かけじくはそのままで中身の絵を入れ替える短冊方式もある。数え方の単位は「幅」。

・セットにするときの組み合わせやつながり方も見所。花鳥風月など、1幅でもめでたいけど、4つ飾るとめでたさが倍増したりする。

・襖や屏風、巻物や画帖の形態のものを、かけじくに仕立て直すこともある。かけじくにして愛でたい気持ち、イイですね!

・かけじくをひらいていくときの、だんだん見えてくるときのわくわくも考えて描かれたような(ほんとかわからないけど)作品もある。

・こんなに楽しいかけじくなのに、図録になると絵だけになってしまうのがとても残念。

・最近イベントの告知ページ用にヘッダー画像を工夫して入れることがあるけれど、何か作品にまつわる対話のイベントのようなときに、作品のチラシをどう配置して、作品の魅力をつたえつつ、どのように場の雰囲気を伝えるか考えながら、作っているのだけれど(そんなすごいもんじゃなくて、それ用のアプリケーションを使っているだけですが)、あの作業と表装って似ている気がした。

 

・かけじくにすることの効果を自分なりに考えてみた。
 -作品をきわだたせる。コントラストの強い色や模様を使う
 -作品の雰囲気を伝える。
 -文様に意味を込める。作品の出自や所属を表す。
 -入れ子にして遊ぶ。
 -作品の世界を広げる。作品の外側の世界とのつながりをつくる

 どうでしょう?かけじくに詳しい人がいたら、今度聞いてみようと思います。


うちにはかけじくはないしな〜と思っていたけれど、季節のてぬぐいをかけるのも、かけじく的な楽しみ方なのかも!

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いろいろ難しく考えなくてもよくて、高尚なものと腰が引けなくてもよくて、

要はこういうことかなと思います!!

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展示『国宝 鳥獣戯画のすべて』展 観賞記録

6月上旬、東京国立博物館鳥獣戯画展に行ってきた記録。

chojugiga2020.exhibit.jp

 

▼メモいろいろ

・「鳥獣戯画 甲乙丙丁」を英語で言うと、"Frolicking Animals Volume 1, 2, 3, 4"になるらしい。 

・いつも思うけれど、平安時代(12世紀)の紙がこれだけきれいに残っているのがすごい。

・これ間違えられないよね?一気に描いたのかな?と思ってみたら、「ホワイト」使ってた!実物を見たからこその発見。

・巻ごとの特徴を展示物や解説でくりかえしくりかえし体験したので、ようやく身体に入った感じ。今後「鳥獣戯画」と聞いたらパッと特徴が説明できるぐらいになっている!そのくらい丁寧な解説だったし、じっくり観ていくと、確かに個性が巻ごとに全然違うのだ。まとめて見られたからこそわかったこと。

・作者は誰かはわからないが、素人が戯れに描いたわけではなく、確かな腕を持つ人が描いたもの、ということはきっちりと記憶に刻まれた。

・丙巻に出てくる「首引き」という遊び、「何それ?」と思っていたのだけれど、「親の時代は首引きって普通の遊びだった」というツイートを見かけてから来たので、平安や鎌倉の頃からの遊びを昭和の子も普通にやっていたのがすごい!と思った。なかなか凄い遊びだ。狂言で「首引き」という曲もあるらしい。(首引き:輪にしたひもを向き合って座った二人の首に掛け、互いに引っ張り合って引き寄せられたほうを負けとする遊び/デジタル大辞泉

・絵巻の世界に入って遊ぶのは楽しい。絵巻を発明したのがすごい。閉じた冊子の前に絵巻という表現があったのがおもしろいな、もっと知りたいなと思っていたら、こんな本を見つけた。これいいです。「どう見たら(楽しんだら)いいかわからん」という人にもぴったり。

・日本のゆるかわ絵、そぼく絵の世界、やっぱりいい。特に丁巻のゆるさ、たまらない。

・動物を擬人化して描いた美術作品、世界ではどんなものがあるんだろう?お話では「ラ・フォンテーヌ寓話」とかかな? と思って調べたら、ブーテ・ド・モンベル挿絵の本が出てきた!これは見てみたい!

高山寺にまつわる人として、明恵上人のことも取り上げられていたのがよかった。

夢日記をつけていた方として有名。

河合隼雄明恵 夢を生きる』(講談社, 1995年)

『別冊NHK100分de名著 集中講義 河合隼雄: こころの深層を探る』(NHK出版, 2021年)で『明恵 夢を生きる』の解説があるので、ちょうどよいかも!

 

 

 

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ほんとうは去年の夏、2020年7月14日〜8月30日に開催予定だった企画展なのだ。

感染症流行の影響で延期となってしまった。

こんな本を買って楽しみにしていたので、わたしもとても残念だった。

鳥獣戯画なぞり書き』(リンケージワークス, 2020年)

 

東京藝大では、美術のなんの学科だったか忘れたが、入学するとまずは鳥獣戯画の模写をする授業があると聞いた。そのくらい優れたお手本でもあるということか。

わたしがなぞり書きをしていたのも、何かのいい練習になっていたのかも?!

 

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たまたまこの日に観にきていたから、今日マチ子さんの#StayHome シリーズで見かけてうれしかった。

 

そうだ、東京国立博物館は、森鷗外のゆかりの地でもあったのでした。

ちょうどこの池のあるあたりに、帝国博物館総長室があったそうです。

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この方の書き込みすごい!そうか、あの出品目録の最後のページは、こんなふうに使うんだったのですね!

 

映画『カタブイ』鑑賞記録

7月上旬、映画『カタブイ 沖縄に生きる』を観た記録。

 

youtu.be

 

▼公式HP

https://kukuruvision.com/katabui/

 

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▲写真はパンフレット。シナリオが採録されているので、いろんなお話が何度でも「聴ける」。ありがたし。

 

▼印象に残る箇所、その他の感想

琉球舞踊の方のインタビューが興味深かった。「基本的に琉球の芸能は癒やしだと思います」とのくだり。「あ、これは能だ!」と思った。能には敗者や亡者、弱者を悼む面がある。琉球舞踊のゆっくりとした舞や唄、三線は瞑想的で眠くなる。

・「でも何度も見ていると、見所があり、山場があり、流れがあるから、楽しんでくれれば」というあたりも本当に能!

・社会のルールのゆるさ(てーげー)や、死者の弔い方、先祖の祀り方は、台湾映画で見聞きしたり、台湾在住の方の発信で見ていたものが近い。ウチカビ(あの世の貨幣)は台湾の「金紙」と同じだ。http://www.kansaiartbeat.com/kablog/entries.ja/2016/08/taiwan_vol1.html

風土としては、ヤマトより、台湾のほうがずっと近いんだろうなぁ。

・「今日、基地は島の1/5を占める。何キロも続く鉄条網

島を分断する」

・高江のヘリパッド建設地周辺、反対派の年配者の演説。「私は今年で八十四歳になりました。十歳の時に沖縄戦鉄血勤皇隊として駆り出され命だけは助かりました......(後略)」

・「1879年日本に併合。日本の言語と文化が押し付けられた」

・「国のプロパガンダが招いた悲劇。Suicide Criff での集団自決。

・「なぜ支配されながら、抵抗できるのか?」

・「attachment, secondary city」「彫刻でしか抵抗できない。テロは許されない、彫刻は正統な理由だ、表現だ」話している間も頭上を飛ぶ軍用機。

・「自分たちが今生きてるんだから、命のお祝いをしましょう」

介護施設でも踊りがある。立てない人は手だけでカチャーシー、口笛、太鼓。共通の身体に刻み込まれた踊りや歌やリズムの文化があるのはすごい。流行歌とは違って、土地に由来する音、音楽。

・「人の死は特別なものじゃない」「だから思う存分接する」

・「(琉球空手では)むやみに手を出さない。人に道を譲る。気持ちを述べる気持ちと我慢する気持ちが養われる」空手のルーツが琉球にあったとは知らなかった!14世紀の沖縄で秘術として行われていたものが、20世紀になって本土に伝わった説があるそう。

・「基本になるのは祖先崇拝。その感謝の祭を古い時代からずーっと続けている。一つの仏教や神道ということではなくて。特に沖縄は道教儒教も入っている。いろんな宗教が混ざり合って現在の信仰もある」

遠いご祖先ウヤファーフジ

mainichi.jp

 

・お盆の夜のエイサー。数日前にりゅうちぇるのこのツイートを見ていたから、ああこの感じなのかな、と想像しながら見た。

・家族の絆。それが苦しいこともある。それが互助になることもある。

・基地はきょうもあるし、事件はきょうも起こるかもしれない。政治的な問題は遅々として進まない。だけど、沖縄は、それだけではない。一人ひとりの人生があって、人と人との間では友情もあるし、音楽や芸術で出会える。ほんの数十年の何かに覆されることのない歴史があって、それらは変化していくかもしれないけれど、継ごうとする人がいる限り続いていく。そして、そういう人たちのかけがえのない生の営みがあるからこそ、決して暴力で損なわれてはならないのだと思う。

 

映画を観ると、てぃんさぐぬ花」を何度も聞きたくなる。ポスタービジュアルにも出ている糸満盛彬さんが好きだった歌。

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親や先祖を敬う精神性がリアルに生きている歌。

てぃんさぐぬ花 歌詞の意味 沖縄民謡

 

▼てぃんさぐぬ花

youtu.be

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▼監督インタビュー記事(2017年2月)

沖縄を見つめたスイス人監督の作品、「カタブイ KATABUI ~沖縄に生きる〜」

www.swissinfo.ch

 

▼ダニエル・ロペスさんの出演作品があった!
『ココロ、オドル』岸本司監督(2019年, 日本)

https://www.kokoro-odoru.okinawa/

映画『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』鑑賞記録

6月10日、映画『返還交渉人』を観てきた。シネマ・チュプキ・タバタでの沖縄特集の最後の作品。

 

youtu.be

 

公式HP

www.henkan-movie.com

 
参考記事

www.asahi.com

 

映画の原案。

『僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫』宮川 徹志/著(岩波書店, 2017年)

 

今回の『返還交渉人』は、もともとはBSドラマとして制作され、2017年に放映された作品。しかし、BSだと観られる人が限られてしまう。どうにかこれを多くの人に見てもらうには?と監督が井浦さんに相談したところ、ミニシアターでかけるのはどうか?となり、90分の尺に10分足して劇場版として2018年に公開されたという経緯があるそうです。

ドキュメンタリーや劇映画とはまた違う、「ドラマ」という形で沖縄について知ることができて、よかった。そもそも、なぜ沖縄は占領されたのか、なぜパワーバランスが不均衡な形で返還されたのか、争点はなんだったのか。人にフォーカスすることで、物語にすることでクリアに見えてくる。

 

 

※以下は内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。

 

●印象的な箇所、思い出したことなど

・千葉さんが通信士官として配属されていた海軍大和田通信所。軍の通信所が内地のこんな身近にあったこと。
参考:海軍大和田通信隊跡地散策(新座市清瀬市東久留米市https://senseki-kikou.net/?p=13904

・「アメリカに対等にものが言えるようになる。当たり前でしょ?」「日本がいち独立国家として、アメリカと対等に渡り合う」
2021年現在、なってない......!

・「理想を求めずして、何の外交の意味がありましょうや」

・「国民をあざむけば、必ず将来に禍根を残す」

・1998年に沖縄に卒業旅行に行ったとき、母から「パスポートは要らないの?」と聞かれ、衝撃だった。本土の人間の意識なんてそういうものなのか?母が特殊なのか?

・水源を取り込んで基地をつくったから、水をアメリカから買う羽目になっていた。

・「ベトナムアメリカが始めた戦争だ。こっちの知ったこっちゃない」

・「踊り、歌うのは、なんとか生き残って命があることを、酒や歌で生きていることを確かめたいから」踊りの輪の中に飛び込んでいく千葉。

・「台湾にいた。当時彼とは同じ"日本人"。(戦争が終わって)彼は今、台湾人。私は国籍不明」

・「"We may be a small island, but we are not small people." 本土の人たちは我々を小さな人間だと思っている。小さな人間でいてほしいんです」 これはあらゆる差別や偏見への言葉では。

・千葉さんを見ていると、『なぜ君は総理大臣になれないのか』や『新聞記者』を観ているようだった。大きな組織の中で理想を持って動きつづける人の葛藤や苦しみ。左遷されたりもしたけれど、千葉さんが潰されず、健やかで老年まで過ごされたことはほんとうによかった。

・千葉さんが沖縄で首席に会う時は、必ず背景に飛行機音が入っている。これは現代沖縄を描いたドキュメンタリー映画『カタブイ』にも出てきたので、「つくりもの」ではなく、ほんとうにこうだったんだろうと想像する。

・基地の中に先祖の墓がある人たちは、フェンスの外で清明祭(しーみーさい)など供養せざるを得ない。これは後年、この時期だけの立ち入りが許可されたそう。

・監督は爆撃機の音にこだわったそうですが、わたしは飛行音や爆撃音がどうしても怖いので、「親子鑑賞室」で観ました。そういう選択もありだと思います。自分を大事に。 

・それにしても、戦中も戦後も、決める現場にいるのは男性ばかり。女性がいない。千葉さんの妻の恵子さんは、夫のサポート。あ、外務省で働く女性がいる!と思ったら、お茶くみ......。

 

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▼井浦さん、柳川さんの舞台挨拶

 

井浦新大杉漣との共演の思い出を語る 映画『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』単独インタビュー 

youtu.be

 

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映画『幸福 しあわせ』鑑賞記録

映画『幸せ しあわせ』をネット配信で観た。

 

youtu.be

 

アニエス・ヴァルダ長編3作目。 

あらすじ>https://eiga.com/movie/45049/

 

※ 内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

『幸福しあわせ』というタイトルとは裏腹の内容......。どのへんから不穏な感じが出てくるんだろう?と思いながら見始める。冒頭からやけに牧歌的な音楽が、映像とのバランスがやや崩れるギリギリのボリュームで入ってくる。なんだか怖い。

 

1965年のベルリン映画祭で銀熊賞と監督賞を受賞した作品だが、道義的に問題があるとされて、フランスでは上映に制限がかかったらしい。が、うーん、わたしは不倫が道義的にどうかというよりも、夫のフランソワが怖い。あーなんか気持ち悪いな、この人。残酷なのにピュアに見えて、見目麗しくて、騙される。

こういうわかりづらい形の暴力って起こってるんじゃないかな、家庭内で。

 

電報の紙で詩のようなラブレターを書いて不倫相手に渡す場面なんか、うええええ〜となる。平安時代は、即興で和歌つくるのが上手いとモテた、みたいな話を思い出す。そしてまた、「俳優のように」顔立ちの整った俳優同士が演じているので画になるのだ。観ているこっちも、ついうっとりしてしまう。展開しているのはえげつない行動や振る舞いなのに、画面がスタイリッシュ。

 

心情にそぐわない形で例の牧歌的音楽が入ってくるので、心地よくはない。

くるかくるかと観ていると、突然に不穏なカットが入る。

「わたしとどっちがいい女?」と聞くテレーズ。

「お前だよ」と即答するフランソワ。しかしその後にカメラが写すのは、フランソワが開けた食器棚の扉に貼られたピンナップ、グラビアの切り抜きだ。ベタベタと貼られている。シールがおもしろくてそのへんのタンスに貼りまくるような感じで。それらは、明らかに男性に向けたエロティックな肢体を強調するようなもの。

それがフランソワの自室にあるならまだしも、狭い狭い四人暮らしの家の、人が二人同時に立っていられないくらい狭いキッチン兼洗面所にあるのだ。

一瞬なので、「あれ、なんか気持ち悪いもん見たな。なんだったんだろ……」と思っていると、次のシーンは職場の木工所が写る。そしてまたここでも、食器棚があり、その扉にはグラビアが貼られているのだ!うわ、さっきのは見間違いやたまたまや些細なことではなくて、この人は筋金入りの何かだ!とわかるようになっている。

 

ピンナップ以外にも怖いシーンがときどき入る。

親戚の家での集まりの中で、楽しげにフランソワに話しかけるルイーズに、

「ピエロを抱きすぎだ、歩かなくなるぞ」

テレーズは答えず、ピエロを下ろす。

ペンキ仕事を終えて、テレーズが仕立て中のドレスに素手で触るのを咎められて、

「細かいこと言うなよ」

笑顔で去るテレーズ。(いや、言うだろ!商品だぞ)

 

愛しているの理由が、「きみは上手いから」「テレーズは植物みたいで、きみ(エミリ)は動物だ」。

そして、「楽しい理由、僕は嘘がつけないから」と実に楽しそうに告白する。

「あなたが幸せならそれでいい」とテレーズ。

「いいんだね!やったぁ」。

どういう悪夢を見ているんだろう、これは。

サイコパスと、サイコパスに取り込まれてしまった人?

映画『ビッグ・アイズ』を観たときの感じに似ている。

 

 

ジェンダーという観点から見ても異様だ。

情熱的な恋人も、結婚して子の親になってくれと言われたら、広い一人暮らしの家も手放して、子二人を学校あるいは幼稚園(Ecole Communaleと壁にはある)に迎えにいく。子どもたちを食べさせ、寝かしつけ、アイロンをかけ、森に行くといけば薪を組み上げて面倒をみて。

たぶん以前のような郵便局で同僚から切手を見せてもらったり、いろんな客と話したりはできていないだろう。働き続けているかもしれないが、時間は短くならざるを得ない。

自分が生んだのではない子を愛して育てなくてはならない。今後、エミリとフランソワの間に子ができたらどうなるんだろう。

 

けれども、フランソワは何も変わらない。

妻を亡くしてさえ、兄夫婦が面倒を見ると言ったりする。理由も述べられない。当たり前のように「(彼以外の)誰が面倒をみるか」という話をしている。「あなたは仕事があるから」とさえ言われない。森へ行けば子どもの面倒をエミリに見させて、「ぼくはちょっと一人で歩いてくるよ」と言えてしまったりする。

 

なんだこの世界!!

かつては、こんな世界だった?

いや、今もこんな世界?

 

この映画は、一見すると、モノガミー(一夫一婦制の婚姻)から外れる「不倫をしていて平気な夫」「それを許している(風の)女」を描いた問題作のようだ。しかし、埋め込まれているのは、ヴァルダによる冷静な観察のリポートだ。

 

挿入される看板をトリミングした単語「信念」「信頼」や、ダンスのシーン(木を真ん中に左右にカメラがパンしていろんな組み合わせのダンスを映し出す)や、テレーズが亡くなった理由(おそらくエミリには知らされていない)を、観客であるわたしたちは知っている。

 

また、配役の情報を見ると、フランソワ、エミリ、子どものジズーとピエロは、姓が同じなのだ。もしや家族で出演して、この役を演じている? こんな縁起悪そうな映画によく出ましたね……。

 

いやはや、観終わってからもすごい。

夫婦という複雑な関係と、閉じられた中に潜む狂気。それを強化する社会の規範や通念。そんなものを見た気がする。

 

ヴァルダの先見性、映像作家としての才能......。

これが1965年。凄すぎる。

 

シモーヌVOL.4』がアニエス・ヴァルダ特集だったのを機に、刊行記念イベントを視聴したり、リバイバル上映を観に行ったりしているところ。

 

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マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」@東京国立博物館 鑑賞記録

 わたしがイスラームに出会ったのは、中学生の頃。

INAX出版から出ていたタイルの本だった。この青に衝撃を受けたので、明確に覚えている。

イスラームのタイルー聖なる青』(INAX出版, 1992年) 

 

 高校のときに、友達が貸してくれたこの本も忘れがたい。

イスラーム文化−その根柢にあるもの』井筒俊彦/著(岩波書店, 1991年)

 

20年前、東京で暮らすようになって、初めてモスクに足を踏み入れた。

tokyocamii.org

 

それからも少しずつ少しずつ、いろんな形で、イスラームへの関心は途切れず続いている。

あ、そうだ。このシリーズもすごくいいのでおすすめ。4冊ぐらい出ていたと思います。

イスラームのおしえ』(イスラームってなに?)後藤絵美/著(かもがわ出版, 2017年)

 

まぁ、イスラームとか、ムスリムといっても、切り口は星の数ほどありますね。

身近な人から関心を持つ場合もあるし、こうして美術から入ることもあるし。

  

ということで、やっと本題。

 

昨日、東京国立博物館で開催中の「イスラーム王朝とムスリムの世界」展に行ってきた。

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www.tnm.jp

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マレーシアと言えば、一昨年から追いかけているヤスミン・アフマド映画を思い出す。マレーシアのマレー人(主にムスリム)と華人やインド系タミル人との共生について描かれた物語が多い。

マレーシア・イスラーム美術館の全面協力を得ることで、特定の国家や地域によらない、世界規模のイスラーム美術の展示が実現しました。

とのことで、非常に横断的な展示内容になっているのが特徴。東洋館の地階フロアの4/5ぐらいのスペース。そういえばこういう編集の仕方をされた展示って見たことがなかったかもしれない。今まで見たものは、一時代にフォーカスされていたり、別の主軸があってそこに対するイスラームの影響のような形の展示が多かったかな。

 

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思い出したのはこちらの展覧会での記憶。これ行って、じっくり見ておいてよかった。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

こちらの本もおすすめです。陶磁器やクルアーン写本のことも載っています。図版満載で見ているだけでうっとりしますし、それぞれのテーマの概要を知るにもいい。

『ペンブックス30 アラブは、美しい』 ペン編集部/編(CCCメディアハウス, 2020年)

フリット胎土

12世紀頃には、ガラスの原料となる石英と粘土、釉薬の粉を混ぜた人口胎土が開発され、比較的薄くて白い陶器がアラブ地域全域でつくられるようになる。(p.69)

ラスター彩

独自に開発された陶器技法に、ラスター彩がある。ラスターとは英語で「輝き」を意味し、表面の彩描部分が金・銀・同色に輝くこの技法は、もとはガラス装飾のために開発されたという。

中国の焼き物への憧れや、キリスト教とは違う、イスラームならではの信仰と結びついた美の捉え方などにも触れていて、興味深いです。

 

映画『陶王子 2万年の旅』これのおかげで、展示が楽しかった。

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やっぱりいいですね、東洋館!久しぶりに来ると、展示内容もすこーしずつ違っているので、いつも新鮮です。イヤホン持っていって好きな音楽を聴きながら観るのが好き。非日常空間に飛べます。

 

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年間パスポートが切れていたので、友の会に入りました。これでまたしょっちゅう、フラッと行ける。日時予約は必要だけど、総合展だけならけっこうパッと予約できるので。企画展のチケットが3枚ついていて、売店での割引などもあるので、企画展を毎回チェックする人はぜったい友の会がいいと思う!

その日に申し込めます。事前にネットで無料の日時予約しておいて、当日窓口で入会したらすぐ有効です。(トーハク推してます)

東京国立博物館 - 東博について 会員制度、寄附・寄贈 会員制度

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※追記(2021.8.1)

王朝の特徴や変遷、エリアについては、行ったことがない土地だからなのもあり、パネル解説がなかなか頭に入ってこない。
世界史の資料集をめくってみたりもするけれど、これもいまいちで。何かよい書籍があれば、

こういうの↓ が頭に入らないやつですね。テストのために暗記したいわけじゃない。自分なりに流れを掴んで、自分が理解できるように体系立てたい。

kou.benesse.co.jp

 

こういうのを観たらよいのかもしれない?少しずつ観てみます。

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こちらも参考になりそう。

「世界史B授業実践例:イスラーム世界の変容をどう教えるか」(PDF資料)

https://www.teikokushoin.co.jp/journals/history_world/pdf/201401g/08_hswhbl_2014_01g_p12_14.pdf