ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』読書記録

『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』橋迫瑞穂/著(集英社)の読書記録

 

読んだ記録を書いてみようと思ったが、なかなか気を遣うテーマでどう書いていいかわからないまま日が過ぎている。とりあえず自分のこととして書いてみる。

2000年代に結婚、妊娠、出産、乳幼児の子育てを経験した身としては、まさに直面した現実であり、影響を回避することが難しかったムーブメントの数々が列挙されていて、何度も唸った。ぐうう、ぐうう......。

妊娠・出産を「単に医療的な事柄であるだけでなく特別な意味や価値を伴う体験」(引用)として受け取り、乗り切らなければ耐えられないほどの恐怖と重圧、アイデンティティの揺れに晒されていた自分をふりかえる。しんどかったな、という感想しかない。

その時々で私が生き延びるために必要としたものを思い出したりもした。ああ、あれもあれも今思えば「スピリチュアリティ」だったのかもしれない。

必死だった。そうでもしないと乗り切れなかった。

今の私は妊娠を意識した時期から数えると10年以上が経っている。こうして距離をおいて眺めてみると、あの追い詰められ感は私自身の性質に由来していたというよりも、やはり本書で指摘されているように社会背景によって規定されていたように思う。

自分自身の妊娠・出産を機に出会った「スピリチュアリティ」のうち、私がこれまで距離をおいてきたものを挙げてみると、共通する特徴がある。

たとえば、

・産んだ人に、「母であること」「女性であること」を意識させすぎる。
・保守的な価値観に接続している。
・女性支援、母親支援と言いつつ、女性の努力不足を説き、懲罰的な態度をとる。
・身体や「心」にフォーカスしすぎる。考えることや原因を外側に見つけることを遮断される。
・生きづらさの解決を個人の能力開発に求める一方で、時事問題への関心や、権力や構造への批判が薄い。
・囲い込みが起こり、閉鎖的。
・父親や男性への言及がない、極端に少ない
・他人の開発した理論や説に無批判に従う。
など。

このような「なんか気持ち悪い、合わない、嫌だ......」と感じて離れてみたことの理由が本書の中にも見つかり、私としては安堵するところもあった。

場づくりの観点からしても、「なんかヤバい」という感覚は非常に大切なのだ。自分が参加するときも主催するときも。

 

妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティに巻き込まれた結果、遠くなっていった縁も多い。「ああー、そっちいっちゃったか」というような瞬間が度々あった。これは私が関わった人にも、私に関わった人にも、お互いにあると思う。だからこそこの件を単なる個人の趣味嗜好や、個々の関係性の問題ではなく、動向として、構造の問題として社会化して解明し論じてもらえたことがありがたい。

人のことを非難するつもりはない。ただ金銭問題や健康被害、より孤独や孤立を深める結果にならないよう、注意深く接していくことは大切だと思う。そして自分に引き留めてくれる友人がいることも有り難く思う。

霊性、目に見えないものへの畏怖・畏敬の念という意味での「Spirituality」は個人的には大切にしたい。しかし、「スピリチュアリティ」には「沼」がある。それに落ちてしまうこともある。付き合い方のバランスが難しい。妊娠、出産に関わらず、生死にかかわることの周りには必ず起こると思っている。

 

「妊娠・出産のスピリチュアリティ」は2000年代に突如現れたわけではなく、1960年代、1970年代、1980年代からの系譜にも目配りしながら展開される。「妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティからフェミニズムが捨象された」(p.197〜199)のあたりは非常に理解できる。今まさに妊娠・出産において葛藤を抱える人にとって、フェミニズムは「聖性を与えて全面肯定し受容する」という立場をとらないために(そうしてほしいということではなく)、当事者にとっては「当てにならない身内」のようなところがあるのではないかと私は思っている。このあたりはまだ言葉がぼんやりしているので、類書があればさらに分け入っていきたい。

 

全編通して淡々とした学術的なアプローチがありがたい。書きぶりが論文的で読み進めづらい箇所もあるが、手が止まるほどではない。むしろ夢中で読んでしまった。

私とは異なる背景や立場の方がどんなふうに読まれたのか、気になる。

 

 

※2022年2月16日追記

ぜんぜん違うところで聴いた話がつながったのでメモ。

この動画の26:43〜33:20
https://youtu.be/XA6T7e7LsTs?t=1601
キーワード
・参考文献:磯野真穂『他者と生きる2022』
エビデンスとシングルケース
・病因論と災因論
・なぜこの不幸が、私に、今?
・近代科学とスピリチュアル

 

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〈レポート〉2021年 冬至のコラージュの会

2021年 冬至のコラージュの会、開催しました。

https://collage202112.peatix.com/

 

北半球では一年で最も昼間の時間が短くなり、夜の時間が長くなる日。

陰が極まる。

不安なことやうまくいかないこと、なにとはなしに気分が落ち込むことも、天体の運行に左右されていることもあるのかも、と大きく捉えてみる。

とりあえず明日からは陰から陽に転じていくのだからと言い聞かせてみる。

 

参加してくださったのは、今回も含めて3回以上参加してくださっているリピーターさんばかりでした。ありがとうございます。

・一年のふりかえりに。来年を望みに。

・この3ヶ月、半年、1年の自分の変化を感じに。

・ただただ、このコラージュの場が楽しいから。

それぞれの動機で集ってくださいました。

2ヶ月前に告知を出したらすぐに申し込んでくださった前のめりな方も。変化の激しいときなのだそうです。そういう時期、ありますよね。

 

進め方は前回とほぼ同じ。もちろん起こることは今回限り。

「気になっていること」について話したり聴いたり、分かち合いました。

私が話をした後、ペアになった方からいただいたフィードバックはこんな感じ。

「話を聴いていて、もどかしさを感じた。世界に対して、自分に対して。自分の力不足を感じながら、でもできることはまだあると思っている感じ。自分なりに満足もしていることを点検しながら。自分がどう向き合い、世の中にどう出していくのか、表現に変えるのか、方法を見つける、生き方を見つける.....そんなことを感じました」

話の中から、これだけのことを汲み取っていただけて、ありがたいです。

このようなやり取りをZoomのブレイクアウトルーム機能を作って2人ずつやってもらいました。その経験、どうだった?も共有しました。

 

制作に入る前に、今回初めて詩を朗読してみました。

たまたま新聞で見かけた谷川俊太郎さんの「終わりと始まり」という詩です。

この時間を挟むことで、少し時間の区切りを持って、制作に入っていきました。

 

みなさんの作品(一部)

感想を伝える側にも発見やインスピレーションがもらえます。


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わたしは今回はこんなものが出来上がりました。

春分までの3ヶ月、壁に貼って毎日眺めながら過ごしていきます。


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最後のふりかえりでいただいたコメントを紹介します。

・参加できて本当によかった!

・コラージュの会が大好き!

・何を作るのか自分でもわからないまま来たが、こんなん作ったか!と自分で驚いている。でもできたものを見ると「わたしこうだわ」とも思う。

・言葉で書くと綺麗になっちゃうところが、コラージュはえぐさも視覚的に表現できる。いろんな状態の人たちがいる中で、いろんな状態の一つとしてこのえぐさを出せるのがありがたい。楽しく昇華される。

・お互いに鑑賞するのがやっぱり楽しい。そんなふうに作れるんだ、見られるんだ、と発見がある。

・重大なことがたくさんありすぎた一年だったので、素材を集めながら何ができるのか全くわからなかった。ちゃんと整理できていないと思っていたけれど、できたものを見て、皆さんからコメントをもらって、前向きに捉えられてるんだな、なんとかなるんじゃないかって気がしてきた。読んでもらった詩の影響もあった。冬至を過ぎたら、これから良くなっていくんじゃないか。

・制作前に二人一組で話す時間があったから、やっぱりこれを作ってみたいと思えた。

・コラージュは一人で作ってみることもあるが、みんなで扱ってもらえるのはありがたい。

・作るのも楽しいけれど、人の作品を見るのもおもしろい。(このモチーフや色は)こういう意味?と聞いたり、聞かれたりするのがおもしろい。

・今回は自分では不完全燃焼な感じがするので、もう一枚作るかもしれない。

 

 

作品が皆さんの日々のお守りに、インスピレーションの源に、自分に還る時間のきっかけになってくれますように。

ご参加ありがとうございました。

またご一緒するのを楽しみにしています。

 

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さらに翌日、うれしいことがありました。

満席のためにご参加いただけなかった方が、「同じ時刻に自分でも作ってみました」と、作品の写真を撮って送ってくださいました。離れていても同じ時間、同じ体験を共有できていたんですね。

こちらの方へも、ありがとうございました。

 

 

次回は2022年3月21日(月・祝)春分の日に開催します

その後は、
夏至:2022年6月21日(火)
秋分:2022年9月23日(金・祝)

を予定しています。
Peatixでお知らせしますのでご興味ある方はフォローなさってください。
https://hitotobi.peatix.com/

 

コミュニティへの出張開催も承ります

雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、だれでも気軽に楽しめるコラージュです。オンラインも可。お問い合わせはこちらへ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

『リーマン・トリロジー』読書記録

舞台『リーマン・トリロジー』 の原作小説。
原題:"Qualcosa Sui Lehman" 


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別名「鈍器」。とにかく分厚い。
760ページ、厚み 5.1 cm(手に取るともっと分厚い感じがするけれど)

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『リーマン・トリロジー』はNTLiveのラインナップの中でも大好きな作品。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

大きすぎで重すぎなので、寝転んだり腹這いになったりという、いつもの態勢では読めない。いろいろやってみたが、結局デスクで書見台に置いて読むのが一番楽だった。やや仰々しいが伝説の書のようであって、いい。

二段組と聞いて、一体どれだけ字が詰まってるのかと怖れていたが、ページ数のわりには一つの文章が短く、余白が多い。散文詩のような、戯曲のような文章だった。まるで吟遊詩人から壮大な歴史譚を聴かせてもらっているような。作家のステファノ・マッシーニは主に劇作家としてキャリアを積んできた人なのだそう。納得。

舞台では語られなかったエピソードや、出てこなかった人物が出てくるので、ディテールが埋まる。たとえばLehman(リーマン)はLehmann(レーマン・nが2つ)だったがアメリカに行ってnを1つにした。こういう姓名の改変って移民先でよくあったのだろうな、と想像する。ローカライズ

 

舞台版で観た生ピアノ(録画だけど)が鳴り、ガラスケースが回転する。

 

やはりおもしろい。リーマン・ブラザーズを題材にしながら、現代の金融業界の人を評伝でもなくビジネス本でもなく、劇作品にしているところが新しい。

和訳されている背後にもドイツ語、英語、イディッシュ語、イタリア語が感じられて、多言語でもある。

言葉は短く、声に出して読むとリズムを感じる。マッシーニはいつも作品をつくるとき、「口述で録音したものを文字起こししたのちに整える」という手法をとっているのだそう。本書はさらに自転車に乗りながら口述した、と。どうりでリズミカルだと思った!

その身体を動かしながら物語る様をマッシーニは"ballata"と表現している。訳者によるあとがきでは

「バッラータとは踊りをともなうイタリアの古い民謡のことで、フランスやイギリスのバラッド、すなわち物語詩をも指す。」

分厚くて怯んでいた人も、このあたりを知るとちょっと読んでみようかな?という気になるのでは。もちろん舞台を観ていなくても楽しめるし、舞台を観てからだともっと取っつきやすくなると思う。

 

2巻の第16章(全体の半分あたり)まで読んだところで図書館の期限が来てしまったので、一旦返却した。一気に読み切れなくて悔しい。

またいつか続きにチャレンジしたい。
 

 

www.hayakawabooks.com

 

『リーマン・トリロジー』の英語版 "The Lehman Trilogy: A Novel (English Edition) " Audibleで試し聴きできる。いつか原文(伊語)にもチャレンジしたい。

amzn.to


NTLiveの『リーマン・トリロジー』は2021年の年末からまたアンコール上映があるので、機会があればぜひ観てほしい。

野望とスリルに満ち、美しく哀しい現代の神話譚。

 

 

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〈お知らせ〉12/23(木) 第26回 オンラインでゆるっと話そう『MINAMATA -ミナマタ-』w/ シネマ・チュプキ・タバタ

ほぼ毎月開催 の〈ゆるっと話そう〉

第26回は『MINAMATA』です。

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映画館のシネマ・チュプキ・タバタさんとコラボでひらく、
映画を観た感想をシェアする会です。

ファシリテーター(私)が進行します。
話題や話者の偏り少なく、差別や偏見に配慮します。

知りたいと思えば、この作品を機にたくさん道は伸びているということです。
視野が広がるきっかけとなる映画。
まずは観た人どうしでゆるっと感想を交わし合ってみませんか。

初めての方、ウェルカム!
他の劇場、配信で観た方、ウェルカム!
これから観る方はぜひチュプキさんで!

ご参加お待ちしています。

 

chupki.jpn.org

 

 

youtu.be

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seikofunanokawa.com

 

初の著書(共著)発売中! 

映画『MINAMATA-ミナマタ-』@シネマ・チュプキ・タバタ鑑賞記録

シネマ・チュプキ・タバタで映画『MINAMATA-ミナマタ-』を観てきた記録。

longride.jp

 

観てすぐのまとまらない感想をつらつらと。

 

『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』を思い出した。

史実の羅列だけでは想像が及びにくいところへ、劇映画の手法と物語化で、人々を「そこ」へ連れて行ってくれる。

 

そういえば劇中で一度も「公害」という言葉が出てこなかった気がする。あったのかもしれないが、あえてこの言葉を出さなかったことで、誰も気づいていなかった、こんなことは誰も起こると思っていなかった、未曾有の出来事という感触が伝わってきた。

 

ちょうど最近1960年代から1970年代の映画を観た。戦後の高度経済成長の中で打ち捨てられ、見放されそうになりながら、必死で声をあげ、それぞれのやり方で闘っていた人の存在をあらためて知った。ハンセン病もそうだ。東京オリンピック大阪万博、、数々のお祭りや賑わいの陰で、人知れず苦しんでいる人がいた。今だってそうだ。いつだって、しわ寄せは無関係な、罪のない人のところにいく。


あまりにも有名なあの写真「入浴中の智子と母」が、どういう経緯で、どういう時代背景の中で、どういう現場の動きの中で撮られたのか、そういえば深く考えたことがなかった。

今どうなってるのかも知らない。終わっていない、まだ係争中とは知らなかった。
原一男監督の『水俣曼荼羅』もやはり観ねばと思った。
日本に生まれ、日本に育った自分としては特に知っておかなければ、知りたいと思う。

知らないことが多すぎる、もっと知りたい。
なぜなら終わった話ではないから。
人が歴史に学ぶことが難しいから。
悲劇が繰り返すから。

『MINAMATA-ミナマタ-』は、語り継ぎ、考えていくためのきっかけになる映画だと思った。ユージン・スミス水俣におけるごく短い時間を通して、その先が広がる。

今回初めて知った人にとっては「そんなことがあったのか!」となるだろうし、学校の教科書に出てきてうっすら知っていた人にとっては、「もっと知りたくなった!」となるだろう。

もっと知りたくなる理由は、映画を観ていても詳しくは説明されないからだ。

加害者側の表情を知りたくなる。とても複雑な表情だ。言葉だ。國村隼さんがいい演技をされている。「溜め」があって、きっと何かがあるんだろうと知りたくなる。

補償を求める住民の運動代表の山崎(真田広之)もそう。アイリーンさんもそもそもなぜユージンを訪ねたのか。

住民の一人ひとりについても。患者さんも、家族も、企業の社員も。

ユージンとアイリーンが出会ったいろいろな人について、もっと知りたくなる。

 

エンターテイメント作品として盛っている部分はあるし、描き方も正直、「ハリウッド的」な紋切り型のところもある。改変されたものも多い。宣伝も「感動」寄りになるし。

それでも、だからこそ多くの人に観られるのかもしれないし、「そういうことがあったんだ」と止めておくこともできるし、もっと知りたいと思った人は調べることもできる。どちらに対しても開いている映画だと感じた。

ハリウッドとはいっても、「インディペンデント映画」枠ではあるし。

とても濃い体験をした人や他人事ではない人にとっては物足りない部分はありそう。ただ、製作の目的が知ってもらうこと、忘れないこと、学ぶこと、伝えることなのであれば、かなり成功していると感じる。ゆえに多くの人に観てもらいたいと私は思う。

 

前回はユージーン・スミスが写真を通じて世界に知らしめた。

今回はそのユージーン・スミスを描くことで、再度世界に知らしめている。しかも今回は水俣だけではない、人間が学ぶことができず繰り返している惨事について、まだこれを続けるのか?と問うてもいる。資本主義を暴走させ、気候危機を無視する人々に警鐘を鳴らしている。

 

ただ印象深い。身体感覚に訴えるところ。タバコの煙。酒。

酒に酔っているような揺れる画面(あるいはドキュメンタリー風の?)、視界の狭さ、パッパッと切り替わるカット、焦点の合わせ方のコントラスト、戦場のフラッシュバック(砲音や閃光)など、しんどいところもあった。

穏やかな波の音、海の青色なども鮮明に記憶に残る。

 

公害や水俣病について話したことがあったのっていつだったかな?と考えると、小中高の学校に通っていた10代で止まっているかもしれない。あとは水俣出身の人がSNS上で発言しているのを見聞きしたり。石牟礼道子さんの著書の感想を読書会で聞いたり。

今、この映画を真ん中に、あらためて語してみたいと思った。
素朴な感想を口にするところから。

 

▼動画資料

MINAMATA~ユージン・スミスの遺志~【テレメンタリー2020】https://youtu.be/vgRlagztyUA

 

美波インタビュー

https://youtu.be/fTV3gz8lwT0

 

國村隼インタビュー

https://youtu.be/Q8X3cFgeRDU

 

真田広之インタビュー

https://youtu.be/wx7vF1K4qew

 

加瀬亮インタビュー

https://youtu.be/ywcfXUFHQkA

 

ビル・ナイインタビュー

https://youtu.be/1ASrqR-izUM

 

ジョニー・デップインタビュー

https://youtu.be/YY4ij0vj0M8

 

町山智浩 映画『MINAMATA ミナマタ』2021.09.21

https://youtu.be/xmFx0PKPKEk

 


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少し調べようとするとすぐに膨大な資料が出てくる。

自分の関心にふれるものから、少しずつゆっくり出会って行こうと思う。他のテーマに対するのと同じように。遅すぎるということはないのだから。

 

『MINAMATA』 W.ユージン・スミスアイリーン・美緒子・スミス/著(クレヴィス, 2021年)

 

「『入浴する智子と母』の写真について」
http://aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html

 

水俣病の少女が入浴する写真」をめぐる、写真家と被写体親子の「知られざる葛藤」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87864?imp=0

 

『MINAMATA NOTE 1971-2012 私とユージン・スミス水俣石川武志/著(千倉書房, 2012年)

 

水俣曼荼羅

docudocu.jp

 

水俣 ─患者さんとその世界─<完全版>』 、『水俣一揆 ─一生を問う人びと─』

longride.jp

 

水俣病を知っていますか』高峰武/著(岩波書店, 2016年)

 

『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣石井妙子/著(文藝春秋, 2021年)

 

『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』田中優子/著(集英社, 2020年)

 


9/28 映画「MINAMATA」責任とは何か?

youtu.be

 

 

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映画『あのこは貴族』鑑賞記録

鑑賞対話の場をひらく前、初回を観たときの感想メモ。

 

・・・・

映画『あのこは貴族』ようやく観られた。

anokohakizoku-movie.com

youtu.be

 

英題:Aristocrat

中題:東京貴族女子

 

ノートパソコン(13inch)で観ていたのだけれど、むちゃくちゃ集中して、入り込んだ。画面の小ささも、周りの環境もまったく吹っ飛んでしまうほど没入した。これは『ドライブ・マイ・カー』以来の感覚。(あっちは映画館だけど)

dmc.bitters.co.jp



まさに『ディスタンクシオン』だ。人は自分の好きや得意は自分で見出したと思いがちだけど、実は生育環境や社会階層などによって選択が規定されているという限界を持ち、その限界を一旦知って受け入れることで初めて自由になれるという社会学の論考。(合ってるのかわからないけど、私なりの解釈)

 

ディスタンクシオン』は原書はまだ読めていなくて、100分de名著で解説を聞いた。

www.nhk.or.jp


自分が今いるところがある一つの「界」であり、隣にはまったく異なる界があるが、出会わなければ存在すらしないことになってしまう。
分断とは無知が引き起こすのか。

『あのこは貴族』は、女性同士の関係性のように見えて、誰もが逃れられない社会階層やゾーニングの話である。地方と東京のありきたりな対立構造に見えつつ、似た構造はどこにでもある。どこにいても違和感に気づいたときに、舵を切っていけるかで、人生の見え方が変わっていく。自分にはどうにもならない力に動かされていることに気づきつつ、他の界があることを知りながら、自分を真ん中に歩んでいこうとする主人公たちの心の動き。

個人的に覚えのある痛みもたくさん。上とか下とかバカらしいと思いながらも。現実には存在している階層を具体的に見せつけてくる。自分はこのへん…?など手繰ろうとしはじめてハッとする。あまり誰も面と向かって描こうとしてこなかったものがここにあって、ああ、この社会、ついにこれを見ないとならなくなったのだなと思う。同時にホッとする。「みんないっしょ」なわけないのは分かっていたのだから。

自転車二人乗りや、逸子と華子の子どもの三輪車ではしゃぐ様子は、北野武の『キッズリターン』のラストシーンも思い出す。そうそう、ここ対比になっているのよね。

あちこちに対比がある。住む世界が違っても人はそう変わらないことを教えてくれているのかな。

 

富山出身の友達がいるので、美紀の役はリアルだった。

自分が慶應大学出身だという人には、「わかるー!」ということたくさんありそうだな。

描かれているものはもちろん、描かれていないものについて話したくなるような作品。
いやーすごかった。
性別、世代、出身問わず、誰でもおもしろく見られる映画だと思う。
そういう良品、最近多いなぁ。うれしい。

 

 


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▼鑑賞対話の場のレポート

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

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10年をありがとう わたしのマチオモイ帖 @KITTE 鑑賞記録

わたしのマチオモイ帖、10年の活動記念の展示に行ってきた。

machiomoi.net

私たちは今、家族や友だち、地域とのつながりなど、自分を育んできた大切なものをあらためて見つめ直しています。それは震災をきっかけに、日本に暮らすひとりひとりの心の中に生まれた素直な気持ちです。

「わたしのマチオモイ帖」は、日本全国のデザイナー、写真家、イラストレーター、映像作家、コピーライター、編集者などプロのクリエイターが、自分にとって大切な町、ふるさとの町、学生時代を過ごした町や、今暮らす町など、各地の町で育まれた「わたしだけの思い」を小冊子や映像作品にして紹介する展覧会活動です。

この活動は2011年の震災の年に生まれました。故郷を思う一冊からはじまり、都市での大きな展覧会から、地域に根ざしたギャラリーや図書館、町の小さな本屋さんまで、大小さまざまな場所で、多くの人たちが語り、笑い、時には涙しながら共感の輪をひろげ、今では1600帖を超える作品が集まっています。

世の中は変化していても、人のいとなみや、繋がりのよろこびは変わりません。「わたしのマチオモイ帖」を通じて、ガイドブックにも載っていない町や、知らなかった町に息づくさまざまな思いを見つけ伝えていくことで、今まで見たこともない景色や、新しい日本が見えてくるはずです。

 

 

 
 
 
 
 
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www.instagram.com

 

インスタグラムにも書いたが、このプロジェクトのことは、2014年に東京ミッドタウン・デザインハブの特別展で見て知り、とても好きになった。

自分の故郷でなくてもよいし、今住んでいるまちでもいい、たまたま訪ねて好きになったまちでもいいし、なんの縁でもいい。好きという気持ちでなくてもよいし、「想う」のような温かい思いでなくてもいい。嫌い、苦手、好きになれないなどでもよい。それぞれの人にとっての、どこかのまちのことが帖面の形になって並んでいる。

綴じた冊子に限らず形態がいろいろなのがおもしろい。

形にすることで、作り手の中で変化が起きる、その感覚が物を通して伝わってくる。
それは愛の確認だったり、後悔の念の成仏だったり、混沌に輪郭が与えられたようだったりと、様々。

KITTEの展示に行ったときに近くにいた人が、「一人ひとりの人生が凝縮されているから一点一点見ているとすごく疲れるんですよね」と言っていて、ああ、それわかるーと思った。マチオモイ帖が並ぶ様は、ユニークで、エネルギーが一挙集中していて、おもしろいけど疲れる。多様ってこういうことかなと思う。

 

ZINEを作る企画が2つほどあるので、今回はブックデザインにも注目した。

うん、インスピレーションが湧いた!


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2014年のときの写真が出てきたので、記録として貼っておく。
http://machiomoi.net/exhibition_2014/

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2022年2月から3月にかけて、10年記念展が開催されるそう。

<東京展> 2022年2月22日(火)~3月13日(日) 11:00〜19:00 東京ミッドタウン・デザインハブ (東京都港区赤坂9丁目7−1 ミッドタウン・タワー5F)  

<大阪展> 3月21日(月・祝)~3月29日(日) 11:00〜20:00 大阪デザイン振興プラザ(ODP) (大阪市住之江区南港北2-1-10 ATCビル ITM棟10F)


展示に向けた作品も募集中とのこと。挑戦してみたい方、ぜひ!

わたしのマチオモイ帖 2022作品募集 | わたしのマチオモイ帖

 

 

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『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社

展示「ピーター・シスの闇と夢展」 @練馬区立美術館

練馬区立美術館で開催の『ピーター・シスの闇と夢』を観てきた記録。

neribun.or.jp

 

細密に描かれた、どこか懐かしい異世界
一点一点に賭けた時間と労力、情熱と誇りが感じられ、また一点ごとに膨大な宇宙が広がっているので、150点はたいへん多く感じられる。

読む、眺める触る絵本だったものを、触れない原画として観ることで変わる感覚がおもしろい。
逆に絵画だと思っていたものを絵本として取り込めるおもしろさも。

個人的には上の展示室のケースに陳列されていたニューヨーク・タイムズの書評欄の挿絵シリーズがよかった。気の遠くなる点描と、作品世界のシス的解釈。

いつまでも眺めていたい。

 

展示室の一番最初に置かれていたピーター・シスの言葉に共感。

物語ること、想像することによって自分の中に秘密の庭をつくりだせる。どの人にもその才能はある。記憶の中にある絵や物語は秘密の庭。人生につらくなったらここに逃げてくればいい。

そんなことが書いてありました。国書刊行会から図録が出版されているので、機会があればぜひ見ていただきたい。

 



わたしにとってチェコといえば、
・切手
・チャペック兄弟
ミュシャ
・イジートルンカ、イジー・ヴァルタ、カレル・ゼマンヤン・シュヴァンクマイエル人形アニメーション
トルンカに師事した人形作家の川本喜八郎
・100分de名著 ヴァーツラフ・ハヴェル『力なき者たちの力』
スメタナドヴォルザークヤナーチェク
……などが出てくる。


シスという存在がこれらを縫い合わせてくれたり、辿る道を作ってくれた。

シスとハヴェルとの関わりが深いことも展示で知った。

かつてチェコで起こっていたことは、今、ベラルーシアフガニスタン、香港などで起こっていることも容易に想像できる。人間は同じことを繰り返してしまうのか......なども考えた。

サン・テグジュペリや『星の王子様』を題材にした絵本原画もあった。星の王子様はバラバラの世界をつなぐ物語なのだろうか(バベルの塔の逆のような)と最近考えていたので、ここでもまた!と思う。好き嫌いというより、解釈自由なほとんど古典というか、クリエイティブコモンズみたいなものになっている。


この日は幸運にも担当学芸員さんが開催される子ども向けのワークショップ「トコトコ美術館Vol.37」を見学させていただけたのと、その後お話をじっくり聞く機会を得たので、通常の鑑賞を超えた学びがあった。

 

ピーター・シスのインタグラム

https://instagram.com/peter.sis.art?utm_medium=copy_link

 

▼美術館配信の動画。行けなかった方、ぜひ!

 

youtu.be

youtu.be

 


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 2020年12月著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社

展示「杉浦非水 時代をひらくデザイン展」 @たばこと塩の博物館 鑑賞記録

たばこと塩の博物館に「杉浦非水 時代をひらくデザイン展」を観に行った記録。

www.tabashio.jp

 

杉浦非水(1876~1965年)

日本におけるモダンデザインのパイオニア、図案化、グラフィックデザインの原点。
ポスター、装丁、雑誌表紙、パッケージデザイン、図案集などの代表作、スケッチ、写真、遺愛など。東京美術学校時代の作品から晩年のデザインまで、前後期合わせて約300点を展示。たばこのパッケージもしているので、ここの館ともリンクしている。

 

たば塩の企画展示はユニークなので、毎回チェックしている。今回は、個人的な関心から津田青楓、橋口五葉、竹久夢二装丁家を追っていて行き着いた、杉浦非水がフィーチャーされているということで、絶対行こうと決めていた。

好き! かわいい! わくわく! 
これやってるときが一番楽しい!をますます大事にしようと思った。
そういう気分になる展示だった。

 

鑑賞メモ

・クオリティの高い図案・デザインを日本にも。という熱い思い。

・「東京美術学校入学後は円山派の川端玉章に師事して日本画を学んでいましたが」(当時の?)日本画は模写、臨画(手本の絵を忠実に模写することによって学習すること)が基本だったが、杉浦は写生が好きだった。

・「在学中に、フランス帰りの洋画家・黒田清輝がもたらしたアール・ヌーヴォー様式の図案に魅せられたことで、図案家としての道を進むことになりました。」黒田清輝が1900年のパリ万博を視察して持ち帰ってきたミュシャのポスターを見て、「これから図案でやってくんだ!」と決意したあたりの興奮が伝わってきた。杉浦曰く、「断然図案の方面に進出して行かふと云ふほどの衝撃を受けた」そう。

・図案の構図や色や形がグッとくる。

・「みだれ髪歌がるた」与謝野晶子の歌集「みだれ髪」が暗唱するほど好きで、好きが高じて、東京美術学校時代の友人・中澤弘光と手製の歌がるたを制作。100枚を目指したが、28枚でストップ。綺麗な額に入れて大事に描いてある。きゅんきゅんする。ちなみに中澤は美術学校時代に黒田清輝邸に一緒に下宿させてもらっていた仲。

三越で1908年から1934年まで27年間働く。専業ではなく、夜間勤務嘱託の契約で、三越の仕事もしながら、他の企業デザイン、装幀、表紙の仕事に携わる。まだブックデザインが「画家の片手間」だった時代。でもこういう働き方もありなのかもしれない。今からみると新しい。

三越の『子宝』(巌谷季雄編)限定2000部、誕生から満7歳までの成長の記録をつけられるアルバムのようなもの。造本、挿絵が美しい。和洋折衷の近代的な生活をしようという三越の提案。上流階級の人々の、子どもを大事に可愛がり育てる余裕を感じる。

・『THE TOURIST』『Guide to Kongo-San』『SHANTUNG RAILWAY』『MAP OF KEIJO』Japan Tourist Bureauのパンフレット。Japan Tourist Bureauは現在のJTB。こんな歴史が!https://www.jtbcorp.jp/jp/100th/history/

・『非水百花譜』植物画。このコーナーよかった。野の花も園芸種もさまざまに取り混ぜて。植物学者とはまた違う精緻な観察。

・ロビーで流れていた映像。非水が撮った8mmフィルム。「画家の顔」友人画家たちの様々な表情をとらえてつないだもの。恥ずかしそうに笑いながら、「やめてくれよー」と手を遮る人もいれば、目線を合わせず微動だにしない人も、ポーズを決める人も様々でみんなかわいい。

・『名物控え帳』スクラップブック、メニュー、ホテルラベルのコーナーもよかった。わたしもスクラップやラベルを集めるのが好きだから。パリのメニューなどおしゃれ。

非水の言葉:「視る眼を養ふことは、また図案美の眼でもあり、それを採集し、構築する眼にもなる」選ぶ、集める、視る、保管することは、つくるの役に立つということか!

・「世界裸体美術全集」かなり生々しいポーズ。

・たば塩との関係。1930年から大蔵省専売局の嘱託デザインワーク全体の指導者的立場だった。


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これ、百人一首かるた遊びかな!男女混合の源平戦?うれしくてポストカードを購入。

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芥川龍之介 旧居跡地に刻まれた記憶/愛とサヨナラの物語 @田端文士村記念館 鑑賞記録

田端文士村記念館には、シネマ・チュプキ・タバタさんに行くときにチェックして、展示替えしていたら立ち寄ることにしている。

今回の企画展は、「愛とサヨナラの物語 芥川龍之介・田端文士たちの一期一会」と「旧居跡地に刻まれた記憶」の二本立て。

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北区が2018年に芥川龍之介の旧宅の一部を購入したこと、芥川龍之介記念館を作る予定があるそうだ。

今回は、その土地の埋蔵発掘調査で出土した生活用品のうち、芥川家の暮らしと関連するもの(所有物かどうかは特定できないが)を紹介しますというのが「芥川龍之介 旧居跡地に刻まれた記憶〜出土品から辿る渋沢栄一との繋がり」の展示だった。

入って右の部屋。

2021年はNHK大河ドラマで「青天を衝け」の放映があって、渋沢栄一にゆかりの北区は何かと力を入れているのだった。こんな感じに→http://shibusawakitaku.tokyo/history/



一階ホールスペースと突き当たりの地図の裏では田端に暮らした文人たちの愛と別れの人間模様、「愛とサヨナラの物語」展。竹久夢二が田端にも暮らしていたとは知らなかった。その経緯や顛末もなかなか派手。

芥川龍之介と妻・文のやり取りは微笑ましく切ない。

 

鑑賞メモ

・龍之介没後、妻・文と子たちは17年間田端の家に暮らした。その後戦争のため、文の実家がある鵠沼海岸疎開した。田端の家は昭和20年4月13日深夜の空襲で全焼。

・出土品「耕牧舎の牛乳瓶」渋沢栄一が興した耕牧舎。龍之介の実父・新原敏三は耕牧舎の牛乳販売店の管理者の仕事をしていたというつながりがある。

・出土品「楽天堂醫院の薬瓶」楽天堂の下島勲は龍之介のかかりつけ医。死亡確認も行っている。親子ほども歳の違う下島を慕っていたという。
・芥川家はお隣の鋳金家の香取秀真(ほつま)と家族ぐるみの付き合いをしていた。
・近所にたくさんの交友関係があり、頼れる年上の男性もいたのに、やはり早すぎる死は惜しい。ここに来るたびに思う。

昭和4年6月13日 飛鳥山邸内庭園にベンガルの詩聖タゴールを迎えている。タゴール渋沢栄一の写真は「青淵遺影」におさめられている。

 

この記念館で知った本。

芥川龍之介、その素顔とは―
芥川作品を理解する一助となるよう、作品そのものから離れ、
本人が書き残した書簡や記述に、家族による記録をまとめた一冊。
家族が間近で見た様子を辿っていくと、そこには、よく悩み、よく笑い、よくしゃべる、
ひとりの人間・芥川龍之介の姿が浮び上ってくる―
「家族」という側面から夫として、また父親としての芥川の素顔にせまる。(Amazon書誌情報より)

家族にしか見ることのできない龍之介の姿が現れる。ブックデザインもよい。ここに訪れる度に少しずつ立ち読みしている。(買っていなくてごめんなさい!)

 

 

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展示「小早川秋聲〜旅する画家の鎮魂歌展」@東京ステーションギャラリー 鑑賞記録

10月下旬、東京ステーションギャラリーで開催の小早川秋聲展に行った記録。

www.ejrcf.or.jp

artexhibition.jp


先に開催があった京都文化博物館。図版が多く載っているので。

www.bunpaku.or.jp

 

じっくり観たかったから、こんな冬のように寒い雨の日はうってつけだわ、きっと空いているわと、ようやく二度寝の布団から起きて出かけた。

小早川秋聲は、2019年に京橋の加島美術というギャラリーで展示を観たことがあり、そのときに《國之楯》を生で見た。ガラスケースに入っていないので、複雑な跡の残るあの黒い画面を複雑なままに目に入れることができてよかった。

hitotobi.hatenadiary.jp



そのときの展示も、従軍画家としてだけではない小早川秋聲の、長い画業の一時期であり、多彩な面を持つ秋聲の一つの面としての《國之楯》という扱いではあったけれど、私自身が《國之楯》の実物を初めて見るがために、どうしても印象が強く残ってしまった。

今回はポスタービジュアルを《國之楯》にせず、展示室も最終盤に置き(経歴順に辿ると自然とそうなるわけだけれども)、他の作品を丁寧に丁寧に観てきた上で、はじめて《國之楯》に対面するという形になっていたのがよかったと思う。

 

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鑑賞メモ


・谷口香嶠に師事していたときに、きょうだい弟子に津田青楓がいた。谷口香嶠は竹内栖鳳と並ぶ京都の巨匠。京都画壇の流れ。・郷土玩具蒐集家だった。郷土玩具を絵巻にしたものが、かわいくて、かわいくて、かわいかった!!
・めちゃくちゃ絵が上手い
・構図もカッコいい
・でも残念ながら人物の顔はあまりピンとこない。。
・額装美しい。美術館では額装付きで観られるのがやっぱりいい。
・2年半、中国、東南アジア、インド、エジプトを経由して、ヨーロッパを旅行している。この時代にイタリアをじっくり旅している日本人は珍しいのでは?シチリアナポリ、ローマ、ミラノなどに行っている。最北はグリーンランドまで。この時期の旅先の景色を描いた作品群が素晴らしい。
・昭和初期、外務省や企業からの依頼で、芸術文化を通じた日米交流の架け橋の役を担っていたそう。
・万歳して子を送り出した、出征兵士が出ると誉の家となる。。パネル解説より「自国の勝利を願いながら、死を悲しむのは、一見矛盾するようだが、当時の人々のごく普通の感情だった」に最近観たドキュメンタリー映画『いまは、むかし』が重なった。
・「虫の音」(1938年)ぐっすりと眠る兵士たちを細い月が照らす。戦争画なのに平和。荷物に挟まれた白い野の花。
・「出陣の前」(1944年)出陣を命じられて、心を強くするため、野点した上官の絵。
・1974年に亡くなってからまだ50年も経っていないので、美術館の所蔵がさほど多くない。作品リストを見ても個人蔵が多い。それらが一堂に会するのもなかなか貴重な機会だったようだ。
・従軍画家を経験し、戦争画を書いていたことで、戦後の立場が一転する。日本にいられなくなった藤田嗣治、画壇の表舞台から降りた小早川秋聲……それぞれの人生がありそう。小早川が発掘されたのは、戦争画の再考を試みた1995年の芸術新潮の特集がきっかけとのこと。ある程度時間が経たないと語れないことがあるのか。
・戦後はちょっとおもしろい方向へ。「天下和順」(1956年)満月の下で酒を飲み踊り群れる人たち。あの世への道のようでもある。

 

ふと疑問に思ったこと。

仏教や神社は、戦時中どういう立ち位置だったんだろう。戦後、振り返りはあるんだろうか。宗教は平和を謳うものである一方、そうでないことに用いられてもきた。日本の場合はどうだったんだろう。

 


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京都での会期中にこんな新情報があった。

 

関連漫画(PDF)小早川秋聲の生涯がわかりやすくまとまっている。これありがたい。

https://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/comic_202110_kobayakawa.pdf


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映画『ボストン市庁舎』鑑賞記録

映画『ボストン市庁舎』をヒューマントラストシネマ有楽町で観た。

夏頃から公開を心待ちにしていたので、いつもより早めの公開5日目に乗り込んだ。

あと、この週は予告が5分ということだったので、ありがたかった。予告編がつらい話はこちら

 

youtu.be

cityhall-movie.com

 

 

観てきた。

274分。予告や休憩も入るので、映画館にいたのは5時間ぐらい。長いけれどあまり集中はきれずに見ていた。長丁場の鑑賞で鍛えられているのもあるし、前作『ニューヨーク 公共図書館 エクス・リブリス』でだいたいどういう体験をするのかわかっているからもある。


観終わっての一発目の感想としては、「あーだから、先だってのボストン市長選ではアジア系で女性のミシェル・ウー氏が当選したのか、前市長と行政の人たちが市民とコツコツ耕してきたこういう土壌があるからなのか」と納得した。

何度も何度も、様々な話し合いの場で話題に出てくる「ボストンは移民のまち」。白人男性と「有色人種」女性の格差が一番大きい。ボストンはそこを乗り越えて、ほんとうに一つの市から国に対して提案をかけている。

Pride, Engahement, Respect, Communication……。すごいな……。

市長がどこの現場に行ってもずーっと同じ姿勢で言い続けているのも印象深い。

「皆さんのために奉仕するのが市政です。活用してください。皆さんのために役に立ててください。話を聞きます」

似たようなフレーズを使っていた総理大臣が二人ほど思い浮かんだけれど......いや、全然違う。

 


市政はとにかく全てが現場。

観ていて次々に出てくるいろんな市民、いろんな地域、いろんなケース。

国政や州政で規定されていることを覆せないものもある。けれど市でできることがある。それを証明している。
現場があるってすごいことだから、やれば結果が見えるのだから(時間かかることも多いけど)、やっぱり変えたい、良くしたい人が市政にいてほしいなと思う。

話し方に今回も私の関心が強く動いた。
やっぱりスピーチ文化。
考えを表明することに慣れている。聞くのも慣れている。一人のターンでだいたい10分ぐらい話しているときもあるのに、みんなじっと聞いている。メモも取らず、パソコンでパタパタ打ちもせず、ニコニコもせず、ただじっと聞いている。意見を求められたら、ターンが変わったらきっちり自分の意見を言う。よどみない。自信がある。

「私には意見を言う権利がある、なぜなら私も市民の一人だから」という感じ。

立場は違うが対等である。そして違う意見が出て、みんなでじっと聞くことで、同時にわいわい言うよりもずっと物事が立体的になっていく。

『エクス・リブリス』でもそうだった。これは教育の違いなんでしょうか。

もちろん「話しすぎだろ!」という人もいるし、「あんたほんまにさっきの話聞いてたんか?」とか、「偉そうじゃね?」という人もいるけれど。

見た目だけではどちらが市の人なのかわからなかったりするのもおもしろい。名札をつけてるから、スーツだからかなとかわかるシーンもあるけれど、服務規程とかうるさくないんだろうな。

いろんな対話や議論や講演の場がある。住民説明会、公聴会、交流会、相談会、講演会、委員会、審議会。

その合間に市政の管轄にあるいろんな業務が挟まる。ゴミ清掃、公園管理、保護犬猫、デモやパレード(Boston Redsox!)の警備、婚姻届の受理(結婚式もするんだ!同性婚OKなんだ!)、道路整備、交通管制、消防、セキュリティチェック、住宅相談……。

季節が移り変わる。
地域を移動する。中心部から郊外、富裕地域から貧困地域、まちの様子も人の様子も変わる。

そういう話の中に当たり前に、ジェンダー平等、気候危機回避、人種差別撤廃の視点が当然のようにある。当たり前に扱えるようにした人の努力がある。やるという覚悟だな。絶対にやる、やりきるという覚悟。私が引き受けるという覚悟。

モヤる場も、モヤる話もある。
しかしすべてが現実。

いやはや、圧巻だった。少しずつ消化していきたい。

途中で3人ぐらい帰った方がいるので、合わない人は合わないかもしれない。

でもおもしろい人にとっては、現場を全部見せてくれる、こんなおもしろい映画はない。

 

この映画に関心のある友達と3人、個人的にZoomでアフタートークをすることにした。

また新たな発見があると思う。楽しみだ。

 

 

▼ポスタービジュアル、カッコいい。


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▼映画評論家・町山智浩さんの解説

・1967年から撮りはじめて、54年間で48本のドキュメンタリー
・高校、病院、福祉、競馬場、動物園......など、「それそのまま」のタイトルで現場を撮り続ける。今回も原題は"City Hall"で「市庁舎」。
・返事があったのがボストン市だけだった。
・もともとワイズマン監督はボストン出身だが、育った頃は今とは全く違った
・マーティン・ウォルス市長がとにかくすごい。行政の職員がその人の裁量で判断しているところに現れている。市でやることが州に広がり、国を変える。そして今は国を変える立場にもなっている。
・政治は公助をやるところに決まってる!これが政治だ!

youtu.be

 

ユリイカ2021年12月号』特集:フレデリック・ワイズマン 読みたい......。

 

▼『ニューヨーク 公共図書館 エクス・リブリス』の感想

hitotobi.hatenadiary.jp


 

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映画『行き止まりの世界に生まれて』鑑賞記録

シネマ・チュプキ・タバタで映画『行き止まりの世界に生まれて』鑑賞記録。スタッフさんに強くおすすめされて。(ありがとうございます!)

9月に観てからだいぶ時間が経ってしまった。

 

youtu.be

 

公式サイトにあるロックフォードという町やラストベルト(the Rust Belt)という背景について押さえてから観ると尚良し。

www.bitters.co.jp

 

非常によい映画だった。想像していたのと全然違う体験だった。

愛したい!

愛してる!

生きたい!

 

心の叫びが流れ込んでくる。
久しぶりにメモも取らず、ただただ観ていた。

最後は涙が溢れた。

ヒリヒリ痛くてつらくてとても観ていられないんじゃないかと思ったけれど、カメラを向ける監督の愛が全編にわたって満ちていて、終始温かかった。

10代にも観てほしい映画。
RatingはGです。General Audiences、年齢の制限なし。


暴力シーンの映像は一瞬出るけれど(ほんとうに一瞬)、それ以外はほとんどが語りや痕跡の中で出てくるもの。感じ方の違いは人それぞれだけれど、観る人を映像の暴力によって傷つけないように、とても配慮して作られているとわたしは感じました。

 

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▼ビン・リュー監督によるオンライントーク 2020年9月6日 @新宿シネマカリテ

note.com

 

 

チュプキさんで観たときは、「プリズン・サークル」も同時上映(こちらは3度目?4度目?の上映)だったので、坂上監督がこんなコメントをされていた。

 

それを受けてわたしも書いてみた。(僭越ながら)

どうしてプリズン→行き止まりの順がおすすめかというと、『プリズン・サークル』の中で強く浮かび上がってくるのは、親子や家族の関係で、それらが実際どのようであったのかの語りが、『行き止まりの世界に生まれて』の中で記録されているから。

日常の中で、年月の中で少しずつ親との関係に向き合い、囚われから自分を解き放ち、自分自身の人生の時間が動き始めるかれらの姿が眩しい。

それでも人生何があるかわからないから、するりと落ちてしまうこともあるよね、いつだってMind the Gapだよね、ということも言っている。

落ちないためには社会に何が必要なのか、落ちてしまってもだいじょうぶ、助けると言える社会なのかも問いかけてくる。

親の深い苦しみも描かれる。それは社会の状況が強く影響している。

個人の力ではどうにもできない大きな流れや動き。だけど、もしその波にさらわれてしまったとしても、そこで終わりじゃない。

『行き止まり〜』も誰にでも心当たりがある物語。『プリズン〜』のきょうだいのようないとこのような作品。

 

パンフレットに掲載に関連すると思った箇所があったので引用します。

DIRECTOR'S STATEMENTより

僕の願いは、『行き止まりの世界に生まれて』の中で扉を開いてくれた登場人物たちによって、同じようなことで苦労している若い人々が勇気をもらい、彼らがその状況を切り抜けられること、生きて、自分たちの物語を伝えられること、そして自分たちの力で人生を作っていけるようになることです。

INTERVIEWより

ーー暴力の連鎖を断ち切るには、親との関係性の影から抜け出すにはどうしたら良いとお考えですか。

自分の体験について話すこと、誰かと共有することだと思います。僕たちは、暴力を振るうことで、また受け身になって何もしないことで、連鎖を続けさせてしまう可能性を持っています。(中略)関係性を築くには努力が必要だという考えを持つべきではないでしょうか。(中略)多くの人が、愛には傷つくことが含まれていると潜在的に考えているように思います。愛しているから傷つけるとか、傷つけてもいいとか、そんなことはないと思うのです。愛とは何か、もっと話し合うべきだと思っています。

 

 

Mind the Gapの多義的な意味も重く響く。人種差別、女性差別、経済格差......。

うーん、語り尽くせない。とてもパワフルな映画なので、とにかく観てほしい。

過去の体験によってはつらくなってしまう人もいるかもしれないけど、ただつらくして放置されて終わる映画では全然ない。

光がある。

自分の力で人生をつくっていくことをあきらめない。

観終わってそんなことを感じた。

 

スケボーのシーンが気持ちよいし、音楽も最高です。

 

積ん読になっているこちらの本、再挑戦したい。ラストベルト、ジェントリフィケーションのテーマに関連している。

『分断された都市: 再生するアメリカ都市の光と影』
アラン・マラック/著、山納 洋/訳(学芸出版社, 2020年)

 

 

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映画『かもめ食堂』鑑賞記録

Amazonプライムをうろうろしていて、なんとなく『かもめ食堂』を観始めたら引き込まれてしまった。

youtu.be

 

そうか、こういうお話だったのか。

 

2006年公開。この頃わたしは20代。就いたばかりの仕事が楽しくて、自宅と会社と語学の勉強をがんばっていて、毎日充実していた。本も読んでいたと思うけど、美術館には行ってたかな、映画は観ていたかな?あまり記憶がない。

もし観ていたとしても、この『かもめ食堂』のような一見ほんわか、ゆったりした世界観はちょっと斜めに見ていたような気がする。世界は生き馬の目を抜く如くに進んでいるからキャッチアップしなきゃと思っていたし、食べることにもそんなに興味もなかったし、ゆっくりと自分のための時間を使うことも苦手だった記憶がある。とにかく役に立つ能力をつけて仕事で評価され、クライアントや会社に貢献し、お金も稼いで、ゆとりのある暮らしをしたいと思っていた。その直前にあれこれあって苦労したので、やっとたどり着いたユートピアみたいな感じだった。

 

でも今観ると、「ああこの感じ心地よい」と思う。

女の人が3人、おにぎりを握っている画をつくづく幸せを感じた。

トンカツに包丁を入れるザリッ、ストンという音。

youtu.be

 

お客さんも含め、登場人物たちにはそれぞれになにやら持っているものがあって、それはぽつりぽつりと語られるけれど、その痛みでつながるのではないし、もたれ合わないし、ただ、今は一緒にいるという感じ。健やかな関係。

小林聡美演じるサチエも、どうしてヘルシンキの町で食堂を営むことになったのか、はっきりとは描かれない。けれど、何か信念があり、覚悟をしてやっていることは伝わってくる。それが物語の終わりのほうのちょっとしたシーンで見えたりする。でも説明はされない。

現地に馴染んで暮らしている人の雰囲気がすごくする。彼女がいるだけで心地良い。シュッとしている。所作も表情も美しい。

 

人がある程度の年齢になれば、みんな何かしら抱えているし、いろんな苦難を通ってきている。女性ならではのものもその中にはあったりする。

でも今は自由で、人生を楽しんでいる。何の保証もないけれど、だいじょうぶ。

この「だいじょうぶ」な感じは、もっとずっと若いときの根拠のない自信や無鉄砲さともまた違う、それなりに積んできたものがある上での、自分や世界への信頼。

 

たとえばマサコが、傷ついた女性の話を聴く。その後「あの人こんな事情があるらしいよ」とサチエとミドリに話す。「え、マサコさんフィンランド語わかるの?」「いいえ」というやり取り。いや、案外こういうものかもなとも思う。言葉がわからなくても、なんか話せる感じって、お互いがオープンで、ゆるんでいるとできることもある。

 

夢物語のようで、全然ふわふわしていない。

扱っているものはおにぎりとか、おみそしるとか、シナモンロールとか、コーヒーとかの食べ物だし、テーブルを拭いたり、自転車に乗ったり、プールで泳いだり、合気道の基礎練をしたり身体も使う。

 

旅に出たいなぁ。知らない言語の国に行きたいなぁ、少し長めに暮らしたいなとも強く思う。

この映画を自分の観た範囲内で大事にしておきたくて、あまり制作の話などは興味がわかない。料理の監修を誰がしたとか、どんなふうにロケしたとか、そういうことについては、まぁまた時間が経ったらおもしろく感じられるかもしれないけれど。

自分の楽しみのためだけに映画を観るのは久しぶりで、それも幸せだった。

 

そんな幸せな感じが続いていたので、他の人はどんなふうに観たんだろうと思って、ネットでレビューを探していたら、やたらと怒っている人がいた。

こんなんで店がやっていけるわけじゃないとか、経済感覚どうなってんだとか、都合が良すぎるとか、こんなことあり得ない、もっと苦労するはずだ、能天気すぎて......どーのこーの、というようなことが書いてあって、ちょっと驚いた。

驚いたけど、そんなこと言うなんてまったく理解できないとも思わなかった。むしろ2006年頃の私が観たらたぶん同じことを思っただろう。

そのレビューを書いた人は、努力して、がんばって、でも報われなくて、疲れて、へとへとなのかもしれない。役に立つこと、役に立つものを取り入れることに疲れてしまうのかもしれない。

いや、私だって「一段高いところから物が言える」ほど順風満帆ではないし、いつどうなるかわからなくて、先行きもいつも不安だ。

でも小さくは報われているし、成功の絵姿を手の届きもしない理想ではなくて、自分のほうに一旦近づけたら、いい感じに進んではいると思える。

それどころじゃない時期を経て、私は今は穏やかなんだなと、映画を観て現在地の確認をしたような気持ち。

 

かもめ食堂』よかったな〜とジーンとしていたら、こんなツイートが流れてきた。

新作があるんですね!来年公開とのこと。楽しみです。

 

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『凪のお暇』読書記録

『凪のお暇』コナリミサト/著(2017年, 秋田書店

 

妹に借りて6巻まで一気読みした。
こういう話だったのか。
ドラマが話題になったのは知ってたけど、観てなかった。

クセのある絵柄だけど、ぐんぐん読んでしまう。
作者の方の人間観察力がすごい。
人間ってこういうとこあるよな、こういう人いるよな、とグサグサくる。
あの人ほんま理解できん、という人の背景を垣間見られるのも痛快。

親、パートナー、友達(と思ってた人)の影響、
その時代の社会の制約、あれこれあるけれど、
自分で作った牢獄に自分を閉じ込めていることが多い。
気づいたら、今度は自由に解放していくほうにちょっとずつすすんでゆける。

その姿が周りの人に影響を与えていく。

お暇、サバティカル、退避所、必要だよねぇ。

 

 

 

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 2020年12月著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社