ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

子どもの宿題にまつわる「私の」モヤモヤを安全に語る

10月に「子どもの宿題にまつわる私のモヤモヤを語ろう」という場に参加した。

参加しておいてよかった。

そうしみじみと感じたこの2ヵ月だった。

 

 

どんな場だったのかは、主催のすわれいこさんが丁寧なレポートを起こしてくださっているので、ぜひお読みいただきたい。

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息子が5年生になり、どのような教育を親としてしていくべきか、してあげられるのか、というようなことを考えたくて参加した。

他の家庭の方針や選択を参考にするのは、あらゆる要素が異なるので難しい。つまり、構成員も違う、経済力も違う、地域も違う、世代も違う、本人の受けてきた教育も学んできたことも違う、子どもも違う。


だから、ただとにかく自分で自分の覚悟を決めたいという一心だった。

 

 

いろんなことを話したが、結局自分の中で決まったことがいくつかあった。

・宿題および勉強をみるのはわたしの役割としない

・宿題をするかどうか、どの宿題をするかは息子が決める
・わたしは、どのように学びたいか息子が決めるのをサポートし応援する

・わたしは、担任の先生と連携をとり、学びの状況を把握する。心配があれば相談する。
・衣食住のサポートをする。わたしと生活する時間は、息子が健やかで機嫌よく過ごせるように配慮する、息子の状態をよく観察する、わたしも楽しむ

・否定しない、非難しない、強制しない
・楽しく提案する、共に喜ぶ

・質問には最大限の努力をもって答える、わたしの学びの中から提供する、わたしも学ぶ

・課題の分離を心がける。「それはほんとうは誰の課題か?」

・わたしの不安から行動しない。自分に不安があるときは別で聴いてもらう

・わたしの自己犠牲を前提にしない

・手段はひとつではない、因果関係が不明なことのほうが多いことを常に持つ

 
「え、そんなことを思ってもいいの?」と言われるかもしれないが、この5年間、考えに考えてきた末にこうなった。今年も夏休みの宿題を巡り、こんなことや、こんなことを考えてきた。

 

今のところ息子は自分で気づき、判断し選択し、相談し、喜びを味わい、学びの毎日を生きている。そのような息子の日々の学びや成長を、わたしは心から祝福している。

息子と担任の先生、わたしと担任の先生、わたしと息子との信頼関係も強くなった。息子の担任の先生は、学校の外で活躍する場を持っていて、本質的に健やかな人だ。

 

これらの軸の言語化は、間違いなくあのときにわたしが、わたしの気持ちと考えを言葉にして宣言できたことが大きい。他の人たちの話を聞く、つまり、わたしが選ばなかったものを選んでいる人と対話をしたから。

 

気心の知れた友人であっても、雑談ではできない話だ。
やはりテーマを据え、作法のある対話の場が必要。
矮小化されたり、一般化されたり、アドバイスされたり、愚痴に終わったり、話題を奪われたりしない場の設定。
そこに自ら望んで集っている生身の人とのあいだで起こることが、希望や力をくれる。

 

日本の教育制度は岐路に立っているし、高等教育(入試制度、大学経営)も新卒採用制度も揺れている。「順当に積む」という以外の手段での「達成」が可能になった。何が起こるかわからない時代に、このような個々のちいさな葛藤と決断と歩みの積み重ねがとても大切になってくると思う。

 

また、最近よく思うのは、「子どもの力を信じる」というのは、親が自分自身を信じてないと無理だということだ。親が、自分自身のために、挑戦や学びと共にあること、あり続けること、自分を信じること体験をしているからこそ、子の力を信じることが真に成せる。

 

 

揺れてもいい、間違ってもいい。

わたしもまだ途中の存在として居る。

 

覚悟を決めさせてくれた場に感謝。

 

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《レポート》12/22 冬至のコラージュの会、ひらきました

2019年冬至のコラージュの会、ひらきました。

 

今回のご案内ページはこちら。

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コラージュの会とは?はこちら。

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今回も6人全員が無事に揃い、ゆっくりとはじめていきました。
わたしもインフルエンザにも胃腸炎にも風邪にも見舞われず、予定どおりひらくことができて、ほんとうに感謝です。

 

・前からこの会のことを知っていて、「自分がつくるとどうなるのか」楽しみ
・自分一人ではなかなかやろうと思ってもできないから、みんなでできるのがうれしい
・コラージュのワークショップは出たことがあるけれど、使う素材が絵や美しい写真など、他であまり見ないものだったから
・自分の場づくりの参考にもなりそう

などいろいろな楽しみをもってご参加くださいました。

 

 

最初に2019年で印象に残っていることを書き出して、話して、味わい、労い、感謝しました。じっくり60分。

制作はじっくりと集中。90分

つくったものを紹介したり感想を話す鑑賞の時間。60分

数字だけ見ていると長いようだけれど、集中して取り組んでいると、濃い時間はあっという間にすすんでいきます。

 

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皆さん初めてコラージュを製作される方ばかりでしたが、未知のことを一つひとつ楽しんでくださり、一人ひとり大切な作品に思いを詰めてくださいました。

 

自分の属性、立場、環境、状況、
あらゆる制限をとっぱらったら、
何がしたい?どこに行きたい?何がほしい?

 

言葉より、ビジュアルが語るもののパワフルなこと!!

寒い雨の日でしたが、よい旅でした。

 

みんなで一緒にいながら、めいめいで潜っていって、火にあたりながら釣果を見せ合う海女小屋。

目標でもタスクでもなく、根拠のない前向きな夢ではなく。
ほかのだれでもない、だれにもなり得ない、「じぶんらしさ」に根ざし、花咲く心からの望み。

 

つくりたての作品に感想をもらうことによって、自分が発見することもあるし、
他の人の作品を見ていて、感想を言ったり、質問して出てきた言葉にハッとすることもある。

つくるだけではなくて、こうして鑑賞の時間をもつことで、持ち帰った作品が自分にとって特別な体験の証になります。

 

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 ▲わたしの作品は最後の横長のもの。音楽、詩、歌う、パフォーマンスというキーワードが出ました。何を意味しているんだろう。楽しみです。

 

 

これからの3ヵ月、半年、1年。どうぞ眺めていてください。

わたし変わってきたな、と思ったころにまたつくりなおしてみると、また新しい自分、新しい方向、道が見えてきますよ。

 

次回は春分の日 2020年3月20日(金・祝)に開催します。
会場は東京都内。決まり次第お知らせします。

 

最後に。 

欅の音terraceとご縁を結んでくださり、たくさんサポートくださった、tsugubooksさんありがとうございました。

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コラージュの出張ファシリテーションは3名〜承ります。
謝金はお問い合わせください。
場づくりのご相談も常時承っております。

 

 

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今年も「第九」、今年は今年の。

今年も第九を聴きに行きました。すべり込みでチケットをとって行ってきました。

 

去年、第九のこんな予習会をして、聴きに行って、振り返るという体験をしました。

第九ふむふむ予習会がよかった話

第九を聴きに行ったクリスマスの夜

それが当たり前の世界の住人と擦れ合うこと(第九その後)

 

 

今年一年で生で音楽を聴く機会が爆発的に増えたわけではないけれど、チャンスがあれば優先してでかけました。仲良くなったクラシック曲も増えました。そういえばお能もよく観たし、競技かるたも上達したし。

音を聴くことについては意識的に採り入れていたと思います。

そんなわたしとして、今年の第九で何を感じるのかなと楽しみでした。
オーケストラも違うし、指揮者も違うし、ホールも違う。
いろいろ違う中での一期一会。

 

それから、やっぱり第九といえば一年の締めくくり、労い、祝福。 

 

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感想。

 

前から3列目。指揮者と弦楽器しか視界に入らないという、これまたなかなか経験できない迫力ある角度で聴いていました。ステージを仰ぎ見る感じ。

音の粒が一つひとつ細かくて、澄みきっているのに湿度はあって、曲調は激しいところも繊細で。日本画みたい。第九ってこんな曲でもあったのかぁ。と思いながら聴いていました。去年のマッシモ・ザネッティが個性的すぎたのか…。

チョン・ミョンフンは、思っていたよりすごーく小柄ですごーく振りが小さくて、よよよ、よくあれで入れるなすごいな、と素人は思ってしまった。

 

コンサートを聴きに行ったというより、音楽をしに行ったという感じがしました。
総譜をなぞりながら聴いていたのと、『蜜蜂と遠雷』の影響もあってやたらと詩的になっているんだな。

生の音にふれると、「ああ、ヴァイオリンのピッツィカートってこんな雨だれみたいだっけ!」とか、「あそこのホルンの歌うようなパッセージ!」とか、自分もまるで「聴く楽器」になったような感覚になります。

わたしの聴く楽器としての精度も、この一年でだいぶ上がってきたかもしれない。以前はこんなにいろんな種類の、いろんな深み、色は聴けなかったから。鍛えれば、聴けるようになる、というのはほんとうだった。

 

 

 

今のわたしとして、演者と聴き手たちと、みんなで一緒に音楽をしたんだと思います。幸せな時間でした。

 

人間に音楽があってよかった。

 

聴きながら強く思っていたのは、人間はこうやってずっと音楽をしていたらいいよ!ということ。
そうしたら諍いは起こらない。
こんなに美しいものの前で、そんなことする必要もない。
芸術の場では国境も国籍も関係ない。

 

師走の金曜日夜の渋谷はものすごい人人人...で、人に酔ってしまい、たどり着けないかと思うくらいだったので、来年は違うホール、サントリーホール東京芸術劇場にします。

ラウル・デュフィ展の鑑賞記録〜海、花、テキスタイル!

パナソニック留美術館で開催のラウル・デュフィ展に行ってきました。

https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/191005/

 

関連記事

bijutsutecho.com

 

bluediary2.jugem.jp

 

最終日の16時に到着。開館時刻は18時まで、というなかなかの駆け込みっぷり。

決して忘れていたわけではないのですが、あれよあれよという間に月日が過ぎ去り、ここになってしまいました。

しかも、前日は競技かるたの全国大会で19時半ごろまで試合をし、B級に昇級するという快挙を成し遂げ、友人と祝杯をあげ、当日の日中は、TOEICのListening&Readingのテストを受けたあとで、もうなんだかふらふらになりながら、でもご褒美ということで、向かいました。

 

 

しかしやはり無理して行ってよかったです!

たぶん誰もがこの感想を口にすると思うけれども、絵画の色の鮮やかさとテキスタイルのモダンさが印象的で、もうこれぞ眼福!!

 

印刷物ではとても表現しきれない色とテイスト。

図録も販売していましたが、どうしても目減り感が半端なく、触手動かずでした。

 

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デュフィは、フランス北部、港湾都市ル・アーヴルの出身。
少し海を行けばすぐイギリスというところ。
クロード・モネル・アーヴルの出身。

港町の香りがします。マルケと仲が良かったのも、海というつながりがあったのかもしれないなぁと思ったりします。マルケの海の絵もとてもよいです。

 

最初の展示コーナーは絵画からはじまります。

パリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学し、モンマルトルに暮らして、ジョルジュ・ブラック、モネ、ゴーギャンゴッホピサロなどに影響を受けていく。アンデパンダン展に出品した頃、26歳で描いた油彩が最初の展示作品だったのですが、これがまずとてもよかったです。

『グラン・ブルヴァールのカーニヴァル』というタイトル。

パリの大通りにたくさんの人々が出てきて、思い思いにおしゃべりをしたり場を楽しんでいる様子が描かれています。冬の西日を受けて、赤く染まる建物や、並木や人々の顔や服。もうすぐ日が落ちればもっと寒くなるけれども、賑わいにあふれている。この一瞬の光景を素早いタッチで生き生きと描いています。

ちょうど今、12月、わたしが住んでいる東京でもこんな時間帯、こんなふうにまちが見えるときがあるなぁと思いながら、作品を見ていました。

「大谷コレクション」から6点が展示されていました。この大谷コレクションってなんだろう?と調べたら、ホテル・ニューオータニの創業者と関係のあるコレクションなんでしょうか?西宮市や鎌倉市にも大谷記念美術館というのがあったのですが、それらのつながりがわかるものが見つけられず。今後また出会うかな?

 

 

『サン=タドレスの大きな浴女』は、他の作品の中に背景に置いてある絵画として登場していて、その遊び心にもにやりとさせられました。

 

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小さい頃は、デュフィのふにゃふにゃして、真面目に描いていないように見える絵が苦手だったんです。びっちり描き込んでる画家がうまい・偉いと思っていた。

今見るとめちゃくちゃ良いですね!

 

実物に近づいてよく見ると、子どものころには「ふにゃふや」に見えていた線は、同じ色で取られたただの輪郭ではなく、微妙に色合いを変えながら、光や色の流れや対象の存在を表す造形の一つであり、一枚一枚がとても凝ったつくりになっているのがわかりました。

 

それに、このバイオリンの絵なんか、バイオリンのフォルムや存在感、奏でる音、全部が好きで好きでしょうがない!という偏愛が伝わってきます。

わたしも、それを感じるような大人になったんだなぁ。

 

1942年の作品『オーケストラ』はステージのもっとも後方、ティンパニ奏者よりもさらに後ろからの目線で劇場を捉えていて、おもしろい構図です。この頃のティンパニはもうペダル式になっているのだろうか?と、打楽器奏者の友だちから聞いた話なども持ち込んで興味深く鑑賞しました。こちらのサイトを見ると20世紀初頭まではネジ式となっているから、ちょうど移行していったときなのかも。

 

 

展示点数としてはテキスタイルのほうが多くて、新しいデュフィの世界観に触れられたのがとてもよかったです。デュフィの美意識がより感じられました。

南洋っぽい花や草、虫のモチーフがたくさんありました。当時のフランス植民地のアフリカや東南アジアの影響もあるんでしょうか。バリ島を彷彿とさせるなぁと思いながら観ました。

ビアンキー二=フェリエ社のテキスタイル・サンプル帳』は、これ自体がもうアート!これごと欲しい!!!他のページもぜんぶ見たい!ずっと眺めていたい!という気持ちになります。

 

今回の展覧会を機に、デュフィについてちゃんと知れたのがよかった。

 

デュフィはマルケと友だちで、マティスからの影響も受けていたということもここで初めて知りました。マルケもマティスもわたしの大好きな画家!

それから服飾デザイナーのポール・ポワレとの運命的出会いが大きかったということも知りました。そうだったんだ〜の連続。

今年は三菱一号館美術館マリアノ・フォルチュニィ展にも行けて、今回ポール・ポワレに会えたので、2009年の庭園美術館の「ポワレとフォルチュニィ展」ではじまった旅が、一つひとつ丁寧に出会いながら今ここまできたような感じで、個人的にうれしかったです。

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コルセットから解放されて、自由で開放的で自然と調和しながらも都会的なデュフィのテキスタイルを、女性たちはどんなにか愛したことだろう、と想像が膨らみました。

現代のデザイナーが、デュフィのテキスタイルを復興させてデザインしたドレスも素敵でした。どれもとても華奢だったから、美しく着られる人は限られていそうだけれど...。

 

また別の観点では、この頃の絹織物や布プリント、製紙や印刷の技術の歴史なども気になりました。そちらでも歴史を串刺してみると、また橋が架かりそうでした。

そうそう、パナソニック留美術館のショップに並んでる本は選書がとてもユニークで好きです。どなたが選書なさっているんだろう。

「おお、これは!」という本に必ず出会えます。

行かれたときはぜひ。

 

 

 

何も予習せずに気楽に観たけれど、こうしてふりかえってみると、思ったより受け取ったものがあったことがわかります。

こういう鑑賞もいいですね。

 

  

たくさんのお花のテキスタイルに触発されて、お花がほしくなりました。昇級のお祝いもあるしと思い、帰り道にガーベラを買いました。

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ガーベラは特別に思い入れのあるお花。

ちょうど5年前の今頃に行ったリー・ミンウェイ展にも感謝して。

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たくさんがんばり、たくさんギフトをもらう。よい週末でした。

 

 

 

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カルティエ、時の結晶展、美にふれること

カルティエ展、行ってきました!

 

観に行く前の経緯や予習について二本書きました。

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観に行った感想をこちらで話しました。ぜひ聞いてみてください。

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そういえば、2015年の今ごろに行った杉本博司展、よかったなぁと思い出しました。
今回のカルティエ展の施工は、杉本さんの建築設計事務所新素材研究所が担当していたので。

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自分で書いたものを読み返してみたら、「ああ、この展覧会よかったなぁ」とじわじわ思い出しました。

そうかぁ、カルティエ展で杉本博司に再会していたんですね。

 

 

美にふれると自分が整う。

 

なんのために美術館に行くのかとか鑑賞するのかって言ったら、ビジネスに役立つとか教養が深まるとか、なんか全然そういうことじゃない。

 

自分の事業について人に説明しなきゃいけない!と思うがあまり、「効果」を一生懸命話していたけれども、話せば話すほど遠くなっていく感じがあった。

 

シンプルにこれだよなぁ。

思い出せてよかったです。

 

わたしが一番みんなを連れて行きたいのは、「ここ」なのではないか。

 

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お知らせ:12/27(金)『ディリリとパリの時間旅行』でゆるっと話そう

ゆるっと話そうシリーズ第7回『ディリリとパリの時間旅行』
12月27日(金)17:10- @シネマ・チュプキ・タバタ

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[ゆるっと話そう]は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、45分のアフタートークタイムです。
映画を観終わって、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?
印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。
他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。
はじめて会う人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

✴︎


第7回は、『ディリリとパリの時間旅行』をピックアップします。
http://chupki.jpn.org/archives/4982

ニューカレドニアからやってきたディリリがパリで見聞きするもの、出会う人たち。
ベル・エポック時代にタイムトリップして、美しい映像や音楽に酔いながら、スリリングな出来事がめまぐるしく展開します。
そして言葉に耳を澄ませていると、ただ美しいだけではない、繊細で骨太な映画のメッセージも聞こえてきます。

あなたはこの映画に何を見ましたか?この映画から何を持って帰ってきましたか?
ゆるっと話そうで、ぜひ見せ合いっこしましょう。

_________________

日 時:2019年12月27日(金)17:10(15:20の回終映後)〜17:55

参加費:投げ銭

予 約:不要。
    映画の鑑賞席は予約がおすすめです。
    https://coubic.com/chupki/682844

対 象:映画『ディリリとパリの時間旅行』を観た方。
    別の日・別の劇場で観た方もどうぞ。
    観ていなくても内容を知るのがOKな方はぜひどうぞ!

会 場:シネマ・チュプキ・タバタ 2F(1F映画館受付にお声がけください)

_________________

過去のレポート
 第6回 おいしい家族
 第5回 教誨師 
 第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
 第3回 人生フルーツ
 第2回 勝手にふるえてろ
 第1回 沈没家族


進行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター
https://seikofunanokawa.com/

9月に観たときの感想を書きました。内容にふれていますので未見の方はご注意!
http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2019/09/26/170243

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なぜ参加者同士が知り合えていないのか?

参加者一人ひとりにいろんな背景があって、いろんな経験をしていて、いろんな考えをもっているのだから、お互いのことがもっとわかるといいのに。

という悩みを、コンサルティグでも、場の中でもよく耳にします。

 

現状なぜできていないか?

それは、

主催者が、そうなるように意図して場をしつらえていないからです。

 

講座にせよ、ワークショップにせよ、イベントにせよ、
その場でマイクを握っている時間が一番長いのは、主催者や講師ではありませんか?
それでは参加者がお互いについて知りようがないのも当然です。

参加者が他の参加者のことを知るためには、一人ひとりに発言の機会があり、それを聴く、対話と交流の時間帯を設けることが必要です。

 

「質疑応答」は、質問に対して主催者が講師が答えるという個別のやり取りを参加者が観覧する形になります。これだけでは「交流」には足りません。

「懇親会」は、会話は生まれますが、テーマがないため、共通の話題を探す必要がでてきたり、コミュニケーションを図ること自体に気をとられがちで、自分の考えや本当の思いを安心して話し、動機やニーズまで降りる「対話」には不向きです。アピール上手、盛り上げ上手な人には有利ですが、声が小さい、考えを丁寧に落ち着いて話したい・聴きたい人には不利です。

 

ファシリテーターの役割の一部

・時間帯を区切る

・誰のための、何を体験する時間なのかを意図して内容を準備する

・その場の参加者の反応を大切に進行する

・参加者同士が話すときは、テーマを設定して対話を促す(ファシリテート)

 

その時間が重要だと思うのであれば、
他のアクティビティを削ってでも、全体の時間を見直してでも、
時間内に確保する必要があります。 

 

あなたは、

参加者が自分の話をする時間帯を計画していますか?

 

▼有料記事(¥100)で続編を書きました。

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▼場づくりのヒントがあります(こちらは無料)

terakoyagaku.net

 

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古楽の世界の入口:ヘンデル『リナルド』

先日、ヘンデルのオペラ『リナルド』を鑑賞してきました。

普段からオペラやバレエを一緒に楽しんでいる友だちが、「去年観てすごくよかったので」と案内をくれたのがきっかけです。チケットは北区民の友だちが取ってくれました。感謝、感謝。

ヘンデル作曲 オペラ《リナルド》 : 北区文化振興財団

 

実はここのところ、出版プロジェクトの原稿書きや、ホームページのリニューアルなどをしていて、気持ち的にいっぱいいっぱい...。

わたしはオペラはライブビューイングでは散々観てきたけれども、生で観たのは一度しかなく、それもたしか10年近く前。生で「オペラが観られる〜!」ということで、「行きます!」と即決してしまった。

が、わたしがヘンデルで知っているのは、せいぜい「水上の音楽」ぐらい。超有名曲。

しかも今回は「セミ・ステージ形式」という聞きなれない上演形式。

いろいろ??となっている間に、友人たちが予習サイトを繰り出してくれました。

「リナルド」~あらすじと問題点: ヘンデルと(戦慄の右脳改革)音楽箱

「リナルド」~聴きどころ♪: ヘンデルと(戦慄の右脳改革)音楽箱

Handel,George Frideric/Rinaldo/訳者より - オペラ対訳プロジェクト - アットウィキ

 

さらにコメントも。

楽団はみんな古楽器で、あまり見たことのない楽器も出てきます。
規模も小さくて、オーケストラボックスではなく、舞台に並んでました。
よくみるフルオーケストラに比べて音量も小さいので、声が本当によく立つんです。
もともとのオペラって、こういうふうに演ってたんだなぁ……という感じ。 

 

ふむふむ。
 

セミステージ形式というのは、
・通常のフルセットで上演するオペラに対しては、セットや衣装をかなり簡略化した舞台
・歌唱をメインに上演する演奏会に対しては、少しセットや衣装を設え演技も入れた舞台

ということらしい、と理解。

 

ぎりぎり「わたしを泣かせてください」も予習し、あ、これ知ってるわ!と思った...
ところまでを抑えていざ鑑賞!!

 

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感想としては、

まず、これまで観てきたオペラと全然違う体験でとてもおもしろかった!!

これまで観てきたのは、METやロイヤルオペラ。フルセットで、フルオーケストラ。
あらすじはシンプルでも感情の機微やそれを演じ歌い上げる歌手も超弩級

それに比べて、今回のリナルドはまずオーケストラが少人数。20人程度。
しかもピットに入っていなくて(ほんとだった!)、ステージの上に設けられた少し高くしてあるステージにいる。

楽器が一つひとつ珍しい。古楽器といえば、チェンバロハープシコード)とリュートしか知らなかったので、こんなにいろいろあるんだ!ということに驚いた。

音がなんというか、繊細で綺麗。

 

専任の指揮者はおらず、ヴァイオリン(たぶんヴァイオリンの祖先のヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)の方が指揮も務めておられる。不思議!

歌は、「わたしの番」「あなたの番」というふうにかけあいで進んでいく。

同じ歌詞を10回ぐらい繰り返す。

オペラも発展していくと、登場人物たちが、それぞれの内面で起こっている感情の動きを別々の歌詞で歌いながらも同じ旋律でハモる、という複雑な表現になっていくけれども、最初はただ気持ちを歌うというシンプルな衝動で始まっているのかもしれない。


ヘンデルのオペラとは
https://handel.at.webry.info/200812/article_10.html

 

そうか、これが「オペラ・セリア」! 

初期のオペラってこんなふうにサロンで、オーケストラというよりも「楽団」で、演者ともかけあいしながら、おしゃべりの延長のような和やかさだったんだろうなぁ、と、宮廷の雰囲気を感じながら、ヘンデルの気持ちのよい音楽に心地よくなりながら、一楽章はうつらうつらしたりもして、リラックスして聴いていました。

寝不足ではないのに寝てしまうというのは、つまりそれほどに直前まで緊張していたということなので、いいことなのだ、と先日呼吸法を教えてくれた友だちが言っていたので、罪悪感もなし。

セミステージ形式だからこそできる舞台装置や美術、演出のおもしろさも知りました。 

ダンサーの存在も非常に重要だった。

 

話の流れで、「わたしを泣かせてください」は、"Lascia ch'io pianga" つまり「わたしを泣かせたままにして放っておいてください」ということかと納得。「わたしにひどいことをして傷つけて泣かせてください」かと、大いなる誤解をしていた。。日本語だとわからないな。

 

あらすじは、、予習サイトにもあったように、えーなんでなんで?という感じで、特に設定自体には大きな意味も、展開に深みもなく、笑える感じでよかったです。

そもそも、ヒーローがカウンターテナーっていうところが衝撃!

音色や音域の問題だけではなく、演技、演出やもともとの作品のせい?なのか??ぜんぜん凛々しく見えなくて、なんか、、棒立ち??どうして女性たちが彼にうっとりしていくのか、上司が大役を任せるのかぜんぜんわからないぞーと思いながら観ていた。

当時は、どういう意味があったんだろう、あれはあんなふうに解釈されたんじゃないか、など、歴史や宗教や他の芸術なども出しながら、あとで感想を話したのも楽しかったな。

  

 

客層は、東京文化会館とかオーチャードホールなどに頻繁に足を運ぶようなクラシックマニアな方々と違って、お手頃だから来てみた!とか、毎年恒例の市民の音楽祭だから!という気軽な雰囲気がありました。ただ、気軽さもあるので、1幕はちょっと携帯を鳴らしちゃったり、荷物をガサガサしたり、しゃべったりとざわついていたり、上演がはじまって30分ぐらいの中途半端なところでも案内してもらえたり、といういう面もあった。

わたしは1階席、友だちは2階席だったので、その印象の違いなども終わってからシェアしてみると、けっこう違う体験をしていたということがわかっておもしろかったです。

通常だれかと音楽や演劇を観に行く時って、並びで席をとるものだけれど、こうやってバラバラに座ってみると、同じ舞台でも空間の感じ方、見え方、聞こえ方、周りの客層、などが違う。

 

 

バロックって約束がたくさんある制限のある楽曲だからなのか(?)演歌っぽいとか、フォークロアな感じもする。そうして捉えてみると、高尚で遠いものではなくなる。

ヘンデルの『メサイア』『ヨシュア』のコンサートも生でいつか聴いてみたくなりました。

 

 

ちょっと辛かったのは、ミラーの多用。

わたしは感覚過敏な性質があって、眩しいものや回転するものが苦手。
ミラー(鏡)は、割れた鏡の破片(写生の時に使う画板ぐらいの大きさ)を剣や盾、鏡などいろいろな見立てに使うのだけれど、それがライトに当たって反射する度に眩しくて目が痛くなって辛かった。

途中で出てくる船も、たぶんミラーと同じような反射する素材でできているのか、舞台の右から左へゆっくりと進んで行く間に、ずっと不規則に反射し、その光が目に刺さるのが辛く、目をハンカチで覆うようなことが何度かありました。

ミラーボールに至っては、ミラーだし回転だし、ああもう.......という。
ちなみにわたしは高いところも怖いので、今年からは1階席限定で観ることに決めてます。

特性と付き合いながら生きるのは、豊かな面もあり、めんどうくさい面もあります。

 

 

 

終わってみて、ツイッターで感想などを拾っていたら、「リナルド」を3幕すべて、しかもオペラで観られるって、しかも古楽器で観られるのは貴重な機会だったらしいです。たとえばこんなことを書いていらっしゃる方も ↓

オペラファン必見!北とぴあ国際音楽祭のヘンデル「オペラ《リナルド》」全曲https://bit.ly/34xgjKI

 


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もらったパンフレットには、普段のクラシックのコンサートは見かけないチラシがたくさん入っている。日本ヘンデル協会、チェンバロリサイタル、古楽器四重奏とか。

以前ラジオでも話した旧東京音楽学校奏楽堂のコンサートのお知らせなども発見。

 

名前がわからなかった楽器たち、ここに載っていました。古楽器は装飾が美しい。楽器自体が宝物。

www.uenogakuen.ac.jp

 

 

今の時代から見ると、古楽は未完全にも見えるし、エッセンシャルな部分にも見える。

発展、展開、成熟していくこともおもしろいけれど、起源、起こり、ルーツを訪ねていくのもまたとてもおもしろい。そちらのほうが未来っぽいこともある。

 

この世界には、小さな世界がたくさんたくさんある。
それぞれの世界には住人がいて、愛でて整備して膨らまして豊かに耕している。

今回は、そんな古楽の世界の入口に立った気持ち。

 

一つひとつの世界はすぐ隣にあるんだけど、橋が架かってないと渡れない。

 橋を架けてくれてありがとうございます。

 

*追記*

書いてみて気づいたけど、カウンターテナーがヒーローってまさに今の時代じゃね? わたしもMAN BOX(男らしさのカテゴリ分けとバイアスの強化)の影響受けてる!

メジャーなオペラにない新しさが、今の時代に必要とされてる。フォークロアやトライバルのムーブメントもきている今、古楽オペラ要注目です!

 

 

 

●●●●●●

 

鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー。関係性、対話、表現。温故知新。鑑賞の力を生きる力に。作り手・届け手と受け手とのあいだに橋を架け、一人ひとりの豊かな鑑賞体験を促進する場をデザインします。

 

募集中のイベントなど。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

書籍『平城京のごみ図鑑』

東京国立博物館正倉院展を観に行って、考えたことをnoteで話したので、最近は気持ちが飛鳥・奈良にも飛んでいました。

note.com

 

そんな折、また図書館でおもしろい本を見つけてしまいました!

 

 

これはほんとーうに、めちゃめちゃおもしろいです!!強くおすすめしたい!

サブタイトルに「見るだけで楽しめる!」とありますが、まるで展覧会に来ている気分になります。編集やレイアウトやデザインが素晴らしいのだなぁ。「えーナニコレ!?」と思ったら解説をじっくり読むと、さらに知りたいことが詳しく、研究成果に基づいて書いてあります。ワクワクしてきて、どんどんページをめくりたくなる感じ。

 

 

ごみの話を考えるときは、だいたいが現代、今、自分たちの暮らしの中のこと、分別やリサイクル、環境問題です。せいぜい水平に地理をずらして、他国の状況や地球環境として考えることはあっても、時間の軸をずらして、1300年前のごみを考えたのは、わたしははじめてです。貝塚で少しかすったことはありましたが。

「ごみを見ていると、暮らしが見えてくる」

ほんとうだ。

昔も今も、何を食べ、何を着て、だれとどんな家に住み、どんな仕事をし、どんな人間関係をつくり、何を楽しみに、何を美と貴び、生きてきたのか。

ごみが教えてくれます。

 

 

1300年前、奈良の平城京ではごみ処理という概念がなかった。捨てているだけ。
捨て方は3種類で、「穴に埋める」「水に流す」「井戸に捨てる」。


捨てられたものは、誰がどう見てもごみというような削りカスや木屑のようなものから、これ以上使えないぐらいになった履物、食べ物の廃棄部分(つまり生ごみ)、建物に使う飾りなどまで様々です。

中でもわたしの目を引いたのは、似顔絵などの落書きっぽいものが描かれた木簡や土器。今年、日本の素朴絵展に行ったときに、ゆるくてかわいい絵をたくさん見たけれど、もっと古いものがあったのかー!この時期から始まっていたのかー!と驚嘆。絵師の下書きのようなものから、ふつーの人のただの落書きまで、さまざま。いつの時代も、人間のあそび心や表現欲求って変わらないんだな。これは、アルタミラ洞窟などの壁画から受ける心の震えと同じ!

 

当時は紙がまだなくて、何か書く・描くといったら、木簡。メモにも手紙にも台帳にもなる。「腹痛で休みます」の欠勤届け、「立ち小便禁止」の看板、「漬物贈ります」のカードも、機密情報も個人情報も満載の木簡が、「ごみ」になって文化財扱いになるおもしろさ!

 

 

今生きていることと、これから先のことだけ見ていると、狭くなってしまうとき、限界を感じるとき、そもそもがわからなくなるとき、歴史を過去へ辿っていくことで、ひらけていくことがあります。

ある経緯の、ある流れの上に立っている自分、自分たちを知ることができる。

ああ、この展覧会も行ってみたかったなぁ。。

 

 

 

そんな発掘調査や研究をしているのが、この本の監修をしている、奈良文化財研究所(略して奈文研)。https://www.nabunken.go.jp/

一番有名なところでは、「平城宮跡資料館」「キトラ古墳壁画保存管理施設」が、奈文研の管轄。活動エリアは奈良だけでなく、国を超えた共同研究や研修を行ったりもしているそうです。

MOJIZO 木簡・くずし字解読システム https://mojizo.nabunken.go.jp/
なんてのがある!手元に今解読対象になりそうなものがないけれど、困ったとき絶対思い出して使おうと思います。

 

 

この本のすばらしさは、「ごみ」という視点のおもしろさや、たのしくわかりやすい本の仕立てももちろんですが、本とその元になった2015年の企画展『平城京"ごみ"ずかん』の企画経緯とコンセプトにあります。

 

来館者に小・中学生が多い状況を踏まえて、平城宮跡資料館では2013年より年に一度、子供がじっくり楽しめるような展示を企画してきた。(略)コンセプトの根底にあるのは、子どもたちが出土品の背景を想像しながら出土品を観覧できる切り口である。出土品に関する情報や研究成果を一方向的に伝達する展示方式ではなく、子供たちが自身の知識や経験に引き寄せる見方ができたり、想像をふくらませて楽しめる余地を残すような展示方式を意識した。(略)本書では、展示のコンセプトを引き継ぎつつ、大人の方も存分に楽しんで頂けるような内容・構成とした。(略)本書によって、平城京の暮らしを教科書上の事象から、より身近な、共感できるものとして感じて頂けたら幸いである。(p6-7, はじめに)

 

おわりに、の文章もとてもよいので、長いのですが引用します。

会場アンケートからは、子供のみならず大人の方々にも楽しんで頂けた様子がうかがばれた。会場を見ても同様の印象で、子供と一緒に来館した大人の方が熱中して体験メニューに取り組み、ギャラリートークでも大人のリピーターが目立っていた。これは企画展の開催前には予想していなかった事態であった。

子供向け展示は決して子供だましではなく、実は大人向けの展示を作るよりも難しい面がある。展示で伝えたいのは、奈良文化財研究所の研究成果にもとづく内容であり、ともすると、一般の方には難解な内容も含む。それを、いかにわかりやすく伝えるかに、毎回心を砕いてきた。

わかりやすさにも色々あるとは思うが、単に用語を平易な言葉に言い換えるだけでなく、続きをもっと見たくなり、記憶に残るような、興味を引くわかりやすさを会場中にちりばめることも大切と考えてきた。この試みは、大人の来館者にとっても効果があったということになろう。

もしかすると、来館者層を限定することなく、老若男女が楽しめるわかりやすさを追求すべきなのかもしれない。(p124-125 おわりに)

 

 

来館者を観察する、自分たちの使命や情熱の自覚、実際に手渡すものは来館者にとって何をもたらせるか、橋を架けられているのかの認知、の姿勢は重要です。

これが場づくり。

 

何人動員できるかという数値目標や、大手代理店や施工業者を使って見栄えのする空間をつくることとは違うベクトルの。そもそも。

誰のための場か、何のための場か。

 

今年に入って美術館や博物館などが開催する一般向けの場に何度か参加して、学びの場づくりの観点から、強い問題意識・危機意識を持っていたところだったので、このように実践している館があること、人がいることに希望を感じました。

わたしもまたこの循環に関わる専門職として、言語化してゆかねばならない、しよう、と勇気をいただきました。

 

 

対話にふさわしい対象(作品や場所や資料)を見つけることも、その対象と鑑賞者との間に橋をかけることも、鑑賞対話ファシリテーターの職能です。どうぞご活用ください。

 

 

書籍『学級担任のための外国人児童生徒サポートマニュアル』

別の調べもののために図書館に行ったときに、こんな本を見つけました。

著者は、大阪教育大学で教鞭をとっておられる、臼井智美さん。
学校経営学、外国人児童生徒教育、教師教育学を専門にされてきた方とのこと。

 

今年、日本語の指導が必要なのに支援を受けられていない外国籍の児童の数が1万人以上もいるというニュースに衝撃を受けました。(https://mainichi.jp/articles/20190504/k00/00m/040/098000c 途中から有料記事)

 

わたし自身は、この件に関して強い当事者性はないのですが(たとえば日本国籍でないとか、教師であるとか、身内にいるとか)、ただ、これから外国人労働者を受け入れようという国の舵取りがある中で、この社会の受け入れ態勢の脆弱さを見聞きする機会はたびたびあります。

学校や人間関係の中で孤立することによって、殺人事件にまで発展した経験をこの社会は持っているから、切実かつ喫緊の課題であることはいつもわたしの念頭にあります。

 

わたしの当事者性としては、こちらの記事でも書いたようなことが当たります。

terakoyagaku.net

 

わたしの仕事は、誰がどのような背景や要素を持っていても、安心安全健やかな場をつくることが使命です。

また鑑賞の対象・表現作品が持つテーマは様々です。読み間違いをなるべく減ずるためにも、幅広い知識の収集活動が必須です。

人間に起こりうること、人生で遭遇する可能性があること、世界や社会で起きている問題、特にマイノリティ性については感度高く、常に広く多様に知ろうと努めています。

 

そんな動機もあって、この本が目に留まりました。

 

「はじめに」の書き出し

日本語でのコミュニケーションが難しい外国人児童生徒は、どのくらい在籍していると思いますか?実は、現在では全国の公立小・中学校の約25%の学校に在籍しています。もちろん、学校によって在籍数も違いますし、地域によって国籍や言語の多様性も異なりますが、それにしても予想以上に多く在籍していると思ったのではないでしょうか。

いやほんとうに「予想以上に」でした。自分の子の学校のことしかわからないので、その感覚でいうと、さすがに25%まではいかないかな...という印象です。自分の子とその周辺の印象、というバイアスがかかりやすいのは、気をつけなければならないことです。

 

実際の現場の受け入れ体制がどのようになっているのか、知る術もないと思っていたのですが、こんなにもしっかりとまとまっていて、わかりやすい本があるということに希望を感じました。

もちろん現場で実際に何が行われているのか、今のわたしには見えていませんし、実行できていないからこそ1万人以上もの児童が無支援の状態になっているわけですが、「どうすればいいかはもう十分にわかっていて、まとまっていて言語化されて、共有されている(できる状態にある)」ということがまずわかったことが収穫でした。

それも「配慮しましょう」というぼんやりした濁すような言い回しではなく「誰がいつ何をすればいいか」「それがうまくいかないときは次に何をするのか」が明確に記されているところ。まさにタイトル通りマニュアルです。

「学級担任のための 」というタイトルで、受け入れ体制の準備、保護者との信頼関係のつくり方、学級づくり、授業づくり、進路指導の進め方が細かく解説してくれていますが、学級担任が一人で抱え込むのではなく、学校の内外で複数の専門職と連携しながら、この地域社会に受け入れ体制を作っていこうということも書かれています。
(そのスタッフが足りないということが現状の課題なのでしょうか?自治体の予算?両方?)

 

 

「ああ、そうか〜」「そういうの必要だよな〜」という思いで読んだところがいくつもあります。たとえば、

 

・「母語・母文化指導は、外国人児童生徒が、日本語や日本文化の中で生活するうちに忘れてしまいがちな母語や母国の文化を忘れないようにするため...(略)学校の外で行われることが多いです。外国人児童生徒にとっては、母語や母文化を共有する友達と出会える貴重な機会にもなっています」「母語・母文化に誇りをもち愛着を感じられるように」

・保護者への連絡文書も翻訳する。8言語分用意しているところも。(そうか、、英語があればいいというものでもないのか、、)

・文化や宗教上の留意点の聞き取り。「ときには文化的相違による誤解やトラブルが生じたりします。異文化を理由とするいじめなどの誘発をぼうしするためにも(略)例えば宗教上の理由から食べられない食材がある、校則に抵触しそうな服装やアクセサリーの着用を希望する、頭をなでたり肩をたたいたりといった身体的接触に対して日本とは異なる解釈をする、などです」

・「日本では、昼食は教室などで同級生と一緒にとることを説明します。給食であれ、お弁当であれ、このような習慣のある国は少ないので、外国人保護者にはまったくわからないと考えたほうがよいでしょう。そのため、給食の場合は教育活動の一環で行なっており、バランスよく栄養を摂取することや友達と食事を楽しむことなど、給食の目的を説明します」

・「学校と家庭との役割分担の線引きを明確にしている国は少なくありません。そのような国で育った保護者からすると、家庭訪問や個人面談の意義や重要性がピンとこないばかりか、むしろいちいち家庭に相談してくる学校に不信感さえ抱きかねないのです」

・「出身国だからといって、必ずしも国の文化に詳しいわけではありません。にもかかわらず、外国人だからという理由で、詳しい説明ができるという期待を向けられる。このことは非常に大きなプレッシャーとなります」

・「学級の中での異文化理解とは、目の前にいる外国人の同級生が『なぜ、自分たちと違うところがあるのか』、そしてそれを『先生がなぜ注意しないのか』その理由を知り納得するところから始まります」

 

......などなど。


この本のどこを読んでも、なるほどーーーーーと嘆息することばかりです。

 

こうして一つひとつ洗い出していくと、もはや空気のように水のように存在している「わたしたちの文化」というものの輪郭がはっきりとしてきます。
それはおもしろいなぁとまず思いました。そして息苦しさの理由を示唆されているようでもあるなとも。日本の特殊さ、その地域の特殊さに気づかされることが、現場ではさらにたくさんありそうです。

「丁寧に説明する」というフレーズが何度も出てくるけれど、そこがほんとうに難しいところなのだろうなと思わされます。

 

支援と対話によって、異文化を理解する寛容性を育んでいけますように。
子どもにとっても大人にとっても。

 

 

学校の先生にはもちろんすぐに役立つ本ですが、そうでない方にもぜひ。

報道で外国籍の児童のことを見聞きしたときに理解がしやすくなりますし、心を痛めモヤモヤするだけではなく、「何が問題なのか」「何ができるか」を考えるとっかかりになるので、おすすめです。

 

対話にふさわしい対象(作品や資料や場所)を見つけることも、その対象と鑑賞者との間に橋をかけることも、鑑賞対話ファシリテーターの職能です。どうぞご活用ください。

seikofunanokawa.com

書籍『都会で着こなす世界の民族衣装』

先日noteでこんな話を配信しました。(しゃべってます)

note.com

 

なんと、配信したらやっぱり展開した!これぞ学びの真骨頂。

 

こんな本のことがTwitterで流れてきたのです。

 

民族衣装好きとしてはこれは...!と飛びつき、さっそく取り寄せて読んでみました。

タイトルの通り、「世界の民族衣装を現代のファッションにとりいれて、コーディネートしてみました...」というページももちろんあって素敵なのですが、思っていたよりも、一つひとつの国や地域の特色、衣装の説明が詳しい!これはとてもうれしい!

杉野学園衣裳博物館で観たものに関係あることがざくざく載っていました。

 

たとえば、

美しく派手なデザインほど人間を守る力が強い
主にヨーロッパでは悪魔は袖口や首元から入ってくると信じられ、その侵入を防ぐのが美しいレースとされていました。

とか、

かつて民族衣装は農民の正装でしたが、神聖ローマ帝国滅亡後に農民は農奴とされ、ぜいたく禁止により派手な仕立てや色調の衣装を着ることが禁じられました。そんな暗い歴史から解放されたの、1746年のこと。

とか。

 

ルーマニアトランシルヴァニア地方の、ビーズがびっしりとほどこされたベストもあるし、ブルガリアの衣装も!実物をじっくり見てきて、動画でも話した後だから、なんだか他人のような気がしません。

杉野でブルガリアルーマニアの歴史や文化を丁寧に解説するボードがあったからこそ、鑑賞がしやすく、今この本につながって、さらに深い関心をもって読むことができるのはうれしい。

 

この本を読んだ方はぜひ杉野学園の博物館にも行っていただきたいし、博物館に行った方はこの本を読んでいただきたいなぁ。

 

博物館に行けなくても、本も読まなくても、民族衣装に興味がなくても、

鑑賞や表現は、こうやって展開してゆく楽しい「遊び」だということが、何かしら伝わるといいなぁと思っています。

 

おまけ。こちらの本もすてきでした。

 

 

*追記*

民族衣装見てると楽しいけど、男女、既婚未婚、寡婦、階級…などでラベルが貼られることが、とてもしんどく思える。美しい、かわいいだけじゃない歴史の面も見ていきたい。

 

 

対話にふさわしい対象(作品や資料や場所)を見つけることも、その対象と鑑賞者との間に橋をかけることも、鑑賞対話ファシリテーターの職能です。どうぞご活用ください。

書籍『女性アスリートの教科書』

漫画『生理ちゃん』の読書会をひらくにあたって、資料として入手した本ですが、こちら、とても良い本です。おすすめ。

 

日本体育大学の教授で、女性のための効率的なコンディショニング法やトレーニングプログラムの開発や研究に取り組む方が著者。
・全編カラーで読みやすい。イラストやデータも満載ながら、レイアウトが丁寧で、必要なこと、大切なことが何かがパンッと伝わってくる。

・保健体育の副読本にしてほしいくらい良い!

・アスリートはもちろん、今はスポーツに取り組んでいない女性も、知っておいたほうが満載。月経が起こる仕組み、月経痛が起こる理由、トラブル時の受診の目やすなども載っている。食事や栄養も写真や一日のスケジュールを示すなどわかりやすい。これから月経が来る女子をもつ保護者にも有用。
・スポーツに取り組む若年者をディレクションしたりサポートする立場の大人が正しい知識を持つことの重要性が伝わってくる。

・スポーツと月経対策やコンディショニング法は知りたかった人たくさんいるのでは。

・女性の身体が男性よりも不利なことばかりではなく、強みについても触れている。

・チームメイトに女性がいる男性も、知っておいたほうがよい。根本的に身体が違うこと。どういうメンタルとモチベーションの傾向があるのか。同じようにできること、できないことは何か。女性に特有なために配慮が必要なことは何か。話し合うための共有の土台づくりとしても最適。

・「男性と女性の体は、根本的に違う」「女性が男性化しても強くなるわけではない」「女性アスリートはあくまで女性。男性アスリートのミニチュアではありません」といったところは、スポーツ観戦者の立場からも、女性アスリートへ向ける眼差しにも点検するべきことがありそう。

・「スポーツの世界はまだまだ男性社会」「スポーツ指導者における女性の割合が小さい」「上の立つ人に女性が少ないということは、トレーニング方法や大会運営など、多くのものが男性目線になってしまう可能性が高い」「月経への配慮のなさ、妊娠・出産を経て競技に復帰することの壁」なども、女性の活躍のためでもあるが、どんな性も共にスポーツの振興を支えていくために大切なことだとあらためて感じる。

 

 

よい本(資料)を見つける力も、その本と鑑賞者の間に橋をかけるのも、鑑賞対話ファシリテーターの職能です。どうぞご活用ください。

seikofunanokawa.com

 

書籍『ぼくはクロード・モネ』

モネの「睡蓮」を鑑賞するとき、どんな機会があるだろうか。

美術のムーブメントとして、関連する画家の他の作品と並べて同時代性を感じることもできる。たとえば印象派展として。

 

ある実業家が寄贈したコレクションの展覧会で、その目利きぶりや好みの共通性やコレクションの意図や願いを他のコレクション作品と並べて感じることができる。たとえばフィラデルフィア美術館展として。


または、同じ作家の作品を頻繁に観るようになったときに、その画家個人の人生におけるその一枚の絵としても捉えることができる。たとえばクロード・モネ展として。

 

いずれの場合も、ある作品とそれを作った画家に最初に興味をもったときに、手にとってみたい一冊がこちらだ。展覧会により親しみをもって関われる。形状は絵本だが、子ども向けに限定されているわけではない。


「ぼく」という一人称でクロード・モネ本人が自分の画業を物語る形をとっている。
生まれてから亡くなるまで、家族や画家仲間などの人間関係が紹介され、時代の変化と共に画風も変化していく流れや、その時期を代表する作品などを、本人が説明していってくれる。

 

ちょうどこちらの本を読んだところで、人はなぜ物語を求めるのか、人間が物語だと認識する要素は何か、何が物語る価値があると認識されるのか、などを考えていた。

 

モネの絵本のように、「一人称を主語に、本人が人生を時系列で語っており、さらに有名な出来事や事物をつなぎながら、因果関係や起承転結を交えながら語っている」と認識したときに、人は耳を傾けるべき物語だと判断するのかもしれない。

 

もちろん史実に基づいて、それらをつなぐために、作家の気持ちや上京については想像を交えているところも多々ある(あります、と本でもことわり書きがある)。しかし、ここでは、事実かどうかよりも、「理解できること」を優先する場合、その正誤は重要でなくなるところがおもしろい。

物語として聞くことで、逆に「語られなかったこと」への想像も膨らむ。

 

挿画は絵本画家の個性を発揮しながらも、モネの作品を再創作してくれているのだが、これもまた物語る作業と似ていておもしろい。再話だ。
再話によって、ディテールは省かれるが、モネが「何をどのように表現したところが秀逸だったのか」ということがにわかに立ち現れてくる。

 

詳細な説明ではなく、簡略化する。物語るために必要な分だけを抽出することで、

関心を向けられる、理解できる、扱えるようになる。

物語のもたらす効果は大きい。

 

巻末も充実している。
「作品ギャラリー」人生の節目になった作品の図版が数点掲載されており、
「作品をたどる」小さな図版で年代を追って変化していく画風・画法がみられる。
「地図」「友人とキーワード」「年譜」など、展覧会の図版ほどの情報量はないが、必要な分量だけがあって、シンプルで読みやすい。

 

 「画家ものがたり絵本」としては、もう一冊フェルメールゴッホも出ているようだ。ぜひ他の作家の話も読んでみたい。

 

「20世紀美術史の基礎知識」から次の関心へ

11月30日、国際子ども図書館の講演会に行ってきました。
 
「20世紀美術史の基礎知識」
https://www.kodomo.go.jp/event/event/event2019-16.html

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国際子ども図書館で開催中の『絵本に見るアートの100年 -ダダからニュー・ペインティングまで』という展示会の開催イベントです。展示会自体が東京都美術館とのコラボレーション企画ということで、美術館の学芸員さんが2名登壇されての講演会でした。

 

上野公園の中には文化施設はたくさんあるけれど、そういえばコラボレーションって少ない。子ども図書館の館長さんからの挨拶で、「これまで上野動物園東京国立博物館東京文化会館とは一緒に企画をしてきたけれど、東京都美術館とは初めて」とおっしゃってました。

鑑賞者や来場者に「上野公園にはいろんな文化施設があるので、自分の足でぜひ訪ね歩いてね」とアピールするのも良い。けれども、館の方々自身がコラボレーションする場をつくるというのが一番存在をお知らせするのも、人を対流させるのが早い、こともある。AとBとの間にどんな関連があるのかを、図解したり何回も説明するより、実際にAとBが一緒になっている「場」に身を投じてもらう。

これからどんどんやっていただきたいです!

 

 

さて、わたしが今回この講演会に行ったのは、子ども図書館の展示会に行って、チラシをもらって知ったのがきっかけです。展示会の感想は▼こちらの動画で話しました。
note.com

 

このとき持ち帰った宿題。
『ダダからニュー・ペインティングまで』というサブタイトルの通り、美術のムーブメントに沿った展示になっていて、詳しい解説のパネル展示もあったのだけれど、それらを読み解けるような自分の中に体系立った「20世紀美術の基礎知識」がないということでした。

もしもこの講演会で学芸員さんが解説して「つないで」くれるならありがたい。

しかも対象が「中学生以上」となっていたので、わかりやすく説明してもらえるのでは?!とも期待しました。

 

 

当日の演題は2つあり、

1. 20世紀美術史の基礎知識

2. 上野アーティストプロジェクト2019『子どものまなざし』について

 

1. は、個々の美術の運動やムーブメントと関連する展示品の解説を中心としたスライドでの講義。

2. は、『子どものまなざし』の担当学芸員さんによる企画の趣旨や、各アーティストの紹介、見所などをスライドで解説。

でした。

 

 

●講演の感想

・21世紀に入って来年で20年経ち、今ようやく前世紀をふりかえりに適した時期になってきていると感じていた。去年から今年にかけて、19世紀末から20世紀初頭のあたりと現代との変化・変遷を感じる展覧会や場が多かったので、今回の展示や講演でもさらにその実感を得られたのはよかった。

・個々の美術のムーブメントは起きて消滅するわけではなく、その後のムーブメントへ既成のものとして引き継がれ、採り入れられ、あるいは別の地域で新たに興す火種になるというような話(意訳)は聞けてよかった。「19XX年代に○○主義が盛んになる」だけを暗記事項のようにのみ捉えるのは違うということ。

・わたしは「個々の」美術運動についての基礎知識はあったのだということに気づいた。展示会をじっくり観てきた後だったので、それをもう一度口頭で説明されたような感じがあって、正直、真新しさはなかった。個々をつないで体系立てることは、自力でやるしかないのか?

・「20世紀初頭には印刷物を通じて、国内にいながらヨーロッパの最新の美術動向を掴めるようになった」という説明に、当時の人が感じていた「同時代性」の感じが、今の自分の海外のものを採り入れている実感と相まって、想像がしやすかった。

・せっかく学芸員さんの解説であれば、「アーティスト(画家、作家、美術家)にとって、絵本とはどのような表現の場だったのか。国や時代や時期によってアーティストによっての扱い方の違い」などを知りたかった。

・「一人のアーティストの中でも作風や表現形式が異なっていくのが20世紀美術の特徴」というような話があったのは興味深かった。

・現在の東京都美術館の前身は、東京府美術館で、1926年に開館。日本で初めての公立美術館だったということは知らなかった。日本で公立美術館が誕生してから、まだ100年経っていないのだ...!という驚き。今ちょうど、黒田清輝横山大観岡倉天心あたりの美術運動について調べ始めたところだったので、覚えておきたい事項。

 

 

●進められた自分の考え・体系の歩み

・20世紀は人類史において短期間で劇的な変化の起こった世紀だった。それまでの正しさを壊しては再び創り、壊しては再び創るという運動が、美術以外にもあらゆる分野や階層で起こった。 

・既存のものを否定し、新たに創造することは19世紀までも繰り返し起こってきたが、近代化・産業化、王政から国民国家に転換する流れの中でそれが加速し、また日本を含めほぼ世界各地に行き渡った世紀だった。科学技術の発展も伴って、今、21世紀にふりかえってみれば、短期間のうちにまったく新しい概念や手法が採り入れられることもあった。激動の世紀だったと言える。

・20世紀の特徴の一つ。抽象と具体、潜在と顕在が繰り返し現れるように見える。

・展示会のパネルにあった「20世紀は、美術にとって新たな表現を求め、多彩な運動が繰り広げられた革新と創造の時代でした」をもっと掘り下げて知りたかった。

・具体的なムーブメントの特徴や、それに関わる人...それ自体を情報的に知りたいというよりは、文脈を観たい。つながりと流れで捉えたい。
 -各々が垂直軸(時間・歴史)、水平軸(地理)の両面からどのような関連があって、そもそもそれらはどのように世界や社会の影響を受けて成立したのか。
   -政治経済・自然科学・科学技術・産業・宗教など他の分野との連動があるのか。
   -20世紀と19世紀まででどのような抜本的な世界の様相の変化があり、その中で美術というのはどのような軌跡を辿っているのか。
体系的に俯瞰・概観し、大きなうねりや流れとして、20世紀美術のダイナミズムを捉えたいと思った。そこからまた個々のムーブメントやアーティストに戻って確認していくような学びをこの先採り入れたい。

・あらためて思ったのは日本で「美術史」と言ったときに、(西洋)が隠れている。あくまでもメインストリームであったヨーロッパとアメリカ、そしてその影響を受けた日本の美術の歴史しか言っていないということ。これは常に念頭に置きたい。これはこちらの番組でも話したことだけれども。

・同じ事項を美術史の軸で切ることもできるし、民族史や文化人類学としても切ることができるように、スケールを自在に持ちながら、調べながら鑑賞を楽しんでいきたい。

・20世紀美術史を語るための、「急速な近代化の中の美術」を語れるキーワードがあるのではないかと考えた。例えば狭いところでいえば、19世紀後半の印象派であれば、「写真、チューブ入り絵の具、蒸気機関車」というような。20世紀を語る上で絶対に外せないものが「戦争」だろう。それから「通信」「宇宙」「映像」。他に何があるだろうか。

 

 

 

......などなど考えてきたところで、この書評を見つけました。

honz.jp

 

そうだ、わたしが知りたかったのはまさにこういうことだった!!と解り、歓喜しました。

自分の関心にスマッシュヒットする文献や資料が見つけられたときの興奮といったら、他に代え難いものがあります。読んだのは書評だけで書籍の中身は読んでいないけれど、さっそく図書館に予約を入れました。

 

 

 

他にも、例えばこういうものによって20世紀の100年を感じてみることもできます。

www.nhk.or.jp

 

 

手元にある美術や世界史関連の参考書も、もう一度読み返してみています。
一度自分の中に問いを立てたから、ここからまた体系の枝が伸びていきそうです。

 

西洋美術史を鑑賞するときは必ず目を通す一冊
▲2つめの現代アートの本の中に20世紀美術を概観した項目が4ページほどあり、わかりやすかった。
▲チャート美術史は、図解で理解したい人におすすめ。各ムーブメントの関連がわかりやすい。また、ムーブメントの特徴も視覚的にとらえやすい。字数が少ないので端的に吸収できる。

   

▲世界史の図録は、当時の世界や社会情勢と芸術の関係を常に触れてくれている。

西谷修さんの著書は10ページ読んだだけで、その濃さに慄いてしまう。じっくり読みたい。わたしの好きな100分de名著のゲストの先生でもあったし、今年観た映画『太陽の塔』でも登場されていた。

 

探しているうちにこんなページも見つけたり。

43mono.com

 

 

講演会をきっかけに、これまでとこれからが一気につながりました。

またこの過程をホームページの記事で言語化しました。

seikofunanokawa.com

 

 

 

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講演会のおまけとして、『子どもへのまなざし』展の無料招待券をいただいたので、その足で東京都美術館に行ってみました。
土曜日で夜間開館。しかもコートールド美術館展も開催中。
空いているようだったけれど、それを尻目に(ゼータクだ...!)『子どもへのまなざし』展だけを観ました。

 

同時代性ということで言えば、まさにこれらは現代アートなのだな、と思いながら観ていました。
同時代の作家の作品を観るのは好きです。今生きている人の、最新の言葉や表現に会うことができるから。そこに同じ時代を生きている、生きてきた人同士の共感があるから。

もし対面で会えることがあれば、個人対個人として、直接聞いてみることだってできる。その可能性があるというのは、うれしいことです。
過去の巨匠の作品を観るのとはまた違う感覚があります。

 

それゆえに、この前で、鑑賞者同士が感想を語る、対話の場をひらくことができたら、どんなにか豊かなことだろうと思いました。
知識や見所や見方を教わる一方ではなく、ファシリテーターに全体重を預けて一対一のやり取りで進むのではなく、フラットに全員の持ち寄りで成立する鑑賞対話の場。

パーソナルな情感の表現が観て取れる作品が多かったので、話やすかろうとも思います。

 

同時開催の松本力の「記しを憶う」もよかったです。

ほの暗い展示室で、椅子に腰を下ろしてヘッドホンから流れるVOQの音楽を聴きながら、アニメーション映像を観ている時間。

たゆたう感覚...気持ちよかったです。

 

もともと東京都美術館のABCギャラリーは、建築空間が好きなので、何をやっていても観に行きたい気持ちでいます。吹き抜けの広々した感じと、まさに日本のかまぼこ型のヴォールト(天井)とそれと同じカーブを描く回廊のアーチ。

 

 

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映画、本、舞台、展覧会...等、
鑑賞対話ファシリテーションのお仕事を承っております。
お気軽にお問い合わせください。

 

Information

鑑賞対話ファシリテーション(グループ・団体向け)

・表現物の価値を広めたい、共有したい、遺したい業界団体、
 教育や啓発を促したい、活動テーマをお持ちのNPO団体からのご依頼で、表現物の鑑賞対話の場を企画・設計・進行します。
・鑑賞会、上映会、読書会、勉強会などのイベントやワークショップにより、作品や題材を元に、鑑賞者同士が対話を通して学ぶ場をつくります。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/kansho-taiwa-facilitation/

 

場づくりコンサルティング(個人セッション)

・読書会、学ぶ会、上映会、シェア会、愛好会...などのイベントや講座。
・企画・設計・進行・宣伝のご相談のります。
・Zoom または 東京都内で対面
・30分¥5,500、60分 ¥11,000(税込)
・募集文の添削やフィードバック、ふりかえりの壁打ち相手にもどうぞ。

https://seikofunanokawa.com/service-menu/badukuri-consulting/

 

場を体験したい方、募集中のイベントへどうぞ
▼2019年12月22日(土) 2019冬至のコラージュの会
https://collage2019toji.peatix.com/  (練馬)

▼2019年12月27日(金) 映画『ディリリとパリの時間旅行』でゆるっと話そう 
http://chupki.jpn.org/archives/4982  (田端)

▼2020年1月8日(水) 爽やかな集中感 競技かるた体験会
https://coubic.com/uminoie/174356 (横浜)

《レポート》映画『蜜蜂と遠雷』を語る会、ひらきました

ひらいてからだいぶ時間が経っていて、「レポート」っぽいものは書けないのですが、でもやはりとても良い体験だったので、綴っておきたい。

 

こんなふうに参加者を募りました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

ひらいてよかった。とてもよい時間でした。

Zoomでひらいたこともあり、午後のひとときをご自宅でくつろいだ気分でご参加いただけたようで、よかったです。

Zoomで鑑賞対話の場をひらくときには、Face to Faceの場とは違った良さやコツがあるので、またいずれまとめたいと思います。

 

 

 

4名にお集まりいただきました。

原作も読んでいる方ばかりだったので、原作を読んでいない方への配慮も全く不要で、映画と原作が混ざりながら90分+放課後30分=最大120分、めいっぱい語り合いました。

ピアノを習ったことがある、演奏経験がある方ばかりでもあったので、音楽と小説の贈り物を感受、祝福する時間でした。

 

「実写化」されたときのキャラクターのイメージや描き方の話からはじめたのですが、まずもう楽しかった。自分のイメージを絵に描いていた方もおられました。イラストレーターさんなので本職でもあり、すばらしかった。小説からここまで立ち上げられたらすごいなぁ。

 

 

それ以外の話題は、当日のメモを手がかりにしようと見直してみましたが、残念ながらあまり思い出せず。。^^;

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そもそもわたしは場で「どんな話題が出たか」よりも、「どのような熱中があったか」「どのような景色をみんなで見たのか・本質に至れたか」のほうに関心があるので、一つひとつの話はあとから思い出せないことが多いです。

もちろんその時間の中では覚えています。いつ誰がどんな話をしたのかを握りながら進めていますが、場が閉じられるとあとは霧散して、感触しか残っていないということが多いです。

あいだの時間は一生懸命聴いたり話したり、とにかく徹底的に場にいる、ということを大切にしています。だからこそ深い対話ができると思っています。記録しながら進行もできなくはないですが、どうしても場にいて聴くことが手薄になる感じがあるのです。

客観的な記録を取ろうとするなら、やはり記録専門に場にいる人が必要になります。どういう順番で誰が何を言ったのか、メモをとり、写真をとる人。

 

記録もファシリテーションも一人でやれてしまう人もいますが、わたしのようなファシリテーターもいますということで、両立できない!と悩んでいる方は、どうぞご安心ください。

 

 

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この日一番わたしが心動かされたのは、会の終わりのほうで対話が熟してきたときに、生まれ共有したことでした。

それは、小説と映画と二つの表現形式で、世界観を構築してもらえたことで見えてきたもの。

クラシックと呼ばれる音楽の持つ本質や盤石さがあり、それを皆で尊ぶ時間を過ごしたという感触です。

 

パンフレットにも掲載されていた小説家の恩田陸さんのインタビューの中にある言葉、

すべての音楽がBGM化されてしまった。
「能動的に音楽を聴く」ということがなくなりつつある。

 

そして、監督・脚本・編集の石川慶さんの言葉、

亜夜の最後の演奏シーンで、自分はずっと昔からクラシックファンだった!と興奮して、聴き終わってほしい。それだけです。

これらの作り手の切実な思いを場で受け取り、味わえたことが、今もとてもうれしい。 

小説の中に出てくる印象的なフレーズの一つ、「音楽を連れ出す」をみんなでやったのだろうと思います。

 

皆で語ったことで、一人ひとりの登場人物が生きて居るようになる。

そしてその人物たちが人生を賭して求めているものに触れる。

物語を通して、それを表現した作り手の思いをわたしたちにも「それ」へのアクセスが可能になる。
「それ」から流れ込んでくるものによって、わたしたちは一人ひとりこの先も生かされていく...。

 

そのような体験でした。

 

一人ひとりで読む、観るときにもそれは受け取っているのだろうけれど、とりきられた場で取り扱うことによって、他者の経験からより自覚させてもらえる、他者の立会いの元、確かな感触を得る、ということが起こります。

鑑賞対話の場ならではの体験です。

 

こうしてみんなで語り合ったあとに、もう一度映画を観ると、また味わいが深くなるだろうなぁと思います。願わくば、また映画館のスクリーンで、よい音響で観たいものです。

 

 

途中途中で、作品や音楽関連する書籍なども、紹介しあいました。

一見情報のようなのだけれど、物語も音楽も愛している方々が見つけて、鑑賞して培ってきたものの豊かさ、この文脈の中だからこそ出てきたもの。それにふれられることもまた、場における喜びのひとつです。

 

●原作本

 

●映画『蜜蜂と遠雷』のコンクール課題曲が収められたもの。8枚もCDが入っています。こうしてじっくり聴いていると、ピアノって打楽器だったんだなぁと思い出します。このアルバムの他に、実際に映画で使われた、ピアニストたちの演奏CDが演者ごとに販売されています。

 

 

恩田陸さんによるスピンオフ短編集『祝祭と予感』。

 

●コミック版『蜜蜂と遠雷』。小説、映画ときて、コミック。様々な表現形式で描く世界。 

 

●この動画ご紹介いただきました♪若さと音楽の歓び溢れる♪

 

●『ピアノの森

www.nhk.or.jp

 

羊と鋼の森

hitsuji-hagane-movie.com

 

最後に、 

これから映画『蜜蜂と遠雷』をご覧になる方におすすめの3点。

  1. 原作を読んでから観たほうが、受け取れるものが多くなります。
  2. キーになっている音楽は何回か聴いていくと、受け取れるものが多くなります。
  3. パンフレットが入手できるようなら、ぜひ鑑賞後にお求めください。とても丁寧に作られています。

 

ご参加くださった皆さま、ご関心をお寄せくださった皆さま、

ありがとうございました!

 

 

Information
鑑賞対話ファシリテーターにご相談ください。

企業や団体で教育普及、広報宣伝などを担当されている方向け。
映画、展覧会、書籍、舞台芸術など、鑑賞対話の場づくりのご依頼をお待ちしております。
鑑賞者同士で話す場、専門家と非専門家が知を交換する場。お互いを尊重し、補完する対等性のある場。知の交流と学びの楽しさを集う人一人ひとりが感じる場です。
企画・設計・ファシリテーション・集客サポート・レポートを担当します。
参加者4名から100名程度まで。

お問い合わせはこちらへお願いいたします。

 

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場づくりコンサルティング・個人セッション
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・Zoom または 東京都内で対面
・30分¥5,400、60分 ¥10,800(税込)
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・好きなもの・ことを共有する・考える・創る機会づくり
・企画・設計・進行・宣伝のご相談のります。
・募集文の添削やフィードバック、ふりかえりの壁打ち相手にもどうぞ
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まずはどんな場をつくっているのか、体験してみたい方は、直近のイベントにお越しください。

▼2019年12月22日(土) 2019冬至のコラージュの会
https://collage2019toji.peatix.com/  (練馬)

▼2019年12月27日(金) 映画『ディリリとパリの時間旅行』でゆるっと話そう
http://chupki.jpn.org/archives/4982 (田端)

▼2020年1月8日(水) 爽やかな集中感 競技かるた体験会
https://coubic.com/uminoie/174356 (横浜)