ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『悲情城市』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

※内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

9本目は侯孝賢監督『悲情城市』1989年制作。
原題:悲情城市、英語題:A City of Sadness

あらすじ・概要:悲情城市|MOVIE WALKER PRESS 
        ぴあ映画生活

  

youtu.be

 

悲情城市』は、わたしにとって、今回の連日の鑑賞の本丸だ。高校生の頃にレンタルビデオで借りて観て、しかし全くわからず、その後はふりかえることもなく、この30年弱を過ごしてきた。

この特集期間中、8本の台湾映画を観てきて、わたしなりに台湾の歴史をざっと抑えたので、少しはわかるようになっているはずだ。少なくとも30年前よりは。

自分が何を見るのか、どんな感想を持つのか、どんな映画体験なのか。この日を本当に楽しみにしていた。

平日にもかかわらず、チケット予約は5分で完売となっており、わたし以外の人にとっても関心が相当高いことがうかがえた。

 

とはいえ、一体何から書けばよいのか。10日経ってもまだおさまらない興奮を引きずりつつ、今回の感想をいくつかに分けて記録してみる。まとまらないので箇条書きで。

 

1.  「日本人」であるわたしにとって

まずはとにかく、これを書かねばと思う。日本に生まれ育ち、日本の国籍を持ち、今も日本に暮らし続けるわたしとして、これは自分に関係がありすぎる作品だ。

・映画は、玉音放送ではじまる。1945年8月15日。これほど長く玉音放送を聞いたのは初めてかもしれない。日本にとっては「終戦の日」だが、台湾にとっては、1895年の日清戦争後の下関条約締結以来、51年続いた統治の終わり。祖国中国復帰の日。しかしこれは新たな苦難のはじまり。

・写真を撮る掛け声は日本語「笑ってよ、撮りますよ」。人々は日本語混じりで話す。「写真」「きれい」「大丈夫」「しばらく」など。

・林家の2番目と3番目は日本軍として徴用された。2番目の文森は軍医。ルソン島で行方不明に、3番目は通訳。上海から復員したが、精神錯乱の状態で一時病院にいる。

・呉寛栄(ウー・ヒロエ)、寛美(ヒロミ)のきょうだいは日本名。(1937年に台湾の皇民化運動開始。日本語の強制使用、日本式姓名への改名など)

・林家の4番目文清が寛栄と住んでいる写真館は、日本家屋。襖、障子、畳、床の間。

・バイオリンの奏でる「ふるさと」が流れる。

・小川静子。台湾で生まれ育った静子にとって、引揚船で帰国しなければならない先の日本は異郷。

・病院での北京語の授業。日本の撤退によって、日本語から北京語へ言語が変わる。『恋恋風塵』でも「おれたちの言葉も日本語から北京語に変わって、勉強は全部むだになっちまった」という台詞が出てくる。

・「九・一八、九・一八、あの悲惨な日から」の歌詞。柳条湖事件の起きた日、満州事変のはじまり。日本が満洲を侵略した。

・学校の教室で「赤とんぼ」をピアノを弾きながら歌って教える静子。

・静子と日本語で話す寛美。

・「日本人と桜」について語る寛栄。

・日本軍が撤退時に始末しきれなかった日本紙幣がヤミで出回る。

・「日本時代は戦時中でも米は配給された。陳儀が来て1年で米の値段は52倍、月給はわずかしか上がらない」(大陸を追われた中国国民党が台湾人を抑圧している)

・長男・文雄と三男・文良を軍が逮捕しにくる。漢奸(かんかん、ハンジェン)の嫌疑の密告。漢民族の裏切者・背叛者。この映画の状況では「対日協力をした売国奴」となるが、51年も支配下にあった台湾では、戦時中に日本国民として生きていた台湾の人たちは、誰もが罪になってしまう。

二・二八事件が勃発し、台湾人(本省人)により外省人への憎しみが噴出。文清は「あんたどこの人か」と日本語で尋ねられる。(日本語がわかるかどうかで本省人外省人かを判断して、わからなければ外省人として殺そうとしていた)

 

ドキュメンタリー映画『台湾新電影(ニューシネマ)時代』で、「ヴェネツィア映画祭で金獅子賞をとったものの、西欧の人間には背景がよくわからない」というインタビュイーが登場していたのを思い出した。確かにこの作品は、歴史的背景の予習をしてからでないと難しい。

さらに、欧州の人にとってアジア系の顔立ちは似て見えるだろうから、引きのショットの多いこの映画の登場人物を見分けるのは、かなり難しいことだろう。名前も馴染みがない。言語や文化の違いも知らなければ読み取れない。(そのような難しさはあっても、世界から評価されたことがすごいと思う)

しかし、「わたしは」、同じように感じていてはいけない。

「日本」や「日本語」「日本人」と語られる場面に、わたしはいちいち驚き、台湾で起こったことと、日本との関連についてあまりにも無知であることに気づいた。

もちろん『悲情城市』は反戦反日の映画ではない。そのような政治やイデオロギーについて語る映画では全くない。台湾の人たちにとっても、戒厳令が敷かれていた1987年(この映画公開のたった2年前)までの38年間に起こった語れないままだったこと、所在なさのようなものが詰まっている。かといって、「台湾の人たちのアイデンティティ確立のため」と閉じてもいない。ある時期の、ある場所の、ある家族の、ある人間の物語を通じて、普遍性を描きだしている。

 

今の自分たちがどのような歴史の上に立っているのか。

歴史を学び、新しい説が出たり、新しい事実が発掘されたり、新しい表現が出るたびに、学び直しながら、今とこれからをどのように生きるかの糧にしている。

一方で、日本の関与した重要な事柄について、このように偶然出会わなければ、知らないで過ごせてしまえる。こんなにも近い隣国なのに。見落としているものや視界に入れていないものがどれだけ多いのかと思う。

2021年の今、一体このことをどう考えたらいいのだろう?

 

 

2.  映画作品として

・2時間39分は長いと感じなかった。むしろ、次から次へと起こることに集中していたので、あっという間だった。

・一定のテンションで観客を最後まで連れて行ってくれる。これは「基調」の効果だろう。長らく侯作品の脚本を書いている朱天文さんが、著書『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』 で紹介している張愛玲の言葉を思い出す。

「人生の穏やかさを基調にして人生の高揚感を描く。この基調無くしての高揚は浮ついた飛沫でしかない。多くのパワフルな作品は人々に興奮をもたらすが、啓示をもたらすことはない。その失敗は、基調を把握するすべを知らないことにある」(中略)『フラワーズ・オブ・シャンハイ』が撮ろうとしたのは、まさにこのことでしょう。つまり、日常生活の痕跡、時間と空間が創り出すその瞬間の、人物の生き生きとした様子、その輝きを撮りたいということなのです。(p.216より引用)

『フラワーズ〜』以前からも侯作品にはこの基調があり、『悲情城市』にもいかんなく発揮されていると、わたしは感じた。

・歴史劇ではあるが、TVの大河ドラマのように全く説明的ではない。わからないから、画面の中で起こっていることから、必死に理解しようとする。画面外で起こっていることへの想像も広がる。経緯やここからの経過。能動的であればあるほど応えてくれる映画。そのときどきで必要なものを受け取れる装置。

・「まるでそのようにすべてが生きていたように」作り込まれた侯孝賢とそのチームの映像世界は、情報量が多く、奥行きがある。濃い。本物だと信じられる。すべてにおいて。そのようにつくっている。強度がある。だから古びない。古びないように風雪に耐えるように強く作ってあるのかもしれない。

・時代の空気を取り込みながらも、今この時代の人とだけ共有できればいい、「ウケればいい」というものは作っていない。このようなものの作り方は主流にはなりにくい。けれども決して保守には陥らず、毎作、彼(かれら)としての新しい試みに挑戦しており、排他的ではない。観客が能動的であることは常に求められるが、それは「アート」だからだろう。

・35mmフィルム上映で公開当時の画を感じられたことは意味があった。観ながら、1990年にトリップし、さらに劇中の1947年にトリップする。フィルムならではの光と影の質感。もちろんデジタルリストアされれば、また分かってくることも多いだろうし、受け取るものも変わりそうだ。

・フィルムならではのこととして、チェンジマークの出る前後の揺れが懐かしかった。この呼吸、間合いを含めて、編集というのはかつてなされていたのかもしれないと思う。また、映画終了後に数秒、真っ黒なコマに傷か埃のあとがチラチラと映る時間があって、まるで宇宙で小さな星が誕生する最初のはじまりのような、電子の光のように見えて、美しかった。

・文清が聾唖で、寛美が寡黙であることが、この物語に落ち着きと静寂をもたらしている。筆談で語り合うシーンは、サイレント映画のような叙情がある。寛美が豆の筋取りをしているときに文清が帰ってきて、二人が筆談をする円卓のシーンは、もしかしたらこの映画の中で一番と言えるほど印象深い。

・おびただしい人が犠牲になったことが、林家とその身近な人々を写すことを通して、容易に知れて胸が痛む。

・個人の力ではどうしようもない流れの前に、抗い、もがき、立ち尽くす人たちの姿。このような「悲情」は背景を知らないとしても(前述と矛盾するようだが)、どの人にも共感できるものだ。

・わたしが高校生で観たときの記憶はほぼ失われているが、どこかしら印象深い映画ではあったはずで、だからこそ今、こうして出会い直せている。たとえ前提がわからなくても、なぜか気になる、惹かれる、観てしまう。映画の力だろうと思う。

・そのときはわからなくても、後年、必要なタイミングでまた出会える。出会えるようにしてくれているのは、この文化を継いでくれている人たちがいるおかげだ。

・侯の映画が、観客を非日常の精神世界に導きこそすれ、絶望に陥れないのは、どんな状況にあっても人々が「生活」をしているからだ。作り、食べ、繕い、掃き、営む。山があり海があり、見晴るかす場所に立っていると、人生は続くと思える。

トニー・レオン森雅之に似ている。(最近『雨月物語』を観たので思い出した)

・『春江水暖』(グー・シャオガン監督, 2019年, 中国)は台湾ニューシネマの遺伝子を受け継いでいる。あちらも4人兄弟、『悲情城市』も4人兄弟。時代に翻弄されていく人たちを雄大な山河のように、ただ見つめるように描く。批判も過度な感情の煽りもなく。

・林家の4人の男子は、時代と暴力の犠牲になった。「男子が産まれるように」と願われる文清の結婚式のシーンとオーバーラップして、悲壮である。

・お茶を飲む、ご飯をつくる、給仕する、食べる、繕ものをするなどの日常の生活に人の生きる痕跡を見ようとするのが、やはり侯孝賢の目だ。人によっては「そんなん写して何がおもしろいんだ」という反応もあったかもしれない。そういうものにこそ、撮る価値がある、映画という形で作り、記録することの大切さを教えてくれるアーティストの一人だ。

・チンピラや上海やくざとの取引についてのやり取りや、小競り合いのくだりはよくわからなかったので、公開当時のパンフレットを取り寄せた。インタビュー、解説とシナリオ再録を読んでやっと理解した。充実の記録。

f:id:hitotobi:20210525214809j:plain

 

 

3. 1989年当時の台湾のこと。 わたしの10代。現在の日本社会と世界。

・映画が完成した1989年当時の台湾をふりかえると、1987年に38年間続いていた戒厳令が解かれたばかり。体制と価値観の転換が起きている激動の時期だろう。

ドキュメンタリー映画『台湾新電影(ニューシネマ)時代』の中で、香港の映画人が、「1980年代に台湾の映画人たちがどのような状況下にいたのか、あまり知らなかった」というような発言をしている。後になってわかることがある、ということと、同時代では見ようとしなければ見ることのできない、伝えようとしなければ伝えられない事実があり、伝えることも見ることも禁じられる事態が社会には起こりえるということを思う。

・わたしも今回、映画を通じてでなければ、当時の台湾社会に関心を寄せることはできなかっただろう。文化や芸術によって人類はつながりをもてる。文化では分断しない。

・1947年、二・二八事件の年に生まれた侯孝賢が、自分の知る由もないあの時代を撮ろうとしたのは、なにか背負うものがあったのではないだろうか、と想像する。

・1989年といえば、天安門事件ベルリンの壁崩壊(と東欧の社会主義体制の崩壊、冷戦終結)だ。日本では昭和天皇崩御(昭和の終わり)。32年前。激動の年だった。その意味がわかるのはずっと後になってからだ。つまり、今。

(参考記事 https://globe.asahi.com/article/12468872

・1980年代はわたしが物心ついてから10代を生きていた真っ只中だ。1989年は中学生だった。わたしの10代は、日本は戦後ではあったが、世界にはまだ戦争があった。冷戦、内戦、粛清。

・今もある。戦争は形を変えているだけだ。香港、ミャンマー新疆ウイグル自治区パレスチナ。そして一旦民主化したはずの国の排外主義、極右化。

・中国の一定以下の世代は、天安門事件を知らない。厳しい言論統制の元、海外へ逃亡した人たちもいまだ危険を感じながら生きている。人々の口にのぼらず、記録されたものも目に入らなないようになっていれば、知りようがない。

https://www.businessinsider.jp/post-192035
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190815/index.html

・「知識人」、表現と言論の自由。映画の中でも描かれていたが、まずはここから弾圧されていく。映画を作り続けることの意味、本を書き続けることの意味、対話の場をひらくことの意味。

 

 

 

▼K's cinemaのロビーに飾られていた写真。

f:id:hitotobi:20210515124148j:plain

 

4.  映画から展開して知りたいこと

台湾語と中国語の違いについて

言葉が重要な鍵になっている映画でもある。日本語はもちろんだが、台湾語、北京語、広東語、上海語が混じるが、お互いの言葉がわからないという場面が出てくる。

www.ntctaiwan5.com

▼共通語は北京語、台湾の複雑な言語事情(2010年の記事)

10年以上前の記事だが、現在はどのような状況なのだろうか。

www.afpbb.com

 

▼台湾 日本語の勉強会も(2021年の記事)

台湾の方々が、「美しく正しい日本語を残そう」と活動されているのは不思議で驚きで、でもうれしいつながりでもある。

この世界はそんなに単純ではない、ということだろうか。「自分たちを支配していた言語だから忌み嫌う」という面ももちろんあるだろうが、言葉や衣食住など生活や日常に食い込んでくるものだ。白黒つけられないと感じた。

mainichi.jp

 

パラオに赴任した中島敦が、現地の人に日本が教育をするのはおかしいんじゃないかと苦悩していたことを思い出して、こんな記事や論文を読んだ。日本の植民地政策についてもっと知りたい。

moriheiku.exblog.jp

 

『旧南洋群島における国語読本第5次編纂の諸問題 ―その未完の実務的要因を中心に ―』橋本正志(立命館大学)発行年不明

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/594PDF/hasimoto.pdf

 

▼25年目の『悲情城市』(2016年の記事)

cinefil.tokyo

 

▼台湾の歴史的事件を記録した、侯孝賢の初期集大成(2021年の記事)

news.yahoo.co.jp

 

▼『悲情城市』の歴史的背景のまとめがわかりやすい

taiwan-gyunikumen.style

 

▼こちら買ってみたのだけど、つらくて読みきれなかった。

books.rakuten.co.jp

 

白色テロを題材にした2019年の台湾映画。歴史の問い直しは新世代に引き継がれている。

台湾では、『悲情城市』(1989年/監督:侯孝賢)や『スーパーシチズン 超級大国民』(1994年/監督:萬仁)以降、二二八事件や戒厳時代の白色テロをきちんと描写した映画作品が20年以上現れなかった。(中略)台湾でも「韓国はできるのに、どうして台湾は二二八事件や白色テロをテーマにした商業映画が作られないのか」という議論が巻き起こった。そうした指摘に対し、今回の『返校』は、台湾映画が得意のホラー路線で大いに応えたといえそうだ。

www.nippon.com

 

▼映画の中に出てくる紙のお金?ってなんだろう?に答えてくれているブログ

taiwangohan.blog.fc2.com

 

▼台湾で今でも慕われる八田技師 ダム建設で緑の大地に。

八田さん、金沢人にはお馴染みの方だろうか?「慕う」以外の統治時代の話も最後に書かれている。

mainichi.jp

 

▼舞台になった九份

今は観光地。下の方に『恋恋風塵』にも出てくる坂道の写真が出てくる。

tabi-mile.com

youtu.be

 

 

『台北・歴史建築探訪ー日本が遺した建築遺産を歩く』片倉佳史(ウェッジ, 2019)

この映画を観た直後にお会いした方から、今のわたしに必要な本を譲り受けた。関心を表現し続けることで、つながる、出会う、広がる。

www.instagram.com

 

今回の再会をきっかけに、これからもまだまだ出会って行けそうだ。

かつての台湾にも、現在の台湾にも。

 

台湾巨匠傑作選は、あと6本観る予定だ。

台湾映画の歴史を「中から」観たドキュメンタリー、『あの頃、この時』を見れば、また新しいことがわかるかもしれない。

悲情城市』ももう一度観るつもりだ。

www.ks-cinema.com

 

 

関連記事

映画『日常対話』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『台北暮色』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『風が踊る』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『HHH:侯孝賢』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『冬冬の夏休み』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『恋恋風塵』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『坊やの人形』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『台湾新電影時代』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『童年往事 時の流れ』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『ヤンヤン 夏の思い出』鑑賞記録

映画『台湾、街かどの人形劇』〜伝統と継承、父と子、師と弟子

映画『台湾、街かどの人形劇』(台湾巨匠傑作選)2回目の鑑賞記録

映画『あなたの顔』鑑賞記録

「台北ストーリー」でエドワード・ヤンにまた会えた

本『侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と私の台湾ニューシネマ』読書記録 

 

*追記 2023.7.9

台湾在住の文筆家、栖来(すみき)ひかりさんによるコラム

note.com

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 

 

 

シブヤ大学×きみトリプロジェクトのコラボ授業をひらいて

先日、シブヤ大学さんときみトリプロジェクトのコラボ授業、「みつけよう!いまのわたしが踏み出せる一歩 ~きみトリプロジェクトから学ぶ、対話と場~」に講師として参加した。


▼授業詳細

www.shibuya-univ.net


▼きみトリからのレポート

note.com

 

きみトリプロジェクトは、わたしも共著者の一人である『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』の出版と普及のために立ち上げた活動で、来年3月までの予定で、この一年、集中して取り組んでいる。

本を通じてアイディアを届けることも一つ、そこからさらに、本を通じて対話の場をつくり、一人ひとりが自分の人生のために、だれかと共に生きる社会へ一歩を踏み出してもらいたいと意図している。

 

今回ご縁のあったシブヤ大学は、数年前に授業を受講したことがあるだけだったが、市民の学び場となるべく確固とした軸を持ち、活動を続けていらっしゃる様を常に目の端で追ってきた。一度、「本をテーマにした授業を作らないか?」とお話をいただいたこともあるが、いろんな事情で実現しなかった。それから4年、まさかこんな形で叶うと思っていなかったので、とてもうれしい。

 

この授業は、コーディネーターの槇さんが、ご自身の問題意識から企画してくださったのだが、「講師の先生に中身はお願いします」という形ではなく、同じく共著者のライチさんとわたしと3人で、何度もやり取りを重ねて、共につくっていけたことがうれしい。

槇さんは『きみトリ』のクラウドファンディングにサポートしてくださり、本も読み込んで読者として「良い」と感じてくださったのだが、そこからさらに「自分の関わっている現場で、自分の活動と掛け合わせて、新たな機会がつくれる。それがわたしにとっての一歩だ」と動いてくれた人。

きみトリプロジェクトは、まさにこのような現場を持って動く「人」、経験はないけれどやってみたい!と一歩踏み出してくれる「人」の働きかけで広がることを期待している。名も無き市民による活動も、このような縁がつながることで、展開していける。

 

f:id:hitotobi:20210525125328p:plain

 

当日の講座は、「それぞれの想いから手の届く範囲の社会へとみなさんが一歩踏み出す」ことを目指して組み立てられ、槇さんがメインで進行しながら、ボランティアスタッフさんのきめ細かいサポートを受けながら、

・10代の感覚を掘り起こすシェア

・一歩踏み出した例を講師たちから聞く

・踏み出すときの「会話」や「場」をつくるレクチャー

・やってみたいことのシェア

と進んでいった。

 

わたしの感想としては、とにかく楽しかった。もっと皆さんとお話したかった。「人と何かをしたい」「こんな場・活動をつくりたい」と思っている人たちと一緒にいるのはやっぱりいい。幸せだ。参加者の方々の、シブヤ大学さんのつくる場への期待と意欲を感じる。

初めて会う人に聴いてもらえるのが、まずは第一歩になった方もいるかもしれない。いるといいな。

温かな関心をもって、共感して聴いてもらえる場で、まずは口にしてみる。それができる場が貴重。そのときはわからなくても、あとあと振り返ったときに、「思えばあれが」という一歩になっている。

 

実際、そのように小さくつくった場のことを紹介した。2014年〜2016年にひらいていたブッククラブ(読書会)。今思えば、「生きるためにつながる」切実で大事な一歩だった。

▼ブッククラブ白山夜

hakusan-yoru.jimdofree.com

 

授業の冒頭に、コーディネーターの槙さんからの、「目指す”べき”目標を追ったり、正しい答えを探すのではなく、自分にとってこれが大事を見つけられたら」という前提の共有が印象深い。いつでも立ち止まったり、振り返ったりして(またそれを自分に許可して)、「今の自分」を起点に見出したい。

 

そのときに、「10代の頃の自分が感じていたこと」のシェアのように、10代の自分に相談しにいくのもおすすめだ。感受性鋭い10代の頃の自分は、どういうことに関心や疑問を持っていたんだっけ?大人になった自分がそれに答えるとしたら?と問いかける。

これをテーマに友人と話してみるだけでも、大きな一歩。(会話のトリセツも参考に)

また、『きみトリ』を読むだけでも、10代の頃の感覚を思い出したという大人も多い。ぜひ手にとって、気になるテーマ一つだけでも拾い読みしてもらえたらと思う。

 

だれからも頼まれていない、ひたすらに自分たちの切実さからつくった本。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』稲葉麻由美、高橋ライチ、舟之川聖子/著(2020年、 三恵社)

 

当日の様子を見ていると、たくさん話したい方にとっては、物足りないなかったかもしれないし、勇気を出してこの講座に来た方にとっては、前段があるからこそ話すハードルが下がったかもしれない、その両方を感じた。

いずれにしても「自分の中に話したいことがある」に気づいていただけたならうれしい。この場をきっかけとして、明確に言葉にならなくても、必ず何かは進んでいる。発見している。

そして「もっと話したかったのに!」は「自分の切実さ」なので、この衝動から「自分で場をつくってみる」「自分で旗を立ててみる」にもぜひ挑戦してみていただけたらと思う。そのときに、レクチャーでも使ったこんなイメージも活用してもらえたら。

 

f:id:hitotobi:20210523181117p:plain

 

小グループの部屋では、
「所属している場はいろいろあるけれど、自分発で場をつくったことがない」
「こういうやり方でやってみているけれど、人を集めるのが難しい」
「仲間がほしい」
......など、いろんな段階のいろんな「切実さ」を聴かせてもらった。

まずはどなたにも、「今、口にしたからきっと叶いますよ!」と言いたい。

 

とはいえ、思っていたよりも、実現に向けて動いている方がいらっしゃるようだったので、ぜひこちらの連載記事を読んでいただけたらうれしい。

お寺の方向けのウェブサイトだが、どんな活動の人にも参考になるように書いている。また、感染症流行のため、「オンラインでやるとしたら」という発想の転換は必要だが、何かしらのヒントがあると思う。

 

寺子屋学:場づくりを成功させるための5つの鍵

terakoyagaku.net

 

個別のご相談もぜひご活用いただきたい。ヒアリングの上、具体的な提案、アドバイスもできる。わたし自身が場をつくる上で、「こんな相談ができる人がいたら!」と思ったことがきっかけになっている。相談に来られた方に寄り添いながら、納得のいく道を見つけられるよう、サポートしている。

▼サービスメニュー:場づくりコンサルティング

seikofunanokawa.com

 


普段の会話を対話的にするコツ(会話のトリセツ)

イベントや会の形にして、もっと会いたい人に会い、話したいことを話せる関係をつくる(場のトリセツ)

『きみトリ』を使ったこの流れのレクチャーが作れたのも、わたしにとって収穫だった。今後、他でもぜひ活用していただきたい。

note.com

 

 

(2021.6.19追記)

シブヤ大学さんからもレポートが出ました。簡潔&温かみのあるレポート。

www.shibuya-univ.net

 

映画『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

 新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

※作品の内容に深く触れています。未見の方はご注意ください。

 

12本目は、侯孝賢監督作品『フラワーズ・オブ・シャンハイ』。

原題:海上花、英語題:Flowers of Shanghai

1998年、日本・台湾合作

あらすじ・概要 https://www.ks-cinema.com/movie/taiwan2021/

 

youtu.be

 

youtu.be

 

これは、演劇? それとも夢?

 

黒字に赤のタイトルが鮮烈。このフォント、このタイトルクレジットにまずぐっと掴まれる。

続いて、きらびやかな娼館の室内、調度品、衣裳をまとった人たちの物憂げな仕草、大敗的なムード、そこにたゆたうように流れる音楽......。あっという間に、非日常の時間と空間に放り込まれる。

 

じゃんけん酒飲み、ごはん(美味しそう)、水タバコ、アヘン、おしぼり、お茶、言い合い、噂話、愚痴......。これが延々と繰り返されながら、トレイラーのような耽美な世界観が2時間弱、ずーーーっと続く。

切り返しなしで、左右にゆったりと振れるカメラ。じっくりと撮っているが、クローズアップもなく、一定の距離感を保ちながら、質感を映し出している。画面に映るものすべてが「ほんもの」。どのシーンを切り取っても、画になる。

画になるが、俳優を撮っているというわけでもない。人間が作った美の中にいる、美しい人間。その造作だけでなく、醸し出す雰囲気、存在感、すべてが観る対象になっている。どこに目を移しても発見があるし、美を感じられる。

美を表現するのに、これほど贅沢に盛り込まれ、これほど抑制的に撮れるというのは、すごい。だからこそ2時間も飽きずに、いつまでも観ていたいと思わせるのかも。

 

聴き慣れない言葉も耳に心地好い。

実際は、上海語がメイン。主役のトニー・レオン上海語が話せないため、母語の広東語で。羽田美智子は日本語で同じ長さのセリフを話し、そこに広東語で吹き替えという複雑さ。言語の違いが分かれば、もっと味わいが違うんだろうなぁと悔しい。

 

あらすじや見所はあるような、ないような感じだが、まったくわからないと、それはそれで見るとっかかりがなく、何が起こっているのかわからなくなりそうなので、予習しておいてよかったとは思う。

 

映画を通して、ドラマ的な起伏も少ない。トニー・レオンが嫉妬に狂って、室内の調度品を破壊する場面や、妓女が客と心中しようとする場面あたりが一瞬そういうものではある。前者の場面も、その引き金になっている羽田美智子が演じる妓女の浮気と思われるシーンも、一瞬のことで、今の感覚から言うとあまり明示的ではないので、何が起こっているのかわからない。

まるでお能のような奥深さだ。確かに「男女の愛と葛藤」なのだが、こちらが能動的に観にいかなければ、その機微を感じることが難しい。会話と画面に映っているものがすべて。断片的な情報しかないため、妄想で補う。いや、むしろ補うことが推奨されている映画だ。放置されていると考えると不親切だが、どのように妄想してもいいと言われると心地好い。観たいように観てよい。

 

仄暗い中で、蝋燭の明かりが消えたり点いたりするような、瞼を開いたり閉じたりするような場面転換が何度も行われるが、常時同じ建物の、限られた部屋が映るだけで、外の世界のことはほとんどわからない。

ごくたまに朝や昼間の光が差し込むシーンがあり、それはそれでまた美しい。それ以外はずっとランプや蝋燭の光が室内をぼんやりと照らしている。たぶんそういう時間帯は夜なのだと思う。そのぐらい外のことがわからない。外からは、雨の音、虫の声や蛙の声、鳥の声などが聞こえてくるだけ。

この点、閉鎖的で観ていて苦しくなるかなと心配したが、演劇の舞台のようなので、思っていたような心理的圧迫は感じなかった。

 

男が女の元に通う、あなただけだよと言いながら他の女とも関係する、待っているしかない女。「あなたに捨てられたら生きていけない」という女。男は女に気に入られようとあの手この手を尽くすが、社会的立場としては女のほうが圧倒的に弱い。男から贈られる装束。お付きの女性が取り次ぐ、もてなす......。なにやら平安時代の貴族の館、和歌の世界、女房の日記文学の世界のよう。

 

 

美を追求しつつも、映っているのは、日常の生活。

人とすれ違うときの何気ない仕草、水タバコを取り扱う所作。完璧に使い慣れた道具のように扱う。どこに何があるのか、十分把握しているような馴染み方。

どんな場所にも、どんな時代にも、日々の生活がある。営みがあるということを思い出す。

お皿の片付け方、おしぼりの絞り方、椅子の座り方、お茶の飲み方......。お粥の湯気、タバコの煙、衣装の艶や刺繍の繊細さ。ディテールが細かく、正確。

 

 

先日の記事で紹介した朱天文さんの本『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』から、引用する。

『フラワーズ・オブ・シャンハイ』が撮ろうとしたのは、(中略)日常生活の痕跡、時間と空間が創り出すその瞬間の、人物の生き生きとした様子、その輝きを撮りたいということなのです。(p.216)

自分の手にあるもの、水タバコでもアヘンを吸うキセルであっても、道具という存在を意識しないほど慣れることにより、生活のリズムに近いものになっていること。そうすれば暮らしの中で、話をする姿ひとつにしても、すでに一部分となります。(p.218

脚本を書くときによく人物を立ち上げると言いますが、立ち上げるのではなくて、肝心なのはその人物が登場したとたん、その人物を信じることができるかどうかなのでしょう。(p.220)

長回しについて) 一つのシーンを一つのアレンジで見せるため、そこに何があるかは観客が自分で選択して見ることになる。映像からもたらされる情報は多元的で、複雑であり、これが長回しの系統ということです。(p.224)


このくだりを読んだときに、ああ、これは絶対に『フラワーズ・オブ・シャンハイ』を観なくては!と思った。この映画が気に入った方は、ぜひこちらの本も読んでほしい。

 

 

美しさに呑まれながら、映画として観てみると、娼館だから性的な描写があるのか?と思いきや、全くない。皆無。それを匂わせる寝所は映っているものの、どちらかというとごはんを食べているシーンのほうが印象に残る。そもそも客と娼婦が身体を寄せたり、積極的に抱き合ったりする場面も、数えるほどしか出てこない。(ふりかえってみると、もう少し王と小紅の仲睦まじい様子も見てみたかったな。)

 

男たちは昼間から娼館に入り浸り、ごはんを食べたり、酒を飲んだり、妓女とたわいもないおしゃべりに興じている。どういう身分、どういう仕事の人たちなのだろう?どういうところから金を得ているのだろう?そもそも租界なのに、「外国人」の出入りが全くない。租界の妓楼とは?調べたくなる。

 

断片的な会話を通して知る、この妓楼のヒエラルキー、規範、花街のしきたりが徐々に見えてくる。「7歳で女の子を買ってきて、10年かけて一人前にする」「商売に向いていない子は嫁がせる」。見受け話。遊女に正妻は無理、嫁ぐといっても妾になるのか?

映っているのは娼館だけだが、遊女たちは客と外出したりはできるようだと会話から知る。娼館で働いて家族を養っているらしい。借金もあるようだ。置屋の女将にぶたれたという訴え。売り上げのほとんどを女将が持っていってしまう。(性差の日本史展での、遊郭の経営者に酷い目に遭わせられていた遊女の日記などを思い出す)

遊郭という閉鎖的な空間。女たちの人生が少しずつ垣間見える。ここで生きるしかない女たちの悲哀のように見ようとすれば見える。すごく美しいのに、こんなに作り込まれて完璧なのに、一皮むけばもしかしたら、はりぼて......。

かりそめの関係と言いながら、男たちはもう何年も通っていて、妓楼の事情に精通している。また、ここだけで完結する深い情のようなものでつながっているようにも見える。

 

 

 

どうして毎作こうも違うんだろう。

通底しているものはあって、侯孝賢らしさはあるのだけれど、同じことはやらないと決めているのか、いろんな大人の事情でこうなるのか。ぜんぶ違うという印象。一つ一つが強烈な個性を放つ作品。

やはり全部観たい、観なければ、もっと知りたい、もっと創作の奥深さに触れたいと思わせる。

  

映画館の暗闇の中で、画と音に包まれながら鑑賞できる幸せ。

デジタル処理によって、ますますその美しさを発揮している。

 

これは良い夢をみた。

 

f:id:hitotobi:20210525081729j:plain

 

2019年TOKYO FILMEX上映時、オリヴィエ・アサイヤス監督のトーク。映像とテキスト。

『フラワーズ・オブ・シャンハイ』 Flowers of Shanghai | 第20回「東京フィルメックス」

 

youtu.be

 

メインテーマ。ここを流しているだけでうっとりする。

youtu.be

 

半野喜弘さん、その後映画音楽をたくさん作り、ご自身も監督をされている。

『フラワーズ・オブ・シャンハイ』での抜擢の経緯はこちらの記事にあった。

 

(追記 2021.6.7)

『フラワーズ・オブ・シャンハイ』は、中国の小説家、張愛玲(チャン・アイリン 1920〜1995)が清代の小説を現代語に翻訳した『海上花列伝』を原作としている。

張愛玲は、脚本を担当している朱天文の師である胡蘭成と深い関わりがあり、一時期結婚もしている。張愛玲と胡蘭成の関係をもう少し調べてからこの映画を見ると、また何か違うものが見えてきそうだ(下世話かもしれないが)。

そうしないまでも、この映画に流れ込んでいた支流について、また一つ知ったことで、わたしにとってのこの映画の存在が、また立体的になったと感じる。

 

さらに追記。

まさにこの二人の恋愛を描いた香港映画があったようだ。

『レッドダスト』原題:滾滾紅塵、英語題:Red Dust 1990年

レッドダスト : 作品情報 - 映画.com

『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』刊行記念のライブトーク:視聴メモ

誠品生活日本橋プレゼンツ、『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』刊行記念のライブトーク、とてもよかった。

seihin0523newcinema2.peatix.com

 

登壇者は、樋口裕子氏(翻訳家)、小坂史子さん(映画プロデューサー)、江口洋子さん(台湾映画コーディネーター)。
 
それぞれの立場から見た朱天文さんや侯孝賢監督の印象やエピソード、作品に対するご自身の感想など、惜しみなくシェアしてくださった。
 
5月に入って、侯作品を含む台湾映画を10本以上観てきて(明日も行く予定で)、パンフレットも熟読して、もちろんこの本も読んで、感想も書いてきた。
 
こういうわたしのような観客&読者にとって、きょうのライブはまるでご褒美のような時間だった。(今回は、メインのほうを中心に見ているので、「江口洋子スペシャルセレクト」まで手が回っていない。江口さん、ごめんなさいッ)
 
まずは、本にしようと思った樋口さんの思いが、ご本人の口から聞けたのはよかった。
「通訳には守秘義務があるから話せないけれど、これをわたし一人が知っていていいのかな......いや、なんとか日本の人たちにも知ってもらいたい!朱天文さんのことも知ってもらいたい!」「この本を時間の玉手箱みたいにしたい」。
この思いには、ビデオレターで登場された朱さんも、「樋口さんの翻訳に対する情熱や妥協を許さない新鮮さがこの本を完成させた。とても感謝している」とおっしゃっていた。
 
 
樋口さんと小坂さんは20年のお付き合いとのことだけれど、侯さん、朱さんとの付き合いの長さや濃さ、関係性はそれぞれに違う。「わたしとはこうだったな」「わたしから見たあの人はこういう面がある」とお二人から違う話が聞けることで、侯さん、朱さんの実存や人柄が立体的になってくる。遠い人ではなく、より近く感じられる。
 
 
・朱さんは、文学者でもある。漢文の引用も多く、幼い頃からの素養がある。言葉が優雅で奥深い。実際のご本人は、イメージの通り、品のある、知的で賢い、言うことは言うけれど、余計なことは言わない人。
・「どうしてこんな昔のものを翻訳しようって思ったの?」と朱さん。「宝石のようなエッセイを日本の人が知らないのはもったいないから」と答えた樋口さん。朱さんからのリクエストは特になく、一任されていたと。ひとえに樋口さんの熱意。
・朱さんの小説世界は本人から受ける印象とは違う。
・監督のインタビューは、荒っぽい翻訳にさがちだけど、知的で文学の好きな人。通訳には優しく、穏やか。懐の広い人。クリエイター同士では厳しい面も出るが。
・監督は孤独。自分の考えを聴いてまとめて、一緒に議論してくれる仕事のパートナーはありがたいはず。
・監督はファッションにはこだわりがないけれど、スタイルは持っている。日本でショッピングに付き合ったことが一度もない(通訳として)。
・今や世界の巨匠が、大久保のビジネスホテル(甲隆閣)を好む理由を、朱さんがミレニアムマンボと合わせて文章を書き下ろしてくれた。これは貴重。
 
その他、
・小坂さんの結婚式に侯監督と朱さんが出席されたとか、
ツァイ・ミンリャンが珈琲通とか、
・監督がCDを出してその中で自分の歌も入れていたとか、カラオケに行ってマイクを離さないとか(ちなみに小坂さんと朱さんはカラオケには付き合わない)
 
 そうそう、そうそう、こういう話が聞きたかったのよ!
 
映画の評価、映画の作法や技術、作家論、業界の話などではなく、親交のある人たちが語る、大切な人の話なのがよかった。

なによりこれは朱さんの本なので、1982年からはじまり、39年間、侯孝賢監督とずっと一緒に仕事をしてきた朱さんがどのような人なのか、朱さんが映画や監督とどのような関わりをしたのか、監督がどんなことで悩んでいたのかを朱さんを通して知る本になっているので、やはり人物を中心に話をしてもらえるのが、とてもうれしい。
 
1980年代ぐらいに遡って行ったり来たりしながら話していたのもあって、時間のことを考えた。わたしもみなさんと1980年代を生きて、今も2021年を生きていて。
この人たちを同じ時代を生きている、この巨匠たちがまだ生きているということのありがたさを思う。
 

 

視聴者からの質問もよかった。

 

●侯作品で一番好きなのは?

・樋口さん:『童年往事』ディテールがすごい(たとえば箸を洗っているシーンなどああいう細かいところまで作り込みがある)

・小坂さん:『風櫃の少年』

・江口さん:『黒衣の刺客』監督が記者会見で「『黒衣の刺客』はよくわからないと言われる。一度見てわからなかったら、二度みてくれ、二度見てわからんかあったら三回みてくれ、わたしはこれが完成品だと思っている。」と言っていたのを見て、三回見てみたら、発見があった。

 

侯孝賢作品を知って日が浅い人にどの作品がお勧め?侯作品に足を踏み入れるならどこから?

・『冬冬の夏休み』『恋恋風塵』わかりやすくて心に沁みる

・映画業界の中で、『憂鬱な楽園』が好きな人は多い。変わった映画。自由さがある。

4年前に来日したときに、「監督自身はどの作品が好きですか?」と聞いたら、『憂鬱な楽園』とのことだった。「すごく自由に撮れた。楽しかった」コッポラも好きな映画に挙げている。
 

●台湾の人は侯孝賢監督をどのように捉えているか?

・日本の監督でもそうだと思うが、知っている人は知っているが、知らない人は全然知らない。台湾でも有名な人ではあるが、一般の商業映画を観る人にとっては名前しか知らないという人もいるかも。ただ、時代が巡ってくるので、若い人たちが見直し始めているところはあると思う。

 

わたしも質問してみた。

●小坂さんの後ろに映っている竹製のものはなんですか?

四川省で作られている暑いとき用の抱き枕とのこと。130cmぐらいはある。

よくぞ聞いてくれましたと言ってくださった。わーい!質問してよかった!

 

 

終始、御三方が、にこにこと穏やかに、時折熱く、楽しくお話されている様子に気持ちが暖まった。居心地のよい時間だった。

わたしより少し上の世代の女の人たちが、自分の好きや得意をいかして仕事をしてきて。(どなたも、翻訳家、映画プロデューサー、映画コーディネーターという肩書には収まらない仕事の幅と深さがある。)その仕事を通じた長いお付き合いがあって(樋口さんと小坂さんは20年来)、今回のお仕事があって、今ここにいらっしゃる。

50代、60代の女性で素敵な方に会えると、わたしもこの先が楽しみだなと思える。

 

 

 

小坂さんと喫茶店。言葉はわからないけれど、たぶん映画『珈琲時光』になぞらえて、小坂さんが台北のまちを歩きながら、お気に入りの喫茶店と書店を案内してくださっている、のだと思う。

 

youtu.be

 

そうそう、こんな話もされていた。

朱さんの手元にある貴重な写真のうち、半分ほどがこの本に収められているという。(いや、渡されたうち、載せられたのが半分だったか?どっちだったかあいまい)

刷り上がった本が台湾に到着した頃、侯監督と朱さんは、毎日喫茶店に行って、二人でページをめくりながら、写真を見ていたのだそう。侯監督にとっては初めて見る写真ばかりだから、朱さんがキャプションを説明してあげているとのこと。

 

エドワード・ヤン侯孝賢は、小坂さんが一緒に仕事をするようになった頃には既に付き合いがなくなっていたそう。

「彼らが一番お互いを必要とし、あれだけお互いを支え合った日々は、朱さんにとってもあのときしかなかった時間。そこがとても大事な本。」

との小坂さんの言葉を最後に聞けてよかった。

そういえば『HHH: 侯孝賢』の中でも、陳國富(チェン・クゥオフー)だったかが、「あの頃に戻れるなら、自分の作品を全部売り渡してもいい」というようなことを言っていた。

だからこそ、この特別な写真が表紙になっている。いろんな人にとっての、言葉にできない事情も感情もたくさん含んだ、特別なとき。

 

人生のある時期。終わる関係。続く関係。そして人生は続く。

かれらの人生自体が、まるで一本の映画のようにも見えてくる。

 

 

style.nikkei.com

 

www.cinematoday.jp

 

台北市内にある古き良きロシア、「明星咖啡館」(2019.10)

ロシア料理が食べられる珍しいレトロ・カフェ「明星珈琲館 (Cafe Astria)」 | 歩く台北(台湾)

イベントでも話題に出ていた、ロシアンマシュマロが気になる。

映画『あこがれの空の下〜教科書のない小学校の一年〜』鑑賞記録

4月のはじめ、チュプキさんで、映画『あこがれの空の下〜教科書のない小学校の一年〜』を観てきた。今月の〈ゆるっと話そう〉の候補に、まずは観てみようということで。

xn--v8jxcq2f151q1vam0mt0xyuukq6d.jp

youtu.be

 

いやもう、すごくよかった。ちょっと斜に構えていた自分が恥ずかしい。

想像していたのと違うものをみた。

子どもの自分がみんなと笑ったり考えたり、大人の自分がかかわりや学びについて感じ考えたり、ずっとそれが混ぜこぜになっていて、頭も心も忙しかった。

観終わって、すぐに誰かと語りたくなった。

また、共著『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』に通じるものがあった。これはチュプキさんときみトリでコラボイベントができるのではないかと考え、執筆メンバーに「ぜひ観て!」と声をかけたら、すぐに予約してくれた。

話はとんとんと進んで、ちょうど明日4月28日、イベントの開催となった。(こちら

 

冒頭で「斜に構えていた」と書いたのは、「ふん、どうせ素敵な小学校の素敵な教育の話なんでしょ?よかったね!」という気持ちが湧いてしまったから。

自分の生育過程や教育の中で受けた傷つきや痛み、そして大人になって、自分の子を取り巻く学校教育の中で、現在進行形で受けている違和感や傷がうずく。今回の映画に限らず、しょっちゅうこう「なる」。

でも『あこがれの空の下』を観ているときは、自分も一緒に子どもや先生と一緒にいて、一緒に考え、感じ、表現して生きることにただもう夢中だった。圧倒されて、幸せな時間。

観終わってから、あれこれ考えた。

 

編集された映画という表現形式で観る範囲ではあるが、とても印象深いのは、ここがいわゆるオルタナティブスクールやフリースクールや私塾ではなく、見たところ普通の学校だということ。(まぁ普通って何って感じだが……。)

「教科書を使わない」「チャイムがない」というと、もうそこから勝手に妄想が始まって、独自の尖った教育哲学や手法が強固にあるイメージや、創設者やリーダーにカリスマ性があるとか、イメージが膨らむ。けれど、実際はどの先生も、教育業界で名が知れ渡っている大先生ではなく、ただただ一人の先生、一人の人間を感じる人たち。

 

1933年創立時からの一貫した理念「子どもたちが学校の主人公」。

これをほんとうに実践されている場ということを映画は記録しながら進む。
人が変わっても受け継がれるのはどうして可能なのか?
1933年に親たちが理念を建て、校舎を建て、先生を集めたという成り立ち?(お上が設置したわけではないというところ?)組織運営に秘密が?

 

 

 

浮かんだキーワード

主体的、対等性、自立、選択、見てくれているところ、手渡す、体験、失敗しながらでも大丈夫、「つまづく」は宝、感受性、自治、責任を引き受けること、大人の役割、大人が助け合う、時間をかける、葛藤上等、年間プログラム、準備-当日-ふりかえり、準備に時間をかける、「普通」を持ち込まない、愛のあるほうを選択する、自分らしさを発揮する......。

 

「和光だから、私立だからできる(それに比べてわたしの現場は......)」だけだと辛くなっちゃう。それも嘆きつつ、「じゃあ学校って何?」「教育の大切なことって何?」を皆さんで語りたい気持ちがある。

とにかく映画を観てもらいたいし、対話の良さを実感してもらいたい。「あ、これってもしかして和光小でやってることじゃない?」って、ふとつながるといいな。学校じゃなくてもできるからこそ、学校でもできる。

 

対話会が楽しみ。

 

▼【対話付き特別上映】(日本語字幕あり、音声ガイドなし)
映画『あこがれの空の下』× 書籍『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』
〜「子どもが教育の主人公」はどうしたら実現できるか〜

chupki.jpn.org

 

 

▼関連記事

"増田監督の中では「公立校でもできないことはない」との思いがある。「いつかこの映画の内容が(どの学校でも)普通になって『つまらない』といわれる社会になるのが理想」"

小学校に1年密着 映画「あこがれの空の下」 いつか、こんな教育が普通の社会に:東京新聞

www.tokyo-np.co.jp

 

 

▼ちょっと脱線

本の学校教育の歴史を調べてみたら、1933年当時の日本の社会に和光小学校が生まれたのも、もしやこの流れがあったからでは?と思えるものが見つかった。

1933年周辺の出来事としては、1931年に満州事変、1932年犬養毅首相暗殺、1933年国際連盟脱退、1936年2.26事件、1938年国家総動員法......戦争の足音が大きくなっている頃。

その少し前、1924年に「児童の村小学校」が東京池袋にできる。

大正「新学校」とは異なる徹底した自由が主張されている。”村”の名称が暗示するように伝統的共同体精神の再興を基調にして、一切の管理、支配を否定し、子どもに教師を選ぶ自由、時間割を選ぶ自由、勉強する場所を選ぶ自由などを謳っている。実際にはこのプランは次々に挫折するのであるが、それでも本気に実行しようとした経緯と経験は教育実践史上の基調な遺産となる。(『教育の歴史』p.58 横須賀薫/監修、横須賀薫、千葉透、油谷満夫/著、河出書房新社、2008年)

 
こちらの論文もおもしろい。ネットで論文タイトルで検索すると出てくるはず。

『池袋児童村小学校における教育課程づくりと保護者の参加 「緑会」 と 「母の会」 の活動を中心として』/水崎富美(東京大学大学院教育学研究科 教育学研究室 研究室紀要 第29号, 2003年6月)

 

f:id:hitotobi:20210525160907j:plain

 

映画『私をくいとめて』鑑賞記録

チュプキさんで #私をくいとめて 観た。雑に記録。

※以下、映画の内容に深く触れているので、未見の方はご注意ください。

 

kuitomete.jp

 

のん×林遣都すんごかったね。俳優さんってほんとすごい。橋本愛、『桐島、部活やめるってよ』も『リトル・フォレスト』もよかったけど、迫力が増していた。わたしは『あまちゃん』は観てなかったのでわからないけれど、のん×橋本愛のコンビも久しぶりなんだそうで。ファンにとってはうれしいでしょうね。

 

お話は思ってたのと全然違った。

#MeTooを彷彿とさせる傷つきや痛みや怒りがあって。わたしも自分の痛みが出てくる。臓物引きずり出された感じさえした。

途中ではたと気づく。そうだった、大九明子監督の前作もコミカルと見せかけて、ぐいぐいくるんだった。なんといっても原作が綿谷りさだものね。

でも後悔してももう遅い。

 

手持ちカメラで画面酔いしそうになったり、音も辛かったり、叫んだり、いろいろ身体的にくる刺激が多い。みつ子の内側の世界に引きずり込まれる。ひっつかまれて洗濯機で洗われる。終始、居心地がわるい。わたしにも思い当たることがまだらに出てくる。

画面だけではなく、ストーリーの進行にも酔いそうになる。

みつ子は一体なんのことを言っているの?
辻褄が合わないのはなぜ?
過去に何があったの?


みつ子は、いつも何かに助けを求めている。どこかに突破口を探している。

「自分と相談」「自己対話」を実践している。脳内にいる相談役のAのことを「あなたはわたし」と理解していている。

みつ子は「うまくやっている」「うまくやってきた」。けれど、こうじゃない気がする。寂しさは拭えない。

考え方次第でどうにかする。自分で設定を作っていく。自分で自分の守り方や楽しみ方はわかる。自分を変えてみようともしてきた。だけど押し込めていた怒り、癒えていない傷、そこに対してなす術がない。その自分にまた苛立ちがある。

イタリアに行ってしまった皐月との関係も、「親友」だけれど話せていないことがある。皐月もまた言い出せないでいるものをたくさんもっている。

Aとの関係も複雑だ。頼りにしたり、責任転嫁したり、一体感を持てたり、他人のように感じたり。それでも、多田との関係を機にAとの関係が大きく変化していく。

 

『私をくいとめて』は、「傷つきや寂しさと人間はどう付き合っていくのか」という話だったのだなと思う。前作『勝手にふるえてろ』も、恋愛的な感情や生身の人間の登場により殻というか膜を破る話だった。

この二つ、主人公の二人を対比させると何か見えそう。

 

......と一気に書いてみたけれど、こうでもない感じがする。
原作を読むとまた違うのかな。

 

 

f:id:hitotobi:20210525080908j:plain

 

映画を観終わってぐったりとなっていたら、チュプキの代表平塚さんが『もぎりさん』も観ていけば〜と言ってくださって、「30分だし観てみようかな」と気軽な気持ちで観てみたら、とてもよかった。

ttcg.jp

 

いやこれ、観てよかったな!

まず35mm映写機が懐かしかった。わたしは以前映写室で働いていたことがあるから。きっとキネカ大森で現役なんだよね。うれしいな。

エピソードの中で、フィルムが切れる映写事故が起こる話があったけれど、あれは本当に焦る。片桐はいりのあの間のつなぎがよかった。さっき観た『私をくいとめて』に出てきたときは「仕事デキる上司」役だったのに、あっというまにカワイイもぎりさんに。

 

いや、よかったー、ほっこりして家路につきました。

 

最近、台湾映画の、「引きのロングショット、カット割最小限、静かで感情移入があまりない」という作品ばかり見ていたので、なかなか刺激が多かった。

 

▼関連記事

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 

〈レポート〉4/28【対話付き上映】映画『あこがれの空の下』✖️書籍『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』〜「子どもが教育の主人公」はどのように実現できるか

2021年4月28日、シネマ・チュプキ・タバタさんと映画の感想シェアの会、第20回〈ゆるっと話そう〉をひらきました。(ゆるっと話そうについてはこちら

映画『あこがれの空の下』✖️書籍『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』〜「子どもが教育の主人公」はどのように実現できるか

https://chupki.jpn.org/archives/7586

f:id:hitotobi:20210426194520p:plain

 

今回は、いつものゆるっと話そうから趣向を変えて行いました。

・わたしも著者の一人である、書籍『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』とのコラボ企画。共著者の稲葉麻由美さんと高橋ライチさんも参加。
・オンラインで映画を観て、そのままオンラインで感想を話す。
・「子どもが主人公の教育はどのように実現できるか」というテーマを設定して話す。(いつもは場にテーマは設定せず、感想を話すのみ)

といった初めての試みを盛り込みました。

 

 

当初はチュプキ劇場内で対面での開催を考えていたのですが、3日前に東京都に出た緊急事態宣言の影響で、急遽、オンラインに切り替えることになりました。

お知らせにほとんど日数がない中でしたが、「オンラインなら参加したい」という方々が、首都圏はもちろん、富山、兵庫、熊本からもご参加くださり、定員20席が満席となりました。

また、急遽、和光小学校の先生方や、監督お二人も駆けつけてくださり、共に対話の輪を囲んでくださいました。

 

 

▼映画『あこがれの空の下』公式サイト 
http://xn--v8jxcq2f151q1vam0mt0xyuukq6d.jp/#/

youtu.be

 

『あこがれの空の下』は東京都世田谷区にある私立の和光小学校の子どもたちと先生たちの学校生活の一年間を追ったドキュメンタリー映画です。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』は、10代の人たちに向けて、「この社会は与えられたものではなく、自分の手でつくれる」と伝え、一緒に取り扱い方を見つけていこうと呼びかける本です。
https://kimitori.mystrikingly.com

これら2つに共通しているものはなんだろうかと考えたとき、「自分を大切にしながら、他者と共に社会をつくる、そのやり方を学び続ける」というフレーズがわたしの中に浮かびました。そこから生まれたのが、「子どもが主人公の教育はどのように実現できるか」というイベントテーマでした。

2つの作品の世界観を掛け合わせることによって、この映画が伝えようとしていたメッセージがより伝わりやすくなり、一人ひとりが必要な学びを得やすくなるのではないかと考えました。また、このような機会で、鑑賞者が映画体験をより深めることは、映画文化への再評価や、映画のポテンシャル拡大にも貢献できます。

ファシリテーターとしてはそのように考えて、当日の場を進めていきました。

 

f:id:hitotobi:20210519222311j:plain

 

オンラインで映画を観てもらったあと、休憩をとってから再び集まり、対話の時間をはじめました。

冒頭で、この日の趣旨、スケジュールやこの場での話し方のルールなどを共有したあとは、みなさんにはさっそくオンライン上の4つの部屋で少人数のグループに分かれて、観たばかりのほかほかの感想を話してもらいました。

その後、メインルームに戻って、どんな話が印象的だったか、話してみて思ったことなどをシェアしてもらいました。

 

f:id:hitotobi:20210520082316j:plain

みなさんの感想が一通り出たところで、『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』との共通項を 子どもたちへのエール、シチズンシップ、場づくり(環境づくり、関係づくり)、心と身体のケア・ヘルプを出せる力 と分類した図を見てもらい、さらに湧いてきた思いを交わしていきました。

【共有資料】上映対話会『あこがれの空の下』@シネマ・チュプキ・タバタ

 

 

特に話題になっていたのは、次の3つでした。


1.  子どもがどんな体験をしてきたのか、聞き出さないでほしい

6年生の沖縄へ体験学習旅行のときに、担任の先生が語る場面。

「どんな体験をしてきたのか、保護者の方にはまずは聞き出さないでもらいたいと言っています。すぐに言葉にできる子なんてあまりいない。タイミングがある。中学生、高校生、大人かもしれない。すぐ結果を求めない。その子にとっての3泊4日は、事実として必ず何か残っている」

・つい子どもに聞きたくなってしまう。
・安心したい、目に見える形で成長の結果を知りたくなる。
・自分の有用感がほしい
・聞きたくなるけど、形や安心のためではなく、待つ
・大人の自分にもその時は言葉にならなくても、あとからわかる、言えるようになることってある。それを思い出せればいいのかも。
・「結果がすぐには出ません」と先生に言ってもらえることの清々しさ。

不安なのは、それだけ保護者としての責任を負っていることの現れなのかもしれません。でも「待つことのほうが子どもは育つ」のだとすれば、その負担の重さを減らすことができる。そして、これは保護者だけではなく、どんな「先生」にも言えることなのかもしれません。

 

2. どこまでいってて、どこが "はてな" ? 

5年生の算数の授業で、問題を解いていくときの先生の進め方。はてな(わからない)を子どもたちにできるだけたくさん出してもらい、黒板で共有し、それらの「はてな」を本人に話をしてもらうことを起点に授業を組み立てていくという場面。

はてなって言える授業づくりがすごい。はてなが価値。
・「わからない人いる?」という聞き方だったら絶対に手を挙げられない(はてなの人?という聞き方が秀逸)
・わからないことを学びに行っているのが学校。
・どんな答えも受け入れる姿勢が生徒を安心させる。
・恥をかかせないのは大切

はてなが出せる、何がわからないのか自分で言える、自分がそれを言えるようになると、多様な考え方を出してよいと思える。それは、他の活動にも影響してきます。そして実際にこの学校では、算数だけではなく、どの教科でも、どの学年でも、どの先生でも、同じ信念と価値観をもって子どもたちと授業や学校生活をつくっている様子が映されています。そこにみなさんは感銘を受けておられました。

 

3. 先生と子どもたちが対等

先生が子どもたちの話に一つひとつ耳を傾けたり、思いを語ったり、子どもからも先生に聞いたり、提案したり、共有したりと、映画全体を通して、両者が対等である様子が描かれています。

・やってあげなきゃいけない弱い存在ではなく、子どもは自分で育てることを大人たちが信じている
・存在をリスペクトしている。上下関係ではなく、同じところにいる。
・あるべき姿を求めるのではなく、その人そのものを見てくれている
・先生同士など、先生と保護者など、大人同士の関係性が対等だから、子どもたちとも対等になれる。
・呼び名に関係性が現れている。距離の近さを感じる。
・先生方の、生徒に対して、同僚に対してのガチンコさ加減が半端なくて、あれだけの本気を見せられると、本気で応えるしかなくなる。

先生が指示して何かをやらせるのではなく、生徒に丸投げして放置するのでもない。目指しているもの、大切にしたい軸はぶらさず、大人の責任を引き受けながら、自分と目の前にいる人の今この瞬間の関心や意欲、気持ちを大切にしながら、かかわる。「対等性」とは何か、もっといろんな言葉で表現したくなります。

 

f:id:hitotobi:20210519223043j:plain

向日葵と芍薬にはこんな思いを込めて。

 

 

会の最後に、この日のテーマ 「子どもたちが教育の主人公」はどのように実現できるか? への自分なりの答えをチャットに書き込んでもらいました。

・子どもの力を信じて、対等な立場なんだ!と自分に言い聞かせ続けたい。
・大人も子供と共に生きている。
・親である自分が、自分の人生を生きる。そこからスタートする。
・大人の不安を減らす。
・教員の"待つ余裕"と、教員自身が安心して自己主張できる職場づくりがあると、子どもも主体的に安心して話ができるかもしれない。
・子どもの生きる力や学ぶ力を大人がどれだけ信じて見守り続けるか。
・共に学び会える環境を職員室から作っていく。
・まずは大人が自分で立つ。自分の望んでいることを表現していく。
・共にありのままを見せられる関係性を作るために、なにかを一緒にやってみる機会があるといいのかな。
・大人と子どもであれ、地位や歳がちがう大人同士であれ、お互いを尊重して人と人として接していく。
・教育の目的を「子どもへの情報の伝達」としないこと。自分の人生を自律して楽しく生きることを目的とする。
・これまでの教育や社会は「恐怖感」「責任感」が大きなベースになっていた。立ち行かない今、どう手放すか。大人も含め、一人ひとりの安全と安心をどう作るかがヒントになるのでは。
・聴く力を、自分自身にも、大人同士にも、子どもにも。
・我が子は学校に行っていませんが、知りたいことは自分から学んでいます。和光小の様子は見ていてとても幸せな気持ちになりました。
・先生も親も、大人の側が待つ余裕を持つこと。そのために国に教育予算をもっとつけさせたい。
・先生自身も自分の意見を聴いてもらった経験が少なく、どうしたらいいかわからない様子でした。そのため、わたしは「聴く」をさらに学びたいと思っています。
・不安や心配も無視せず、その都度、対話で解消する。かっこつけず、自分もそのままでいられることで、子ども達の存在も受け止められるのではないか。
・大人は子どもたちがのびのびできる環境を提供し、あとはナビゲーター、伴走者のように寄り添う、見守るという姿勢が大切だなと感じました。
・学校に行かないと就職できないという思い込みや恐れを手放し、子の可能性を信じます。
・校長先生が入学式で話されていたことが、大人のわたしたちも立ち返る原点だなぁ。「なぜかな、不思議だな、を大切に、心も体も賢くなっていきましょう」

 

まずは大人から、自分から、小さく変容していきたい。子どもを尊重し、自分を尊重し、みんなが尊重し大切にされる社会を。そんな願いが聞こえてきました。

 

f:id:hitotobi:20210519222931j:plain

 

 

この場をふりかえって

感想を話す中では、お子さんのことや、ご自身の子ども時代の経験や、職場としての教育現場などを思い、痛みや嘆きが出た方もいらっしゃったようです。それを温かく抱きながら、そこから、「子どもが主人公の場で大切なことはなんだろう?」 「わたし・わたしたちにできることは何だろう?」と語りあえたことをとてもありがたく、うれしく思っています。

それぞれの背景や切実さから語り、大切な思いを場に出してくださって、ありがとうございました。それぞれに必要なことを持ち帰ってくださっていることを願っています。

和光小学校の先生方はみなさん、「特別なことはしていない、特別な人間ではない」とおっしゃっていました。実際にやり取りをしていても、抜きん出たカリスマ性を持つリーダー格のような方はいらっしゃいません。どなたもとても誠実で、聴く姿勢を持っていらっしゃいますが、ごく普通の方々です。

ブログ:4月11日 増田先生トーク@チュプキ
ブログ:4月17日 山下先生トーク@チュプキ

こんなふうに自然に、当たり前に、のびのびと、ありのままに、その方らしく、すべての先生がお仕事に愛と自信と誇りを感じてほしいとも思いました。

わたしたちがこの場で対話して感じ取った「和光小学校で大切にしていること」を日本の学校教育全体に広げていきたいですし、それぞれの学校がそれぞれに模索できるような余裕が社会全体にほしいと切に願います。

まずは、このような教育の場が実在しているということ、それを今日もぶれずに進めておられるという事実を希望の光にして、このテーマで対話ができる人たちも確かにいるということに勇気をもらい、それぞれの日常で小さく進めてゆけたらと思います。光は増やしていけることを実感しています。

そして、なんといっても、映画という表現があるからこそ、この社会のどこかで起こっていることを身近に知ることができたり、いろんな人と価値観を共有できるのですよね。作ってくださる方、それを届けてくださる方に、ありがとうございます。

 

♪ あこがれの空の下 雲が流れ 自由のあかりが ゆく手をてらす和光小学校校歌

 

またこのようなオンラインで観て話す会、テーマを設定して語る会も企画していきたいです。引き続き、チュプキさんとの〈ゆるっと話そう〉や、きみトリプロジェクトの活動にご注目ください。

ご参加くださったみなさま、先生方、監督のお二人、きみトリのメンバー、チュプキさん、ありがとうございました。

 

 

f:id:hitotobi:20210510124651p:plain

  

 

シネマ・チュプキ・タバタで追加上映!
5月19日(水)、26日(水)10:30〜

coubic.com

 

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』

 \ シネマ・チュプキ・タバタでも販売中 /

 

f:id:hitotobi:20210520082726j:plain

Amazon他、全国書店で発売中。取り寄せ可。 

 

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com

本『侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と私の台湾ニューシネマ』読書記録

『侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と私の台湾ニューシネマ』

朱天文/著、樋口裕子、小坂史子/編・訳(竹書房, 2021年)

台湾の侯孝賢監督作品の脚本家であり、作家の朱天文(チュー・ティエンウェン)氏が過去に発表したエッセイや講演、対談を集めて翻訳した本。

朱さんは、台湾における1980年代の映画のムーブメント「台湾ニューシネマ」を作った最重要人物の一人でもある。2021年4月、映画特集『台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢監督デビュー40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集』に間に合う形で出版された。

 

 

久しぶりに幸せな読書をした。一気に読むのがもったいなくて、少しずつ読み進めた。

10代後半に出会った台湾ニューシネマ。また今回短期間に集中して『台湾巨匠傑作選』から11本、台湾ニューシネマ関連のドキュメンタリーも含めて観ているので、朱天文さんが何のことを言っているのか、一つひとつよく理解できる。できている自分が誇らしい。

 

映画製作における何がわたしたち観客をこれほどまでに惹きつけているのか、何年も、何十年も忘れられない体験にしているのか。朱さんの文章により、解明されていく。映画の鑑賞体験がさらに深まるだけでなく、自分も作品の創作の一部に参加できたような気持ちにもなる。 

今から振り返って過去のある時点のことを語っているのではなく、過去に書かれたもの、話されたことが並べられているので、当時の時代の空気を吸える。作品を複数観てきたあと、まだ手触りが思い出せるうちに、聞けるのが、今のわたしにはありがたい。しかも、今の時代の感覚が反映されている翻訳で、朱さんの人柄もよく伝わる、自然に「耳に」入ってくる文章となっていて、翻訳本としても素晴らしい。

 

侯孝賢組の脚本家という立場から描かれる、スタッフや制作メンバーの姿。

p.59(1984年)より引用

たしかに、侯孝賢が私たちに自信を与えてくれるのは、彼がいつも男らしくて明るいからだ。宗教家の悲壮な心情で芸術の殿堂に向かって巡礼するのではなく、また革命家のように孤独で熱狂的に、この二年来の台湾ニューシネマを推し進めることに身を捧げているのでもない。映画業界全体が複雑で無力な環境にあって、つらい顔も見せず、世を憤らず、ただ元気いっぱいに自分がしたいことをしている。しばしば躓きもするが、彼はすぐに起き上がり、いつもまた嬉しそうに歩き出すのだ。

p.136(1995年)より引用

侯孝賢の性分とモチベーションは、決して批判には向かわない。諷刺や冷笑も彼のスタイルではない。彼は憐むのではなく、"同情"ーー情を持って同じように感じるのだ。善悪を呑み込み世間に寄り添えば、彼はうまく撮れる。

他に、録音技師の杜篤之(ドゥ・ドゥージ)のために3回分が割かれているところなど、彼の情熱への愛が感じられ、特に読み応えがあった。オリヴィエ・アサイヤス監督の『HHH:侯孝賢』を観てから読むとまたいっそう読み手自身から、杜への愛が湧いてしまう。

また制作過程で監督他、それぞれのプロが語っていた言葉、作品を読み解く上での重要なヒントでもあり、すべての映画の鑑賞に知を与える言葉が記録されており、貴重な証言集ともなっている。

 

朱天文さんの映画論。

p.71(1986年)より引用

映画も自己表現であるにもかかわらず、映画作家の数は少ない。あまりにも少ない。既存の映画産業システムは永遠に映画製作の主流であるが、もしそれぞれの時期に枠から外れた人たちが、決まりきったレールに沿って製作することを嫌い、主流に反逆する人たちが現れるとしたら、システムは硬化したり腐敗したりせず、彼らは新鮮な水を供給する源となり得る。

p.77(1986年)より引用

『童年往事 時の流れ』の撮影に至って、映画とは光と影、そして画面なのだと、私はやっと気づいた。同時に発見したのが、映画は創作であって、製造するものではないということだ。そして創作というのは、あくまでも独力で成し遂げるものでしかない。そうなると、映画がその他の創作と絶対的に異なる特質と言えば、それは映像である。そこにこそ、映画の位置付け、映画が他のものと代え難い地位が存在する。

p.120(1995年)より引用

長回しによる画面処理とは、画面の奥行き、人の動きのアレンジなどにより、その場の環境と人物に自ら語ってもらうことである。ワンシーンからもたらされる情報は重層的で一つだけの定義とは限らず、ときに曖昧で、実は観る側の参加と選択に委ねられた情報でもある。

p.126(1995年)より引用

「ニューシネマには文化があるけど、楽しくない」とはそのとおりだ。ただ事実を指摘するならば、台湾国産映画がダメになったことが先にあり、ニューシネマの誕生はそのあとである。したがってニューシネマが台湾の映画マーケットをダメにしたわけではないく、ニューシネマは砂利を手探りで確かめながら川を渡り、可能性を探り当て、それがたまたま商業的な成功を見せたので、映画マーケットの動きを導いたのだ。台湾ニューシネマは誕生したが、それはあくまでも手工業路線であり、今後少なくともその精神は残るだろうが、映画市場の栄枯盛衰を左右する力などあるはずがない。

p.206(1999年)より引用

侯孝賢は非常にパワフルな創作者ですから、私の務めはその広大な創作行為の律動を言葉でとらえることです。

 

この短い(いや、多いか......。)引用箇所だけ読んでも、朱天文さんの感性と洞察、表現力にぐいぐいと引き付けられるはずだ。

これだけのものを書く人に対して、「女流作家」だの「美しい才女」だの「ミューズ」だのと、(宣伝の都合上か何か知らないが)書かれてしまうことが、わたしは悔しい。

脚本家は、陰の立役者や内助の功ではなく、共同製作者である。プロフェッショナルである。しかも朱さんは、脚本家としても作家としても独立した評価を受けている人なのだから、そのような言葉は要らない。そのフレーズを書いた人としては親しみを持たせているのだろうが、この本においては特に、対等性と敬意の表現のほうが適当ではないかと思う。

ミラーリングしてみればすぐにわかる。もし朱さんが男性であれば、こんなふうな言葉まとわりついてこないだろう。

 

ジェンダーの観点から言えば、この本を読んで小さな違和感もクリアになった。 

わたしは侯孝賢作品が好きだと言いつつ、ある時期までの作品に女性のリアリティが感じられないことがずっと気になっていた。主人公が男性であることも関係していると思うが、あくまでこれは男性の視点から描いた物語なのだろうな、と全体からも細部からも感じていた。

台湾ニューシネマ自体が、男性の監督や制作スタッフの人間関係も後押しして生まれて行ったものだから、どうしても男子校(Boy Club)的な雰囲気はある。当時の時代を感じるというのは、こういったところからもだ。

この点に関しては、p.206のフランス『カイエ・デュ・シネマ』誌によるインタビュー『侯孝賢の映画と女性像』で朱天文さんは正面から語ってくれている。

『好男好女』と『フラワーズ・オブ・シャンハイ』で、私が提案した女性像がおそらく決定的な役割を果たしたのではないでしょうか。特に『フラワーズ』においては、侯孝賢は私を通して女性を撮っていたはずです。自分の過去の何本かの作品では、女性は存在していないか、片隅に置かれているにすぎなかったと今では彼も気づいている。今の彼は以前よりずっと女性について理解していると思います。

 

このインタビューは、よくぞ当時企画してくださった!よくぞ保存し収録してくださった!と拍手したくなる内容なので、侯孝賢作品が好きな方には、ぜひ本で全文を読んでいただきたい。

 

装丁もとてもよい。まず表紙の写真。若き日の侯孝賢と朱天文。そこに現れている気迫は、男女の仲を邪推して冷やかそうとする下衆なわたしを慌てて引っ込めさせる力がある。ここにあるのは、恋愛的な親密さではなく、真剣勝負だ。そしてこの写真を撮っているのが、これまた若き日のエドワード・ヤンというところが泣ける。

背景に使われている緑。台湾グリーンとでも言いたいような、ニューシネマの映像でよく見かける独特の緑。目に心地よい。そこに幾何学模様がパターンになって入っている。これは『冬冬の夏休み』で、1階の食堂の窓の格子がこんなふうだったと記憶しているが、どうだろうか。

手に取るとほどよい重みを感じる。紙の色と厚みとフォント。ページをめくる度に、発見の声が漏れるわたしを安定的に支えてくれる。

 

観る予定ではなかった、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』と『珈琲時光』もこの本を読んで、特集上映中にやはり観ねばという気持ちになった。

劇場に通う残りの日々が楽しみだ。

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com

 

初の著書(共著)発売中! 

 

映画『台湾、街かどの人形劇』(台湾巨匠傑作選)2回目の鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

『台湾、街かどの人形劇』
http://www.machikado2019.com/

youtu.be

昨年1月以来、2回目の鑑賞。
あの美しさを再び堪能したくなった。そして、この特集期間中に映画を7本観て、少しずつ見えてきた台湾について、既に観た映画を再び辿ることで、より丁寧に、より深くとらえたいと思った。

 

前回の鑑賞記録。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 台湾にある「布袋戯」という伝統指人形劇の伝承者、陳錫煌(チェン・シーホァン)に密着する10年の記録から、布袋戲の衰退と回復への執念、「伝統」の再考察、台湾社会の変遷を描く。

布袋戯の読みは、日:ほていぎ、北:プータイシー、台:ポテヒ。

陳錫煌の父は、布袋戯の人間国宝、李天祿(リー・ティエンルー)。あまりにも偉大で巨大な存在である。陳錫煌と父との間には、彼が生まれ落ちた時からの長年の確執があり、そのことは陳錫煌の技を継ぐ弟子との関係にも影響している。

そこに布袋戲の実演、芸術的な美の世界が加わり、ドキュメンタリーは主に3つの軸で進行していく。

一回目の鑑賞では哀愁や愛惜の念でいっぱいになっていたが、映画のヒットを受けて、最近また伝統的布袋戲の価値が見直されていると知り、今回は心に余裕をもって観られた。

 

布袋戲はやはり美しく、あまりにも美が美としてあり、何も遮るものもなく真っ直ぐに届くので、胸が苦しくなり、涙が止まらなかった。この人間国宝の技術を高いレベルで継いでいる弟子は数人とか......まさに絶滅危惧種

楊力洲監督の、「わたしは今貴重なものを目撃している」「わたしはこの失われつつある芸術を記録せねば」「見逃すまい」という気概がひしひしと伝わってくる。途中、「わたしが撮っているのは、技芸の継承ではなく、袋小路かもしれない」と揺れるところも含めて、これが映画として残っていくことがありがたい。映画は人間より長く生きる可能性がある。記録したこの美は、生きた証は、後世の人間に観られることで何度も命を得る。この映画も残ってほしい。

一日限りの楽団の結集も、貴重な記録だろう。まるでブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのようだった。「もっと遠くを見よう」という言葉に胸がじんとする。

「もういいんだ」「もう終わりなんだ」と言いながら、結局誰かが諦めていないから続いていく。

 

アメリカの学校や、聾唖学校での公演のシーンでは、子どもたちの生き生きとした反応が眩しくて愛おしくて、こみあげるものがあった。陳錫煌には日常会話の通じない弟子がいて、それでも日々技を磨いている。

「言語」が違っていても、芸の領域では通じ合えるということなのだろう。それが目の前で繰り広げられることで、わたしも確信をさらに深めることができてうれしい。

弟子たちが、布袋戯の実演を観て、「絶対にこれをやりたい!」と思ったように、あの子どもたちの中にも、「何年経っても心が震える。何がなんでも習いたい」と思う子が現れるのではないかととも期待する。ほんものにはそれだけに力がある。



主言語が台湾語で、共通語や英語は〈括弧付き〉で表示されているため、違いが明確だった。印象でしかないが、共通語のほうがパキッとしていて、抑揚が強いように感じる。字幕を追っていると、名前のところで気づいたが、同じ字でも読み方が全く違うようだった。音声で聞いたときにまったくわからないというのはこういうことかと合点した。

その台湾語も、今では解する人もかなり少なくなっているという。1949年から1987年の間の中国国民党政権による学校での台湾語使用を禁止や、メディア媒体での台湾語の放送量の制限などが背景にある。台湾語で演じられる布袋戲は二重、三重に危機に瀕している。布袋戲はまた、国民党政権時代に、抗共・反共宣伝の演目を義務づけられたこともあったそうだ。さらに、映画では詳しくは描かれていないが、日本統治下の皇民化の中で、布袋戲も影響を受け、演目は日本のものを題材にするように指導されていたという。波乱万丈な歴史を持っている布袋戯。時代の証人とも言える。

 

伝統とは積み重ねることで研ぎ澄まされて結晶化してゆく面もあるが、固定化して人を縛る「しきたり」という面も併せ持っている。姓によって親子の情愛がまったく変わってしまうこと。そのことで人生が囚われること。婿入りして最初に生まれた子が男の子なら妻の姓を継ぐこと、息子の葬式で母親は泣いてはならないこと、その他にもおそらく無数のしきたりがあるだろう。

若い世代にとっては、「そんなに重要ですか」と言えてしまうことも、その中で生きてきた人間にとっては、アイデンティティを左右する強いものになる。そこから逃れたいとするならば、例えば「父殺し」のような儀式をするしかない。

ホドロフスキーの『リアリテイのダンス』で、父と和解するシーンの詩を思い出す。

何もあたえないことですべてをくれた
愛さないことで愛の必要性を教えてくれた
無神論で人生の価値を教えてくれた
(すべて許すよハイメ)
もはや詩を失ったこの世界に
耐えられる力を与えてくれた

人間は連綿とこのような営みを続けてきたのだろうか。生き延びるために。子孫繁栄のために。これからも親世代の「しきたり」を破りながら、新たな「しきたり」を作り出しているのだろうか。

陳錫煌は父から叩かれて修行していた。それがトラウマになっているから、自分の弟子たちを決して叩いたりはしない。暴力や抑圧は継承しないこともできる。

李天祿の人生を描いた侯孝賢の『戯夢人生』も今この流れの中で観たい。彼には彼で、複雑な人生があったようだ。父はどんな思いで、戯曲の神・田都元帥の像を子に渡したのだろうか。父子の語りがオーバーラップするシーンがあり、ここは堪らない思いになる。男として生きるということの困難さもあるだろう。世が世なら、と思わずにいられない。戯夢人生 - Wikipedia



先日対話会をしたドキュメンタリー映画『あこがれの空の下』で、隣人である中韓との交流を積極的に行っていると紹介されていた。灯台もと暗し。

近いからこそ知りたいと、今痛烈に感じる。それは、隣人を知ることでまた自分での国や自分のルーツを知ることにもなるからだ。自分のアイデンティティを見つめることで、今ここにある自分の存在がハッキリとしてくる。どんな変遷の上に、今の自分があるのかを知ることで、初めてここから先を描いていける。

 

布袋戲も、いろんな種類があるようで、現代のエンタメ的に演られているものは、申し訳ないけれど、わたしには見ていられない。派手派手しくて騒々しくて雑に見えてしまう。(たぶん見たいと思う人形劇の側面とそれを演じる目的が違う)「伝統に創作を持ち込んでもいいが、伝統を踏まえることで新しいものが生み出せる」いろいろな考え方があるだろうし、わたしも古い人間なのかもしれないけれど、伝統芸能と呼ばれる者の気構えはやはりこうでなくては、という気持ちがわたしにもある。

陳錫煌の布袋戲は地味かもしれないが(日本の感覚で言えば派手だが)、美しく、繊細。この小さな人形に注がれる愛と情熱。

人形が命を得て、人間よりも人間らしく振舞う。観る者は言葉にし得ない芸の本質を受け取っている。目には見えないその美の感覚の応答が、舞台を作っているのではないかと思う。

映画の最後を飾る布袋戯の実演。いつまでも観ていたかった!

 

 

▼TED×Shanghai : Chen Xi Huang: The ancient art of hand puppetry

劇中でも登場したTEDのデモンストレーション

youtu.be



台北偶戯館(人形博物館)

いつか行ってみたい。

Puppetry Art Center of Taipei 台北偶戲館

www.rieasianlife.com

 

▼国立伝統芸術センターというところもあるらしい

ontomo-mag.com

  

▼昨年観たときのパンフレット

f:id:hitotobi:20210511203629j:plain

 

 

▼2019年公開時のビデオメッセージ

youtu.be

 

あの人たちは今どう過ごしているんだろうと思ったときも、今はインターネットのおかげで、ドキュメンタリーのその後も追える。今の時代、ありがたい。

 

『私たちの青春、台湾』というドキュメンタリーも気になっている。昨年10月に公開とは全く知らなかった。当時はまだ台湾にアンテナが立っていなかったからな。とはいえ、こちらは現代の若者たちの民主主義運動。これも知りたい。今の台湾のこと。

ouryouthintw.com

 

台湾の今、と言えばこの人の言葉も。「言いこと言ってる」だけでなく、医療、教育、制度的なものも見えてくる。様々な歴史の波に翻弄されてきた台湾が今、この危機に直面してどのような動きをしているのか、知りたい、学びたい。

 

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com

 

初の著書(共著)発売中! 

映画『台北暮色』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

10本目は侯孝賢プロデュース、黃熙(ホアン・シー)監督
台北暮色』2017年制作。
原題:強尼.凱克、英語題:Missing Johnny

 

概要・あらすじ:

apeople.world

youtu.be



ひたすら心地よいアンビエントな映画であった。映像と音楽とがマッチしていた。

とはいえ、雰囲気だけで中身がないわけではもちろんない。ただ、あらすじを頭に入れて観る類の映画ではないということ。

台北のまちのいろんな場所が出てくる。それらは時間、天気により表情を変える。登場人物たちが移動してくれるから、今の台北らしさがたっぷりと味わえる。わたしは人生で都市で暮らしている時間のほうが長いから、生活する人から見た都市の景色に惹かれる。なんとなく東京と似ているや違うところを探してしまう。近代的な建築と昔ながらの下町の雰囲気と伝統的な廟(神社のようなもの?)のミックス。

大都会だけれど緑が多くて、南方らしく俄雨が多い。雨上がりのしっとりとした緑に目が潤う。

音もよい。環境音、生活音。雨音や草木のざわめき、廟で流れている祈の音曲から、スマホの着信音や通知音、表通りを走る車の音まで、どれも愛おしい。



人間それぞれに過去があるし、事情もある。少し突けば漏れ出てくる困り事だって、秘密だってある。高速道路を走る車のように、淀みない流れの中にいるのが前提みたいになっているところでも、何かわからない理由で滞ったりするものだ。こんなはずじゃなかったと思う。でも完全に止まることは、生きている限りはない。また走り出せる、流れ出す。誰かとの出会いがきっかけになって。無意識下でお互いがお互いに、何かしらの影響を与え合って。

映画に出てくる誰もが不在の人を抱えている。亡くなった人、会えなくなった人、いるのにいない人。飛んでいった鳥、ジョニー宛にかかってくる電話(ジョニーを探している人)。
動かせる状況もあれば、そうでないものもある。
それでもこの世界にはきょうも夕暮れが訪れる。等しく。どこで生きていても。

家族の話でもあった。三世代でうまく暮らしている家族もあれば、世代間のギャップが大きくて難しくなっている家族(家父長制、性別役割分業が旧世代)、ひとり親、離婚、別居、などなど。人間関係は変化している。

特に冒頭で車がエンコしてしまうなんでも修理人のフォンの高校時代の恩師の父子関係はいびつだ。世代の価値観の違いが如実に現れている。

また恋人や「友人」との関係性も若い世代の中でも少しずつ変化していっている。主人公シューの恋人(と思われる)の男性はシューに対し、「髪が長いから切れ」「おれがお前のことを一番理解している」「掃除は後でやれ」などと命令口調で、束縛傾向がある。そしてシューも何か依存している部分が感じられる。ほんとうは自力でできるのに、できることをいっぱい持っているのに、踏み出せないでいる何か。何か限界にきていると感じている。

シューとフォンは明確に友人という描き方ではないが、なんとなく一緒にいることができる。自立していて、お互いに入り込みすぎず、話を聴きあったり、気遣いあったり自然にできる。

 

シュー役のリマ・ジタンの鍛え抜かれた身体が美しくて、ファッショングラビアが動いているみたいで、ついつい目で追ってしまう。ジョギングのシーンもあるので、「あーやっぱり鍛えてらっしゃるのよね」と納得する。ここまで健やかで逞しいと気持ちがいい。これまた目が喜ぶ。

新聞や雑誌の切り抜きから気になる文章(読者投稿専門?)を音読して、レコーダーに録って、自分で聞くのを趣味にしているリーもよかった。彼は、「忘れっぽい」のではなく、おそらくある種の特性があるのだが、それを母親が受け入れられていないように見える。母親にはおそらく大きな喪失がある。そしてそれを埋め合わせるようにリーに執着する。夫と息子(リーの兄)か。

それもはっきりとは語られない、「ほのめかされているが追求しなくても、まぁいいか、わからなくても」ともやもやせずに観られるのは、都市生活者的な感覚だなと思う。他人がどうでもあまり気にならない。いろんな人がいるしね、という感覚で描かれている。

 

始まりと終わりがつながって円環のようになっているのは、高速道路の環状線のようだった。雨の日が印象深いのは、侯孝賢の世界の遺伝だろうか。(と、すぐにこういうふうに比較されるのは監督はうんざりかもしれないけれど)


おもしろかったのは、80年代から現代まで、9作の台湾映画を見続けてきて初めて、「タバコは身体に悪い」という話が劇中で起こったこと。「わたしも昔は知らなかったのよ」とまるで登場人物がわたしに説明してくれているようだった。

プロデューサー侯孝賢。侯が父の友人だったため、撮影現場に出入りするようになり、映画の世界へ入ったという。今後の作品が楽しみだ。

 

 

 

▼これは必読!

eiga.com

 

▼入場プレゼントのポストカード

f:id:hitotobi:20210515154242j:plain

 

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com

 

初の著書(共著)発売中! 

映画『童年往事 時の流れ』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

 

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

11本目は侯孝賢監督『童年往事 時の流れ』1985年制作。
原題:童年往事、英語題:The Time to Live and the Time to Die

概要・あらすじ:

童年往事 時の流れ|MOVIE WALKER PRESS

童年往事 時の流れ : 作品情報 - 映画.com

 

youtu.be



侯の自伝的作品。7割が事実とのこと。『恋恋風塵』『冬冬の夏休み』『HHH: 侯孝賢』を観てからこれを観たのは正解だった。

10代の頃にこれは観ていなかった。今回が初の鑑賞。
 
しかしこの映画のよさ、素晴らしさを一体何と表現すればよいのか......言葉に詰まる。

映画の中で生きている人たちと共に生きる。
事の次第をただ見守る。
それだけのことが、なぜこんなにも心に残るのだろうか。
わたしの心はなぜこの映画にこれほど強く惹かれ続けているのか。
退屈な人には恐ろしく退屈で、忘れられない人には生涯忘れられない映画。

残像が記憶の居場所を作り、何度でもあの空気を、色を、湿度を再現する。

この記憶はわたしのものではないのに、鮮やかに沈殿する。わたしの記憶を呼び覚まし、子どもの頃にいた世界に連れて行く。記憶だけでなく感覚も。匂い、湿気、温かさ、塩気、心臓の鼓動、手触り……。

映画を観ながら、わたしもまた自分の記憶を辿り直している。良くも悪くも、それらの記憶のおかげで、今のわたしがわたしとして居られている。なんでもないようなやり取りが、なぜこんなにも記憶に残って離れないのか。不思議だ。

見るもの聞くものが、どれもこれも物珍しく目に映る一方で、自分に心当たりのある瞬間、エピソード、経験がふいっふいっと挿入されてあり、混ざりあう。映画の記憶なのか、自分の記憶なのか。そこが気持ちいい。特に舞台となっているのが、日本家屋で襖や畳があることが、日本人であるわたしには大きな影響を与えている。

侯の作品を通じて出てくるのが、「弱い父親」だが、ここでもまた父親は病に冒され、大黒柱といえるような頼りがいはない。父親が喀血しているのを穴の開くほど見つめている同じシーンが、後年母親が嘔吐しているときにも出てくる。
子どもは5人もいるが、この家は生のエネルギーよりも、死の影のほうが濃い。

父子関係で展開していくかと思いきや、物語を貫いている軸は祖母の存在だった。母語客家語は通じず、新しい地に馴染めず、大陸へ帰りたがっていた祖母。「アハ〜アハゴ〜」と呼ぶ声が、だんだん聞こえなくなり、徘徊して三輪自転車での帰宅が多くなり、やがて衰弱して、放置された状態(「死んでかなり経っていた」)で亡くなる。
この作品は、侯の祖母に対する懺悔でもあったのだろうか。最後の祖母が亡くなるまでは、同じ屋根の下に暮らしていたにしては、それまでの関係を思うと、唐突で不可解だ。観終わったあとも苦く残る。

没入しすぎず、より客観的に観ているのは、主人公のアハが男性だからだろうか。もしこれが女性だったら、まったく違う感想を持ったのではないだろうか。姉や母や祖母にフォーカスするだけで、この物語の異なる側面が立ち上がってくる。脚本の朱天文は女性だが、やはり台湾ニューシネマは男性性が強いと言えるのではないか。女性は男性を通してのみ描かれている。それでも目配りがされていることが十分に伝わってくるので、素晴らしい作品なのだ。
 
侯の作品はそもそも、見捨てられがちな、見過ごされがちな存在に覆いをしない。かといって過剰に光を当てるのでもない。そのフラットさが素晴らしいと思う。あらゆる人の立場と内面への想像をもたせながら、入り込みすぎず、客観的で、それでいて親密さを維持して、物語の最後まで夢中にさせる。
内面の描写は、独白や手紙や日記の形で行う、その効果が『冬冬の夏休み』『童年往事 』『恋恋風塵』の三部作にはよく出ている。『悲情城市』も同じく。

俳優たちの演技もただただ素晴らしくて、劇映画なのに劇映画に見えない。作り物という感じがない。でもドキュメンタリーとも違う。映画館の暗闇の中で夢を見て、あの時代を追体験しているとでも言えばよいか。

その瞬間の画面に映るもの、聞こえるものの情報量がとてつもなく多いということなのだろう。奥行きがある。一体どこまで作り込めばこういうものが出来上がるのか。侯および制作陣の才能の結晶。
 
書けば書くほど何も言えた気がしない。

f:id:hitotobi:20210515121903j:plain


 
 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com

 

初の著書(共著)発売中! 

映画『ブックセラーズ』鑑賞記録

映画『ブックセラーズ』公開後、3日目に観た。ヒューマントラストシネマ有楽町にて。

http://moviola.jp/booksellers/

youtu.be

 

ひたすら眼福であった。
よい、本はよい。美しい。
本や、本を扱う仕事の人の愛やリスペクト、願いに満ちているドキュメンタリー。

 

美しい本だけ、愛している本、自分にとって意味や価値のある本だけを所有したくなる。

 

とはいえ、あまりまったりとした、落ち着いた時間の流れる作品ではない。

むしろ、情報量がとても多く、矢継ぎ早で、細切れで、体系化しづらい。アメリカ、イギリスあたりのドキュメンタリーのよく見る作法だ。製作者も観客も、「一度に大量の異なる立場や背景や個性からの意見を聴くこと」に慣れている文化圏、一定の文化層の人がなのだろうな。おもしろかったけれど、おもしろいことがどんどん降ってくるので、わたしにとっては、大学の講義のような、修行のような時間だった。

 

骨董品か美術品か?

「コレクションとしての本」という、あまり目を向けたことのない世界でもあったが、わたしは切手のコレクションをしているので、なんとなく分かるような気がする。切手のバザールに行くと、ああいう人たち、いる。似た雰囲気。

世界は「コレクションする人」と、「コレクターが理解できない人」の二種類に分かれるってほんとそう!コレクターは「変質的で衝動的」なんだそうです。わかる。コレクションは生きがいなのだよ。人間はつくらずにはいられない、集めずにはいられない生き物なのだ。

「コレクションを発展させるとアーカイブになる」というくだり。「自分たちの文化や人生を理解しているとは言い難い。だからアーカイブして活用することが大切」というライブラリーやミュージアム論にも発展していて、興味深かった。

 

メモ魔でなんでも「取っておきたがり」のわたしとしては、メモの価値のくだりはうれしかった。制作プロセスがわかるものとしての価値。そういえば、レイ・イームズもすごいメモ魔だったんだっけ。メモ入りの本の価値や味わいについて触れているところもあったなぁ。最近その話、それぞれ別の場所でちょいちょい聴く。なんでだろう、おもしろいな。

 

「この業界に入ったきっかけ」について聞いてくれるのがよかった。これは仕事のトリセツだ。「親がやってたから自然に」「他にできることがなかった」から、もう一歩二歩深く聞いていくといろんな話が出てくる。仕事への情熱、その人自身の核、親子やきょうだいの関係、当時の街並み、時代の空気。センス(感性や勘)をどう磨くかのプロフェッショナリティ。

 

「この本すごいよ、本物のマンモスの毛がついてる」
「遺品整理はお宝の山。書棚のある空間に知的なエネルギーが残っている」
「人と本との関係は恋愛。他人にはわからない」
「紙は霊魂の蓄電器、文化の変遷と記録」
「紙で愛を共有する」
「550年流通してきた完璧な物体」
「本に正しい家をみつけてやるのよ」
「書店は着想の棲家」

この本への愛、愛、愛よ!!!

 

上の世代は、もうこの仕事は立ち行かない、職人や個人コレクターは減り、書店や出版業界は衰退している、電子書籍に取って代わられた、いやそもそも読書という活動をしなくなった、など悲観的だ。

しかし若い世代は、ヴィンテージやアンティークとしての希少本への再発見や、地域とのつながり、インターネットが「あるからこそできること」を見ている。「いつもミレニアル世代のせいにされるけど(笑)わたしは大丈夫、アイディアがいっぱいあるから」と軽やか。

また、かつてはブックセラー業界の85%が男性"Boy Club"だった。長い間女性は歓迎されていなかった。どんなに有能でも裏方として(behind the scene)動かざるを得なかった。なぜなら経営者ではなかったから。でもその現状も先人の跡を継ぎ、若い世代がさらに流れを太くしている。

「どうしたら多様になるか、いつも格闘してる。反対する人をどう説得するか。今を変えることが未来をつくる」

うーん、勇気の出る言葉!

 

 

▼配給のムヴィオラさんのマガジン。今回も充実の記事が20本も!

note.com

 

▼公開記念オンライントークイベント・アーカイブ

youtu.be

 

 

 

 

世界のブックデザイン展がお好きな方なら、間違いなくこの映画も気に入るはず!

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

f:id:hitotobi:20210513091709j:plain

 

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com

 

初の著書(共著)発売中! 

映画『デカローグ』鑑賞記録

ここ数年、25年〜30年ぐらい前のフィルム映画が、デジタルリマスター作業を終えて、次々に劇場で上映されている。

中でもわたしにとって非常に喜ばしいのは、ポーランドクシシュトフ・キェシロフスキ監督の『デカローグ』だ。キェシロフスキの生誕80年、没後25年を記念して、この度デジタルリマスター版にて復活上映となった。

www.ivc-tokyo.co.jp

 

トリコロール三部作(『青の愛』『白の愛』『赤の愛』)や『ふたりのベロニカ』で知られるポーランドの名匠クシシュトフ・キェシロフスキ監督が1988年に発表した全10篇の連作集。
もともとはテレビシリーズとして製作されたが、その質の高さが評判を呼び1989年ヴェネチア国際映画祭で上映。その後、世界中で公開され高い評価を受けた。日本では1996年に劇場で初公開され、当時最新作だった「トリコロール三部作」の人気と相まって圧倒的な支持を得た。

題名の「デカ」は数字の“十”、「ローグ」は“言葉”を意味し、旧約聖書の「十戒」を意味する。この「十戒の映画化」は1984年のキェシロフスキ監督作品『終わりなし』から共同で脚本を執筆しているクシシュトフ・ピェシェヴィッチの「誰か“十戒”を映画にしてくれないかな?」という何気ない一言に端を発している。(公式HP

 

 

youtu.be

 

わたしが前回観たのは、1997年か1998年。大学生だった。
大阪は十三の第七藝術劇場にて。
いつもの映画好きの友だちと、2本ずつ5日通った。

あの時以来、わたしの「心のベストテン」に常にいる映画。
好きな映画は?と聞かれたら、必ず出てくる映画。

あの黒い画面に黄色のタイトルクレジット、ピアノのフレーズ。
25年経っても忘れがたい。

 

今ちょうど再開途中の台湾ニューシネマの監督たちもコメントを寄せている。今は亡きエドワード・ヤンも。あの頃、台湾ニューシネマとその影響を受けた台湾映画もよく観ていたな。

1本1本が素晴らしく、10本通して見ると一つの作品としてさらに素晴らしい。
私もいつかあのような方法で映画を撮りたい。

 侯孝賢ホウ・シャオシェン)/映画監督

彼の作品はどれも好きだが、中でもデカローグは特別だ。

 エドワード・ヤン/映画監督

 
いつかもう一度観たいと願い続けてきた映画。

今回は渋谷のシアターイメージフォーラムへ。

さまざまな人生経験を重ねてきた今、『デカローグ』をどのように見るのだろうか、何が見えるのだろうか、何を思うのだろうか。

 

f:id:hitotobi:20210510164028j:plain


前回は、1話から数字の順通りに観たが、今回は、6・7 →  1・2 → 8・9・10 → 3・4・5 とランダムに観て、劇場には計4回通った。

一話ずつふりかえる。あらすじはこちら

 

※内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。

 

第1話 ある運命に関する物語

わたしに登場人物と歳の近い息子がいる今となっては、とても平静ではいられない物語だった。

母親が不在のクシシュトフとパヴェウの親子は、チェスやコンピューターを楽しむ仲間でもある。クリスチャンの伯母とも交流があり、ときどき学校の帰りに遊びに行ったり、深い話をする仲。「死ってなんなの?死んだら何が残るの?」初めて訪れた哲学的な問いに、無神論者であるクシシュトフは戸惑いながらも自分なりの考えを話す。その直後に悲劇が訪れる。池に氷が張って、その上でスケートができるかどうかをコンピューター計算して出した結果を信じて、遊びに出かけた。しかし計算結果とは異なり、池の氷は割れ、パヴェウは落ちてしまった。現実を直視できないのか、なかなか現場に行かないクシシュトフの姿が痛々しい。彼は、これから大きな十字架を背負って生きなければならない。最後に建設途中の教会に入り、祭壇を壊し泣くクシシュトフ......。

悲しく苦しい物語だ。聡明な少年の眼差し、父子の温かな時間を思い出し、時間が戻ってほしいとこちらも願わずにいられない。子を亡くすことも、人生には起こりうるという、当たり前のことに気づかされる。

コンピュータの機材や画面に時代を感じる。謎の青年の登場が他の話よりも長めで、強く印象に残る。「子が川に落ちる話」と聞いて瞬間的に、レイモンド・カーヴァーの短編「ささやかだけれど、役にたつこと」や宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』を思い出す。
1話に出てくる父親がさっそくクシシュトフという名を背負っているのは、単なる偶然なのか、何か意味を込めたのか。

 

第2話 ある選択に関する物語

巨大団地で一人暮らしをしている老医師。ある日彼の患者の妻であるドロタが訪ねてきて、夫の容態や余命について訊く。実はドロタは恋人との子を妊娠していて、夫が助かるのであれば堕すし、助からないのであれば、子どもをつくる最後のチャンスだから産みたいと言う。医師の立場からは、重症だが絶対助からないとも言えないので、答えられないと言う。苛立つドロタだが、子どもを堕すと決める。医師は止める。その直後、夫に奇跡が起きる......。

妊娠、出産を経た今のわたしとして観ると、この物語は25年前とは違う感情が湧いてくる。身体に実感も痕跡もあるので、単なる設定としては見られない。産むリミットの話は、若い頃には知識が浅く、考えたこともなかった。また、死を身近に感じる年齢になってきたということと、感染症流行中の昨今ということもあり、病院のベッドで息荒く横たわっている瀕死の夫の姿は、他人事とは思えない。壁や水を映しているシーンや、夜の団地の犬の吠え声などは、じわじわとした閉塞感を掻き立てる。

デカローグの特徴として、「裁かない姿勢」がある。倫理や道義の是非は問題にされない。登場人物への批判はない。起こってしまったことに対して自分としてどう対処するか、決められるのは自分しかいない。誰もがそれをわかっているから、決断に至るプロセスは焦りと苛立ちに満ちている。その姿をひたすら映している。

ひっきりなしに吸うタバコや(妊婦は吸っちゃだめー!)、むしり取る観葉植物の葉、医師への八つ当たりの言動に次から次へと表れる。彼女はもはや自分のことしか考えられない。しかし観客は、医師と家政婦とのやり取りから、彼が戦争中の空爆で家族を亡くしたであろうことを知っている。これはキェシロフスキ自身の生い立ちがベースになっているそうだ。

10話中、おそらく最もリッチな暮らしをしていると思われる夫婦。内装やインテリアなどが洗練されているし、女性自身もシックな装いで、人目を引くようなセンスの良さが光る。それでも、人間が何に悩み苦しんでいるかは、外からはわからないものだ。

1Lもあろうかという牛乳瓶に直に口をつけて飲むシーンは、25年経ってもやはり不衛生に思え、気になる。(第6話でもそうだった)

 

第3話 あるクリスマス・イヴに関する物語

クリスマス・イヴ。いつもの団地とは違う、市中のあたりだろうか。人通りはほとんどなく、酔っ払いが大声で叫びながらクリスマスツリーを引きずっているだけ。暖かそうな部屋の中で家族が楽しげに祝いの席についている。また別の家でも、大家族か親戚中が集まっているのか、賑やかな様子。クリスマスや感謝祭など、家族で過ごすことが前提になっている行事は独り身には辛い。日本でも、大晦日から元旦にかけては孤独がつのりやすい時期だ。冬の寒さがさらにこたえる。

エヴァは孤独に耐えかねて、昔の恋人ヤヌーシュに会いに行く。いろんな嘘、小細工を重ねて、演技をする。3年前に「電話がかかってきて」不倫が発覚した時から、エヴァの人生は全く違うものになってしまった。エヴァは絶望しつつも、最後の賭けに出る。いや、それも嘘なのかもしれない。本当のところは誰にもわからない。

側から見れば「ヤバイ女」だ。恨みを抱えていて、自暴自棄になってヤヌーシュを巻き込もうとしている。よく知っているあの優しさにつけこもうとするかのように。しかしヤヌーシュは冷静に踏みとどまる。あの頃何があったのか、ヤヌーシュの側からの記憶を巻き戻して語る。

エヴァにもわかっている。それでも「もしも」を演じてみる。演劇をすることで、解き放たれる感情があるなら、それに賭けてもいい。その人にしかわからない過去の仕舞い方やケリの付け方があって、それは他人には理解できない手段であることが多い。生き延びるために必死である姿を誰も笑うことはできない。ここでもまた裁きはない。

白い雪の積もるロータリーに置かれた、赤い電飾の点るツリーとエヴァの赤い車。

ヘッドライトの挨拶。シロフォンの優しい音色。25年前に観たときはあまり響かなかったが、今ならわかる、痛々しくも優しい物語。

 

第4話 ある父と娘に関する物語

10話中、性について最も生々しく感じられた物語(第6話よりも、もしかしたら)。父ミハウと娘アンカは仲の良い親子。母はアンカを出産した数日後に亡くなっている。「死後開封」と書かれた封筒のことは以前から知っていたが、あるときミハウが「目につくところに置いておいた」ことで物語が一気に動き出す。アンカには恋人がいるが、ミハウを男として意識している自分に向き合い、ミハウにも求める。

人には秘密がある。知らなければよかった。けれど、気づいてしまったとき、単にモラルだけで語れるものでもない。「自分は関わりたくないのね」「少女でいてほしかった」。閉ざした心をこじ開け、人間と人間との間にあるものを顕にしようとする、アンカ。また性的に充実している年齢でもあることも伝わってきて、若いエネルギーがただ眩しい。

今ならもっと簡単にDNA鑑定ができるじゃないかと思ってしまう。いや、そういうことではないのか。鑑定ができたとしても、やはり人は悩むだろう。

燃えかすがあまりに劇的過ぎて、ああ、そうだこれは作り物の話でよかったとホッとする。

 

第5話 ある殺人に関する物語

第5話と第6話は、10話から成る『デカローグ』の中心に位置する物語で、TV放映に先行して長尺版がそれぞれ『殺人に関する短いフィルム』と『愛に関する短いフィルム』が劇場公開された。キェシロフスキは、削ぎ落とされた60分尺のほうを気に入っているという。

第5話は、最も辛い話だ。残り方が重い。撮影手法も他とはかなり異なっている。実際、撮影監督は9人が担当していて、それぞれに個性が出ているのではあるが、その中でも第5話では特殊フィルターを用いて、大胆な視野を画面に展開している。

町をうろつくヤツェク。ロープを手に巻き、準備をしている。あるタクシー運転手に目をつける。タクシーに乗り込み、郊外へと走らせ、運転手を殺害したヤツェク。死刑廃止派の弁護士ピョートルは尽力するが力及ばず、死刑の宣告が下る。施行執行前のやり取りで彼の過去が一瞬ひらかれる。死刑執行。ピョートルの喘ぐような「憎い...」という言葉の連呼で終わる。

理由なき個人による殺人と、国家のシステムによる殺人。殺すという具体的な暴力の描写。前者の殺人のシーンは、これでもかというほど時間をかけられている。「これが人間だ。見よ」というように。当時の映画史上最も長かったそう。

絞首刑のセットを組んだクルーたちは、その日は膝が震えて撮影にならなかったため、日をあらためて行ったそうだ。たとえ作り物であったとしても、どれだけおぞましい代物なのか知れる。演じた人、撮った人たちのメンタルは大丈夫だったろうか。

ポーランドは、人権と基本的自由の保護のための条約(欧州人権条約)を批准し、死刑制度が1998年に廃止されている。最後の死刑執行は1988年。『デカローグ』の制作年である。

第3話で出てきた、精神の病を抱える人を収容する施設で行われる暴力や、5話で描かれている死刑の場面は、まさに今現在の日本で起こっていることとリンクしており、思わず息をのむ。例えば入国管理局の収容施設、例えば拘置所での絞首刑。映画の中では、それに対して怒りを見せ、抵抗する市民が描かれていることが小さな救いではある。

デッドマン・ウォーキング』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『教誨師』などの映画が浮かんだ。2021年のパンフレットでは、四方田犬彦さんが永山則夫について書いておられた。

どの順で鑑賞するかを考えたとき、第5話をどこにもっていくるのか検討していたのだが(そうするほどに重いので)、結局他の予定との兼ね合いで最後の回になってしまった。重苦しさは残るものの、避けては通れない、市民として、人間として、今あらためて考えねばならないテーマだ、というメッセージだと、ありがたく受け取った。


第6話 ある愛に関する物語
10話中、一番苦い記憶のある話。デカローグといえば、まずこの6話を思い出すほどに強烈だ。やはり5話と6話の存在感はすごい。中心にあって、引力を持っている。

巨大団地の一室に暮らす郵便局員の青年トメクは、向かいの棟に暮らすマグダを夜な夜な望遠鏡で覗く。無言電話をかけたり、ガス漏れの嘘の通告をして恋人との情事を邪魔させたり、偽の為替で郵便局に呼び出したりする。のちに手紙も盗んでいたことがわかる。さらに早朝の牛乳配達の仕事まで請け負って、マグダになんとか接近しようとする。トメクが一緒に暮らす老女は「国連軍としてシリアに行ったときの同僚の母親」。トメク自身は孤児院育ちで両親のことは知らないという生い立ち。偽の為替で呼び出すのが複数回となり、キレたマグダに他の郵便局員が暴言を吐いたことで、トメクはマグダに話しかける。それをきっかけに「デート」をするが、マグダにとっては仕返しやからかいの対象だったのか、性的な誘いを仕掛けてトメクを辱める。ショックを受けたトメクは自宅に戻り、バスルームで手首を切り、病院に運ばれる。さすがにやりすぎたと我に返ったマグダはトメクの自宅を探すが、老女に冷酷な態度で返される。その日からマグダのほうがトメクの消息を気にかけるようになる。罪悪感からか。ある日、職場に復帰したトメクを見つけたマグダ。トメクに近寄ろうとして......。

中盤までは、ストーカー行為をするトメクの幼さがひたすら目立つのと、その行為の内容は不快で仕方がない。25年前と同様、吐き気をもよおす。トメクのストーカー行為に気づいている老女は心配そうではあるが、咎めはしない。

中盤以降、生身のマグダと関わることで、トメクの中に変化が生まれる。自分について語り、思っていることや行動の理由について語る。語る相手が出現した、それもずっと一方的に見ていた相手。他の人は知る由もないようなプライベートな姿も知っている相手。何かが統合されたのではないか。ただ、そこからマグダがした残酷な仕打ちは、トメクの想定を大きく超えていた。

マグダは「犯罪である」という告発を超えて、意図的にトメクの尊厳を損なう手段に出た。マグダのほうも幼いと言える。何か満たされないものがあるのかもしれない。友人の気配もない。そしてトメクと暮らす老女もまた孤独だ。トメクの友人である息子は家を出て行って戻ってこない。「わたしが彼の面倒をみます。もう年だから一人で寝たくないの」という言葉に、背筋がゾクリとする。育みの愛ではなく、支配。利用。囲い込み。所有。

最終的にマグダの感情は宙吊りにされて終わり、観客もまた同様に放り出される。

しかし物語を振り返ってみると、これは彼らの成長の物語であるように見える。

「愛」とは、肉欲なのか、崇拝なのか、執着心なのか。そうでない愛とは。今回もまた苦いものが残る。



第7話 ある告白に関する物語

こんな話、よく思いついたな......と、どの物語にも思うわけだが、中でもこの第7話のプロットには驚く。

巨大団地に両親と暮らすマイカは、高校生(16歳)のときに娘のアンカを出産する。相手は国語教師ヴォイテク。母親エヴァはその学校の校長という立場からスキャンダルを恐れ、自分の娘として育ててきた。マイカはアンカの姉として生きてきたが、6歳のアンカを連れて海外で二人暮らそうと覚悟を決め、パスポートを入手した上、アンカを連れ出す。アンカのパスポートは、保護者であるエヴァでなければ受け取ることができない。エヴァを相手に交渉を続けるマイカだが、駆けつけたエヴァをママと呼んで抱きつくアンカを見て、マイカはホームに入線してきた電車にそのまま飛び乗り、一人去る。

歪んだ親子関係、歪んでいるまま、それを平時と運行しようとする家族のおぞましさ。母親の醜悪さ、服従させられた父親の存在の薄さ(というかもはや害悪)。会いに行ったヴォイテクからの情ももはや1ミリもなく、むしろアンカを苦しめているのはお前だと責められる。八方塞がりの主人公。ラストは一体希望なのか絶望なのか。

イカのあの後の人生を思う。またアンカの将来は。アンカが寝ているときに叫んで揺すってもなかなか目が覚めないのは、板挟みのストレスによる夜驚症だろうか。だとしたら、アンカも開放されるのだろうか。いつかまた二人は母娘として出会い直せるのだろうか。なかなか感情移入をしない物語であるが、この第7話には他人事ではない感覚を覚えてしまった。(わたしの母娘関係がこのようだということではなく)

イカの罪悪感は、自分が生まれたことによって、母エヴァが子どもを産めない身体になったことだ。そのことでマイカは恨まれ続けてきた。アンカの登場はマイカが赦しと愛を得るための手段にもなったのかもしれない。根深い。あのお母さん自身の母娘、親子関係にもトラウマがあるのではないか。そうだとしたら、そこに男・父親が関与できる隙が果たしてあったのだろうかという気もしてくる。

斎藤環さんの『母と娘はなぜこじれるのか』NHK出版, 2014年)を思い出す。

アンカがマイカの子であることは、DNA鑑定ができればすぐにわかることなのだが、とまたここでもDNA鑑定について考える。でもできたとしても、苦しみがなくなるわけでもない。そういう人間の普遍を描いている。

 

第8話 ある過去に関する物語

わたしにとっては、10話中、もっともとらえるのが難しい物語だ。

巨大団地に一人で暮らすゾフィアは、大学で倫理学の教鞭をとっている。ある日ゾフィアの講義に、学術交流でアメリカからきた聴講生のエルヴュジエタが参加することになった。ゾフィアの講義の進め方は、あるケースを紹介して、その中にある倫理についてディスカッションするというもの。ある学生から定時された「夫ではない男の子どもを産むことについて」(第2話のエピソード)に対し、ゾフィアは「子どもが生きていることが大切」と説いた。そのとき、エルヴュジエタは、ナチスの占領下で、あるユダヤ人の少女がキリスト教ポーランド人の助けを受けられなかったエピソードを定時した。ユダヤ人の少女とはエルヴュジエタ本人であり、他のポーランド人の助けを借りて生き延びた。助けなかったポーランド人とはゾフィア。ゾフィアはエルヴュジエタと当時のことについて語り合い、あのときの家に連れていき、自宅に泊める。翌日は助けてくれたほうのポーランド人で今は仕立て屋を営む男性に会いに行くが、「戦争の話はしたくない」と拒絶される。意気消沈して出てきたエルヴュジエタに、ゾフィアがやわらかく微笑む......。

第5話の死刑制度への批判と並んで、現実のポーランドにある重要な対象に正面から迫った回。わたしが「捉えるのが難しい」と感じているのは、当時のポーランドの人たちが当時どのような行動をとったのか、そして今それをどのように検証しているのか、十分に知らないということがあるからだ。

その一端は、昨年、このオンラインのスタディツアーに参加して垣間見た。このテーマは引き続き探っていきたいところだ。また「ポーランドの話」という切り捨てをせずに、「日本の話」としての共通性を見出したいとも思っている。

一旦それらの宿題を置いておけるとしたら、封印していた過去との遭遇というテーマはとても普遍的だ。罪悪感に苛まれつづけていたゾフィアが、エルヴュジエタの生存を知って、人生の重石が取れただけでなく、二人のやり取りがゆるやかな友愛に包まれているところに、観客としては安堵がある。エルヴュジエタも復讐してやる、暴露してやるというつもりで乗り込んできたわけでもなく、ゾフィアも土下座して泣いて詫びるというのでもない。かといって開き直るわけでもない。冷静にお互いに自立して出会い直している。

とはいえもちろん赦すことが大事という映画でもない。人は過去と向き合っていくこともできる、ということなのか。

カトリックについて「欺瞞性」という言葉を使って議論させている。1988年はまだ映画の検閲が行われていた時代だが、これが放映されたとき、どのような反響があったのだろうか。

ゾフィアの健やかさや、ゾフィアがいるところで起こるちょっと不思議な出来事の挿入もおもしろい。たとえば、直しても直しても傾く壁にかけられた絵や、エルヴュジエタとの灰皿についてのある意味どうでもいいやり取り、授業中に入ってきた学生にアフリカ系の学生が「出ていけ」と叫ぶ場面、団地の周辺をジョギングしていたときに出会った曲芸師など。

「あの講義でのエピソードに出てくる医者と患者もこのアパートの住人。変なアパート。いろんな人が住んでいて、いろんなことが起きる」とエルヴュジエタに話すところは不思議だ。そのエピソードを持ち出してきたのは学生。学生も知っていたしゾフィアも知っていたとはどういうことなのか。どういう経緯で個人の事情を知ったのか。

この回では、第10話で「亡くなった父」となっている切手収集家が登場して、新しく入手した切手をゾフィアにわざわざ見せにくるシーンもある。息子たちも知りえない、団地の近所づきあいを知っているのはわたしたち観客だけというところも、秘密を共有しているようでおもしろい。

ある種の和解の形がある。新しい物語は常に生まれ続け、時は流れ続ける。もちろん直視しきれない過去も人は持っている。そのことへの尊重もゾフィアは語る。「やっぱりね。すごく苦労した人なの」。

 

第9話 ある孤独に関する物語

わたしの中では印象が薄かったが、今見ると、なんとも味わい深い物語だ。

性的不能で回復の見込みがないと知らされた外科医のロメク。妻ハンカと離婚するようにすすめられる。落ち込むロメクを妻は気にしていない、という。しかし妻の行動がおかしい。調べていくと若い学生と浮気をしていることが判明する。ロマンは二人の逢引の現場まで行って確かめる。ハンカはロメクへの愛を確認し、学生と別れることにした。いくらかの行き違いにより、猜疑心に苛まれていたロメクは早合点し、自殺行為に出る。運良く助かったロメクからハンナに電話がつながる。

勃起不全も、もしかして現代の医療があれば、あるいは現代のようなセックスの多様性のような価値観に触れていれば悩まずに済んだのだろうか?など、また、DNA鑑定などと似たようなことを考えてしまう。いずれにしても、その悩みの深刻さはわたしには理解できない。

夫婦が直接相手に伝えることもないまま、先走って行動してしまったり、疑心暗鬼にとらわれて、相手を遠く感じてしまい、絶望に追い込まれていくのは、側からは滑稽なように見えるけれども、当人たちにとっては、夫婦関係として重要な時期を過ごしている。ここまでならないと超えられない壁のようなものがある。この試練が訪れたことで、初めてお互いを知ったり、これまでの信頼関係や、その表明の仕方について、見直すことができる。かれらはこの難しい試練を自分たちなりのやり方で乗り越えたのだとも言える。ロメクとハンナがどのような関係をつくっていくのか、ほの明るい希望の光が見えるラストだ。

途中で出てくるロメクの患者で、声楽をやっているという若い女性が教えてくれるヴァン・デン・ブーデンマイヤーの歌が、この物語を悲しげに覆っている。ヴァン・デン・ブーデンマイヤーとは、キェシロフスキの考えた空想上のオランダ人作曲家。

病院でもタバコ吸いまくりの時代。とにかくタバコ、タバコ、タバコのシーンが多い。1980年代はタバコ全盛期。

 

第10話 ある希望に関する物語

デカローグ唯一のコメディ要素のある物語。

巨大団地に暮らす父の死をきっかけに、久しぶりに再会した会社員の兄イェジーとパンクロッカーの弟アルトゥル。切手収集家だった父の遺した膨大なコレクションが実はとんでもない価値のあるものだと知り、俄然欲をかきだす。ドーベルマンを飼ったり、防犯装置をつけたり、家に泊まり込んだりして、貴重な切手が盗まれることを恐れ始める。次第により価値の高いシリーズものの切手を手に入れたくなり、終いにはイェジーは腎臓移植まで行ってしまう。しかし手に入れたと思った切手も、残りのコレクションも、手術中に入った泥棒によって盗まれてしまう。実は切手のことで関わっていた男たちは全員がぐるだったことが判明する。顔を見合わせ、笑いあう二人......。

これ、見たときは、しばらく友達とCITY DEATH!(アルトゥルのバンド名)と言って笑い合っていたのを思い出す。しかも歌詞の内容が「十戒の掟を破れ!」というものになっていて、冒頭のライブのシーンと、エンドクレジットで流れる。十戒の型を使ってあれこれ物語ってきたけれど、結局十戒を守りましょうという説教めいたことは一切描いておらず、それどころか逸脱しまくる、普通の人間たちがジャンジャン出てくる。それを最後に「掟を破れ!」ときたところ、それもパンクな音楽にのせて、というところが最高。粋だなぁ。

コメディといっても、かなりブラックで、臓器売買のくだりを思い出すと背中がぞわぞわする。わたしも切手が好きで子どもの頃から集めているので、収集心は理解できるが、高価なものは一切持っていないので、そこまでするか、としか思えない。途中で出てくる切手マーケットの様子は、ときどき行く目白のイベントでも似たような雰囲気があるので、親近感がある。基本的に中年以上の男性が多いところである。

欲をかくとろくなことがないが、欲しいものがあると、自分の中で「これは〜だから買っていいんだ」などと理由づけして衝動買いすることがある。あの感じに似ていて、自分のダメな面にちくりときた。家族の確執、遺産、金......気をつけないとな。幸いこの兄弟はいがみ合うこともなく、途中は刑事に密告しあったりもしていたが、最後は笑いながら終わっていったのでよかった。まさに「ある希望に関する物語」だ。

この団地の住人ではない兄弟が、父の死をきっかけに出入りするようになるという、「デカローグ世界」に対する新しいかかわり方もあり、最終話にして一つひとつ、おもしろいつくりになっている。

また6話に出てきたトメクが兄弟に切手を売るシーンなどもあって、てきぱきと仕事をしている様子が見られるのもいい。元気になったんだね!と話しかけたくなるような、ちょっと知り合いにあった気分。登場人物があちこちに出てくるので、親近感がわく。

 

トークイベントのメモ

ゲスト:久山宏一さん(ポーランド広報文化センター)

・久山さんは、ポーランドに住んでいたときに、テレビでリアルタイムに『デカローグ』をご覧になっていたそう。

・映画制作の流派のようなものに属しておらず、彼自身が一つの一派のような存在。「キェシロフスキ的なるもの」という言葉もあるぐらいだとか。

共産主義時代の風景の記録でもある。(1952年–1989年)

 たとえば、ロングライフではない牛乳や牛乳配達。ウサギ(第2話で団地の管理人がウサギを拾い上げて、「あなたの?」と尋ねるシーン。かつては丸ごと売っていた。ベランダで吊るしておいて、復活祭のために料理する)。(国営の郵便局もそう)
・逆に、あえて記録されていない風景もある。
 商品のない店の棚、食糧の配給、ストライキ、集会など、政治的な要素を排除している。

・キェシロフスキの自伝で「デカローグは、自分にとって漠然として、混沌とした現実をとらえた」とある。「現実のほうが映画作家より賢明」

・現実に切り込む哲学を持っている。大きな概念を使って映画を作る。十戒トリコロール、神曲

 

牛乳が登場するシーンはなんとなく記憶に残る。
調べてみたらこういう記事が出てきた。最近の話だが、おもしろい。

ポーランドと日本の牛乳って違う?
https://newsfrompoland.info/life_gourmet/milk-poland/

 

f:id:hitotobi:20210510164214j:plain

 

25年経っての印象をパラパラと綴る。

あらためてすごい映画だと思った。
自分の記憶にむらがあって印象が薄かった回も、見返すことでピースがはまった。1話60分、十戒に基づいた10話という型の美しさもしっかりと感じられる。10話の中で登場人物が行き来しているのもあり、探すのが楽しかった。謎の青年も。これは25年前と同じ。

たった60分弱とは思えない。今起こっていることに注視させながら、過去に何があったのか、この先どうなっていくのか、映っていない範囲までも想像させ、観客に物語を共有させる。

辛い、痛々しい、悲しいなどのネガティブな言葉をたくさん出したが、決して観ていて陰鬱な気分になってどうしようもない、もう観たくない、というわけでもない。

むしろいつまでも観ていたい居心地の良さがあるし、もっと他の住人の話も観たくなる。シビアでシリアスなのに観る人を苦しくさせない(第5話を除いて)、むしろ愛おしくさせるのは、ほんとうに不思議な力だ。


1997年のパンフレットにも書いてあったが、始まり方は、あらあらなんか大変そうだなぁ......と思っても、必ずどこかにちょっとしたツッコミどころやゆるみがあって、隅から隅まで緊張に満ちていなくて、唐突に変わったものが出てきたりするからなのだろうと思う。考えてみれば、現実も確かにそうで、シビアな状況にあっても、しじゅう身を固くしてだけ過ごしているわけではなく、歩いていたら、ゴミ袋を荒らしているカラスがいて、カァと鳴いて目が合ったとか、そういうふっと集中が外れる瞬間があったりするものだ。

観客はガラス越しにただ見ているだけ。物語はシビアでも感情移入しないようにできているから、入り込みすぎずにいられる。こういう「カメラの向け方」や「世界に向ける眼差し」に影響されたことは大きい。具体的に何と挙げられないが、若いときに影響を受けたものは内在化しやすいという意味で。

ポーランド社会の現実的で個別的な事情が極力出ないように演出されているので、地域や時間を超えた内面世界でつながりあうことができる。

 

ほぼ全編を通して登場する謎の青年を見つけるのも楽しいし、物語と物語の間で登場人物がすれ違ったり、さりげなく関係を持ったりするところが、見つけられるとうれしくなる。そして10話見終わったときには、この人たちを草葉の陰から見つめるような視線こそ、あの謎の青年の役回りだったのではと気づく。

あるいは、わたしたちも擬似的に神様のように、そっと人の営みを見守る体験ができるというのか。神様がそういう仕事をしているのかは知らないが、日本的な感覚でいえば、ご先祖様が霊魂になって見ていてくれるというような感覚だろうか。仏教の「慈悲」と「救済」とはこういう世界だろうか。

 

わたしはすでに主要な登場人物たちの年齢を超えてしまっているということに気づいて驚いている。親の立場や老境に差しかかった人たちの内面が推し量れるようになっている。25年前は「そういうものなのかな?」と想像するしかなかったような物語も、わたしにもこういう世界線があり得るかもと考えたりする。

 

たまに登場人物が「こちら」を向く時があって、どきりとする。覗き見を咎められているのか、あなたにも心当たりがあるでしょう? と問うているのか。

 

身体にまつわることでいえば、女性は、生理、セックス、妊娠、出産、中絶など、生殖関連が多いが、男性のほうは、性的不能、射精、自死、殺人、死刑、遺伝子、病、臓器移植など、ある意味バリエーション豊か。子ども、若者、中年、老年と世代もさまざまに登場するのもバランスがよい。ずっと団地だけに留まっているのでもなく、市街地にいたり(第3話、第5話)、電車に乗って田舎町に行ったり(第8話)している。置いた設定にこだわりすぎない緩やかさが、逆に全体に統一感をもたらしている。

 

タイトルバックのピアノからして不穏さがあり、終始ブルーグレーの画面が続く。当時のポーランドの社会を映しているとしたら、もっと詳しく知りたいと思う。タバコは吸いまくだし、固定電話しかないし、コンピューターも初期の型だけれど、未来的でもある。

 

あの頃のように劇場に通った幸せな日々に感謝したい。

『デカローグ』と共に過ごしたこの特別な時間をまた後年鮮やかに思い出すのだろう。

  

 

f:id:hitotobi:20210511100643p:plain

当時のパンフレットはすごく充実していた。シナリオ再録他、読み解きの助けになるコラムもたくさん。シネカノンさん、作ってくださってありがとうございました。
  

現在の配給はIVCさん。こちらのパンフレットもまた、今の時代だからこその解説が盛り沢山。

f:id:hitotobi:20210511100813p:plain


 

好きすぎてBlu-rayを購入した。

f:id:hitotobi:20210511204502p:plain


デザインが美しい。ガラスを隔てた先にある景色や、雪片のように折り重なっていく10の物語のイメージをパッケージが表してくれている。

特典として、60年〜80年代製作の初期TV作品の収録や、解説ブックレットにはポーランド映画研究者の久山宏一さんの寄稿もある。

 

何の作品を観ても、「ああ、もし原語で理解できたら、全然味わいが違うのだろうなぁ!」と思うことばかりだが、2ヶ月前から仲間と「ドイツ語(英語)でなんか読んでみるかい」という、小説を朗読しながら語学の勉強をする会を週一でやっていることもあり、より強く思うようになった。

今は『デカローグ』の余韻があるので、ポーランド語を1時間だけでも学びたい気持ちがある。

そんな折、先出のポーランド映画研究の久山さんのポーランド語の講義が、東京外国語大学のオンライン講座で受けられると知った。なんと!

タイミングが合えば、次の夏講座を受講してみたい。ありがたい。良い時代になったものだ。

オープンアカデミーとは |東京外国語大学 オープンアカデミー

 

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 

映画『台湾新電影時代』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

6本目はシエ・チンリン監督『台湾新電影(ニューシネマ)時代』 2014年制作。
原題:光陰的故事 - 台湾新電影、英語題:Flowers of Taipei: Taiwan New Cinema

概要・あらすじ https://www.ks-cinema.com/movie/denei/

youtu.be

 

台湾ニューシネマとは。Wikipediaの解説がわかりやすい。

台湾ニューシネマ(たいわんニューシネマ)は、80年代から90年代にかけ台湾の若手映画監督を中心に展開された、従来の商業ベースでの映画作りとは一線を画した場所から、台湾社会をより深く掘り下げたテーマの映画作品を生み出そうとした一連の運動である。

このドキュメンタリーでは、台湾ニューシネマの起こりや経過や終焉を辿りながら、その意味や今日への影響をふりかえっている。

関係者の証言を積み重ねるのではなく、映画監督、舞踏家、批評家、美術家、映画祭ディレクター、キュレーター、映画プロデューサーなどの立場や国、外側から動きを観ていた人たちへのインタビューをメインに、「台湾ニューシネマとはなんだったのか」に多面的に迫っている点がユニーク。

映画のシーンを差し挟みながら、それぞれの立場から見た台湾ニューシネマとそれへの愛が語られているのを聞くのは、幸せな時間だった。

 

f:id:hitotobi:20210509221028j:plain

 

印象に残ったフレーズを要約的にメモした。

・70年代の課題の解消と、抑圧された感情の発露が80年代的なテーマとなった。

・台湾と中国の両岸の開放に、演劇、文学、映画、美術は明らかに重要な役割を果たした。

・個人の記憶に価値がある、映画とは記憶の記録。

・ニューシネマの映画は眠気を誘う。観客を別の世界へ、いつもの日常とは違う精神世界へトリップさせる。

・独特の文化、30年過ぎても新鮮さをを失わない。映画に引き込む力がある。始原の映画だ。

・深い協力関係。共同監督など、新しい制作形態をとる。制作現場は驚くほど自由。

・自国の歴史を見つめる。

ヴェネツィア映画祭で台湾国旗が中国政府の要請で撤去された。

・西洋の観客には背景や切実さが理解できない。内省人外省人との対立、社会的、心理的不安。しかし美学や演出方法に強い影響を受けた。

・なぜか台湾映画に親近感がある。同世代で感覚が近い。ニューシネマとはいっても一様じゃない、作風もバラバラ。複雑でスローな撮り方、静かなところは一致。

・日本では考えられないほど自由な制作。前日のシーンを再テイク。きょうのお前らのほうがいきいきしてるから、と。なるほど。

・観るたびに影響を受けている。映画的な瞬間、映画的に見えるか。

・台湾という社会がおかれている独特の悲しみがある。

・父は台湾時代は楽しかったという。父の話と結びついて自分も親しみがある。ただ、日本と台湾との歴史的な関係を思うと、呑気にも言えない。

・50年の日本の植民地支配を思う。白色テロで日本語で教育を受けて日本語による知的活動をしてきた人が迫害の対象になったことが、スーパーシチズンで描かれる。このラストが最も印象深い。

・80年代が激動だったとは、香港では知らなかった。彼らの苦しみに気づかなかった。粘り強く、信念がある。香港人には理解できない。台湾の映画人は協力し合う。侯孝賢が、エドワード・ヤンの映画製作のために金を工面したという。友情を大切にする人たちだ。

・よい映画とは、その時代の現実を表現しているものだ。明確な視点で、心を開いて対象の人間と向き合う。映画は政治的変化、経済的変化を映す。

・かれらが扱うテーマを理解したい。

・テンポが遅く、忍耐が必要。理解も難しい。しかし心惹かれる。違う視点を与える独特の魅力。

・独特のヒューマニズムがある。個人的な思考でも現実を捉えるとき深い理解ができるなら、それは普遍的である。(中国では否定される)個人の価値の尊重がある。

・個人の記憶を大切にする。生身の人間。生活感がある。人間と人間との関係が見える。集団ではなく、個人の視点があり、特別な時間から真実を見出すのがユニーク。

・台湾誠司の民主化によって社会の要求の変化があった。今の時代はあんなふうには撮れない。しかし、かれらのスタイルを忘れてはいけない。

 

今回の特集で、ドキュメンタリーは3本上映されている。

『台湾新電影時代』、侯孝賢個人に寄った『HHH:侯孝賢』、そして台湾映画を中から検証した『あの頃、この時』。素晴らしい構成だ。この3本を観れば、台湾映画や台湾ニューシネマについて相当な量と質のことが学べる。ありがたい。

侯孝賢エドワード・ヤンについてのドキュメンタリーはないものかと探したら、なんと是枝裕和さんが1993年に撮っておられた。『映画が時代を写す時-侯孝賢とエドワード・ヤン』ものすごく興味がある。なんとかして観たいものだ。

 

わたしが大学生の頃、90年代半ばにミニシアターで台湾映画が次々と上映されていた。そのときに台湾ニューシネマという言葉も一緒に摂取していたと記憶している。

わたしが台湾ニューシネマの映画(あるいはその遺伝子を継ぐ映画)にこれほど惹かれているのか、自分でもよくわからなかったが、このドキュメンタリーを観て、世代や国を超えて人々が感じていることが自分の中にもあると気づいた。

 

あらためて考えてみると、あの頃わたしは、大阪や京都や神戸という都市とその郊外に生きていて、現代都市における人間関係に関心を寄せていた。強烈な抑圧から突然放り出される10代の終わりから20代の始めという不安定な時期でもあったので、孤独、理解し得なさ、つながれなさ、寄るべのなさ、凶暴さ、貧しさ、虚しさを映画の中で感じながら、現実の複雑さに直面していったのだと思う。

ノリやわかりやすさや笑顔で好印象が求められる現実、日常に対して、思いっきり偏屈で不機嫌で理解不能を表現してもよく、これが一つの美学や芸術として評価されているということ自体が救いだった。

 

台湾という、軸をずらした、似て非なる文化に触れることや、過剰な演出を配した静かな(calm)世界では、いつも心穏やかでいられた。

わたしにとっては、あれらの映画が「台湾ニューシネマ」でくくられていることが重要なのではないが、ムーブメントとして歴史になり、国や言葉を超えて共通言語になっていくのはうれしい。

 

また、「アート系映画」という言い方に長らく抵抗があったが、このドキュメンタリーを観て考え直した。やはり別のものなのだ。娯楽映画と芸術映画は明確に異なる。芸術映画はメインストリームにはなりえない、しかし映画や映画館という同じ名前を使うことで、同じカテゴリにあることによって、鑑賞者はシームレスに行き来することができる。

映画は文化だ。あってもなくてもいいものではない。個人であり、市民であり、民族であり、国民のアイデンティティの根拠になるものだ。

 

『憂鬱な楽園』で山道をバイクで走り下りるシーンにクレジットが重なって、エンド。

 

今もなお色褪せない、永遠の台湾ニューシネマ。

 

こちらのブログのまとめがありがたい。

mangotokyo.livedoor.blog

 

もっと知りたくなって、やはり購入してしまった。この機会にもっとのめり込んでいこう。ずぶずぶ。

 

うちの近所の台湾っぽいところ。

f:id:hitotobi:20210509201315j:plain


関連記事

映画『日常対話』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『風が踊る』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『HHH:侯孝賢』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『冬冬の夏休み』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『恋恋風塵』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『坊やの人形』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

映画『ヤンヤン 夏の思い出』鑑賞記録

映画『台湾、街かどの人形劇』〜伝統と継承、父と子、師と弟子

映画『あなたの顔』鑑賞記録

「台北ストーリー」でエドワード・ヤンにまた会えた

 

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 

映画『坊やの人形』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

7本目は、オムニバス映画『坊やの人形』 1983年制作。
原題:児子的大玩偶、英語題:Sandwich Man

概要・あらすじ https://moviewalker.jp/mv11463/

youtu.be

 

なんとも重苦しい気持ちになる映画だ。

登場人物たちの不安、焦り、惨めさ、期待、悲哀などは、設定として消費されているのではなく、すべて現実社会の写鏡としてあり、リアリティを映画的に創作していると感じる。

三作品に共通しているのは、貧困と格差、分断と排除。それらを作り出している政治や国交や時代の変化への強い皮肉と怒りのパワーを感じる。

 

この先、感想をかなり詳しく書いてしまったので、鑑賞に影響すると思われる方はご注意ください。

 

一本目は

表題作でもある侯孝賢監督『坊やの人形』

台中の山間のまち、竹崎に暮らす貧しい3人家族。父親は、自分で仕事をつくろうと、ピエロの姿をしたサンドイッチマンになる。この姿がもう悲哀以外の何者でもない。

「職が見つかった!これで子どもがつくれる!」と転げ回らんばかりの喜びようだったのに、次の瞬間は奈落の底に落とされるような、辛い仕打ちが待っている。この感じは、イタリアの1940年代〜1950年代のネオ・リアリスモ映画の金字塔、ビットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』そっくりだ。

音楽で感情表現や情緒を煽っているところもあるので、なおさら悲哀が滲みる。モノクロだったらもっと落ち込んでいたかも。カラーでよかった。

わたしにとって衝撃だったのは、冒頭の妻が経口避妊薬を服用していることを知ったときのくだり。映画が撮られたのは、1983年で、映画の中の世界は1960年代の設定だが、この時代にすでにピルがあって、医師の処方で買えるようになっているということなのだろうか。ちなみに日本で低用量ピルが日本で認可されて販売を開始したのは1999年だ。また、「リングを入れたのか?」というセリフもある。夫婦間、家庭内でこういう会話はできるぐらい普及していたのだろうか。「飲んで子どもができなくなっちゃった人もいるんだぞ」というあたりは、まだ質がよくなかったのか、性教育が不足していたのか。(いや、そんなことを言えるような日本の性教育では全くないのだが)

そして、その後の回想シーンで、涙する妻に夫が「2,3日で流れ出ちまう。またできるよ。仕事があれば。ないのにどうやって暮らせるんだ。さあ、飲めよ」と説得する。堕胎の話をしていると思われる。冒頭からいきなり重い。

途中では、「もうサンドイッチマンなんか何の効果もない」と言われてむしゃくしゃする夫が、妻に「なんで茶が用意されてないだ、ここでは俺が主人だ!」などと喚いて物を投げたりする。

映画館の親方に雇われている夫は、職場の上下関係でも社会構造の中でも底辺にいる。停車場で読書に熱中する制服姿の学生たちをじっと見つめる姿に、オーバーラップする役所でのシーンの中で、夫が字が読めないことがわかる。読み書きができない、学校に行けないほどの貧困にあえいでいた生い立ちだったのだろうか。

なんだかいろいろ辛いのだが、少しずつ状況は上向いていく。劇的ではないが、ほの明るい。「家族が生きる支えになる」というある意味伝統的な家族像だが、描かれているのは今日的課題でもあり、遠い昔の話とも思えない。

 

続いて、

曾國峯(ゾン・ジュアンシャン)監督『シャオチの帽子』

日本製の圧力鍋を販売する会社に入った二人の男性。どこか冷めたところのある兵役明けたての若者と、身重の妻を抱え、新しい仕事に期待を寄せる30代の男。

どちらもやっとありついた仕事だ。

台中のまち、布袋に派遣されて、大量の鍋をかかえ、毎日宣伝活動に繰り出す。住民からの反応はいまいち。「早く調理してどうするんだ」という言葉に都会と田舎の時間の流れのギャップがある。ビジネスっぽい出立も周囲からは浮いている。若者は、彼らの拠点の前を通りかかる少女シャオチが気になり、話しかけるのが楽しみになっている。

物語が進むにつれて、少しずつ高まっていく「圧力」。最大になったときに起こるシャオチの帽子と圧力鍋にまつわる悲劇。

衝撃。まさかこういうこととは!なかなか心理的にくる。物質社会、消費社会、資本主義に絡めとられていく人々の姿が悲しいほどにまざまざと炙り出される。夏の太陽の明るさや、デモンストレーション用に仕込みをしていた豚足の画も脳裏に焼きつく。

また、「日本製の」というところに、自分自身の罪悪感と居所のなさを覚える。日本の支配下から解放されたと思いきや、コントロールできない「地雷」を送り込まれ、危険にさらされ、取り返しのつかない傷を負わされる人々。どういう意図での製作だったのか、また研究者の間ではこのモチーフをどう解釈しているのか、聞いてみたい。

 

最後は、

萬仁(ワン・レン)監督 『りんごの味』

台北の貧民街に住む男が、朝、仕事に向かう途中、駐留米軍の高級将校の車に跳ねられてからの一日を描いた物語。

男には子どもが5人おり、学校に行っていないで口減らしで養女に出されそうな長女と唖の次女が、家事を手伝ったり赤ん坊の三男の面倒をみている。長男と次男は学校に行けているが(家父長制の現れか?)が学級費が払えないため、いつも教室の隅に立たされている。

駐留米軍についている警官は、外省人なのか、北京語を話しており、その言葉は一家の母親には通じない。母親は本省人台湾語しかわからないのだろうか。長女が通訳をしている。台湾の社会にある分断が示される。また冒頭の、「轢いた相手は工員(labour)なのか?」という電話のやり取りからして、駐留アメリカ人たちの態度は、かなり差別的だ。

一家の大黒柱が瀕死であったら路頭に迷うのだ、仕事を求めて台北にやってきたのが間違いだったのではないか、と呆然とする母親を尻目に、生まれて初めて外車に乗った子どもたちは、事の重大さもわからず、はしゃぎまくる。幸いなことに父親は両足骨折で手術はしたものの、生きていた。豪邸のような海軍病院に目を丸くする一家。ほとんどSFの世界だ。

さらに、車に轢かれて全治数ヶ月で普通「ごめん」では済まないのだが、将校がお金を持ち出すと、母親はころっと明るくなる。最初からそれを狙っていたふしもある。唖の娘をアメリカに留学させようとも持ちかけられる。男の職場仲間もやってきて、みんなで喜び、笑い合う。

差し入れでもらったサンドイッチとソーダとりんごを食べ、最後にりんごを一人一個ずつかじる。りんご1個は2kgの米と同等の価値を持つ。ここは南国だからりんごの栽培はしていない。バナナならあるけれど。圧倒的に高価なのだ。

家族に勧め、自分もりんごをかじる男。笑いたいような、泣きたいような、表情をしている。しぶとく生きる庶民の姿とも言えるが、残酷なほどの違いと、差別の眼差しもセットで隠すこともなく描いている。

将校も病院で働いているスタッフも、英語でしか離さないし、わかろうともしない。自分たちが他所の国に来ているのに、「何を言っているのか全くわからない」などと言う。唯一、シスターがなぜか台湾語がペラペラだが、人畜無害で、いてもいなくてもいいような役回りが滑稽だ。

最後の家族写真は、少しあとのものだろう。長男、次男、三男が少し大きくなっている。次女は写っていない。アメリカに行ったのだろうか。

笑えるところもあるが、これまたなんとも言えない後味の悪さが残る作品だ。

 

f:id:hitotobi:20210509173624j:plain

 

いやはや、である。よくこんな映画を三本も撮れたな!

台湾ニューシネマの運動はこの『坊やの人形』が本格的に開いたのだそう。

 

確かに新しさがある。

今観ても新鮮だ。古いとか、一時期だけの盛り上がりや流行りに感じるダサさが一切ない。娯楽とは一線を画した作品として作られ、世に提示されたということだろう。

原作である小説文学の世界を映画で表すことに、それぞれの監督が挑戦を込めて作ったのだろう。またオムニバスということで、他の二人に対する緊張感やライバル心などもあったかもしれない。

企画者の意図としては、「1人の監督ではお金を付けづらいが、3人まとめて才能を発掘するのはいいのではないか」と思いついたというインタビューが『HHH:侯孝賢』で語られていた。

 

やはり観ておいてよかったと思う。

台湾ニューシネマに惹かれる理由がまた一つ、わかったような気がする。

 

お気に入りのチャイナを着て、観に行ってみた。

f:id:hitotobi:20210509175736j:plain

 

台湾ぽい。

f:id:hitotobi:20210509175754j:plain

 

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中!