ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

映画『恋恋風塵』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

最初に観たのがこちら。(ブログの投稿と鑑賞記録の順は前後)

侯孝賢『恋恋風塵』 1987年制作。
原題:戀戀風塵 英語題:Dust In The Wind

概要・あらすじ 

60年代、幼い頃から田舎町で兄弟のようにいつも一緒に育ってきた中学生の少年アワンと少女アフン。卒業して台北に働きに出た二人の淡い恋とその切ない別れを描く。(K's Cinemaウェブサイト

侯孝賢が独自の作家性を確立し、映画美学を一旦極めた第二期にあたる。『風櫃の少年』『冬冬の夏休み』『童年往事 時の流れ』を経てたどり着いたのが、この『恋恋風塵』。自分および脚本家など周りの重要な他者の生い立ちにヒントを得て、描かれている。

まずはこの映画から、侯孝賢に出会い直す旅をはじめる。

 

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今回の上映で権利が切れるという、日本最終上映。これは観ねばと日付が変わると同時にチケットを取って、最終日の最終上映にきっちりと見届けた。

 

『恋恋風塵』を観たのは確か高校生のときだったと思う。『悲情城市』が話題になったあとで、BSで放送されていたか、レンタルビデオで借りて観た。具体的にはラストシーンしか覚えていなかったが、とても美しい映画として記憶の中にある。

「いつかまた大人になったときにわかるだろう」と思いながら、この頃は一見退屈そうに見える映画も、選り好みせずに観ていた気がする。とにかく時間があったし、好奇心もあった。「この人、映画の世界ではすごい人なんだ」と思ったら、とりあえず観た。

世界にはどんな映画があるのか、どんな物語があるのか。知らない国の知らない言葉、文化に触れるのも新鮮だった。どの国の映画もかなりフラットに観ていて、きょうはポーランド映画、明日はイラン映画、明後日はフランス映画という感じで、なんでも観た。

そしてそういう営みについては、一人の友人をのぞいては誰とも共有することはなかった。ほぼ二人でコツコツと感想を交わしながら、鑑賞経験を積んでいた。

そんな年齢を過ごしたわたしと、『恋恋風塵』に出てくる10代は全く違う。

山深い集落に暮らし、学校に電車で通い、高校には行かずに台北に出て働く。
つてを頼って、仕事をみつけ、家を借りて、自炊して。友だちや仲間と肩寄せあって、生きる。そんな日々も兵役までの数年のこと。

昔の台湾は徴兵制があった。中国共産党と軍事的に対立していた1951年に始まり、18歳以上の男性が海軍3年、陸軍2年の兵役についていた。この映画が撮られたのは、戒厳令の時代(1948〜87年)が明けるか明けないかの頃。

 

宣伝上は、「懐かしさと切なさのある、少年少女の恋愛映画」との触れ込みだったが、今観てみると、その宣伝自体にも時代を感じる。

自分が観ているのは、彼と彼女の内面ではなく、周りにある環境。自然、世相、時代、政治、経済、社会。歴史。その中にいるかれら。若者たち、大人たち、人間たちの営み。人生。周りにあるものを通してかれらを知っていく。

淡々としていながら、突き放すわけではない。温かな関心を持ちながら、ずっとそこにいられる。ショックなことも起こるが、観ているこちらが胸掻きむしられることもなく、穏やかさを持っていられる。しかしとても感覚に迫ってくる。

草葉の陰で見ているってこういう感じだろうか?この立ち位置、よしもとばななの『デッドエンドの思い出』に収録の短編「ともちゃんの幸せ」を思い出す。

 

訪れたことのあるようなないような、近いような遠いような、いつかのような今のような、心の世界へ連れて行かれる。

その美しさ、斬新さを、高校生当時も少しは感じていたのだろうか。こういう映像世界があると知ったことで、わたしはしんどい日々に光を感じただろうか。

 

少年が働く職場のボスが、戦時中の記憶を語るシーンには、胸がつまった。
日本の兵士として戦っていたのだ。

また中国から船が難破してたどり着いた、広東語を話す家族の貧しい様子と、十分な食事にありついている兵役中の若者たちの対比も、新たに記憶に残ったエピソードだ。

 

別れという一大事はあるものの、おもしろいドラマは起こらない。

かといってつまらないのではない。ずっとおもしろい。常に何かが起こり続けている。一秒も目を離せない。

川のせせらぎや木々のざわめきを見ていて飽きることのないように、いつまでも見ていることができる。

山水画のように、大きな自然に抱かれた中で、人が生まれ、出会い、別れ、働き、食べ、耕し、笑い、泣き、喜び、苦しみ、祈り、病に伏し、あるいは殺められ、死んでいく。

そう、恋愛というよりも、だ。

 

壮大で、等しく生けとし生きるものへの眼差しが注がれる映画。

またいつか、スクリーンで再会する日を楽しみにしている。

 

 

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昔観た映画に出会い直したシリーズ。こういう最近の経験があったから、今回熱を込めて再訪できている。温故知新。必ず発見がある。

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侯孝賢の映画をより観たくさせてくれた、最近の中国の監督の作品。時間を超えて受け継がれている美意識。映画体験。

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映画『冬冬の夏休み』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

5本目は侯孝賢『冬冬の夏休み』 1984年制作。
原題:冬冬的假期、英語題:A Summer at Grandpa's

概要・あらすじ http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000091

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「一番好きな侯孝賢作品は?」と聞かれて、この『冬冬の夏休み』を挙げる人は多いに違いない。わたしが観たのは10代の頃だったと思うが、当時は、途中でぐっすり寝てしまったようだ。ところどころ断片的にしか思い出せない。

しかし今観てわかる。人生たかだか20歳くらいのわたしが、これを観て、「まじおもしれー」となっていなかった理由が。今のわたしにこそ必要な映画だ。この映画を楽しめるほどに歳を重ねられてよかった。

 

冒頭の卒業式のシーンからいきなり流れる「あおげばとうとし」、台北駅のホームで同級生とやり取りする「日本のディズニーランド」、おじいちゃんの病院兼住まいである「日本家屋」......。様々な形で日本が登場することにまたしても驚く。

エキゾチックなものとよく知っているものが同時にやってくるのが、わたしが台湾映画に魅力を感じているところなのだろうか。もちろん、日本が植民地にしたという負の歴史を経ていることは見逃すわけにはいかないのだが。



夏の光をいっぱいに浴びた、緑豊かな里山の風景は、多幸感に満ちているが、描いている一つひとつは甘美な郷愁ではない。

生、病、死にゆく命、死線をさまよう命、死、障害、性。どこでも変わらぬ人の営みがあって、誰かが特別扱いされることもない。平面的で客観的。でも観客は親しみを持ち、人物たちと共に過ごしているスペースもちゃんと作られている。

少年期の終わりにいる兄と、幼児期にある妹。周りの大人たちの振る舞いや起こす出来事をただ黙って見つめている。『ミツバチのささやき』『エル・スール』や『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』を彷彿とさせるあの眼差し、知っている。わたしにもあった。

「登場人物を批判しない」という言葉通り、侯の描く世界で致命的に悲惨なことが起こって観客が傷つくことがない。川の流れのように山の四季のように、ただ流れる。

わたしにもこういう感情、感覚があったことを思い出す。夏休みに田舎のおじいちゃん、おばあちゃんがいる家に行って、長いゆったりとした日々を過ごす中で、毎日何かと起きて、何かと心揺さぶられるのだけれど、それは自分の歴史にも残るようなことでもなく。

後年、「そういえばああいう人いたよね、ああいうことあったよね」とふとした会話の中で頭を覗かせるような類のこと。夢か現か。今となっては確かめようもないようなたくさんの記憶。

あの田舎の大きな家の2階のつやつやの床板や、川で遊んだときのゴツゴツした岩場が足裏を突き上げる感覚など、やたらと鮮明に思い出せる。地元の子と友だちになって遊ぶときのあの感じ。

とても感覚的な映画。記憶に働きかける映画。

 

詩を暗唱させるちょっと怖いおじいちゃん。
Vespaに乗っているおしゃれなおじさん。
壊れた傘を指していつもどこかを歩いている近所の人。(彼女の父が、「今度こそ避妊手術をさせれば」と心配する医者に対して、抗うシーンもなんだか印象に残る)

全員に対して、まるで自分の親戚のような親近感がある。


ラスト、友情出演のエドワード・ヤンが見せる笑顔の眩しいこと。
幸せな時代。幸せな映画。感覚と記憶の映画。

わたし自身の、ある面においては過酷で、ある面においてはとても幸福だった子ども時代。そんなふうに感じるのも、わたしの世代ぐらいまでだろうか。今の10代、20代ぐらいの人はこの映画をどんなふうに観ているんだろうか。

 

わたしも、侯孝賢映画で一番好きになったかもしれない。

 

 

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舞台になっている銅羅を訪ねた方のツイートより。変わらぬ街並み!

 

 

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映画『HHH:侯孝賢』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

4本目は、『HHH:侯孝賢』。英題:HHH:Portrait of Hou Hsiao Hsien

侯を撮ったオリヴィエ・アサイヤス監督のドキュメンタリー。1997年制作。


批評家時代から台湾ニューシネマを積極的に世界に紹介し、監督デビュー後もホウ・シャオシェンからの影響を公言して憚らない、フランスを代表する映画監督の一人オリヴィエ・アサイヤス『イルマ・ヴェップ』(96)『パーソナル・ショッパー』(16)『冬時間のパリ』(18)ほか)が、ホウ監督とともに台湾を旅しながら、彼の素顔に迫った貴重なドキュメント。当時『フラワーズ・オブ・シャンハイ』の脚本執筆中だったチュウ・ティエンウェン、ウー・ニェンチェンほか、ホウ監督と共に台湾ニューシネマをけん引してきた映画人たちのインタビューを交えつつ、『童年往事 時の流れ』(85)『冬冬の夏休み』(84)『悲情城市』(89)『戯夢人生』(93)『憂鬱な楽園』(96)の映像と共にホウ監督とアサイヤス監督が作品にゆかりのある鳳山、九份、金瓜石、平渓、台北をめぐる。撮影監督はエリック・ゴーティエ。表題の「HHH」は、ホウ・シャオシェンの英語表記Hou Hsiao-Hsienからとっている。(K's Cinemaウェブサイト

小説家で「風櫃の少年」(84)以来すべての侯作品の脚本を手がけているチュー・ティエンウェン、「悲情城市」などの脚本家のウー・ニェンチェン、台湾ニューウェーヴの多くの重要な作品を支えた録音のドゥ・ドゥージー(本作の録音も担当)、台湾ニューウェーヴの盟友チェン・クォフー、「憂鬱な楽園」に主演したガオ・ジェとリン・チャンなど、ホウ監督作品の主要な人物へのインタビューなどが見られる。(MOVIE WALKER PRESS

 

 

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ドキュメンタリーにおける、撮る側と被写体との関係はいつも気になる。

この作品では、被写体である侯孝賢は、監督のオリヴィエ・アサイヤスを「映画人」として、「自分の親愛なる理解者」として信頼し、真摯に語りかけている。

その様子に観ているわたしは、リラックスと刺激と両方を感じる。



このドキュメンタリーでは1997年。24年前。侯孝賢は50歳。『憂鬱な楽園』(1996年)と『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(1998年)の間の時期。若々しく充実していて、「まだまだこれからだ!」というエネルギーに満ちあふれている。

2021年の今、台湾ニューシネマは遠くになりにけりだが、台湾史にも映画史にも残る記録として、このフィルムは貴重だ。時代の変化は早く、ここに映っている人も景色も、今は姿をすっかり変えてしまっているだろうから。

侯自身の言葉で語られる映画のワンシーン、撮影エピソード、あの土地や場所、人の話。挿入される映画。個人の語りから見えてくる時代、社会背景、政治、外交。

台湾は、わたしの想像以上に日本と近い国だったのだ。わたしは何も知らないということを知った。日本占領下の時代、国民党の戒厳令の時代、民主化の時代、そして現在。もっと知りたい。

台湾の人のたちのほうはむしろ日本のことを知っている。たとえば、侯がカラオケで歌うのがまさかのあの人のあの歌だ。

 

コンテストにも出たことがあるというほどの侯の美声に聞き入りながら、映画が終わる。

侯のルーツ、生い立ち、アイデンティティ、人柄、映画への思いや美学。中国と香港とのあいだにある台湾、歴史の中を生きる個人。

たっぷり知る、学ぶ92分。
これは台湾映画を知りたい人は観るとよい一本。

 

 

●自分の記録用に印象的な箇所を残しておきたい。※観ていない方は注意

・小さい頃にあそんだ県知事公邸や廟の思い出
→侯の映画でなぜあんなにも自分自身の中の記憶の中の光景や感情にふれるのか、理解できた。ありありと思い浮かべている自分自身の記憶を映画に投影しているのだ。

・雀の捕り方(冬冬の夏休みに登場。短い説明だが、この話を聞いたあとで作品をみると、なんとも言えない気分!)

外省人としてのルーツ。両親は台湾には数年のつもりだった。すぐに戻るつもりだったから家具が竹製だった。/朱天文(チュー・ティエンウェン)の実家(冬冬の夏休みに登場)は内省人で、土地に根ざしている。あの世代がいかに物を大切にしてきたか。他人の家庭を見て、育った環境の違いを知り、自分の家庭を理解した。

外省人内省人の対立、軋轢、分断、違和感、複雑さ。ここでは平和な違いとして言葉に出されたが、ドキュメンタリーの中では、白色テロ二・二八事件でその違いが悲劇を呼んだことも示される。現代は薄れているようだが、ある一定年齢までの世代にとっては、複雑な問題なのだろう。

・祖母は中国に帰りたがっていた。/先祖の墓がないから、故郷と思えない。
→映画の中に故郷喪失者を描く。たとえ台湾人にしか理解できない「事情」だとしても、目配りがあることが物語に厚みと広がりを持たせている)

・バクチにケンカをよくした。
→侯作品でよく登場するもの。彼自身の体験に根ざしている。「オス的なものが好き。トップを争うこと」と語っている。

エドワード・ヤンの家でパゾリー二の作品を見て、映画を撮る上での視点がクリアになった。ヤンは日本家屋に住んでいた/ヤンの家にみんなで2日おきに集まった。ホワイトボードがあって。懐かしい。わたしにとっては作品より重要な時間。最もクリエイティブな瞬間だった。/ヴェネツィア映画祭で侯が金獅子賞を獲ったときは、ほとんど号泣だった。あなたを誇りに思う。
→最後の二つは侯とヤンの共通の友人で、脚本家のチェン・クォフーの言葉。このシーンよかった。

戒厳令中、検閲を受けた。

→検閲。つまり思想と言論の統制。こういう厳しい時代に台湾映画が撮られていることを今回初めて知った。

・インタビューが展開されている場で起こったり、カメラが追っているさまざまな風景もこの作品の見所。侯が中国茶を入れてくれる所作、食堂での野菜の仕込み、観光客の行き交う様子、など。外国人から見た、台湾の文化風俗を新鮮に見る視点を日本人であるわたしもまた、共有できる。

・当初はアフレコが主流だったが、同録が可能になってきた。ナグラを使っていた。若い監督が新しいことをはじめるので、撮影スタッフも機材に投資したかった。侯はしてくれた。/スタッフを育てることが大事。

・『悲情城市』で映画が文化ということが、国際的に認められたことで理解された。

・わたしにとって映画とは、自己形成とかつての自分に気づくこと、他人を理解するためのもの。/過去を撮るときにロマンティックになるのではなく。どこに視点を置くか、どういうスタンスをとるか。過去と同じように現代とも距離をとれる。/劇場を持つのは夢。/セリフは枠組み。俳優が相手の言葉に反射的で自立的になってほしい。丸暗記すると表情が出ない。反射で動くと人の心に響く。だからリハーサルはしない。/2テイクやってダメなら中止。進まなければ表現手段を変える。/自分の作品の登場人物への批判はない。悲哀とは言えないが運命のようなものを感じる。社会に対する観念を画面に盛り込んでうるさくなる。初動の頃の直接的なパワーや新鮮さ、そういう感覚に戻りたい。

→映画や映画制作への思い、美学。作ることで迷ったときに読み返したい。

・台湾の社会はどこか原始的。オス同士の戦いにパワーを感じて興味がある。誰がボスかで争っているような。男なら男らしくしていたい。今後は女声が絶対強くなる。世界が変わる。でもわたしは闘争的でオス的な世界に憧れる。
→この正直さ!!相手がオリヴィエ・アサイヤスだから出てくるのだろうか。

・歌への気持ちは特別。一生懸命に歌で感情が出せたら気持ちいい。
→なぜ人が歌うのか、の秘密を見たような気がする。

 

以上!

 

2019年 TOKYO FILMEX上映時のオリヴィエ・アサイヤス監督登壇。

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テキスト編

【レポート】『HHH:侯孝賢』オリヴィエ・アサイヤス監督Q&A | 第20回「東京フィルメックス」

シネフィル的な視点ではなかった。ホウ・シャオシェンの映画を紹介しようとか彼のテーマを分析しようとかではなくて、ひとりのアーティストのポートレートとして、ホウ・シャオシェンという人間その人、友人としての彼をおさめたかった。(レポート本文より引用)

“台湾ニューウェーヴ”がなぜ起こったかということですが、当時台湾には戒厳令が敷かれていて、それに対抗するような知的階級のムーブメントがあったんですね。抑圧的な台湾の文化政策からの解放、台湾の政治や現代社会に対しての言論の自由を謳った人たちがいました。そうしたジェネレーションが小説などを契機として、映画の世界にも広がったと認識しています。(レポート本文より引用)

 


今回の特集上映、我ながらいい順で観ている。

『恋恋風塵』→『日常対話』→『風が踊る』ときて、今回の『HHH: 侯孝賢』。そしてこの日は連続して『冬冬の夏休み』を観た。少しずつ理解を深めている。ありがたい特集。

 

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今回の特集で台湾映画を観るたびに、あらためて『春江水暖』は侯孝賢や台湾ニューシネマのDNAを受け継いでいると感じる。

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読みたい本がまたできた。 

 

 

検索していて見つけた、NYのミュージアムの特集上映のトレイラー。かっこいい。

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映画『風が踊る』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿K's Cinemaで上映中の台湾巨匠傑作選2021侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集を追っている。

 

3本目は侯孝賢のデビュー第2作『風が踊る』。1981年制作。
原題:風兒踢踏踩 英題:Cheerful Wind

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画家の回顧展を観ているようだ。

今は世界中の映画人から巨匠と呼ばれ、40年のキャリアを持つ侯も、台湾ニューシネマ以前の若かりし頃は、このような瑞々しく、伸びしろいっぱいの作品を作っていたのだなぁ。感慨深い。

時代を感じる。題字がイイのよ。

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ファッション、音楽、街並み、家のインテリア......80年代らしさがてんこ盛り。

作品を貫いている呑気さ。あらすじから想像していたのは「ほどほどにシリアスな部分もある恋愛映画」だったが、とにかく呆れるほど呑気で、ずっと可笑しい。時代が異なる、文化が異なると、映画を観ているときの、「え?!なぜそうなる……?(ぽかーん)」というあの感じ。

商業的な成功を目指し、台湾と香港の人気アイドル歌手や俳優を起用した「旧正月映画」のアイドル映画と聞けば納得。どこまでもラブコメで爽快。

娯楽だからこそ社会をより映す。伝統的な家族観や結婚観にとらわれず、自分の人生を考え、選択する主人公の女性の姿は、当時としては新鮮だったのではと想像。

男・恋愛より野心を選ぶ。

CM制作会社で撮影クルーの一員として写真のプロとして働く彼女。恋人と暮らす家の様子。台北版のトレンディ・ドラマかな。

前日観た『日常対話』では、一世代前の人たちの、「結婚するしか女の生きる道はなかった」「独身でいる女の幸せなんか誰も願わない」などという言葉があったから、余計にこの転換期の映画は、「目撃している」感が強い。

男性に「あなた〜やっといて」と指示指図する様子。さらに新鮮さを超えて、「えっそれはやっちゃった(笑)では済まないのでは……」というキャラクター造形のぶっ飛び方は、なかなか理解し難い、不思議なトーンのコミカルさ。

シーンによっては痛快でさえある。権威への軽やかな反抗とも見える。

何気ない会話の中に、「日本」や「日本人」が登場して、いちいちどきどきする。「仰げば尊し」の替え歌も出てくる。田舎町の様子も日本に似ている。

都市と田舎の対比。『恋恋風塵』でも出てきたが、やはりここでも。
『風が踊る』では、澎湖島(ほうことう)の鄙びた漁村でCM撮影をするシーンから始まるが、スティールカメラ担当のシンホエも、彼女の恋人でディレクターのロー材も、田舎らしさが絵になると食いついていく。そこに明確な格差を感じる。

それでも、シンホエはもともとが田舎の出身だからか、都会に暮らし、働きながらも、行き来してどちらにも順応する様子を見せる。親の言う伝統的な家族像には飽き飽きした表情を見せるが、決して田舎がダサくて嫌で出て行ったという感じでもない。

というか、あまり誰の内面も見えない、「ガーン!」という瞬間はあるが、誰も深く考えていなくて、「ま、しょうがないね!」という感じで次の瞬間はニコニコしている。


視覚障害者の扱いにはかなり疑問が残るが、これもまた時代を映しているということだろう。今観るとぎょっとするレベル。


北京語と台湾語も話されているらしい。もしかすると広東語も?北京語と台湾語は全然違うらしいが、どれも知らないわたしからすると同じに聞こえる。「今は台湾語を話す人もいなくなったし」というような言葉が『台湾、街かどの人形劇』では聞かれていた。

終始カラッとしていて、朗らかで、呑気な映画。

時代の勢いと作家の若いエネルギー、その後に通じる作風を感じる一本。

 

台湾映画、おもしろい。あと何本観られるかな。

 

今回特集されている映画の世界を知るのに、この2冊は欠かせない。
劇場窓口で販売しています。

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デジタル版制作、大変だったようです。でもやっぱりきれいな画面だと集中できてありがたい。

www.instagram.com

 

今はリゾートの澎湖島。

news.arukikata.co.jp

 

映画に映っている街並みや空気は、時代と共になくなっていくのだろう。貴重な記録でもある。

 

 

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映画『日常対話』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録

新宿のK's cinemaで上映中の「台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢監督40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集」を追っている。予定が合うものはできるだけ観たい。

https://www.ks-cinema.com/movie/taiwan2021/

 

きょうは『日常対話』を観てきた。英題:Small Talk

https://tdff-neoneo.com/2018/lineup/lineup-173/

オフィシャルトレイラーよりも、監督のアカウントでアップされているこちらが内容を写していて、どんな映画か観たい人にとっては良いと思う。

vimeo.com

 

監督は、黄惠偵(Huang Hui-chen、ホアン・フイチェン)。2016年の作品で、この秋に日本で公開となる。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)は、エグゼクティブプロデューサーとして関わっている。

 

ひとつ屋根の下、赤の他人のように暮らす母と私。母の作る料理以外に、私たちには何の接点もない。

ある日私は勇気を振り絞り母と話をすることにした。ビデオカメラはパンドラの箱をこじ開け、同性愛者である母の思いを記録する。

そして私も過去と向き合い、心に秘めた思いを母に伝える…。

ホウ監督がエグゼクティブプロデューサーを務め、彼の作品等に音楽を提供しているリン・チャンが音楽を担当した、家族の傷を癒すドキュメンタリー。

K's cinema ウェブサイトの作品解説より)

 

実は、つい2、3日前までこの作品を観るつもりは全くなかった。視界には入っていたが、今の自分には観る理由がないと対象外にしていた。

ところが、たまたまYoutubeを観ているときに候補にあがってきた番組で、聾の親とCODA(Children of Deaf Adults)の間の会話を映しているものを観ていて、ふいに『日常対話』の作品解説を思い出した。

「聞こえない親として、聞こえる子を育てるのはどうだったのか?」を尋ねる息子や、「ぼくがカミングアウトしたときどう思った?」と聾の母に尋ねる息子(彼は、元は女性の身体で生きていた人)の姿に、『日常対話』の監督が重なった。

かれらの間にある「目に見える」コミュニケーション手段と、親子として積み重ねられてきた歴史、社会の中でマイノリティと目される人たちの実感、この社会の有り様。

普通であれば他人が見ることのないようなやり取り。親子の間だからこそ、カメラの前だからこそ出てくるような話も多く、ぐんぐん引き込まれて何本も観てしまった。


そして今、このタイミングで『日常対話』を観たほうがいいと思い、チケットを購入した。予感は的中した。

 

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静かな語りとカメラワークによって、少しずつ開かれていく過去。

母と娘のあいだにあること、あったこと、母の半生、そして娘自身の半生。

娘からの質問の手は緩められることがない。カメラを向ける誰に対しても、「なぜ?どうして?」「それは何なの?どういうことなの?」「どう思うの?」と問いかけ、踏み込んでいく。

その一定の緊張が、観客を最後まで連れていく。この対話の帰結を見届けさせる。

それほどに必死なのだ。彼女はこの映画に賭けているのだ。この先を自分が生き、母も生き、娘も生きるために、これをやらねばならない、という強い意志を感じる。

それでいて、露悪的ではない。いや、写っていないところにあるのだろう、そういう大事なことは。

 

対話を重ねる途上では、歴史の中で差別され、虐げられてきた女性の姿が次々と浮かび上がってくる。さらに、そこからも黙殺されてきた、性的マイノリティの存在もある。(追記: 映画の中の「母」は、性的に惹かれる対象が女性ということに加え、性自認が男性寄りな印象をもった。社会的な抑圧から「女性」ということにしているだけで、性自認は男女二項ではないということを知れば、違う言葉が出てくるのではないか。)

 

親戚の言葉も厳しい。「それはあまりな物言いではないか」とも思うが、わたしはこの感じを知っている。わたしの母も祖母もこんなふうだった。戦争は終わったようで、ぜんぜん終わらなかった。女たちは泣き続けた。そのうちにたくさん嘘をつき、知らないふりをし、何も感じなくなっていった。自分が生き延びることに必死で、誰もがなりふり構えなかった時代。傷に侵され、人を傷つけ、自らも傷つける男たち。

ああ、なんという多くの犠牲!

世が世なら、と思う。

 

それでも、希望はある。


動き出す時間。
抱きしめる過去。
伝えることのできなかった愛の言葉。

物語の終盤、娘が仕掛けた行動が、呪いを解く。

過去は変えられない。
しかし意味付けは変えられる。自らが語り直せる。
新しい関係をはじめられる。

 

わたしは映画が終わってほしくなかった。
まだまだ観ていたかった。いつまでもあの人たちを見守っていたかった。

日常「会話」ではなく、日常「対話」の意味が、さざ波のように押し寄せる。

 

 

 

『日常対話』は2021年夏に公開予定とのこと。

物語は書籍化もされており、まもなく刊行予定だ。クラウドファンディングには参加できなかったが、ぜひ読みたい。

http://thousandsofbooks.jp/project/tmama/

 

2019年5月に同性婚の成立を果たした台湾。この作品は歴史の記録としても貴重だ。

www.amnesty.or.jp

 

ぜひ多くの方に出会っていただきたい作品。

 

追記(2021.8.16)

監督インタビュー

www.nikkei.com

 

webneo.org

 

 

 

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初の著書(共著)発売中! 

 

 

 

本『推し、燃ゆ』読書記録

『推し、燃ゆ』を読んだ。
宇佐見りん/著、河出書房新社/刊。2021年の芥川賞受賞作。

 

経緯。

今月初めの『きみトリ』の読書会で、共著者のライチさんが紹介していて気になった。芥川賞もとったし、「読んだ、すごい」と方々からつぶやきが上がっていたので、知ってはいたが、わたしはたぶんライチさんがおすすめしなかったら読んでいなかったかもな。

読書会レポートより。

推しを応援すること、表現することで自分と出会っていく主人公に自分を重ねる。人とかかわる上での通じ合えなさ、もどかしさに共感する読書体験をぜひ。(『きみトリ』でいえば、思春期、体調、人間関係(境界線)、恋、仕事などいろんなテーマに関わりそう)

あとは、「感覚の表現の仕方がすごい」と言っていたのも気になった。そういう小説、好き。

 

 

読んでみて。

ああーこういう感じだったのかーと唸った。

ひりひり痛いんだろうなぁと想像していたんだけど、そうなんだけど、「こういう感じ」というのは......正直やられたって感じ!

 

※もしかしたらここから、読書体験に影響するようなことを書いているかもしれないので、そういうの気にしないって方だけ読んでくださいね。

 

主人公のあかりちゃんは非常に独特の感覚を持っている。

特に視覚、嗅覚と皮膚感覚が際立っている。音は繊細に聴こえてくるというより、目から入ってくる感じ。味覚はずさんで、何でもいいというような投げやりな感じでアンバランス。この感覚の描写がリアルなので、わたしもひととき、あかりちゃんになれる。あかりちゃんによって描写される世界に、ひととき身を浸すことができる。

読み進めていくと、もしかしてあかりちゃんは発達障害とか、何か名前のつくような困りごとを抱えているのかもしれないと感じられるようなことが、家の中や学校やバイト先で次々に起こる。

でも、彼女自身はもちろん、彼女にかかわる誰もそのことは思い当たらない様子で、そこにハッとした。わたしの界隈では学んでいる人が多いから、解明されてきたことも多いし、だいぶ世の中の理解が進んできたのかなぁなんて思っていたけれど、そうでない環境にいる人のほうがまだまだ多いという可能性はあるのかもしれない。

周りの人はあかりちゃんに苛立ったり、呆れたり、果ては見捨てたりしている。当人は努力しているけれど、なぜ周りがそんなふうに怒ったり、泣いたり、無視したりするのか、わからなくて途方に暮れている。周りもわからない。これは辛い。

 

ちょうど本を読む前に、お昼を食べに行っていたカフェで、入りたてのスタッフさんが、先輩から教わりながらテキパキと動いていたのを見ていて、「うわぁ、覚えることもたくさんだし、頼まれごとややることがどんどん重なるし、不測の事態も頻発するし、考えてみれば飲食のお仕事ってめちゃくちゃ高度な脳みその使い方だよなぁ」と思っていたので、あかりちゃんが居酒屋でバイトしているくだりを読んでいるときは、すごくリアルだった。

わたし自身、飲食業でアルバイトしたこともたくさんあった。うまくできないことのほうが多くて、怒られたり、呆れられたり、なじられたりして、楽しいこともあったけれど、自分だめだなぁと思うことのほうが多かったのを思い出した。やっぱりわたしは気が利かないんだとか。あのときのいたたまれなさが、ぽこぽこと湧いてきた。ひいー。

 
そうはいっても、あかりちゃんは推しにまつわることでは、驚異的な能力を発揮する。ブログでまめに発信しているし、コメントにはそれぞれの人の背景や関係を考慮してコメントを返す。文章表現力もある。日常生活では抜けてしまうようなスケジュール調整も計算も物品管理も、とにかく推しにまつわることであれば、ナチュラルにやれている。
 
でも、その推し活の中身に、日常で関わっている人は誰も覗けない。いや、見えているのだけれど、「評価」しない。理解さえしたくないと疎まれるし、外界からの刺激を遮断して安全地帯にいる振る舞いにもなるので、やればやるほど蔑まれる。そんな辛さをあかりちゃんは日常的に抱えている。辛い!ここには 「勉強」と「遊び」の断絶というテーマもあったりする。「それは遊びであり、怠けである」という。
 
あかりちゃんは、「人でない」推しを通じて、世界とのつながりや自分の存在を確認している。それが「人」になった瞬間、自分を支えていた構造が揺らぐ。この「自分と世界との間に半透明の膜がある」感じは、映画『勝手にふるえてろ』の主人公ヨシカに酷似している。膜は半透明なのでよく見えない。度のきつい眼鏡をかけているときのように、輪郭がぼやけたり、歪んだり、精細には見えなかったりする。本人も「生き下手」と自分を呼ぶ。
 
わたしはとにかくあかりちゃんの心身の健康が気になった。どうか特性を理解して、生活をしやすくするやり方を一緒に考えたり、実践してくれる人が現れますように。今かかわりのある人の中で違う出会い方をするとか、あるいは全然明後日の方から出会うとか、あかりちゃんがたまたまネット記事で出会うとか、なんでもいいから、なにか間に入って状況説明してくれる人、モノがありますように、とひたすら願っていた。
 
 『勝手にふるえてろ』では、半透明の膜を破って来てくれる人がいるのだが、果たしてあかりちゃんにはそういう存在(人でなくてもいいから)は現れるのか!?
 
ラストがね、またすごいですよ。ご存知の方は、「ホドロフスキーのサイコマジックみたい」と言えばへええ、と思っていただけるのでは。
 
 
おまけ。
この本を読んだ日の深夜、わたしは珍しく起きていました。どうしてかというと、0時ちょうどに映画のチケットを予約するため。
緊急事態宣言が出ているので、当日の0時からオンラインでの予約が開始というふうに変更になって、さらに劇場によっては席数を減らしていたりするので、ぼやぼやしていると売り切れてしまうのです。映画自体も、日本最終上映になっているとか、この先10年、20年かからないかもというような作品を今やっていて、しかも我が青春の映画なものだから、どうしても観たくて......。
 
これとこれ。
 
 
そう、これが推しですよ。アートへの愛ですよ。
推しのためには、人は普段はできないことでも乗り越えられる。推しは力をくれる。
自分の好きなものを大切にしていきましょう。
 
好きなことがわかんなくなったら、子どもの頃にやっていたことを思い出して、もう一度やってみるとかね。
これは子どものやることだから、と切り捨てたものの中に、自分だけの宝物があるかもしれない。
 
 
『推し、燃ゆ』おすすめです。一気に読んじゃいます。
10代にも読んでもらいたいなぁ。
 
 

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〈お知らせ〉【対話付き特別上映】映画『あこがれの空の下〜教科書のない小学校の一年〜』

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今月のシネマ・チュプキ・タバタさんとお送りする〈ゆるっと話そう〉は、特別版!
 
【対話付き特別上映】
映画『あこがれの空の下』
✖️
書籍『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』
〜「子どもが教育の主人公」はどうしたら実現できるか〜 
 
東京・世田谷の和光小学校の一年を追ったドキュメンタリー映画あこがれの空の下〜教科書のない小学校の一年』を観た人同士で、感想を語ります。
 
 
さらに、著書(共著)『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』をご紹介し、「"子どもが教育の主人公" はどうやったら実現できるか」について、皆さんと一緒に深めていきます。共著者の麻由美さんとライチさんも来てくれます。
きみトリをまだ読んでない方も、本をお持ちでない方もご参加いただけます。
 

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 まるでその場にいるような臨場感。
1クラスずつ、1学年ごとに訪問して、一緒にすごしているような感覚。
先生との対話から感じる「人を尊重し、受容し、主体性を育む場」とはこういうものなのか、学校という枠組みの中でもこんなふうに実現できるのか、という驚きと喜びが、観賞後の時間が経つほどに染み込んできます。
 
わたしたちが『きみトリ』で手渡したかった、「あなたの心と身体、意思と選択を大切にしてよい。一人のあなたと共に、わたしは社会をつくっていきたい」というメッセージにもつながることから、今回の企画となりました。
 
話したいことがたくさん生まれてくる映画です。大人も子どもも対等に言葉を交わし、学びあう場を、ゆるっと話そうで実現できたらと思います。

(告知ページより)

〈ゆるっと話そう〉のファシリテーターを務める私、舟之川聖子は、昨年末、『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』という本を仲間と出版しました。
https://amzn.to/3djagAp
 
10代の人たちに向けて、「この社会は与えられたものではなく、あなた自身の手でつくれる場だよ」というメッセージを届けたくて作りました。

思春期の心と身体、友達や恋人との人間関係、仕事やシチズンシップなど、人間と社会に関わる15のテーマを並べ、著者の体験に基づく社会の取り扱い方をシェアしています。若い人たちに未来をつくる希望を感じてもらうと共に、10代の周りにいる大人たちや、かつて10代だった大人たちとも、この本を通して対話したいと思い、「きみトリプロジェクト」という活動をしています。活動についてはこちらhttps://kimitori.mystrikingly.com

子どもも大人も、自分らしく幸せに生きられるように、異なる他者と共に平和に生きられるように、社会という場はどのようであればいいのか、どうすれば実現できるのか。映画『あこがれの空の下』の子どもたちと先生たちの授業や学校生活をヒントに、みなさんと感想を話しながら考えていきたいと思います。

「和光小学校はすごいな、それにひきかえわたしの関わる場では……」という羨望や失望の感情が湧いてくる方もいるかもしれません。実際わたしはそうでした。それも大事な感情です。

ただ、現実を嘆いた後に、 「こんなふうに子どもを育むことが、どうして可能なのだろう?」 「先生が幸せそうに働けている現場には何があるのだろう?」 「子どもが主人公の場で大切なことはなんだろう?」 「わたし・わたしたちにできることは何だろう?」と、光を探していきたいのです。

概念的な理念や具体的な言動を行ったり来たりしながら、映画のシーンやエピソードを思い出しながら、『きみトリ』も参考にしながら、参加者のみなさんと対話と学びを深めていきます。

子育て中の方、教育関係のお仕事の方はもちろん、小中高校生の方、
様々な動機や背景から教育に関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしています。

・日 時:2021年4月28日(水)12 : 20〜15 : 45(開場 12 : 00)
                 【映画上映】12 : 20〜14:01       
                                 —-休憩—-    
                【映画の感想・対話】14:15〜15:45
・会 場:オンライン会議システムZoom

 
続きは、お申し込みページでご確認ください↓
 
 
★〈ゆるっと話そう〉は、どんな場?
映画を観た人同士が感想を交わし合う、アフタートークタイム。
映画を観て、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?
印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。
他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。
初対面の人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

さらに詳しく↓ 
 
<これまでの開催> レポートはこちらから。

ウルフウォーカー/ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ/アリ地獄天国/彼の見つめる先に/なぜ君は総理大臣になれないのか/タゴール・ソングス/この世界の(さらにいくつもの)片隅に/プリズン・サークル/インディペンデントリビング/37セカンズ/トークバック 沈黙を破る女たち/人生をしまう時間(とき)/ディリリとパリの時間旅行/おいしい家族/教誨師バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版/人生フルーツ/勝手にふるえてろ/沈没家族   

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〈お知らせ〉2021 夏至のコラージュの会、オンラインでひらきます

年に4回、暦の節目につくるコラージュの会をひらいています。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

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雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、
だれでも気軽に楽しめるコラージュです。


今回は夏至の日にひらきます
北半球では昼がもっとも長くなり、南半球ではもっとも短くなる日。
一年ももう半分。どんな時間だったでしょうか。そしてこれからの半分をどう過ごしましょうか。

コラージュで描いてみたら、大切な願いが見えてきますよ。


コラージュで形にしていきましょう
頭の中でもわもわしている好きなこと、したいこと、ほしいもの、行きたい場所。
あらゆる制限をとっぱらい、直感を頼りに写真や絵や文字を切り貼りしているうちに、今の自分の状態とこれから生きたい世界の様が、おぼろげながら形をとってきます。

無心で集中する心地よい時間です。

制作のあとは鑑賞会
他の参加者さんからの感想や質問があることで、理由もわからず貼っていたパーツにも、自分が大切な願いを込めていたことに気づきます。


前回・春分の会の様子
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/03/20/174907

会が終わる頃には、作品にあふれる自分らしさを愛おしく感じることでしょう。
「今のわたしに必要かもしれない!」という気がしたら、どうぞご自身の直感を信じておいでください。
わたしは心を込めて皆さんをガイドします。

ご参加お待ちしております。


▼日時
2021/6/21(月) 13:00-16:00(開場 12:50)
▼会場
オンライン会議システムZOOM(お申し込みの方にお知らせします)

続きはPeatixのサイトへ。

collage2021midsummer.peatix.com


お申し込みお待ちしております。

 

info_____________________

雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、
だれでも気軽に楽しめるコラージュです。
オンラインでの"出張"ファシリテーション承ります。

お問い合わせはこちらへ。

 

2020年12月 著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社

 

映画『君がいる、いた、そんな時。』鑑賞記録

4月に入ってから、綴るエネルギーを他に向けている。
でもとりあえずの鑑賞記録は置いておくぞ!ということで、ツイッターからぺたりと。

 

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きのうチュプキさんで最終日だった『君がいる、いた、そんな時。』を観た。正直「え?!」と思う展開のジャンプ感や設定や編集の謎はありつつ(すいません、、)ちょうど今片付け月間で、長らく手がつけられなかったものに片が付いたり、物と向き合うことから自分の人生について考えたりしていたので。

 

止まっていた時間が動き出した人の物語に、思わぬ符号を感じて、大変よかった。それぞれにタイミングというものがあり、どうにかしたいと自分でも思っているのだけれど、溜め込んでしまうときに、誰かとの踏み込んだ関わりの中で進展していくのは、とてもありがたい。  

 

自分のルーツや属性を受け入れられないこともある。周りが否定的であれば特に。でもそれも誰かの無意識の振る舞いや、踏み込んだ関わりの中で動き出すときがくる。人って嫌だな〜とも思うし、ありがたいよねえ〜とも思う。

 

自分の小学校時代にこういう子いたな、とチラつく顔が何人かあった。いつもすごくテンション高くてうるさい子、無愛想で無表情で感じ悪い子、いじめられているのにヘラヘラしてる子、いじめていた子、そしてそれを見ていて関わらなかったわたし、とか。

 

この映画を見てみようかなと思ったのは、学校図書館司書の先生も登場人物の一人だったから。学校の中にあって、しがらみから開放される図書館という待避所は大事。「指導」の顔せず、フラットに話ができる司書さんの存在。ここの図書館は明るくて、校舎からちょっと外れたところにあるのがいい。

 

ぜんぜん前情報入れずにパッと行ったから、エンドロールで「呉だったのか!」とびっくりした。なんとなく西の方、岡山、広島、山口あたり、内海っぽいな、長崎の可能性もあるかな(いやそれにしては山が低い?)など考えながら見ていたから、わりと近くてうれしかった。

 

去年、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の対話のために呉についてあれこれ調べていたので、また出会えて、また別の表情が見られてうれしい。

 

一分の隙もない完璧じゃない映画の、余白みたいなものもいいなぁ、と昨日から感じている。厳しい批判と評価に晒される分野もあるけれど、関わる人、受け取り手にとってよい体験になるなら、それはそれで良いではないか。緩みも持っておきたい。そしてそれは言い訳ではなく大切なプロセスである、とか。

 

 

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映画『RBG 最強の85才』鑑賞記録

映画『RBG 最強の85才』を観た。

 

弁護士としても多くの性差別訴訟を手がけ、60歳で史上2人目となるアメリ最高裁判事に就任し、2020年9月18日に死去するまで27年間、その職を全うした。リベラル派を代表する存在で、絶大なる支持を得ていたルース・ベイダー・ギンズバーグの人となりと人生に迫ったドキュメンタリー。映画は2018年制作。

www.finefilms.co.jp

youtu.be

 

 

観るまではしょっちゅう、RGB、RBG、どっちだっけ?

違う違う、RGBは色指定するときの表記だ、だからRBG......などと脳内でぶつぶつやっていたが、これからはもう間違えない。

RBG!ルース・ベイダー・ギンズバーグ!この名前がしっかりとわたしの中に刻まれた。

 

わたしがRBGについて知ったのは、この映画が公開になった頃か、直近のアメリカ大統領選挙の少し前ぐらい。恥ずかしながら、ほんとうに最近まで全然存在を知らなかった。

 

映画を観てびっくりした。こんな偉業を成し遂げた人だったとは。

1959年のハーバードロースクール入学時に、男子学生500人に対して女子学生は9人だったとか、大学図書館の入館を断られたとか、驚くけれど、また一方で、そうかアメリカにもそういう時代があったんだよな、それを変えてきた人たちがいるんだよな、とも学ぶ。

 

一つひとつ積み重ねる彼女の言動に、一人ひとりが勇気を得て、声を上げて、動いて、きっと今のアメリカがあるのだろうな。もちろん彼女以外にもたくさんのアクティビストがいて、あちこちでうねりをつくってきたわけだけれど、でも、最高裁判事という立場にあるということは、三権分立のひとつにおいて責任ある地位を担うということは、ほんとうに大きいだろう。

法律を軸にした場の守り手となることで変わることは多い。けれども誰でも行ける場所ではない。その努力や、資質や、恵まれた能力、環境、周りの人たちのサポートなど、いろんなことが彼女を押し上げていった。待たれていた人だったんだろう。

夫、娘や息子、孫娘も登場していて、一人ひとりがすごくよい。

夫は、「あの年代の男性としては珍しい」「彼はわたしの知性を愛した」。父の娘としてでも夫の妻としてでもなく、「私」として生きて働いて闘ってきた人。

最近この本を読んで唸ることばかりだったので、特にこの箇所は響いた。

 

 

映画では彼女の法廷での言葉が数多く引用されており、観る者の心にもダイレクトに心に響いてくる。元気が出る、勇気が出る作品だ。何も変わらないんじゃないかと絶望するとき、悔しくて眠れないとき、RBGの言葉を思い出したい。こういう人が歴史をつくってきたんだということを皆で記憶していきたい。

人種差別と戦った男の人だけでなく、人種差別と戦った女の人も、性差別と戦った女の人たちも、ちゃんと歴史に刻まれてほしいとも思う。

 

フランスのシモーヌ・ヴェイユも!

m.huffingtonpost.jp

 

もちろんアメリカだって、2020年のジェンダーギャップ指数は156カ国中30位で、まだまだ道半ばな分野も多い。

しかし日本に至っては120位。......言葉を無くす。

一つひとつ、一ステップごとにコツコツとやるしかなかった時代を経て、今は共有知となっていることも多い。もっと加速できるはず。

ここ日本でもきっと、同じステップを小幅にじりじりと歩まなくてもいいはず。一足飛びで発展したっていい。

先人たちの叡智のバトンを受け取って、さぁ何をする?どう動く?

 

youtu.be

 

オペラが好きだったRBG。彼女が亡くなったときは、たくさんのオペラ歌手はじめメトロポリタンオペラの関係者が、インスタグラムに写真を投稿していた。

わたしもここ数年メトオペラをライブビューイングでよく観る。RBGもあの客席のどこかで観ていたのだなと想像し、同じ芸術を愛する者同士のつながりを感じている。

 
 
 
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たまたまこれを観ていた日は、「女性の日」だった。

 

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wotopi.jp

 

 

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本『戦火の馬』読書記録

マイケル・モーパーゴ著、 『戦火の馬』を読んだ。

 

3月にNational Live Theatreのアンコール上映で、舞台版の『戦火の馬』を観たことがきっかけで読んだ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

原題は"War Horse"。1982年に出版された本で、ジャンルは児童小説となっている。

イギリスの田舎で農場を営む両親の元に生まれたアルバートは、父が手に入れた仔馬ジョーイを可愛がってきた。第一次世界大戦が始まり、ジョーイは軍馬として徴用され、フランスの戦線に送られてしまう。悲しむアルバートはジョーイを探し出すことを誓う。一方のジョーイはその後、さまざまな人間と出会いながら数奇な運命を辿る。果たして"二人"は再会できるのか、そして無事に故郷へ帰ることができるのか......?

2007年に舞台化、2011年に映画化されている。舞台は、3人で1体を遣う等身大のパペットであること、映画は、スティーヴン・スピルバーグが監督したことで知られる。

 

わたしは舞台を観てから本を読んでいるので、本からこの物語に入った人とはまったくちがう体験をしていることと思う。

原作は、馬のジョーイが「私」と一人称で語るところが特徴で、そのことが舞台の記憶をより鮮やかに立ち上げてくれている。

舞台ではジョーイは明確に主人公ではなく、どちらかというとアルバートに感情移入しやすいつくりになっている。しかしそれでいて、アルバートが完全に主人公とも言い切れない。観客の関心はあくまでもジョーイにあって、ジョーイの存在を通して、目の前の人間たちの言動や営みを間接的に観ているような、不思議な感覚に没頭できる作りになっている。

物言わぬジョーイから、どんな世界が見えていたのか、人間がどのように見えていたのか、ジョーイ自身が語るからこそ初めて知ることができた部分も多い。それでいて、単に動物を擬人化してしゃべらせているわけでもない。

馬は人間の言葉は理解しているそうだが、そうはいっても動物だから人間界で起こっていることの理屈がわかっているわけではない。その馬としての過去現在未来の時間の感覚や、視界の描写や、感情表現が、抑えたトーンで綴られていく。

ふかふかの干し草の寝床の快適さや、ふすまをお腹いっぱい食べたときの充足感と、逆に寒い中でぬかるみに立ちっぱなしで夜を明かさなければならない辛さや、脚を痛めたとき、仲間の馬を喪った辛さなど、まるで自分が馬になったかのような錯覚になる。

いくつかの設定や個々のエピソードは少しずつ違っているのだが、違和感は全くない。どちらが良い悪いと比較する気持ちもあまり湧いてこない。二つの世界が融合して、壮大な物語の体験をしている。

 

舞台でも人間からしばしば無理難題をつきつけられ、こき使われ、利用されているにも関わらず、なんとか懸命に要求に応えようと死に物狂いで動く馬たちに思わず涙が出たが、小説でも同様だった。

第一次世界大戦では、4年にわたる戦闘で、およそ100万人のイギリス兵が亡くなり、200万頭の馬が死んだ。銃弾や大砲に倒れ、又はぬかるみに浸かったり、有刺鉄線に絡まって病気や怪我によって。終戦後は、生き残った馬を本国に輸送するには費用がかかりすぎるという理由で、食肉用としてフランスの肉屋に売ったという。

そのような史実を知ったことも、モーパーゴがこの小説を書く動機になっているそうだ。

 

戦争の凄惨さと愚かしさを馬の視点で描いた作品。

人間はこれから動物とどのような関係を作っていくべきか、も考えられる。

 

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CAVA "Garçon ! " 鑑賞記録(過去記録)

過去の記録より。2016年4月9日。

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マイムパフォーマンスグループ、CAVAの新作『Garçon !』を観てきた。

CAVAの公演はこれで3回目。1回は今は亡き表参道の「こどもの城」にて、1回は池袋あうるすぽっとのバックステージツアー、もう1回は丸山和彰さんと藤田善弘さんのユニット「累累」。

これまではマイムというと、子ども向けの演劇か、短い抽象的な演舞か、どちらかの印象があった。CAVAの舞台はストーリーがしっかりとあるので、演劇を観ている感触はある。でも無言劇だから人間の声はしない。その鑑賞体験をたとえるなら、「誰かの夢の世界へ、無理矢理連れて行かれた」という感じ。夜見る夢ね。

想像をめぐらせる余白がたっぷりと残されている。
その想像は楽しくもあるけれど、舞台上の情報から組み立て考えながら観るパフォーマンスなところは、わたしの中で落語を聞くときに通じる感覚。

小さなサインを取りこぼすとついていけないから、かなり全身を研ぎ澄ませて観ている。

 

役者はしゃべらず、音楽が雄弁に語るところは文楽っぽくもある。


今回はクラリネットアコーディオン、バイオリン、コントラバスの生音で、贅沢だった。子どもウエルカムの日だったけど、みんな集中して観てたなぁ。

 

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現在は活動されていない模様。きっと人生、いろいろ、ありますよね。

www.cava-mime.com

 


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展示『明治のたばこ王 村井吉兵衛』@たばこと塩の博物館 鑑賞記録

たばこと塩の博物館で開催の『明治のたばこ王 村井吉兵衛』展に行ってきた。

www.tabashio.jp

 

たばこと塩の博物館(通称:たば塩)には、渋谷の公園通りにあった時代に一度行ったことがある。細かいことは忘れたが、たばこ用品やラベルなどの収蔵品の膨大さと美しさに圧倒された記憶がある。当時の様子は、美術ブロガー・青い日記帳さんによる移転前の最後の企画展のレポートが詳しい。

 

2015年に墨田区に移転した後、行きたいと思いつつも、ずっとタイミングを逸していたが、今回の企画展示は、「明治」というキーワードがヒットしたので出かけることにした。

樋口一葉記念館を訪れたあたりから(この記事をどうぞ)、加速度的に明治に関心が向いている今日この頃。

今の日常は、明治の近代化がルーツになっているものが多い。日本という国の大きな節目に起こったことを分野横断的に探究することで、疫病や災害によって揺れる今の時代をどうにか生きるヒントがつかめるのではないかとわたしは考えており、それを日々、ミュージアムやライブラリー、シアターを訪ね歩き、鑑賞し、記録している。

今の目で過去を見つめ、そして視点を過去において今を見てみる。
それら二方向への眼差しを向けながら、さらにここから先の未来を見据える。
私個人として感じ、考え、想像しながら一歩踏み出す。
誰かと共に踏み出す。

そのような同時代の人間の営みのためにミュージアムは存在している。

活用しがいのある学びの宝庫。

 

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今回の鑑賞で印象に残ったこと、新たに知ったことをまとめた。

●たばこで串刺す歴史

常々、歴史とは人・物・事・地で串刺してみると、その度ごとに見え方が変わると思っているが、今回のように「たばこ」で日本の歴史を串刺してみるのは新鮮でおもしろかった。たば塩以外の誰も、たばこの歴史を知らせようと教育普及活動をしている者がいないということも大きい(とはさすがに言い過ぎだろうか)。

 

 

JTとこの博物館の成り立ち

現在、日本でたばこの製造販売を担っているのは、JT日本たばこ産業株式会社)財務省所管の特殊会社。1985年の民営化で日本専売公社のたばこ事業を引き継いで設立された。

日本専売公社とは、1949年に発足した特殊法人で、戦後GHQからの要請で、それまで大蔵省専売局が行ってきた、たばこ、塩、樟脳の専売業務を引き継いだ。

大蔵省専売局>>日本専売公社>>日本たばこ産業株式会社 の流れ。

専売制とは、特定物資の生産、流通、販売を独占して、国家などが利益をはかる仕組み。日本では江戸時代の初期から存在していた。

今回の展示は、たばこが政府の専売制となる前に、一代で財を成し、その後歴史の間に消えていった実業家、村井吉兵衛の物語。

 

たばこと塩の博物館は、JTが運営するミュージアムで、大蔵省専売局時代からの所蔵資料を持つ。

たばこと塩に関する資料の収集、調査・研究を行い、その歴史と文化を常設展示を通して紹介している。また、特別展はたばこと塩以外にも幅広い文化の紹介を行っている。

常設展だけでも見応えがあるが、特別展の視点のおもしろさと切り込み方の深さは独特。たとえば現在開催中の「ミティラー美術館コレクション展 インド コスモロジーアート 自然と共生の世界」などは、たば塩でしかやらないような目の付け所が魅力的。


今回の特別展は、「たばこ」そのものの歴史にガッツリと切り込んだ、言ってみればたば塩としての研究成果の披露。これだけの充実した内容で、常設展と合わせて入館料が100円なのは、企業運営のミュージアムとはいえ、ほんとうに驚き。

 

 

 ●知られざる実業家、村井吉兵衛

村井吉兵衛(1864-1926)は、たばこが専売制になる1904年(明治37)以前に国内最大手だったたばこ業者です。京都のたばこ商の家に生まれた吉兵衛は、将来有望と見込んだ人物を引き入れて「村井兄弟商会」を設立し、アメリカの技術を学んでシガレット(紙巻きたばこ)の製造に乗り出します。

1891年(明治24)に「サンライス」、1894年(明治27)には「ヒーロー」を発売し、同じく大手たばこ業者だった岩谷松平や千葉松兵衛と「明治たばこ宣伝合戦」を繰り広げました。さらに1899年(明治32)には葉たばこ産地のアメリカで勢力を増していたアメリカン・タバコ社と資本提携を結ぶなど、その斬新で大胆な経営は日本の産業界に大きな影響を与えました。

たばこ専売制の施行によってたばこ業から撤退した後は、銀行を足がかりに鉱業や農場経営など様々な事業に着手し、政財界に幅広い人脈を築きました。当時の実業界では、渋沢栄一岩崎弥太郎に匹敵する人物として評価されていましたが、今日ではその名を知る人は多くない“隠れた偉人”といえます。

本展は6つの章とエピローグで構成します。たばこパッケージや看板・ポスターなどの多彩な館蔵資料から、村井兄弟商会を中心とした明治のたばこ産業について紹介するとともに、文書や写真などから吉兵衛が興した事業や一族の足跡をたどります。約150点の資料を通して、近代たばこ産業を創った実業家・村井吉兵衛の人物と業績を紹介します。(たばこと塩の博物館HPより)


村井吉兵衛は、たばこ以外にも様々な事業を手がけて日本の産業や経済を発展させ、海外との取引も業界ではいち早く乗り出した人物なのだが、一般的に名はあまり知られていないと思う。少なくともわたしは全く知らなかった。

同じ実業家でも、渋沢栄一でも岩崎彌太郎などの超ビッグネームとはまた違うポジションに置かれているのは、名前や業態が変わって過去の偉業の痕跡がわからなくなっているからなのだろうか。あるいは、名を上げたのがたばこだから、なんとなく忌避されているのだろうか。

いずれにしても、これほど大々的に、たばこという切り口から村井吉兵衛に光を当てられる者は、繰り返しになるが、たば塩しかいないという気がする。

村井吉兵衛ゆかりの有名なものといえば、モダン建築。その存在は知っていたけれど、来歴は初めて知った。

長楽館 https://www.chourakukan.co.jp/chourakukan

旧村井銀行祇園支店 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/113777/1

村井銀行七条支店 https://kyo-kindai-archi.hatenablog.com/entry/2019/02/09/153000

村井ビルディング https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2013/08/55.html

 

 

 ●村井吉兵衛の人物像

吉兵衛はもともとたばこを商う家の出だったが、小商で終わりたくないという野心があり、会社を設立した。自分が見込んだ人物をつぎつぎと妻の妹たちの婿養子にし、村井家の一員にして連帯を強めていくなど、戦略的に拡大していった。

村井吉兵衛は研究熱心だった。洋書などから独学でたばこの製造法を会得したり、英語の銘柄で売り出したり、もっと質のよいたばこを求めてシカゴ万博に視察に行って製造機械の購入契約と、アメリカ産のたばこ葉の買い付けもしている。清国(当時の中国)や韓国向けにも販売量を伸ばしていく。(この野心と先見性よ!)

もう一人のたばこ王で、ライバルの岩谷松平(岩谷商会)との広告合戦でもそうだが、とにかく競合他者がやらないことを先んじて仕掛けていったのが村井。同じたばこ業界だけを見ているのではなく、他の業界、他の国など、視野を広くとっていることが見て取れる。
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t20/index.html

実際にパッケージ一つとっても、デザインが洗練されている。ライバル会社のパッケージも、今見るとそれはそれで味わい深いけれど、明治に入って「浮世絵ってもうダサいよね」という雰囲気の中で、感性を先取りしたデザインは、人々の目を引いたことだろうと思う。デザインだけでなく品質にもこだわっていたそう。

たばこ業界において最先端のモードを作り出して行った手腕は、当時のたばこ業界においてはやはり別格だったではないかと想像する。

「列強に追いつき、対等になり、さらに追い越そうとした」を一代で成そうとしていたのか。たばこ事業から撤退した後も、銀行、農林、鉱業(石油・石炭)、物流、紡績など幅広く事業を手掛けた村井に、いったいどういうビジョンがあったのか。

また、外国の異なる人種、言語、文化、風習の違いの中で、どんな驚きや悔しさや喜びがあったのか。アメリカン・タバコとのやり取りの中では、15年間の利子無配当というえげつないこともされたようだ。

自伝や日記の類は残っていないそうで(手紙ぐらいはありそうなものだけど)、もともとなかったのか、遺族が提出していないのか、散逸したのかは不明だが、ふと村井自身の言葉を聞いてみたくなった。

 

 

●たばこの専売制から見る、日清戦争から日露戦争のあいだに起こったこと

自由に製造販売していたたばこが、なぜ1904年に政府が独占的に行う専売制(葉煙草専売法)となったのか?

ここの流れが少々複雑で、会場では文書だけが展示されていて、全く流れがつかめなかったが、図録を読んで少しずつ理解した。

理由は二つ。一つは、日清戦争後、軍備拡張のための税源を確保するため。もう一つは、村井兄弟商会がアメリカン・タバコと資本提携しているために、日本のたばこ市場が海外資本に侵食されるのを防ぐため。

背景には、専売法が施行される前の1902年、

アメリカン・タバコ社とイギリスのインペリアル・タバコ社が手を結び、巨大なトラスト、ブリティシュ・アンド・アメリカン・タバコ社(B.A.T.社)が成立し、村井兄弟商会の株もB.A.T.社が保有することとなりました。(図録p.61)」

これが脅威としてあったようだ。(ブリティッシュ・アメリカン・タバコは現在もあるたばこ企業で、世界シェア2位、KENT, KOOL, LUCKY STRIKEなどのブランドを持つ)

 

村井のライバルである岩谷商会の岩谷松平は、当初は専売制度に反対していたが、政府から施行後のたばこ業者への補償(交付金)措置が示されたことで一転、専売施行を認める立場に。ただし、その補償額の産出基準が村井兄弟商会に有利だと批判して、衆議院で修正案を可決させた。外資 VS 国産 の構図。

しかしこの規程は、村井兄弟商会の株を保有する英米の資本家の批判を浴びて、外交問題に発展。(このときの外務大臣小村寿太郎

交付金と原料、機械、土地建物などの資産買い上げに加え、B.A.T.社 はのれん代(goodwill)も請求。アメリ国務長官を巻き込んで申し立てを行った。

「日本政府は当初こうした批判や要求に対し安易に譲歩しなかったが、日本の国際評価が下がり、日露戦争のための公債募集に支障を来す危険が生じたため、最終的には大幅に妥協することとなった。交付金は規程どおり売上の2割としたが、東洋印刷会社の工場などを買い上げ、多額の上乗せを行うことで対応した。(図録p.67)」

この時期、日露戦争の戦費調達のため、ニューヨークやロンドンで公債募集に奔走していたのは、日本銀行副総裁の高橋是清。ついこの間まで鎖国していたような東洋の小国が、ロシア帝国に向かって仕掛ける戦争などだれも期待せず、日本の国債を買う人などおらず苦戦していたところ、アメリカ金融界の重鎮、ジェイコブ・シフ(ユダヤ投資銀行クーン・ロープ商会 頭取)から応募の約束を取り付けた。「シフの意図としては、日本が戦勝すればロシアのユダヤ人迫害が緩和すると見込んだ」というようなことが『高橋是清自伝』で回顧している。

この決断を聞いたアメリカン・タバコ社の社長が、シフを訪ね、「専売制導入における補償の見直しを交わし続けるような日本政府の公債募集に、シフが応じた」ことを非難した。シフはこれを受けて、「日本政府は然るべき説明をすべき」と高橋是清に伝えたという記録がある。この後高橋から政府筋に連絡が行き、たばこに関する交渉は妥協の方向へ進んでいったと思われる。

戦費の方も無事に獲得でき、かくして日本政府は調達した資金で軍艦を購入し、東郷平八郎率いる日本艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、1905年日露戦争で勝利した。

ジェイコブ・シフと日露戦争に関する論文(『ジェイコブ・H・シフと日露戦争アメリカのユダヤ人銀行家はなぜ日本を助けたか― 二 村 宮 國』帝京文化研究第19号)
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/mnimura19.pdf(PDF)

専売の時代(戦前)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t21/index.html

 

なんとこんな流れがあったとは。

戦争費用を公債によって調達していたことも知らなかったが、日清戦争日露戦争のあいだにこんなごたごたがあり、そこにたばこが関係していることなど全く知らなかった。

ただの名称や起こった順番としてしか把握していなかった年表上の史実が、たばこという虫眼鏡で観察したことで、誰かの意図や行動でできていることを確認できた。しかもその誰かというのは、自分と同じ人間である。

史実と史実の間に文脈が生まれる瞬間はおもしろい。それを取り持つものが、人や物。おもしろい!

 

 

●「成功」ブーム

日清戦争後に「成功」という言葉がブームになったという展示も興味深かった。

実業之日本社(現在も営業中)が1902年(明治35年)に刊行したA.カーネギー『実業の帝国』(原題:The Empire of Business)が、「成功の秘訣を説く」という売り込みでヒットしたことがきっかけと言われている。

同社は、雑誌『実業之日本』や書籍で、実業家の成功譚を紹介することで部数を伸ばし、たばこ業界のトップに君臨した村井吉兵衛もよく取り上げられていたという。今で言う、ビジネス書、ビジネス雑誌のはしりといったところか。

「ビジネス書」で歴史を串刺したら、これが一番最初に出てくるのだろうか。それとも日本で一番古いビジネス書はもっと前の時代にあるのだろうか。「成功」という言葉もこれが一番古いのだろうか。

いずれにしても「成功」という言葉がこの時代にブームになったということ。やはり「男社会」の用語として誕生したのか。なんだか納得。

 

 

 

●印刷、パッケージデザイン、広告の発展

「岩谷 VS 村井 〜20世紀広告紙の幕開けを飾った宣伝合戦」と題したパートでは、岩谷商会と村井兄弟商会の工夫を凝らした宣伝を繰り広げた様子が展示されていた。

馬車を連ねた音楽隊のパレードで練り歩いたり、人気歌舞伎俳優をイメージキャラクターに据えて販促グッズを作ったり、馬が山車を引く「宣伝カー」で練り歩いたり、配送用リヤカーをラッピングしたり、店構えそのものを広告として使ったり、サーチライト付きの広告塔を作ったりと、現在も街中で見ることができる広告の手法が多い。

村井は1899年(明治32年)に自社製品のパッケージ印刷のために、アメリカの印刷会社と提携して、京都に東洋印刷株式会社を設立。

岩谷も1900年(明治33年)(やはり岩谷はいつも後手......)凸版印刷合資会社(現・凸版印刷株式会社)の設立を支援。それぞれ違う印刷技法を採り入れ、発展させた。

たばこが広告や印刷の技術や手法を発展させてきた。もちろんたばこだけではなく、同時代に発展していた、酒、薬品の他、化粧品などの日用品も開拓してきたと想像する。

このあたり、わたしが高校生の時に好きだった天野祐吉の本『嘘八百! 広告ノ神髄トハ何ゾヤ? 』を思い出す。

印刷や広告に関するミュージアムにも何かヒントがありそうだ。

印刷博物館 https://www.printing-museum.org/
アドミュージアム東京 https://www.admt.jp/

 

●人とたばこの歴史(常設展示より)

・そもそもたばことはどういう植物なのか?
ナス科タバコ属。栽培種としては2種。その名もニコチアナ・タバカムとニコチアナ・ルスチカ。ちょっと冗談みたいな名前。発祥は南アメリカアンデス山中。嗜好品として、神々に捧げる聖なる植物として用いられていた。メキシコ・マヤ文明の遺跡の中にはたばこを吸う神の彫刻がある。神のいる天井界と人間のいる地上界をつなぐ聖なる供物として、呪術的に使われていたという学説がある。

たばこ文化のふるさと(たば塩HPより)https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t2/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t3/index.html

・たばこの広がり

15世紀末の大航海時代にヨーロッパ人が南米で発見して持ち帰り、広めていった。その後世界中へ。薬としてのたばこの効用がスペインの医師によって発表されたことで、薬用植物として注目された。

たばこの伝播(たば塩HPより)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t4/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t5/index.html

・たばこ用品
木、陶磁器、鉱石、ガラス、金属など、いろんな材質でパイプが作られ、パイプレスト、たばこジャーなど周辺機器も。嗅ぎたばこ、葉巻、水たばこ、キセルなど、凝った装飾のたばこ用品が作られていった。中国の鼻煙壺なんて香水瓶みたいで美しい。ここのコーナーはとにかく展示品が見目麗しい。たば塩が渋谷にあったころにあった所蔵品が引き続きこちらでも展示されている。

たばこ文化の広がり(たば塩HPより)https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t6/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t7/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t8/index.html

 

 

●日本への伝来、江戸時代のたばこ

16世紀後半に来航していた外国船から伝わったらしい。鉄砲やキリスト教が伝来していた頃。日本はたばこの葉を細かく刻み、きせるで喫煙するようになる。

「刻んだたばこを吸う例は他の地域にも見られますが、日本の刻みは髪の毛ほどの細さで、世界に類がありません」(常設展示の図録より)

江戸時代は鎖国していたので、日本のたばこ文化は独特な発展を遂げたということらしい。

当初、喫煙は風紀の乱れや失火を理由に禁じられたこともあったようだが、次第に容認されるようになり、17世紀前半には喫煙は日本中(蝦夷以外)に広がった。琉球でも生産があった。土地ごとに異なる気候や土壌の質の影響で、特色が出てきたため、その産地名で呼ばれていた。

・たばこの他に伝わったもの

南蛮人」との交流で伝わったものは他に、皮革、せっけん、めがね、ボタン、時計、カッパ、カルタ、パン、南瓜、とうもろこし、さつまいも、じゃがいもなど。

・江戸のたばこ文化

煙管(きせる)、根付、たばこ盆、たばこ入れ。それぞれの専門職人、専門店も生まれる。(昨年の東京国立博物館のきもの展を思い出すと、この頃の町人たちの凝り性、「粋」の発見など時代の空気を思い出す)

江戸のたばこ文化(たば塩のHPより)ここから数ページ続くhttps://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t9/index.html 

 

たばこやたばこ用品だけに注目してみると、時代劇、落語、浮世絵などの「江戸時代のフィクション」の世界の小道具としてではなく、人々が暮らしの中で使ってきた日用品、実在する物としてぐっと身近になってくる。

今の自分で言えば、財布、スマホタブレット、筆箱、化粧ポーチ、マスクのようなものか。それぞれに作り手がいて、素材やTPOや流行りや好みや気分があると考えると、目の前のたばこ入れが、ただの古い物に見えないというか、生き生きと物として語りかけてくるように見える。またそれをどんなふうに、どういうシーンで使ったのかは、「フィクション」の世界に戻して、イメージを補うことができる。想像と実感とを行き来する。

またそれぞれに製造工程や販売ルート、使用方法があることが、当たり前だが、あらためて見てみるとおもしろい。

 

 

●明治のたばこ

開国と同時に外国からシガレットや葉巻が入ってきて、喫煙文化が一大転換を起こす。マッチが入ってきたのもこの頃。マッチは日本からの輸出品としても多く製造された。

https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t17/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t18/index.html


1886年明治19年)には国内に5千人のたばこ製造業者があったらしい。非常に多く見えるが、手作業で刻みたばこの製造をしていた職人たちがそのままシガレットも製造するようになったからこの人数になっていると思われる。

この頃のシガレットは、ブランド名やパッケージはかなり和風。「本廣雲井」「赤」「第一玉椿」「牡丹」(千葉商店)、「鷹天狗」(岩井)など。そこへきて、村井吉兵衛が1891年(明治24年)に売り出したのが、「SUN-RISE(サンライス)」という横文字のハイカラなパッケージのたばこ。日常が一気に西洋化されていった日本の都市部でのインパクトは、さぞ強かっただろう。 

1894〜95年(明治27年〜28年)の日清戦争で軍の用命があり、シガレットの需要が伸びて、製造は工場で行われるようになる。

さらに村井はアメリカへ視察に行って、アメリカ産のたばこ葉を使ったたばこ「HERO(ヒーロー)」を発売して、名声を上げ、事業を拡大していく。

1899年(明治32年)にアメリカン・タバコ社と資本提携し、村井兄弟商会を設立。巨大な外国資本を背景に工場を機械化する。清国や韓国他、アジアにも進出。

https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t19/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t20/index.html

 

この後は先に挙げた専売制への移行へとつながる。

明治維新、シガレットの舶来、国内製造販売と海外進出、専売制までの移行期の渦中にいたのが村井吉兵衛ということだ。

たばこの歴史の流れの中で見る村井と、村井の側から見る日本の歴史。行ったり来たりしながら、この時代をつかんでいくのがおもしろかった。

戦後から専売制の廃止についてはこちら
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t22/index.html

 

 

●女性とたばこ産業

展示を見ていると「女性とたばこ産業」というテーマでも串は通ることに気づく。

まず、展示の最初の家系のところで立ち止まる。

吉兵衛の妻となる宇野子は、村井家の「縁女」だった。「縁女」という言葉を初めて知ったが、「将来自分の息子(通常は長男)の妻とするために、他家から来て養子縁組する少女」なのだそう。結婚を前提としている点で「養女」とは違うらしい。

事業拡大のために、自分の見込んだ男たちを妻の妹たちの婿養子にするというあたりにもモヤッとする。そもそも吉兵衛も本家から分家に婿養子に来ている立場。家父長制の時代は養子縁組は当たり前だったのか。女性が「本人の意思」を持てない時代の産物か。当時は普通にあったことなのだろうか。

調べてみないとわからないが、いずれにしても、今の時代から見るとのけぞる。いや、今の時代でも、商売や芸事やなんらかの伝統を「イエ」を守っている人にとっては当たり前なのかもしれない。わたしの知らない世界はたくさんある。

 

また、働き手としての女性の姿にも目が留まる。

「自宅工女500名、通勤工女500名」を募集するポスターも展示されていた。巻たばこの製造に携わっていた職工は、多くが女性だったようだ。女工と言えば紡績業の「女工哀史」。女性によって殖産興業は支えられていた。

吉兵衛の妻の宇野子は、たばこ工場の製造監督や工員の世話、東京支店との連絡などを担っていた。これは現代の言葉で言えば、マネジメント、アドミニストレーションなどの重要な仕事であるが、「共同運営者」とは表現されない。

女性の仕事は「職業」ではなく、「手伝い」「人手」という扱いなのだろうか。「誰かの娘」「誰かの妻」、そして歴史に名が残るのは男性......なのか?

『性差の日本史』展に行く前はなんとも思わなかったこのような展示も、女性の社会的立場の低さという点で考え込まずにいられない。

吉兵衛と宇野子の娘、久子は、『雛乃名残』という追懐録(日記)でこの頃の経験を綴っている。当時の女性たちにとっての文章(あるいは俳句や短歌)という表現手段の貴重さを思う。男の人たちが「列強に追いつき、追い越せ」を繰り広げていた時代、女の人たちは何を考え、何をしていたのか、もっと声を聴きたいと思う。

また、もっと隠れた存在として、これだけ男女の性役割が厳密で限定的な時代だったからこそ、男女二項ではないジェンダーについてもまた知りたくなる。

 

 

●たばこのパッケージと切手

常設展の一番最後のコーナーに、年代ごとのたばこのパッケージを見せる展示がある。

郵便切手が印刷やデザインの技術を促進したり、あるメッセージを込めて大衆に見せたり、対外的なアピールに使われてきたように、たばこもまた似たような機能を持っていることを受け取った。また非常にその時々の時代を映すものとして、貴重な記録だとも感じた。

 

 

現代社会とたばこ

おもしろいなぁと思いながらも、うっすらと張り付いていたのは、たばこに関する展示を観ることに、自分がどういう態度でいればいいかわからない、という戸惑いだった。

人体に害を与えるものとしてエビデンスも出ていて、公共の場から次第に見えなくなっていっているたばこが、このミュージアムでは全面的に押し出されていることには、どうしても奇妙な感覚を抱く。

今やどれほどの衰退産業になっているだろうと思って、一般社団法人日本たばこ協会の発行する「たばこの年度別販売実績(数量・代金)推移一覧」を見てみたら、

1990年 3,220億本 35,951億円
2019年  1,181億本  28,063億円

大幅な縮小傾向とはいえ、まだまだ一大産業。2020年の売上は、コロナ禍の影響で、たばこの身体への影響が指摘され、さらに減少したかもしれない。

喫煙する公共の場所はどんどん減ってきたが、それでもまだ一部の人の嗜好として残っているのだろう。吸っている人もいるし、たばこ農家を生業にしている人もいる。

あるところにはある。

たばこのできるまで(たば塩HPより)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t25/index.html

 

 

●たばことたば塩への戸惑い

たばこを嗜好してきた文化は、人間の創造性をかきたて、美しいものも数多く生んでいる。それを観るのは楽しい。過去の歴史を紐解くことで、その時代を生きる人を知る手がかりになる。今の時代との比較から多くの発見がある。文化のルーツを知るのは楽しい。

しかし、教育的文脈からは、あえて学ぼうと奨励されることが少ない対象ではある。たばこを製造販売している側のミュージアムなので、もちろんたばこの害の話など、展示からはほぼ出てこない。

いやでも「こんなにおもしろいのにな、こんなに熱心に収集・展示されていて楽しいから見てもらいたいなぁ」という気持ちと、「でもこれってなぁ」という戸惑いとがないまぜになる。微妙な立ち位置なんだよな、たばこ。かといって「白黒はっきりしたらいいじゃん、たばこなんか製造も販売も終わらせてしまえばいい」ともわたしは言えない。

展示が現代に近づいてくるにつれて、「これから人間はたばこをどう扱っていくのだろうか」と疑問が湧いた。

 

 

●塩、塩、塩

最後に観たのが常設展の塩。ここにたどり着くまでにものすごいインプットだったので、へとへとだったが、ここもまたおもしろかった。

ポーランドヴィエリチカの世界遺産、聖キンガ礼拝堂の紹介コーナー。地下の岩塩の採掘場に作られていて、像も床も天井も岩塩でできている!
https://www.shiotokurashi.com/world/europe/1014

・塩は世界中で採れる。岩塩、塩湖、海塩。日本には岩塩や塩湖はなく、海水から作る。

・かつての「揚げ浜式塩田」はキツイ仕事だったが、科学技術の発達した現在は、イオン交換膜製塩法が標準。https://www.nihonkaisui.co.jp/small_customer/learning_salt/Japanese_salt

・日本の塩作りの文化のあるところには塩竈神社があり、人々に塩作りを教えた神、塩土老翁(シオツチノジ)神が祀られている。宮城県塩釜市の鹽竈(しおがま)神社が有名。http://www.shiogamajinja.jp/index.html
(たしか昨年末の生活工房でのしめかざり展でこの鹽竈神社のしめかざりのことが展示されていたように思う)

鹽竈神社は能『融』でも出てきた)

 

 

いろんなテーマが凝縮されている、ほんとうに充実の展示だった。

物量がすごいので、ゆっくりと時間をとってお出かけいただきたい。

 

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展示『電線絵画展-小林清親から山口晃まで-』展 @練馬区立美術館

練馬区立美術館で開催の『電線絵画展-小林清親から山口晃まで-』展に行ってきた。こちらは、昨年の津田青楓展以来。

www.neribun.or.jp

 

はじめにこの展覧会の宣伝を観たときは、おおおー「電線絵画」!
そんなジャンルを見出しちゃったのかーー!とニヤニヤしてしまった。

これを企画した学芸員さんは、相当おもしろい人だろうなぁ。

しかも「小林清親から山口晃まで」というサブタイトルもいい。どちらも好きな画家、作家。ポスタービジュアルもいい。富士山に電信柱と電線。いやーそんな絵画があったんだ!「富士には電信柱もよく似合ふ」のキャッチコピーも最高。

題字のデザインもいい。

 

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いやーこの展覧会、想像以上に、よかった!

普段美術館に行かない人にも全力でお勧めしたい!!

実際、普段美術館であまり見ない感じの人が多かったので、もしや電線や電信柱を愛好する方々なのかもしれない。(わくわく!)ケータイの着信音を鳴らす人が続出だったのも、いつも来ない層の人が来ている、という感じがした。

 

なにがいいって、
・電信や電気事業の起こりと発展(電気通信史)

・東京のまちの変遷(東京史)

・明治〜現代の、画家、版画家、美術家の紹介(美術史)

の3つのラインが、電線の交錯の如く縦横無尽に行き交っているような体験ができることが大きい。いっぺんにすごくいろんなことが知れてお得。電線で歴史を串刺してみたら、いろんなことが見えてきた!という感じ。

 

 

会場に入るとまずは、用語の確認から。

架空線:空中に張り渡した線(絵空事の意味の「架空」ではない!)

電線:電気のための架空線
電柱:電気のための支柱

電信線:電信のための架空線
電信柱:電信のための支柱

架線:電車に電力を供給するための架空線

ここですでに「へえええ!」となる。こういう違いがあったんだ。さらに、一般的な電柱は、10m、12m、14m、16mがあって、その1/6が地中に埋まっているとか、知らなかった。

「じゃあ電信線や電線っていつからあるの?」と思ったら、すかさず隣には「電線年表 -草創期の東京の電信・電気・電車事情」が!これは保存版である!

1854年にペリーが持ってきた電信機による実験が横浜で行われたというのが、日本における電信線のはじまり。1871年明治4年)に東京ー長崎の電信線の建設がはじまる。同じ年に郵便制度がはじまる。ここから電信と郵便はセットで発展していく。同年に、長崎ー上海で海底電信線がデンマーク企業によって敷設されたというのにも驚く。こんなに早い時期に?!

電気を送る電線は1887年(明治20年)と少し遅れてはじまる。なるほどー!

先日、鷗外記念館で抱いた問い「明治から大正の郵便や通信ってどんなだったんだろう?」にまた少し近づいた!やはりここから郵政博物館電気の史料館に行くとよいかも!またいろんなことがわかるかも!しかも郵政博物館は4月20日から『郵便創業150 年記念企画展 日本郵便の誕生』という企画展がはじまる。タイムリーすぎてすごい!

......と、もうこの時点でわくわくが止まらない。

 

以下はわたし用の記録。

小林清親の作品が15点ほど。どれもよいが、『帝国議事堂炎上之図』は、清親のルポルタージュ性が出ていてよい。まだ纏(まとい)を持って屋根に登っている時代。明治に移って変わっていくまちの風俗の記録として貴重。清親の写生帖もいい。水彩スケッチの透明感。やっぱりもっと清親の作品が見たくて、以前手放した『小林清親 文明開化の光と影』展図録をネットオークションでもう一度購入した。(あ、今気づいたけれど、これも練馬区立美術館の展覧会だ!)

高橋由一の『山形市街図』に描かれているのは、明治14年〜15年の山形の県庁あたりの近代建築の立ち並ぶ様子。明治11年イザベラ・バードが山形に来たときに、こういう風景を見ていたのかも。また、もう明治なのに、旅装束は江戸のままという人の姿も、先日読んだコミック『ふしぎの国のバード』とつながる。

河鍋暁斎山岡鉄舟の『電信柱』が斬新!

岸田劉生の『切通之写生』(東京国立近代美術館所蔵)にきょうだいの絵があった!別の場所、別の角度から観た切通し。しかも2枚も展示されている。これはおもしろい。へえ、ここってこういう場所だったんだ。しかも電信柱が重要な登場人物になっているとは思いもしなかった。

明治42年日本橋が石造りに架け替えになり、大規模工事がはじまる。明治44年には東京市の人工が200万人になる。市電の架線と電線が行き交うのが「電化したモダン都市東京」の象徴。どの作品からも、まちの賑わいや、近代化、発展の熱狂と誇らしさが伝わってくる。同時にこの電線絵画という企画、串刺し方は、東京でやるから意味があるし、観客もおもしろいと思える展示なのだろうな、と気づく。自分がその延長上にあることが実感できるから。

・ふと思い出したけれど、ベトナムのまちは電線がすごい。交差しているなんてものではなくて、絡まって団子みたいになっている。ちゃんと電気通ってるのかな?「ホーチミン 電線」で画像検索すると出てきます。

川瀬巴水が電線を景色に違和感なく溶け込ませたのに対して、吉田博は電線も電柱も一切描かない。吉田の美学を感じる。川瀬の作品を観ていると、東京の市中を描いているものが多いので、電線や電柱のある風景も込みで愛していたのかもしれない。『東京十二題 木場の夕暮』は、材木が浮かぶ川にの水面に電線が移って揺れている様が美しい。これ、今年10-12月のSOMPO美術館での川瀬巴水展でも観られるといいなぁ。

・藤牧義夫の『隅田川両岸画巻 第二巻』、現代の作家の作品かと思うほど、モダン!全部展開して観てみたい。キャプションには「完成後に失踪」とある。ミステリアス。

・福田豊四郎の『スンゲパタニに於ける軍通信隊の活躍』、戦争画にも電信線が見られるということと、戦争のまた一つの側面、通信を担う部隊があったという二つの発見。「そもそも明治政府が電信網の整備を進めたのは、軍事・治安維持を第一に考えていたから」とのキャプションに驚く。経済や生活ではなかった。はじまりは西南戦争対策のため、東京ー長崎と九州内の整備が進んだとのこと。この展覧会、こんなことまで教えてくれてほんとうにすごい。

・かつての東京の西の郊外を描いた作品もある。板橋、落合、練馬、高田馬場のあたり。農地や原野だったところが次第に開拓されていく。まさに今展覧会を観ているこの練馬美術館のあたりも、以前はのんびりとした農地や牧場だったりしたのかと思うと、タイムスリップのようでおもしろい。

・「ミスター電線風景」と名付けられた朝井閑右衛門と木村荘八のコーナーもよかった。朝井の電線は生き物のようにうごめいている。木村の『東京繁昌記』おもしろい。観察眼の発揮の仕方は、エッセイストというより在野の研究者やデザイナーの仕事に近い。明治と昭和の20歳の女性の体型や身長の比較とか。本読んでみたくなった。関東大震災前は建物より電信柱のほうが高いが、震災後は高い建物が多く建っているので電信柱が低く見える。今後、"電柱絵画"を見るのに役に立ちそう。

・碍子のコーナー。愛好者にはたまらない展示。碍子(がいし)が美術館に展示されているなんて、みたことがない。碍子とは、絶縁しながら、電線を電柱に固定する部品のこと。ガラスケースに陳列されている様は、工芸品のようで美しい。でも名称は「55kV用ピンがいし」!碍子をモチーフにした日本画があるなんて!

デンセンマンの電線音頭!!!これが今回の展示で一番衝撃だったかも。探したらYoutubeにありました。1976年(昭和51年)発売。ここのキャプションは学芸員さんの愛がダダ漏れでイイ!

youtu.be

・現代美術のコーナーへ。山口晃の漫画の生原稿。食い入るように読んでしまった。1話だけネットで読める。http://www.moae.jp/comic/shuto/1

単に電柱萌えという内容ではなくて、どきっとする核心をついたやり取りも混ぜ込まれている。『趣都』の連載は今止まっているようだけど、コミック化されたら読みたいなぁ!

 

はぁ、楽しかった。他にも書ききれないほどたくさんの「へええ!」があり、一人で行ったけど楽しくて大満足!

 

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美術館を出たら、案の定、電線や電柱に目が行く!いつもはじゃまだなとか、全部地下に埋められないのかしらと思っていたけれど、あんな時代、こんな時代を経てきたのかと思うと、けっこう味わい深い、かも。写真や映画を観ていて、「あれ、これどこの国?」と思ったときに、電線が見えることで、「あ、日本だな」とわかるのも、まぁ悪くないかもと思ったり。

 しかも、わたしも電線を入れた写真をしょっちゅう撮っているのだ。思いついてコラージュしてみたら、これイイ感じ、よね?

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展覧会図録。美術館以外でも販売もしている。

練馬美術館の本展担当の学芸員さんと電気の史料館学芸員さんの寄稿がやはり読み応えがある。読めてよかった。監視員の人にうかがったら、この企画を10年温めてらっしゃったそう。アツいなぁ!!

 

おまけ。電信柱と絵と聞いて思い出すのはこの本。ちょっと怖い。

 

 

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展示『小村雪岱スタイル -江戸の粋から東京モダンへ』展 鑑賞記録 @三井記念美術館

小村雪岱の展示が同時期に開催という恵まれた時期に、まずは日比谷図書文化館の展示を観た。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

その後、三井記念美術館の展示を観に行った。こちらは2019年の素朴絵展以来。

bijutsutecho.com

 

日比谷のほうは、図書館での展示ということで、本や新聞、雑誌、広告など、出版やメディアにまつわる仕事にフォーカスした展示だった。

こちらの三井記念美術館のほうは、肉筆画、装幀本、木版画、挿絵、舞台美術などの全画業を網羅的に訪ねる展示となっている。

それにしても、同じ作家の展覧会を同時期に観られるのは、どちらかが問いになりどちらかが回答になっていて補完しあえるので、ほんとうにラッキーなことだ。

 

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まずは1914年に発刊された泉鏡花の『日本橋』の紹介から。鏡花40歳、雪岱27歳。13歳差。確か夏目漱石と津田青楓も13歳差ではなかったか。同じような時期に、二組の作家と装幀家の出会いがあったのは、偶然なのかそうでないのか。興味深い。

今回の展示品は、清水三年坂美術館からがほとんど。館長の村田理如の雪岱作品への愛着については、2010年の展覧会についてのレビューが参考になる。

「小村雪岱の世界」 | 青い日記帳

 

日比谷の展示では、装幀家や挿絵家としての誇りのようなものを感じていたが、こちらの展示を見ると、画家としての雪岱の姿が見えてくる。写生や模写などもここで初めて観た。法隆寺金堂壁画の模写は、消失したり破損したりしているので、記録としても貴重ではないだろうか。

日比谷で新聞や雑誌の挿絵原画を観ていて、こんな細い線、一体どんな画材で描いているんだろう?と疑問を持っていたが、こちらで解決した!

紙は、日本橋の榛原(https://www.haibara.co.jp/)特製の薄い美濃紙。
筆は、得應軒(https://www.tokuouken.co.jp/)のイタチの細い毛でできた面相筆。

それぞれのお店はまだ現役営業中というところもすごい!

 

小村雪岱自身が手掛けた版画は3点のみで、今観られる版画作品のほとんどは、雪岱の没後、戦災で失われないようにと、弟子の山本武夫を中心に1941年〜1943年にが肉筆画を版画化したのだそう。浮世絵といえば各所で名前が挙がってくる、アダチ版画研究所が関わっている。

 

肉筆画もよかったのだが、今回わたしは舞台美術の下絵の展示が印象に残った。

遠近感やパースの取り方の正確さが舞台で生きている。新聞の挿絵で鍛えられた映像的効果や、奥行きの出し方。人間の動作の分析や辻褄や考証も丁寧にされていたあの仕事から察するに、舞台という寸法が決まっていて、演目があって、見所を見所として見せる、制限のある中でのクリエイティビティの発揮は、雪岱にとって面白い仕事だったのではないだろうか。

舞台の上では、観ている時間は少なくともそれを「本当」として受け取る。元々の技術力の上に、さらに取材も重ねただろうし、実際に使われることで学んで鍛えられたのではないか。絵を描いて展示して見せることが画家の仕事だと思われていたとすると、もしかすると雪岱の仕事は、大衆的で職人的なように見えたかもしれない。

現代からすれば、アーティストというよりデザイナーという肩書きなのかもしれない。ある効果を与えるために技術や才能を使う。自分の表現を好きなように出すのではなく、何を依頼されているのか、それを見る人は誰なのか、どうだと喜ばれるのか。

原田治『ぼくの美術ノート』には、鏑木清方から画家としてまとまった仕事をしてみたらと言われて、にこやかにかわす雪岱のエピソードが載っている。

 

漱石の装幀を担当していた津田青楓の態度にも通じる。

大正三年七月から八月にかけて、青楓と小宮豊隆は読売新聞紙上で図案の革新について議論した。「小説家が小説を書く様に、畫家が畫を描く様に、音楽家が音楽を奏する様に」図案家の制作態度を希望する小宮に対し、青楓は、図案の流行や傾向を決める権利は図案家になく、消費者にあると諭す。図案界の革新を目指し、挫折し、画家となった青楓の言葉は重い。(『漱石山房の津田青楓』展図録p.17より)

 

挿絵の原画もスペースをかなり取って展示されている。日比谷で観ていたときにも気づいたが、画面からの絶妙の「見切れ」「チラリと見える」構図が余韻やドラマを生んでいる。このような見切れの開発も、舞台美術と相性がよかったのではないか。もし映画がこの時代にあれば、写真が一般的だったら、雪岱はどんな仕事をしたんだろう、と気になる。

 

雪岱といえば、やはりこちらの本が充実している。この値段でこの内容はすごい。何度でもおさらいできるのがうれしい。原田治の文章も載っている。(OSAMU GOODSの方です!)

 

 

ポストカードは迷いに迷ってこの二点。美しい。。

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クリアファイルコレクションに追加。

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ビル街に突如出現する河津桜

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別の場所では梅が見頃。雪岱の世界が、現代も続いている。

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