ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

《レポート》映画『37セカンズ』でゆるっと話そう

シネマ・チュプキ・タバタ映画『37セカンズ』でゆるっと話そうをひらきました。

chupki.jpn.org

 

〈ゆるっと話そう〉は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、45分のアフタートークタイム。

6月から毎月開催してきて、今回が10回目となりました。

 

未曾有の感染症が世界を席巻している今、対面の場をひらくことがいいことなのか、すごく悩みました。チュプキさんとも何度も相談を重ねて、最終的に実施することにしました。

わたしの思いとしては、なんらかの事情で家にいられない人、孤立していて不安で辛い人もいると思う。日常を営んでいる場所、安心やつながりを感じられる機会が、どこかにあってほしい。「映画を観に来てよかったな、ホッとしたな」と感じてもらえたら。

もちろんそれが主目的ではなく、映画の話をするための集いではありますが。

 

このような状況の中でひらくのは、プレッシャーやストレスもありました。

でもチュプキは20席ほどの小さな映画館。今の時期はお客さんの入りもゆるやかで、お客さん同士は離れて座っている。入館前の消毒や、体調不良のときのキャンセル、マスク着用など、とても協力的とのこと。

 

一つ所に集まること自体がリスクになる状況ではありますが、それでもこの映画自体がとても希望にあふれるものだから、やはり今、語りたいと思いました。

 


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できるだけ接近しての会話を少なくするために、進め方をいつもと変えて、「しゃべらずに話す」という方法を試みました。

これは、感想を交わすためにしゃべる以外のコミュニケーションだってあるだろう、と考えていたときに、チュプキがユニバーサルシアターであることを思い出し、筆談のようなことができないかと思い立ったものです。

感想を文章でも、単語でもいい、色や形でも表現しながら、みんなと話したような気持ちになれたり、一体感を味わえるようなことをやってみよう。

チュプキのスタッフさんと相談しながら準備しました。

 


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日劇場に着いてみると、ゆるっと話そうのリピーターさんや、「やっと参加できる」と楽しみに来てくださった方もいらっしゃり、なんと10名もの方がご参加くださいました。

このような状況下で、ほんとうにありがたいことです。 

 

常連さんから桜茶の差し入れがあったので、お配りしました。蓋を開ければ小さなお花見!きれい。

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当日はこのように進めました。

・好きな色のペンを手に、A4用紙の真ん中に、映画を観たばかりでほやほやの感想を一つ書く。

・それをお隣の人にまわして、コメントを書いてもらう。

・またそれをお隣の人にまわしてコメントを書いてもらう。

・常にだれかの用紙が手元にあって、まわしていくたびにコメントが増えていく。

・最後自分のところに戻ってきたものには、たくさんのおしゃべりの跡がある、という具合です。


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黙って書いているのに、コメントを読んでいるとみんなでわいわい話している気持ちになる。


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視覚障害の方にはガイドさんがついて、説明や代筆をしてくださっている。自分で書く方もおられました。


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最初のコメントが一人ひとり全く違うところからスタートしているので、一枚ごとの紙面で独自の話題が展開していきます。文字や絵を見てそれに加えていく会話は、誰が書いたのかわからないという匿名性もあいまって、口頭でしゃべるときには味わえない体験となりました。

一人として同じ視点からのコメントがなかったのが、参加してくださった方々の創造の力であり、このワークの力でもあり、そして何より映画の力だったのでしょう。

印象に残ったところ、好きな登場人物、疑問に残ったこと、映画から受けた影響、思い出した自分のことなど、映画についてたくさん話しました。


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こちらの紙はお持ち帰りいただいて、鑑賞の記念にしていただきました。

 

 

もう一枚、チュプキに置いていっていただくカードを書いていただきました。

感想を「話した」ことで深まった映画への思いや、きょうの場についての感想、今の気分などを文字や絵で残してもらいたい。

 

皆さんの思いが劇場の内扉に集まりました。

 

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文字で表現してくださった部分の書き起こしです。

 

・どこへ行こう?あなた次第よ。いつも胸に持っていたいです。

・ゆるっと話そう。紙面で。口頭での対話よりも流れていってしまわないから、細かくお話できて、とてもおもしろかったです。また他の作品でも参加してみたいです。

・主人公のユマちゃんがとにかく可愛い!くるくる変わる表情、たおやかな演技!展開も飽きさせないし、美しい風景もあり、面白く感動できます。素敵な映画です。シネマチュプキタバタ最高!! 

・まわし書き、楽しかった。

・ちょっとした「交換日記」みたいな感じで面白かったです。映画の感想は、十人十色だと思いました。37セカンズが観たかったのと、このイベントに参加したかったので来ました。今後も予定が合えば参加したいです。

・感想をシェアするってキンチョーする〜

・自然の景色がとても美しくて ストーリーに関係しているのか 絵葉書のようにずっと見ていたい

・時間をかけて来た甲斐ありましたー 映画もゆるっとも。今回、良い試みですね。

・今回で”ゆるっと話そう”への参加は2回目なのですが、ほとんど全員の方と話した気分で面白い体験でした。しかも字に残ったものを持ち帰れるのは記念になるし記憶にも残ります。

・「37セカンズ」について 予告編を見た限りでは、いったい物語はどういう風に展開していくのかと思いましたが、本当に心ゆるやかに一人の女の子の成長が描かれた、自分の生き方にカツを入れられたような作品でした。もっと恐れずに、いろいろなことにチャレンジし、他人の事にもっともっと関心(気配り)をして生きていきたいなと感じました。

・障がいある事で、親が介護の中で生き、恋愛や性の自由がうばわれてしまって辛い方も多いのかなと考えました。自分の人生を歩んでいける社会になるには、私は何をできるのか...と思いました。

 

 

 

日々いろいろな思いが巡りますが、わたしは今、皆さんとよい時間を過ごせた喜びにずっと満たされています。

ご参加くださった方、ご関心をお寄せくださった方、ありがとうございました。

 

次回のゆるっと話そうの日程や作品は、決まりましたらまたご案内します。


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そうそう、最近リリースされた「ぴあ」の記事が、チュプキらしさをとても伝えているので、ぜひ読んでいただきたいです。わたしも登場させていただいてます^^

lp.p.pia.jp

 


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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

seikofunanokawa.com

映画『新聞記者』鑑賞記録

ようやく観た。個人的に去年の宿題になっていたのが、『主戦場』とこの映画。

shimbunkisha.jp

 

 

政治であり、歴史であり、この社会であり、わたしの話でもあった。

挑戦的で革新的。こういう映画がありえるのか。

たったの2週間で撮りきったと思えないクオリティ。

 

ありえるといえば、あなたの知らないところで、この国の中枢ではこういうことが起こっているんですよ、と言いたげに、次々と見せられていく現場。

「それはほんとうかどうかわからないが、現実にもありえる、ありえるよな」と思いながら事の成り行きを観る。ここが映画館なのがちょっと不思議な感じにのめり込んでしまうところもある。

もちろんそうならないように、いかにも作り話のように、薄暗い室内で登場人物の上だけライティングされているとか、青いフィルターのかかった画面とか、きっちり不自然にしてある。

 

謎解きにハラハラするシーンもてんこ盛り。一瞬も飽きない。エンタテインメントだ。

NHKドラマ『ハゲタカ』を思い出す。「親の無念」を持っているキャラクターが重なる。

 

しかしあまりにも現実の心当たりがありすぎて、無邪気には楽しめない。

居心地が悪くなるし、悔しくもある。

すごく変な気分になる。

 

観終わって浮かんだのが、自分が会社組織で働いていた頃にやらかした「偽造」の記憶だった。

改竄、捏造、偽造はなぜ後をたたないのか、理由はよくわかる。

そうなる構造があるのだ。

自分もそういう経験があったことが、「会社のためだから」「お客さんのためだから」「みんながやっているから」「こうしたほうがうまくいくから」、、ああ、うぐぐ、、苦しい、、、。

 

「権力とメディア」と「組織と個人」のせめぎ合い。

誰もが目撃したことがあるし、誰もが加担したことがあるはず。

 

ああ、これは、

映画『さよならテレビ』も観たくなるなぁ。。

映画『i-新聞記者ドキュメント』も。。。

こんな記事を読んだり。。

greenz.jp

 

 

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観た人と語りたいと思った。

映画の中で起こっていたこと、現実に起こっていたこと。

何を問われているのか。

 

わたしは政治に詳しくないし、何が起こっていたのか逐一追えていないから、わかっていないことも多い。

でもそんなこと言ってられない。わたしにできることなんだろうと考えたらやっぱり、鑑賞対話の場をファシリテートすることだ。この場があることで「なんとなく観られないまま来た」という人の背中押せるとしたら、貢献になる。

 

そんな勢いで、映画を観て語る場をZoomで開こうと思った矢先、週刊文春でスクープ記事が出て、現実が一気に動き出した。まるで『新聞記者』の続きを見ているようでびっくりした。

 

だがこれで、もはや映画の話をする場としては成立しづらいことも思った。

迷ったが断念した。

状況が動いたのはよいことだと思う。ただ、場としては趣旨がだいぶ変わる。

やるとしたら「週刊文春を読む会」や、「森友学園問題の勉強会」や、参加者一人ひとりの何らかのアクションを促すイベントになるだろう。

またその準備のためには膨大なリサーチが必要になる。

エネルギーも要るが経費も嵩む。オファーされて報酬がつくならともかく、個人の自主開催としてひらくには、引き受けられない負担。

 

でも、せっかく思いを込めて書いたので、未練がましくここに貼らせていただく。

 

 


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映画『新聞記者』を観た人同士で感想を語る場です。

2019年夏に公開された話題作。その後日本アカデミー賞三部門を受賞し、現在アンコール上映中です。
https://shimbunkisha.jp/

「権力とメディア」「組織と個人」のせめぎ合いを描き、現実を巧みに絡ませながら進行する社会派ドラマ。
フィクションの映画という表現形式をとっているからこそ見えるものについて、身に覚えのある「あのこと」について、とっくりと感想を交わしましょう。

今回この場をひらくのは、
「この映画を観たことの意味を一人ひとりが言葉にする《場》が、今とても必要だ」と、私が感じているからです。
個人としても、この社会の一構成員としても、ファシリテーターという職分としても。

「社会課題や政治に対して自分の意見を持つ」そのずっと前の素朴な感想を、安心安全に言葉にできる場。
「おもしろかった」「ドキドキした」のその先を言葉にする、勇気をもてる場。
講釈を聞くのではなく、批評を戦わせるのではなく、知識の多寡を競うのではなく、現実との正誤を追究するのでもない場。
「わからない」「なぜだろう」を安心安全に口にできる場。
他者と共に、可能性と希望を見出すことのできる場。

どんな話題も感想として歓迎します。
 1・物語について(ストーリー、プロット、シーン、エピソード、セリフ......
 2・製作・興行について(監督、脚本、俳優、撮影手法や技術、評価、成績......
 3・想起された個人の経験
 4・解釈された社会課題、世界情勢
この作品の性質上、4が多くなりそうですが、時間のおおよそ6割は映画の話をしたいです。進行にご協力願います。

平日、夜、Zoom、少人数、参加費。
さまざまな制約があるかと思いますが、逆にこのひらき方だからこその可能性があることも期待しています。

ご参加お待ちしております。

 

*これから観る方へ:演出で常にカメラを揺らしてるので、画面酔いしやすい方は映画館など大きいスクリーンで観るときは少し心の準備を。わたしはぎりぎりだいじょうぶでした。

 

 
◆主催・ファシリテーション
舟之川聖子(ふなのかわ・せいこ)
 
鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー
芸術や文化や教育の担い手と共に、作品と鑑賞者同士の対話を中心とした場をひらく。

鑑賞者に対しては個々の内的変化と行動変容を促すことでシチズンシップ、オーナーシップ、アントレプレナーシップを育み、担い手に対しては短期的な動員数や売上向上はもちろん、中長期的な芸術や文化の理解者や支持層を獲得することを目指す。

場づくりコンサルティングを通したつくり手のサポート。

書く・話すなど自身の表現活動も行っている。

hp: https://seikofunanokawa.com/
blog: https://hitotobi.hatenadiary.jp/
twitterhttps://twitter.com/seikofunanok

 

自分の覚悟を決めるためには、書いておいてよかったと思う。

 

別の作品やテーマで語る場をオンラインでひらくことは考えている。

企画や営業の手は止めていない。

 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

seikofunanokawa.com

 

 

書籍『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』

 映画『トークバック 』を語る会について書いたこちらの記事で紹介した書籍群の中の一冊。

 

『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』

少年刑務所における更生教育の一つが、「社会的涵養(かんよう)プログラム」。その授業から生まれた作品を中心に編まれた詩集。

 

刑務所。

関心を持たなければ入れない場所。

でもこの詩集を一冊読むだけで、何かが確かに残る。

読み手が変化せざるをえないものがある。

たとえ全体像はとらえられなくても。

 

どの詩も、素直な感情や、自分にはない新鮮な感覚の表現にハッとすることの連続だった。評価を意識した技巧的な感じが見られない。

はじめて詩を書いた子が多いというが、ほんとうにそうなんだろうな。

もしかしたら、豊かな感受性を持っていたからこそ、社会が生きづらかったのかもしれない。

 

 

ほめてもらえれば、自信がもてる。

素直さ、励まし、達成感、誇らしさ、優しい言葉、素朴さ。

授業を担当した寮美千子さんの言葉から、一緒に詩に取り組む時間の中で、大切なことが交わされてきたことが感じられる。

 

本の最後に置かれている寮さんの「詩の力 場の力」という文章もまたすばらしい。

詩という表現だからこそ、自分とも人ともつながれている。

理路整然としていなくてよい。心情の吐露でいい。

思考的理解ではなく、自由な感受を大切に。

作った人自身が自分らしさを感じられる言葉、並び、音律に、受け手の発見は大きい。人と人とが、作品を通して別の側面から出会うことができる。

寮さんの言葉にもあったが、日常のおしゃべりとは違う言葉だからこそ心に響くのだ。

 

日常の言葉とは違う言葉だ。ふだんは語る機会のないことや、めったに見せない心のうちを言葉にし、文字として綴り、それを声に出して、みんなの前で朗読する。

その一連の過程は、どこか神聖なものだ。そして、仲間が朗読する詩を聞くとき、受講生たちは、みな耳を澄まし、心を澄ます。ふだんのおしゃべりとは違う次元の心持ちで、その詩に相対するのだ。

 

これが、芸術の力。 

 

対話だけではない、表現が介在するからこそ可能になる場。

その効果を意図してデザインしたプログラムや、成長を見守るスタッフの存在......。

 

あたりまえの感情を、あたりまえに表現できる。

受けとめてくれる誰かがいる。

 

映画『プリズン・サークル』を観たときに思ったことが、また頭をもたげる。

このような教育を、学校で受けられていれば。

なぜ学校は、このような体験をできる場所ではなかったのか。

どの地域であっても、どの年代であっても、受けられる教育になっていないのか。

いちいち悔しがっていこうと思う。

 

ともかく、いい機会さえ与えられれば、こんなにも伸びるのだ。

SSTと同じように、全国の小学校や中学校で、このような詩の時間を持てたらどんなにかいいだろう。詩人の書いたすぐれた詩を読むだけが、勉強ではない。すぐそばにいる友の心の声に、耳を澄ます時間を持つ。語り合う時間を持つ。それができたら、子どもたちの世界は、どんなに豊かなものになるだろう。

(引用部分はすべて『空が青いから白をえらんだのです』より)

 

人間にとってとても大切なことを体験しているかれらを見て、いいなぁと思う人だっているだろう。刑務所いいなぁ......って。なんだそれって、そういう悔しさ。

 

 

奈良少年刑務所は2017年3月末に閉鎖され、2021年にホテルになって生まれ変わる予定だそうだ。

その経緯はこちらの記事に。(参画する企業は変更になっているかも)

withnews.jp

 

閉鎖までに、このプログラムにどんな歩みがあったのか知りたい。

関連書籍を読んでみようと思う。

 

 

最後に。

ふとこの歌を思い出したので、ご紹介したい。最近息子とよく見ている、子ども哲学の番組の歌。♪本当のことばに出会えると テルミーテルミー どんどんキミが見えてくる♪ のところが好き。

www2.nhk.or.jp

 

 

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物語の庭 深井隆展@板橋区立美術館 鑑賞記録

板橋区立美術館で開催中の深井隆展に行ってきた。

https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4000017/4000024.html



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感染症流行の時期に、それでもどうしても美術館に行きたくて、練馬区立美術館の津田青楓展に続いて訪れたところ。



深井隆は、藝大の退官記念展で知った作家。

こちらの記事で少し触れた。

hitotobi.hatenadiary.jp


作品は木彫と絵画。

 

MAX RICHTERのSLEEPを聴きながら観た。ぴったりだ。

会場に音楽が流れていなくても、こうやって好きな音楽を聴きながら作品を観たらよいのだ。以前教わったことをやってみている。

 

静かな空間の中でじっとしていると、さまざまな感情があふれては、やがて静まっていく。

懐かしい深い淵へまた還ってくる、をくりかえした。

 

作品といろいろな距離をとって、場所を少し変えて立ってみると、その度に違う感じがする。

座ってみるのもいい。

馬の隣にしゃがんでしばらくスケッチをしていた。

生き物が象られているというだけで、なんだかホッとする。

木なのもいい。

木が育ってきた時間、製材の時間、彫る時間、作品になってからの時間。

そして呼吸してまだそこに生き続けている。

 


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深井の作品は空間を一瞬で鎮静させてしまう。

祈りや詩や永遠の世界。

たぶん一度作品に出会うと、多くの人が忘れられない体験をすると思う。

そして記憶に残ったあとは、思い出したときはいつでも同じ場所に戻れるように作ってある。

 

日曜日だったけれど、館内にはほとんど人がいなかった。

せっかくの展示があまり人の目に触れないのは、ほんとうに悲しいことだ。

この時期に観たということも含めて、忘れられない鑑賞となった。

 

 

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《レポート》2020/3/20 春分のコラージュの会、ひらきました

2020年春分のコラージュの会、ひらきました。

 

コラージュの会とは?

hitotobi.hatenadiary.jp

 

今回はいろいろと大変でした。

前々から「ここでひらきたい!」と思って調整していた会場があったのですが、COVID-19感染症対策のために使用不可となりました。慌ててそれ以外のスペースを探したのですが、集客のリスクがある中で賃借料金を支払うのが厳しい。

集会が中止や延期になっていく中で、やはり取りやめるのが安全なんだろう。

しかし10年近く継続してきた大切な場であるし、こういうときだからこそ、自分を見つめたり、ニュートラルポジションを掴む時間を過ごしたり、人の宣言に立ち会ったり、応援する集いが必要ではないだろうか。

今、わたしの職分からできることはこれだ、と最後は腹をくくりました。

当日は、アルコール消毒、マスク、距離を十分にとっての作業などで、会場内については対策をしてやる。それでご理解いただける方となら。(この頃はまだ外出自粛レベルまではいっていなかったのもあった)

クローズドな場であればひらけるかもしれないと、友人知人にのみ声かけしたところ、5人があっという間に手を揚げてくれました。

しかも以前参加してくださったことのある方ばかり。こういう状況のときに、必要としてもらえてありがたいです。

 

場が成立する瞬間にはいつも独特の興奮があるんですが、このときは格別でした。

感謝です。

 

いつものスケジュール。

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春分ははじまりの節目。

今持っている荷物を下ろして、軽やかに、新たに、これからに思いをはせる。

続けてきたことを続けるにしても、立ち止まって、なぜ?どう?を問うきっかけは大切です。

 

最近この荷下ろしに使っているのは、マンダラートという型です。

このワークの進め方を書いておきます。

 

●マンダラートのシートを用意します。


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●真ん中に、【今、気になっていること】と書いて、浮かんできたものを8コ書き出し、さらに周りのボックスに展開し、拡張していきます。ブレストなので、精査はせず、数を出す。「今、気になっていること」は心配や不安もあれば、興味や関心や好きなどもあって、どちらでもOKとしています。

わたしが今回最初の8つのBOXに書いたのは、【仲間、もっと書きたいこと、原稿の直し、映画館、かるた、寺、コンポスト、新聞記者】でした。
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そこから【もっと書きたいこと】の周りのBOXに書いたのは、これ。
なんのことか他の人にはさっぱりわからない。それでOK。
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●書いたものについて、3人1組になってシェアします。

●シェアの仕方は次のとおり。

・話す人1人、聴く人2人を決めます。
・話す人は5分、マンダラートを書いてみての感想を話します。聴く2人は相槌を打ちながら黙って聴きます。質問やコメントはしません。

・5分経ったら、聴いていた2人が、話の感想を5分フィードバックします。話していた人は今度は聴き役に徹します。あれこれ言いたくなると思いますが、黙ってフィードバックをもらっているだけ。

・5分経ったら、最初に話した人が1分でひと言感想を出します。フィードバックをもらって思ったこと、今の体験がどうだったか。

・これを3人全員が話し手になって行います。

・偶数なら2人ペアで交互に。

 

これをやるだけでも、かなり気持ちが整います。

Zoomのサークルなどで取り入れてみてくださいね。

(あ、でもそもそも、このコラージュの会をオンラインでやってもいいのかもな、と今思いました。考えます!) 

 

 

 

ここで皆さん荷下ろしが完了。

さぁ自由にしていこうぜ!どんどん製作!

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そして、できたのがこちら!

 

写真では伝えづらいけれど、一人ひとり、ぜんぜん違う。

一人の人の中でも、今はぜんぜん違う。その人の最新の断面を見せてもらう。

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一枚ずつ、作った人が2〜3分で紹介してくれます。こんなことを考えてつくった、どんなテーマ、ここが気に入っている、ここはこんな意図で、ここは自分でもわからない、できてみてこんなことを思っている、など。

他の人は、質問や感想を自由にフィードバックします。

この時間もやっぱりすごくいい。

 

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「休校やテレワークなど、家で一人の集中した時間が取りづらくなっていたけれど、ここに来て、思いっきり一人時間を楽しめてよかった」との感想をいただきました。

よかった、よかった。

 

 

不自由が降ってきて、いつまで続くかわからない今だけれど、 それでもいつも胸においておきたいのはこれ。

自分の属性、立場、環境、状況、
あらゆる制限をとっぱらったら、
何がしたい?どこに行きたい?何がほしい?

願い続けること。拡げ続けること。

同時に、今ここにいる自分を感じて手を動かし続けること。

 

次回は6月20日(土)夏至のコラージュの会です。

この3ヵ月の変化を楽しみながら、予定します。

 

その頃にはどうか収まっていますように。

また集えますように。 

 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

seikofunanokawa.com

 

Zoomで相談!読書会、鑑賞会、クラス運営、講座、勉強会、コミュニティづくりしませんか?

CMです。

 

Zoomで相談!

鑑賞対話ファシリテーター・舟之川聖子の場づくりコンサルティング

 

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人が集まる機会・関係・活動を主催している方、検討中の方。
ぼんやりアイディアはあるけれど、まとまった形にならない状態から、
実際にやっているけれどうまくいっていない悩みまで、
どんな段階でもお聴きします。

思いを聴き、現状を確認します。

問いかけや提案をしながら、実現へ向けて一緒に考えます。

オフラインの場も、オンラインの場も、どちらも相談できます。

 

オンライン会議システムZoomにて
9:00〜21:00
30分5,500円/60分11,000円(税込)
銀行振込またはPaypal払い
事前問診シートあり

 

●過去のご相談例
・所有スペースを生かした地域の人が集う読書会
・好きなバレエ作品を紹介する鑑賞会
・よき学びを講師として支援するクラスやゼミ運営
・学校教育を考える地域の勉強会
・海外在住の日本人の安心できるコミュニティづくり
・資格を生かした女性のエンパワメントのための体験講座
…等、多数。

 

 

お問い合わせは、以下のコンタクトフォームより。

seikofunanokawa.com

書籍『わたしが障害者じゃなくなる日』

シネマ・チュプキ・タバタで『37セカンズ』という映画の感想シェアの場をひらくのに合わせて読んだ本。劇場で参考書籍として販売されていた。

 

『わたしが障害者じゃなくなる日〜難病で動けなくてもふつうに生きられる世の中のつくりかた』 

 

第一感想としては、

とにかく読めてよかった!とてもいい本!これで読書会したい!

丁寧にルビが振ってあるので、小学校高学年や中学生ぐらいから一緒に読める。

 

単行本は装幀がとてもよくて、読む気がぐいぐい起こる。

表紙のマゼンタはハッピーになる色だし、サイズもちょうどいいし、本紙の色も少し黄味がかっていて、その上にのっているえんじ色のテキストも、黒より意外に目に優しい。イラストやまとめも立ち止まりながら、一緒に歩んでくれる。このイラスト好き。

今、出版のプロジェクトを進行中なので、こういう本の体裁への愛もついつい確認してしまう。読み手に影響するから、デザイン大事よね。

 

2019年6月に発刊になった本。

第3章『人間の価値ってなんだろう?』で、やはり津久井やまゆり園の事件に触れられている。

でもいきなりそこにいくのではなくて、段階を追って丁寧に渡りやすく楽しい橋を架けていってくれる。

そう、なんだか海老原さんの語り口はとても楽しい。一緒にいたら、すごく楽しい人なんだろうなぁと思う。

 

著者の海老原宏美さんは、1977年生まれのわたしと同年代。

生まれつき脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病にかかっている。

脊髄性筋萎縮症とは、体の筋肉がだんだん衰えていく病気。

移動は車椅子で、呼吸は人工呼吸器で、生活動作は介助者(アテンダント)のサポートを受けて、一人暮らしをしている。

 

まず冒頭で明示されるのが、障害は社会の側に問題があるということ。

例えば、建物に入るのに「車椅子だから」入れないのではなく、「階段しかないから」入れない。これまでは、「一人ひとりの個人のせいにされてきた」(個人モデル)けれども、これからは、「わたしたちのくらす社会の仕組みが原因になる」(社会モデル)でやっていこうという考え方が世界中で起こっている。

システムを中心にして人間を合わせるのではなく、人間を中心にしてシステムのほうを変えていこうとする流れ。

 

わたしも障害者だった期間がある。

この本の説明で言えば、たとえば、「妊婦さん」「ベビーカーを押しているお母さん」「言葉の通じない外国人」。そうそう、こういう状態や立場だったとき、「生活するときに困ったり、不便だったり、危険を感じたり」したなぁ。「すみません、わたしがこんなんで」と申し訳なく思ってしまったこともあったけれど、それもおかしな話だった。

がんばったり乗り越えたりしなくても、そのままの自分で、そのままのあなたでいい。困ったことがあれば伝えて、一緒になんとかできないか考えてもらう。

 

第1章では、主に海老原さんがどのような人生を歩んできたのかが語られているのだけれど、これがまたおもしろい。

海老原さん自身が好奇心いっぱいに当時を生きていたし、今また新鮮な驚きをもって当時をふりかえっている感じがすごくいい。

人の体験談がおもしろいときって、
・こういう経緯があって
・こういう出来事があって(へーー!やガーーン......)
・そのときこう思って
・こういう発見や学びがあった
・それを元にこんな仮説をもって、次にこうしてみたらこうなった!(ワーイ!)

がセットになって語られているときなんだけど、それがどんどん続いて、つながっていく感じで、どんどん読んでしまう。

小学校から大学まで健常者の中にいて、違いをあまり感じずにくらしてきたので、わたしは自分が重度障害者だということにぜんぜん気づいていませんでした。

のところは、びっくりしてしまった。

かといって、エキセントリックでとてもついていけない、わたしにはとても真似できない、海老原さんが特別だったんでしょ、という感じは全然ない。

海老原さんと一緒にのびのび冒険をして、チャレンジしているうちに、わたしも自分の中で限界を決めちゃってたかも、とか、わたしはわたしでよかった!と思えたり、なんだか心が健やかになる。

わたしが困っていることだって、みんなが助けてくれたら困っていることじゃなくなる。話したら聴いてもらえる。一緒に考えてもらえる。ここはそういう優しい世界でもある。

 

合理的配慮のところは、場づくりする人にとっては必読。

「どうしたらその人と一緒に楽しめるか。その方法を考える」

もちろん場の目的があるわけだけど、工夫することによって、より場がおもしろく楽しく豊かになる可能性も検討したい。想定を超えていくことが、場づくりの醍醐味。

 

そして2章の終わりから、3章にかけての人権、そして人間の価値の話。大事な話。

人権は、あなたの感情や思いには左右されません。

イヤなヤツでも、ゆるせない相手でも、人として生きる権利がある。

尊重される権利があるのです。

 

この章については、まだ言葉にならないけれど、ひとつ思い出したことがある。

 

わたしが小さい頃、「障害者はかわいそうな人」と親がよく言っていた。「生まれてきた子が五体満足でよかった」という言葉もよく聞かれた。

それ以外にも、「かわいそう」という言葉は何かにつけよく聞かれた。貧しかったり、突然難病にかかったり、事故にあったり、いろんな不運に対して使われていた。それは今思えば、社会の側に救済や支援や方策がなくて、その人のせいにされていたから、「かわいそう」という表現をする他なかったのかと思う。一人ひとりが自分らしくいるということから程遠かったのかもしれない。

そしてなんといっても、わたしの親が親になるまでの間に、あの「優生保護法」は現役で機能していたわけだから、かれら個人のせいばかりとも言えない。(疑問はもってほしかったけれど)

 

けれども、そこからアップデートしなくては。

たくさん事例があり研究があり実践がある。

人間を中心に組み立てていったほうが、みんなが幸せになれる。

自分も気づいたし、たくさんの人が気づいているから、もっともっと形にしていきたい。

知るから想定できる。

学び続けるから、具体的に実現できる。

 

この本に限らずだけれど、いろんな障害があっても、いろんな障壁があっても、直接は会えなくても、時間も場所も超えて、本の形だから人とつながれる。

 

読み終えて、その実感もとても温かく残っている。

 


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NTLive『リーマン・トリロジー』鑑賞記録

National Theatre Liveの『リーマン・トリロジー』、観てきました!
先日このようにご紹介していた作品です。
 
明るい気分にはならないだろうし、観たらいろいろ考えちゃうかもしれない。
今はシリアスすぎるものはけっこうキツイし、何より舞台が回転するのかーーと思うと尻込みしていました。
 
が、ツイッターで感想を漁っていたら、どれもこれも絶賛の嵐だったので、思いきって行ってきました。
 


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いやはや、すごかったです。

これはぜひ観てほしい。

 

心配していた通り、舞台はじゃんじゃん回っていました。

 
1幕、2幕はわりと平気。

3幕は回り続けてなかなか止まらなかったり、スピードが早かったり、背景に投写されている映像も回るので、なかなかハードでした。音響とも相まって、時々顔を覆ったりしていました。(これは誰もレビューで書いてなかった。みんな強いんだなー......)

破滅へのクライマックスだからなんですよね、すごく効果的だった。


3幕は他にも演出で、フラッシュ(たぶん1回?)や銃声(数発)や暗転(15秒)があります。これらは冒頭でも予告されます。

銃を使った自死の演技や、男性同士が激しく怒鳴りあうシーンもあります。

なんともない人にはなんともないんだろうけど、苦手だったり、生命の危機を感じる人には重要な情報だと思うので、お知らせしておきます。

 

 


でも、でも、それを超えて、ほんとうに観てよかった!!!
今という時にこそ、観てよかった作品です。

 

まず、美しかった。

大きな透明のガラスボックスの舞台装置は照明に映えて美しく、生のピアノ演奏(わたしたちが観ているのは録画ですが)の透き通るような音との共鳴は、SFやアンビエントな世界観を醸し出しています。

 

演出がサム・メンデスなだけあって、映像的。

彼が監督した『アメリカン・ビューティ』好きだったなぁ。

観る前は、無機質なフレームに黒づくめのおじさんが3人...をどう美しく感じられるんだろう?と思っていたけれど、舞台を構成する要素がぴったりと一つに結ばれると、目が離せないほど美しいのです。

初めから終わりまで。

だから破滅の物語なのに、ギリギリのところで観ていられるのかもしれない。

 

 

様々な舞台芸術の要素があって、わたしは特に活弁お能とオペラを感じ取った。

・ピアノが役者のように演技したり、心理描写や情景描写をする。

・ピアノが重要なシーンで主題を繰り返す。

・繰り返すセリフがある。

・ト書きを本人が動作しながら言ったり、そのシーンで役に当たっていない人間が言う。

・限られた数の人間だけが舞台の上にいる。

・限られた小道具と作り物の見立て。

というところが。

 

他の舞台芸術のフィルターをかけて観てみるのもまたおもしろいです。

 

 

ウォール街を綱渡りするブローカー。落っこちても大丈夫なように、ネットつけときましたよ(椅子の背についていた^^)

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鑑賞者は、リーマン兄弟、一族とその継承者に最終的に何が起きたかはわかっている。
この物語には基本、栄光と凋落しかないわけですが、そこに至るまでのきっかけ、展開、伏線がミステリーのように交錯して、潜伏しては表出してくる、この繰り返しのダイナミズムに圧倒されました。
 
まるで神話や叙事詩のような、時代劇や大河ドラマのような。
 
 

舞台が回転するのは、輪廻を表しているのだろうと思います。

150年にわたるリーマン一族3世代とその後継者の物語は、時代が変わっても、人間が変わっても、結局のところ、同じところをぐるぐると周り続けているだけだった。

リーマン一族のことだけではない、人類への皮肉なのか。

  

何が彼らをそうさせるのだろうか。
金融業界が男社会だからこうなったのかしら。 
 
野心、野望、興奮、熱狂、最上志向、競争、闘争、攻撃、先制、統率......などのワードが脳裏をチラチラとしていました。
 
男性にだけあるものとは思わないけれど。
女性もいたら、また別のバランスがあったのかなと思って。
 
おもしろくてしょうがない。
やめられない。
やめ方がわからない。
作り上げた仕組みが成り立たない。
勝てなくなったらどうしたらいいのか。
自分でも何をしているのかわからない。
 
そこまで暴走させるものとは。
 
 
最近コミック化で話題になった「戦争は女の顔をしていない」という本のことも思い出しました。
 
また、感染症に席巻される現在の世界のことがいやでも想起されるし、人類が数えきれないほど「やらかしてきたこと」も思い当たらずにはいられなかった。
 
特に、言葉や映像が世界中に溢れ、押し寄せてくるように感じられる苦しさは、今まさに進行している。
 
「どこが分岐だったのだろう」と何度も思うけれど、「リーマン・トリロジー」の中にいると、もはや「どこが」かなんて分からない。
どこかで引き返せたような気が全然しない。
最初からそうなるように決まっていたようにも見えてくる。
 
観ているときは没頭はしているけれど、誰かに共感したり感情移入したりすることもなく、いつまでも胃に重く抱えて夜眠れない、ということもなかった。
でも忘れられない。
 
この感じは、ラーメンズの舞台が好きな方は好きそう。
3時間ちょっとの長尺ですが、2回休憩もあるし、スリリングでまったく飽きません。

登場人物もたくさん出てくるけれど、役者が完璧に演じ分けていて、0歳〜100歳以上の老若男女が、ほんとうにそのように見える。すごい。
舞台には3人しかいないのに、何人、何十人、何百人、何万人、何億人の人間を感じさせるのも、すごかったなぁ。空気のようで顔がない人間たち。そこから切り離されてガラスボックスの中で極限の孤独を舞台上で生きる「3人」。
 
うーん、すごかった!
 
歴史、宗教、金融の知識がなくても、一つひとつ積んでいくので置いてきぼりになりません。それでいて説明的でないのがすごい。
 
という具合に、とにかく、ひたすらベタ褒めしたい。
 
ご都合つく方は、ぜひ。前夜はよく寝て、体調万全のときに行ってください。
 
パンフレットに掲載されている小田島創志さんの「『リーマン・トリロジー』のダイナミクスと言葉」という解説が非常におもしろかったです。
このためだけにパンフレット買ってもいいぐらい!
 
今回の現地の劇場はPiccadilly Theatre(ピカデリー劇場)。

『津田清楓展』@練馬区立美術館 鑑賞記録

津田青楓展に行ってきた。

青楓は"せいふう"と読む。 

 

練馬区立美術館の公式HP

生誕140年記念 背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和 | 展覧会 | 練馬区立美術館

 

美術手帖の記事

bijutsutecho.com

 

 

とてもよかった。
津田青楓、なんという縦横無尽な人なのか。

画風、技法、モチーフ。一点一点が全部違う。

図案、本の装幀、水墨画、フランス刺繍、油彩、水彩、ヌード、スケッチ、書......。

98年も生きた人なので、どんどん変化していくことは、それはあるだろうけれど、こんなにも......!

 

一つひとつが新しく懐かしい。

躍動感。

思いがけなさ。

圧倒された。

 

小かと思えば、大

静かと思えば、動

明かと思えば、暗

淡いかと思えば、濃い

抽象かと思えば、具体

 

特に印象深いのは、2階上がってすぐの小部屋の本のコーナー。

一つひとつが全然違う!(そればっかり言っちゃうけど)

 

次の部屋、油彩の「夏の日」。

描かれた群像さえも、一人ひとりが全く異なる。

同じ場所にいるのに関係を結んでいない。

それでいて、日差しの強さや木陰のひんやりした感じはリアルに伝わってくる。

そして目に飛び込んでくる色!

 

そして、左翼運動家を描いた「犠牲者」。

どんなビジュアルかはわかっていたけれど、生でみるとやはり迫力がある。

まず思っていたよりも大きい。等身大に近い?

そして、拷問の痕が生々しい。

よく見ると局部も剥き出しになっている。

左下の鉄格子のはまった小窓から見える国会議事堂の斜めの「表情」。

(後日、『新聞記者』を観たときにこの絵のことを思い出した)

 

それでも、彼を生かしてきたのは、いつでも仲間や理解者の存在だったのではないか。

展示のテーマでもあるので当然だが、随所に親交の温かみが見て取れる。

愛された人だったのだろうな。

 

アーティスト・表現者にとって、健やかで長生きするというのは、とても重要なことだと繰り返し聞いてきた。

同じように、一つ所に集まって、文学談義など盛んにしていた交友関係も広かった芥川龍之介はなぜ亡くなったのだろうか、やはり身体が傷んだり病んだりすると精神も辛くなるのだろうか...など、先日行った田端文士村記念館での展示を思い出した。

 


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メモをとってはきたけれど、わたしは圧倒されているばかりで収拾がつかないので、一緒に行った友人のnoteを紹介する。

 

note.com

油彩、水彩、書、テキスタイル、本の装幀、着物、
どれか好きなら、きっとグッとくるかと。

うん、間違いない!!

 

なんの気なしに誘ったんだけど、とても喜んでもらえて、思いがけずいろんな橋を架けられたようで、わたしもうれしい。

 

 

 

予習はぜひこちら、青い日記帳さんの充実のブログ記事で!

「津田青楓展」 | 青い日記帳

 

 

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お土産は図録と迷って、図案集を買った。

青楓にとっては初期の、全画業からすればほんの一時期のことだってわかっているんだけど、これは惹かれる。

眺めていたいし、もっともっとたくさん見たくなる。不思議。

 

後ろにある藤井健三さんという染織研究家の方の解説が、これまた詳しくてありがたい。展覧会で観たものの記憶を立ち上げながら読むと、何倍も体験が深くなったような感覚。

 

出版社は、芸艸堂(うんそうどう)。

https://www.unsodo.net/index.php

日本唯一の手木版和装本出版社......へぇ、こんな出版社があるんだなぁ。

 

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図案がたくさん載っていて、ぬりえがしたくなっちゃう。

わたしも描いてみた。薄めの紙に写して色を塗って。

 

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難しかった!

図案集の中で一番シンプルなものを選んでみたのだけれど。

写してみると、描いた人の鋭い観察眼の色や比率のバランスなどが感じられた。




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この感染症流行の時期にも、ここの自治体が判断して、開くことを決めてくれて、うれしい。

わたしにとって鑑賞は余暇の趣味や気晴らしなどではなく、生のために必需の行為。

 

美術館での作品鑑賞は、基本しゃべらないし、(なんなら会話禁止にすればよいし)、さわらないし(さわっちゃいけないし)、あらためて相当安全な行動だなぁとは思った。フェルメール展やゴッホ展ならともかくね。

それで外出して、精神も健やかでいられるなら、いいのでは、と。

 

いえ、もちろん、いろいろな判断があるのはわかっているけれども。

一律でなくてよい、ということも忘れないでいたい。

 

「誰かと見に行って、近くのカフェで感想を60分脱線せずに話しきる」をすると、いいですよ。

これも一番小さな鑑賞対話の場。

 

 

板橋区立美術館でも展示がはじまる。

深井隆 -物語の庭-|板橋区立美術館

 

行きたかった展示なので、とてもうれしい。
応援の気持ちをたっぷり持って、観にいく。

 

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書籍『OSAMU'S AtoZ 原田治の仕事』

先週末、公園に行ったら人出が戻っているようでした。

感染症が流行しているけれども、春めいてきたら外に出たくなるのが生き物。

予防はできる限りするけれど、備えているけれども、生き物としてわきあがってくる衝動を切り捨てたくない。

 

とはいえ、まだまだ三寒四温で寒い日もあるので、家で読書や映画などを観てゆっくり過ごしてもいます。

 

最近こんな記事が流れてきて、思い出しました。

www.haconiwa-mag.com

 

そうそう、去年の世田谷文学館の展覧会、行ったなぁ!って。

 

そのときに友人と録ったおしゃべりがありますので、よかったら聴いてみてください。

行ってない方も、行った方も楽しんでもらえるといいなと思って作りました。 

note.com

 

 

わたしがそのときに購入したこちらの本もたいへんよかったです。

 


帯の言葉から引用します。

美術を愛するひとへ

原田治(1946〜2016)が集めた「美しいものたち」

80年代、女子中高生たちが夢中になったOSAMU GOODSの生みの親であるイラストレーター・原田治。物心つくと同時に絵筆を握り、自ずと美術鑑賞が趣味となった著者がずっとずっと続けてきた大切なことーーー

著者が最後に遺したエッセイ集

大人になって、同い年になって、そして超えていく。

小学生や中学生のわたしに、すてきなGOODSを届けてくれた人を、対等な一人の人として、その人生を知っていく。

年を重ねるっていいなぁと思います。

テーマになっている作品や作家も、「うわー、わたしも好きなんです!」と思わず握手したくなる。2ページほどの短いエッセイなのでお茶菓子をつまむように読めます。

装幀もいいです。亜紀書房さん、好き。

やはり美術を愛する人に、おすすめだなぁ。

 


▼公式図録はこちら。宝物が詰まっている。

 

 

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何度でも出会い直す漫画『CIPHER』

ふと思い立って、漫画『CIPHER』の文庫版、全7巻を買いました。

▼今新刊で出ているのは愛蔵版。

 

4年前に自主開催で『CIPHERを語る会』をひらいたり、

hitotobi.hatenadiary.jp

 

LaLaの原画展に行ったり、

hitotobi.hatenadiary.jp

 

......と、あれこれしていたわりに、肝心のコミックは手元になかったのです。

すみません、すみません......。

 

いやー、ほんとうに買ってよかった。このタイミングで。

 

読み返してみたら、また新たな発見がありました。

好きなシーンもたくさん「再」発見しました。

ジェイク(シヴァ)がはじめてディーナに会って家に招かれ、家族と夕食を共にして、ディーナの歌に泣くエピソードのところで、わたしも泣いてしまいました。

 

『CIPHER』は世界の広さを見せ、異なる価値観に触れさせてくれた漫画でした。

人生を歩む上で大切なことがたくさん描かれていた。

なぜあんなにも惹かれたのか、今になってわかる。

より深く意味を受け取っています。

 

ダイバーシティや多様性という言葉がまったくなかった時代に、この漫画を通して、教わったことは数知れない。

特に今回読んでいて注目したのが、

・尊厳、尊重、選択、権利、責任。

・ゼロに戻る。新しく始める。

・トラウマ体験

・家族の物語

・回復途上で感じる痛み、悼み、嘆き

・依存と自立

・人間の孤独

・語ること、聴くこと、対話

・感情表現

・処罰感情

・贖罪

・同じ事象を別の側から物語ること

 

非常に今日的なテーマ。

 

 

見ないことにされてきたたくさんの感情やプロセス。

間(あいだ)にあるものが、丁寧に描かれています。

 

憧れと共にたっぷりと吸収した大切な養分は、大人になった後も、ずっとわたしを支えてくれているように思います。

 

消えない、枯れない資本として。

 

単に「懐かしい〜」というだけでない、わたしを構成する大切な要素であることを確認します。

 

一方で、それだけ心を配っていた表現の中にも、「今読むとOUTだよね」というものもある。本編もだし、文庫版が発刊された1997年当時に書かれた解説にも。

それ自体が悪いと言うより、たぶん時代が大きく変わったということ。

そう思えることに、隔世の感があります。

ギョッとする自分がいるということが喜ばしい。

当たり前のものとして流していて、心がざわついていることも感じられなかった。

ゆるされなかった時代を思えば、自分が生きている間にこれほどの変化を見ることができてうれしい。(でもまだまだ、変えていきたい)

 

 

「あなたと友達になりたいの!」と風のように登場し、ほんとうに友人として交流していく最初の主人公、アニス。

対等で誠実な関係から恋愛感情へと発展していく健やかさは、あの当時にはなかった全く新しい価値観でした。

本の学校が舞台の、男子・女子を「意識」させる「少女漫画」にない恋愛。

恋人とのキスも「ロマンチックでムーディな雰囲気の中で、女の子が待っている(してもらう)キス」ではなくて、対等な人間同士のキスだった。

そう、人間同士の関係がまずあってこその、恋愛だよね、という揺るぎない土台。

今にして思えば当たり前だけれど、当時そういう作品は他には見られなかったなぁ。

恋愛至上主義に適合し、性別役割をがんばっていた、わたしの10代で実現は叶わなかったけれども、漫画を通して、あの対等で尊敬しあう関係性がこの世界に存在すると知っていたことは、とても大きかったです。

 

このあとTV放映された「ビバリーヒルズ高校白書」は......恋愛ばっかでしたね^^;

 

  

携帯電話もスマートフォンもEメールもSNSもない時代。

コミュニケーションは電話か手紙か掲示板。

カメラはフィルム。

パソコンはMacintosh 128K。初代Mac

 

ハルがUCLAに通いながら、プログラマーの仕事としているというのも、時代を考えるとすごい。

それでも不思議と古さを感じないのです。

 

 

そうそう、解説を読んで驚いたこと。

キャラクターたちは持ち服を着まわしているんですよ。文庫版の5巻の解説、声優の中川亜紀子さんという方の、「限りがあるワードローブ」で指摘されていて、気づきました。

これ、ほんとびっくりした。

他にも、バッグや持ち物もだし、部屋の中のインテリアや小物も、変わらない。

当たり前かもしれないけれど、たぶんその書き込みや設定の緻密さが半端ない。

 

6巻の北海道立函館美術館の学芸員の穂積利明さんという方の「『CIPHER』ー僕らの成長物語」でこう書かれていました。

つまり成田美名子の絵は印刷されたものをはるかに超えて完成度の高いものだったのである。とりわけ、この『CIPHER』については粒揃いだったと思う。そのうまさたるや、テーブルの上にさりげなく置かれた赤い飲み物が、ブラッディマリーやストロベリーマルガリータなどではなく、カンパリソーダであるとはっきりわかるほどである。

ひぃーーー。

でも、ああ、だからこそ、この世界があることが信じられる、わたしたちもその物語の中で息をすることができるのだな。

 

思わず、こちらの画集も買い求めてしまいました...。

 


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今回気づいたものをキーワードで並べていきます。

1985年〜1990年の日本に、どれだけ新しかったか。

そして普遍的であるか。

 

・人権

・人種(アフリカ系、プエルトリコ系、インド系、日系)

・人種差別

・治安、暴力、虐待を受けた女性のためのサポート機関、「父から娘への性暴力」(ニュース番組の画面に)

・家族の物語。養子、血縁。離婚、再婚。

・身体障害

ベトナム戦争

アメリカのお祭り。感謝祭、聖パトリックデー、独立記念日、ハロウィン、クリスマス、自由の女神100年記念

・NY(東海岸)とLA(西海岸)の文化の違い

・サマーキャンプ

・キルト作り、ベビーシッターのアルバイト

・生理(月経)、ナプキン、タンポン

・ブラジャー

・薬物。薬物依存症。Coke(コカインの俗語)、ジェイ・ジョイント(マリファナタバコの俗語)、エイズエイズ検査

・男性の自活、自炊

・離婚仲介業者(ディボース・メディエーター)、精神療法医(サイコセラピスト)

・洋楽。トンプソン・ツインズ、ペットショップボーイズ、マイケル・ジャクソン、マドンナ、マンハッタン・トランスファー、スティング、カルチャークラブ、プリンス、ワム!

・歌、ゴスペル、黒人霊歌(ビッグママが歌う'Round about the mountainはこんな曲だった)

・体温計の表示温度が違う。99.8度(華氏)=37.5度(摂氏)

・グルーピー

・仕事、俳優、モデル、撮影現場、演技、プロフェッショナル

・ドレッドヘア、ラスタマン

ルッキズム

・自宅出産

・TVで「スター誕生」の放映。(2018年もリメイクあったね。『アリー/ スター誕生』)

 ・アートスクール、コロンビア、UCLA、ハーバード、SAT

・1968年/キング牧師ケネディ大統領暗殺、1969年/ウッドストック、月面着陸

ルームシェア

・書く表現

・事故死後の遺族の人生

・身障者のためのボランティア

・スポーツ

カインとアベル、聖書、宗教、信仰、祈り

 

ああ、もう書ききれない...。 

背景だけではなく、忘れられないセリフやシーンもたくさんあるんだよなぁ。

 

そうそう、一卵性の双子の人は、どんなに似ていても、片方といっぺんより仲良くしていたら、すぐに見分けがつくようになる、というのは本当です。「あれ、なんで見分けがつかないって思ってたんだろう?」っていうぐらい似なくなる。ほんと不思議。

この漫画のおかげで、双子の人に失礼なこと言わないようになったのも、学びだったかも。

 

 

CIPHERという作品に、人生の早い時期出会えてほんとうによかった。

わたしと同じように「懐かしい〜」が湧いた人はぜひ、その先に鑑賞を深めてみてほしいです。

受け取るものは当時よりずっと多く深くなっているはず。

 

そして、はじめて出会う人にとっても、これはきっと良い物語だと思います。

おすすめします。 

 

 

この先も何度も読み返す名作です。

 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

seikofunanokawa.com

開催します:3/23 爽やかな集中感 百人一首と競技かるた体験会

会場のUmiのいえと相談して、

3月23日(月)の百人一首と競技かるたの会は開催することにしました。

 

マスク、手洗い、消毒、水分補給、換気などできる限りの感染予防はお互いにする。

体調に少しでも不安があれば欠席していただき、今回に限りキャンセル料はなしとします。

感染症拡大の状況の変化は追いながら、その都度慎重に判断していきます。

 

Umiのいえは、今も毎日ひらいている場所です。

このような時だからこそ、身体を整えることや日常を大切にしています。

 

わたしも、日常を営み続けることや、生身の人間と会って顔を見て言葉を交わすことが、心身を根本から健やかにすると考えています。

 

今はこのような判断です。

 

また、Umiのいえでの百人一首と競技かるた体験会は一旦終了いたします。

この機会にご参加をお待ちしています。

 

 

2020年3月23日(月)14:00~16:00

coubic.com

 


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《お知らせ》3/28 映画『37セカンズ』でゆるっと話そう

3月のチュプキでの開催が決まりました。

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ゆるっと話そうシリーズ第10回

『37セカンズ』

3月28日(土) 19:10〜19:55
シネマ・チュプキ・タバタ(田端)

詳細>>http://chupki.jpn.org/archives/5441

 

 

 

〈ゆるっと話そう〉は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、

45分のアフタートークタイムです。


映画を観終わって、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?

印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。

他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。

はじめて会う人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

  

第10回は、『37セカンズ』をピックアップ!

http://chupki.jpn.org/archives/5340


親子、夫婦、家族、友だち、仲間。
障害、性、仕事。
自己承認、自己肯定、自己信頼。
選択、自立。
できること、できないこと。

誰にでも関係のある、普遍的なテーマが描かれた作品です。
見る人の立場や背景によって、光を当てるところがかなり違うでしょう。
この映画よかった!という方も、なんだかモヤモヤしちゃった…という方も、ぜひその違いの豊かさを味わい、分かち合いましょう。

ご参加お待ちしています。

 

日 時:2020年3月28日(土)19:10(17:05の回終映後)〜19:55

 

参加費投げ銭制 ¥500〜

 

予 約:不要。

    映画の鑑賞席は予約がおすすめです。

    http://chupki.jpn.org/archives/5340

 

対 象:映画『37セカンズ』を観た方。

    別の日・別の劇場で観た方もどうぞ。

    観ていなくても内容を知るのがOKな方はぜひどうぞ!

 
お知らせ

・    ゆるっと話そうの時間はシアターの扉を開放します。
・ 状況によりマスクの着用をお願いすることがあります(ない方には提供します)

  

<これまでの開催>

第9回 トークバック 沈黙を破る女たち
第8回 人生をしまう時間(とき)
第7回 ディリリとパリの時間旅行
第6回 おいしい家族
第5回 教誨師
第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
第3回 人生フルーツ
第2回 勝手にふるえてろ
第1回 沈没家族


進 行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター

twitter: https://twitter.com/seikofunanok
blog: http://hitotobi.hatenadiary.jp
hp: https://seikofunanokawa.com/

 

わたしのこの映画の感想はこちら。

hitotobi.hatenadiary.jp

映画『37セカンズ』鑑賞記録

映画『37セカンズ』を観た。

37seconds.jp

 

3月のシネマ・チュプキ・タバタでの感想対話の会、"ゆるっと話そう"で扱う作品。

「これどうでしょう?」とチュプキさんから提案があったとき、わたしは実はピンと来ていなかった。

チュプキさんの推し理由、公式HP、公式twitter、レビューブログ、3月のチュプキの他のラインナップ、これまで"ゆるっと"シリーズで扱ってきた作品、等々を見てみて、最終的に、「37セカンズ」しかないな、というところに落ち着いた。

 

なのに、なんとなく気持ちが「今すぐ観に行きたい!」というほうに向かない。

「はて、これはどうしたことか?」と思っていたのだが、きのう観てみて、理由がわかった。

 

あれだ。

スマホでネットサーフィンをしているときに表示される、漫画の広告。実際の漫画のコマが貼ってあるもので、ざっくり言うとエロ・グロ・気持ち悪い。

パッと視界に入っただけで、気分が悪くなる。はぁ...嫌なもんみちゃった...っていう。

 

「37セカンズ」のあらすじや登場人物の紹介などを読んでいると、いくつかのキーワードから、自分の中で自動的に「あの嫌な感じ」が起動してしまっていたのだ。

 

なんだそういうことだったのか。

ああ、理由がわかってすっきりした。

考えてみたら、チュプキさんから意地悪な映画なんて勧められるわけがない。そもそもチュプキでかからない。

勝手に起動しただけです。

 

 

でも万が一、「この映画はなにやらしんどそうだからいいや」ってなっている人がいるとしたら、それは心配ご無用です。

とても希望あふれるよい映画でしたよ!!!

 

※追記

RatingがPG-12なのは、性行為のシーンが赤裸々、というわけではないです。人によってはそう感じるのかもしれないけど。赤裸々で過激だとR-15、R-18ですしね。

映っている場所や出てくる人物の言動や背景、その理由などが、性行為や性産業にまつわるもの。全編ではないです。知っていたとしても、それを受け止めて自分なりの解釈を加えて理解できる必要があります。低年齢の子どもに積極的に見せる内容ではない、ということですね。


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観終わってまず。

とても息がしやすくなっている自分に気づいた。

 

その理由は二つ。

 

一つは、映画の力。

わたし流に解説すると、『37セカンズ』はこんなお話。

生まれてから23年間、自分らしさを抑えて生きてきた主人公・ユマ。出生時に37秒間呼吸が止まっていたことから脳性麻痺となり、車椅子を使って生活している。

同居する母や「友人」のサヤカも時間を止めた人たちだ。微かな違和感を持ちながらも、他者との境界も曖昧にしたまま、自分の人生を生きられていない。

ふとしたきっかけから、ユマは「外」の世界の人にふれ、自立への欲求を自覚する。

ユマの時間が動き出したことで、ユマに関わる人たちの時間もまた動き出していく。ユマは新たな世界へ足を踏み出す......。

 

ユマが歩む自立の道のりには、ちょっとハラハラするところもある。

けれども、決定的に悪いことや酷(むご)いは起こらないだろう謎の安心感を持ちながら観ていた。実際にも起こらないし、優しさのほうが多い。

ユマのキャラクターが、とにかく正直で健やかでユーモアのあるところがいい。

無鉄砲で世間知らずでピュアなだけの人ではなく、状況は理解していて、感受性豊かで、気持ちを伝える表現をする。自分で責任を引き受けて行動もする。

やっぱり一人の大人として描いている。(あ、そうか、だから安心感があるのか)

 

 

息がしやすくなったのは、ユマの人生がぐぐっと動いていくときの、扉がひらいていくときの、あの大波に乗せられていくときのような愉快な感覚と、自分の情熱を思い起こさせてもらえたから。

わくわく冒険、アドベンチャーだ。

それから、「外」は確かに怖いところでもあるけれど、もしかしたらその怖さって自分の中に作ったものかもしれないよね?ということも。

今、自分は何を大切にしたいんだろう?

 

だから、脳性麻痺、車椅子、障害、性...などは、ユマを構成する上でとてもとても大事な要素だけれど、特異なものとしてフォーカスはしていない。

親子関係や自立や性や働くこと、生きづらさの根源など、だれにでも関係があるテーマが描かれている。

人によって光を当てるところがかなり違いそうで、とにかく誰彼となく感想を聞いてみたくなる。

(ああ、そうか、だからチュプキさんはこの映画を推してくださったのですね!!)

 

 

もう一つは、映画館で観られることの喜び。

COVID-19感染症流行により、日常に制限がかかっている。

先の見通しがきかない。

約束とはもともと不確かさを含んでいるのだけれども、約束を取り付けること自体がゆらいでいる。

予定していたことが中止、休止、延期となり、これからの予定が立てづらくなった。

そもそも人と会って、「向かい合って一定時間話す」ことが最も避けるべき行動として指摘されている現状。わたし自身の日常にも、大きく影響を与えている。

店舗以外の公共スペース、文化施設などが閉館となっている中で、今求めているときに、映画館の灯がともっていることがうれしい。

そこへ身体を運んで映画を観ることができた。この解放感たるや!

もちろん、映画館なりの予防ガイドラインを設けての営業だ。ありがたい。応援している。

 

 

映画館を出てからの帰り道はなんだか、

Hello again, new world!

人生はわたし次第!

という多幸感に包まれていました。

 

 

というわけで、

 

 

ゆるっと話そうの日程決まりました。

感想話しましょう。お待ちしています!

http://chupki.jpn.org/archives/5441

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備忘を兼ねて、もう少し細かい感想メモを置きます。

*この先は、未見の方の鑑賞行動に影響を与える表現が混じっています。

 
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・母と娘:

前日に『ホドロフスキーのサイコマジック』の試写を観ていたので、影響されてる。自分ではない人になる、自分では行けないところに行く。映画自体がそういうものなのかも。この映画の中に、「自分の過去の痛みから、子の(特に性的な)自立に向き合えず、無視する親」というような話が一部出てくるので、つながってるーー!

そういえばこの本、友人からもらって積ん読になっていたけれど、読もうかな。

 

 

・サヤカ:

一緒にいてくれる、才能をわかってくれる、「こんなわたしに」付き合ってくれている、頼りにしてくれている...と、「搾取」や「依存」を間違えてしまっている友だち付き合い。あったあった。するほうもされるほうも。大人になっても、起こり得る。

ユマの自立にあたって、サヤカがどのように変化していくのか、このあとを見てみたい。

 

・ユマの母とサヤカの母:

煮詰めている感情がありそう。特にユマの母から。

 

・母:

もう一人の娘を失ってまで守りたかったのは何か。もしかしたら、出産時からの罪悪感のようなもの?「一人になるのが嫌なだけでしょ」と、自分が子どもから言われたらどうだろう?とちょっとドキドキした。

シェイクスピアが好きなところがいい。この話をできる人が娘以外にもできるようになったらいいねぇ。内職じゃない仕事をする、という可能性だってある。

子どもが自立によって未熟な自分をゆるしてくれて、助けてくれる。子どもってありがたいなと思う。ここは親としての自分で観た。

 

・三人衆:

舞、クマちゃん、トシくん。人生を健やかに営んでいる人たち。とはいえ全く問題を抱えていないわけではないと思う。とにかくこの人たちがいい人たちでほんとうによかったとホッとした。特に舞に出会えてよかった。自分を引き上げてくれる存在。

 

・編集長:

持ち込みの対応に慣れてる感じに痺れる。板谷由夏さん、すてき。作品で評価するシビアさと、逆に言えばチャンスは平等。

 

・由香:

ユマがカタカナで由香が漢字なのはなぜだろう。

 

・トシ:

家に泊めているときや旅行中に何かが起きるのかと思ったが、何も起きなかった。トシの人となりがわかるのが、ラーメンにレモンのエピソードだけで、あとはいるだけ+実行を助けてくれる人。聴く、いてくれる、見ていてくれる。この感じについては謎。もうちょっと掘れそう。「ゆるっと」の当日、話題が出るかな。

 

※思いついたら足していきます。

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『リーマン・トリロジー』が池袋でアンコール上映中

『リーマン・トリロジー』が池袋でアンコール上映中です。
 
 
NT Liveとは、英国ナショナルシアターの演劇公演の録画が映画館で観られるというもの。
解説およびインタビュー付きで、より作品に入りやすいです。
 
 
・リーマン ・ショックとはなんだったのか?
・どんな物語があったのか?
リーマン・ブラザーズ(リーマン兄弟)とは誰か?
を演劇として表現した作品。
 
 
男性俳優3名が、固定された舞台装置の上で演じ続ける、221分。
途中休憩2回あり。
 
 
金融業界に限らず自分でビジネスを構築した人、
企業組織で働く人、
リーマンショックをふりかえりたい人、
アメリカ資本主義・アメリカ移民の歴史に関心ある人、
「男性」の生きづらさや"Man Box"に関心ある人...などが観たらさぞおもしろいんじゃないかと思います。
 
いや、でもわたしもまだ観てないんですよ。
 
わたしはHSPで、回転物と、閉鎖空間で進行していく心理描写などが最近かなり苦手なので、体調がよければ行きたいです。
 
俳優の一人、サイモン・ラッセル・ビールは、昨シーズンに観たシェイクスピアの「リチャード二世」での怪演が記憶に残っている。
今回もすごい演技を見せてくれると思います。
 
観てないのに(笑)、かなりおすすめです。
NT Liveでも一押しの作品になってました。
 
 
 

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