ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

〈お知らせ〉初著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』Amazonで予約開始しました

初の著書(共著)が出ます。
本日12/18からAmazonで予約開始しました!
 
 
今年の夏にクラウドファンディングで制作費を集めてつくりました。
10代の人たちにこの社会のトリセツをつくって生きよう」と伝える本です。
 
10代の人に、10代の周りにいる大人に、かつて10代だった人に、読んでもらいたいです。
ぜひこちらからご注文ください。
 
 

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今までの流れ。
 
ちょうど2年前の今頃、2018年12月に思いついて、仲間に声をかけた。
翌月2019年1月に企画ミーティングをして、1年間書く練習とテーマについて考えた。
2020年に入って本格的に書いて、直して、話して、書いて、GWあたりから編集・校正・デザインのプロに入ってもらって本の形にしていった。
クラウドファンディングを立ち上げて、8月に3週間活動して制作費を集めた。
それをたまたま見つけてくれた出版社さんが声をかけてくれて、出版社から刊行されることになった。
そのあたりの試行錯誤の日々はnoteに綴ってきた。
クラウドファンディングでやっていたことは、FacebookCampfireに置いてある。
 
 
今の気持ち。
 
今年じゅうに本を出すことは決めていたけれど、ほんとうにその日がきた、ということがまだ信じられない。読み手に届いて、読まれて、表現として出てきたときに初めて実感するのかもしれない。
やはり作品というのは、受け手がいてはじめて成立するものだと思う。本の形になるのは、わたしから手が離れたということで、でも受け手が現れるまではまだどこか宙ぶらりん。
クラウドファンディングのリターンが発送されていくので、きょう明日、明後日ぐらいにはようやく実感していくのかなと想像するけれど、なんせ初めてのことなので、まったくの未知。
 
2020年にCOVID-19感染が拡大したことで、書く内容にどういう影響を与えるかなと思ったけれど、結局COVID-19に触れたのは、「まえがき」と「シチズンシップのトリセツ」に本の少し入れるに留まった。
「COVID-19以前の世界ではそうだったかもしれないけれど」と自分でもツッコミを入れたくなるときもあるし、「いや、どのように世界が変わってもこれは普遍である(と思うしかない)」と思うときもあり、揺れていた。今も揺れている。
どんなふうに受け取られるか、怖さ9割、楽しみ1割といったところ。
 
一人で、仲間と、たくさん挑戦した。
そのことが今は誇らしいし、うれしい。

鑑賞中に寝ないためには

劇場やホールに舞台、音楽、映画などの鑑賞をしに行って、わたし最近あんまり寝ないなぁということに、ふと気づきました。

いや、別に寝てしまってもいいと思います。緊張がほぐれてリラックスできたということだし、眠りに誘われる要素が、その作品や公演に含まれていたのかもしれないし。

 

でも、「せっかく観に行っているのに、寝てしまうのが残念」という方もおられるかもしれないので、なぜあまり寝なくなったのか考えてみました。

 

  • 作品選びの勘がついた
    おもしろい、観たい、わたしはこれが好き、興味関心がある、と思える作品を選んでいる。

  • 仮説を立てている
    作品選びにもつながりますが、「なぜ観たいのか?」に対する問いを思い描く。チケットを購入するまで、あるいは、購入してから当日までに。こういうものを観るのかな、だとしたらわたしはこういうことを感じそうだな。こういう体験になりそうだ、など。それが覆される前提で仮説を立てます。

  • 予習して「ここをよく観よう!」と決めている
    公演のサイトや関連書籍や動画で見所や背景を調べる。演劇なら原作を読む、能なら詞章を声に出して読む、オペラならあらすじだけでなく、アリアを聴いてみるなど。

  • メモを取りながら観ている
    わたしの場合、基本的に、あとで人と感想を話したり、ブログ記事を書くつもりで観ているので、何を観たか、どういう体験だったか、観る前とあとでわたしの中で何が変わったか、想定していたのとどこがどう違ったか、などの素材になるようなことを暗がりでメモしていることが多いです。

  • 心身の調子を整えている
    前夜に早く寝て睡眠たっぷり。当日は空腹すぎず満腹すぎずの状態。気になる用事や返信はなるべく片を付けておく。

  • 当日は予定を詰めない
    できれば前後は余裕をもってゆったり過ごす。

  • 友人と一緒に観に行くなどして、後で"感想戦"をする約束をしておく


……といったあたりでしょうか。

これらは、寝ないためにしていることではないですが、あえて挙げてみると、という感じです。

書いてみて気付きましたが、結局は、様々な種類の作品や形式をたくさん観ることで慣れただけ、というところが多分にありますね。わたしにとっては日常なんですね。

「寝る」イコール、舞台で起こっていることを脳が処理しきれなくなっている状態や、環境に適応できない結果だとすれば、やはり慣れと対応策を考えることに尽きるのかと思います。(もちろん何も対策しないという選択もアリです)

 

 

美的発達段階との関連もあります。

以前、「美的発達段階と鑑賞」という記事をホームページに載せました。

seikofunanokawa.com

 

長いので要約すると、

人間に成長段階があるように、技芸ごとに熟達していくための段階があるように、「鑑賞」という行為においても人それぞれに段階がある。A.ハウゼンの提唱した美的発達段階と呼ばれるもの。第1〜第5段階がある。
鑑賞の場を提供する者は、鑑賞者の対象を定める際に美的発達段階も考慮して場を設計する必要がある。(それぞれの人の知識や経験などの蓄積度合いに合った鑑賞の仕方がある)

というような話です。

 

ブログでもよく「予習をしてから観た」と書いてますが、わたしにとってはそのほうが受け取るものが多くなり、鑑賞体験が深まるからです。仕事の一環でもあるからです。

そこまでではない、「趣味」であったり、観ることや館に足を運ぶこと自体がまれという方は、予習などせずに、まずはトライしやすい形式の公演に行ってみることをおすすめします。

まずは観てみて、「すごい!」「きれい!」「好き!(嫌い!)」などの感覚を楽しむ。

寝てしまってもいい。通しで観られなくてもいい。自分を責めない。
そこで何かしら記憶に残ることがあれば、それを大切にする。小さな感想を口にしてみる。

ここをすっ飛ばしていきなり知識やデータを入れても、自分が観る実感から離れてしまい、楽しくなくなって、鑑賞にアレルギーを起こしかねません。

 

逆に、ある程度、量を観てきた人や、自分の好奇心の方向がはっきりしてきた人は、自分の関心を少し意識して自覚してみるとよいです。自分で美的発達段階をあえて、貪欲に上げていくようにする。何も考えずに気楽に観るより、何を事前に入れておけばもっと楽しめるか考え、たとえば上に挙げたような準備をして、自分で負荷をかけていくほうが、楽しくなっていきます。

より作品を味わい、価値を受け取り、学びを深めることができます。

誰かと一緒に行って違う視点や感性をシェアしてもらうこと、自分からシェアして貢献することもぜひ試してもらいたいです。

 

わたしは場をつくって対話・表現を繰り返してきたことで、自分の美的発達段階も上がってきたなと感じています。もちろん段階をあげることが目的ではないですし、第4、第5段階のほうが第1段階より「偉い」ということではありません。鑑賞の発達には段階はありますが、各階層同士に優劣はないし、発達していかなければならないものでもありません。

ですが、より広く深く多く世界とのアクセスが増えることは、生きる上での力になります。

 

 

いろいろ書いて脱線しましたが、鑑賞の筋力を鍛えれば、寝にくくなるし、寝なそうな行動をしていくんじゃないか?という話でした。

わたしもしばらく観ない期間が2、3年続けば、鑑賞の筋力は衰えて、再開する頃にはまた寝ると思います。

でも脳が覚えていれば、そしてこうやって記録しておけば、筋力の付け方も思い出せるな、と今気づきました。自分の備忘としても役立てようと思います。

 

一葉記念館鑑賞ツアー 〜時代の結節点(ハブ)としての樋口一葉

*冊子化を意図したため、いつもの記事と異なる体裁になっています。

 

はじめに

2019年11月のある日、ふと思い立って、浅草にある一葉記念館に行ってきた。
樋口一葉の人生と作品を紹介するミュージアムだ。

 

これまで鑑賞記録はブログやnoteで発信してきたが、今回はそれに加えて、調べ学習の楽しさも表現したいと思う。

ミュージアムは何がおもしろいのか、どう鑑賞すればいいのか、自分とどう関係がつくられるのか。いつもわたしがやっていることを一緒に体験してもらおうと思った。

それも、自分だけにわかるように書き散らすのではなく、なるべく読む人と一緒に楽しめるようなツアーのようなもの。同館を訪れたことがない人にも、訪れる予定がない人にも、楽しんでもらえたらうれしい。どこまでできるかわからないし、ほとんど独り言になるかもしれないけれど、制限ある文章の中で挑戦してみたい。

間違ったことを書いている可能性もあるし、他の資料を当たれば、また違うことがわかるだろう。まずは、今のわたしから見えている景色を固めてみて、その後に発展、展開することを期待したい。

※一葉の遍歴は、記念館の展示資料および記念館発行の『資料目録』をベースにしている。

 

 

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一葉記念館鑑賞ツアー
〜時代の結節点(ハブ)としての樋口一葉

 

はじめに
一葉との出会い
五千円札の人
竜泉寺町と一葉記念館
祖父母の時代
父母の時代
樋口奈津
「女子に学問は必要ない」
当時の教育制度
歌塾「萩の舎(はぎのや」
きょうだいの人生
小説を書く決意
半井桃水との出会い
荒物屋の経営
奇跡の19ヶ月
企画展「樋口一葉と明治の文芸雑誌」
日記

独自の文体
覆るイメージ
今回の鑑賞で得たこと
関連書籍紹介
チケット情報
おわりに

 

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一葉との出会い

高校時代、わたしは本好きの友だちと、《実は読んだことがなかった名作を読む》という小さなプロジェクトをやってみたことがあった。

国語の授業で使う資料集『国語便覧』に載っているたくさんの「文豪」。その「名作」から一冊を選んで、期限を区切ってそれぞれ読んできて、時間をとって感想を話す、という試みだ。今で言えば、読書会のようなもの。夏目漱石『こころ』、川端康成『雪国』、田山花袋『布団』などを読んだ記憶がある。

 

その中で、樋口一葉の『おおつごもり』を取り上げたことがあった。

一葉の代表作は、『たけくらべ』『おおつごもり』『にごりえ』が並べられていることが多い。国語の教科書には『たけくらべ』が掲載されていたので、次点の『おおつごもり』を読むことになった。

友だちと、いいねいいね、『たけくらべ』よりも好きかも、と盛んに言い合ったのを覚えている。

何がそんなに響いたのか。今掘り起こしてみると、文語体で書かれた物語の音読したくなる美しさ、登場人物の人柄や心の動きの繊細な表現、主人公の「強さ」、同時代の「文豪」の作品にはない独自の世界が広がり、といったあたりだったように思う。

あの感受性豊かな年齢で一度読んでおいてよかった、と今ふりかえって思う。
 

 

 

五千円札の人

樋口一葉は、2004年に五千円札の人になった。

日本で初めての女性の職業作家。

発行された当時、「実在が確かな女性が紙幣の肖像画になるのは初めて」という事実に仰天したのを覚えている。まだまだわたしはそういう時代を生きているのだ。

とはいえ、「一葉以前の女性の芸術家は?」と聞かれて、「誰でも知っている人」として浮かぶ人はいない。よくて葛飾応為?出雲阿国白拍子瞽女、民間の芸能者ならたくさんいるが、名が残っている人となれば、平安・鎌倉時代歌人まで遡らなくてはならないだろうか。

鑑賞者として、文学や美術や音楽の歴史を紐解いていく中で、「女性と芸術」はわたしの大きな関心テーマになっていった。

そういえば五千円札は、もうすぐ代が変わって、次は津田梅子になる。なぜ五千円札なのだろう、とも思う。一万円札に女性が登場する日はいつだろうか。

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一葉記念館のことを知ったのは、以前、わたしが仕事でかかわっていた文京区のまちづくりのワークショップでのこと。

台東区には樋口一葉記念館がある。

一葉は本郷に一番長く暮らしていたのに、台東区に持って行かれてしまっている。

文京区にも樋口一葉記念館を作るべきだ!

という意見を出した方がいた。その方がとても憤慨されていたことも印象に残っている。そのおかげで、樋口一葉台東区と文京区に縁のある人なのだと知った。

 

 

そして2019年の秋、台東区にある朝倉彫塑館を訪れた時、同じ区内にある樋口一葉記念館のチラシをラックに見つけた。いつか行ってみたいと思っていた記念館だ。

今がタイミングなのかもしれない。よし、行ってみよう、と決めた。

 

 

竜泉寺町と一葉記念館

樋口一葉は、1893年明治26年)7月から、家族と共に浅草の竜泉寺町に移り住み、荒物駄菓子屋を営んだ。しかし商いはうまくいかず、9ヵ月後に再び本郷に転居する。

竜泉寺町に暮らした期間は短かったが、代表作の「たけくらべ」が、このまちでの体験を元に書かれているゆかりの地ということで、地元の有志の協力を得て、昭和36年(1961年)に記念館が立つ。老朽化のため、平成18年(2006年)建て直して再び開館、今に至る。

 

▼記念館近くの通りに旧居跡の碑がある。

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わたしが訪ねた日は、たまたま記念館の近くにある大鷲(おおとり)神社の酉の市、〈一の酉〉の日で、あたりはたいへんな賑わいだった。一葉が生きた頃もこんなふうだったのだろうかと想像しながら、吉原という土地の引力も感じながら歩いた。

 

 

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台東区一葉記念館 http://www.taitocity.net/zaidan/ichiyo/

 

一葉はたった24年の生涯。作品は短編が4,5編だと思っていたし、貧しさの中で亡くなっていったともいうし、それほど多くの資料はあるまい、きっとこじんまりした館なんだろうな、1時間もあれば足りるかしら、このあとの予定には余裕で間に合いそう......などと想定しながら入館したら、とんでもなかった。

 

ものすごい物量とテキスト量。

さすが近代の人は資料が残っているということなのか、伝えようとした人がいたのか。なんだかわからないが、とにかく資料がずいぶんと充実していることにまず驚いた。

解説を全部読もうとしたが、これは無理と早々にあきらめ、図録を買うことにして、途

中からは要点と関心部分だけ抑え、メモを取りながら観た。

文中の括弧の中に、わたしが観ながら頭の中で考えていることの一部を出してみた。

 

 

祖父母の時代

順路通りに進むと、1階エントランスの展示は、一葉のルーツを辿るところからはじまる。そこまで遡る?と一瞬驚くけれど、あとあとになって、この前振りが大事だったことに気づく。どのような家族の物語があったのか、時代の背景があったのかということが、一葉を知る上でも、表現活動や作品を鑑賞する上でも、この館を楽しむ上でも、鍵になる。これは、他の文学館や記念館を訪れる時にも活かせそう。

  

祖父母、父母の時代は山梨県甲州市が舞台。

祖父・樋口八佐衛門は畑作を本業とする百姓だったが、村の人々のリーダー的存在であり、漢詩狂歌俳諧を嗜む、粋な人物でもあった。

狂歌って何?と思い、あとで調べた)

狂歌(きょうか):〔通俗的な表現で〕狂体の短歌。江戸時代中期以降に流行した。(新明解国語辞典 第八版)

狂歌で有名なものに、

田沼政治を皮肉った
 白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
黒船来航の騒動を揶揄した
 泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず

などがある。ああ、これ日本史で習ったっけ。

後日、図書館でこんな本も見つけた。化物限定でこれだけ歌が載っているのもおもしろい。

 

 

父母の時代

江戸中期、都市文化や武士文化への憧れから、農業を捨てて江戸へ出て、士族(武士)の身分を得ようとする農民が増えた。(希望すれば農民から武士に身分を変えられたのか!)

八佐衛門とふさの息子・則義もまたそのような一人。親の同意は完全には得られなかったが、父の蔵書を売り払って資金を工面し、恋仲の多喜と江戸へ駆け落ちする。その時、多喜のお腹には長女・ふじがいた。(なんとドラマティックなスタート! )

則義は、先に江戸へ出ていた3歳上の友人を頼り、さまざまな職を転々とした後に、八丁堀の南町奉行所の同心となる。つまり憧れの武士の身分だ。

多喜は、ふじの出産後1週間で乳人として旗本屋敷に奉公に出る、という経験もする。(1週間で奉公って。産褥期の1ヶ月は養生しないとだめー!)

ふじは里子に出され、7歳まで育てられた。

ほどなくして明治維新を迎え、父・則義は東京府庁(今の東京都庁)に職を得る。

 

江戸から明治初期にかけての流れがいつもあやふやなので、いつもお世話になっている山川の日本史図録であとで確認した。

江戸時代は1867年に大政奉還があり、1868年に江戸城を明け渡して終わる。

ふじが生まれた1857年は、元号安政安政の大獄は翌年の1858年。
1853年ペリーの浦賀来航と1860年桜田門外の変のちょうどあいだの時期にあたる。

元号としては、安政(7年間)のあとに、万延(2年間)、文久(4年間)、元治(2年間)、慶応(4年間)となって、明治に入る。

元号を一覧してみると、この間、ほぼ孝明天皇がカバーしている。つまり、天皇が変わったから元号が変わる(践祚・こうし)わけではない、ということにも気づく。明治以前はいろんな理由で元号が変わっていた。今の慣習が「ずっと」続いてきたわけではない、ということをあらためて知る。

 

 

樋口奈津

長女・ふじの5年後に長男・仙太郎、2年後次男・虎之助が生まれ、その後、元号が変わって明治5年(1872年)に次女・一葉が千代田区内幸町で生まれた。虎之助と一葉のあいだに三男・大作も生まれたが、間も無く亡くなっているらしい。

一葉の本名は奈津。

後年、夏子と名乗ることもあった。(自分の好きな名前をつけて、場や時期によって好きに変えていくって、自由でいい)

 

父・則義42歳、母・多喜38歳。

父が東京府庁に勤めていたので幼年時代は裕福だった。妹のくにが生まれる。
文京区本郷に家を購入し、一葉が4歳から9歳まで暮らし、小学校に通う。

一葉は、9歳で小学校を主席で卒業するほど優秀で、台東区下谷御徒町に転居後は、私立学校にも通っていた。本郷に引っ越した年末に父が職を失う。父はその後、何をしていたか図録の年表にないが、4年後に警視庁に勤めていた模様。(一葉は、市民からたまたまポッと出た才女ではなく、ものすごく身分がよかったわけでもないが、常に学芸に近い家庭環境にあったということがわかる)

 

 

「女子に学問は必要ない」

しかし、11歳の時に母・多喜の猛反対に遭い、学校を退学させられてしまう。反対の理由は「女子に学問は必要ない。武士の家の女たるもの家を守らなくてどうする」ということだったらしい。

一葉自身、とても辛い経験だったようで、その悲しみを詠った和歌がある。

 死ぬばかり悲しがりしかど学校は止になりけり

(「貧困のために学業を諦めた」という資料も読んだことがあったが、そうではなかった。母は何を思ってそこまでの反対をしたのか。時代背景と母娘の複雑な関係も見える)

 

しかし、父・則義は、母・多喜とは違って一葉の向学心に理解を示し、同僚に和歌の通信教育を受けさせ、その後知人の紹介で歌塾「萩の舎」に通わせる。一葉が14歳のときに入塾する。(学ばせたかったならば退学を止めてあげればよかったのにと思うけれど、妻に対しても、当時の常識に対しても、抗うことができなかったのか。しかもこの反対、現代日本でもあるところにはある......。)

 

 

当時の教育制度

そういえば、この時代の教育制度ってどんなものだったんだろう?とふと疑問が湧いたので、後日、国際子ども図書館の2Fに行ってみた。(国際子ども図書館については、以前noteの音声配信で話したこともある、わたしの大好きな図書館)


こちらの『図説 教育の歴史』が、カラーでとてもわかりやすかった。

 

こちらの本によれば、一葉が生まれた明治5年(1872)年、明治新政府によって「学制」が発布される。日本ではじめての近代的な学校制度に関する基本法令。それ以前に「学校」はなく、寺子屋や私塾が学びの場だった。

学制は、日本中に小学校を設置し、国民全員が学校に通うようにと規定した。この頃は、尋常小学校に6歳で入学し、下等4年、上等4年通い、14歳で卒業することになっていた。ただ、必ずしも規定通りに行われなかったようだ。当時の一般の国民の生活からかけ離れた教育内容で、市民からの反発があったとある。

その後の法令の公布や改定、時代の変遷と共に、大正元年(1912年)には男子98.6%、女子97.6%の小学校就学率となっている。

大正8年(1919年)には中等教育以上の改革と拡充が行われ、良妻賢母教育に力を入れるため、女子の高等教育も次第にひらかれていき、大正14年(1925年)には女子高等学校794校となっている。

とはいえ、明治8年(一葉3歳)ごろの就学率は、男子40%、女子15%という状況。道はゼロではなかったとはいえ、まだまだ上の世代や社会の理解がなかったというのも、やむをえなかったのだろう。

明治19年に新学校令が公布。小学教育義務性が強化され、女子教育の機運が高まってきた頃、父は一葉をなんとか復学させようと思い立ち、学校を訪ねるが、入学可能な年齢(14歳)を超えているため無理、となり仕方なく断念。一葉が小学校時代に和歌を教わっていたことから、歌塾へ行かせることとなったらしい。

なるほど、そういう背景があったのか。

 

 

歌塾「萩の舎(はぎのや)」

文京区春日にあった私塾で、中島歌子という歌人が主宰し、和歌、書、古典文学を教えていた。作歌や添削を「稽古」する塾。出入りしていた門人は、華族の子女や富商やや知識人。最盛期には千人も出入りがあったという。(「歌塾」というのは当時あった一般的なものなのか、萩の舎が特殊なのか)

中島歌子は今で言う起業家。21歳で未亡人となったため、自分の学びで生業をつくっていった女性。一葉と歌子との関係は、途中からは不穏だったようだが、内弟子に入ったり、助教授を担ったり、歌子が「一葉を自分の後継者に」と考えた時期もあったようだ。

ここでの学びと、友人たちとの出会いが、のちの小説家樋口一葉を生む。友人たちと交流し、切磋琢磨しながら、歌や書の稽古に励んでいた。(人生がバーっとひらけていく感じが展示物からも伝わり、わくわくする)

 

▼数ある展示作品の中でも、一葉の直筆の書はとても美しい。(読めないけれど)一葉は、萩の舎で千蔭(ちかげ)流という流派の書を学んでいた。

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そうか、書にも「流派」があるんですね!と、ここでまた知る。(知らないことばかり)

日本の書流 - Wikipedia には、

日本の書流は平安時代中期の和様の大成者、藤原行成を祖とする世尊寺流から始まり

とある。藤原行成三蹟」の一人で、清少納言の友人だった人。恋人説もある。返歌で清少納言が「夜をこめて」を送った人だ。

現在の書の世界では、「流派」というよりも「会派」と呼ぶそう。なるほど。

 

 

きょうだいの人生

祖父母、父母に続き、きょうだいの人生についても丁寧な解説がある。

長女・ふじ:親が決めた相手と15歳で結婚したが、1年たらずで離縁し、樋口家に戻る。その後家族が本郷に移り住んだあとに再婚。一男をもうけたが、一葉死去の2年後に42歳で亡くなる。(樋口家の年譜にあまり登場がないのは、樋口家の女性たちと生き方が違うゆえの疎外感からか?)

(と、ここで、先日、中島敦展に行ったときに、"実母は敦が小さい頃に離婚した"とあったので、明治期の離婚ってどんなシステムだったんだろう?と気になっていたことを思い出し、この本を読んでみた。

『明治の結婚 明治の離婚』日本における家族史。おもしろかったので、同じ著者の大正、昭和(前期・後期)も購入した。この知識があると読み解けることが増える。)

 

長男・泉太郎:父の意向で漢学を学び、家督を相続した。法律大学を卒業し大蔵省に勤務したが身体が弱く、23歳で亡くなる。

次男・虎之助:分籍して他家に預けられる。薩摩焼の職人に徒弟奉公し、絵付師として独立する。一葉に送られた虎之助の作品が展示されている。陶器画工の男を主人公にした「うもれ木」は虎之助を一部モデルにしている。父の死後、一時的に母、一葉、くにが虎之助宅に身を寄せるが、士族肌の母とは対立が絶えなかった。60歳で死去。

三女・くに:一葉の2つ下の妹。一葉と違い、小学校のあとに女子学校にも通っている。和裁の技術で内職をして一家を支え、家事を担って一葉の執筆活動を後押しした。一葉はくにに書を教えたり、くにの内職姿を小説モデルに取り入れた。一葉の直筆の日記や作品の草稿などは、くにが保管した。

 

▼一葉(右)と妹・くに(左)
この写真は初めて見た。貧しさから袖の短いまま着ている羽織りを隠すように、手を引っ込めている一葉。

(ああ、こういう人でもあったのか、と思った。あまりにも強いイメージが固定化されすぎている。ほぼ、五千円札のあの顔。

もっと「生きていた人」としての彼女について知りたい、と強く思った。)

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(家族7人それぞれの人生が、互いに影響を与えつつもまったく個別で、しかも時代の7つの面を写し出している点が興味深い。

樋口一葉という有名人が照らされたために見えてきた、その周りも照らされ、芸術的、社会的な功績とはまた別の、時代を読むためのヒントを与えてくれている。

里子に出されたり、一時的に預けられたり、養子になったり、離別したり、親戚と結婚したり、血縁ではない者と暮らしたり、ということが、今よりずっと当たり前にあった時代。家族関係を読み解くには、今の時代の感覚から離れて、この頃の「家族」や住宅事情や職業について、わたしにもう少し知識が必要。

病や障害や経済的事情のために、大人になるまで生きられない人もたくさんいた、ということも、明治〜大正〜昭和の時期を見ていると知る。)

 

 

 

小説を書く決意

一葉が15歳のときに長男・泉太郎が亡くなる。ここで父・則義は、自分は後見人となって、次女の一葉に家督を相続させる。当時は50歳を過ぎたら「隠居」。次男・虎之助は分籍しており、長女・ふじは再婚しているため、一葉しかいなかった。(家督を継ぐのは基本は男性で、年功序列だが、イレギュラーで4番目で女性の一葉に回ってきた。樋口家に婿入りをさせることも考えての指名であったと思われる)

則義は、6年勤めた警視庁を退職して、翌年、東京荷馬車運輸請負組合の設立準備に参画。つまり事業を興したが、内部でトラブルが発生し、あえなく潰れる。

一葉17歳にして、一家の大黒柱となり、母と妹を養うことになる。その後まもなく父が病で亡くなる。このことにより、許婚にと期待されていた男性2人も去ってしまう。(ここがもうやりきれない......)

その前年に、「萩の舎」の姉弟子だった田邊花圃が小説を出版し、多額の原稿料を手にした話を聞いて奮い立ち、小説の断片を書き始める。

家族を本郷菊坂町の家に住まわせ、自分は萩の舎で住み込みの内弟子をしながら、和服の仕立てや洗張(あらいはり)、蝉表(せみおもて)作りの内職をして生計を立てた。

洗張(あらいはり)とは着物の洗濯。蝉表とは、夏に履く雪駄の本体で、籐で編むので籐表とも言う。

 

  

半井桃水との出会い

一葉19歳。一家を養っていくために、小説家になることを本格的に決意する。ただ、小説を書いても、どのように発表すればいいか、わからなかった。

妹くにの友人、野々宮起久の助言で、『東京朝日新聞』の小説および雑報担当記者の半井桃水(なからい・とうすい)を教えられる。半井に連絡して家を訪ね、小説の指導を乞う。

桃水の提案で筆名「一葉」を使いはじめたり、桃水の立ち上げた小説雑誌に作品を別名で発表するが当たらず、そのうちに先に売れた田邊花圃の紹介で、雑誌に連載が可能になる。そこから少しずつ寄稿の声がかかる。

この時期、半井との恋愛関係を噂され、師弟関係を解消することを決意する。

 

半井桃水(名前はかなりカッコいい)は、表現者としてそれほど評価されてはいなかった。その仕事で歴史に名は残さなかった。一葉は指導してもらっているはずなのに、なかなか芽が出ない。もっと大衆的になどと言われて、自分の表現したいものではない、と納得がいかない部分もある。

それでいて恋愛感情があるので、苦しい。若い歌手や芸術家がデビューするのに、出会ったプロデューサーがいまいちだったという感じか?

桃水と別れてから、本格的な小説家としてのステージがはじまり、小説に深みが出たのだとしたら、よきジャンプ台となったのかもしれない。

師弟関係は解消しても、一葉から借金の申し入れなどをしていたようで、ここの心境はどのようなものだったのだろうか。)

 

 

荒物屋を経営

一葉21歳。小説執筆がうまく進まず、収入が途絶える。

家族と相談して実業につくことを決め、下谷龍泉寺町(現:台東区竜泉)へ転居し、荒物屋を開店。生活雑貨や駄菓子を売る。一葉が仕入れに行き、くにが店番をする役割分担。忙しい日々の中で、多くのことを見聞きし、吸収し、作品に反映させていった。

 

▼写真中、左上のほうに小さな白いプレートが立っている樋口家の住宅兼商店。

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 一葉22歳。店の向かいに同業者が開店して客が取られたり、田邊花圃が萩の舎門下生と共同で歌門を開くと決めたり(つまり萩の舎から脱退・独立)、知人に金の無心を断られるなど、辛い出来事が重なる。

思い余って新聞広告で目にした、相場師(投資家)・易学家の久佐賀義孝を訪ね、相場師になりたいと申し出るが向いていないと断られ、文学の世界に戻ることを勧められる。

一葉は荒物屋を閉店して、やはり筆一本でやっていく決意をする。

同人誌『文學界』に「花ごもり」が掲載される。再び本郷に転居。

この年は1894年、つまり日清戦争の開始。物資の不足やインフレが起こる。この影響で一葉の生活はますます困窮する。友人、家族、知人など多数に借金の申し入れをするが、失敗に終わる。『文學界』「大つごもり」に掲載。

(わたしが高校生のときに読んだ物語は、こういう中で書かれていたのか......)

 

 

奇跡の19ヵ月

一葉23歳。亡くなるまでの19ヵ月間の、怒涛の執筆活動がはじまる。「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」はこの時期に書かれた。出版社や編集者や作家たちから、次々に執筆依頼が舞い込む。(マネージャーやプロダクションなどがないので、セルフマネージメント?)

しかし、24歳の春から結核に罹る。執筆の過労から悪化。7月を最後に日記が途絶える。8月の診察で「絶望」との診断下る。

11月23日に永眠。

その後発刊された小説雑誌や文芸雑誌には、追悼文が多数掲載される。

 

 

(.......ふう......すごい人生。短いけれども、つぶさに追ってゆくと、ほんとうに濃い。

ほんの24年間。されど24年間。生ききったのだ。

解説パネルや、直筆原稿、書簡、遺品、写真、ジオラマなどで、じっくりと展示されていく。いろんな個人ミュージアムも見てきたが、ここまでの量と濃度で迫ってくる館は、中々ない。)

 

しかも、まだある。
企画展に続くのだ。

 

▼館内にはエレベーターありますが、階段がカッコいいので歩いてみた。

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企画展「樋口一葉と明治の文芸雑誌」

このとき開催されていたのは、一葉の作品が掲載された実際の雑誌を紹介する企画展。

チラシ(PDF)>http://www.taitocity.net/zaidan/ichiyo/wp-content/uploads/sites/5/2019/10/ichiyo2019_tokuchirashi.pdf

3階のフロア半分を使っての展示。

 

・当時の人々が文芸雑誌という最先端のメディアに寄せる情熱があふれていた。

・作家たちの追悼文が掲載された雑誌からは死を惜しむ声がリアルに感じられた。

この二つが実に印象的だった。

 

物、物質の力を感じた。

当時の人々の情熱と共に、展示された方の情熱もうかがえる。

 

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日記

一葉は小説以外にも、日記と和歌を大量に遺している。15歳の1月15日から日記をつけはじめ、間は途切れつつも、亡くなる4ヵ月前まで書いていた。

一葉についてのこれほど詳細な史実がわかるのも、この日記が残っているからだそう。そう考えると、わかりすぎてしまうというのもまた怖い。日記を残すというのも考えものか?

いや、日記にタイトルをつけていたぐらいだし、萩の舎で王朝文学を学んでいた一葉だから、日記文学というジャンルに挑戦していたのかもしれない?

ああでも、妹のくにによれば、「日記は焼いておくれ」と言い遺したともいうから、公開することは考えていなかったのか。

あまりにも有名になると、作品だけではなく、人生も鑑賞されていく。明治、大正、昭和ぐらいだと、遺族や子孫や関係者もいらっしゃったりするものだから、どこまで知っていいのか。死後125年経っている人ではあるけれども。

 

和歌

一葉は、途中から小説家に転向したためか、歌人にカウントされていないようが、萩の舎での歌会なども含め、亡くなるまでに約7,000首を詠んだという。

もしかすると、これらは発表用の作品だけでなく、日々の鍛錬という意味合いもあったのではないかと思う。マラソン選手が毎日走るトレーニングをするように、毎日書き、毎日詠むということをしていたのではないか。それでも本格的に歌を学びはじめた14歳から、亡くなる24歳の10年間に遺したものとしては、やはり圧倒的な量ではある。

努力の人でもあり、才能に恵まれた人でもあったと思う。世が世ならと思う。せめて、彼女が望んだ高等教育が受けられていれば、また違う人生だったろうか。

 

その時代の人がどんなことを考えていたかは、文字で残っていないとわからない。

女性が社会の政治、経済、科学技術、文化、、あらゆる表舞台から排除されていた時代。多くの女の人の思いは、どのように残っているのだろうか。

一葉の6歳下に与謝野晶子がいる。彼女はどんなふうにこの時代を見ていたのだろう。一葉とはまた違う風景であるはず。
 

 


こちらの本は、倉沢寿子さんという歌人が、一葉の人生の出来事に触れながら、一葉の詠んだ和歌を紹介している。一葉の日記や、王朝文学、特に源氏物語を引きながらの解説は共感しやすい。「古臭い」とまで言われてしまっていた歌も、この本では、一つひとつ、愛をもって紹介してくれている。

 

 

独自の文体 

記念館のショップで『ちくま日本文学 樋口一葉』を買い求めた。

青空文庫に掲載されているのも知っているが、やはり紙の本で縦書きで読みたい。

一葉の文章は、今の時代の人が読むには、少々気合がいる。なぜなら、樋口一葉の文体は、擬古文と言って、平安時代の和歌や仮名文に倣って書いた文章。平安時代紫式部と似た文体。

同時代の作家たちが、外国文学の翻訳などを元に、言文一致の文学を普及させ、多くの小説が口語で書かれるようになった時代に、萩の舎で、平安時代の文学を学び、和歌を日常的に詠んでいたことがベースになり、このような文体になっている。

現実に生きる人間の生が淡々と語られる物語に、格調高い文体が加わって、独自の世界観が生まれている。(高校生のわたしが魅了されたのがこういう点)

内容をつかんだり、雰囲気を知るには、現代文、漫画、演劇などでも可能だけれど、やはり原文(を尊重した読みやすい文字表記)で味わうのもいい。 

 

 

当時でもおそらく珍しかった樋口一葉の文体が支持されたのは、萩の舎をはじめとする上流階級の人たちの教養があったからだそう。

たまたま学生時代に古文や漢文を読むトレーニングをしたから、昔の作品が読めているだけで、何もしなければ、読めなくなっていくのだろう。年配の人だから読めるだろうという時代はもうとうに過ぎ去っている。

など考えていると、日本語の変遷、歴史についても関心がわいてきた。話し言葉、書き言葉、文芸の言葉はどのように変わっていったのか。
サッと探したところ、このあたりの本がおもしろそうだった。

 

 

 

   

覆るイメージ

こうしてじっくりと記念館を鑑賞し、後日あれこれ調べて、樋口一葉の人生に触れていくことで、次第にわたしの中の、「24年しか生きられず貧困の中亡くなった薄幸の作家」のイメージが消えていった。

代わりに立ち上がってくるのは、彼女の創作への情熱、現状を打破しようとする意思の強さ、生命力。

誰かの妻やイエの嫁になるのではなく、性を売るのでもなく、既存の職に就くのでもなく、誰かの手伝いをするのでもなく。自らが書く・表現することで立つ、食っていく。自分が好きで得意としてきたものを元手に、生業を興す。

「女が小説家?!」と言われる時代。萩の舎を通して出会った女たちからもずいぶん力をもらったに違いない。「あれが生業になるのなら!」と。たくましく生きていた女性たちがいたことと、排除されていた現実と、両方を見る。


当時の常識を覆してでも、小説家になる。「もうそれしかない、やはり自分がこれで生きていく他はない」という切実さ。彼女の生き様から、わたしは大きな勇気をもらう。

この先時代が移り変わっても、何度でも解釈し評価し直されてほしい人物だ。

 

強すぎる「薄幸の芸術家」のイメージも払拭したいが、もう一つ、「庇護の目線」も気になる。企画展示されていた当時の人々の評を読むときの、「若いね」「初々しいね」「がんばってるね」という扱い。

作品に対して、一人の芸術家として、尊敬もされていただろう。しかし、今では考えられないような「差」も必ずあったはず。希少な存在としてだけ扱ってほしくない。一葉の立場は、引き裂かれるような思いをわたしに思い起こさせる。

 「女性の書いた小説という目新しさに世間は狂騒しているだけで」というようなことを、一葉自身も日記に書いていた。多くの著名な文人たちと交流を持ち、影響を受けたり与えたりしながらも、彼女が感じていた違和感や限界があったのだろうか。

それはどのようなものだったのか。

 

 

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今回の鑑賞で得たこと

わたしが樋口一葉について、こんなに熱中して調べ物をしてしまったのはなぜか。

理由がいくつかあると思う。

 

明治時代を解する

樋口一葉の家族、一葉が関わったさまざまな人物と人間関係、関心分野、商い、健康、居住地(14回も引っ越している!)、衣食住......など、一葉という人物を一つひとつ追っていると、自然と明治という時代が見えてくる。

この時代に成立した学制、四民平等、戸籍法、刑法の制定などが、現代社会に与えている影響が大きい。「伝統」などと言っても、明治がはじまりだったということも多い。「たかだか150年程度」という事実を思い出すときに、樋口一葉がきっかけになってくれる。

一葉は、分岐して調べたくなるようなピースをたくさん持っている。時間を超えて様々なテーマに橋を架けていってくれる、現代とのハブ(結節点)のような存在だと思う。

 

女性

男性を通して見る女性の人生やファッションやライフスタイルではなく、女性自身が語り、自分のものとして表現している。貴重な証言だ。

仕事もし、家のこともしている人、生活者。買い物、料理、後片付け、掃除・片付け、洗濯、裁縫をする人。自分で自分の生活のことを作っている人から見える世界。

女性という理由だけで担わされていた役割であったが、同時代の男性の作家にはない表現を生み出しているのではないか。

 

わかっていることが非常に多い

日本ではじめての女性職業作家という希少さや、その作品の独自性からか、多くの人が研究しているため、資料が多い。調べれば調べるほど、詳細がわかってくるのがおもしろい。もっと知りたくなる。

 

ジェンダーギャップ

一葉が亡くなってから125年も経っている今も、この社会には女性にとっての「壁」や「天井」がある。ジェンダーギャップ指数が153カ国中121位という国に生きるわたしとしては、やはりここに注目したい。

樋口一葉が明治期の風景を見せてくれていたことをおもしろいと思うと同時に、明治期に強化された《男は公的で社会的、女は私的で家族的》の檻を苦しく思う。

自らの営みや働きかけによって、日々小さく変容させて、次世代に手渡していきたいとあらためて思う。

 

東京の話

江戸、明治の話は、関西に暮らしていたときはどこか遠い国の話だったが、地名を聞いてすぐに思い当たれる今は、個人的にとても身近に感じられている。

今回のわたしにとってはたまたま樋口一葉と東京が結びつくが、どの土地にあっても、歴史上の人物や物事だと思っていた人が、きっかけ次第で身近になる瞬間は、案外多いはずだ。それはミュージアムをきっかけに起こることがある。

 

 

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関連書籍紹介

もっと知りたいときは、やはり図書館で資料を探すのが一番。
 

姉の力 樋口一葉 関礼子(ちくまライブラリー)

記念館を訪問後にわいたモヤモヤや知りたいテーマ
「女学校への入学が叶わなかったこと」
「当時、女性が家督を相続すること」
「女性が芸術で生きていくこと」
「女流や女史と呼ばれること」
などについて触れた本はないだろうか、と探して行き当たった本。

このブログ記事を書き上げてから読むと決めていたので、ようやく読める!

 

樋口一葉と歩く明治・東京 小学館 

気軽な下町お散歩本みたいなものかと思いきや、樋口一葉研究の専門家が監修する、贅沢な講義だった。物語に出てくるまちや一葉が暮らしたまち並み、明治の社会、風習・風俗、一葉の人生に出てくる人々。家の間取りまで出てくるところが個人的にはグッとくる。

著者と一緒にゆかりの地を歩きながら、講義を「へぇ〜」と聞いている贅沢さがある。

2004年の発刊なので、紹介された中には、もう存在しないもの、変わってしまったものも多いかもしれない。それはそれで貴重な記録だろう。

 

漫画版 たけくらべ 武蔵野大学出版会

一葉の文章は、文語体で句読点がないので、今の時代の人には読みづらい。かといって現代訳にしてしまうと、一葉が大切にしていた朗読の言葉の調べが失われる。

「原文の世界観を出すには、漫画を文語で描くしかない!」と新しいスタイルにチャレンジしている本。矢絣の千代紙風のカバーに若紫の栞。装丁にも愛を感じる。

 

 

チケット情報

台東区文化施設5館共通入館券 おトク。
合計から900円引き、1年有効。巡ろうと思っていた方におすすめ。

●半券サービスあり。

●毎年11月23日、一葉の命日は「一葉祭」として、入館が無料。


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おわりに

「今、樋口一葉がおもしろい!」あるいは「わたしはこんなふうにミュージアムを楽しんでいる!」ということを、ひたすら書いたようなものになった。

わたしにとってミュージアムは、わくわくできる学び場、遊び場。

 

よく耳にする言葉、日常の風景溶け込んでいる建物、学校で習った人物や出来事だけど、実はよく知らないこと、自分とどういう関係があるかわからないものに、ちょっと近づいてみると、思わぬ発見がある。

ミュージアムやライブラリーは知の宝庫。人や物や出来事と出会い直すためのヒントがたくさんある。昔の人とも遠くの人とも、ちょっとしたきっかけで親しくなれる。

今以外の時代を見る、ここ以外の場所を知る、本来は目に見えないものが形として見えるようになっている場所。

観る、知る、調べる、対話する、表現することで、人間はより自由に、心豊かになれる。

 

この長いツアーに最後までお付き合いくださった方、ありがとうございます。

 

 

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舟之川聖子

鑑賞対話ファシリテーター
鑑賞を生きる力に。
共有したい・伝えたい・遺したいものがある人と、
一人ひとりの学びを促進する場をデザイン。

2021年1月 共著『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』刊行予定。

https://seikofunanokawa.com/

東京藝大美術館『籔内佐斗司 退任記念展 私が伝えたかったこと』鑑賞記録

通りすがりに小一時間ほど立ち寄っただけなので、あれこれ書けるほどのことはないが、残しておきたいこといくつか。

 

籔内佐斗司退任記念展 私が伝えたかったこと —文化財保存学保存修復彫刻研究室2004−2020の歩みー


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2010年、平城遷都1300年祭せんとくんが現れたとき、世間にはかなり衝撃が走った。わたしの中にも反発のようなものが生まれて、実際に口にも出していた。それまでに爆発的に流行した、"カワイイゆるキャラ"の流れとは違いすぎるキャラクター造形ゆえか。

それから10年。今や奈良に行くと当たり前のようにせんとくんがいて、すっかりまちに馴染んでいる。

 

そのせんとくんを制作した藪内さんの作家としての作品と、藝大での修復保存のお仕事、16年の歩みを今見ている。両方を見てようやく、せんとくんがどのような背景や蓄積の中から生まれてきたのか、言葉ではなく理解した。

10年前に「炎上」や「じゃあ取り下げます」というような騒動にならなかったのは、対外的な説明や共有が丁寧だったからかもしれない。「奈良県が、確信を持って、このキャラクターを使っていくことを表明している」という記憶が、ぼんやりわたしの中には残っている。

 

作品のほうは、とにかく楽しい。うきうき、わくわく、びっくり、にこにこ。

 
 
 
この展覧会での、またひとつの大きな収穫としては、模刻・修復・復元の違い。
模刻:reproduction 
修復:repair
復元:restoration
※複製品、偽物:imitation, replicaとは異なる
文化財の実物に施して、これからあとも保存、鑑賞できるようにするのが修復
その修復の技術を高め、知識を広げ、学術研究のために行うのが、模刻。本物によく似せてつくること。再生、再現。ただし目的は、複製品や偽物ではない。
模刻と修復で養った力が、失われて無い物の復元に役立つ。
 
それぞれの言葉の定義やこの研究の意義は覚えておいて、自分の今後の鑑賞に役立てる。
 
 
ここで専門技術を習得した学生さんたちが、これからどんな人生のキャリアをつくっていくのでしょうね。いつか藝大美術館で作品や、隣の東京国立博物館で、修復のお仕事の成果を拝見する日がくるのかも。
 
 
 
 
Instagramにも書いたけれど。
 
「伎楽面が好きだから自分でも伎楽団を作ってみた」という作品が観られたのがよかった。造形作品と映像作品と。
わたしも伎楽面が大好きなのです。東京国立博物館に行くと、法隆寺宝物館1階の奥の伎楽面のコーナーは必ず行きます。金土のみ公開なので、狙って行く。
 
 
藝大美術館の退任記念展はいつもおもしろいので、なるべく行くようにしている。
作家としての作品と、藝大での軌跡や成果が一覧できる。
教え子さんたちが手伝っている様子も良い。
パンフレットも丁寧につくってあるものがいただける。観覧無料。よいことづくめ。
 

▼今年の深井隆展も、退任記念展で観たのがきっかけで足を運んだっけ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

▼藪内さんの公式HP

美術館ではないところにも多く作品が展示されているようなので、またふと会えそう。

uwamuki.com

『館蔵品展 哲学堂』と哲学堂公園 鑑賞記録

10月上旬のどしゃ降りの雨の日。

午前中に川崎浮世絵ギャラリーで月岡芳年・月百姿展を観て、午後は沼袋の中野区立歴史民俗資料館に『館蔵品展 哲学堂』を観に行った。


この、中野区歴史民俗資料館というミュージアムが、大変言いにくいのだが、ホームページに行ってもほぼテキストのみで、これだけ見てもなかなか「行ってみようかな!」という気にならない。

https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/219000/d028477.html

 

ではなぜこの展覧会を知ったのかというと、「展覧会情報をキャッチするには?」でも紹介した、チラシミュージアムというアプリのおかげだ。

https://eplus.jp/sf/guide/museum

 

このチラシがパッと目に入って、これは絶対行かないと!と思った。

チラシミュージアム、わたしは活用してますよ!どんどん載せてほしい!

 

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 「行かないと!」と思った理由は他にもあって、実は哲学堂には、20年ぐらい前から行ってみたかったのだ。

同じ東京都内に暮らしながら、えらく寝かしといた期間が長いんだけど、まぁそういう場所ほど、きっかけがないと行かなかったりする。

歳を重ねてくると、そういう場所がどんどん増えるから不思議だ。時期が巡ってきたときに突然、「そういえばずっと前から行ってみたかったんだよね」などと思い出したりする。普段、意識していないところで、見たり聞いたりして、たくさん興味関心を拾って、ストックしているということなのだろうなぁと思う。

哲学堂のことは、当時仲良くしていた友達が「行ってみたい」だったか、「行ってきた」だったか忘れたが、話をしてくれて、おもしろそうと思った記憶がある。

 

事前知識はほとんどなく、哲学堂公園を作ったのは井上円了という哲学者で、彼が東洋大学の前身を創立したということのみ。

 

まっさらな状態で、館蔵品展に乗り込んで、まぁ驚いた!!

 

いろいろ驚いたこと5つ。

1. 「円了が国内外で収集した民具や仏像、岩石や自然木」が、日本民藝館にあるみたいなのかな〜と思ったら、全然違った。みうらじゅんの"いやげ物"にしか見えない!

「もぉ〜お父さん、またこんなん買ってきて(拾ってきて)」とか家族から言われるやつだ......。

2. 哲学堂の正門「哲理門」の両側に置かれているのは仁王像......ではなく、天狗と幽霊の彫像という。物質界の不思議を天狗で、精神界の不思議を幽霊で表したと。へええ。ロビーで流れている映像資料を見ると、「当時は天狗は迷信ではなく、本当にいるものとされていた」という。明治37年哲学堂が創られた年、西暦だと1904年)ってそうだったんだ......と知る。

3. 哲学堂で、円了さんが個人的に推してる世界の賢人を祀っちゃってるらしい。その取り合わせが、「四聖堂」に孔子、釈迦、ソクラテス、カント、「六賢台」に聖徳太子菅原道真荘子朱子、龍樹、迦毘羅、という、基準はよくわからないけど、ビッグネーム......!

 

午前中からご一緒くださっていた友人と、????、笑笑笑笑、となりながら観た。

わしはこれが好きなんじゃあああ!という熱、推しを推しまくる真っ直ぐさ。

いや、いい!これは近々哲学堂公園のほうも行かねばなるまいね、と話しながら、爽やかな気持ちで館をあとにした。この日はとにかくどしゃ降りだったので、ついでに寄るのは無理だったのと、広そうだったので、天気の良い日にがしがしスニーカーで歩けるがいいだろうということで。

 

 

それを別の友人に話したら、なんとこの辺りで育って、今も縁のあるところと言う。

ぜひご案内いただきたいとお願いして、紅葉も進んだ11月に出かけた。

 

Instagramに投稿したので、クリックしてご覧ください。

www.instagram.com

 

www.instagram.com

 

まずは広い。今、都内でこれだけの敷地を確保することはできないので、明治の頃にやっておいてくれてよかった。天気が良ければ、ちょっとしたお山を上り下りするだけでも楽しい公園。

 

公園に点在する"哲学を具現化した77場"を散策することにより、哲学を理解する上で必要な概念を学ぶことができる、とのこと。起伏に富んだ地形を生かした場には、それぞれに名前がついていて、川や坂や崖には、哲学上の意味と結び付けてある。

"そこで歩き回るだけで自然と体感してしまう"狙いを持つところは、荒川修作+マドリン・ギンズの養老天命反転地を彷彿とさせる。

初めて行ったので、物珍しさで興奮して、「言われてみればそういう感じ」ぐらいで、あまり一つひとつの場を追いついて味わえなかったが、哲学に詳しい方が行かれたら、また違った見え方があるのかもしれない。

 

哲学を言葉だけで理解するのは難しいし、概念的なことをやり取りするのは、おもしろい面もあるけれど、わかったようなわからないような宙ぶらりんだったり、わかるわかると言っていても、全然前提が違ったりもする。身体の感覚ごと理解するとか、歩きながら考えが深まる、というアプローチは、すごくしっくりくる。

 

実物に公園に足を踏み入れてみてわかったのは、井上円了という人は、本気で哲学と庶民との間に橋を架けようとしていたのだな、ということ。「哲学の通俗化と実行化」、つまり、ふつうの人の人生に自然に取り入れられる哲学、近所を散歩するついでに精神修養ができてしまう仕掛けをいろいろ考えておられたんだろう。

教育の制度も社会も今とはかなり違う時代に、具体的にはどんな人を対象にしていたのか。そしてこれまでどんな人がここを歩いていたのだろう。この公園を思索に使っている人もいたんだろうか。想像すると楽しい。

 

 

 

正門の向かいにある管理事務所には、たくさん資料が置いてある。その場ではとても読めないほどの量なので(やっぱり熱量がすごい)、持ち帰ってじっくり読ませていただいた。これだけでもけっこう詳しいのだけれど、事務所ではさらに、「公園ガイドマップ」なるものが販売されているらしい。

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資料の中には、円了の「不思議研究者」としての側面について詳しいものもあった。

円了が生きた明治時代はまだ多くの人が迷信(偏見や思いこみ)に捕われていたことから、こうした誤った認識を科学的に徹底解明することで人々を救おうとしました。

円了が、迷信や妖怪を打破する立場から著した『妖怪学講義』は有名で、「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれました。

しかし円了は妖怪を否定していた訳ではありません。科学でも解析できない「真の妖怪(未知)」の研究を通じて、真理の探究が始められなければならないと考えていたのです。

なるほどなぁ。10月に館蔵品展で見たものの数々は、こういうことだったのだなぁ、と納得。本当におもしろい人なのだな、円了さんって。ネーミングには駄洒落も多いし。

2019年にはこんな展示もあったらしい。

中野「れきみん」で妖怪博士・井上円了没後100年展 「天狗像」「幽霊像」初公開も - 中野経済新聞

 

ここにいるとなにやら、「哲学と言えば、何か自分には理解しがたい高尚なもの」と思いたがる自分を見透かされているような気持ちにもなる。

 

 

 

最後に「ここもおもしろいんだよ」と案内してもらったのは、川を渡ったところにある、「哲学の庭」。ハンガリーの彫刻家で、ご縁あって日本に帰化したワグナー・ナンドールさん(1922〜1997年)による制作。
 

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ガンディー、ムハンマド達磨大師老子、聖フランシス、釈迦、ユスティニアヌス聖徳太子、ハムラビ、エクナトン(アクナーテン)、イエス・キリスト......といった世界のビッグネームの像が並んでいる。

ちょっとびっくりしてしまうのは、世界5大宗教の祖を等身大の(いや、実際のサイズわかんないけども)人間に具象化して、しかも並列に置いちゃったところ。新しいけど、いいのか、大丈夫なのか、とハラハラする。ムハンマドはかろうじて顔を伏せたポーズになっていて、よかったけど。イスラム教、偶像崇拝ダメだから。

管理事務所でもらった資料によれば、

ワグナー・ナンドールは「哲学の庭」について次のようなメッセージを遺しています。

『私は長年研究していた分析的美術史の研究から幸せへの道を見出しました。その理論を彫刻の形で表現したのが、この「哲学の庭」です。この道は人類共通の進歩を示し、考える道を開いています。問題がたやすく解決されるとは思いません。しかし私はこの方向に向かって進むべきだと確信するのです』

ふむ......。それは、わたしなりにすごく素朴に単純に考えてみると、

"異なる思想や信仰の教義も、高次の概念で扱えば、人間の幸せのために人間が作ったもの。本来は対立しないもの。だから、これを観る人と同じ人間を型取り、あえて並列に扱った"ということなんだろうか。円了さんが推し賢人たちを合祀しているところからインスピレーションを受けつつ、また違った表現をなさっているのか。

正解はわからないが、ともかくこういうことを「ああなのか、こうなのか」と考えるのが哲学の意義であり、ナンドールさんの願いなのかもしれない。

「哲学の庭」は、ハンガリーブダペスト市にもあるそうです。

 

 

 

 

哲学堂のあとに行った、東京子ども図書館もたいへんよかった。「おはなしのろうそく」の部屋の本物に入れたのが、読み聞かせボランティアをやってきた身としては、うれしい。またゆっくり訪れたい。

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この日は、新井薬師駅で待ち合わせて、北の哲学堂方面に向かい、住宅街にあるお店で美味しいランチをいただいてから哲学堂へ、というコースだったのだけど、駅から南へのびる商店街も大変賑やかでおもしろそうであった。また行ってみたい。

なんとなく心の距離が遠かったこの辺り(中野、新井薬師、江古田)が近くなった日でした。

やっぱり東京、おもしろい。

書籍『鳥の王さま ショーン・タンのスケッチブック』読書記録

ショーン・タンの世界展を観に行ったあと、何冊か読んでみた中で、この本がとてもよかった。

 

『鳥の王さま ショーン・タンのスケッチブック』 

 

作る人の仕事の中には、本や映画や絵画としてリリースされた完成作品と、それに至るまでの原材料、素材などがある。後者は基本的に人の目にふれることはあまりなく、アイディアや練習のような形で蓄積されていく。

その蓄積がなければ作品も生まれないし、作品にして人に見せたり商業性を持つからこそ、畑を耕し、育てることも必要になってくる。

 

人に見せることを意図せずに描かれたたくさんのスケッチは、実験的で自由で気軽。生々しく勢いがある。真剣さや愛おしさも伝わってくる。

スケッチだからこその魅力がある。

もちろん素人から見れば、ものすごく完成度の高いスケッチなので、見応えがある。

 

展覧会の最後のパートに、ショーン・タンの作業デスクが再現されていたが、あれを見たときのワクワクと同じ感覚だ。


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また、鉛筆やボールペンや油彩などの本物の筆致や質感を展覧会で観てきたので、その記憶と照らし合わせながら、より生き生きと見ることができた。本物に出会えることのありがたさよ。

装丁やデザインも、スケッチブックの温かみを生かしたものになっていて、凝ったつくり。1ページ1ページ、美しい。

 

 

何をしているのか、何のためにしているのか、スケッチを自分で客観的に見てみてどうか。ところどころに差し込まれているショーン・タンのテキストも、作り手の思考の過程を覗かせてもらえるようで、おもしろい。

この人は、絵も話す言葉も書く言葉も、ほんとうにフレンドリーだ。もちろん訳も良いのだと思う。言葉をこねくり回したり、技巧を狙ったりもなく、わかりやすく、こちらを向いて語ってくれる感じがある。

 

書籍『サード・キッチン』読書記録

『サード・キッチン』という小説を読んだ。

都立高校を卒業しアメリカ留学した尚美は拙い英語のせいで孤独な日々。どん底に現れた美味しくてあたたかい食事と人種も性別もバラバラの学生たちが、彼女を変えていき……感動の青春成長譚!(河出書房新社HPより) 

 

なんとなく外国語、語学の周りをウロウロしながら生きてきたわたしとしては、劣等感のくだりは非常に身につまされた。想像の中ではあんなに饒舌なのにな、というあたり、きっと留学経験がない方でも、持っていかれてしまうだろう。留学していた(している)友人や家族のことを思い出す人もいるだろう。

 

諦めと疲れの日々の中で起こる、あのドアを開ける瞬間!
自分でもどうしてそんなことができたのかわからないようなこと、何かに背中を押されるときってある。思えばあれが始まりだったというようなこと。

あの言葉が溢れ出す瞬間!
変化とは、やはり人と人との関わりの中で起こってくるんだと思える。

それも知っている!自分が体験したはずもないことまで、なぜか知っている!
主人公の尚美と一緒になって、わたしもドキドキ、ワクワクした。

 

人がこの世界に居場所を見つけ、立っている場所を確かにしていく姿って、力強く、美しく、貴い。

それを包むサード・キッチンの暖かさ、明るさ、光。
美味しいものを共に食すことの豊かさ、確かさ。

希望に満ちる物語。

 

尚美が、本当の意味で世界に触れていく感じがたまらなく愛おしい。

他者のマイノリティ性やルーツに、ただ生のそれに触れることから、自分のそれとも向き合えるようになる。向き合っていく勇気をもらえる。

過去を知ることで、今と未来の見え方が変わっていく。想像力が豊かになっていく。
手段や選択肢をもっとたくさん思いつける。

すべては理解できなくとも、擦れ合うことを恐れず、理解に努め続けること。
今の時代を生きる上で、大切なことがたくさん詰まっている。

 

この本のことも思い出した。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

12章に描かれた1998年「イラクティーチ・イン」は、自分もその場に参加しているような臨場感。わたしが知らないアメリカが、たくさんあるのだ。

 

 

大学で学ぶことの意義は、こんなふうに異なる背景を持つ人たちと交流しながら為していくことにあると考えると、必要なコマをオンライン講義を受けてレポートを提出するだけというのは、やはりだいぶ足りない。

一時的な対策として仕方がなかった時期はあったかもしれないけれど、生活や日課が持ち込まれたり、場所が共有されたりすることで相互に刺激を与え合うことが、学ぶ土台を作るのではないか......。そのときの社会情勢について議論することも、とても大切なこと。(まとまらないけれど、今思いついたので記しておく)

これは10代の人たちにも読んでもらいたいなぁ。

今は進学も留学も厳しい時代だけれども、何かヒントをくれるような、あるいは、もっと具体的に夜食のおにぎりみたいな、そんな存在になる本ではないかな。

 

 

白尾作品でいつも「やられた!」と思うのが、自ら殻を破るまでの道のり。

あの誰にも知られたくないような状況や、内心でうごめいている恥と情けなさの感情が綴られてしまうところ。

わたしの中にもあるそれらを、迎えに行ってよしよししてあげられたような読後感。

それをさせてくれる白尾さんの書き振り。前作『いまは、空しか見えない』からさらにパワーアップしている。恐るべしである。これからの作品も期待大。

 

アメリカの大学での一年の物語なのだけど、寒い時期のくだりが印象的で、とても今の気分に会う。うん、ほんとうにぴったり。

 

 

著者の白尾悠さんは、何年か前に友人に紹介してもらってお会いした。ぜんぜんフォーマルな場ではなくて、「いつもの友だちんちでごはんを一緒に食べた」というゆるっとした場での出会いだ。
小説を書いておられることを知って、デビュー前から応援していた。

 

今作もいろんな人に読んでもらいたいなぁと思っている。

私、鑑賞対話ファシリテーターとしては、やはり読書会をひらきたい。

HIS『アウシュヴィッツ強制収容所 ピーススタディツアー』参加記録

10月の終わり、旅行会社のHISが主催する、

アウシュヴィッツ強制収容所をめぐり考える、ポーランド ピーススタディツアー

というオンラインの場に参加した。

ptix.at

 

企画、運営しているのは、HISのスタディツアーデスクという部門。

https://eco.his-j.com/volunteer/

ホームページを見たところ、ボランティア、インターンシップ、文化交流、体験プログラムなど、テーマも幅広く、中学生から大人対象のものまで、さまざまなツアーを手掛けているようだ。恐らく新型コロナウィルス感染症拡大により、大打撃を受けていると思われる。

ある日気づくと、オンラインスタディツアーの情報がわたしのSNSのタイムラインに流れてくるようになった。

その中の一つ、「アウシュヴィッツ強制収容所をめぐる」というツアーに惹かれた。

 

 

何度も書いたり話しているが、ナチスドイツとホロコーストは、わたしが子どもの頃からずっと追っているテーマだ。

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uyography.blogspot.com

hitotobi.hatenadiary.jp

note.com

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

追っているわりには、踏み込めていない領域がいくつもある。

例えば、ドキュメンタリー映画『SHOAHショア』を観ること。

そして、アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所に見学に行くこと。
いつかいつか、と思いながら、まだ果たせていない。

現地ツアーのお誘いをいただいたことがあったが、金銭的にも物理的にも難しい時期で、お断りせざるを得なかった。いや、もし何もハードルがなくても、わたしは行っただろうか?というと、実は勇気がない。

2004年にドイツの南部にあるダッハウ強制収容所を見学したことがある。アウシュヴィッツとビルケナウで、あれ以上のものを見るのかと思うと、自分の精神が持ち堪えられるのか、かなり不安がある。そのぐらい、現地で体験したことは大きかった。これは行ったことがある人でなければ共有しづらい。そして、身近な人で、それを体験したことがあるという人にまだ会えていない。

そんなふうにいつも心の片隅で気になるテーマとして持ち続けてきたところ、オンラインでふわりと飛べるツアーがある、しかも、ガイドはポーランドで生まれ育ち、普段からアウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所跡や博物館でガイドを務めている方だという。

これだ!と思い、すぐに申し込んだ。

多くのユダヤ人が虐殺されたアウシュヴィッツ強制収容所を訪ねると、普段私たちが当たり前だと思っている現実が、少し異なるように見えるはずです。
私たちはもしかしたら知らないうちに誰かを傷つけているのではないか?
そういうシステムに飲み込まれてしまっているのではないか?
差別や偏見のない、命を尊ぶ、寛容な社会をつくるには何が必要か、考えさせられます。(Peatix告知サイトより)

学校の講義でもない、カルチャーセンターの講座でもない、NPONGOの活動でもない、一般企業、旅行会社がこういったメッセージを発信している企画というところも、新鮮で興味深かった。

 

 

事前に「今回のイベントで楽しみにしていること、聞きたいことや知りたいことがあれば、ご自由にご記入ください」というアンケートがとられていた。

当日は、そのアンケートから、他の参加者がどのような関心を持ってこの場に来ているのか、シェアするところから始まった。

 

アウシュヴィッツに行きたかったがツアーがキャンセルになって行けなくなった方

・実際に行ったことがあって、あらためて話を聞いてみたい方

がおられて、恐らくはわたしのように行ったことはないが、この機会に学びたいという方も多くいらっしゃったと思う。

アウシュヴィッツホロコーストについて、ポーランドではどのような教育が行われているのか

を知りたいという声もあったそう。わたしもアンケートにそのように書いた。

ガイドのアンナさんはポーランドの中でもアウシュヴィッツへの最寄りの経由地であるクラクフ出身ということだったから、そういった話はぜひとも聞きたかった。聞くことで、日本の歴史をどのようにふりかえり、伝えていくべきなのか考えたいと思った。

 

ツアーの目的においても、「ポーランドの視点から語ります」という前提共有がなされた。

1. アウシュヴィッツの歴史的背景、普段見落とされている特徴を知る。

2. アウシュヴィッツ博物館の現在の様子を把握する。

3. ポーランド人の視点から見たアウシュヴィッツホロコーストを共有する。

 

1. についてはスライドを使っての説明。この時点ですでに知らなかったことが満載で、一つひとつの事実についての背景と意図が加えられた丁寧な説明に、メモを取る手が間に合わず、歯痒いほどだった。

2. については、主にグーグルマップの航空写真や、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のヴァーチャルツアーページを使いながらの説明。アウシュヴィッツ強制収容所(第1収容所)とビルケナウ絶滅収容所(第2収容所)を順番に辿りながら、その違いについて、生活や処遇について、これも一つひとつ丁寧に、まるでその場で見ているかのような錯覚を覚えるほど、時間をかけて説明があった。

何度も鳥肌が立っていたが、オンラインのバーチャルでこれなのだから、実際の広大でもっと情報量の多い現地では、一体どれだけのことを感知するのだろうか。

▼ヴァーチャルツアーページ

panorama.auschwitz.org

 

3. については、アンナさん自らまちへ出て、ポーランド人の10代の若者4人と、社会科(歴史)の教員にインタビューしたときの動画を共有してもらった。

衝撃だったのは、これだけのことがあった場所を抱えていながらも、時代と共に学びの機会や理解が薄れていくという現実だった。教育で扱い、大人同士で語り合い、若い人たちへ語り継いでいかなければ、いつかなかったことになってしまうのでは、と恐怖を覚えた。

同じ「ポーランド人」といっても、犠牲者、加害者、協力者(ナチスの)、援助者、傍観者と立場はそれぞれ異なり、受け止めも異なるということも聞いた。これはドイツ人の中でもそうであったし、ナチスドイツが侵攻した国ではどこも起こったことだ。

また、現政権が保守で右傾化することで、教育の思想も変わり、方針も変わり、スローガンが変わっていく。政治や経済、宗教や元々の差別の歴史も複雑に絡み合っていくというシェアもあった。

 

......どれもこれもが、日本でも当てはまる事ばかりだ。ツアーを終えての1カ月以上、なかなか記録を書き出せなかったのは、この重い宿題をもらっているためだった。

 

最後にアンナさんからの「自国の歴史を見直す必要性がある。歴史を過去のこととしてのみ見るのは大きな間違いだ。歴史に学ばない現実があることを残念に思う」との言葉を噛み締める。

 

一度起きたことは、もう一度起こりうるということだ。-プリーモ・レーヴィ
"It happened, therefore it can happen again: this is the core of what we have to say." -Primo Levi

 

歴史を記録し、記憶をつなぐことは、使命である、とあらためて思い至った学びの時間だった。

 

 

ツアーで見聞きして共有したいことは細部に渡り多くあるが、なかなか簡単に書ける内容ではないので、ぜひ実際にスタディツアーに参加してみてもらえたらと思う。

知っているようで知らなかったことにたくさん出会えると思うし、断片的にでも学んできた人にとっては、これまでの知識や経験が一本の流れに集約されるような感覚を持つと思う。

 

終了後にわたしが送ったアンケートより。

アンナさんの丁寧なガイドと文明の利器(Zoom、バーチャルツアーページ)のおかげで、とても没頭して参加することができました。

アンナさんの人生の背景とガイドで得られた知見が余すところなく感じられて、現地にいなくても、とても血の通った質量のある経験を受け取ることができました。最後の質問の時間には、アンナさん個人として、本当の気持ちを話してくださって、心が震えました。ありがとうございます。

第1収容所と第2収容所の違いについては、プリーモ・レーヴィのことを調べているときにぼんやりと把握していましたが、詳細に解説していただくことによって、より像がはっきりと立ち上がりました。今後アウシュヴィッツホロコーストに関する史実、作品にふれる時にも大いに役立ちます。

これまで断片的に得てきた知識や経験が、きのうのスタディツアーによって一気に統合されたような感触もありました。

身体を運んで行ったことで言えば、ダッハウ強制収容所やベルリン・ユダヤ博物館を訪問したときに観たもの、聴いたもの、感じたこともそうです。

ある意味、現地にいない、距離を保ちながら接近したことによって得られた体験ではないかと思います。企画、運営してくださったHISさんに感謝です。

ポーランドの社会科の先生や、学生さんたちのインタビュー動画も、どこかからとってきた素材ではなく、アンナさん自身がインタビューされた、その準備の過程にもとても感謝の気持ちがわきました。

第2収容所のバラック内は、ツアー中は観られませんでしたが、そのおかげで今朝起きて自分でウェブサイトに行って調べることができました。こうして自発的な学びの余地が残されていたことがありがたいです。

当日まではどこか、通りいっぺんのことや、もう知っている基礎的なことを、子どもに噛んで含める様に話されるのだろうかと、勝手にうがった見方をしていましたが、その予想は大いに裏切られ、振り落とされまい、見逃すまいと、必死にメモを取り続けていました。学びの喜びがありました。

また、顔も名前も詳しい参加動機もわからないけれども、多くのみなさんと、オンラインでつながりながら体験できたことや、今世界中で起こっている悲しみと苦しみ、やりきれなさまでも分かちあえて、うれしかったです。

 

今後の同ツアーの予定は、FacebooktwitterPeatixなどで確認できる。

また後日、「アンネの日記」ゆかりの地をめぐり考える、アムステルダム ピーススタディツアーにも参加した。こちら側からの景色も学ぶことで、さらに立体的になった。

ツアー参加上は必須条件ではないが、『アンネの日記』を読んでから参加すると、体験の深さが全然違うので、個人的にはおすすめしたい。


アウシュヴィッツ-ビルケナウ博物館のサイトから、日本語の資料がダウンロードできる。全編カラー、充実の内容だ。

http://auschwitz.org/en/more/japanese/

 

こちらはツアーでシェアしてくださった動画。
今年1月のアウシュヴィッツ解放75周年式典でのMarian Turski(マリアン・トゥルスキ)氏のスピーチ。

おそらく私は次の(80周年の)記念祭を見ることができないでしょう。これは人の理です。
ですから私が言うことには感情的な部分があることを許してください。

これから話すのは、私の娘、孫、- 彼らがこの場にいてくれる事に感謝しますが – 彼らの仲間であり、つまりは新しい世代、特に最も若い、彼らよりも若い世代に伝えたいことです。(スピーチ和訳より部分)

https://newsfrompoland.info/historia/marian-turski-speech/

 

展覧会情報をキャッチするには?

先日「きものkimono展」の鑑賞記録を投稿したところ、こんなご質問をいただきました。


好みの展覧会を逃さないためには、どのサイトをチェックしていると良いでしょうか?着物や服飾関係は好きです!


なるほど。わたしが自然にやっていることで、何かお役に立てることがありそうなので、きょうはそれにお答えする形で書いてみたいと思います。

※わたしが東京在住なので、東京中心の記事になっております。ご了承ください。

 

 

◎服飾関係がお好きとのことなので、まずは専門のミュージアムをチェックされるとよいですね。

文化学園服飾博物館

杉野学園衣裳博物館

岩立フォークテキスタイルミュージアム

神戸ファッション美術館 (神戸)

国立民族学博物館(大阪)
※専門ではありませんが、服飾もとても充実しています。

風俗博物館(京都)

京都服飾文化研究財団 KCIギャラリー(京都)
※デジタル・アーカイブWebで閲覧できます。

 

他にもネットで検索してみてもよいですし、美術館・博物館のガイドブックでも探してみると良いと思います。冊子の良さは、探しているもの以外との偶然の出会いがあるところです。

  

 

 

 

ミュージアム(博物館、美術館、記念館、文学館等)の企画展をキャッチするには、こんな方法があります。

 

ミュージアムSNSアカウントをフォローする

 FacebookTwitterInstagramなどをフォローしておき、気に入った記事があれば「いいね」をしておくと、そのアカウントからの投稿が表示されやすくなります。SNSを普段からよく使う方におすすめです。


・美術ブロガーさん、学芸員さんなどのSNSアカウントをフォローする

 わたしがよく読ませていただいている美術ブロガーさんは、青い日記帳さんです。SNSの投稿で見て、ブログを読みに行きます。学芸員さんはよく行くミュージアムから、これから行ってみたいミュージアムまで、フォローしています。他にも、ミュージアムによく足を運んでおられる方や、美術系の本を出している出版社、書店などもフォローしています。


・展覧会やお店ではチラシをチェック

展覧会に出かけたときに、チラシのラックなどをチェックして、気になったチラシをもらう習慣をつけます。日本では、展覧会の度に美しいチラシが作られ、情報も満載でどんな体験ができそうかのイメージが作りやすいので、重宝しています。ミュージアム以外でも、飲食店や雑貨店などにも展覧会のチラシはよく置いてあります。


・チラシミュージアムスマホアプリ)
イープラスが運営している全国1,500以上のミュージアムのチラシが掲載されています。チラシのビジュアルで探せるので便利です。テキスト検索もできます。全て網羅されているわけではないので、タイミングによっては引っかからないこともありますが、「今、何やってんのかな〜?」を知りたいときはとても便利です。

チラシミュージアム~美術館・博物館の情報&クーポン|イープラス


日曜美術館

NHK Eテレの美術館番組では、展覧会会期に合わせた特集が掲載されています。「アートシーン」のコーナーでも展覧会の紹介があります。毎週録画設定しておくと見逃しません。

日曜美術館 - NHK

・美術系雑誌(芸術新潮美術手帖

書店に行って美術系雑誌のコーナーをチェックすると、芸術新潮美術手帖はだいたいあると思います。展覧会の情報や、会期に合わせた特集が掲載されています。



Web版も情報満載。
美術手帖Web版

芸術新潮

 

 ・年間情報

例年ですと、「今年の美術展情報」として、いろんな雑誌が出ているのですが、感染症流行で先行き不透明なため、2021年版は出さないところが多いかもしれません。一応ご参考まで。

 

 

 

◎いつの間にか終わってた!にならないように、わたしがしていること。

 

Googleカレンダーをつくる

専用のアカウントでカレンダーを作って、チラシやSNSで情報を得たら、行く行かないはともかく、会期を入れていっています。

これを書いている12/2だとこんな感じです。映画や舞台系が入っていないので、わたしにしては少なめです。

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・友だちを誘う

行きたい展覧会は友だちを誘って早めに予定しておけば、見逃しません。

鑑賞好きの仲間ができれば、仲間内で情報交換ができるようになるので、次、また次とつながっていきやすいです。

普段からSNSで発信したり、身近な友達に「こんな分野やテーマに関心がある」と話したりしていると、情報を教えてもらえたり、「じゃあ今度行かない?」と誘ってもらえたりもするようになります。行ってきた感想を発信するのもよいです。

SNSのアカウントをフォローしておく」と先に書きましたが、情報収集のために読む専門だとちょっともったいないです。ちょっとしたつぶやきでも、発信もしていくと関心が関心を呼んで世界が広がっていく、そういうありがたいツールでもあります。

 

 

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特定の発信源を追いかける方法もありますし、キャッチするための流れを自分の日常に作り出すという地道な方法もあります。

自分にぴったりの展覧会との出会い方が見つかるといいですね!

 

わたしも気になる展覧会はSNSでときどきシェア、RTなどしていますので、よろしければフォローしてみてください。

Facebook https://www.facebook.com/funanokawaseiko

Twitter 舟之川聖子|Seiko Funanokawa (@seikofunanok) | Twitter

 

 

 

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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

 

 

齋藤陽道写真展『絶対』鑑賞記録

齋藤陽道 写真展『絶対』を観てきた。

https://www.mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi/shops/art/art/shopnews_list/shopnews0401.html

 

齋藤さんが主演のドキュメンタリー映画『うたのはじまり』を観て、こんな感想を書いた。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

映画を観ながら、どんな写真を撮る方なんだろうと思っていた。

もちろん映像には写っているし、書店に行けば写真集もあるのだけど、最初にちゃんと見るなら、生のプリント作品がいいという思いがあった。

 

とはいえ、『絶対』か......。

あまりに真っ直ぐすぎるタイトルと、被写体をど真ん中に据えた作風に、怯む。
本物の作品を前にしたら、どんなことを感じるのか、少し怖い気がした。
普段は抑えている感情が出てきそうな予感がした。

 

ご本人も在廊されているとのことだったので、お話もしてみたい。
でも少し緊張もある。
でもこれは行かないと後悔するとも思い、ぐずぐず、おどおどしながら最終日に滑り込んだ。

 

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会場に入った途端、無数の光が目に飛び込んでくる。青とオレンジ。

すべてが逆光の作品。

後ろにバックライトを入れてるんじゃないかと思うほどの眩しさ。

日輪、光輪、プリズムの虹。

被写体の輪郭が光り、柔らかな表情は、神々しいほど。

 

こういう写真は今まで見たことがない。

 

此岸と彼岸のあわいに立っているような感覚。吉本ばななの『ムーンライト・シャドウ』を思い出す。

最近、亡き人たちを近くに感じることが多かったので、『義祖父』の前に立ったときに、ずいぶん前に亡くなった祖父を思い出してしまい、何か考える前にもう涙が溢れていた。

ああ、やっぱりな。感情がひっぱり出されるような写真。

 

  

この世界に覚えがある気がするのは、わたしもここに行ったことがあるからだろうか。心で行ったことがあるのか。

あるいは、わたしの目も、わたしが知覚していないだけで、実は普段からこんな瞬間をとらえてくれているということだろうか。

こんな美しい瞬間を無意識に捉えて、取り出せなくても脳裏に留めおいているのか。

そうだったらいいな。

 

 

原美術館の最後の展覧会から、ずっと光を追いかけてきて、ここに来たようでもある。hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

『母子』という作品の前に立ったときには、この作品を盲の人と観てみたい、という気持ちがむくむくと湧いた。あいだに"通訳"を交えず、わたしとあなたの一対一と、この作品と。何が行き交うだろうか。

以前、映画の感想を語る会で、視覚障害のある方々とお話したのが、とても楽しかった。あのときのことを思い出して。

 

 

  

プリントを購入する財力はないけれど、とてもすてきな本があったので、そちらを連れて帰った。サインもいただいた。お話もできた。やっぱり行ってよかった。

生身のその人に会えるというのは、かけがえのないことなのだ。
そう、今や貴重なのだった、会うということは。

 

筆談で、「太陽の方にカメラを向けて撮ったら目痛くないですか?」と聞いたら、

「もちろん痛いです。でも順光だと、撮られる人が眩しさを我慢させる。その違和感があって、撮る側が引き受けようと思って、こういう撮り方をするようになりました」

というようなお答えをいただいた。

なるほど。確かに眩しくて嫌だなと思ったことがある。

 

でも「目はお大事にしてください」と、お節介ながら。

 

 

連れて帰った本はナナロク社さんらしい装丁と綴じ。

紙もフォントも本文デザインも、そして写真も文章も、全てが美しい本。

 

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nanarokusha.shop

 

 

 

作品はすべて撮影可とのことだったけれど、何も写らないような、体験が目減りするような気がして、やめておいた。記録しなくても、一点一点思い出せるほどよく観たしね。

 

ステイトメントだけ撮影させていただいた。

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残念ながら足を運べなかった方には、ぜひこちらを。

【齋藤陽道写真展】インタビューコラム

https://www.mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi/column_list_all/art/column02.html

 

この本も読んでみたい。

 

 

 

わたしはここのところ、どれもこれもが、自分の実感に合わないで苛立っていた。

窮屈さを感じていた。

たとえどんなに滑らかに話されても、「ああ、そんな今までと同じ感じじゃなくて、もっと違う言葉があって、そんなに簡単に済ませないで」という思いが湧く。

たとえどんなに上手に聴いてもらっても、「ああ、そうじゃなくてですね、その言葉じゃなくて......」とばかり出てくる。

簡単に要約しないで。まだ話の途中、その言葉は使ってない、言い換えないで。

 

自分の中にある奥の奥まで突き詰めて、写せるように、作れるように、伝えられるように、諦めずに表現していかなくちゃ。

 

齋藤さんの写真展を経て、そんなことを思った。

ありがとうございました。

 

 

引き続き光を集めます。

 

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おまけ。

「発色現像方式印画」ってどんな技法だろう?と調べたら、あっという間に東京都写真美術館のサイトが出てきた。

(PDF)https://topmuseum.jp/contents/images/explanation/explanation.pdf

 

3年前のソール・ライター展で出品されていたのも、発色現像方式印画だった。

https://casabrutus.com/art/45112/2

 

映画『アイヌモシリ』鑑賞記録

シネマ・チュプキ・タバタで『アイヌモシリ』を観た。 

映画『AINU MOSIR』公式サイト

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11月中には観たいと思っていたけれども、起きたら朝ドラ『エール』のカーテンコールで『イヨマンテの夜』が流れていたから、もう今日しかないでしょ、という勢いで行ってきた。

 

複雑でシンプルで、切なく希望あふれる、美しい映画。

劇映画だけれどドキュメンタリーのような、近接する瞬間がなんとも言えない。

実際にそこで生活している人も出演しているし、神事も含まれるし、いろんな本物のある映画だからか。

 

予告や映画情報からストーリーの粗い筋はわかっているけれど、イオマンテで熊を送ることを少年にどう説明するか(いや、少年っていうか、なんと言うのか微妙な時期の人だな、少年と青年の間の......)、その説明を彼がどう受け止めるのかを、わたしは観るのかなと思っていた。

けれどそこは説明ではなかった。濁されるわけでもなかった。

「ああ、そういうことなんだ〜」と唸った。その展開に。

まだうまく言葉にならないけれど、ここは、この映画の肝なんだろうと思う。こちらも五感と心で捉えるしかない領域。一旦価値観を捨てなければならない。

観る前に、イオマンテについて少し本を読んでいたことも役に立ったが、読んでいなくてもおそらく感じられたであろう。そういう映画のつくりだった。

 

あのコミュニティにいる一人ひとり、あるいはアイヌと呼ばれる一人ひとり、考え方や立場は異なれど、子どもから大人になる間に、誰もがアイデンティティを確立していったに違いない、と想像がはたらく。

 

季節の移ろいと共に、人も成長する。
カントの顔つき、体つきや放つ存在感も変わっていく。

少し先の息子を想像したり、わたしと息子の関係を想像したり、わたし自身のルーツやアイデンティティにも触れながら観た。

自然と生き物を取り巻く大きな循環、流れの中では、どれもが小さなことに思える。

 

「外」と擦れる瞬間がフッフッと出てくる。観ているほうはドキッとするが、それをただ見つめるカントに託して、"映画"からの説明はしない。彼が何を思っているのかに観客が想像を働かせる。このあたりは安易な共感を許さないシーン。

ただ、予告でも流れるエミさんの、「だあれも強制なんかしてないよ」という言葉は、そのまま観客であるわたしにも投げかけられているように思える。

 

協同体とアイデンティティ

記録と伝承。

 

エンドクレジットで流れるトンコリの音は水、風、雲をイメージさせて心地良い。

美しく、ただそこに強烈に有るような映画。フラットで固定観念がない。

 

よかった、よかった。

 

日本民藝館アイヌ工芸展やアイヌ交流文化センターにも行っておいてよかった。

受け取るものが全然違う。

それらぜんぶがこの映画に集合する感覚と、この映画もまたアイヌをめぐる体系を立体的に見るために不可欠なものになるという予感と。

 

少しずつ知っていく道のりにわたしはいる。

 

 

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チュプキさんでは1月後半に上映延長が決まったそうです。毎日人気だったものなぁ!

 

"「チュプキ」とはアイヌ語で、月や木洩れ日などの「自然の光」を意味します"
とのことなので、やはりこの映画はチュプキさんで観ると幸せかも。

 

 

アイヌ文化交流センター

現代の作家さんの手工芸品が間近で見られるのと、充実した資料が閲覧できる。あまり他の図書館や書店では並んでいないような貴重なものもありそうだった。アイヌ関係で調べものがあったら、まずここに行くのが良さそう。

www.ff-ainu.or.jp

 

▼参考書籍の紹介。サムネイルにもなっている『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』はよかった。

book.asahi.com

 

アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドNetflixで配信中とのこと。海外版ポスターとトレイラーはまた違う雰囲気。日本向けとどこがどう違うか。比較するのもおもしろい。

deadline.com

 



市川市文学ミュージアム『さかざきちはるの本づくり』展 鑑賞記録

市川市文学ミュージアムに、さかざきちはるの本づくり展を観に行きました。

http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul06/1111000295.html


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誘ってくれた友だちが、さかざきさんとお友だちということで、作家さん御自ら解説いただき、大変な幸運でした。


"手のひらサイズの大冒険"というキャッチコピーそのままに、本を作る工程ってやっぱりわくわくする!

さかざきさんのお仕事現場や、本づくりの思考を垣間見るような展示。


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かわいい!のはもちろん。

その先も知りたい人にとても楽しい展示。

紙、色、綴じ、刷り。物質としての本も愛する方にぜひ観ていただきたい。

竹尾の紙見本、色見本、伝統色の本、世界のブックデザイン展(Toppan)がお好きな方、ZINEを作っている方など、楽しいのでは。

わたしは先日、町田印刷博物館に行ったところなので、シルクスクリーンのあたりが楽しかった。

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会場設計は、openAという建築事務所さんが担当されてます。東京R不動産の馬場さんが代表を務めておられる。たくさんの遊び心に満ちていて楽しい空間です。

自分では思いもつかない展示スタイルになったことで、発見があったとおっしゃってました。

 

こんなふうにアイディアを出し、関わる人と相談しながら、毎回冒険をしてらっしゃるんだな〜と思うし、デジタル以前の自主制作本を見ると、もともと本づくりがお好きだったんだなと感じます。

 

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じっくり見ていると、すごーくシンプルな描画にできるのは、その前にあるたくさんの観察と技術の蓄積があるからだとわかります。キャラクターなんだけれど、デフォルメしすぎない、生き物であることから離れない造形が魅力。


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市川市文学ミュージアム生涯学習センターの中にあり、中央図書館も入っています。

土曜日だったので、家族で図書館に行く人もあって、活発に利用されている場の流れがあって良い雰囲気。

本にまつわる館で見る小さな本づくりの営み。ぜひ足を運んでいただきたい。

2020年1月31日まで。

 

千葉だから、チーバくんもいっぱい。チーバくんのピーナッツカレンダーは作ってみたいピーナッツレシピばかり。

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積み重ねた本のオブジェ。めっちゃ背高いので上まで入らなかった!

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映画『ウルフウォーカー』鑑賞記録

恵比寿ガーデンシネマで『ウルフウォーカー』日本語吹替版を観てきた。

child-film.com

 

長野の映画館のスタッフさんがツイッターで強く推しておられたのに心動かされた。
そのツイートを見なければ、知らなかったし、出会えなかったかもしれない。

東京で暮らしていることと、昨今のオンライン世界への拡大で、「観るもの」がとにかくたくさんあるので、わたしもなかなか全部はチェックしきれないでいる。
こういう情熱からの発信はほんとうにありがたい。
 
予告を観てみて、これは息子と一緒に行ったほうがいいのではないかな、と思い、誘ってみたら、観てみたいとのことだったので、夕方から出かけた。
 
 
「お子様」が行くとこんなのをもらえるらしい。

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いやはや、これ、これは、ほんとにすごい映画!!

これは映画館で観ないとダメな作品。

こんなアニメーションがあったんだ!

胸が震える。。

 

力強く美しい物語!

なにより、子どもを見くびらない、ほんものさ。子どもに生きる力を与える物語。

これを息子に観せられてよかった。

 

重層的で示唆的。

生きる上でのとても大切なテーマが大きく二つある。

一つは、自然との共生。感染症流行の時代だけに、痛感する。

もう一つは、人は自分の中に作りあげた「牢獄」からいかに自由になれるか(映画『ライファーズ』)

それぞれが、それぞれの思う自由を求め、立ち上がり、自分の信じる道を切り開く物語。

新しい時代の神話。今のわたしたちに必要な物語。

 

すでにまた観たくなってる。

絵本と想像がいっぺんに動いているような美しい画面。日本語吹替版だと画面に集中できてよかった。

 

観てから何日も経っているのに、なかなかなめらかな文章としては書けないので、断片でもともかく置いておく。

 

・「征服の対象としての自然」の歴史の前にあった、自然と共生する時代を思い出し、学び、今のわたしたちとして生きる必要がある。

・城壁の中で閉じ込められる人間。外は脅威→進撃の巨人

・牧畜をやってきた民族の獣の象徴・オオカミ、森への恐怖。稲作民族にはわからない感覚もあるのか?

・"我々はこの国では歓迎されていない"(移民、難民の示唆)。人のやりたがらない仕事をすることで存在を保証される構造。

・児童労働、ストリートチルドレン、"檻"の中にいる子どもたち。現代の学校もそうかも?

・若さゆえの無鉄砲さであり、自由さ、野生。子どもの知恵。傷つけ合わない解決方法を知っていたのに、大人になるにつれて失っていく。大人のルールは子どもには通用しない、そこに目を向けられるか。

・「ルールに従う」「命令には従わないといけない」「言われたことをやっていればいい」操られていることに気づけず、逆らえない。生存の危機感、恐怖で支配される。支配できることを知っている。その呪いは世代を超えて、家族の小さな単位の中で、性別を閉じた中で、連鎖していく。「あなたのためなのよ」

・理解する大人がいるという希望

・権利の対立。対立しているように見えるけれども、一方的な主張かもしれず。

・ロビンがオオカミになってからの世界の見え方。人の中で生きれられるのか?

・居処のない者同士の出会い。

・民衆の憎しみの感情。その圧倒的な表現。熱狂、興奮。これほどまでに憎まれている。芯からの憎しみなのか、煽られているだけなのか。風見鶏。

・「ただ生きる」それ以上のことをしてしまう人間は、仮想敵をつくる。何のおかげで生きられているのかを忘れる。守ろうとして永遠に失う。

・救われたがっている魂の哀しさ。

・最後に残るのはユーモア。勇者のように見えない、声は小さく、しかし大きな存在。

 

 

前回恵比寿ガーデンシネマで観たのは、『ディリリとパリの時間旅行』。 アニメーションの可能性は果てしない。

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ウルフウォーカー世界の紅葉する森は、現実の外の世界と同じで、不思議なオーバーラッピング。


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公式サイトにあった、こちらのオンライン対談動画を観ていったのも、わたしにとっては受け取るものが多く深くなって、大変よかった。 もちろん観たあともおすすめ。

youtu.be

 

 

複雑な世界をこれほど美しく繊細に、誤魔化しなしに描く。作画はちょっと怖く感じるかもしれないけれど、子どもの頃に自由に行き来していた「あの世界」のことだと、観ているうちに思い出してくる。怖いのは、大人だから、というのもある。

見た目のわかりやすい可愛さではない。

そういうやり方で観客を喜ばせようとする感じがないのがいい。

本能を刺激してくる。見ちゃうし、目が離せない。

線の力がすごい。形も空間表現も。

それも瞬きをしている間にどんどん変化していく。
連れて行かれる。

 

「野生を呼び覚ませ!」を自分の体感で理解する。

 

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先日、新宿歴史博物館に小泉八雲展を観に行ったときのこととつながった。

アイルランドの大叔母に預けられた八雲。迷信を嫌った大叔母は、精霊や幽霊の話を禁じたり、信心深いいとこのジェーンは「神の思し召しに逆らう者は地獄の業火で焼かれるだろう」などと言う。

アイルランドといえばアニミズム、精霊の本場じゃないの?なぜ周囲はそんなふうだったのか?と疑問だった。ウルフウォーカーに出てくる護国卿(Load Protector)のような存在がかつてあって、その流れがこの大叔母やいとこにも汲まれているということだったのではと、思い当たった。

このへんもうちょっと勉強したい。

アイルランドケルトの歴史と文化。売店で参考になりそうな本が紹介されていたけど完売だったので、別途入手してみる。

もっと進んだら、先日訪問した東京子ども図書館の資料室も利用してみたい。

 

 

前作、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』と『ブレンダンとケルズの秘密』も近日中に観る。今となっては、公開時に映画館で観なかったのが悔やまれる。

 

 

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〈お知らせ〉12/21(月)2020 冬至のコラージュの会(オンライン版)ひらきます

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年に4回、暦の節目につくるコラージュの会をひらいています。
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2019/09/05/102543
雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、だれでも気軽に楽しめるコラージュです。

今回は冬至の日にひらきます。
冬至は、一年中で太陽が最も南に寄り、北半球では昼が最も短い日。
陰が極まる日。ここを境に陽に転じていきます。
2020年は、どなたにとっても厳しい現実と向き合う一年だったと思います。
自分の歩みをふりかえり、悼み、労い、喜び、来年を展望しましょう。

お申し込みはこちら

ptix.at



頭の中でもわもわしている好きなこと、したいこと、ほしいもの、行きたい場所。
あらゆる制限をとっぱらい、直感を頼りに写真や絵や文字を切り貼りしているうちに、
今の自分の状態とこれから生きたい世界の様が、おぼろげながら形をとってきます。

無心で集中する心地よい時間です。

制作のあとは鑑賞会。

他の参加者からの感想や質問があることで、理由もわからず貼っていたパーツにも、大切な願いを込めていたことに気づきます。

会が終わる頃には、作品にあふれる自分らしさを愛おしく感じることでしょう。
「今わたしに必要かもしれない」という気がしたら、どうぞご自身の直感を信じておいでください。
わたしは心を込めて皆さんをガイドします。


前回・秋分の会の様子
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2020/10/26/172354


●●● 詳しいこと ●●●

▼日時
2020/12/21(月) 13:00-16:00

▼会場
オンライン会議システムZOOM(お申し込みの方にお知らせします)

※事前に「Zoom」のインストールをお願いします。
 https://zoom.nissho-ele.co.jp/blog/manual/zoom-install.html
※当日は以下の環境を整えてご参加ください。
 -使い慣れたPC・タブレット(画面が大きいデバイスのほうが他の方の作品が見やすいです)
 -安定したインターネット回線への接続
 -雑音が少ない静かな場所
 -ビデオONの設定(参加者同士でのワークや作品を見せ合うため)
 -B4程度の紙を広げて作業しやすいスペース

▼参加費
3,000円

▼定員
5名

※Zoom 1アカウントで1名のご参加です
※材料はご準備ください


▼準備物
・台紙(100均ショップなどで売っています。使うのは大サイズ(約B4)なら1枚、小サイズなら2枚(約A4)が目安です。白画用紙や他に台紙にしたいものがあればそちらでOKです)
 
 

・雑誌(1冊でも十分です)その他、写真、ポストカード、チケットの半券、チラシ、マスキングテープ、シールなど、ご自分が貼りたいもの。
 

・はさみ、のり
 


▼進み方
お互いのことをちょっと知る(10分)

荷下ろしワーク(30分)

コラージュを作る(90分)

鑑賞会:こんなの作ったよ!(30分ぐらい)

きょうどうだった?

※製作の進み具合によっては早めに終わることもあります。

※適宜休憩時間をとります。

 

▼お申し込みはこちら

http://ptix.at/iCc8o6



▼キャンセルポリシー:
12/19まで:0%
(返金いたします。ただしコンビニ・ATM払いでチケットを購入した場合は、Peatixによる一律500円の手数料がかかります)
12/20〜当日:参加費の100%がかかります
(返金いたしません)


---問い合わせ---
・Peatixの問い合わせフォーム
・office★seikofunanokawa.com (★→@)

お気軽にどうぞ。


舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター

芸術・文化、表現作品を通じた鑑賞対話の場を企画・進行するお仕事。
協働と変容、交流とつながり、エンパワメント、 鑑賞者自身の表現と学びの場づくりを得意とする。
500回以上の豊富な実践経験から、 場づくりゼミや個人セッションなどのアドバイザリーにも力を入れ る。
田端の映画館シネマ・チュプキ・タバタにて映画を語る場『ゆるっと話そう』を開催中。
2021年1月に共著『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』刊行予定。

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町田国際版画美術館『西洋の木版画 500年の物語』展 鑑賞記録

町田国際版画美術館で『西洋の木版画 500年の物語』展を観てきた。

hanga-museum.jp

 

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最終日に飛び込み。少し遠かったけれど、はるばる行った甲斐あった。

 

ひと言で言うと、木版画の印象が覆った!

初期の木版画
グーテンベルク登場後、
デューラーの(変態的!)木版画
銅版画との比較、
風俗画としての版画、
木口(こぐち)木版の追究、
絵本と多色刷りの進化、
近現代美術としての版画、
ゴーガンの版画、
まちだゆかりの作家・若林奮、
月岡芳年の月百姿……。

 

これも木版画、あれも木版画......。

木版画と聞くとつい、素朴さ、柔らかさ、大胆さのイメージが最初に出てくるけれど、それだけではなく、精密さ、繊細さ、洗練などもあったのだ。

そうだ、浮世絵も木版画じゃないか、といまさら気づいたり。


この500年を通覧する充実の展覧会。

大満足。

図録は残念ながら作っていないとのことだったので、写真を撮りまくり、メモを取りまくった。

 

展覧会のおかげで、版画についての知識と経験を段階を追ってじっくり積めた。断片的だった知識が、展覧会から体系的に提示されることで、わからなかったところが埋まった感触がある。

こういう「あるジャンルについての歴史」が一望できる展覧会はとても貴重なので、出会ったときがご縁ということで、最近はなるべく足を運ぶようにしている。

 

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印象に残った作品いくつか、美術館の公式ツイッターの投稿をお借りしながら紹介したい。

 

版木の高さと活字の版の高さを揃えて刷っていたとのこと。ここで疑問。活字は一字ずつ拾うのか、ある程度の決まった単語で揃っているものがあったのか(ドイツ語だとmit, ob, istなど)

 

デューラー木版画が変態レベルで慄いた。描き込みならぬ彫り込みの凄まじさ。銅版が出てきた時代に、「木版でもここまでできるんだぞ!」という壮大なアピールのようにも見える(勝手に)。

 

同じ主題で木版と銅版を並べて見せる展示がおもしろかった。このあたりでは銅版は洗練されていて、陰影の微細な表現が可能になるんだな、などと素人目には思っていたが、このあとに木口木版を見たときに、その感想はあっさり裏切られる。

 

目の詰まった木の断面を使った木口木版。このあたりから素人目には銅版と木版の区別がつかない......。実用性の中に芸術性が生まれてきている感じ。

 

これも木口木版。光の表現、黒から白へのグラデーションが美しい。スクリーントーンのような整然とした彫りも、これが手作業と思えない。

 

館長さんがブログでも書いておられるけれど、ほんとうにこれが木版画だと思えない!モチーフも美しいし、色もきれいで、ずっと見ていたい......。

 

木口木版は、輪切りにして年輪が見える板で、日本の浮世絵は、木の生えてる向きに沿って切った板目木版。主となる輪郭線線をとった主版と、色をわけてするための複数の色版で刷る多色刷りは手間がかかるので、西洋では最初はあまり発展しなかったとのこと。素人目には銅版画のほうが薬剤も使うし、手間が要りそうに見えるけれども。。ここのところもう少し知りたい。

 

ゴーギャン(ゴーガン)の版画がこれまたよかった。タヒチとの出会いで感じたプリミティブな魂が、木版という表現にぴったりに感じられる。

 

ヴァロットン!!冷たい感じもしつつ、やっぱり魅力がある。先日国立映画アーカイブで見た展示の中に、サイレント映画の映像が流れていて、黒白の濃淡や構図がすごくヴァロットンの版画に近いなと思った。時期的には同じぐらいだから、きっと影響があったはず。

 

 

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行く前に行く前の予習で観ていた資料。
長谷川潔展の図録は、だいぶ前に横浜美術館の回顧展で購入したもので、最後に版画の技法についての説明がある。

『西洋版画の見方』は国立西洋美術館売店で売っているもの。コンパクトで良い。

この版画展を観てから、本を読み返したらだいぶイメージが膨らむようになっていて、書いてあることが前よりも理解できていた。うれしい!


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1階ロビーでは版画についてのビデオ視聴コーナーあり。

1987年制作と古いものだけど、丁寧に作ってあるので、素人にも工程がよくわかるので、学びたい方にはおすすめしたい。

1本15分くらいはあったので、木版画と銅版画を見るだけでお腹いっぱいになり、石版画とシルクスクリーンその他は次回に。

 

 

インスタグラムにも写真載せておいたので、メモ。

https://www.instagram.com/p/CIEtCxfFoFT/
https://www.instagram.com/p/CIEtyqXFqlH/
https://www.instagram.com/p/CIEuUV0l1WZ/
https://www.instagram.com/p/CIEuuR7FfJx/

 

www.instagram.com

 

同時開催の企画展:まちだゆかりの作家 若林奮(わかばやし・いさむ)

www.instagram.com

 

 

おまけ。

美術館に行く途中の公園の中に、見たことのある球体が鎮座されていた。
東京都美術館にある、あれですな。あちらは《my sky hole 85-2 光と影》
こちらは《my sky hole 88-4》
連作なのでしょうか。他の場所にもあるのかな。


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たくさん版画を観たあとだから、穴あきの葉っぱもおもしろく見える。


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道路表示まで版画に見える!


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