ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『戦火の馬』読書記録

マイケル・モーパーゴ著、 『戦火の馬』を読んだ。

 

3月にNational Live Theatreのアンコール上映で、舞台版の『戦火の馬』を観たことがきっかけで読んだ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

原題は"War Horse"。1982年に出版された本で、ジャンルは児童小説となっている。

イギリスの田舎で農場を営む両親の元に生まれたアルバートは、父が手に入れた仔馬ジョーイを可愛がってきた。第一次世界大戦が始まり、ジョーイは軍馬として徴用され、フランスの戦線に送られてしまう。悲しむアルバートはジョーイを探し出すことを誓う。一方のジョーイはその後、さまざまな人間と出会いながら数奇な運命を辿る。果たして"二人"は再会できるのか、そして無事に故郷へ帰ることができるのか......?

2007年に舞台化、2011年に映画化されている。舞台は、3人で1体を遣う等身大のパペットであること、映画は、スティーヴン・スピルバーグが監督したことで知られる。

 

わたしは舞台を観てから本を読んでいるので、本からこの物語に入った人とはまったくちがう体験をしていることと思う。

原作は、馬のジョーイが「私」と一人称で語るところが特徴で、そのことが舞台の記憶をより鮮やかに立ち上げてくれている。

舞台ではジョーイは明確に主人公ではなく、どちらかというとアルバートに感情移入しやすいつくりになっている。しかしそれでいて、アルバートが完全に主人公とも言い切れない。観客の関心はあくまでもジョーイにあって、ジョーイの存在を通して、目の前の人間たちの言動や営みを間接的に観ているような、不思議な感覚に没頭できる作りになっている。

物言わぬジョーイから、どんな世界が見えていたのか、人間がどのように見えていたのか、ジョーイ自身が語るからこそ初めて知ることができた部分も多い。それでいて、単に動物を擬人化してしゃべらせているわけでもない。

馬は人間の言葉は理解しているそうだが、そうはいっても動物だから人間界で起こっていることの理屈がわかっているわけではない。その馬としての過去現在未来の時間の感覚や、視界の描写や、感情表現が、抑えたトーンで綴られていく。

ふかふかの干し草の寝床の快適さや、ふすまをお腹いっぱい食べたときの充足感と、逆に寒い中でぬかるみに立ちっぱなしで夜を明かさなければならない辛さや、脚を痛めたとき、仲間の馬を喪った辛さなど、まるで自分が馬になったかのような錯覚になる。

いくつかの設定や個々のエピソードは少しずつ違っているのだが、違和感は全くない。どちらが良い悪いと比較する気持ちもあまり湧いてこない。二つの世界が融合して、壮大な物語の体験をしている。

 

舞台でも人間からしばしば無理難題をつきつけられ、こき使われ、利用されているにも関わらず、なんとか懸命に要求に応えようと死に物狂いで動く馬たちに思わず涙が出たが、小説でも同様だった。

第一次世界大戦では、4年にわたる戦闘で、およそ100万人のイギリス兵が亡くなり、200万頭の馬が死んだ。銃弾や大砲に倒れ、又はぬかるみに浸かったり、有刺鉄線に絡まって病気や怪我によって。終戦後は、生き残った馬を本国に輸送するには費用がかかりすぎるという理由で、食肉用としてフランスの肉屋に売ったという。

そのような史実を知ったことも、モーパーゴがこの小説を書く動機になっているそうだ。

 

戦争の凄惨さと愚かしさを馬の視点で描いた作品。

人間はこれから動物とどのような関係を作っていくべきか、も考えられる。

 

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CAVA "Garçon ! " 鑑賞記録(過去記録)

過去の記録より。2016年4月9日。

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マイムパフォーマンスグループ、CAVAの新作『Garçon !』を観てきた。

CAVAの公演はこれで3回目。1回は今は亡き表参道の「こどもの城」にて、1回は池袋あうるすぽっとのバックステージツアー、もう1回は丸山和彰さんと藤田善弘さんのユニット「累累」。

これまではマイムというと、子ども向けの演劇か、短い抽象的な演舞か、どちらかの印象があった。CAVAの舞台はストーリーがしっかりとあるので、演劇を観ている感触はある。でも無言劇だから人間の声はしない。その鑑賞体験をたとえるなら、「誰かの夢の世界へ、無理矢理連れて行かれた」という感じ。夜見る夢ね。

想像をめぐらせる余白がたっぷりと残されている。
その想像は楽しくもあるけれど、舞台上の情報から組み立て考えながら観るパフォーマンスなところは、わたしの中で落語を聞くときに通じる感覚。

小さなサインを取りこぼすとついていけないから、かなり全身を研ぎ澄ませて観ている。

 

役者はしゃべらず、音楽が雄弁に語るところは文楽っぽくもある。


今回はクラリネットアコーディオン、バイオリン、コントラバスの生音で、贅沢だった。子どもウエルカムの日だったけど、みんな集中して観てたなぁ。

 

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現在は活動されていない模様。きっと人生、いろいろ、ありますよね。

www.cava-mime.com

 


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展示『明治のたばこ王 村井吉兵衛』@たばこと塩の博物館 鑑賞記録

たばこと塩の博物館で開催の『明治のたばこ王 村井吉兵衛』展に行ってきた。

www.tabashio.jp

 

たばこと塩の博物館(通称:たば塩)には、渋谷の公園通りにあった時代に一度行ったことがある。細かいことは忘れたが、たばこ用品やラベルなどの収蔵品の膨大さと美しさに圧倒された記憶がある。当時の様子は、美術ブロガー・青い日記帳さんによる移転前の最後の企画展のレポートが詳しい。

 

2015年に墨田区に移転した後、行きたいと思いつつも、ずっとタイミングを逸していたが、今回の企画展示は、「明治」というキーワードがヒットしたので出かけることにした。

樋口一葉記念館を訪れたあたりから(この記事をどうぞ)、加速度的に明治に関心が向いている今日この頃。

今の日常は、明治の近代化がルーツになっているものが多い。日本という国の大きな節目に起こったことを分野横断的に探究することで、疫病や災害によって揺れる今の時代をどうにか生きるヒントがつかめるのではないかとわたしは考えており、それを日々、ミュージアムやライブラリー、シアターを訪ね歩き、鑑賞し、記録している。

今の目で過去を見つめ、そして視点を過去において今を見てみる。
それら二方向への眼差しを向けながら、さらにここから先の未来を見据える。
私個人として感じ、考え、想像しながら一歩踏み出す。
誰かと共に踏み出す。

そのような同時代の人間の営みのためにミュージアムは存在している。

活用しがいのある学びの宝庫。

 

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今回の鑑賞で印象に残ったこと、新たに知ったことをまとめた。

●たばこで串刺す歴史

常々、歴史とは人・物・事・地で串刺してみると、その度ごとに見え方が変わると思っているが、今回のように「たばこ」で日本の歴史を串刺してみるのは新鮮でおもしろかった。たば塩以外の誰も、たばこの歴史を知らせようと教育普及活動をしている者がいないということも大きい(とはさすがに言い過ぎだろうか)。

 

 

JTとこの博物館の成り立ち

現在、日本でたばこの製造販売を担っているのは、JT日本たばこ産業株式会社)財務省所管の特殊会社。1985年の民営化で日本専売公社のたばこ事業を引き継いで設立された。

日本専売公社とは、1949年に発足した特殊法人で、戦後GHQからの要請で、それまで大蔵省専売局が行ってきた、たばこ、塩、樟脳の専売業務を引き継いだ。

大蔵省専売局>>日本専売公社>>日本たばこ産業株式会社 の流れ。

専売制とは、特定物資の生産、流通、販売を独占して、国家などが利益をはかる仕組み。日本では江戸時代の初期から存在していた。

今回の展示は、たばこが政府の専売制となる前に、一代で財を成し、その後歴史の間に消えていった実業家、村井吉兵衛の物語。

 

たばこと塩の博物館は、JTが運営するミュージアムで、大蔵省専売局時代からの所蔵資料を持つ。

たばこと塩に関する資料の収集、調査・研究を行い、その歴史と文化を常設展示を通して紹介している。また、特別展はたばこと塩以外にも幅広い文化の紹介を行っている。

常設展だけでも見応えがあるが、特別展の視点のおもしろさと切り込み方の深さは独特。たとえば現在開催中の「ミティラー美術館コレクション展 インド コスモロジーアート 自然と共生の世界」などは、たば塩でしかやらないような目の付け所が魅力的。


今回の特別展は、「たばこ」そのものの歴史にガッツリと切り込んだ、言ってみればたば塩としての研究成果の披露。これだけの充実した内容で、常設展と合わせて入館料が100円なのは、企業運営のミュージアムとはいえ、ほんとうに驚き。

 

 

 ●知られざる実業家、村井吉兵衛

村井吉兵衛(1864-1926)は、たばこが専売制になる1904年(明治37)以前に国内最大手だったたばこ業者です。京都のたばこ商の家に生まれた吉兵衛は、将来有望と見込んだ人物を引き入れて「村井兄弟商会」を設立し、アメリカの技術を学んでシガレット(紙巻きたばこ)の製造に乗り出します。

1891年(明治24)に「サンライス」、1894年(明治27)には「ヒーロー」を発売し、同じく大手たばこ業者だった岩谷松平や千葉松兵衛と「明治たばこ宣伝合戦」を繰り広げました。さらに1899年(明治32)には葉たばこ産地のアメリカで勢力を増していたアメリカン・タバコ社と資本提携を結ぶなど、その斬新で大胆な経営は日本の産業界に大きな影響を与えました。

たばこ専売制の施行によってたばこ業から撤退した後は、銀行を足がかりに鉱業や農場経営など様々な事業に着手し、政財界に幅広い人脈を築きました。当時の実業界では、渋沢栄一岩崎弥太郎に匹敵する人物として評価されていましたが、今日ではその名を知る人は多くない“隠れた偉人”といえます。

本展は6つの章とエピローグで構成します。たばこパッケージや看板・ポスターなどの多彩な館蔵資料から、村井兄弟商会を中心とした明治のたばこ産業について紹介するとともに、文書や写真などから吉兵衛が興した事業や一族の足跡をたどります。約150点の資料を通して、近代たばこ産業を創った実業家・村井吉兵衛の人物と業績を紹介します。(たばこと塩の博物館HPより)


村井吉兵衛は、たばこ以外にも様々な事業を手がけて日本の産業や経済を発展させ、海外との取引も業界ではいち早く乗り出した人物なのだが、一般的に名はあまり知られていないと思う。少なくともわたしは全く知らなかった。

同じ実業家でも、渋沢栄一でも岩崎彌太郎などの超ビッグネームとはまた違うポジションに置かれているのは、名前や業態が変わって過去の偉業の痕跡がわからなくなっているからなのだろうか。あるいは、名を上げたのがたばこだから、なんとなく忌避されているのだろうか。

いずれにしても、これほど大々的に、たばこという切り口から村井吉兵衛に光を当てられる者は、繰り返しになるが、たば塩しかいないという気がする。

村井吉兵衛ゆかりの有名なものといえば、モダン建築。その存在は知っていたけれど、来歴は初めて知った。

長楽館 https://www.chourakukan.co.jp/chourakukan

旧村井銀行祇園支店 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/113777/1

村井銀行七条支店 https://kyo-kindai-archi.hatenablog.com/entry/2019/02/09/153000

村井ビルディング https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2013/08/55.html

 

 

 ●村井吉兵衛の人物像

吉兵衛はもともとたばこを商う家の出だったが、小商で終わりたくないという野心があり、会社を設立した。自分が見込んだ人物をつぎつぎと妻の妹たちの婿養子にし、村井家の一員にして連帯を強めていくなど、戦略的に拡大していった。

村井吉兵衛は研究熱心だった。洋書などから独学でたばこの製造法を会得したり、英語の銘柄で売り出したり、もっと質のよいたばこを求めてシカゴ万博に視察に行って製造機械の購入契約と、アメリカ産のたばこ葉の買い付けもしている。清国(当時の中国)や韓国向けにも販売量を伸ばしていく。(この野心と先見性よ!)

もう一人のたばこ王で、ライバルの岩谷松平(岩谷商会)との広告合戦でもそうだが、とにかく競合他者がやらないことを先んじて仕掛けていったのが村井。同じたばこ業界だけを見ているのではなく、他の業界、他の国など、視野を広くとっていることが見て取れる。
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t20/index.html

実際にパッケージ一つとっても、デザインが洗練されている。ライバル会社のパッケージも、今見るとそれはそれで味わい深いけれど、明治に入って「浮世絵ってもうダサいよね」という雰囲気の中で、感性を先取りしたデザインは、人々の目を引いたことだろうと思う。デザインだけでなく品質にもこだわっていたそう。

たばこ業界において最先端のモードを作り出して行った手腕は、当時のたばこ業界においてはやはり別格だったではないかと想像する。

「列強に追いつき、対等になり、さらに追い越そうとした」を一代で成そうとしていたのか。たばこ事業から撤退した後も、銀行、農林、鉱業(石油・石炭)、物流、紡績など幅広く事業を手掛けた村井に、いったいどういうビジョンがあったのか。

また、外国の異なる人種、言語、文化、風習の違いの中で、どんな驚きや悔しさや喜びがあったのか。アメリカン・タバコとのやり取りの中では、15年間の利子無配当というえげつないこともされたようだ。

自伝や日記の類は残っていないそうで(手紙ぐらいはありそうなものだけど)、もともとなかったのか、遺族が提出していないのか、散逸したのかは不明だが、ふと村井自身の言葉を聞いてみたくなった。

 

 

●たばこの専売制から見る、日清戦争から日露戦争のあいだに起こったこと

自由に製造販売していたたばこが、なぜ1904年に政府が独占的に行う専売制(葉煙草専売法)となったのか?

ここの流れが少々複雑で、会場では文書だけが展示されていて、全く流れがつかめなかったが、図録を読んで少しずつ理解した。

理由は二つ。一つは、日清戦争後、軍備拡張のための税源を確保するため。もう一つは、村井兄弟商会がアメリカン・タバコと資本提携しているために、日本のたばこ市場が海外資本に侵食されるのを防ぐため。

背景には、専売法が施行される前の1902年、

アメリカン・タバコ社とイギリスのインペリアル・タバコ社が手を結び、巨大なトラスト、ブリティシュ・アンド・アメリカン・タバコ社(B.A.T.社)が成立し、村井兄弟商会の株もB.A.T.社が保有することとなりました。(図録p.61)」

これが脅威としてあったようだ。(ブリティッシュ・アメリカン・タバコは現在もあるたばこ企業で、世界シェア2位、KENT, KOOL, LUCKY STRIKEなどのブランドを持つ)

 

村井のライバルである岩谷商会の岩谷松平は、当初は専売制度に反対していたが、政府から施行後のたばこ業者への補償(交付金)措置が示されたことで一転、専売施行を認める立場に。ただし、その補償額の産出基準が村井兄弟商会に有利だと批判して、衆議院で修正案を可決させた。外資 VS 国産 の構図。

しかしこの規程は、村井兄弟商会の株を保有する英米の資本家の批判を浴びて、外交問題に発展。(このときの外務大臣小村寿太郎

交付金と原料、機械、土地建物などの資産買い上げに加え、B.A.T.社 はのれん代(goodwill)も請求。アメリ国務長官を巻き込んで申し立てを行った。

「日本政府は当初こうした批判や要求に対し安易に譲歩しなかったが、日本の国際評価が下がり、日露戦争のための公債募集に支障を来す危険が生じたため、最終的には大幅に妥協することとなった。交付金は規程どおり売上の2割としたが、東洋印刷会社の工場などを買い上げ、多額の上乗せを行うことで対応した。(図録p.67)」

この時期、日露戦争の戦費調達のため、ニューヨークやロンドンで公債募集に奔走していたのは、日本銀行副総裁の高橋是清。ついこの間まで鎖国していたような東洋の小国が、ロシア帝国に向かって仕掛ける戦争などだれも期待せず、日本の国債を買う人などおらず苦戦していたところ、アメリカ金融界の重鎮、ジェイコブ・シフ(ユダヤ投資銀行クーン・ロープ商会 頭取)から応募の約束を取り付けた。「シフの意図としては、日本が戦勝すればロシアのユダヤ人迫害が緩和すると見込んだ」というようなことが『高橋是清自伝』で回顧している。

この決断を聞いたアメリカン・タバコ社の社長が、シフを訪ね、「専売制導入における補償の見直しを交わし続けるような日本政府の公債募集に、シフが応じた」ことを非難した。シフはこれを受けて、「日本政府は然るべき説明をすべき」と高橋是清に伝えたという記録がある。この後高橋から政府筋に連絡が行き、たばこに関する交渉は妥協の方向へ進んでいったと思われる。

戦費の方も無事に獲得でき、かくして日本政府は調達した資金で軍艦を購入し、東郷平八郎率いる日本艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、1905年日露戦争で勝利した。

ジェイコブ・シフと日露戦争に関する論文(『ジェイコブ・H・シフと日露戦争アメリカのユダヤ人銀行家はなぜ日本を助けたか― 二 村 宮 國』帝京文化研究第19号)
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/mnimura19.pdf(PDF)

専売の時代(戦前)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t21/index.html

 

なんとこんな流れがあったとは。

戦争費用を公債によって調達していたことも知らなかったが、日清戦争日露戦争のあいだにこんなごたごたがあり、そこにたばこが関係していることなど全く知らなかった。

ただの名称や起こった順番としてしか把握していなかった年表上の史実が、たばこという虫眼鏡で観察したことで、誰かの意図や行動でできていることを確認できた。しかもその誰かというのは、自分と同じ人間である。

史実と史実の間に文脈が生まれる瞬間はおもしろい。それを取り持つものが、人や物。おもしろい!

 

 

●「成功」ブーム

日清戦争後に「成功」という言葉がブームになったという展示も興味深かった。

実業之日本社(現在も営業中)が1902年(明治35年)に刊行したA.カーネギー『実業の帝国』(原題:The Empire of Business)が、「成功の秘訣を説く」という売り込みでヒットしたことがきっかけと言われている。

同社は、雑誌『実業之日本』や書籍で、実業家の成功譚を紹介することで部数を伸ばし、たばこ業界のトップに君臨した村井吉兵衛もよく取り上げられていたという。今で言う、ビジネス書、ビジネス雑誌のはしりといったところか。

「ビジネス書」で歴史を串刺したら、これが一番最初に出てくるのだろうか。それとも日本で一番古いビジネス書はもっと前の時代にあるのだろうか。「成功」という言葉もこれが一番古いのだろうか。

いずれにしても「成功」という言葉がこの時代にブームになったということ。やはり「男社会」の用語として誕生したのか。なんだか納得。

 

 

 

●印刷、パッケージデザイン、広告の発展

「岩谷 VS 村井 〜20世紀広告紙の幕開けを飾った宣伝合戦」と題したパートでは、岩谷商会と村井兄弟商会の工夫を凝らした宣伝を繰り広げた様子が展示されていた。

馬車を連ねた音楽隊のパレードで練り歩いたり、人気歌舞伎俳優をイメージキャラクターに据えて販促グッズを作ったり、馬が山車を引く「宣伝カー」で練り歩いたり、配送用リヤカーをラッピングしたり、店構えそのものを広告として使ったり、サーチライト付きの広告塔を作ったりと、現在も街中で見ることができる広告の手法が多い。

村井は1899年(明治32年)に自社製品のパッケージ印刷のために、アメリカの印刷会社と提携して、京都に東洋印刷株式会社を設立。

岩谷も1900年(明治33年)(やはり岩谷はいつも後手......)凸版印刷合資会社(現・凸版印刷株式会社)の設立を支援。それぞれ違う印刷技法を採り入れ、発展させた。

たばこが広告や印刷の技術や手法を発展させてきた。もちろんたばこだけではなく、同時代に発展していた、酒、薬品の他、化粧品などの日用品も開拓してきたと想像する。

このあたり、わたしが高校生の時に好きだった天野祐吉の本『嘘八百! 広告ノ神髄トハ何ゾヤ? 』を思い出す。

印刷や広告に関するミュージアムにも何かヒントがありそうだ。

印刷博物館 https://www.printing-museum.org/
アドミュージアム東京 https://www.admt.jp/

 

●人とたばこの歴史(常設展示より)

・そもそもたばことはどういう植物なのか?
ナス科タバコ属。栽培種としては2種。その名もニコチアナ・タバカムとニコチアナ・ルスチカ。ちょっと冗談みたいな名前。発祥は南アメリカアンデス山中。嗜好品として、神々に捧げる聖なる植物として用いられていた。メキシコ・マヤ文明の遺跡の中にはたばこを吸う神の彫刻がある。神のいる天井界と人間のいる地上界をつなぐ聖なる供物として、呪術的に使われていたという学説がある。

たばこ文化のふるさと(たば塩HPより)https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t2/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t3/index.html

・たばこの広がり

15世紀末の大航海時代にヨーロッパ人が南米で発見して持ち帰り、広めていった。その後世界中へ。薬としてのたばこの効用がスペインの医師によって発表されたことで、薬用植物として注目された。

たばこの伝播(たば塩HPより)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t4/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t5/index.html

・たばこ用品
木、陶磁器、鉱石、ガラス、金属など、いろんな材質でパイプが作られ、パイプレスト、たばこジャーなど周辺機器も。嗅ぎたばこ、葉巻、水たばこ、キセルなど、凝った装飾のたばこ用品が作られていった。中国の鼻煙壺なんて香水瓶みたいで美しい。ここのコーナーはとにかく展示品が見目麗しい。たば塩が渋谷にあったころにあった所蔵品が引き続きこちらでも展示されている。

たばこ文化の広がり(たば塩HPより)https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t6/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t7/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t8/index.html

 

 

●日本への伝来、江戸時代のたばこ

16世紀後半に来航していた外国船から伝わったらしい。鉄砲やキリスト教が伝来していた頃。日本はたばこの葉を細かく刻み、きせるで喫煙するようになる。

「刻んだたばこを吸う例は他の地域にも見られますが、日本の刻みは髪の毛ほどの細さで、世界に類がありません」(常設展示の図録より)

江戸時代は鎖国していたので、日本のたばこ文化は独特な発展を遂げたということらしい。

当初、喫煙は風紀の乱れや失火を理由に禁じられたこともあったようだが、次第に容認されるようになり、17世紀前半には喫煙は日本中(蝦夷以外)に広がった。琉球でも生産があった。土地ごとに異なる気候や土壌の質の影響で、特色が出てきたため、その産地名で呼ばれていた。

・たばこの他に伝わったもの

南蛮人」との交流で伝わったものは他に、皮革、せっけん、めがね、ボタン、時計、カッパ、カルタ、パン、南瓜、とうもろこし、さつまいも、じゃがいもなど。

・江戸のたばこ文化

煙管(きせる)、根付、たばこ盆、たばこ入れ。それぞれの専門職人、専門店も生まれる。(昨年の東京国立博物館のきもの展を思い出すと、この頃の町人たちの凝り性、「粋」の発見など時代の空気を思い出す)

江戸のたばこ文化(たば塩のHPより)ここから数ページ続くhttps://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t9/index.html 

 

たばこやたばこ用品だけに注目してみると、時代劇、落語、浮世絵などの「江戸時代のフィクション」の世界の小道具としてではなく、人々が暮らしの中で使ってきた日用品、実在する物としてぐっと身近になってくる。

今の自分で言えば、財布、スマホタブレット、筆箱、化粧ポーチ、マスクのようなものか。それぞれに作り手がいて、素材やTPOや流行りや好みや気分があると考えると、目の前のたばこ入れが、ただの古い物に見えないというか、生き生きと物として語りかけてくるように見える。またそれをどんなふうに、どういうシーンで使ったのかは、「フィクション」の世界に戻して、イメージを補うことができる。想像と実感とを行き来する。

またそれぞれに製造工程や販売ルート、使用方法があることが、当たり前だが、あらためて見てみるとおもしろい。

 

 

●明治のたばこ

開国と同時に外国からシガレットや葉巻が入ってきて、喫煙文化が一大転換を起こす。マッチが入ってきたのもこの頃。マッチは日本からの輸出品としても多く製造された。

https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t17/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t18/index.html


1886年明治19年)には国内に5千人のたばこ製造業者があったらしい。非常に多く見えるが、手作業で刻みたばこの製造をしていた職人たちがそのままシガレットも製造するようになったからこの人数になっていると思われる。

この頃のシガレットは、ブランド名やパッケージはかなり和風。「本廣雲井」「赤」「第一玉椿」「牡丹」(千葉商店)、「鷹天狗」(岩井)など。そこへきて、村井吉兵衛が1891年(明治24年)に売り出したのが、「SUN-RISE(サンライス)」という横文字のハイカラなパッケージのたばこ。日常が一気に西洋化されていった日本の都市部でのインパクトは、さぞ強かっただろう。 

1894〜95年(明治27年〜28年)の日清戦争で軍の用命があり、シガレットの需要が伸びて、製造は工場で行われるようになる。

さらに村井はアメリカへ視察に行って、アメリカ産のたばこ葉を使ったたばこ「HERO(ヒーロー)」を発売して、名声を上げ、事業を拡大していく。

1899年(明治32年)にアメリカン・タバコ社と資本提携し、村井兄弟商会を設立。巨大な外国資本を背景に工場を機械化する。清国や韓国他、アジアにも進出。

https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t19/index.html
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t20/index.html

 

この後は先に挙げた専売制への移行へとつながる。

明治維新、シガレットの舶来、国内製造販売と海外進出、専売制までの移行期の渦中にいたのが村井吉兵衛ということだ。

たばこの歴史の流れの中で見る村井と、村井の側から見る日本の歴史。行ったり来たりしながら、この時代をつかんでいくのがおもしろかった。

戦後から専売制の廃止についてはこちら
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t22/index.html

 

 

●女性とたばこ産業

展示を見ていると「女性とたばこ産業」というテーマでも串は通ることに気づく。

まず、展示の最初の家系のところで立ち止まる。

吉兵衛の妻となる宇野子は、村井家の「縁女」だった。「縁女」という言葉を初めて知ったが、「将来自分の息子(通常は長男)の妻とするために、他家から来て養子縁組する少女」なのだそう。結婚を前提としている点で「養女」とは違うらしい。

事業拡大のために、自分の見込んだ男たちを妻の妹たちの婿養子にするというあたりにもモヤッとする。そもそも吉兵衛も本家から分家に婿養子に来ている立場。家父長制の時代は養子縁組は当たり前だったのか。女性が「本人の意思」を持てない時代の産物か。当時は普通にあったことなのだろうか。

調べてみないとわからないが、いずれにしても、今の時代から見るとのけぞる。いや、今の時代でも、商売や芸事やなんらかの伝統を「イエ」を守っている人にとっては当たり前なのかもしれない。わたしの知らない世界はたくさんある。

 

また、働き手としての女性の姿にも目が留まる。

「自宅工女500名、通勤工女500名」を募集するポスターも展示されていた。巻たばこの製造に携わっていた職工は、多くが女性だったようだ。女工と言えば紡績業の「女工哀史」。女性によって殖産興業は支えられていた。

吉兵衛の妻の宇野子は、たばこ工場の製造監督や工員の世話、東京支店との連絡などを担っていた。これは現代の言葉で言えば、マネジメント、アドミニストレーションなどの重要な仕事であるが、「共同運営者」とは表現されない。

女性の仕事は「職業」ではなく、「手伝い」「人手」という扱いなのだろうか。「誰かの娘」「誰かの妻」、そして歴史に名が残るのは男性......なのか?

『性差の日本史』展に行く前はなんとも思わなかったこのような展示も、女性の社会的立場の低さという点で考え込まずにいられない。

吉兵衛と宇野子の娘、久子は、『雛乃名残』という追懐録(日記)でこの頃の経験を綴っている。当時の女性たちにとっての文章(あるいは俳句や短歌)という表現手段の貴重さを思う。男の人たちが「列強に追いつき、追い越せ」を繰り広げていた時代、女の人たちは何を考え、何をしていたのか、もっと声を聴きたいと思う。

また、もっと隠れた存在として、これだけ男女の性役割が厳密で限定的な時代だったからこそ、男女二項ではないジェンダーについてもまた知りたくなる。

 

 

●たばこのパッケージと切手

常設展の一番最後のコーナーに、年代ごとのたばこのパッケージを見せる展示がある。

郵便切手が印刷やデザインの技術を促進したり、あるメッセージを込めて大衆に見せたり、対外的なアピールに使われてきたように、たばこもまた似たような機能を持っていることを受け取った。また非常にその時々の時代を映すものとして、貴重な記録だとも感じた。

 

 

現代社会とたばこ

おもしろいなぁと思いながらも、うっすらと張り付いていたのは、たばこに関する展示を観ることに、自分がどういう態度でいればいいかわからない、という戸惑いだった。

人体に害を与えるものとしてエビデンスも出ていて、公共の場から次第に見えなくなっていっているたばこが、このミュージアムでは全面的に押し出されていることには、どうしても奇妙な感覚を抱く。

今やどれほどの衰退産業になっているだろうと思って、一般社団法人日本たばこ協会の発行する「たばこの年度別販売実績(数量・代金)推移一覧」を見てみたら、

1990年 3,220億本 35,951億円
2019年  1,181億本  28,063億円

大幅な縮小傾向とはいえ、まだまだ一大産業。2020年の売上は、コロナ禍の影響で、たばこの身体への影響が指摘され、さらに減少したかもしれない。

喫煙する公共の場所はどんどん減ってきたが、それでもまだ一部の人の嗜好として残っているのだろう。吸っている人もいるし、たばこ農家を生業にしている人もいる。

あるところにはある。

たばこのできるまで(たば塩HPより)
https://www.tabashio.jp/collection/tobacco/t25/index.html

 

 

●たばことたば塩への戸惑い

たばこを嗜好してきた文化は、人間の創造性をかきたて、美しいものも数多く生んでいる。それを観るのは楽しい。過去の歴史を紐解くことで、その時代を生きる人を知る手がかりになる。今の時代との比較から多くの発見がある。文化のルーツを知るのは楽しい。

しかし、教育的文脈からは、あえて学ぼうと奨励されることが少ない対象ではある。たばこを製造販売している側のミュージアムなので、もちろんたばこの害の話など、展示からはほぼ出てこない。

いやでも「こんなにおもしろいのにな、こんなに熱心に収集・展示されていて楽しいから見てもらいたいなぁ」という気持ちと、「でもこれってなぁ」という戸惑いとがないまぜになる。微妙な立ち位置なんだよな、たばこ。かといって「白黒はっきりしたらいいじゃん、たばこなんか製造も販売も終わらせてしまえばいい」ともわたしは言えない。

展示が現代に近づいてくるにつれて、「これから人間はたばこをどう扱っていくのだろうか」と疑問が湧いた。

 

 

●塩、塩、塩

最後に観たのが常設展の塩。ここにたどり着くまでにものすごいインプットだったので、へとへとだったが、ここもまたおもしろかった。

ポーランドヴィエリチカの世界遺産、聖キンガ礼拝堂の紹介コーナー。地下の岩塩の採掘場に作られていて、像も床も天井も岩塩でできている!
https://www.shiotokurashi.com/world/europe/1014

・塩は世界中で採れる。岩塩、塩湖、海塩。日本には岩塩や塩湖はなく、海水から作る。

・かつての「揚げ浜式塩田」はキツイ仕事だったが、科学技術の発達した現在は、イオン交換膜製塩法が標準。https://www.nihonkaisui.co.jp/small_customer/learning_salt/Japanese_salt

・日本の塩作りの文化のあるところには塩竈神社があり、人々に塩作りを教えた神、塩土老翁(シオツチノジ)神が祀られている。宮城県塩釜市の鹽竈(しおがま)神社が有名。http://www.shiogamajinja.jp/index.html
(たしか昨年末の生活工房でのしめかざり展でこの鹽竈神社のしめかざりのことが展示されていたように思う)

鹽竈神社は能『融』でも出てきた)

 

 

いろんなテーマが凝縮されている、ほんとうに充実の展示だった。

物量がすごいので、ゆっくりと時間をとってお出かけいただきたい。

 

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展示『電線絵画展-小林清親から山口晃まで-』展 @練馬区立美術館

練馬区立美術館で開催の『電線絵画展-小林清親から山口晃まで-』展に行ってきた。こちらは、昨年の津田青楓展以来。

www.neribun.or.jp

 

はじめにこの展覧会の宣伝を観たときは、おおおー「電線絵画」!
そんなジャンルを見出しちゃったのかーー!とニヤニヤしてしまった。

これを企画した学芸員さんは、相当おもしろい人だろうなぁ。

しかも「小林清親から山口晃まで」というサブタイトルもいい。どちらも好きな画家、作家。ポスタービジュアルもいい。富士山に電信柱と電線。いやーそんな絵画があったんだ!「富士には電信柱もよく似合ふ」のキャッチコピーも最高。

題字のデザインもいい。

 

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いやーこの展覧会、想像以上に、よかった!

普段美術館に行かない人にも全力でお勧めしたい!!

実際、普段美術館であまり見ない感じの人が多かったので、もしや電線や電信柱を愛好する方々なのかもしれない。(わくわく!)ケータイの着信音を鳴らす人が続出だったのも、いつも来ない層の人が来ている、という感じがした。

 

なにがいいって、
・電信や電気事業の起こりと発展(電気通信史)

・東京のまちの変遷(東京史)

・明治〜現代の、画家、版画家、美術家の紹介(美術史)

の3つのラインが、電線の交錯の如く縦横無尽に行き交っているような体験ができることが大きい。いっぺんにすごくいろんなことが知れてお得。電線で歴史を串刺してみたら、いろんなことが見えてきた!という感じ。

 

 

会場に入るとまずは、用語の確認から。

架空線:空中に張り渡した線(絵空事の意味の「架空」ではない!)

電線:電気のための架空線
電柱:電気のための支柱

電信線:電信のための架空線
電信柱:電信のための支柱

架線:電車に電力を供給するための架空線

ここですでに「へえええ!」となる。こういう違いがあったんだ。さらに、一般的な電柱は、10m、12m、14m、16mがあって、その1/6が地中に埋まっているとか、知らなかった。

「じゃあ電信線や電線っていつからあるの?」と思ったら、すかさず隣には「電線年表 -草創期の東京の電信・電気・電車事情」が!これは保存版である!

1854年にペリーが持ってきた電信機による実験が横浜で行われたというのが、日本における電信線のはじまり。1871年明治4年)に東京ー長崎の電信線の建設がはじまる。同じ年に郵便制度がはじまる。ここから電信と郵便はセットで発展していく。同年に、長崎ー上海で海底電信線がデンマーク企業によって敷設されたというのにも驚く。こんなに早い時期に?!

電気を送る電線は1887年(明治20年)と少し遅れてはじまる。なるほどー!

先日、鷗外記念館で抱いた問い「明治から大正の郵便や通信ってどんなだったんだろう?」にまた少し近づいた!やはりここから郵政博物館電気の史料館に行くとよいかも!またいろんなことがわかるかも!しかも郵政博物館は4月20日から『郵便創業150 年記念企画展 日本郵便の誕生』という企画展がはじまる。タイムリーすぎてすごい!

......と、もうこの時点でわくわくが止まらない。

 

以下はわたし用の記録。

小林清親の作品が15点ほど。どれもよいが、『帝国議事堂炎上之図』は、清親のルポルタージュ性が出ていてよい。まだ纏(まとい)を持って屋根に登っている時代。明治に移って変わっていくまちの風俗の記録として貴重。清親の写生帖もいい。水彩スケッチの透明感。やっぱりもっと清親の作品が見たくて、以前手放した『小林清親 文明開化の光と影』展図録をネットオークションでもう一度購入した。(あ、今気づいたけれど、これも練馬区立美術館の展覧会だ!)

高橋由一の『山形市街図』に描かれているのは、明治14年〜15年の山形の県庁あたりの近代建築の立ち並ぶ様子。明治11年イザベラ・バードが山形に来たときに、こういう風景を見ていたのかも。また、もう明治なのに、旅装束は江戸のままという人の姿も、先日読んだコミック『ふしぎの国のバード』とつながる。

河鍋暁斎山岡鉄舟の『電信柱』が斬新!

岸田劉生の『切通之写生』(東京国立近代美術館所蔵)にきょうだいの絵があった!別の場所、別の角度から観た切通し。しかも2枚も展示されている。これはおもしろい。へえ、ここってこういう場所だったんだ。しかも電信柱が重要な登場人物になっているとは思いもしなかった。

明治42年日本橋が石造りに架け替えになり、大規模工事がはじまる。明治44年には東京市の人工が200万人になる。市電の架線と電線が行き交うのが「電化したモダン都市東京」の象徴。どの作品からも、まちの賑わいや、近代化、発展の熱狂と誇らしさが伝わってくる。同時にこの電線絵画という企画、串刺し方は、東京でやるから意味があるし、観客もおもしろいと思える展示なのだろうな、と気づく。自分がその延長上にあることが実感できるから。

・ふと思い出したけれど、ベトナムのまちは電線がすごい。交差しているなんてものではなくて、絡まって団子みたいになっている。ちゃんと電気通ってるのかな?「ホーチミン 電線」で画像検索すると出てきます。

川瀬巴水が電線を景色に違和感なく溶け込ませたのに対して、吉田博は電線も電柱も一切描かない。吉田の美学を感じる。川瀬の作品を観ていると、東京の市中を描いているものが多いので、電線や電柱のある風景も込みで愛していたのかもしれない。『東京十二題 木場の夕暮』は、材木が浮かぶ川にの水面に電線が移って揺れている様が美しい。これ、今年10-12月のSOMPO美術館での川瀬巴水展でも観られるといいなぁ。

・藤牧義夫の『隅田川両岸画巻 第二巻』、現代の作家の作品かと思うほど、モダン!全部展開して観てみたい。キャプションには「完成後に失踪」とある。ミステリアス。

・福田豊四郎の『スンゲパタニに於ける軍通信隊の活躍』、戦争画にも電信線が見られるということと、戦争のまた一つの側面、通信を担う部隊があったという二つの発見。「そもそも明治政府が電信網の整備を進めたのは、軍事・治安維持を第一に考えていたから」とのキャプションに驚く。経済や生活ではなかった。はじまりは西南戦争対策のため、東京ー長崎と九州内の整備が進んだとのこと。この展覧会、こんなことまで教えてくれてほんとうにすごい。

・かつての東京の西の郊外を描いた作品もある。板橋、落合、練馬、高田馬場のあたり。農地や原野だったところが次第に開拓されていく。まさに今展覧会を観ているこの練馬美術館のあたりも、以前はのんびりとした農地や牧場だったりしたのかと思うと、タイムスリップのようでおもしろい。

・「ミスター電線風景」と名付けられた朝井閑右衛門と木村荘八のコーナーもよかった。朝井の電線は生き物のようにうごめいている。木村の『東京繁昌記』おもしろい。観察眼の発揮の仕方は、エッセイストというより在野の研究者やデザイナーの仕事に近い。明治と昭和の20歳の女性の体型や身長の比較とか。本読んでみたくなった。関東大震災前は建物より電信柱のほうが高いが、震災後は高い建物が多く建っているので電信柱が低く見える。今後、"電柱絵画"を見るのに役に立ちそう。

・碍子のコーナー。愛好者にはたまらない展示。碍子(がいし)が美術館に展示されているなんて、みたことがない。碍子とは、絶縁しながら、電線を電柱に固定する部品のこと。ガラスケースに陳列されている様は、工芸品のようで美しい。でも名称は「55kV用ピンがいし」!碍子をモチーフにした日本画があるなんて!

デンセンマンの電線音頭!!!これが今回の展示で一番衝撃だったかも。探したらYoutubeにありました。1976年(昭和51年)発売。ここのキャプションは学芸員さんの愛がダダ漏れでイイ!

youtu.be

・現代美術のコーナーへ。山口晃の漫画の生原稿。食い入るように読んでしまった。1話だけネットで読める。http://www.moae.jp/comic/shuto/1

単に電柱萌えという内容ではなくて、どきっとする核心をついたやり取りも混ぜ込まれている。『趣都』の連載は今止まっているようだけど、コミック化されたら読みたいなぁ!

 

はぁ、楽しかった。他にも書ききれないほどたくさんの「へええ!」があり、一人で行ったけど楽しくて大満足!

 

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美術館を出たら、案の定、電線や電柱に目が行く!いつもはじゃまだなとか、全部地下に埋められないのかしらと思っていたけれど、あんな時代、こんな時代を経てきたのかと思うと、けっこう味わい深い、かも。写真や映画を観ていて、「あれ、これどこの国?」と思ったときに、電線が見えることで、「あ、日本だな」とわかるのも、まぁ悪くないかもと思ったり。

 しかも、わたしも電線を入れた写真をしょっちゅう撮っているのだ。思いついてコラージュしてみたら、これイイ感じ、よね?

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展覧会図録。美術館以外でも販売もしている。

練馬美術館の本展担当の学芸員さんと電気の史料館学芸員さんの寄稿がやはり読み応えがある。読めてよかった。監視員の人にうかがったら、この企画を10年温めてらっしゃったそう。アツいなぁ!!

 

おまけ。電信柱と絵と聞いて思い出すのはこの本。ちょっと怖い。

 

 

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展示『小村雪岱スタイル -江戸の粋から東京モダンへ』展 鑑賞記録 @三井記念美術館

小村雪岱の展示が同時期に開催という恵まれた時期に、まずは日比谷図書文化館の展示を観た。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

その後、三井記念美術館の展示を観に行った。こちらは2019年の素朴絵展以来。

bijutsutecho.com

 

日比谷のほうは、図書館での展示ということで、本や新聞、雑誌、広告など、出版やメディアにまつわる仕事にフォーカスした展示だった。

こちらの三井記念美術館のほうは、肉筆画、装幀本、木版画、挿絵、舞台美術などの全画業を網羅的に訪ねる展示となっている。

それにしても、同じ作家の展覧会を同時期に観られるのは、どちらかが問いになりどちらかが回答になっていて補完しあえるので、ほんとうにラッキーなことだ。

 

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まずは1914年に発刊された泉鏡花の『日本橋』の紹介から。鏡花40歳、雪岱27歳。13歳差。確か夏目漱石と津田青楓も13歳差ではなかったか。同じような時期に、二組の作家と装幀家の出会いがあったのは、偶然なのかそうでないのか。興味深い。

今回の展示品は、清水三年坂美術館からがほとんど。館長の村田理如の雪岱作品への愛着については、2010年の展覧会についてのレビューが参考になる。

「小村雪岱の世界」 | 青い日記帳

 

日比谷の展示では、装幀家や挿絵家としての誇りのようなものを感じていたが、こちらの展示を見ると、画家としての雪岱の姿が見えてくる。写生や模写などもここで初めて観た。法隆寺金堂壁画の模写は、消失したり破損したりしているので、記録としても貴重ではないだろうか。

日比谷で新聞や雑誌の挿絵原画を観ていて、こんな細い線、一体どんな画材で描いているんだろう?と疑問を持っていたが、こちらで解決した!

紙は、日本橋の榛原(https://www.haibara.co.jp/)特製の薄い美濃紙。
筆は、得應軒(https://www.tokuouken.co.jp/)のイタチの細い毛でできた面相筆。

それぞれのお店はまだ現役営業中というところもすごい!

 

小村雪岱自身が手掛けた版画は3点のみで、今観られる版画作品のほとんどは、雪岱の没後、戦災で失われないようにと、弟子の山本武夫を中心に1941年〜1943年にが肉筆画を版画化したのだそう。浮世絵といえば各所で名前が挙がってくる、アダチ版画研究所が関わっている。

 

肉筆画もよかったのだが、今回わたしは舞台美術の下絵の展示が印象に残った。

遠近感やパースの取り方の正確さが舞台で生きている。新聞の挿絵で鍛えられた映像的効果や、奥行きの出し方。人間の動作の分析や辻褄や考証も丁寧にされていたあの仕事から察するに、舞台という寸法が決まっていて、演目があって、見所を見所として見せる、制限のある中でのクリエイティビティの発揮は、雪岱にとって面白い仕事だったのではないだろうか。

舞台の上では、観ている時間は少なくともそれを「本当」として受け取る。元々の技術力の上に、さらに取材も重ねただろうし、実際に使われることで学んで鍛えられたのではないか。絵を描いて展示して見せることが画家の仕事だと思われていたとすると、もしかすると雪岱の仕事は、大衆的で職人的なように見えたかもしれない。

現代からすれば、アーティストというよりデザイナーという肩書きなのかもしれない。ある効果を与えるために技術や才能を使う。自分の表現を好きなように出すのではなく、何を依頼されているのか、それを見る人は誰なのか、どうだと喜ばれるのか。

原田治『ぼくの美術ノート』には、鏑木清方から画家としてまとまった仕事をしてみたらと言われて、にこやかにかわす雪岱のエピソードが載っている。

 

漱石の装幀を担当していた津田青楓の態度にも通じる。

大正三年七月から八月にかけて、青楓と小宮豊隆は読売新聞紙上で図案の革新について議論した。「小説家が小説を書く様に、畫家が畫を描く様に、音楽家が音楽を奏する様に」図案家の制作態度を希望する小宮に対し、青楓は、図案の流行や傾向を決める権利は図案家になく、消費者にあると諭す。図案界の革新を目指し、挫折し、画家となった青楓の言葉は重い。(『漱石山房の津田青楓』展図録p.17より)

 

挿絵の原画もスペースをかなり取って展示されている。日比谷で観ていたときにも気づいたが、画面からの絶妙の「見切れ」「チラリと見える」構図が余韻やドラマを生んでいる。このような見切れの開発も、舞台美術と相性がよかったのではないか。もし映画がこの時代にあれば、写真が一般的だったら、雪岱はどんな仕事をしたんだろう、と気になる。

 

雪岱といえば、やはりこちらの本が充実している。この値段でこの内容はすごい。何度でもおさらいできるのがうれしい。原田治の文章も載っている。(OSAMU GOODSの方です!)

 

 

ポストカードは迷いに迷ってこの二点。美しい。。

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クリアファイルコレクションに追加。

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ビル街に突如出現する河津桜

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別の場所では梅が見頃。雪岱の世界が、現代も続いている。

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NTLive『ハンサード』鑑賞記録

1月、NT Liveで『ハンサード』を観た。

自分への誕生日プレゼントに。「(笑)」と思っていたけど、観終わって「よくこれにしてくれた!!」と自分を抱きしめたい。よかった、すごくよかった!

ハンサード | ntlivejapan

Hansard | National Theatre

 

youtu.be

 

すごくよかった。なんてすごい作品!まさに今の日本の話でもある。わたしの話でもある。

・重いものが残る。それでもなお困難とも言えるし、希望とも言えるし。すごく心が動いた。わたしにはあの会話は「皮肉」ではなくて「魂の叫び」と終始聞こえていて、夫婦間のセラピーセッションの一部始終を見たようで、人間同士に起こるダイナミズムを感じた。

・冒頭にサッチャー政権下の1988年に起こったことの解説映像があるので、そこで概要はさらえるけど、やはり簡単に予習していってよかった。特に地方自治法28条の改訂について。第二次世界大戦、技術革新と産業構造の転換、女性参政権、宗教、差別感情、反米感情など、実に様々なことが絡み合っている。

・政治や歴史がとても関係ある。単なる「中年夫婦のクライシス」ではミスリード。イギリス現保守政権への強烈な批判だと思う。この中に散りばめられた政治的、社会課題的背景を知って、笑って、痛みを分かち合ってるっていう、観客の市民度の高さ、シチズンシップを感じて、日本との違いを感じた。

・日本で仮にこういうものを演劇としてやれるのか、やったとして客入るのか、怖くてできないなどもありそう?徐々に流れは変わってきているかもしれないけれど。『新聞記者』→『なぜ君』→『はりぼて』と映画のほうは流れがきているように感じる。まずはこれをかけてくれたNT Liveネットワークの劇場に感謝。

・Hansardとは、「議会議事録」の意で、これもまた何重にも含みがあってよいタイトルだった。

・当時の女性の社会的立場を想像すると、言いたいことが言えないまま何十年も過ごしてきて、直近の出来事をきっかけにして、今ようやく言えた、という妻の気持ちに強い共感があった。また一方で、わたしの近くの席にいた初老の男性が嗚咽していたのが印象深く、彼の人生を思った。

 

印象深いセリフが多かったので、友人のマネしてKindleスクリプトを購入して読んだ。

 

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関連記事(一緒に観に行った友人たちと調べあって集めた資料)

主役の俳優たちへのインタビュー。

youtu.be

 

脚本家と演出家へのインタビュー。

youtu.be

 

脚本家サイモン・ウッズについて。1980年生まれのこの方の背景と、Brexitを見据えての2019年に書かれた脚本。これを芝居にしたところがすごい。

Simon Woods - Wikipedia

 

庭と国家〜『ハンサード』(さえぼう先生のレビュー)

https://saebou.hatenablog.com/entry/2021/01/20/235038

 

鑑賞前に友人が送ってくれた記事。見る前に慌てて読んだ。小泉政権を彷彿とさせる。大きな影響を受けていたんでしょうね。
https://www.y-history.net/appendix/wh1701-045.html


立命館大学の方?の論文?わかりやすかった。http://www.ritsumei.ac.jp/~yamai/7KISEI/iwasaki.pdf


『「沈黙は死」と言われた時代 テレビの向こうに映る抗議活動に、静かな葛藤を抱いていた』
https://www.buzzfeed.com/jp/patrickstrudwick/30-years-ago-today-teachers-were-banned-from-mentioning-1


論文『イギリスニュー・ライトの同性愛教育政策批判についての一考察』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku1932/58/2/58_2_142/_article/-char/ja/

 


男だって、時には泣きたい─アメリカで話題の「マンカインド・プロジェクト」 
https://courrier.jp/news/archives/149434/?fbclid=IwAR00U22wnclVEPApzlKXGo9erfes9Px8XBggL5gJEsyQaxFc1BImq4bdCCI

 

ドキュメンタリー『マーガレット・サッチャー 鉄の女の素顔』
映画というより、BBCのドキュメンタリー番組といったつくり。「ハンサード」の冒頭の背景説明映像がより詳しくなっている感じ。 

サッチャー自身の夫婦関係を観ながら、頭の中で『ハンサード』の夫婦を反芻した。サッチャー、まさに時代の寵児だった。サッチャーは保守的で伝

統的な女性の性役割を引き受け、女性を武器にしながらのし上がっていった。『ハンサード』の中でヴァージニア・ウルフが言及されていることが理解できる。フォークランド紛争のこと、サッチャーの選挙の闘い方についても触れていて、流れがわかる。炭鉱労働者の労働組合の力を弱めて潰そうとしていたあたりも。「ハンサード」の中で「自分の周りに男性を据えて」といったセリフがあったが、閣僚との関係なども複数人の人のインタビューが取り混ぜられていて興味深い。

 

『ある協会』30ページ足らずの短編小説。ヴァージニア・ウルフの入門として最適。革新的で女性と男性の二項から開放された、対等で自由な存在を求めた。現在もフェミニズムに大きな影響を与えつづけている存在。『ハンサード』観賞後に読み返すと、この短編のエッセンスが含まれていたように見えてきた。前に読んだときはスルーしていたところが、ぐんぐん入ってくる。「議事録(ハンサード)」が、この短編でもキーになる言葉となっていて、鳥肌が立った。

etcbooks.co.jp

 

2018年に刊行された「近年のフェミニズムを語る上で外せない3冊」(個人的に)。

  

 

ダイアナ役のリンジー・ダンカンがサッチャーも演ってる!と友人が教えてくれた。しかもスコットランドの労働者階級に生まれた俳優さんとのこと。うわー。

youtu.be

 

40年を振り返る ロンドン・パンク再考 

https://www.japanjournals.com/feature/survivor/7939-160505-londonpunk.html

ふと思い出した。1970年代〜1980年代ってパンク・ロックの時代じゃないですか。 かれらの行動は反サッチャーでもあったんだ。セックス・ピストルズとか、ヴィヴィアン・ウエストウッドとか。ヴィヴィアンのドキュメンタリーを一昨年ぐらいに観たけど、よくわかっていなかった、何に「反」だったのか。やっと理解した。保守、"偉大なる英国"の締め付け、新自由主義、独裁への"反戦"だったのか。

 

イギリスの政治、社会、歴史。

 

 

本の学校教育で性の多様性ってどう教えているんだろうね?という話になり、友人が見つけて教えてくれた本。まだ読めていないけれど、気になる。

 

劇中でイアン・マキューアンへの言及あり。ちょうど日本で新刊が出たところだった。

 

ブラスバンドってイギリス発祥だったかな。映画『ブラス!』もう一回観てみようかな。炭鉱労働者と聞くと、サッチャーが起動するこの頃。

 

 

うわー、関心が止まらない......。蓋が開いた。ずっと謎だったことが解けたと同時に、新しく探究がはじまったという感じ。

個人的なことは政治的なこと。個人は個人で選択しながらも、大きな社会や時代に翻弄されながら生きている。そして翻弄するだけではなく、徹底的に追い詰めることもする。「政治が人を殺す」とは友人の弁。ああそれだ、まさしくそれ......。

 

『ハンサード』をきっかけに考え続けているいくつものテーマ。まだまだ途上だけれど、『ハンサード』後に観る近現代のイギリスに関する作品は、社会背景をいくらかおさえられた上で観ることができるというのも、大きなギフトだ。

作って届けてくれた方々、素晴らしい作品をありがとうございます!

一緒に探究してくれる学び仲間の皆様、ありがとうございます!

 

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展示『複製芸術家 小村雪岱〜装幀と挿絵に見る二つの精華』展 @日比谷図書文化館 鑑賞記録

日比谷図書文化館で開催の小村雪岱展に行ってきた。

www.library.chiyoda.tokyo.jp

 

「複製芸術家 小村雪岱」 | 青い日記帳 他、先に観た方々の声をSNS越しに見ていると、とても満足度高い様子。同時期に開催していた三井記念美術館の小村雪岱スタイル展と迷ったけれど、会期が先に終了するこちらを先に鑑賞することにした。

 

チラシや作品目録がもう豪華なんですが......!

美しい。白と黒が。フォントが、レイアウトが。

「ああ、今回の展示ってこういう美をシェアしてくださるんだな」という期待がぐわっと高まる。

 

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わたしがここに来るまでに小村雪岱とは二度「会って」いる。

1回目は金沢の鏡花記念館。鏡花本という美しい装幀で出版されていたことを知った。


2回目は世田谷文学館原田治「かわいい」の発見 展。金沢を訪れた後だったので、鏡花本『日本橋』が展示されていたことをよく覚えている。

展覧会で購入したエッセイ集にも小村雪岱に関する項が4つも収められている。これは個人的なエッセイというよりも、美術評論です。雪岱への愛が深い。原田さんの文章自体も美しいし、装幀もよい。函入りだけど堅苦しくなくて、赤青鉛筆みたいな、シャツみたいな気軽さ。贈り物にもいい。

 

本当に小村雪岱に惚れ込んでらっしゃったのだなぁとわかるお仕事が、共著で出版された小村雪岱の本。『ぼくの美術ノート』に載っている評論も収められている。これだけ網羅し、充実している雪岱に関する本は他にないのではないか。

この本についてのご本人のブログ。

osamuharada.hatenablog.com


『意匠の天才 小村雪岱』についての選書家・幅允孝氏の書評。

www.bookbang.jp

 

 

さて、展覧会のほう。すべて写真OKとのことで、夢中で撮りまくってしまった。
どうしてこんなに撮っていたんだっけ。たしか図録が売り切れていたのだったかな。

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・「挿絵は画家が片手間でする仕事」 と言われた時代に、挿絵家としての情熱と誇りを持って数多くの作品を生み出した人。画家、装幀家、図案家、舞台美術家としても多才ぶりを発揮。「鏡花本の人」のイメージが上書きされて、広がった。小村雪岱の愛好家が多いのも納得。

・その仕事ぶりをコレクションした監修者の真田幸治氏の推しぶり。新聞の切り抜きも同じ型、同じ体裁できれいに貼り付けられ、補完状態もよい。

真田氏の本。これはいいだろうなぁ......!とりあえず見てみたい。

・こんな細い線、一体どんな筆で描いているんだろう?版画ではなく、絵というところに驚く。

・美麗な本たち。見返しまでびっちりと美しい絵で満たされている。前の見返しと後ろの見返しで対になっていたりするのも美しい。元はもっと鮮やかだっただろう。人々のどよめきが聞こえそう。

・大きい判型の雑誌は、レイアウトも工夫を凝らしてあって、物語にニュアンスと躍動感を与えている。絵本のように楽しめる。

・余白の美しさ

・広重を彷彿とさせる雨の表現

・下絵は、例えて言うなら絵コンテ。そこから線を決めて描いてあるのがセル画。空間の使い方やカメラ位置があって、映像の人なんじゃないかと思う。これはやはり画家の仕事とは少し違う。

 

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大量の紙ものと美麗な挿画に包まれるひととき。とても満たされた。これから小村雪岱と聞いたら、この日観たものが即時に立ち上がるんだなぁと思うと、うれしい。

ワンフロアで、一見それほど時間をかけずに観られそうにも思ったけれど、一点一点の世界に引き込まれて、あっという間に時間が経っていた。

 

次の関心は橋口五葉。一時期は重宝されていたけれど、時代が変わってお声がかからなくなってしまったの?ちょっと切ない感じ?(勝手に想像)。鷗外記念館に行ったときも橋口五葉の名が出ていた。気にしていたら、近々またどこかで会えそう。

 

おまけ。原田治展に行ったときに友人と録ったポッドキャスト小村雪岱のことは何も話していないけれど、原田さんの美意識のことなど話したのでご紹介。

note.com

 

 

日比谷公園はまだ枯れ木も多かった。他の場所では梅が見頃。

 

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能楽堂でクロッキー会に参加してみた

先日、能楽堂クロッキーをしてきた。

能楽堂を舞台に、様々な芸術分野の専門家を招き、能と一緒に「何か」を体験していく「能&」という通年のイベント。

その第1回が「能&美術」で「能楽師を描いてみよう!」というテーマで行われたクロッキー会だった。

能楽師さんによる装束の着付けや演目『熊野(ゆや)』の解説を聞いた後、能楽堂に移動して舞台の上の能楽師を客席から4分程度で描いていく流れ。3つのポーズのあと、ムービング(舞っているところ)にもチャレンジした。

能楽の先生・武田伊佐さんも、クロッキーの先生・三木麻郁さんも、体験のために必要な、的確で最低限の解説をしてくださるので、するすると入ってくる。

 

わたしは絵はうまくない、全然自信はない。でも、描くのは好き。

1枚目、2枚目はちょっと人に見せられないぐらいの出来だったけれど、3枚目でようやく調子が出てきて、気にいったものが描けた。そう、この自分が気に入ったものが描けるのが大事なんだなぁ。

ムービングは難しかったけれど、やったことがなかったので、ただただ新鮮な体験だった。誰かと比べられる心配もないから(どれだけビビリ......)「まぁとにかくやってみましょう!」と放り出されるのも楽しめる。

 

先生の声かけを聴きながら、めいめいが自分の好きなように、自分にとって良きようにやるだけという、まるでヨガスタジオにいるような雰囲気がとてもよかった。取り切られた場で、ナビゲーションしてもらいながら集中できるのは気持ちがいい。こういう時間を時々持ちたいと思った。

能楽堂を貸し切りっていうのもすごかった。楽屋に入れるのもよかった。
 

『熊野』は、まだ観たことがない曲だけれど、いつか観るときがきたら、この日のクロッキーのことを必ず思い出すんだろう。どういうタイミングで、どういう経緯で自分が出会うのか、今からとても楽しみ。

 

 

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能楽師さんからクロッキーの先生への質問「他の舞台芸能者、たとえばバレエダンサーと能楽師では描く時にどんな違いがあるか?」、それに対する先生の答えが興味深かった。

「バレエダンサーは体の線で美を見せるけれど、能楽師は大きくて横に広がるような装束を身につけているので、体の線がまったく出ない。布を描いているという感じ」

 

なるほどそうか!

装束の色や動きがつくる形、シワの入り方、光の反射、引っ張られて引きつれている緊張、ふわっとしたりバサっとする質感......布がつくるものから心情を読み取ったり、風景を重ねていたのか。謡やお囃子、舞はもちろんだけれど、能楽師が身につけている装束もまた、単に美しいだけではなく、それらも能の演出に重要な役割を果たしていた。

 

別の芸術と掛け合わせることで、能を再発見していく試み「能&」。

これは意義深い!楽しい!ますますお能が好きになった。

 

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次回は「能&オペラ」ということで、オペラ歌手による舞台での演技体験会があるそう。楽しみ!

 

宝生流シテ方能楽師・武田伊佐さんhttp://www.hosho.or.jp/member/779/

ポルケアート(主宰・三木麻郁さん)https://porque-art.tumblr.com/

 

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展示『開館55周年記念特別展 川合玉堂―山﨑種二が愛した日本画の巨匠―』展 @山種美術館 鑑賞記録

山種美術館で開催の川合玉堂展に行ってきた。

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www.yamatane-museum.jp

 

山種美術館に来るのは、昨年の竹内栖鳳展以来。

 

先日、川端龍子記念館で疑問に思ったことがあって、その確認をしたくてやってきた。

館内の年表に「1952年(67歳)横山大観川合玉堂川端龍子の三人で展覧会を開催」とあったのを見て、日本美術院を離脱したけど、大観と引き続き交友はあったのねということと、川合玉堂さんて誰?と思ったので覚えていた。

展示『時代を描く 龍子作品におけるジャーナリズム』@大田区立龍子記念館 鑑賞記録 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

この件は、展示室の最後であっさり謎が解けた。タイムリーすぎてうれしい。

第三回の松竹梅展は、大観89歳、玉堂83歳、龍子72歳。おじいちゃんたちがいがみ合い、それを別のおじいちゃんが取り持つというのも、微笑ましい。

 

目的を果たせただけでなく、他にももちろん収穫があった。

 

まずは日本画の作家をまた新たに知れたことがうれしい。(とても有名な作家だと思うのですが、わたしはまだまだ知らないのです、ハイ。)

わたしは子どもの頃はもちろん、大人になってからもずっと日本以外の作家の作品が好きで、なんとなく日本画や日本の作家の版画は遠い存在というか、薄ぼんやりして地味というかパンチがないというか。あるいは高尚そうで近づけないとも感じていた。あるいは、「これが日本文化だぞ!」といういかにもなモチーフへの反発というのか。書いていてもう恥ずかしいけれど。

 

でもこの歳になって、じわじわと日本画の良さがわかってきた。

とにかく落ち着く。ホッとする。たぶん競技かるたを始めたことや、お能を観るようになったことも大きいと思う。自分の中に他の文化や歴史の文脈ができてきたから、自然に良さが受け取れるようになっている。

「何を描こうとしていたんだろう」と積極的に観に行ってみると、美しさ、カッコよさ、可愛らしさ、荘厳さ、壮麗さなどがどーんと胸に迫ってくる。緻密で繊細だったり大胆だったり適当だったりヘタウマだったり。

 

いや、そもそも日本画って、何が描いてあるか全然わからないというものはほとんどなくて、ある意味シンプルに美を受け取れるところがある。

それも見知った光、見知った色、見知った自然。歳を重ねるっていいなぁ、とあらためて思った。

 

 

撮影OKだった2点。部分を拡大しつつご紹介。

 

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玉堂の作品はとても親しみやすい。

山の中に咲く桜やツツジ、藤や紅葉など、ちょっとした色が入っていたり、猿や鳥が登場するなど、ホッとする部分を作ってくれている。優しい彩り。目に優しい。

自分もそこに居られる、居やすいというのか。またその木や花や鳥までの距離感も臨場感がある。奥多摩によく写生に出かけていたのだそう。納得。

鵜飼に携わる人たち、急流にかけられた橋を馬と渡る人、険しい山の中を旅する人など、自然の中にいる人間の描き方にも優しい眼差しを感じる。

 

雨が降っている風景、雨が上がった風景もいい。

ポスタービジュアルになっている『山雨一過』も、生で見ると澄んだ空気が伝わってきてとてもいい。(ジブリ映画の背景のような鮮やかさや生き生きさもある。いや、あちらが日本画的なのか?)

 

山に行ったような清々しく、心が洗われるようなひとときでした。

 

 

「図録セット券A」は一般入場券に2017年の展覧会の図録がついたもの。

この図録はいいですよ!今回出品されていない作品ものっています。A5判のコンパクトサイズです。しかも別々に買うよりちょっとお得。でも図録付きでなくても、事前にオンラインでチケットを購入していくと100円引きになるのでお得です。

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山種美術館の字は安田靫彦のものらしい。山崎さん、いろんな人とつながっていたんですね。川合玉堂の作品は個人的に親交のあった関係で、71点も所蔵しているそう。

これからもこの山種美術館でいろんなお宝に出会っていけるのが楽しみです。

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この日の夜。月と桜。美術館の中で観たものと、外の世界がつながっている。 

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鑑賞からインスピレーションをもらって世界を新しい目で見て、見た景色を自分の内側にストックしていく。そしてまたそれらのイメージを鑑賞に生かしていく。

そういうことを日々やっているんだなぁ、とあらためて気づいた日でした。

 

 

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この世はいろんなことが無限につながっていく

一昨年あたりから、明治〜大正〜昭和の作家の記念館や展示によく出かけています。樋口一葉泉鏡花芥川龍之介森鷗外夏目漱石小泉八雲竹久夢二江戸川乱歩......。

作家を調べていると、同時に小村雪岱津田青楓などの装丁家にも出会うようになっていきました。そしてさらに春陽堂という版元の名前もよく目にするようになりました。
 

ふと気になって「春陽堂」と検索したら、なんと現在も絶賛営業中の出版社さんでした。明治11年の創業から今まで現役。知らなかった!すみません!わたし、知らないことが多いのです。

 

こちらの特集ページ、まさに今わたしが訪ね歩いている世界です。うれしい。

www.shunyodo.co.jp

 

さらに、両国の書店、YATOさんのページも出てきました。

www.shunyodo.co.jp

 

こちらは拙著(共著)『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』を取り扱ってくださっている書店さんです。今年の1月に営業でうかがって仕入れをお願いしてみたら、その場で即決してくださって、こんな素敵な本たちとお店に並びました。

 
 
 
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YATOさんの棚は、ほんとーうに魅力的です!

気になる本ばかりで、あっという間に時間が経ってしまうし、ついついあれもこれも連れて帰りたくなります。魅力的すぎて危険な本屋さんです。

 

そんなことをツイッターで発信したところ、写真で『きみトリ』の隣に写っている『木の家を楽しむ』という本は、なんと、『きみトリ』のデザインを担当してくださったマキさんの、設計の師匠が共著者のお一人ということが判明!

こんな偶然あるでしょうか。すごいなぁ。

 

先の春陽堂さんの記事文中にある、佐々木さんの言葉、「この世はいろんなことが無限につながっていくんだな」をまさにわたしも感じました。

 

マイテーマをもって、関心のままに進んでいくと、いろんな物事がつながっていく。それはそれは楽しい遊びだし、学びでもある。

そしてこの世は一生かかっても遊びたりないほど豊かなのですね。

これからもぐいぐい楽しんでいこうと思います。

 

 

 

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〈お知らせ〉4/3(土)『きみトリ』出版記念 著者と書店と本好きがつながる オンライン読書会 ひらきます

4/3(土)20:00〜オンラインの読書会をひらきます。

kimitori-dreadnought.peatix.com

 

読書会はオンラインなのですが、一緒にひらいてくださるブックカフェ ドレッドノートさんのことをご紹介したいので、ぜひお付き合いください。

 

東京の江東区清澄白河にあります。写真は、先日、共著者の高橋ライチさんとサイン本を納品してきたときの様子。今回の読書会は、3名の共著者のうち、ライチさんとわたしが参加します。

間違えないように真剣に書いているので、神事のようになっておりますが......いや、これは一つの神事ですね。自分の書いた本を置いていただける、その上、サインも入れさせていただけるというのは、有り難いことです。

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広々スペースに、フードやコーヒーをお供に読書できる幸せ。この生ハムとチーズと蜂蜜のホットサンドが美味しくて、翌朝自分でも再現してみたくらい。くるみが効いてます。お店を切り盛りしている渡邉さんのお手製。コーヒーも一人ひとり好みを聞いて、一杯ずつハンドドリップで淹れてくださる。

わたしはコーヒーは好きだけど、豆の種類を言われてもよくわからないし、なんなら萎縮してしまうぐらいハードルが高いので、味の好みでやり取りできるのはとてもうれしいです。

最初にうかがったとき、おそるおそる入店してきたわたしに、渡邉さんがお店での過ごし方をウエルカムな雰囲気と共に伝えてくださって、すごくホッとしたのを覚えています。

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ライチさん向かって左、奥の棚はUMA(未確認生物)のコーナー。

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カウンター席にはコンセントがあり、wifiも使えます。こんな絶好の環境、近所にあったらぜったい会員になってますねぇ。

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お店にある本はすべて購入可能。コーナーごとに特徴のある棚作りをされています。
どれもオーナーの鈴木さんの蔵書や、目利きで並んでいる新刊や古本ばかり。全てについて紹介できますとのこと。そこに『きみトリ』が並ぶってあらためて光栄です。

もともとこちらにうかがったのは、『きみトリ』の営業で本屋さん詣でをしているときに、両国の書店YATOさんからご紹介いただいたのがきっかけでした。「少し個性的だけれど、思いのある人だから、『きみトリ』いいんじゃないかな」とのことでした。(ちなみにYATOさんでも『きみトリ』を扱ってくださってます!取扱店舗一覧はこちら
 
「個性的って?」と思いつつ訪ねてみると、ああ、これのことかとすぐわかります。戦争、軍隊、戦艦の棚があるからか。もしかすると人によってはギョッとしてしまうかもしれないのです。
 
でもよく見てみると、そこにあるのは戦争やナショナリズム礼讃、軍隊や武器の愛好本ではなく、戦争史、証言集、研究書などの書籍が詰まっていることがわかります。
 
『きみトリ』でも戦争に関する本を紹介したように、このブログでもなにかと作品をおすすめしてきたように、これらはわたしの関心分野でもあります。
人間の集団心理、手段の変遷、副産物も含めた戦争の多面性や複雑さといった点で、子どもの頃から関心が途絶えません。

わたしは「人間はこういう究極のことを起こしうる存在だ」ということが一番よくわかるのが、戦争と犯罪だと思っています。残酷なものが苦手で、直視できないことも多いので、入れるものは選びながらも、探究を続けています。

 

なぜ人は他の人をそのように扱えるのか。一人ひとりでは「いい人」なのに集団になったときに暴走するのは、どういう仕組みなのか。矛盾する存在として、要件がそろえばやってしまう種として、自分はどう生きればいいのかを学んできたように思います。

計り知れないこと、わからないこと、簡単には解決できないからこそ、考えたいことなのです。寺田寅彦の言葉を借りれば、自然に対する飽くなき「細工」を追求している存在。でもそこを見つめることでしか、自分も、相手も、社会も理解できないのではないかと思っています。

今の自分が享受していることは、戦争の副産物にも依るところも大きい。自分のルーツを見つめるとき、戦争を除外することはできないと思っています。
 
店主の鈴木さんとも、最初にうかがったときに、人間の性質のこと、歴史に学ぶことの意義について熱く語りました。読書会当日もそんな話が出るかもしれません。
 
読書会は、
前半:著者、店主、参加者さんからの本の紹介
後半:『きみトリ』の朗読(byわたし)と参加者さんも交えて感想シェア
の構成になってます。
 
今ちょうど、前半で紹介予定の「ドレッドノートさんにあって、わたしが10代におすすめしたい本」を読んでいるところです。戦争について、またはファシズムについての本のどちらになるか。ぜひ当日をお楽しみに!

お申し込み時に皆さんからのおすすめ本もうかがってます。
本好きさん、本屋好きさんにぜひ来てもらいたいイベントです。
お待ちしてます!
 
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▼読書会の詳細・お申込みはこちらから
わたしが関わる場だから、そこはもちろん、「読書会をやってみたいけれど、どう進めればいい?」「オンラインだと難しい?」と思っている方の参考になるようにも設計しておりますよ!
 
 
共著者の高橋ライチさんのブログもぜひ。この居心地の良さと、知的好奇心が芽生える感じ、伝わってほしい!読書会はオンラインなんですが、ぜひお訪ねいただきたいブックカフェなのです。

ameblo.jp

 

ドレッドノートさんについては、こちらのインタビュー記事もぜひ読んでいただきたい!自分の好きや興味を仕事にしていく人の姿。年齢や立場に関係なく、自分の大切にしていることを思い出せると思います。
 
 
おまけ:ドレッドノートと言えば、の話。
ヴァージニア・ウルフ1921年に書いた短編小説『ある協会』に、「エチオピア王子に扮して戦艦を視察した」というくだりがある。これは実際にウルフ(結婚前だったのでスティーヴンだが)弟とその友人たちに誘われ、総勢6人でエチオピア皇帝とその随行者のふりをしてイギリス海軍の軍艦ドレッドノート号を視察するといういたずらに加わったときのエピソードが脚色して使われている。
女が子を生んで男を増やし、男が本や絵を生んだ結果、「よい人間とよい本を生み出す」という人生の目的を男たちによってどのぐらい達成されたかを女たちで結成した「質問協会」が視察した......という文脈で小説の中に登場する。思いがけないところで、「戦艦ドレッドノート」と「Books & Cafe ドレッドノート」が符号した。
この小説は、30ページほどなのだけれど、今の時代に再評価すべき素晴らしい一遍だと思う。ウルフがなぜフェミニズムに影響を与えた作家と言われているのかがよくわかる。ウルフの入門書として、ぜひ。
 
 
自分の興味のあることで旗を立てると、非難されたり、誤解されたり、時には喧嘩を売られたりすることもあります。
でもめげない、腐らない。自分にとってそれは人生をかけて探究したいテーマなのだから。そして、同じように探究している仲間を見つけるための旗でもあるから。
わたしにとっては『きみトリ』を出したこと、今『ある協会』について紹介したことも旗。ドレッドノートさんにとっては、あの棚をつくること。
 
勇気をもって自分の旗を立てていこうとあらためて思います。
今回のことは、わたしにとってとても貴重な出会いです。ありがとうございます。
 
 

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展示『漱石山房の津田青楓』展 @漱石山房記念館 鑑賞記録

新宿区にある漱石山房記念館で、『漱石山房の津田青楓』展を観てきた。

《特別展》漱石山房の津田青楓-新宿区立漱石山房記念館

 

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漱石山房記念館のことは、近隣に住む友人から、計画段階の頃に聞いており、完成したらぜひ行きたいと思っていた。2017年にオープンしてから4年。ようやく訪問できた。

ここは夏目漱石初の本格的な記念館なのだそう。なんとこんなに有名人なのに、意外。

 

記念館は、東西線早稲田駅から徒歩10分の早稲田南町にある。漱石が1919年(大正5年)に49歳で亡くなるまでの晩年の9年間を過ごした旧居であり、「漱石山房」とも呼ばれたところ。木曜会と呼ばれる文学サロンが開催され、漱石を慕う若きアーティストたちが集っていた。

この木曜会の成り立ちがおもしろい。漱石が有名になるにつれて、訪問客も増え、執筆に差し支えるほどになってきた。それを心配した門下生が、木曜日の15時からまとめて面会するようにしたらどうか、と提案して始まったという。いいアイディア!(木曜以外の来客も結局は多くなっていたらしいが)

 

もともとの漱石山房は、昭和20年5月2日の山の手大空襲で焼失したが、疎開させていた資料は難を逃れたという。東京の空襲といえば、3月10日の東京大空襲が真っ先に浮かぶが、この記事を読むと、終戦までに東京は130回も空襲に遭っていたのだそう。知らなかった。

gendai.ismedia.jp

 

漱石山房の再現。やはり本棚に入りきらないと床に積むんだな。

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ちょうど訪問する少し前に、NHKラジオで『永日小品』を聴いていて、ロンドン時代の漱石に思いを馳せていたところだった。

 

ロンドン留学からまもなく、水彩画を描いた絵葉書をたくさん作って、友人や学生たちに送っていたらしい。

漱石、ほんとうに上手い。キャプションにも「漱石にとって絵画の領分は作家としての領分に劣らぬほど抜き差しならない」とあるほど。わたしにとっては初めて知る意外な一面。いや、でも今の時代だって、例えば俳優が絵画でもファッションでもその才能を発揮する例はたくさんあるし、多芸に秀でるというのは、決して珍しいことではないのかもしれない。バラバラに才能を持っているというよりは、通底しているものから汲み上げているという感じなのだろうな。

 

2階に上がったところの壁には、漱石の作品の中からいくつかフレーズが引用されてパネルにして展示されている。

たくさんある中の一つがわたしは気になった。

世の中にすきな人は段々なくなります、さうして天と地と草と木が美しく見えてきます、ことに此頃の春の光は甚だ好いのです、私は夫をたよりに生きてゐます

大正3年3月29日(日)津田青楓あて書簡)

これを書いたのは漱石が47歳の頃。43歳の時に修善寺で倒れて死にかけた後も、どんどんと迫りくる老いと深刻化する病。胃潰瘍を患って、しんどい身体を引きずりながら、どんな心境で書いていたのだろうか。

猫や犬や文鳥など、いろんな動物を飼っていた漱石。慕われてはいたけれど、人間に疲れてしまうこともあったのかもなぁなどと、勝手に想像。49歳の死は当時としても早かったはず。

 

 

パネル展示や本の展示をいくつか経て、いよいよ企画展へ。

 

今回の企画展が津田青楓だったことも、このタイミングで記念館を訪問した大きな理由だった。ちょうど一年前の2020年3月に、練馬区立美術館の津田青楓展を鑑賞した。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

こちらは青楓の生涯の画業を一望する大規模な展覧会だった。漱石本の装丁のコーナーもあったが、全体から見ればごく一部。とにかくこの人は多作、多才。98歳まで長生きして、いろんな経験をして、作風もどんどん変わっていって、どこまでも挑戦していった人。

このときの体感を持って、今回の「漱石との関係における青楓」という、数年間をじっくりと眺められるのは、とてもおもしろい体験になるのではないかと思った。

 

青楓は文筆家でもあった。1907年(明治40年)にフランスに国費留学していたときに、パリから雑誌『ホトトギス』に寄稿した小説を、漱石門下生の小宮豊隆が絶賛し、青楓の帰国後に漱石に紹介したのがはじまり。漱石は最初の面会から青楓を気に入り、親交を深める中で、青楓の子の名付け親にもなったり、青楓に油彩を習っていたそう。

「欧州への留学組」という仲間意識のようなものだったのだろうか。西洋の圧倒的な個人主義に触れて、これから自分たちはどのように芸術を通して「自己の表現」をしていくべきなのかといったことを話し合ったのかもしれない。

明治から大正の激動の時期の同志。特に漱石は留学時代の苦しい時期が、創作の土台になっているというから、それを理解する青楓は心強い存在だったのではないか。また、青楓が、京都という漱石とは異なる文化圏をルーツに持つことも、漱石に刺激を与えた面があるのではとも、勝手に想像している。

 

青楓が漱石山房に出入りしていたのは1911年(明治44年)から漱石が亡くなる1916年(大正5年)までの5年間。

展示を見ていて感じるのは、とにかく漱石への恩義、思慕、敬愛の念。そして、門下生との交流。全員が自分の芸術を追究する者ばかり。仕事の斡旋も相談できる頼りになるネットワーク。才能が生まれ、自由闊達な議論が行き交い、あちこちでコラボレーションが起こるエネルギッシュな場、るつぼ。田端や馬込、上野界隈など、東京のいろいろなところで、こういった芸術家たちが集っていたのかと思うと、わくわくしてくる。

彼らを惹きつけていたのが、まるで父親のような漱石若い人たちを叱り、厄介を引き受け、甘やかし、支え、励ました。気難しいイメージだったけれど、ここでの漱石は父性の象徴のよう。

鈴木三重吉が全集の装丁を青楓に依頼したのに、13巻のうち10巻で辞めてしまったというエピソードも紹介されていたが、これも漱石山房で起こるたくさんの揉め事のうちの一つだったのかもしれないと思うと、微笑ましい。

 

津田青楓は「漱石に最も愛された画家」と言われているらしい。ちょうど今、東京では、小村雪岱の展示が日比谷図書館三井記念美術館で立て続けに開催されていて、「泉鏡花にとっての小村雪岱」と似たところがあるなぁと思っていた。

慕い慕われ、いろんなもの・ことを共有していく関係。どうしてもホモソーシャル的関係に見えてくる。もちろん、男性と女性アーティストがコラボレーションすることがほとんどなかった時代は当然なのだけれども。

それでも、そうやって男の人たちが集ってせっせとこしらえているものは、とにかくどれも可愛く美しく繊細なものばかり、というところがいい。

 

小村雪岱展に行った時に、この時代には、挿画や装丁は、画家が片手間にやるもので、本業とはみなされていなかったが、雪岱はこれを本業として身を立てた人だったと知った。今回の展示では、青楓が「装丁家で終わるつもりはなく、画家として大成したい」という野望を持っていたとある。やはりそういう時代なのだな。

同時期の同時代を対象にした展覧会から見えてくるものがあって、わたしの頭の中でそれらが補完し合ってくれるのが楽しい。たとえば、漱石小泉八雲の後任として東京帝国大学英文学科の講師に着任したと聞くと、昨年行った小泉八雲展が思い浮かぶ。なるほどねえ、ここで繋がる!

 

今回一緒に行った友達とは、手紙、書簡のおもしろさについても話した。ちょっとしたことですぐ手紙を送りあっているのは、現代ではちょっと想像がつかない感覚なので、当時の通信事情などが気になってくる。書簡もだし、日記も貴重な記録資料でもあり、当時の暮らしから社会の動きまで、いろんなことが見えてくる。

この経験があったので、後日、森鷗外記念館で手紙の企画展に行ってみたら、当時の郵便事情がわかった。展覧会同士が響き合っている!

 

これから、漱石とも青楓とも、またどこか別の場所で会えそうな気がする。そのときにはまた別の角度から、別の切り口から照らされているだろう。

同じ人間の生が、照らし方一つでいかようにも変わっていくこと、時代が動いていく限り研究は終わらない。楽しみだ!

 

今回の図録とてもよい。青楓の装丁や絵日記などたっぷり収録。買って損なし。会期は終了しても在庫があれば引き続き販売している。

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併設のカフェでは空也最中や抹茶をいただける。美味しい。日当たりがよい。その分、夏は暑そう。

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またちょいちょいチェックして行ってみたい。

好きなミュージアムが増えていくのは嬉しい。

 

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本『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』読書記録

ここ2、3年、声を大にして言い続けてるけれど、ぬいぐるみはいい。

人間にはぬいぐるみが必要。パートナーとして必要。

心理学、社会学民俗学家政学......など、どんな学問に当てはまるのかはわからないけれど、研究してる方はたくさんいると思う。特に動物をかたどったぬいぐるみはよい。わざわざnoteで書いたくらい、よい。

 

そんなわたしなので、この本を知ったときはうれしかった。

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生(河出書房新社, 2020年)

 

しみじみタイトルがいい。

 ぬいぐるみとしゃべることも、ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいことも、「わかる、わかるわかる」と思いながら手にとった。

でも全然やわな話じゃなかった。(やっぱりね。そんな気はしていた)

 

表題の中編と、3本の中編が入っている。

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の物語には、大学生の男の人が、男性による暴力行為の根深さに気づいて、自分の性を嫌悪し苦しむ、という流れがある。かつては地元の中高の仲間に所属するために無理に合わせていたけれど、大学で環境が変わり、いろんな人と接する中で、自分の言動やセクシャリティに気づいていく。「友だちが好きというのはわかるけれど、恋愛の好きっていうのがどうしてもわからない」という。

こういう人が登場人物にいる物語を10代で読みたかったなぁと思う。わたしが物心ついたときから、わたしの生きている小さな社会は恋愛至上主義で、自分もそれにのっていないと生きていけないぐらいの圧迫を感じ続けていた。あれってほんとに一体なんだったんだろうと思う。

今もどこかの小さな社会では相変わらず、異なる性が一緒にいたら、自分以外の誰か、相手や「周囲」の人がうるさく言ってきたりするんだろうか。そういうことで辛い思いをしている人には、この物語はけっこうホッとするところがあるかもしれない。

 

もう一つの流れとして、「社会の痛みを"繊細"な人が自ら被っているが、その削れる行為は果たして優しさと呼んでもいいものなのだろうか」と言いたげな人が出てくる。ここはギョッとするほどリアリティがあって、とてもひりひりする。

 

あいつらの、僕らのことばがどこまでも徹底的に個人的なものだったらよかった。嫌なことをいうやつから耳を塞いで、そいつの口を塞いでそれで終わりなら、まだこわさと向き合えた。でもそうじゃない。どんなことばも社会を纏ってしまってる。どんなことばも、社会から発せられたものだ。そう考えるとどうしようもなくなって、七森はしゃがみ込んでしまう。(「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」p.87より引用)

 

みんな人間で、なにをいうのが、なにを聞くのが失礼になるかわからない。「恋愛」とか「男女」とか、主語が大きい話は、大きい分だけ、ひとを疎外したり、傷つけたりしかねなかった。私自身がそういった話題で傷つくというより、傷つく人がいるだろう、ということは私には大事だった。(「たのしいことに水と気づく」p.118より引用)

 

自分の身に起きたわけではない世界中の大きな事件と繋がっていた。繋がろうと自分で思うよりも先に指と目が動いて、心を痛めてしまう。(「たのしいことに水と気づく」p.120より引用)

 

じゃあやらんかったらええのにな、そう思うのに、面と向かって批判はしなかった。私もおんなじように一貫性がなくて消極的で、でもまあみんなそういうもんやろ、と思って、楽な状態を長引かせたかった。(「バスタオルの映像」p.137より引用)

 

「こういうこと」で近頃疲弊している人は多いのではないか。

今までなら知りようもなかった他者の傷つきや暴力のことをどんどん知るようになって、どんどん言葉に敏感になっている。自分の傷つきをふりかえり見つめる機会や手段も増えた。誰かを傷つける言葉が何か、わかってしまった。あらゆる言葉が社会的な構造の問題に帰結していくことがわかってしまった。

そこにきて、この感染症の出現だ。人と接触が減ることで楽になったかと思いきや、そうでもない。むしろその少ない接触の機会でやり取りすることの重みが増したような気がする。

この痛みを経た先には一体どんな世界が待っているのか、まだ全く見えないままに、細かい傷つきが溜まっている人がいるのではないか。少なくともわたしはそうだ、と読みながら思った。もしかしたらあなたもそうじゃない?

そっちに行きすぎるとヤバいという警鐘のようでもあるし、行きすぎちゃっても人との微かな何らかのつながりが大丈夫にしてくれるよという処方箋のようでもある。

読む人によっていろんな感じ方がありそう。

 

 

やわじゃない、単純じゃない物語だ。読み進めるほどに揺れ続けて、心のピントがなかなか合わない。この時代の空気を救いとって小説にしてあるのは、ほんとうに凄い。

主人公の七森にカメラが向いているのかと思いきや、語り手が突然前触れもなく切り替わる。この独特の書き方も、「単純でなさ」を引き出しているのかもしれない。いっぺんにいろんな人の立場に立って物言うことを要求されるような、あの日常の感覚をなぞっているようにも感じられる。


わたしは大学生ではないので、主人公と同じ立場としてこの物語を読んでいるわけではない。かつてのわたしもこのような感情を味わったことがあるというのとも違う。今のわたしとして、擬似体験しながら強く共感している、たぶん。

 

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展示『拝啓、森鷗外様』展 @鷗外記念館 鑑賞記録

鷗外記念館で開催中の、『コレクション展 拝啓、森鷗外様 -鷗外に届いた手紙』展に行ってきた。

 

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moriogai-kinenkan.jp

 

ここに来るのは、昨秋の『森家の歳時記』展以来だ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

このときの展示がとてもよかったので、「この一年は鷗外を読んで過ごすぞ!」と思っていたのに、なかなか叶っていない。

「まだ読めていないのに、来ちゃってすみません」という、誰に詫びているのかわからないような気持ちを抱えてつつ、やってきた。ほんとうはもう少し鷗外の作品世界を理解してから来たかったのだよな。

だから、たぶんこれは鷗外サンに言っている。すみません。

 

鷗外も踏んだ敷石が残る。

 

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今回は手紙の展示であることにも興味があった。

先日訪れた、漱石山房記念館の津田青楓展を見ていて、手紙がほとんど電話のような役割を果たしていた当時の人々の息遣いが見えるのはおもしろいなぁと気づいたからだ。

今回は鷗外記念館のこれコレクション展ということで、鷗外に届いた900通あまりの封書や葉書の中から選りすぐりを展示しているとのこと。

前期・後期に分かれているが、すでに前期「年賀状を楽しむ」は終わっており、後期「文学者のたよりを読む」を観ることとなった。

 

企画展を観る前に、常設展をおさらいしてみた。

B1階の壁沿いの展示は、生涯を追いながら、鷗外の人となりを紹介するもので、ここはたぶん基本は変わらなそう。

60歳で死去。今から考えるとかなり若い。医者だったが延命は拒否し、最後は墓に森鷗外ではなく森林太郎と書いてくれと遺言したあたりに、生き様を見る。

若い頃からエリート街道まっしぐらで、常に公人として生き、またこの時代に男性であり家長でありということで、一見恵まれているようだけれども、個人としての選択があまり許されてこなかった人なのかなとも想像もする。このあたりについては、ビデオブースの上映に詳しい。ビデオ上映をすべて観ると35分ぐらいかかるが、平野啓一郎さん、森まゆみさん、安野光雅さんなどがお話していて、鷗外のイメージが覆るようなお話をしてくださるので、ぜひ観ていただきたい。時間に余裕を持って!

 

真ん中のスペースが、前回来たときと違っていて、鷗外本の装丁の展示があった。これもまた津田青楓の装丁や、この少し前に行った小村雪岱の装丁なども見てきたので、食い入るように見てしまった。

鷗外は、医学界、文学界、美術界でも活躍した多彩な才能を持ち合わせる人だったこと。東京美術学校(元東京藝大)の講師や、美術評論家などの仕事もしていて、そこから交友関係が広がり、装丁の仕事をお願いするようになった、とある。

漱石山房記念館で知った橋口五葉や、書道博物館で知った中村不折による装丁もある。

たまたま同じ時期に行った展示同士がつながっているのはやっぱりおもしろい。

 

常設と企画の間にある、森家の家系図もおもしろい。江戸時代から続く名家。

初代は1649年。森玄佐と言い、源正直という名も持つ。鷗外は14世11代に当たる。鷗外の後は、27歳で結婚し翌年離婚した最初の妻の子(男子)に継がれている。現在は、17世14代の森憲二さんが当主。医学博士とある。

名家とはいえ、男子が継ぐ、婿入りするなど、家父長制の世界でもあって、これが現代も当たり前に続いているおうちもあるのだなぁ、とこういうふうに目に見えるようにされると、改めて実感する。

 

 

そして、ようやく企画展。

・展示されているのは明治23年(1890年)から大正6年(1917年)の封書や葉書。

・この頃の郵便はとにかく「用件」が多い。ちょっとした質問や近況伺いや連絡事項などが葉書で送られている。日本で電話サービスが始まったのが、1890年(明治23年)。当時は電話料金も高くて、サービスエリアもごく限られていたからか。

・『サロメ』の和訳について訪ねている葉書など、おもしろい。回答しやすいようはじめから往復葉書で送っているものなど、なるほどと思う。返信用封筒を入れるような感じで、葉書を使うのか。

・洋行した友人から届いた海外の絵葉書に「当地で鷗外の作品を思い出しました」というようなことが書いてあるのが、けっこうグッと来る。「あーあれが、林太郎君の小説に出てくる景色、建物だ〜!ほんとだ〜」と、船に乗って遥々来た異国の地で会えるというのは、今の人が想像する以上の興奮だったのではないか。

・しかしこの時代の方々は、当然の教養として、書が上手い。

・鷗外の交友関係の中に、川合玉堂がある。龍子記念館でも観て山種美術館で開催中の展覧会に行かなきゃと思ったところ。またここでも会う。

・日本では1871年明治4年)に郵便事業が創業する。東京ー大阪間ではじまり、1872年には北海道の一部を除き、全国に広がる。1883年には東京府下の集配が1日19回とある。19回!!それは電話代わりに使うわけだ!電話が不得手だから郵便や葉書を多用した説もあるけれど、これだけ集配があるなら、それは利用しただろう。

・転居届などもたくさん!鷗外の人脈の多彩さが忍ばれる。またこの頃の人は引越しが多いイメージもある。引越しの歴史について研究している人もいるだろうか。当時の住宅事情と引越しについても知りたい。

・戦中は、鷗外も軍医として戦地に赴任したので、軍事郵便の扱いも多い。軍事郵便には慰問の意味合いもあって、綺麗な絵葉書で送ると喜ばれたのだそう。以前は、表面が宛名、裏面が文字と決まっていたらしいけれど、郵便制度がだんだん発展する中で、宛名面の1/3(1907年)や1/2(1918年)に通信文を書いてよくなったと。なので、表に用事を書いて、裏は美しい絵葉書などにできる。絵葉書は画家が美しいのを描いていたそう。こういう軍事郵便用の葉書の展示は横山大観記念館にもあった。画家はこういう形でお国に貢献するような感じだったのだろうな。

・鷗外が軍事郵便葉書を3枚使って原稿を送ったりもしている。実物で見るとすごい。ある意味紙面が限られていて、使いやすいのかもしれない。制限があるほうが思考がまとまるというか。

・当時の官製葉書は今のものよりサイズが小さい。

 

 

 

今回の収穫

・郵便についてもっと知りたくなったので、次は郵政博物館に行きたい。 

・文京区の歴史についてもっと知りたくなった。鷗外が生きていた頃のこの地域がどのようだったのか。文京ふるさと歴史館にも行きたい。

 

・歴史に名が残るのは男性で、その妻や娘には光が当たってこなかったのではないか、など、「性差の歴史」の観点から最近は展覧会を観ている。今回は二人目の妻、森志げが小説を書いていたことを知った。こちらの図録には、森家の女性たちの人生が紹介されているが、特に志げの項は相当に痛恨であり、痛快でもある。

批評家たちは志げの小説を「鷗外的」「(鷗外の)亜種、変種」と述べた。果たしてそうだろうか。そのトピックは、月経、結婚、初夜、避妊、流産、悪阻、妊娠中毒症、死産、出産など、女性のセクシャリティの諸相にわたる。レズビアニズムにも近接する女性同士の親密な関係や、女性だけの親密圏(今風に言えば「女子会」)において語られる女性の心身をめぐる秘密(すなわち「女子トーク」)もテーマとなっている。(図録『私がわたしであること 森家の女性たち 喜美子、志げ、茉莉、杏奴』p.24より)

 全集も出ているようなので、機会を見つけて読んでみたい。図録のバックナンバーも充実していて、売店で購入できる。

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・今年は日独交流160周年とのことで、ドイツ大使館がいろいろと催しや企画をしている。こんなインスタグラムのアカウントも>>https://www.instagram.com/its.rintaro/

 

次回来るときは、何作か読んでから来よう。きっと!!

 

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展示『川本喜八郎+岡本忠成パペットアニメーショウ2020』展 @国立映画アーカイブ 鑑賞記録

国立映画アーカイブの『川本喜八郎岡本忠成パペットアニメーショウ2020』を観てきた。

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www.nfaj.go.jp

 

こちらにも書いたけれど、わたしはなぜか人形劇が好き。惹かれてしまう。その始まりは、子どもの頃に出会った川本喜八郎パペットアニメーションNHK人形劇三国志』だった。

とはいえ、川本作品で三国志以外に実際に映像として観たのは、2005年の岩波ホールで公開された『死者の書』だけ。あとは資料で想像を膨らませてきた。

 

 

三国志はDVDを全巻持っている。並びがぐちゃぐちゃなあたりに性格が出る......。

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とにかく川本の人形が好きすぎるので、今回の展示はほんとうにうれしかった!!!

うれしすぎて、大事すぎるので、なかなか記録が書けなかったぐらい。

 

いつものようにバラバラと観たものを記録していく。自分の備忘。

第1章:修行時代(川本喜八郎岡本忠成

第2章:川本喜八郎 アニメーションの仕事

第3章:岡本忠成 アニメーションの仕事

第4章:「川本+岡本 パペットアニメーショウ」の時代

第5章:『注文の多い料理店』とその後

・展覧会タイトル自体が二人へのオマージュになっている。かつて二人で催していたパペットアニメーションの祭典、「パペットアニメーショウ」を没後の2020年に蘇らせた。

・展示は岡本忠成川本喜八郎(1925-2010)の軌跡が交互に置かれている。パペットに取り組みはじめたきっかけから、それぞれのキャリアを辿り、交友を紹介し、やがて岡本が先に逝き、残された川本が後を引き継ぎ完成させた『注文の多い料理店』を経て、川本の『死者の書』、川本の岡本の死に際しての弔辞で終わる。各々の魂を込めた仕事と二人の間の絆を見せる、ニクい演出だ。「よきライバルであり、よき理解者であった」

・川本人形の美しさを間近で見られてよかった。三国志は観たことがあったが、それ以外のものは意外と小さい。高さ25cm〜30cmぐらいだろうか。小さいものは20cmぐらいまで。衣装も細かく、ひだの入り方や、風でなびく様を表すためのヒューズ(針金のようなもの?)の入れ方など工夫が多そう。特に映像展示「メイキング・オブ・『死者の書』」で観られる。藤原南家郎女の人形の実物の展示がある!

・川本はもともと大学では建築を学び、卒業後は東宝の美術部に勤務する。25歳で退社してフリーの人形美術家になる。1963年、38歳のときに、学び直しのためにチェコに渡り、イジートルンカに師事。

・受け入れについて返信したトルンカの手紙の実物が展示されている。キャリアの転換期にあって、尊敬する人からこんな手紙をもらったら、胸が熱くなるだろう。わたしはトルンカパペットアニメーションも大好きなので、ここは食い入るように読んだ。

「わたしのアニメ製作への深い理解をありがとう。スタジオは国営だからわたしに決定権はないけれども、海外からのアニメ作家や研修生を歓迎するはずだ。ユネスコ奨学金もあるはずだから、東京にある大使館に問い合わせてほしい。来年新作を予定していて、3,000フィート、製作期間は6-7ヶ月になる」

などが書かれていた。わたしの雑な訳ですみません。

新作を経験できるよだったか、手伝ってほしいというニュアンスだったか、不明瞭なのだけれど、予定や野望を伝えてもらえるのって、これから海を渡ろうとしている人にとって、十分な発奮剤になると思った。

 

そして、

人形芸術は、肌の色や宗教や人種の違いを超えて、人々や国家の橋渡しをする媒体だと確信している。

the art of puppet、このスピリットが重要なのだと思う。とるに足らないもの、子ども騙しではない、消費されるものではない。

岡本忠成は法学部出身。意外な来歴。その後日大芸術学部に入り直している。どちらも「学び直し」という点で共通する。川本をして「無限の忍耐力というアニメーターの資質の権化の様な方だった」と言わしめた。無限の忍耐力......。

チェコからの書簡。万年筆で綴られたまっすぐで美しい筆跡。

 詳しい内容は、こちらの書籍にあるようだ。若かりし川本が異国の地で何を見ていたのか、トルンカから何を教わったのか、知りたい......購入!トルンカから日本の伝統芸能ひついて示唆を受けたことが、その後の川本の人形製作に大きな影響を与えているというあたり、特に。『チェコ手紙&チェコ日記――人形アニメーションへの旅/魂を求めて』

トルンカの『真夏の夜の夢』(1959年)のパックのパペットが展示されている。これも......映画で観たことがあったので、 うれしい。しかも去年NTライブ生の舞台で2回も観る機会のあった、『真夏の夜の夢』ここでもまた!

・絵コンテ(Storyboard)が非常に美しい。もちろんこの時代だからすべて手描き。これがすでに芸術品。

・川本の初期の作品、今観てもモダンで、ちょっと人間の性質に触れる怖さもある。犬儒戯画』『旅』『詩人の生涯』。

・岡本の作品も意識的には初めて観たが(たぶん「みんなのうた」などで観ているはず)、写真、切り絵、コラージュアニメなど、材料も非常に多彩で驚く。図画工作の作品が動いている......というと伝わるだろうか。

・『いばら姫またはねむり姫』は日本で企画して、イジートルンカスタジオで製作。「スタッフは欧州公演中の能を鑑賞して、川本の求める人形の動きを理解した」......能!

・常時上映中のビデオ展示『素材からイメージの定着まで』(1986年)は、パペットアニメーションの創意工夫を見ることができる。これを観る前日に、ドキュメンタリー映画の創意工夫についてのレクチャーに参加していたので、作り手の思いを読み取りながら観た。肉体的にも精神的にも気が遠くなる作業、原作の世界観をどう生かすか、素材の検討、素材の性質と可動性と方法、線の美しさ、画面全体の調和、撮影のプロセスの考慮......、一見単純に見える画面の裏側にどれだけ考えることがあるのか、呆然とする。また、アニメーションの中でもそれぞれに工夫が違う。

演出の違い
 ・劇映画:俳優の演技を見てやり取りしながらつくる
 ・セルアニメ:前後のセルを動かして調整
 ・パペット:アニメーターとの事前の打ち合わせがほとんど
・わたしが好きだった三国志は、1982年、川本47歳のときに始まった。脂ののった時期。

・「パペットアニメーショウ」は和田誠のイラストレーション。「大人になってホントに笑ったことありますか」というキャッチコピーがついている。中身は考えられないほど豪華なイベント!

・川本の言葉

よい人形アニメーションは人形が生きているようにいる。動かされていたらダメ。人形に合った題材を選ぶ。合っていないと人形が嫌がって絶対に生きてこない。

・岡本の言葉

作り手が一方的にイメージを押しつけるのではなく、各々の感性で映画を観る人の想像をかきたてるような映画作り。

観る人のイメージをふくらませ、スクリーンへの集中力を持続させるためのねらい。一人でも多くの人が共感できる世界をつくりかった。

・『注文の多い料理店』に込めたのは、現代人間批判。岡本の元にいたスタッフから、川本への制作における思いが手紙の形になって残っている。これも非常に重要な記録だし、読んでいて響くところがある。「一つひとつはそれほどの罪ではないかもしれない。でも知らず知らずのうちに追い詰められ、そして紙屑のような顔になり、しかもそれが直らなくなってしまう」......ああ......。

 

 

展覧会の最後は、岡本の死去に際しての、川本の弔辞文の展示で終わる。

川本にとっては、岡本と一緒に行ったパペットアニメーショウが、「一生を通じての、最も輝かしい時期であり、最も楽しい時期だった」と。

また、手間も暇も金もかかるのに、金にならないし、国にもマスコミにも文化として理解されない中で、アニメーションの魅力に取り憑かれ、素晴らしい芸術であることを信じてきたことも書かれている。

受け継ごう、受け渡そうと共に格闘してきた岡本への賛辞と感謝に満ちて、この展覧会が終わる。

わたしにもこんな同士がいるだろうか。この先も現れるだろうか。

いや、既にいるか......。

わたしにもバトンが渡されたかのような心持ちで、会場を後にした。

 

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残念ながら展示の図録の作成はないとのこと。写真も撮れないので、メモをとるか、目に焼き付ける他ない。

 

展示を見てると全作品観たくなるなぁと思っていたら、2021年5月8日から、シアター・イメージフォーラムで上映があるそうだ。
このタイミングで、ほんとうに素晴らしい!ありがとうございます!!

eiga.com

 

ツイッターリンク

アニメーションの神様、その美しき世界 https://twitter.com/anime_kamisama 

川本喜八郎プロダクション https://twitter.com/chirok_kawamoto

飯田市川本喜八郎人形美術館 https://twitter.com/KawamotoPuppet

岡本忠成 https://twitter.com/okamototadanari

 

いつか行きたい、飯田市川本喜八郎人形美術館。チラシだけでもうたまらん......。

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飯田市は、人形劇のまちなのだそう。エンパクの人形劇企画展でも紹介されていた。

国内はもとより、世界各地から300劇団以上が集まる日本最大の人形劇の祭典「いいだ人形劇フェスタ」。文化が根付いた背景と歴史を紐解きながら、人形劇のまち・飯田のさまざまな楽しみ方をご紹介します。(HPより)

www.go-nagano.net

 

飯田まで行けなくても、東京には川本喜八郎人形ギャラリーがある!川本が渋谷区千駄ヶ谷出身であることに因んで。生の川本人形を観られる。

www.city.shibuya.tokyo.jp

 

ギャラリーからこんな番組も配信されている。

youtu.be

 

おまけ。エンパクのLGBTQ+展でも紹介されていた、木下恵介の『カルメン故郷に帰る』。これもあのキュレーションのメッセージを背負って観てみたい。

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