ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

METオペラ『アグリッピーナ』鑑賞記録

METライブビューイングで、ヘンデルの『アグリッピーナ』を観てきた。

 

陰謀大好きな女帝から、ドラッグ大好きなドラ息子、ゴルフ大好きセクハラ王、現代演出だからこそさらに深く面白い!今シーズンのベストワンとの呼び声高い本作(公式twitterより)

 

www.shochiku.co.jp

 

 

昨年末に古楽器によるヘンデルの『リナルド』というオペラを紹介してもらったことが大きい。読み返すと当時の興奮を思い出す。やっぱり感想、書いとくといいわぁ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

METライブビューイングのページに動画も載っているので、それを聴いて、いくつか直前にサイトを見て予習。

ROHではカウンターテナーが3人とか!客席も巻き込んでの演出とか!

www.j-news-uk.com

 

家系図助かる。このサイトでは3幕構成になっているね。

handel.at.webry.info

 

▼今回の公演のレビュー

www.gqjapan.jp

 

で、観てみて......。

 

いやもう最高!!!!!最強!!!!!

なんという!!!

 

あらすじも歌詞もあんなにえげつないのに、音楽も歌唱もどこまでもどこまでも美しく、天に昇っていくようで。

バロックの音階に浸りながら、人間の欲望や邪悪さ、醜さや滑稽さがこれでもかと吐き出されていく。自分の中にも確かにあるそれらが、執拗なまでのリフレインを仕掛けるバロックのトランスに載って展開されていく様は、不思議な爽快感があって、観劇というよりほとんどお祓いだった。

 

とにかく元気が出る。

 

あれ、この感じってどこかで味わったことがあるな?と思ったら、シェイクスピア演劇だ!わたし、これから「ヘンデルってオペラ界のシェイクスピアを目指したんじゃないか?」説を唱えていこうと思います。(ピーター・グリーナウェイの世界観もある説)


緊張感のある舞台だけれど、基本は喜劇なので、心理的に追い詰められる感じはまったくない。めっちゃ楽しいときって、マジ顔でハラハラワクワクしている。あのときの感じ。でもゲラゲラ笑うときもあって。稀有な体験をした。。

 

ローマ帝国を、バロック音楽で、現代に置き換えるって、どんな時空の超え方よ?と思うけれど、これがピタッとはまって、完全に昇華されている。すばらしい演出。

演出、演技、歌唱、衣装、照明、撮影、、舞台全体のクリエイティビティとクオリティが高くて、すべてにおいて進化している。

キャストが最高。

「芸」が細かくて、1カットも見逃せない。

METスゴイ。

ヘンデルに300年後こんなふうになってるよ!!と教えに行きたい......。 

 

上映時間は3時間55分(途中10分休憩)だけど、全然長さを感じない。
(長尺を見慣れているというのもあるけれど)

 

友人と誘い合わせて観に行って、帰りに三越ラデュレで美味しいお茶飲んで、わいわい喋り倒して、「今夜は肉しかない!」と言いながら、良い気分で帰宅。

鑑賞仲間にチャットスレッドで感想を話し始めたらもう止まらず、「ぜったい観てほしい〜」と煽りまくった。

また大好きなオペラが増えた。うれしい。

 

 

製作陣一人ひとりの次回作を観るのが楽しみでならない。
ぜひコロナが落ち着いて、公演を再開できますように。

まずはインスタグラムのフォローから......。

Joyce DiDonato
https://www.instagram.com/joycedidonato/

Brenda Rae
https://www.instagram.com/brendaraesings/

Kate Lindsey
https://www.instagram.com/kate_mezzo/

 

毎シーズン観ていると、「知っている人」が少しずつ増えていくのも鑑賞の楽しいところ。もちろん鑑賞仲間とのつながりも。豊か。

 


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思わずこれつぶやいてしまったけれど、ほんとそうじゃない?

 みんな怒ったとき、やりきれないとき、ハッピーなとき、刺激がほしいとき、オペラ観るといいよ〜!!

 

 METライブビューイング、ほんとうに好き。たくさん世界を広げてもらいました。

 

www.instagram.com




アグリッピーナ』を演出したデイヴィッド・マクヴィカー曰く、「歴史は繰り返す」がテーマだと。

確かにこういう構図を家庭や職場や学校や地域や自治体や国や、、いろんな単位で見たことがある。

アグリッピーナの権力欲だって、ただ一人の異常な行動ではなく、自分が成し得なかったことや努力のしようもないことなど、社会(父性、父権)への恨みを晴らすために、自分の子の人生を使おうとすることは、大なり小なりある。

特に子どもが男ならなおさら、男社会に刺客として送り込みやすいから。数々の悲劇が生まれてきたことだろう。わたしも自分が親で、息子がいるので、他人事ではない。

もちろん性別の問題だけでもない。

 

あのオペラの中でまともそうな人はオットーネだけだけど、力はない。良い人ほどだまされやすい。
大事なのは、自分の中の邪悪さは漂白しないほうがいい、ということ。
邪悪を持っているからこそ、邪悪のことがわかる。

 

放っておくと、いろいろやらかしちゃう人間のために、予防と治療を同時にやっているのが、芸術なのかもしれない、なんてことも思った。

オペラや映画や文学、、

何かわからない危険な(アグリッピーナ的な)ものが発生したときに、社会学や心理学の眼差しだけでは到底理解しきれないことが出てくる。そういうときに、芸術の出番。歴史や地理や文化を濃縮した作品の形に提示するからこそ共有できたり、解釈可能なものになる。

 

 

当日の鑑賞と、仲間との感想のやり取りから、そんなことを受け取りました。

 

いやー、もう一回観たい!!!

年に一回は観たい!!!

人類に必要なオペラ!!!

 

 

 

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映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』鑑賞記録

今月末にチュプキさんと対話の会をひらくため、鑑賞した。


『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

ikutsumono-katasumini.jp

 

 

この映画の関係者の方とたまたまお話する機会があったときに、「前作にもやもやしている方にはぜひ観てもらいたい」とおっしゃっていて、「へえ〜」とは思ったけれど、それでもなかなか積極的に観に行こうと思えなかった。


それほどに、前作には大きな違和感があった。

違和感について4年前にブログに書いた。

hitotobi.hatenadiary.jp

hitotobi.hatenadiary.jp

 

今読むと稚拙な書きぶりが恥ずかしいが、自分なりの大事な視点も入っていて、今回の鑑賞に活かされているので、書いておいてほんとうによかったと思う。

 

 

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、『この世界の片隅に』の公開から3年の月日を経て、250カット以上の作画を追加し完成した作品。

「ディレクターズカット版」や、「すず&りん編」ではなく、(さらにいくつもの)を真ん中に入れ込んだタイトル。

追加された(さらにいくつもの)が意味するものは、実際に観てみるとよくわかる。

 

原作にありながら、前作では描かれなかったりんと主人公すずの関係を中心に、すずの新たな面を取り込んだことで、周りの人物が生き生きと立ち上がっている。どのシーンにも感情が映り、物語の世界の大切な一部となっている。

いくつもの片隅の物語が動き出し、簡単に善悪のつけられない、複雑で混沌とした世界の有り様が描き出されている。

 

完成度の高さに息を呑んだ。

そう、これが観たかった、これだよ、これ!と観ながらわたしは興奮していた。

原作世界への深いリスペクト。

声優、俳優の素晴らしい演技。

アニメーションにしかできない映像と音響の革新的な表現。

全方位に技術の進歩を感じる仕上がり。

感情の繊細な動き。緻密さと余白。

 

それでわかった。

前作で削られていたものの中には、わたしの、多くの女の人たちの、かつて子どもだった人たちの生にかかわる大切なことがあったのだ。

ゆえに削られたことがこれほどまでに苦しく、悔しかった。

そこは見ない、ないことにされたようで。

また、それが削ぎ落とされた世界を、多くの人から絶賛されていたことが辛かった。

 

「すずさんの知らない面を多く見て戸惑った」というレビューを見かけた。

そう、複雑な存在だ。誰しも。

誰にも言えない気持ちを持っている。心の奥底に秘密があるし、いろんな感情がうごめいている。精錬で優美で邪悪で陰険だ。繊細で雑で、清純で妖艶で、子どもで大人で、弱くて強い。矛盾に満ちた複雑な存在だ。

相手との関係によって見せる面がくるくると変わる。

人間は役割や設定を生きているわけではない。

 

暑い時期に観ているので、映画の中と重なってきて、考えることが多かった。

 

戦争を背景に、その時間を生きる人たちの姿を見、

人たちの姿を見ながら、戦争を見る。


「この人たち」が命をつないでくれたから今の自分がいる。その人間のたくましさや希望を見る。

それと共にわきあがるのは、市民が、被害も加害も、とにかく現実を何も知らされていなかった、知り得なかったことへの無力感。

まだ聴いていない無数の片隅の物語が、あとどれだけあるのだろうという徒労感。

2020年の今もなお知らないことや、ふりかえれていないこと、課されてきた宿題の膨大さ、甚大さ......。

 

そして、なにより恐ろしいのは、もしも次に戦争になったとしても、もはやこのような画ではない可能性が高いということ。

言い方が難しいが、、映画は、戦争の恐ろしさを伝える役割やふりかえりの機会を提供しながらも、わたしたちの中の戦争のイメージを固定化する危険性もどこかはらんでいる、とも思う。今後起こり得ることについて考えるときには、他にも様々な叡智を駆使する必要がある。(参考図書:戦争とは何だろうか

......など様々な思いが胸をよぎる。

 

いや、まずは日本全国津々浦々、共有できる状態になった、知るところになった、ということが大きいのか。広島や長崎や沖縄で育った子どもたちは、その土地固有の学びとして、「平和教育」でこのような物語は、おそらく繰り返し繰り返し扱われてきたことだろう。この映画によって、それ以外の土地で育った人たちにも届いた。

さらには、世界へ。

 

 

ひと言では語れない。白黒つけられない。やりきれない。

でもそれだけじゃない。何かを言葉にせずにはいられない。

 

これもまた、わたしたちの生きている世界。

わたしたちが見てきたいくつもの片隅の物語。

このことを、映画を通して共有できる有り難さ。

 

ぜんぶ最初から丁寧にすくって描いてもらえた気がした。

再び作ってくださってとてもありがたく、報われたような気持ちになった。

 

前作を観た方も、新しい作品を観るように、出会ってほしい。


必見。

 

 

チュプキさんの音響は、「防空壕サウンド」の異名を持つほど、爆撃音や砲音などがリアルな轟音と振動で伝わってきます。わたし自身、想像以上の恐怖を味わいました。感じ方は人それぞれですが、「自分はきっと苦手だろう」と自覚されている方は、音量調整が可能な「親子室」での鑑賞をお勧めします。お一人でもご利用できます。

 


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____Information____

7月25日(土)夜、Zoomにて

オンラインでゆるっと話そう『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を開催します。

chupki.jpn.org

 

 

▼チュプキさんのロビー、今こんなんなってます。
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映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(原題:Little Women)鑑賞記録

映画日本題『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(原題:Little Women)を観てきた。(タイトル長い...正式表記難し...)

https://www.storyofmylife.jp/

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鑑賞仲間の評判がすこぶるよかったので、とても期待して観に行った。

いやほんとうに、めちゃくちゃよかった!友人の「誰が観ても嫌な気分にならない」という感想の意味が、実によくわかった。

脚本、登場人物、俳優、編集、カメラ、照明、音楽、衣装、美術、、、

すべてがよい!びっくりするぐらいよい!

今これを観られてよかった!!

観終わった瞬間、もう一回観たい!と心から思った。

 

 "女性がアーティストとして生きること、そして経済力を持つこと。それをスクリーン上で探求することは、今の自分を含む全女性にとって、極めて身近にあるテーマだと感じています。"監督・脚本/グレタ・ガーウィグ公式ホームページより)

このことをとても受け取った。わたしは女性で、ジェンダーギャップ指数121位の国で生きているから。(2019年)

 

しかし男性がなおざりにされているとか、責任追及や非難をされているかというと、まったくそうではない。アーティストとして生きること、経済力を持つこと、社会で発言権を持つことが難しい、、そんな人生を生きる女性たちの葛藤に対して、男性たちは真摯で誠実である。かれらも自分の葛藤の人生を生きながら、そのことに向き合っている。その姿は美しい。

性別も、年齢も、"人種"も、経済格差や差別の問題も、この映画ではすべて「あるもの」として大切に扱われている。

 

映画の中で一人ひとりがその人の人生を生きている。

必死にやったことを間違っていたと認めたり、

決めたことだけど、挫折したり、

反発していたけれど、賛同したり、

これが良いと信じていたけれど、ふりかえれば違うふうに感じているとか……いろんな葛藤と決断が出てくる中で、「変わってもいいのだ。変化しながら生きてゆくことが美しいのだ」と伝えてくれる。

 

この映画は、世界がこんなふうになったらいいのにという理想ではなく、時代が変わっても、映画の世界でなくても、あり得ることだ。

自分の中にもあった「よい経験」をいくつも思い出して、つなげて、極めて現実的で日常の役に立つ物語に転換する力を持つ。

 

よい物語。

 

四姉妹の母・マーミー・マーチの「わたしも時間をかけてやったの。あなたはもっとうまくやってね」という言葉。これは、具体的な言葉にはしないけれども、伯母の態度や行動にもあるもの。それは、「前の世代から受け継いだものを、自分の世代でよりよくし、次の世代に手渡していく」というテーマ。

そのことにまさに今取り組んでいるわたしとしては、このあたりからもう涙が出て仕方なかった。

 

わたしたち、望むほうへ進んでるんじゃないかな。

そう信じられる希望の物語。

 

2回目を観る友だちと一緒に行って、終わってから感想を話していたら、3時間も喋り続けていた。映画の感想と、そこから展開した映画にも関係ある大事な話と。

次観るときは、この豊かな時間も持って行って観るから、もっと体験がふくらむはず。楽しみ。

 

それ以外の感想もたくさんあるけれど書けない、自分にとって大事すぎてまだ書きたくない。

と、いうぐらいによかった。

 

言葉に力があり、展開がとても練られた脚本だったので、英語のシナリオがほしいな、取り寄せできないかな、と思ってネットを検索していたら、なんとすぐに見つかった。これ読んでからもう一度観にいくと、オペラを観に行く前にアリアを予習するみたいに、きっと味わいが百倍になるはず。

 

variety.com

 

とにかくおすすめです。『若草物語』を読み返したほうがいい?と聞かれたけど、いや、むしろ自分の今抱いている『若草物語』のイメージのまま観に行ったほうが、受け取るものが大きいんじゃないかと思う。

 


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でもね、ここからが一番書きたかった話。

 

この映画の素晴らしい革新性と力強いメッセージにもかかわらず、日本の予告編が全然別物で残念なのですよ。

 

youtu.be

 

「結婚するかしないか」「なんのために結婚するか」「結婚か仕事かで迷う」人たちの話みたいに見えてしまう。押し出されているのは、弱さ、優しさ、ときめき。
四姉妹のそれぞれのキャッチコピーも、そんな一面的な人物像ではない。
こんな話ではない、この作品の奥深さが伝わってこない。

宣伝のための「これまで通り」の編集や言葉の使い方が非常に残念な予告編になっている。

 

オリジナルの予告編と見比べると一目瞭然だ。

 

youtu.be

 

日本の予告編からは、差別の現実、伝統的な価値観への抵抗、自立した個同士の対等な関係性、アーティストへの敬意、野心、主張、才能がすっかり抜かれている。

それが何を意味しているのかは、容易に知れる。

それって、作品と観客への冒涜とも言えるんではないでしょうか。

 

わかりやすくすることは、旧い価値観を踏襲することでも、ステレオタイプ化することでもない。この予告編を作るだけのクリエイティビティがあれば、あの映画に込められたメッセージや世界観をわかりやすく伝えることは造作もないはずなのに。

 

と考えていたら、2016年に見かけたこのツイッターまとめを思い出した。

togetter.com

 

ハッシュタグは「女性が主人公の映画」のほうがよかったと思う)

この一連のツイートを観て、違和感が言語化されたようでスカッとした。

実際観てみたらイメージが全然違う内容だったというのは騙しだし、「ターゲット層はこういうのを喜ぶだろうから」というのは、ローカライズではない。

ひと昔前の、海外の状況を知る手段がない、英語も得意でない、という扱いで「大衆」向けに広告を打てた時代はとうに過ぎている。

 

映画は、他国の文化風習を知ることを通して、自国や自己を省みる機会でもある。

映画はビジネスでもあるが、メディアでもあり、文化の担い手でもあることを、今回の鑑賞を通じて再認識した。

 

いろいろ書いたけれど、『Little Women』は、性別も世代も立場も関係なく、とにかく誰が観ても幸せと希望を感じられる映画です。

ほんと、みんなに観てもらいたいよ。(なんにでもすぐこう言っちゃうけどネ)

 

グレタ・ガーウィグ監督の前作も良いです。ジョーとローリーが出てるよ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

*追記*

先日2回めを観に行きました。1回めには気づかなかった箇所に目が(耳が)いってもっと受け取るものがふくらむ。2回観るととてもよいです。

diskunion.net

 

 

 

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METオペラ『ポーギーとベス』鑑賞記録

METライブビューイングでオペラ『ポーギーとベス』を観てきた。 

ガーシュウィン《ポーギーとベス》 | 演目紹介 | METライブビューイング:オペラ | 松竹

 

安定の東劇、好き。


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もともと観るつもりでなかったのだけれど、いつもオペラの話をしている鑑賞仲間が続々観に行っていて、持ち帰ってくるその熱狂ぶりが気になって、わたしも観ることにした。

新型コロナウィルスによる感染症拡大の影響を備忘として記録しておくと、

メトロポリタンオペラは、3月12日以降の今シーズンの現地全公演を中止することを決め、第9作《トスカ》と第10作《マリア・ストゥアルダ》は、公演中止。

 

現地で公演&収録済みの第6作《ポーギーとベス》、第7作《アグリッピーナ》、第8作《さまよえるオランダ人》は日本でもライブビューイングで上映予定だったけれども、4月3日から公開していた《ポーギーとベス》と4月10日から公開の《アグリッピーナ》は政府の緊急事態宣言を受けて映画館自体が休館。

緊急事態宣言が明け、社会が平常に戻りつつある6月26日から、映画館が再開して《ポーギーとベス》が上映、、という流れ。

 

3月からの3ヶ月ちょっとの間、メトロポリタンオペラは過去の公演を日替わりで無料ストリーミングしてくれていて、それを観ながらなんとかしのいでいた。途中ではこんな記事も書いた>ありがとう、MET Opera!

やっぱり映画館で大きなスクリーンで、良い音で観たい〜!!と渇望していたので、《ポーギーとベス》は待望の再開だった。

スクリーンに映る客席では誰もマスクをしていないし、いつものように満席で、人々の笑いさざめきが聞こえ、オーケストラもオペラ歌手たちもそれぞれの表現を目一杯している。それを観ているわたしは、ひと席おきに設定された座席に座り、手は消毒をして、マスクをしている。そのギャップに切なくなったりもした。

でもそうまでしてもやはり観たかった!!わたしにはオペラが必要!

 

また、作品のテーマからいうと、アメリカで起きたBlack Lives Matterのウェーブが世界に大きな影響を与えているときでもあった。

METでの上演も30年ぶりとのこと。

さまざまな意味で、わたしにとって特別な作品、特別な鑑賞になった。

 


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いやー、 観てよかった!ほんとよかった!!

ただいまメト!オペラがあってありがとう!

うれしくて泣いた。

アツい感想が止まらない。

非常に現代的で普遍的な物語。

今後もそのときどきで解釈され演じられて、観た人の一部になっていくのだろう。

 

 

徒然と感想メモ(かなり詳しく書いたので未見の方はご注意を

1920年代のアメリカ南部の町、チャールストンが舞台。オペラ初演は1935年。世界で最初のミュージカル作品は1927年の『ショウボート』だそう。ブロードウェイのミュージカルが全盛になっていく直前の、移行期のような作品。オペラでもありミュージカルでもあるような、不思議な魅力の作品。

ガーシュインのバリエーション豊かな音楽と歌手の表現力(歌唱力と演技力)が全編に渡って素晴らしい。物語の展開も速くて、3時間半近くあるのに、全く飽きない。

・サイコロ博打、運を天に任せて刹那的に生きるしかない彼らの象徴のよう。

・薬物依存症という観点から、『生きのびるため犯罪(みち)』『その後の不自由―「嵐」のあとを生きる人たち映画『トークバック 沈黙を破る女たち』などを思い出した。現代の現実社会の話をして観た。それぞれの作品に出てきた、薬物依存を抱えている女性が、男性との関係や人間関係全般に問題を抱えている、というエピソード。

・ポーギーの自立の物語だと感じた。障害を言い訳にして生きてきた自分を捨てて、外の世界に、「物乞い」など、なんの修飾語もつかないポーギーとして立つ。そのための行動のきっかけになったのがベス。ベスを自由にするためにとった行動が倫理的には間違っているけれども、ポーギーを自由にした。

・もしかしたら少し遅れてベスにも自立が訪れるかもしれないという予感。おそらく厳しい生い立ち。境界を侵犯され続けてきた自分、自分の真ん中を明け渡さないと生き抜けなかった自分を恥じることなく受け入れるときがくる。誰から必要とされなくても、自分として生きるタフさを少しずつ身につけていく。

・もしもNYで二人が出会うことができたら、ポーギーの生き様にベスは影響を受ける、育まれる。誰かの物(わたしの男、おれの女)としてではなく、個として相対し、条件のない愛に出会える。ニコイチの関係を脱して、向き合える日がきっと来る。そんな予感をさせる希望に満ちたエンディング。(ニコイチ=二個で一つ。すごく寂しいときやストレスがかかったときに、相手とぴったり重なりあう関係を望んでしまう。自分と相手との境界がなくなって、束縛したり依存する関係。異性、同性、親子、友人同士でも起きる)

・ニコイチ・2人の世界になりかけたけれど、島へのピクニックにベスを行かせるポーギーは、ベスほどには境界は曖昧になっていないし、「あなたは足が悪いからわたしがいてあげなきゃ」という申し出にNOを言える。ここはホッとするシーン。

・閉鎖的なコミュニティは同じ民族、同じ境遇の人たちが集まっているので安心安全な面もあるけれど、行動はすべて筒抜けだし、同質性が自立を妨げるようにもはたらいてしまう。キャットフィッシュ・ロウでは、男性はどれだけ悪さしても比較的ゆるめに包摂されているが、女性は信仰や貞節が無いと疎外されているように見えた(つまりベスの状態)。独身でパートナーもいない女性への風当たりがキツかったのだろうかと想像させる。かつての日本の村社会を彷彿とさせる。

・あのコミュニティでは悼むことが許されないのも、しんどそうだった。人権が認められないから、神の前に人間は皆平等とされる信仰にすがる。でもどんな悲しく辛いことも「神の思し召し」に帰されてしまう。悲しめない、怒れない、絶望がたまる。忘れましょう、というかのような明るい曲調が、パワフルでもあり、同時に残酷。

・(幕間インタビュー)公演期間中に、MET資料室の展示『MET黒人歌手の軌跡』が行われていたそうだ。アフリカ系アメリカ人のオペラ歌手はいたが、出演できなかった人たちも多くいたそう。「歴史を公平に議論するための展示」と担当者。

・黒人の病院がない?かあってもかかるのが難しい?「イエス先生」に祈って治すしかない。社会が人権を認めないときに、すがるものは信仰。祈ることしかできない。過酷。

・男たちの浅はかな行動に女や子供たちが犠牲になっている図。女たちの言葉に男たちは取り合わない。女同士で慰めあうしかない。

・ベスの精神的な弱さ。自分の大事なことなのに、自分で決められない。「あんたはどう思う?」と聞いてしまう。「誰かに必要とされていること」が大事になってしまっているように見える。奪われ続けてきた人なのかも。もしかしたら、親との間にきっと責任を引き受けられないのだよね、、ストレスがかかると全部を捨てて、慣れ親しんだ逃避の行動をとってしまう。ここではない遠くに連れて行ってくれる人やものに惹かれてしまう。しかし葛藤するベス。リアル。

・ポーギーもベスも、生い立ちがハードだったんだろうなぁと想像。親との間で愛着形成がうまくいかなかった者同士が出会ってしまったときの関係の作り方。自分を「必要としてくれる」かどうかで決めてしまう。必要としてくれる人を居場所にするのは、恋愛の一部分かもしれないけど、自立した同士の健全な関係ではなく、依存に陥りやすい。 だから言葉にしていちいち、「おれの女」、「わたしの男」と言い合って確認していたのかもしれない。「愛してる」と歌うけれど、視線はどこか自信なさげで、心からというよりは、どこか不安そう。無条件で受け入れてもらいたくてとる試し行動のようなものも、あれは本当は親にやってほしかったのではないか。そう考えると、お互いに求めてたのは父性や母性だったのかもしれない、、という勝手な想像。

・ クラウンのベスへの感情も恋愛というより、依存や執着。支配欲。「だれも話す相手がいなくて死にそう」という言葉が辛い。クラウンもどうしようもない孤独を抱えている。

・どの人物も物語の設定に振り回されているのではなく、一人の人間としてそこにいて、不幸な人、可哀想な人、酷い人では終わらない、不思議な魅力をたたえていた。困っていたり、困らせていたりするし、絶望も感じているけれど、でも人生終わったわけじゃない、まだこんなにも生きている!という力強さ。そこを見なきゃね、と思う。

・登場する人物や関係は、現代の社会にもある現実の問題を浮かび上がらせていた。

・National Theatre Liveで観た『リーマン・トリロジー』を思い出した。リーマン・ブラザーズはドイツからアメリカに移民してきて、小物屋から、綿花の卸売業をする。綿花園から安く大量に買付して都市に高く売ることで財を成した。あの綿花園の中に、キャット・フィッシュ・ロウ(なまず横丁)のようなコミュニティもあったのかも?なんて想像したりも。歴史の大きな流れからしたら、名を残さない人々の、取るに足らない日常の小競り合いかもしれないけど、たしかに生きている人がいた、という記録のようなものでもある。

・生きている人といえば思い出すのが、2017年にピナ・バウシュ ヴッパータール舞踏団の"NELKEN カーネーション"という公演に行ったとき、演出で、ダンサーが客席に降りてきて、客とハグするっていう時間があった。わたしは1階席前方・通路側の席だったのでラッキーにもハグしてもらえた。そのときのダンサーがアフリカ系アメリカ人の女性で、ハグしたときの感触がすっごかった。筋肉、生命力、肌の質感、祝福、一生忘れられない。このときの感覚を記憶から立ち上げながら『ポーギーとベス』を観ていたら、体温や息遣いを感じられた。リアルタイムでも、生の舞台でもないけれど、感じた。

・殺人が軽く扱われていることの違和感。白人からの暴力もあったし(史実では殺人も多数...)、もしかしたら殺人も日常的な風景だったのかも。乗り切るために、歌って踊って封じ込めていくのかもしれない。だからあのサマータイムの歌詞。現実の辛い状況を真逆の言葉の歌詞にして歌いあげるような。 

・カーテンコール、鳴り止まない拍手、嬌声。白人の役の歌手へのブーイング(こんなの初めて見た)、

 

ここからが二人の物語。
どういう結果になっても未来がある、という晴れ晴れとした気分になって劇場を出た。

一夜明けて翌日は晴れて気持ちのよい日だった。

前日の「ポーギーとベス」を観たからか、気や血が「身体を巡った」ような感じがあって爽快だった。オペラ効果すごい。

 

オペラありがとう!!

オペラ仲間ありがとう!!

 

 

 

舞台であるチャールストンはここ。南東部、サウスカロライナ州(by Google Map)

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チャールストンの歴史。

globe.asahi.com

 

 

こんな歴史も知っておくと、また受け取るものが変わりそう。(読みたい)

www.vogue.co.jp

 

 

音楽で余韻に浸る...。オケの動画はどんな楽器が鳴っているかわかって良いなぁ。

LVのインタビューで「南アメリカではよく上演されている」という南ア出身の歌手が話していたけれど、こちらもケープタウンの方々。指揮者もノリノリでいい。

youtu.be

 

 

 

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seikofunanokawa.com

映画『ラブン』鑑賞記録

ヤスミン・アフマド監督の長編デビュー作 『ラブン』を観てきた。


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 ヤスミン・アフマド監督の映画は、昨年末にはじめて『タレンタイム〜優しい歌』を観て知って、大好きになってしまった。翌日に『細い目』も観てほんとうによい映画だったので、こんな感想も配信。ぶっちぎりで称賛しています。

note.com

 

わたしがヤスミン・アフマド映画が好きなのは、彼女の眼差しの誠実さと優しさ。

対立と分断に傷つきながらも、微かな希望を見出して生きているわたしたちへのエールだと受け取っている。

 

『ラブン』もまた素晴らしい映画だった。

都会と田舎。田舎への根拠なき憧れと現実。南と北の文化の違い。人のつながりの濃厚と希薄。血縁や家族関係であっても希薄だったり遠かったり様々だ。逆に「他人」であっても、民族が違っても濃い関係は生まれる。一概には言えない。

〇〇人だから、〇〇な世代だから、女だから・男だから、障害者だからなどの、一元的な物の見方やラベリングをばりばりを剥がして見せる。

「あなた、霞み目(ラブン・Rabun)なんじゃない?」と。

 

中心になって描かれるのは、老齢期に入った夫婦。

タレンタイムも細い目も、若い世代が物語を牽引していたので、長編デビュー作で老年期を主人公格に置くのはちょっと意外だった。

この夫婦がまたとても仲良しで、いつもキャッキャいって楽しそうだ。二人の間にしかないコミュニケーションがなんとも微笑ましい。老年期の性などもサラリと描かれる

かれらは田舎の別荘を買って、たまに滞在して少しずつ整えていくのを楽しみにしているが、親戚関係にある隣家の男から逆恨みにあって、騙されたり、嫌がらせを受けたりする。これがシャレにならないというか、見方によってはほとんどホラー映画じゃないかとさえ思うのだけれど、独特のユーモアで軽やかに運んでいくのが、ヤスミンらしい見せ方。その狂気ぶりを描きたいわけじゃない、というところが観客にも理解できる。

それでいて、そこに重く横たわる格差や分断や暴力、人の性(さが)なども見過ごさずに描いている。


あの夫婦だって決して善人というわけではなく、格差に無頓着で、無意識に「えげつない」こともしてしまう。それぞれの民族の伝統的な家族制度の世代間の歪みもありそうだし、もしかしたらDVの問題や、田舎の教育の問題、若者のコミュニケーションや発達障害からくる引きこもりのような問題もあるかも、、など、いろんな背景も想像される。

とにかく徹底して「ある」ということから目を逸らさないし、こうであるべきということも言われない。

 

ただ最後にたどり着くのは明るい場所。

人々は笑顔で、すべてが許されていて、温かく満ちる。

流れるのは、ドビュッシーの『月光』。

お互いがお互いを照らす存在ということか。

 

ヤスミンの宗教観か死生観かを見るようなシーン。

いや、そんなラベルもまた自分を「ラブン」にしてしまうか…。

 

ヤスミン・アフマドが映画として遺したのは長編6本と短編1本。

他の作品も観たい。また近いうちにリバイバル上映を期待したい。

 

 

おまけ。

予告編で『欲望の翼』がかかって思わず息が止まった。

我が青春のウォン・カーウァイ!思えばなんて贅沢な映画だったのか。

この映画がリリースされた頃から、香港はすっかり変わってしまった。

 

そしてユジク阿佐ヶ谷は8月終わりで休館とのこと。悲しい。

クローズまでに何か観に来られるといいな。

約50席を半分に減らして、「満席」の状態というのが、なんとも切ない。



ヤスミン・アフマド映画についてはこちらにまとまっている。

moviola.jp

 

愛と敬意でいっぱいの読解書。ほとんどファンブックと言ってもいい熱量。

 

そしてなんと、ヤスミン・アフマド監督の『細い目』と、先日観た『タゴール・ソングス』との思いがけないつながりがあったことを知る。驚喜♡ 

note.com

 

『ラブン』の中でも歌を歌うシーンが出てきて、タゴール・ソングを彷彿とさせた。

歌は慰め。感情を一瞬で分かち合うもの。

 

つながりあい、分かち合う、世界。

美しいね。

 


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〈レポート〉5/31 オンラインでゆるっと話そう『プリズン・サークル』 @シネマ・チュプキ・タバタ

5/31(日)午後、シネマ・チュプキ・タバタさんとコラボの感想シェアタイム『ゆるっと話そう』の第12回をひらきました。前回『インディペンデント・リビング』でゆるっと話そうに続き、オンラインでの開催となりました。

 

chupki.jpn.org

 

 

 

ご参加のみなさま

東京近辺の他、仙台、山梨、名古屋、神戸からご参加いただき、遠くの方とも一瞬でつながれるオンラインの良さを感じました。映画も、外出自粛前に映画館で観た方、オンラインで観た方、両方観た方などさまざま。朝見てからこれに参加した方、オンライン配信のおかげで観ることができたという方、中3のお子さんと一緒に鑑賞して事前に感想を話してきた、という方もいらっしゃいました。


定員は前回から2名少し増やして計9名としましたが、当日までにめでたく満席となりました。感謝!

参加者の中に聴覚障害の方がおられたので、UDトークの文字配信をサポートするスタッフさんにも入っていただきました。それに加え、たまたま参加者の中で手話通訳をお仕事にされている方がいらっしゃり、快く通訳を引き受けてくださいました。

UDトークで文字でやり取りできるだけでもうれしかったのに、手話通訳になるとより生身同士でコミュニケーションができる感じがあり、わくわくしました!

 

進め方

この日大切にしたのは、刑務所でのサークルに対して、シャバでのサークルを作りたいという思い。一人ひとりが安心安全な中で、なるべく発言しやすいように、そしていろんな人の話が聞けるように、場を進めました。

一人ずつのご発声:「呼ばれたい名前・今いる地域」と共に

 ↓

3人サークルでシェア:「映画どうだった?」

 ↓

全員でシェア:「どんな話出た?」

 ↓

全員でさらに対話:「今の話聞いてどう思った?他には?」


最初に3人のサークルで小さく感想を話すところからはじめたのは、人数の多い中で感想を話すってやっぱり緊張するから。Zoomのブレイクアウトルーム機能をつかって3部屋に分かれていただき、わたしの他、チュプキのスタッフさんが1人ずつファシリテーターとして入り、サークル内の進行をしていただきました。

 

 

全体でのシェア

小さなサークルでどんな話をしたかをシェアしていただきました。こんな話題が出ました(一部)。

・自分にも覚えのある感情を持った、自分と何も変わらない人が出ていたことの衝撃。たまたま出会った人や、たまたま生まれ落ちた環境が違うだけ。

・TCが社会にも当たり前のようにあれば、結果は違ったのかもしれない。

・刑務所でTCをやっているところが他にないということに驚いた。なぜ広がらないのか。

・自分の生い立ちを語る場がとても苦しそうだった。そのような中でも自分と向き合い、言葉を絞り出していく様子に心動かされた。

・その辛さが、目の前にいる支援員に、怒りの気持ちや反発として現れることはなかっただろうか、という疑問もわく。

・自分も誰かを傷つけたときに「自分は悪くない、相手が悪い」と言ってしまって認められないことがある。受刑者の方がそのように話しているシーンは、自分も苦しかった。自分はたまたま犯罪になっていないだけで、とても他人事とは思えなかった。

・TCではないが、当事者同士で話し合う場に参加したことがある。そこでは自分の苦労を語ったり、ロールプレイをした。気持ちをわかってくれる人の前で、自分に正直に話していいというのはとても癒しになった。そういう場が社会に必要だと思った。

・大と小のコントラストが印象的だった。3〜4人で作る小さなサークルと刑務所という施設の大きさの対比や、日本で収容されている受刑者のうち、TCを受けられるのは数%という小ささの対比。

再犯率が半分ということは、半分は再犯しないが、半分は再犯するということでもある。

・TCで心的成長を遂げたそのあとの社会に出たときのギャップが大きいようだった。伴走者もいたようだけれど、しんどいと言える、支える仕組みなど、もっと社会に受け入れる準備が必要。わたしたちが問われている。

・社会が変われば刑務所も変わるのでは。

 

 

 

ふりかえり

退出前に一人ずつ今の気持ちを場に置いていっていただきました。

「自分の言葉でしゃべれる場でよかった」「一本の映画からこうも異なる感想が出るとは」「わたしたちもこうやって多様性を認める訓練をしているのかも」など、1時間という短い時間ではありましたが、場を信頼して積極的に参加してくださり、たくさん受け取ってくださったことが感じられました。

 

社会にも真摯な対話を求める人はたくさんいます。

SNSやオンライン会議ツールなどの普及で、対話の場もよりつくりやすくなっています。対話のお作法も少しずつ広がっている。場を通じて多くの人が学んでいる。そのことを、何よりもまず社会にいるわたしたちが実感し、存在を信じられる小さな体験がたくさん必要です。


異なる背景からの異なる感想一つひとつに、温かな関心を向け合う時間、つながりの感じられる場。「この作品をきっかけにもっと現状を知りたい、考えたい」という宣言も聞かれ、作品のもつ力をひしひしと感じました。

わたしも、このような場をひらくことで、小さな相互作用をたくさん重ねる中で、変化を少しずつ起こしていけたらと願い、引き続き行動していきたいと思います。

 

ご参加の皆さま、劇場のチュプキさん、坂上監督、配給の東風さん、ありがとうございました。わたしたちに多くの示唆を与えてくれた(元)受刑者の皆さんや、TCの場をつくっておられる方々にも、心から感謝いたします。

 

作品を語りあう小さな場が、回復の連鎖の一助となりますように。

 

 

鑑賞後におすすめの資料


◉島根あさひ社会復帰促進センター
名称に「刑務所」が入っていないところにまず驚きます。
PFI方式と呼ばれる官民共同運営の施設ですが、どのような企業が参画していて、どのような組織になっているのかを「センター概要」に見ることができます。また、「社会復帰に向けた取り組み」の中で、TC(回復共同体)がどのように位置付けられているのかも非常に興味深いです。
3本柱のうちの1つが回復共同体で、その他の修復的司法、認知行動療法である点も、目を留めたいところです。
http://www.shimaneasahi-rpc.go.jp/index.html


坂上香監督ティーチイン動画(2020/5/22Youtube)
坂上監督が映画制作への思い、撮影の背景、撮影対象者のその後について、当日チャットに寄せられた質問に答えながら、詳しく話してくださっています。これは聞くと聞かないとでは、映画鑑賞の深まりが全く違うといっても過言ではありません。必見です。
https://youtu.be/E6i1xpoDOec


◉パンフレット『プリズン・サークル』
各章の要約、心理・教育・支援の第一人者の寄稿文、2019年早稲田大学でアミティ関係者を招いてひらかれたシンポジウムの再録、監督インタビュー等を収録した充実の内容です。
http://tongpoo-films.shop-pro.jp/?pid=150679505


坂上香/著『ライファーズ 罪に向きあう』
『プリズン・サークル』と双子のきょうだいのような映画、『ライファーズ』をめぐる旅の物語です。TCのアメリカにおける実践団体アミティと島根あさひ社会復帰促進センターとのつながり、坂上監督の人生における位置付けが、第1章で描かれています。
アメリカだから可能なのだろうか」「日本ではなぜもっと刑務所におけるTC(または類似のプログラム)が広まらないのだろうか」との問いをもった方に、さらに考えを深めるきっかけになる本です。
人生の多くの年月をかけて、この課題に取り組んでいる方がおられることに、深い感謝と尊敬の念を禁じえません。
https://amzn.to/2B7LhiH

 

 

『プリズン・サークル』『ライファーズ』を7月にチュプキで再上映!
特に『ライファーズ』を見逃していた方はぜひ!

chupki.jpn.org

 

〈仮設の映画館〉での配信は、7月10日まで!

www.temporary-cinema.jp

 

 

おまけ。このブログの関連記事です。

映画『プリズン・サークル』 鑑賞記録 

書籍『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』

映画『ライファーズ ー終身刑を超えて』鑑賞記録

映画『トークバック 沈黙を破る女たち』鑑賞記録

《レポート》2/11 トークバックでゆるっと話そう@シネマ・チュプキ・タバタ

映画『獄友』鑑賞記録 

《レポート》10/18 『教誨師』でゆるっと話そう@シネマ・チュプキ・タバタ

 

 

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映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』鑑賞記録

ポレポレ東中野で『なぜ君は総理大臣になれないのか』を観てきた。

映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」公式サイト

 

きっかけは友人の投稿。

こんな政治家もいるんだな、と希望を抱かせてくれます。

2017年の衆院選の裏話や比例と小選挙区の違いなども分かってめちゃ面白いよ。

とのこと。

 

 


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正直なところ、観るまでは、「ちょっとズレたところもある、熱血すぎる若手議員の奮闘記」みたいな内容なのかと思っていた。

 

全然違った。


頭を動かし、心を震わせ、身体を使う、一人の人間の姿がそこにあった。

「こんな政治家がいたのか!」

「ずっとこういう政治家いないのかなぁ〜と思ってたんだよ!」

「青き衣の者?!(風の谷のナウシカ)」

「こういう世界があるのか!(家族と地域総出で候補者を支援)」

「こういう構造になっていたのか!(選挙と投票、政界)」

がいっぺんにきた。

 

「なぜ小川さんは総理大臣になれないのか」

と、問われているのはむしろ私のほうだった。

拍子抜けするぐらいの庶民感覚と、世界、地球の中の日本を観るというバランス感覚。一人ひとりと全体、過去と今と未来を見わたす眼差し。聡明さ、明晰さ、誠実さ。

「したたかさが足りない」というけれど、気弱なわけでは全くない。非常にタフな精神をお持ちだ。

追及すべきところでは、激しく、厳しく、全力で戦っていた。
自分が権力が欲しいからではなく、みんなのために。


特に、希望の党合流とその後に起こったこと、この選択を「間違えた」ときの小川さんのふるまいや言動にも、「こんな政治家がいたのか!」と思わせるところがあった。

この人のリーダーシップをこれからも注目したい。

 

 

映画を観ながら、政党の変遷など推移がわかっておもしろいのだけれど、一方で、まるでこれは室町時代安土桃山時代か......という感じがして、しょうもない権力闘争はほんとうにどうでもいい、小川さんに早く政策提言、立法してもらえないか、とずっと考えていた。

批判しなければ状況は動かないし、目に見えるように訴えなければならないのはわかっているけれど、このあとからあとから出てくる汚行の粗探しのようなことに、優秀な人々の時間もエネルギーもとられていくことに、言いようのない無念さを感じた。

きっと今までだって、こんなふうに潰されたり削られたり、ずっと起こってきたんだろう。

 

パンフレットにも書いてあるけれども、「政治家は言葉が大事」。それをひしひしと感じた。わたしはコロナ以前からずっと、言葉を蔑ろにする政権の言動に散々傷ついてきた。そういう自分を認め、受け入れることができた。真摯な言葉を紡ぐ政治家もいるのだ、ということが救いだ。(言葉の話は内田樹さんの記事にもあるのでぜひ一読されたい)

 

当日の鑑賞後はすぐに話したくて居てもたってもいられず、この映画のことを教えてくれた友人に連絡をとって会い、2時間半も話し続けた。

映画の感想はもちろん、今まで政治について考えてきたことをどんどん話した。

「おかしいと思ってよかったんだ!」「話せる相手がいる!」という安心安堵。

そうだ、わたしは本当はもっと政治について話したかったのだ。

 

そう考えると、知らず知らず自分も飼い馴らされてしまっていたことに気づく。
いったいこの躊躇は、いつから、どこから、はじまっていたのか。

複雑で、一筋縄ではわからないようになっている。考えなくていいように仕組まれ、誘導されている。きっと話題にしないことからはじまっているのだ。空気の恐ろしさ。

 

でもそれを「制度や仕組みがこうなっている」「権利と義務」などの暗記からはじめるのでなく、小川淳也という一人の政治家への「個人的な関心」をきっかけに学びがはじまるところがいい。

これぞまさに学びの本質ではないか!

 

それを可能にするのも、やはりこの作品が映画としてもとてもおもしろいから。

騙されたと思ってみんな観に行ってほしい。

わかりにくい政党の変遷事情などが流れでわかる。また、大都市に暮らす人には想像しづらい、それ以外の地域での選挙の実態なども、時系列で観察できる。小川さんの家族の話にも共感するところがあるし、複雑な思いもある。「あの人たちにそう言わせているものは何か」というのも、有権者として考えなくてはいけないことだろう。

 

わたしはまだまだこれから学ばなくてはならないし、伝えていかなくてはならない。
この映画で観客に問われている「なぜ小川君は総理大臣になれないのか」を共有したい。一緒に考えたい。そんな場もつくりたい。

 

やはりわたしには「作品と鑑賞と鑑賞の場」なのだ。
作品を通じて語りたい。

描かれ、物語られることによって、より本質的な批判(非難や誹謗中傷ではなく)が可能になる。設計のある良質の対話は、編集のバイアスを軽々と超える。

 

 

5月13日、公開ぎりぎりまで粘った、撮って出し。大島監督の情熱に感謝。

都議選期間中の公開に間に合わせてくれた劇場に感謝。

 

これ、地上波TVの特集ではなく、「ドキュメンタリー映画」という形式だからこそ受け取れたと思う。お金を払って劇場に足を運ぶ人に届ける・受け取る。

作り手と受け手のお互いの約束や信頼。これは映画にしかない力。

映画だから、監督の個人的関心を動機に作品が作れる。

「君は総理大臣になりたいのか?」
「もしかして君は政治家に向いていないんじゃないか?」
の2つの質問を軸に、一人の政治開拓民の歴史を追う。

TV放映であれば、組織の方針に沿ったもっと公共性や中立性や問題提起を見せなければならない。映画だからこそ振り切れたところがあるはず。

 

ほんとうにこの映画はいろんな人に観てほしいし、語りたい。

 

 

 

▼映画どうしよっかなと思ってる方はぜひこの動画観てほしい。

youtu.be

 

 

小川淳也さんのツイッター投稿。「重ね合わせ、接点を感じる」...まさにそんな時間でした。 

  

▼2019年2月の予算委員会質疑 

 

映画から発展して思い出したこと。

 

以前わたしは、友人(だと思っていた人)に、これから自分のやっていきたいことを熱く語ったときに、「誠実さや正直さなんて一文にもならないよ、仕事になるわけない」と言われ、とてもショックだったのと怒りとで、縁を切ったことがある(もちろん他にもそれに至る理由があった)。

思えばこの人の前にも後にも、様々な形で同様の言葉は投げつけられてきた。

「したたかでなければ」「向いている・いない」も、そう。

おそらくわたしだけが経験しているわけではない、こういう冷ややかな態度や、わかりにくい形での攻撃(「もっと楽しい話をしようよ」とか)は、社会に溢れていると感じる。冷笑する人にも、それぞれの傷つきや絶望の過去があるのかもしれない。わたしも「加害」の側に回ったこともある(ほんとうにごめんなさい)。

 

それでも、わたしは、今は、そういうものとは距離を置いて、真摯な言葉に耳を傾けていきたい。人と手をつないでいきたい。

嘘をつかなくても、したたかでなくても、「能力」がなくても生きられる。
人を大切にすることを真っ当な手続きを踏んで、実現できる社会にしたい。

 

 

また、もうひとつ思い出したこと。

2016年に、松井久子監督作品、映画『不思議なクニの憲法』を観た。

fushigina.jp


観たのは、改憲に反対する有志がひらいた上映会で、監督の松井さんや上野千鶴子さんもゲストでいらしていて、お話を聞くことができた。

安倍政権になって、「特定秘密保護法」「防衛装備移転三原則」「集団的自衛権の行使容認」「安全保障関連法案」など、次々と外堀を埋める法案が可決されていって、これはヤバい!とようやく上映会で気づかされた。

しかしその後、わたし自身の身辺が慌ただしくなって、それどころじゃない状態になり、政治を丁寧に追うこともままならない日々が続き、投票に行ったりさまざまな社会課題を学ぶことはしていたものの、政治そのものに言及することが少なくなってしまっていた。仕方がなかったとはいえ、悔いが残るところもある。

もちろんどんな営みも「政治とつながっている」のは確かにそうなのだけれど、今あらためてストレートに政治を語っていく、批判していく、声をあげていく必要があると感じている。逃げてはならない、危機的状況。

 

 

ふぅ。いつも以上にバラバラとした感想になってしまった。

 

 

まずは、7月5日の都知事選投票日。

 

東京はコロナの感染症拡大に再び戦々恐々としているけれど、

でも投票、行こう!

自分も人も大切にする市民の権利を行使しよう!

 

 

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ピーター・ドイグ展 鑑賞記録

2020年6月16日、3ヶ月ぶりの電車に乗って、東京国立近代美術館へ。
ピーター・ドイグ展を観に。

 

美術館の前で思わず涙ぐんでしまった。

本物に会えることの喜びよ。すべてが愛おしい。

 

前週に東京国立博物館にも行っていたのだけど、鑑賞可能なエリアに制限がかかっていて、企画展の再開前で、まだまだ緊張感があったから、こうして全面再開されているのを見ると、喜びひとしおである。


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とてもよかった。前評判どおり。やはり行ってよかった。

水、海、川、森、夜、星、雪、空といった自然物から、卓球、四角、など様々なモチーフが少しずつつながりあい、一人の作家の表現世界を曼荼羅のように示している。

ヤゲオ財団コレクション展で観た作品に再会したこともうれしい。あれもこの美術館での開催だった。

 

 

はじめて見るのに、いつかどこかで見たような、経験したような景色、表情。

自分で旅をした場所かもしれないし、映像や映画で観たのかもしれない、小説や人の話から自分が立ち上げたイメージかもしれない。

 

これらをどんどん思い出して勝手につなげていくような鑑賞時間だった。

お能を観ているときのように、自分の経験のストックをぜんぶ使って観られる。逆に言えば、何も美術の知識は要らないということ。鑑賞者自身があるだけで、自分自身を使えば使うほど、果てしなくおもしろがれる。

「静止画」なのに、非常に動的に観られる。

もちろんドイグが「どういう経緯から、どういう作法で、どういう意図で」それを描いたのかも知っていれば、そのストックに加えてもいい。より鑑賞が多角的になる。

 

パッと観た印象 → 細部の観察 → 数歩下がって俯瞰 → 再印象 → 再観察

これを繰り返しながら辿っていくと、さらに物語の想像が膨らんでいく感じ。

ずーっと観ていられるし、いくらでも楽しめる。

隣で観ている人は、きっとわたしとは全然違う記憶を巡らせて、物語を描いていただろうと思うと、一人ひとりに声をかけて回りたくなる。

 

一つの作品から、一瞬にして世界とのつながりを感じられる。これぞコンテンポラリー。ピーター・ドイグが世界で注目されている理由がわかったような気がする。

 

 

のんさんのオーディオガイドもよい。とつとつとした話しぶりに思わず聞き入ってしまう。担当学芸員さんのお話もよい。ほんとうに「ガイド=連れて行ってくれる」感じ。

 

あまり美術館に行き慣れていない人におすすめしたい展覧会。

自分の好きな音楽をイヤホンで聴きながらまわるのも、おすすめ。

 

全作品が写真撮影OKになっていたけれど、撮らなかった。

外出を自粛していたこの3ヶ月、モニターばかり見ていたから、自分の目で観て身体全部で感じることを優先したかった。本物を間近で見て、この鮮やかさと立体感を得たあとでは、撮ったとしても何も映らなそうだ。

とにかくもう、鮮やかさが全然違う。

そのことにもまた涙腺が緩む。
ここに帰ってこられた。

 

数点だけ、ドイグがトリニダード・トバゴでひらいていたという映画上映会のための絵がよくて、それだけ撮った。

ドイグがピックアップした作品をみんなで観て、終わってから感想を話していたらしい。同じことをしているわたしとしては、親近感!

 


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どんな領域の芸術も、「もう出尽くした」と言われることがあるだろうけれど、こうして馴染みのある形式でも、新しい表現はどんどん生まれ続けていくのだな、と思った。

同時代を生きている感覚と求めが、作り手にも受け手にもあり、出会える場があれば、いくらでも成立していくのではないか。

 

 

会期はもともと6月14日までの予定が、10月11日までに延長された模様。関係各所・貸出元の協力もあって可能になることだと思うので、ありがたい。

peterdoig-2020.jp

 

 

コレクションのほうはわたしの大好きな小倉遊亀、吉田博、小原古邨もあり、満足。

 

▼こんな"椅子"あったっけ?と思って撮った。


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書籍『アルケミスト』『11ミニッツ』

2014年の読書記録。

 

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パウロ・コエーリョの「アルケミスト」読了。

不思議と心が安らいで、読みながら眠って、眠りながら読んでいたような、稀有な読書体験だった。

これはシンクロニシティの物語だ。
・自分の欲望を知り、心から求めれば開かれる
・人との出会いにおいては、インスピレーションを信じて(それが感じられるようオープンでいて)、偶然が通りすがったら迷わずつかまえる。
・夢を追い求めれば、人生の宝物に出会えると信じる。
・一番困難なときにこそ、自分には選択肢があることを思い出す。
・心の揺れ動きは心が生きている証拠。ネガティブな感情は、その先にある夢の実現を示唆している。

...そんなメッセージを受け取った。

ドアを閉めて次のドアを開け、迷いながらも今いる足場よりもっと遠くへ行こうとするとき(つまり今!)に傍らに置きたい本。

『大いなる魂』は人々の幸せによってはぐくまれる。そして、不幸、羨望、嫉妬によってもはぐくまれる。自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ。すべてのものは一つなんだよ。

おまえがなにかを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ。

 (本文より引用)

 

 

 

 

パウロ・コエーリョの「11分間」読了。

今年読んだ本の中で一番よかった。

 

愛と性の真性さを、泣けるほど真摯に探求しようとする女と男の物語。

品性と尊厳、思いやりと優しさと希望にあふれていて、読後はとてもあたたかい気持ちになった。映画化なんかぜったいしないでほしいなー。特にハリウッド的に料理されるのは、想像しただけで我慢できん。
ラテンアメリカの作家、好きだ。本も映画も音楽も絵画も、ラテンアメリカにはなにか惹かれるものがある。

人間はひとりひとり独自の欲望を生きている。それは各人の宝物の一部をなしていて、その情動が人を遠ざけることになる場合もあるだろうが、たいがいは、大切な人を近くに呼び寄せることになる。欲望こそが私の魂が選んだ情動だ。それはあまりにも強烈なので私のまわりのすべてのものに、すべての人に伝染してしまう。
一日一日、私は真実を選びとって、それとともに生きていこうとする。私はいつも、実際的で能率的なプロフェッショナルであろうと努めている。しかし、本当はいつでも、欲望を相棒として選んで生きていたい。無理強いされてではなく、また、自分の人生の孤独をいやしてもらうためでもなく、単にそれがいいものだから。そう、それは本当にすごくいいものなのだ。

(本文より引用) 

 

 

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seikofunanokawa.com

映画『あなたの顔』鑑賞記録

公開延期となっていた『あなたの顔』をようやく観ることができた。

封切られて3日後に観るなどとは、わたしにしては早い行動。観られるときに観ておかないと、いつまた制限がかかるか知れないから......。

www.zaziefilms.com

bijutsutecho.com

 

詩的な映画。

13人の顔が数分ずつ登場する。沈黙、語り、存在、光と影……ビクトル・エリセの短編映画(オムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』の一編)を思い出す。

ある人は若き日の栄光を語り、
ある人は植物や動物のように微動だにせず、
ある人は忙しなく動作し。

まばたき、声、笑い、皺、毛、化粧......。
日常生活で誰かの顔をこんなに凝視し、観察することもない。
しかも50代〜80代ぐらいの人たちの顔。わたしにとっては少し上から親の世代、か。

 

自分の顔だって、歯磨きと化粧のときぐらいしか見ない。見たとしてもこんな客観的な眼差しを向けることもない。どこかバイアスをかけて見ている。

 


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一度だけ、自分の顔に驚いたことがある。

2013年のワタリウム美術館で開催されたJR展。
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1302JR/index_e.html

顔のもつメッセージ性をつかったJRのInside Out Projectに、鑑賞者も参加できるというので、出かけていった。会場に用意されたフォトブースで顔写真を撮り、特大(B0サイズ?)のポスターにしてもらえる。データはここにストックされ、プロジェクトの一部となる

わたしもちょっとドキドキしながらブースに入り、シャッターボタンを押した。巨大な印刷機からポスターが吐き出される。それを受け取って、驚いた。

わたしの顔が、
わたしはここにいる!!
と言っていた。

大きく引き伸ばされたわたしの顔は、わたし自身が思っているよりもずっと力強く、眼差しは凛として、生命力にあふれていた。

その時期は仕事が激務で、美術館にも仕事の帰りに這うようにして行って、全然希望も見いだせていない時だった。どれだけげっそりした顔が出てくるのかと思っていたから、ほんとうに驚いた。

しかも、顔が勝手に語っているのだ。実に雄弁に。あらゆることを。わたし自身の存在を超えて。

このことは、その後のわたしの人生を変えるぐらいの強い力を持っていた。

それで瞬時に、なぜJRがこのプロジェクトを続けているのか、顔にこだわっているのかを体感した。(その後JRには、映画「顔たち、ところどころ」で"再会"した)

 

こういう過去の経験を持って観ているわたしは、『あなたの顔』で表現されていることをとてもよく理解していると、勝手に思っている。


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坂本龍一が音楽を担当したということでも話題になっていた。

事前に坂本のコメントを読んでいて納得したのだけれど、音楽というより音、もっと言えばノイズに近い。その顔から発せられるような、向き合っているわたしが感じ取って出しているような。存在の音、というのか。

 

ドキュメンタリーとくくるのはだいぶ違う。

パンフレットに書いてあったが、「映像と音のパフォーマンス」がぴったりくる。

  

わたしは、この作品が商業映画にのっていることがうれしい。
もっともっとアートの文脈にだって乗れたのだろうけれど。
そうするともっと鑑賞の機会は狭まっていただろう。

わかりやすく採算が取れるような映画ではなさそうだけど、でも映画館で観られてよかった。
あの時間を大勢の他人と共有できてよかった。

夢のような76分。

 

こういう映画が好きだ。

ミニシアターに通っていた大学生の頃に観ていた、ツァイ・ミンリャンの映画を、新作をこうして観続けることができるなんて幸せだ。ツァイ作品にいつもいつまでもリー・カオシャン(李康生)が出ていることがうれしい。

こういう映画も好きだ。

映画の幅広さ、懐の深さが好きだ。

 


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家に帰って、一番顔を観察しやすい他者として、我が息子の顔をしげしげと観察してみたのだけれど、年若い顔には何も刻まれていなかった。さっき見てきた顔たちとはまったく違う。人相すら漂わない。

まだまだ変化を遂げていく可能性に満ちて、輝いていた。

 

 


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映画『千と千尋の神隠し』鑑賞記録

息子とアニメーション映画「千と千尋の神隠し」を観てきた。

最近漫画版『風の谷のナウシカ』を語る会をひらいて、宮崎駿の作品づくりについてあれこれ話題にしたこともあり、タイムリーなリバイバル上映。

www.ghibli.jp

 

わたしはこの作品、映画館で観るのは2001年公開時に以来。DVDではたぶん30回は観ている。観すぎてフランス語版などでも観た。

 

いやしかし、大画面&良音響で馴染みの映画を観るのはいいですなぁ。映画って大画面で一番美しく見えるように作られているのだなと実感。

 

だから細かいところに気づけるし、劇場空間に包まれ、身体いっぱい使って観ているから、受け取るものが多い。

こんな色だったんだ、こんな音楽だったんだ、こんなものが映っていたんだ、という具合に。

 

この体験を息子と共有したかったのです。

 

ありがとう、映画館!

 


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今回気づいたこと。

・油屋に生えている花は季節めちゃくちゃ(アジサイ、椿、ツツジ、石楠花、ノウゼンカズラ)
・湯婆婆はどこに何をしに行っているのか
・ハクはどこに何をしに行っているのか(ハウル似) 

・川を追われたハクは魔法の力を得て何をしようとしたのか
・湯婆婆が立てた誓い「働きたい者には仕事をやる」とは
・なぜ宮崎駿は児童労働を描くのか
・スポイルする(完全に不適切とも悪とも言い切れない)大人の元で育つ、子どもへ「NOとリクエストの出し方」という自立のための贈り物
・過酷で理不尽な環境でも必ず味方は見つかる

・完全なる善、完全なる悪はない
・油屋(主従関係と欲望?)にいるからおかしくなるカオナシ。組織は「カオナシ」によってクラッシュする。

・油屋は油屋で悪ではなく、社会に必要な機能(神様のため)。働いている人は囚われなのか、包摂なのか。
・処罰されないカオナシ、たまたま救済される(仕組みではない点)
・りんを見てて思い出すのは、「こんなところ絶対に辞めてやる」といつも言いながらずっと会社にいた先輩。でもわたしが辞めるときお祝いしてくれた

 

岡田斗司夫さんの考察を読んだら、またいろいろ考えそう。

千と千尋の神隠し』を読み解く13の謎[前編] https://note.com/otaking/n/n1e4265aba064

 

ナウシカの会で、「これ読むといろいろわかりますよ」とオススメされた本。やっぱ読もうかなぁ。

  

きょう参加したウェビナーで登壇者の方が紹介されていた。

 

 

 

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映画『タゴール・ソングス』鑑賞記録

タゴール・ソングス』を観てきた。

tagore-songs.com

 

こんなブログも書いて楽しみにしていた。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

でも感染症流行で公開が伸びた。〈仮設の映画館〉での上映もはじまったけれど、どうしても映画館で観たくて、タイミングを待っていた。

その間、タゴールの詩集を買い、寝る前に読み、

 

 佐々木美佳監督のnoteを読んだりしていた。

note.com

 

 

実に3ヶ月ぶりに訪れる映画館。感無量......。


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なんだかもうひたすら幸せな時間だった。

 

100年前の詩人の言葉が人々の心に寄り添い、情熱を湧かせ、誇りを抱かせ、孤独を和らげている様。

はじめて聴くのに懐かしくて温かいのはなぜだろう。
共にするルーツがあるからだろうか。
わたしたちにも和歌という千年を超える歌(詩)があるからだろうか。

人間が生きるためには詩人が必要。
そして自分の内なる詩人を呼び覚ますことも必要。

 

 もし 君の呼び声に誰も答えなくても ひとりで進め
 もし 誰もが口を閉ざすなら
 もし 誰もが顔をそむけ 恐れるなら
 それでも君は心開いて 心からの言葉を ひとり語れ
 (タゴール「ひとりで進め」より)

 

この映画のテーマソングになっているタゴール・ソングが、今を生きるわたしたちへのエールに思えて、心強い。

 

 

ベンガルと言えば、わたしにとってはジュンパ・ラヒリの小説。

ベンガル出身の主人公や家族。人柄や振る舞い、コルカタでの暮らし。彼女の作品のルーツに触れる思い。「あの世界の中にタゴール・ソングもあったのかも?」

...とつぶやいたら、佐々木監督から、メンションいただきました。(3月上旬の話)

このあと図書館で見つけて、ほんとだ〜!とうれしかった覚えが。自分の温めていた世界が人を通してつながる瞬間。

 

 

つながるといえば。

映画って文化の架け橋でもあるんだよなぁ、としみじみ思った。外出自粛期間中のミニシアター・エイドの動きが起こったときに、「なぜわたしたちに映画や映画館が必要なのか」というところで考えた。

少なくともこれからわたしはインド、バングラデシュベンガルと聞けば必ずこの映画を思い出すだろうし、実際、帰宅してテレビをつけたら、ニュースで「インドが〜」と言っていたので思わず見たりした。

遠い国ではなくて、映画に出てきたあの人やあの人がいるところ、ルーツがあるところ、と思える。

 

人も世界も変化していくけれど、歌は継がれていく、残る。

 

 

佐々木監督、タゴールソングを紹介してくださって、ありがとうございます。

 

 


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書籍『読書会入門 人が本で交わる場所』

去年の秋(2019年)に発刊されたときから気になっていた本、ようやく読めた。

 

本の感想を複数人で語り合う「読書会」は、一人の読書よりも格段にメリットが多い。
誰かの意外な感想が、自分に足りない視座を教えてくれ、理解できなかった箇所は、他の参加者が補ってくれる。
課題本は、ビジネス書、小説、哲学書なんでもいい。
感想を自分の言葉で表現する行為は、新しい自分の発見へもつながる。
参加の仕方、会の開き方からトラブル対処法まで、日本最大規模の読書会主催者がその醍醐味を伝授。(幻冬社書誌より

 

猫町倶楽部〉という読書会を主宰する山本多津也さんの著書。

www.nekomachi-club.com

 

読書会に興味がある人なら、おそらく一度は猫町倶楽部のホームページをのぞいたことがあるかと思う。

猫町倶楽部に一度参加してみたいけれど、どんな場なのか知りたい。

猫町倶楽部に参加してみたけれど、どうしてあんなよい経験ができたのか、主宰している人はどんな人なのか知りたい。

という方にぴったりの本。

 

この本で猫町倶楽部を初めて知ったという方も、

・読書会ってよく聞くけどなんだろう?参加してみたいけど、どういう体験ができるんだろう?

・読書会をひらいてみたいけれど、どんなふうにはじめたらいいんだろう?やってみたら何が起こるんだろう?

という動機をお持ちの方は、得るものが多そう。

 

ホームページにも各回のレポートが詳細に載っているので、進め方や雰囲気は伝わってくる。それにプラスして、主宰の人がどんな思いをもって立ち上げたのか、なぜ続けているのか、どんな困難や喜びがあったのかなど、本人の言葉で綴る「本」という形式から伝わってくるものはやはり大きい。

 

猫町倶楽部ならではの体験を紹介しながら、読書という営みの尽きせぬ魅力、読書体験を人と交換することで得られる体験の無限の可能性についても、丁寧に書かれているので、よくぞ書いてくださった!という感じ。読書会について書かれた本はまだまだ多くはないので、うれしい。

猫町倶楽部は、定例会の他に、さまざまなコミュニティが立ち上がっているので、いろんなことをやっているように見えるのだけど、本書を経て眺めてみると、やはり大切にしているのは、「読書」や「鑑賞」の体験を人と共有するということなのだなとわかる。

 

紹介型より課題本型を取り入れ、読了を参加条件にしていること、古典を紹介すること、その理由には、わたしも同感。

 

わたしは、これほど大規模な読書会を長年続けられているのはなぜなのか、どのような運営形態(組織)になっているのか興味があったが、読んでみてびっくりした。この運営力はすごい!

この本が発刊された2019年9月の時点で、「名古屋、東京、大阪などで年200回開催、のべ約9,000人が参加」とある。
場の運営、チームマネジメントに関心のある方には、おすすめしたい。

今は猫町株式会社と法人化されている模様。

 

わたし自身は猫町倶楽部には参加したことがない。定員の人数が多い場なのか......と躊躇しているうちに、なんとなくきっかけを逸して今まで来てしまった。

ホームページを見ると、コロナ禍の影響で、ここ最近はオンラインでの開催が決まっているようだ。気になる課題本もあるので、この機会に参加してみるのもよいかも……。

 

 

人の本の紹介にくっついて、おまけ。 

実はわたしも読書会については本を書きたいと常々思っている。
はてなでも過去にバラバラと記事を書いたこともあるし、読書会のつくり方講座をひらいていたこともある。

中でも「読書会ってなに?」はぶっちぎりで当ブログアクセス数第一位なので、関心が高いんだなぁと思う。(しかし今読むと拙い......がくり)

hitotobi.hatenadiary.jp

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それらを元に一部下書きしたものもひっそりと寝かせてある。

さて、日の目を見るのはいつか......。

 

 

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神田日勝 大地への筆触展 鑑賞記録

東京ステーションギャラリーで開催されている神田日勝 大地への筆触展を観てきた。

https://kandanissho2020.jp/

https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202004_kandanissho.html

感染症流行のため、6月に入ってからの開始となり、終了は予定通り6月28日という、予定よりかなり短い展覧会になってしまった。


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神田日勝のことは、10年ぐらい前にこちらの本で知った。前にもこの本で一本記事を書いたけれど、とてもよい本なのであらためておすすめしたい。

いろんな画家の紹介がある中でも神田日勝の印象が強かった。

それは開拓民であることと。この頃の国の政策で開拓地に入植した人たちの苦難の話は、本や映像などで得てきた知識でしかないが、どうしても苦しくなる。支援がある、夢があると聞いてきたのに、行ってみたらひどい土地で、開墾するだけで手いっぱい、土は痩せていて作物が育ちにくく、支援もない、など。開拓と聞くと、どうしてもその印象が乗っかってしまうが、神田家も例外ではなかったようで、苦労したようだ。

 

それから、やはり遺された半身の馬。本の粗い印刷でも、その絵はとても記憶に残った。今回は実物が観られるので、とても楽しみにしていた。

(↓お土産に買ったクリアーファイル)


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1937年(昭和12年)に東京の練馬で生まれる。7歳の終戦直前に一家が十勝に入植。

幼い頃から絵が好きだったが、東京藝術大学に入学した兄の影響で18歳ごろから油絵を描き始める。農業のかたわら、美術展に出品しつづけ、絵も売れるようになっていたが、1970年、32歳の時に病気で死去。

 

やはり本物を観ると受け取るものがまったく違う、ということを思う。

ナイフのひと塗りひと塗りが呼吸のようだ。
呼吸の回数、描くことにかけた時間を見ている。
15年に満たない画業の中の膨大な時。

 

上に紹介した大竹昭子さんも書いておられるように、農作業や風景を描いた絵はほとんど展示されていなかった。

自画像、馬、死んだ馬、朽ちた家、転がる空の一斗缶、空き瓶、鎖、ストーブ、壁。

そして画風が変化していく色鮮やかな牛の腹、アトリエ、居室、ピンナップ、裸体。

 

物質的に豊かになり、馬に頼っていた農作業にも機械が入り、大きく変化していった地方の農村の気配が、背後に感じ取れる。

その感情はなんだろう。不安か怒りか空疎か、愛か慈しみか憎しみか、解放への欲求か、支配への欲望か、孤独か連帯か......。

名前の呪縛もあったんだろうか。日勝。日本、勝つ......。

農作業を描いてはいないが、まるで耕すような、馬の毛をすくような筆致でもあった。日勝は何を思いながら絵を描いていたのだろう。

 

最後に現れた絶筆、未完の『馬』は、まるで壁から抜け出してきた途中のような、不思議な絵だった。「ブロックごとに固めながら描いていった日勝のスタイルがうかがえる」という解説がついていたが、どうなんだろう。

何周も回ってここに戻り、同じモチーフでありながら、なにか別のものに挑戦していたような感もある。

何人もの人がこれがアトリエにあるのを見ているので、かなり前から描いたまま放置していたらしい。

と先出の本にある。その意図は本人しか知らないというところが、謎めいている。

謎めいているといえば、馬の佇まいもまたなんとも言えない。先に見てきた馬の絵と決定的に違うのは、目と表情。こちらを見ているような、もっと遠くを見ているような、吸い込まれそうな透明さと光をたたえる瞳。微笑みを浮かべるような穏やかな口元。

まるで別の世界から遣わされた使者のようにも見える。

本人が「仏画のつもりだった」と言っていたら信じる。

 

 

東京ステーションギャラリーのレンガの壁がよい背景となって、作品と一体感を作り出していたのも印象深い。


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いつか行ってみたいな。

北海道 鹿追町 神田日勝記念美術館

 

梅雨の晴れ間の、よい鑑賞の日でした。

 

 

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6/21 夏至のコラージュひらきました

夏至のコラージュの会、ひらきました。

ptix.at

 

きょうは夏至当日。そして部分日食、新月。(ついでに父の日)

このコラージュの会は、春分夏至秋分冬至にひらくので、なにかと天体の運行の影響を受ける日ではあるのですが、きょうはさらにパワフルでした。

 

ここ半年のいろんな変化に翻弄されたり、傷つきもあったりしながら、やはり自分の核を自分の手で見いだせる作業には、心落ち着くものがありました。

わたしのコラージュの会は、特にテーマを決めずにやっています。心の状態だけフラットになるように準備して、あとはインスピレーションを大切に、自分自身に羅針盤になってもらう感じ。とにかく思考や話す言葉は一旦お休みしてもらって、感覚だけを頼りに進めてもらうこと、自分で見出していく感覚を大事にしています。

 

 

今回は、コラージュとしては初めてのオンラインでの開催。

コラージュに関しては3ヶ月に一度の定例に決めているので、やらないという選択肢はない、ということだけがあり、じゃあどうひらくかということについて状況を見ながら考えていました。

遠方への移動自粛も解除されましてが、まだもう少しリアルで集まってやるには不安が残るのと、オンラインでやってみたらどうなるかにチャレンジしてみたいという気持ちの両方があり、開催を決めました。

制作過程も鑑賞も会って空間を共にしているからこその体験があるので、時間を短縮し、参加費も半分にしてみました。

オンラインでどの程度受け取っていただけるか心配でしたが、皆さんよい時間だった、気に入ったものができた、他の人との語り合いや作品の鑑賞から気づいたことがあったとおっしゃっていて、ホッとしました。

 

制作前の、語る聴くワークも、Zoomの分室機能(ブレイクアウトルーム)を使ってやってみました。メインルームに戻ってもらってからどんな体験だったのかを全体にシェアしてもらいました。(主催者ここのとこだけやっぱりさみしいかなー!)

 

とはいえ、今回はオンラインだったからこそご参加いただけた方ばかりだったので、やっぱりひらいてみてよかったです。やはり移動しなくてよい、一気に遠くと繋がれる(自分がひらかれる)という利点はかけがえのないものですね。わたしも会場手配や、備品の運搬などを考えると、とても気軽にひらけてありがたかったです。

 

 


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こちらの作品をつくった方がおっしゃっていたのが、

「おそらく対面でするよりも、自分の中に深く入って行きやすかった。対面だったらもう少し人の目を気にしてここまでは出せなかったのではないか。自分の頭の中をパカっと開いて見せているようで、ちょっと恥ずかしい部分もある(笑)」

ということで、非常に興味深かったです。

すごくパワフルな作品なので、ぜひリアルで制作の最初から立ち会って、完成作品も生で見たかったなぁ!という思いがわたしにはありますが、ああ、でも会っちゃうとこういうのは出てこなかったのかぁ〜!と思うと、残念なようなうれしいような、変な気分になります。

 

オンラインだと、ミュートにして自分の好きな音楽をかけながら制作でき、でも他の人ともつながっている感じもある、という良さもありますね。

 


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ちなみにわたしは、近所の旅館の一室を借りていました。

コロナの影響で経営が苦しい旅館が、テレワークや個室作業がしたい方に、日中プランというのを作ってくれたのです。こちらはまさにこういう環境を求めているし、お布団もお借りできるので、疲れたらゴロゴロできるし、お風呂もついているので、最高の環境です。近所の旅館に入ることってほとんどないので(家帰って寝ればいいので)、旅行気分にもなれる。

コロナがもたらした禍福の福のほうですね。

コラージュのあとはお風呂に入ってのんびりして帰宅しました。

 

わたしのコラージュはこんな感じ。去年から書いている本づくりが佳境で、とにかく籠って孤独で集中する自分と、遠くを眼差して「なんのためにするか」をブラさないように、見つめている自分がいる感じです。

毎年夏至のコラージュはこういう感じで要素が絞り込まれた感じになるのはおもしろいです。春分のときはもっと拡散系でみっちり貼り込んでいた。定点観測していくと、自分の傾向がわかるのもおもしろいです。

www.instagram.com

 

イメージや感覚や状態を伝えたり自分で把握するのに、書いたり、話したり、描いたりする手段があると思いますが、 「そういえば、コラージュという方法もあったっけ」と思い出してもらえるといいかなぁと思います。

誰かとやらないときっかけが掴めなくてなかなかできない、ということも最初はあると思うけれど、ツールとして使えていくと便利なものでもあります。

おすすめ。

 

ご参加くださった皆さま、ご関心をお寄せくださった皆さま、
ありがとうございました。

 

 

次回は秋分にひらきます。2020年9月22日(火・祝)です。
近くなったらまたPeatixでご案内を出します。こちらをフォローしていただければお知らせEメールが届きます。

 

出張開催のご依頼もお待ちしております。

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