ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

「映画」でゆるっと話そうは、どんな場?

映画館シネマ・チュプキ・タバタさんとひらく、ゆるっと話そうは、こんな場です。

 

●  ●  ●

 

●どんな場?

・2019年6月からスタートしました。月に一度ひらいています。シネマ・チュプキ・タバタでその月に上映中の作品から選定します。

・映画を観た人同士が、感想を交わし合います。

・ゆるっと話そうの開始時刻までに観てきていただければOKです。

・劇場内またはチュプキのワークショップスペースで行う定員12名の小さな場です。オンライン会議システムZoomのときは、定員最大9名です。

・チュプキのスタッフさんもおられます。

・UDトークをご利用の方にはサポートがあります。チュプキさんへお問い合わせください。

ファシリテーターが進行します。雑談や放談、一人の話者の占有、脱線や話題の偏り、差別や偏見の発言などが起こらないよう配慮します。起こったときに軌道修正します。

・感想を話すのが苦手、普段あまり人と感想を交わさない、という方もぜひどうぞ。準備ができていないときに、「無理に話させる」ような誘導はしません。ただし、話すのが目的の場なので、聞いているだけが落ち着くという方には、あまり向かないかと思います。

・少し前に観た方もおさらいができるよう、登場人物の相関図や、映画に関係した資料を画面共有しながら進めます。

 

●どんな人が来るの?

・はじめて参加される方が多いです。最近は「ゆるっと」をリピート参加してくださる方もちらほら出てきましたが、内輪で盛り上がってはじめての方が話しづらい、ということはありません。

・映画評論家のような方はいらっしゃいません。「とてもいい映画だったから、他の人はどんなふうに観たのか、聞いてみたくて」「少しモヤモヤするところがあったので、どうしてなのか明らかにしたくて」など、みなさん素朴な参加動機でいらっしゃいます。

・どこの劇場で観た人もご参加いただけます。これから観る方はぜひチュプキで!日本で唯一のユニバーサルシアター、シネマ・チュプキ・タバタを応援してください。

 

●どんなふうに進行するの?

劇場内・参加者12名の場合

① 顔合わせ
② 「映画、どこが印象的だった?」をひと言ずつ
③ 皆さんの話を聞いていて思ったこと・思い出したこと・聞いてみたいこと。そこから展開トーク
④ きょうどうだった?を一言ずつ

 

Zoom・参加者9名の場合

① メインルームで顔合わせ
② 3ルームに3人ずつ分かれて、最初のトーク「映画、どこが印象的だった?」各部屋スタッフ1名が進行役で入ります。
③ メインルームに戻って、各ルームで話したことの共有、そこから展開トーク
④ きょうどうだった?を一言ずつ

※人数や作品によって変わることがあります。

 

●ゆるっと話そうでの「感想」とは?

・映画の中身(ストーリー、人物、シーン等)
・映画の制作(制作スタッフ、演出、撮影裏話等)
・映画の読解(テーマ、時代背景、社会情勢等)
・映画と自分との関係(過去の記憶、経験、知見等)

これらをなるべくバランスよく話せるよう、進行します。

 

●ゆるっと話そうのよいところは?

・どんな感想も話せます。「こんな些細なこと言ってもいいのかな?間違ってるかもしれないけど?本筋と関係ないかも?」などの心配はご無用です。自由な感想を話すことを楽しみましょう。

・一人で観ただけのときと比べて、映画を観た体験が深まります。同じ映画でも、話してみると、人によって注目ポイントや感じとることは実に様々。共感の喜びもあれば、違いに驚くことも。観て話すは二度美味しい!

・「〇〇について」思っていることや感じたことをいきなり話すのは難しいですよね。特にセンシティブなテーマほど、構えてしまいます。でも作品を通じてなら、感想という形なら、話しやすいんです。

 

●これまでピックアップした作品は?

チュプキでかかるその月のラインナップの中から、対話に向く映画を選定しています。家族、恋愛、老い、看取り、死刑、回復、人種差別、障害、性、政治、戦争、歴史、文化など、様々なテーマを扱ってきました。

※クリックすると各回のレポートにリンクします。

第27回 まちの本屋
第26回 MINAMATA -ミナマタ-
第25回 あのこは貴族
第24回 パンケーキを毒見する
第23回 プリズン・サークル
第22回 きまじめ楽隊のぼんやり戦争
第21回 ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記
第20回 あこがれの空の下
第19回 ウルフウォーカー
第18回 ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ
第17回 
アリ地獄天国
第16回 彼の見つめる先に
第15回 なぜ君は総理大臣になれないのか
第14回 タゴール・ソングス
第13回 この世界の(さらにいくつもの)片隅に
第12回 プリズン・サークル
第11回 インディペンデントリビング
第10回 37セカンズ
第9回 トークバック 沈黙を破る女たち
第8回 人生をしまう時間(とき)
第7回 ディリリとパリの時間旅行
第6回 おいしい家族
第5回 教誨師
第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
第3回 人生フルーツ
第2回 勝手にふるえてろ
第1回 沈没家族 (2019年6月)

 

●今後の予定はどこでわかるの?

シネマ・チュプキ・タバタの各サイトでお知らせしています。

hp: https://chupki.jpn.org/
Facebookhttps://www.facebook.com/cinema.chupki.tabata/
twitterhttps://twitter.com/cinemachupki
instagramhttps://www.instagram.com/cinema.chupki/

 

●進行する人は?

鑑賞対話ファシリテーターの舟之川聖子が進行します。

わたしは、芸術文化作品の鑑賞と対話の場づくりを通して、人々の連帯、社会課題を解決する個々のエンパワメント、日本における芸術文化への理解と継承を目指して活動しています。映画の他にも、本、演劇、オペラ、バレエ、能、文楽、美術展なども扱います。

対話を伴う鑑賞会、上映会、勉強会、読書会を主催したい方向けの個人セッションも行っています。お仕事のご依頼は、こちらから。

twitter: https://twitter.com/seikofunanok
blog: http://hitotobi.hatenadiary.jp
note: https://note.com/hitotobi
facebookhttps://www.facebook.com/funanokawaseiko/
hp: https://seikofunanokawa.com/

 

●  ●  ●

 

映画を語り合う喜びをご一緒に。
みなさまのご参加をお待ちしております。

 

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クラウドファンディング目標金額達成!ありがとうございました!

書籍出版の制作費を募るクラウドファンディング、2020年8月31日に無事終わりました。目標金額に対して118%の達成。411名のサポートがありました。

 

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ここまで大規模なクラウドファンディングを立ち上げるのは、初めての経験でしたが、よい挑戦となりました。チームメンバーに恵まれ、共にたくさんの学びを得ました。

ほんとうにたくさんの応援をありがとうございました。

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今後の予定など。

camp-fire.jp

 

また原稿に戻り、推敲を重ねているところです。

校正にも入っていきます。

引き続き、どうぞ応援よろしくお願いいたします。

 

 

▼プロジェクトの進捗はこちらでお伝えしていきます

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出版のクラウドファンディングに挑戦中です!応援よろしくお願いします!(〜2020/8/31)

🔥若者に書籍として『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』を届けたい!🔥

大人と子どものはざまの時期を生きる10代の人に、共に社会をつくる仲間の10代の人に、「社会のトリセツ(取扱説明書)を作って生きる」というアイディアを本の形で手渡したい!!

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出版のクラウドファンディングを立ち上げました。

わたしが〈学びのシェア会〉の仲間たちと2019年1月に立ち上げたプロジェクトで、1年半かけて原稿を書き、本づくりを目指してきました。
制作費(編集・デザイン・印刷・製本等)をクラウドファンディングで募ります。

刷り上がった本をリターンとしてお届けします。

 

2020年8月31日(月)まで!応援どうぞよろしくお願いします!!! 

camp-fire.jp


クラウドファンディングに際してのわたしの気持ちを書きました。

camp-fire.jp

 

関連イベントを続々実施中です。フォロープリーズ!

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〈お知らせ〉8/28(金) オンラインでゆるっと話そう『タゴール・ソングス』ひらきます!

今月のシネマ・チュプキ・タバタさんとの〈ゆるっと話そう〉は、

タゴール・ソングス』です!

8月28日(金)20:00〜21:15 オンラインZOOMにて。
お申し込み、お待ちしております。

http://chupki.jpn.org/archives/6279

 

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・・・・・
100年前のインドの偉大な詩人・タゴールの歌が国境を超え、映画になってわたしたちのもとに届けられました。タゴール・ソングへの深い関心と愛を注ぐ、ひとりの人間の熱い思いによって。

初めて聴くのになぜか懐かしい。
タゴール・ソングをめぐって出会った人たちへの親愛の情がわく。
時間や空間を一瞬にして超える歌の力に驚く。

歌は、詩は、一人で味わって大切に胸に持っているだけでも十分なのかもしれない。
語ることは無粋なのかもしれない。
でも、わたしたちがこの映画を旅して感じたことを、あえて言葉にして分かち合いたい思いもあります。

語りましょう。あなたの言葉で、声で。
ご参加お待ちしております。
・・・・・

 

わたしにとっては、外出自粛明けに久しぶりに映画館で観た映画でした。

わたしたち、もっとふつーに日常的に詩を読んだり、詠んだりするのがいいのかも、という話を、一緒に観た友だちとしましたねぇ。

愛され、受け継がれる歌。
言葉、声、音。越境。人間の希望。

「探究の手段としての映画」というところも興味深いです。

ぜひ観て、いっしょに語りましょう。

 

・・
そういえば〈ゆるっと話そう〉の記念すべき1回目は、『沈没家族』でした。

配給会社は『タゴール・ソングス』と同じノンデライコさん。

ひとめぐりした感じがあります^^

 

 

 

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com

〈レポート〉7/25 オンラインでゆるっと話そう『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』 @シネマ・チュプキ・タバタ

7/25(土)夜、シネマ・チュプキ・タバタさんとのコラボ、〈ゆるっと話そう〉の第13回をオンラインにてひらきました。

chupki.jpn.org

 


今回の作品は、この世界の(さらにいくつもの片隅に

ikutsumono-katasumini.jp

 

こんなご案内を出しました。

この世界の片隅に』の公開から3年の月日を経て、250カット以上の作画を追加し完成した『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。

原作にありながら前作では描かれなかったりんと主人公すずの関係を中心に、すずの新たな面を取り込んだことで、周囲の人物やシーンも生き生きと立ち上がっています。

いくつもの片隅の物語が動き出し、簡単に善悪のつけられない、複雑で混沌とした世界の有り様が描き出されています。

ひと言では語れない。けれども何かを言葉にせずにはいられない。
自分が見てきたいくつもの片隅のこと。
だれかのために、忘れないために、何かを継ぐために。

前作を観た方も、ぜひこの新しい物語に出会ってほしいです。
語りましょう。ご参加お待ちしています!

 

 

こう書いたあと、『この世界の片隅に』、太平洋戦争、広島、原子爆弾投下、ヒロシマ、、、関連するさまざまな資料や作品を辿ってきて、ゆるっと話そうの当日を迎えました。

 

さて、今回はどんな場になるだろう。

と、思いながら始めていったら、もう最初から皆さん、「語りたかった!」とばかりにあふれる、あふれる、言葉があふれる。

すごい勢いでした。猛ダッシュ!して行くので、進行のわたしが「待ってーー!」とあとからついていくほどの熱量の高さでした。

作品、顔ぶれ、時期(夏、戦後75年、コロナ禍など)、いろんな特別さが集まっていたのかもしれません。

 

 

出た話題を一部ご紹介していきます。

 

前作『この世界の片隅に』も今作も、両方ご覧になった方がほとんどでした。

・受ける印象がかなり違った。前作でなぜこのカットが入っていなかったんだろうと思うぐらいに深まった。すずさんという人物も、前作ではほんわかしている人の印象だったが、強さや深みが出て、何倍も魅力的だった。一方で説明しすぎの感もあった。

・コロナ禍には繊細な作品が多く見られるように思う。大事な作品になった。折に触れてまた思い出すと思う。

・映画館に来ているのは男性が半分以上なのに、語る会に来ているのはほとんど女性なのはなぜなんだろう。

・前作では、女の人たちの気持ちまで考えられていなかったことに気づいた。

・あの時代の女の人の生き方を描いている物語だと思った。強いイエ制度や家父長制などの中で、それぞれに「その人として」生きている姿が見えてきた。(作者の批判的な姿勢も見受けられる)

 

今を生きるわたしたちから、あの戦争下を生きた人たちへの思いを言葉にしました。

・「この後」、この人たちに何が起こるのかをわたしたちは知っている。でもこの人たちは先のことは知らない、知りようがない。でも、強くたくましく生きている。そこに心動かされた。

・自分にとっては希薄になった家族の関係や、地域の人との関係がこの映画にはある。

・戦争中の爆撃の恐怖にさらされている、この物語の中の人たちを見ていたら、目に見えない新型コロナウィルスに怯える自分の弱さを感じた。

・コロナ禍にあるわたしたちも、後世の人たちから見たらある意味かわいそうなのかも。

・いろんな人たちの実体験の物語で、この人たちの造形ができていることを思う。背後にあるたくさんの物語。

・すずさんが周作さんと出会ってから映画の終わりまで、ほんの2年ほどの出来事なのに、夫婦としては20年か30年ぐらいの経験をしているように思える。人間は特殊な状況下では、そのようにさせられるものなのかも。

・民間人に対して、あのような攻撃をする、あのような兵器を使うという非人道性をあらためて感じた。

 

 

これからも愛される作品として残っていってほしい、という思いがわきました。

・夏になると観たい映画。シンプルに、みんな仲良く生きていきたいと思う。

・そこにいる、人が生きている。人間がよりリアルに描かれていて、人間のドラマとして観られる。

・『この世界の片隅に』『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の映画や漫画を残していきたい。

・とても悲しいことも起こるけれど、悲惨なだけではない。こんなにもたくさんの人に観られて、観た人の人生とリンクして、人々の記憶に残っていく。愛される作品。

 

映画の背景、作品から発展したことをシェアしていただきました。

・呉に住んでいたことがあり、特別な思いで観た。前作を観て、呉というまちについて調べているうちに、いろいろなことがわかった。また、職場で呉出身の年配の方から話を聞くことがあり、まさにあのすずさんたちの世界だと思う。シェアする機会があってよかった。

 

作中の人たちを、その人だけの生を送っている人として、大切に思いあい、鑑賞の喜びを共有しました。

 


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対話をふりかえって

一つの作品でも、観る人によってまったく違う感想が出てきますが、今回もまた作品の世界が何重にも広がる体験でした。

綿密なリサーチと一流の演じ手によって生まれた作品世界の中で、登場人物たちが生き生きと動き話す様子を観て、そして今回、対話の場で語り合って、一人ひとりのリアリティが持ち込まれた。

わたしたちにとって広島、呉、太平洋戦争がとても身近になったように感じられました。

みんな一人ひとり違う人間だからこそ、そこに至れたのだと思います。

 

今、これを目撃した、立ち会ったわたしたちとして継げることがある、手がかりはある、と確信しました。今の時代だからこその手法、手段、ツールで。

危機感や脅しからだけではなく、とても愛あふれる、個別の能力を発揮するやり方で。

できる。

自分がそう思ってるだけでなくて、既に示してくれている人たちがたくさんいることが、このような作品に出会うとわかります。

この作品をきっかけに、普段から身近な人と戦争のことを話題にすることもよき営みです。一方でまた、はじめて会う人と感想を話すことに一生懸命になるのも、よいものです。今回の場のように。

 

わたしは、当日までの約3週間、この映画を軸にして、いろいろな作品を鑑賞したり、事象をリサーチして、とてもよい時間を過ごしていました。

一つの作品をこんなふうに大切にできるのはほんとうに幸せなことです。

もちろん時間も身体も有限なので、出会うすべての作品に対してはできない。でも、だからこそ、同じような豊かさがどの作品の周りにも広がっていることを思います。その貴さたるや!

 

自分の人生で見聞きし、知り、学んできた、「日本と戦争」に紐づくあらゆることが自分の中で一気に手をつなぎあい、体系を持って立ち上がってきたような感覚もわいてきました。

もちろんいつでも知らないことのほうが圧倒的に多い。知らないことだらけ。

それがよいのだと思う。

だからこそ、これからも長い道のりをゆけるし、人と語り合う余地が残され続ける。

 

ちょうど7月末に「黒い雨」訴訟の判決が出て、そして昨日国が控訴を決めたというニュースがありました。「わたしたちが目撃しているこれはなんなのか?」知りたい気持ちがわいたとき、『この世界の片隅に』はこれからも優しく橋をかけつづけてくれるでしょう。

 

あまりにも大きすぎるテーマをひと言では語れないなら、少しずつ、小さなことから口にしていけばいい。

小さな対話という支流は、いつか大きなうねりになっていく。

 

自分という取るに足らない存在、あやうくはかない生命。

自分がそういうものでよかった。

どうにもならないように思えることに、引き続き生命を燃やして生きていきたい。

 

世界美し、愛おし。


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ご参加くださった皆さま、一緒に場をつくってくださるチュプキさん、ありがとうございました。

あの日の対話が、いつか心凍える日の小さな灯になりますことを願ってやみません。

 

 

こちらの作品もおすすめです。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 


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映画『ビッグ・リトル・ファーム』鑑賞記録

いろいろ鑑賞はしているのだけれど、あれこれ忙しくなってきて、記録に残せていなかった。

そんな中、きょう観た映画『ビッグ・リトル・ファーム』は久しぶりに書いておきたくなった。

 

原題は "The Biggest Little Farm"

synca.jp


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思い出したこと。

わたしの周りで、新型コロナウィルス感染症拡大が契機になって、都会を離れて移住した人が知っているだけで3人はいる。単身の人、カップルの人、子どものいる家族の人、さまざま。

コロナが怖いというよりも、前々から考えていてちょうどいい機会だったとか、実は自然豊かなところで暮らしたかった/農業をやりたかったと気づいて、など、理由もさまざま。

 

 

農といえば、3月〜5月の外出自粛期間を機に、小さなコンポストを試してみた。

ちょうど小松菜が育って、食べられるようになってきたところ。


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他にも植木鉢レベルだけれど、ネギ、しそ、バジル、ローズマリー、ミントなどを育てている。不要不急野菜。

ほんとうはもっとガッツリした野菜も育てたい。

畑をやりたいなぁという気持ちが一昨年ぐらいからむくむくしている。
東京23区でも市民農園のある区はあるが、わたしの住んでいる地域には残念ながらない。民間のシェア農園などは、賃料がとても高い。

願いだけしつこく持ち続けていれば、いつか叶うだろう。

わたしが時機を逃さなければ。

 

6月に観たこんな映画も思い出す。

"EDIBLE CITY" 『エディブル・シティ都市をたがやす』

http://edible-media.com/movie-ediblecity/

アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコやオークランドのさまざまな場所で、さまざまな動機から野菜をつくる人たちを追うドキュメンタリー・フィルム。
その根底にあるのは、工業的で政治的に管理された食のシステムへの抵抗と、食の主権の奪回、民主的な国の土台を作ろうとする社会変革。

自分がオーガニックな食生活をしているかどうか(なんか怒られそうとか)に関わらず、これも機会があればぜひ観ていただきたい。

56分の短い映画だけど、いろんなものが詰まっている。

たとえば、新鮮で栄養価が高く安全な食品に日常的にアクセスしづらいことと、犯罪率の高さの関係があるんじゃないかとか(いや、これはわたしの仮説ですが)。


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感染症の発生や拡大が、環境のバランスと関連があることも指摘されている中で、この映画を観ることの意義は大きい。

何気ないセリフの中にも、実用的でありながら哲学的でもあり、ハッと胸に差し込んでくる。

生きているすべてのものに"役割"があること。たまたま今年『風の谷のナウシカ』がリバイバル上映しているが、その原作の漫画でも繰り返し言われていることだ。

南部のことわざで、

正しくやる時間はなくとも、やり直す時間は常にある

というフレーズも気に入った。

 

やりたいことは時機を逃さずやれ、

あきらめず、観察し、感じ考え、実践しつづければ、やがて帳尻が合う、

というメッセージも受け取る。

 

清々しく、力強く、希望に満ちた映画。

 

観てからトレイラーを観てみたら、すごく綺麗だな(笑)!

実際の映画ももちろん綺麗。だけど、すごくタフでもある。

そのタフさが今、疑似体験ででも、とにかく必要な気がしている。

 

youtu.be

 

田端のシネマ・チュプキ・タバタでの上映は8/31まで。ぜひ。

chupki.jpn.org

 

〈お知らせ〉7/25(土)夜、オンラインでゆるっと話そう『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』ひらきます!

オンラインでゆるっと話そう『この世界の(さらにいくつもの片隅に

 

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〈ゆるっと話そう〉とは
映画を観た人同士が感想を交わし合う、アフタートークタイム。
映画を観て、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?
印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。

他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。
初対面の人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

 


第13回はこの世界の(さらにいくつもの片隅に をピックアップします。
https://ikutsumono-katasumini.jp/


この世界の片隅に』の公開から3年の月日を経て、250カット以上の作画を追加し完成した『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。

原作にありながら前作では描かれなかったりんと主人公すずの関係を中心に、すずの新たな面を取り込んだことで、周囲の人物やシーンも生き生きと立ち上がっています。

いくつもの片隅の物語が動き出し、簡単に善悪のつけられない、複雑で混沌とした世界の有り様が描き出されています。

ひと言では語れない。けれども何かを言葉にせずにはいられない。

自分が見てきたいくつもの片隅のこと。

だれかのために、忘れないために、何かを継ぐために。

前作を観た方も、ぜひこの新しい物語に出会ってほしいです。

語りましょう。

ご参加お待ちしています!

オンラインでゆるっと話そう『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

日 時:2020年7月25日(土)20 : 30〜21 : 45(開場 20 : 15)
参加費:1,000円(予約時決済/JCB以外のカードがご利用頂けます)
対 象:映画『この世界の(さらにいくつもの片隅に』を観た方。    
    オンライン会議システムZOOMで通話が可能な方。
    UDトークが必要な方は申し込み完了後、ご連絡ください。   
    Mail)cinema.chupki@gmail.com     
会 場:オンライン会議システムZOOM    
    当日のお部屋IDはお申し込みの方にご連絡します。
参加方法:予約制(定員9名)

 

★お申し込み★

https://coubic.com/chupki/626106


*「ゆるっと話そう」は、どこの劇場でご覧になった方も参加できますが、これから観る方はぜひ当館で。日本で唯一のユニバーサルシアターであるシネマ・チュプキ・タバタを応援いただけたらうれしいです。
*シネマ・チュプキ・タバタの音響設備の効果により、爆撃音や砲音が、轟音や振動になって伝わります。苦手な方は、音量調節ができる親子室での鑑賞も可能です。

<これまでの開催>
第12回  プリズン・サークル
第11回  インディペンデントリビング
第10回  37セカンズ
第9回   トークバック 沈黙を破る女たち
第8回   人生をしまう時間(とき)
第7回 ディリリとパリの時間旅行
第6回 おいしい家族
第5回 教誨師
第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
第3回 人生フルーツ
第2回 勝手にふるえてろ
第1回 沈没家族

進行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター
twitter: https://twitter.com/seikofunanok
blog: http://hitotobi.hatenadiary.jp
hp: https://seikofunanokawa.com/

 

 

 

▼わたしの映画の感想

hitotobi.hatenadiary.jp

 

▼映画制作現場のドキュメンタリー映画の感想

hitotobi.hatenadiary.jp

 

▼この写真絵本もとてもよかったです

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

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映画『風の谷のナウシカ』鑑賞記録

映画『風の谷のナウシカ』を観に行った。

 

感染症流行の第一波が来た4月上旬に、「今読まなあかん気がする!」と思いたって漫画版を購入し、その後語る会をひらいた。

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その後、6月末からスタジオジブリ映画4作品公開との報。ナウシカは候補から外していたが、観に行った人がいずれも「よかった、ぜったい観に行ったほうがいい」と興奮しているので、予習をして観に行くことにした。

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観終わって......観たこと、受け取ったものがあまりにたくさんあるので、とりあえず並べてみる。(長いです)

 

やはり映画館で観るべし

このところあらためて痛感しているが、映画は映画館で観る用に作られている。
映画館で観るのが一番いい。最大に受け取れるようにできている。

特に映画が公開された日本の1984年といえば、家庭にビデオ録画再生機が普及しはじめているけれど(それでも30%程度)、VHS方式とβ方式の"戦争"をやっていた頃で、セルビデオは高価で、レンタルビデオもあるけれど全国で2500店程度と、まだ一般的ではなかった。(データ参照

つまり、「映画館で動員できるかが勝負」だった。今もそれはある程度機能しているが、様々なメディア、チャンネル、物販などの多数の販路がある中でいえば、当時はとにかく興行で当てて回収できるかどうかが、映画の命運を左右していただろう、と想像する。

そういう時代背景に思いを馳せながら観た。(もちろんもっと大きな動き、、政治、経済、国際情勢なども頭に入れておくと、さらに受け取るものがあるだろう)

 

映画は映像と音。

当時、ほとんどの観客は漫画を読んでいない。今よりずっと知名度がない中で、あの世界を瞬時にリアルに体感させる、造形にはかなりエネルギーが注がれたことと思う。単に漫画の線をセル画に落として色を塗るようなことではない。(そうだ、この時代、セル画だった、、、)

虫の飛行、メーヴェの滑空、王蟲の疾走、ガンシップコルベットの空中戦など、動きを捉えるカメラ位置や切り替え、ズームイン・アウト、パンなど、まるで一緒に撮影チームに混じっているかのようなリアリティがある。

なんといっても、鳥のように飛ぶことへの憧れ、そのビジュアル化。

生まれたときからCGを見慣れている世代からしても、リアリティを感じているようだ。(「リアリティとは何か」という問いは、おもしろい)

 

映画館の大画面で観ると、細かいところまでよく見える。

映画では「描いていないものは存在しない」ことになる。そして描いていてもピント外にあるものは注目はされないが必ず視界には入っていて、観客の中で世界観を構成する。

風の谷の石塀はこんなふうに積まれていたのか、

こういう風車が、何基、こういう間隔で、

葡萄がなっていて、

海との距離はこのぐらいで、

腐海の木の高さはこのぐらいで、

光弾を使うとクイやカイにも影響があるのか(そりゃそうだ)、

胞子を一つでも入れると大変なことになるという切実度合い、

肉体的な傷つきの度合い、

ナウシカの予感や感覚の「ハッ」という反応の鋭敏さ(現代人にないもの)、

風の谷はほんとうにずっと風が吹いているのか(以前茅ヶ崎の旅館に泊まったときに、一晩中海風がすごくて全く眠れなかったことを思い出す)、

腐海の底から見上げた景色はこんなか(サグラダファミリアやコロニア・グエルを思い出す)、

ほぼ唯一の食事のシーンなのにチコの実がほんとに不味そう、

ガンシップは風を切り裂くけれど、メーヴェは風に乗るのだもの」というその感じ、、、

映像化されることで浮かび上がってくるものや、自分の経験をつかってこの世界との関係がつくられるようになることに興奮する、というのか。

映像化されたら想像力が貧困になるということはないんだな、と思ったり。

 

音もすごい。

風の音(吹いているときと、止んでいるとき)、虫笛、メーヴェのエンジン点火音、爆撃の音、腐海の反響、虫の羽音、気圧、、、

一つひとつの効果音、背景音、劇伴、とにかく計算が緻密で作り込まれている。

ここが久石譲と宮崎作品とのはじまりだったのだなぁ、、と感慨深い。

そうだ、この後に出た数多の漫画やアニメや映画や、、、どれほど多くの表現に影響を与えたかと思うと、これが歴史のはじまりだったのだ、という感慨深さがあるのだな。

 

 

戦争漫画、戦争映画

ナウシカのDVDを持っているし、地上波放映で何度も何度も観て分かっている物語だった。

それなのに、映画館で、しかも今のわたしとして、今の状況下で観ると、まるではじめてのように新鮮だった。

それは映像と音のこともあるし、一旦漫画を経由して戻ってきたから相違に気づくということでもあるけれど、一番感じたのは、一切の手抜きなしの戦争漫画であり、戦争映画だった、ということ。

同じ辺境国のペジテを裏切らせたり、巨神兵生物兵器として出演させたことで、より戦争映画になっている。

 

ゆえに、観ている間、ずーーーっと緊張がある。

これがけっこうしんどい。

大国と小国のパワーバランス。

大国に侵略され、暴力でねじ伏せられ、環境の変動に抗いようもなく翻弄される人間。殺戮のシーンには恐怖をおぼえた。

日本の歴史を突きつけられるようなシーンも多々。

 

それぞれの正義の主張、「はじまったら止められないんだ」という言葉や「空気」、対話が不可能な相手や状況、トリニティ実験-原爆-3.11の原発事故を彷彿とさせる巨神兵、荒廃したペジテの爆撃跡(シリアを思い起こさせる)、、

寒気がするシーンが多々あった。

仮に2巻以降もアニメ映画化されていても、わたしはとても観られなかっただろう。凄惨な死が延々と続いていくのを、漫画だけでも辛いのに、映像と音でも体感するって過酷すぎる、、

 

「歴史」や「年代記」には大きな出来事、事実、主要人物の記録があるが、その中に生きていた一人ひとりの個性や願いや感情や小さな行動は残らない。「人々」としてくくられていく。(わたしもまた同様に)

たまたま同時期に、『この世界の(いくつもの)片隅に』が上映されていることを、ただの偶然とは思えない。こちらは人・人・人の物語だ。

差し出されているこれらを、自分が知りたいことの「ヒント」として受け取ってみると、何か見えてくるのではないか。

 

 

 

漫画とは別の世界線

この映画が作られた時点では、漫画は全7巻のうち2巻までしか刊行されていない。

ほんとうは長大な物語の最初のほんの触りだけを、しかも無理に改変して尺に押し込めた、実は失敗作だったのではないか?ぐらいにわたしは長いこと思っていた。

土鬼(ドルク)も、森の人も、虚無も、巨神兵オーマも、シュワの墓所も、世界の秘密もないアニメ版。

ナウシカは世界の救世主、スーパーヒーローで、環境問題を訴える活動家・戦士で、彼女一人のぎりぎりの自己犠牲によって、贖罪された!よかった!♪ちゃんちゃん♪というふうにも見えてしまう。

少女一人が期待され頑張らされていることや、スーパーヒーローかつ母性を持った救世主として神聖視されたまま終わっていることの違和感が、ずっとあった。

 

でも今みると、この物語は一つの可能性、一つの世界線、アニメーション映画という形式を生かした表現として成立していて、とても美しい。

たとえアニメ版が漫画への入口とならなくても、ナウシカという存在を軸にして語られる「生きよ」というメッセージは変わっていないことには安堵した。

漫画を読んだ者には、「これは世界の秘密を知る旅のはじまりにすぎない」ことはわかっているので、世界線の一つとして観ることができる。

時間が経っていて、そのあとに起こったことをわかっているからこそ、こんなふうに逆説的に語れるわけだけど、まるではじめから見越して作られていたかのよう。自分が今、SFを体験しているようでもある。

 

ふと思ったのは、当時のふつうの人たちにとって、この映画はもしかしたら「自分の命と地球の命」というスケールの対比をはじめて体感した出来事なのかもしれないということ。

生物や地理や歴史で学んでいたことが、ここに現実味(フィクションなのだが)を帯びて立ち現れるというか。(少なくとも当時小学生だったわたしにはあった)

エコロジーブームはあったけれど、積極的な活動家とは異なる層にも、訴えかけたのではないか、歴史にも環境問題にも関心がなかった人々の意識が向いたということはあったかもしれない。もちろん映画はそこを意図してはいなかったと思うが。

 

当時どのように受け止められたのか、
今どのように受け止められているのか、
興味深い。知りたい。

なんといっても今、わたしたちは、「簡易的な」マスクをして、人と物理的距離を保ち、腐海や瘴気の世界を観ているのだ。

この現実の凄まじさに衝撃を受けている人は多いはずだ。

 

これを作ったがゆえに、宮崎さんは、漫画の続きを描けたのだろうなぁと思う。

「これじゃない!」という怒りのようなもの。相当込み入っていて、自分でもどう運ばれていくかわからないが、はじまってしまった物語を最後まで引き受けて描いたということが、ほんとうにすごいと思う。

物語としてもすごいが、そのエネルギーがすごい。

それが時を超えて、世代を超え、国境を超えて、さまざまな人たちに読み継がれ、今、コロナの時代にあらためて解釈されている。そしてその解釈は果てしなく自由だ。

うーん、これは、もはや古典。

 

 

混迷を深める世界のリーダー

混迷を深める世界を生きる我々が、今この作品に触れる意味は大きい。

一人ひとりの力が全く及ばない自然の動きによる災害。

人間の行動の結果がもたらす多種多様な被害。

手応えが感じにくい世の中、社会の動きの中で、それでも呑まれずに、五感を使い続け、地に足つけて生きよ......そうナウシカが言っているようだ。

 

不安が強くなると、人間は強いリーダーや旧時代の「父権」を求め、同調圧力に怯え、保守化する。

しかし今必要なのは独裁ではない。自分の代わりに決めてくれる人でもない。

今の時代のリーダーシップは、違いを繋ぐ結節点になること。その人の存在が見えにくかったものを照らすこと、言葉の力を尊ぶこと。

そしてそれをする人は一人の救世主ではない。

ナウシカにはなれずとも、同じ道は行ける」(漫画『風の谷のナウシカ』)

「私は敬われたくもないし、蔑まれたくもない。私はただ共に歩んでいきたい」(映画『タゴール・ソングス』)

「本当に強い人間は、周りをも強くする。後進には希望を、仲間には勇気を、相手には敬意を。時間も空間も超えて、永遠になるんだって」(映画『ちはやふる〜結び』)

「その役割というのは、多分過去誰も経験したことのない、どの国の歴史にもない、初めての型式(かたしき)のリーダーシップにならざるをえないと思うんですよ」(映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』)

 

いろいろな作品にヒントがある。

作品を通じて、人が他者と分かち合えることが、尊い

ナウシカに関しては、こちらのブログにとても丁寧な解説・解釈があります)

 


「虚無」に食われないこと。

そして今もっとも重要なのが、虚無との付き合いだ。

突き詰めていくほどに、知れば知るほどに、世界にあるもののつながりや因果関係が見えてくると、「虚無」に食われやすい。

絶望や孤独や諦念が極まると虚無化する。

その巨大な曼荼羅の前で精神を保つのは、どんな強い人であっても難しい。

 

また、人間は不浄のもの、呪われたもの、この厄災は人間に下された罰、と見ると、今自分が立っている場所が小さく小さくなって、この世界に居ることが難しくなる。

ゴミを出さないことに取り憑かれた人のドキュメンタリー映像を観たこと、

去年の夏、東京都の臨海エリアにある生ゴミ加工工場と最終処分場を見学したこと、

などが、わたしの記憶から立ち上がってきた。

 

ああ、そうか、白と黒、敵と味方、良いことと悪いことの二元論に持ち込むと、最終的には人間存在の否定につながるのか。

風の谷のナウシカ』は、そこにブレーキをかけてくれる物語だ。ナウシカ自身、虚無に取り込まれるような危ない目に遭っているが、いろいろな存在の力によって最終的には救助される。

あのくだりを追体験することは、非常に大きな救いになるはずだ。

これからの時期、世界に立ち上がってくるのは、おそらく「虚無」だ。

 

「わたしの中にも闇はある」
「生命は闇の中に瞬く光」
「光や聖性の裏には虚無がある」
「すべてが混濁した中に生きることこそ人間」

ナウシカの物語は、ほんとうに示唆に富んでいる。

そして、これを一人の人間が生み出したということがすごい。

 

生きることを手放してしまうところまで行くと、いけない。

引き返せなくなる。行ってはいけない。

だから、 そうではなくて、

「ただ、生きよ」。

喜びも欲望も手放さない。

虚無に呑まれるな、あきらめるな。

 

 

生きよ。

 

 


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NT Live『夏の夜の夢』鑑賞記録

イギリスNational Theatreで行われる演劇公演の録画を映画館で観られるNT Live。

今回は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を観てきた。

https://www.ntlive.jp/midsummer

 

 

spice.eplus.jp

 

予習してもあらすじがよくわからないし、カタカナの名前が頭に入ってこないので、ついていけるかやや心配だったけれど、全く問題なかった。観ていればわかる。

いやーもう、ただただ楽しかった!!

終始チャーミングで愛にあふれていて、笑って踊って楽しむ、まさに喜劇!

性や"人種"の別をぶっ飛ばした、自由で開放的な人物像!

天井から垂らされた布を使ったエアリアル(空中パフォーマンス)や、突然シンガーが登場して歌い出したり、劇中劇をヒップホップで披露したりと、すばらしいショウ!

ベッドが置かれた台が上下や左右に移動し、その間を自在に俳優が動き回るエキサイティングな装置!

アテネの時代と妖精の世界、
シェイクスピアの時代とロンドンのブリッジ・シアター、
それを観ている現実のわたしと映画館を出れば日常に戻るわたしが、行き来しながらパラレルに同時に進行している、不思議な体験だった。

 

なんでもアリの大盤振る舞いの宴に、この作品の魅力をまるごと体感できた気分。

 

わたしはこの作品は『"真"夏の夜の夢』というタイトルで認識していて、勝手に「8月のすごく暑い夜に起こる、妖精がひらひらと踊る幻想的なお話」のイメージを持っていた。

でも原題は、"A Midsummer Night's Dream"。

"Midsummer"は夏至。Midsummer Nightは夏至祭前夜。五穀豊穣や子孫繁栄を願って、お酒を飲んで乱痴気騒ぎをする日なんだそうで、つまりその中には男女の交歓や結婚なども設定されていたようだ。日本でいうところの歌垣にあたるのかな?

真夏の夜のフェアリーテイルから、大人の喜劇へと、イメージが書き換えられました。

 

 

これまでの上演の歴史からすると、今作はかなり意欲的で斬新な変更(立場、性別)や台詞の追加やアドリブもかなりあったようで、シェイクスピア研究家から見ると逸脱しすぎでは、という評もあったよう。

たとえば、妖精の女王ティターニアと王オーベロンは、原作ではオーベロンが画策してティターニアを騙す行動をとるが、今作では、その立場が逆転していた。おそらくここが一番大きな改変。

さらにジェンダー・ブラインド、カラー・ブラインドなキャスティングは、まさに現代的な役割を背負っていた。オペラやバレエ、映画などで観てきたけれども、やっぱり演劇でもこの動きか!とわくわくした。

そういえば、だいぶ20年近く前の映画だけれど、『恋に落ちたシェイクスピア』も、シェイクスピア劇に出たい女性が男装して舞台に立とうとするという脚本だったな。

シェイクスピア演劇には、入れ替えたり、交錯させたくなるスイッチのようなものが仕掛けられているのだろうか?それが今の時代ととてもマッチしてきている?(仮説)

 

わたしのような素人から観れば、この作品との初めての出会いがニコラス・ハイトナー版でよかったと思う。幕間のインタビューも観たが、演出の意図はとても明瞭だったし、辻褄があっているという以上に、物語全体の進行によい影響を与えていたと思う。

今回はスタジアム型の劇場で、観客参加型を目指していたのもあり、こういう実験的な演出になったのだろう。

アドリブやお遊びも、たぶん現地で観ていたら、めちゃくちゃ楽しいはず。映画館で座ってみていても身体がむずむずするぐらいだから。

 

 

それに、毎回チャレンジがあるほうがシェイクスピア劇らしいとさえ感じる。

古典だから。

こういう実験版があるからこそ、「いつもの」「元々の」「他の」舞台も観てみたくなるし、調べたくなる。

古典、盤石!!懐深い!!

 

表紙がどれも素敵。 

 

 

最近2回観た『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』で、ジョーとフレデリック・ベアは『十二夜』の芝居を観に行っていたり、ジョーの小説についてフレディが評するシーンでは、
シェイクスピアだって大衆向けに書いた」
「彼は大衆芸能と詩を融合した」
「わたしはシェイクスピアにはなれない」
「もちろん無理だ」

というようなやり取りをしていたので、タイムリーでもあった。

「わたしもまさに大衆芸能と詩の融合を観たよ!」とあの二人に言いたい。

 

 

わたしがこれまで鑑賞してきたシェイクスピア作品は、
マクベス
リア王
・リチャード二世(これが初のNTライブ)
ハムレット

そして今回『夏の夜の夢』をようやく観られたところ。

まだまだ観てない作品のほうが多い。

しかも演出や演者や表現形式(演劇、バレエ、映画等)や上演形式(生か映画館か配信か)によって全然受け取るものが違うはず。

シェイクスピア」というジャンル!これまた果てしない道!(楽しい)

 

 

『夏の夜の夢』を近々バレエやオペラでも観てみたいなぁと思って調べたら、

なんと10月に新国立劇場でオペラ版があり、しかも演出がデイヴィッド・マクヴィカーである!最近、鑑賞仲間と夢中になっているMETオペラ・ヘンデル『アグリッピーナ』の演出家ではないですか。これは観たい!

www.nntt.jac.go.jp

 

こうして鑑賞体験が少しずつ繋がっていくのが楽しい!

 

さらに友人が教えてくれた、東京芸術劇場では演劇の舞台がある。

www.midsummer-nights-dream.com

 

いやはや、シェイクスピアってすごいな。
東京ってほんますごいな(いつでも、どこでも、なんでも演ってる......)。

と思いつつ、

しかしこのところの新型コロナウィルス陽性者の急増で、現在チケット販売が中止になっている。

復活しかけたところでのこの状況。わたしも辛いが、舞台関係者はほんとうに辛いことだろう......。

 

祈ること、こうしてブログを書くこと、自分を健康に保つことしかできないけれども、それを続けていく。

よい舞台を、出会える上映の機会を、ありがとうございます。

 


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▼NT Live(日本の公式サイト)

https://www.ntlive.jp/

 

▼NT Live(イギリスの本家サイト)

http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/

 

Youtubeチャンネル(無料ストリーミング配信もあり。英語字幕表示可)

www.youtube.com

 

▼2019年に配信したポッドキャスト。畏れ多くもシェイクスピアを語ってしまった。

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書籍『アミティ「脱暴力」への挑戦』鑑賞記録

『アミティ・「脱暴力」への挑戦』

 

ライファーズ 終身刑を超えて』『トークバック 沈黙を破る女たち』『プリズン・サークル』などを撮った映画監督・坂上香さんの編著。

 

 

読む前は、坂上さんの映画作品のキーワードである(とわたしが思う)、「感情の表現」「回復を促すプログラム」を知る手がかりと、アメリカの「アミティ」という犯罪加害者回復支援を行う団体の取り組みを紹介する本だと期待した。

確かに3分の1はその通りで、坂上さんの単著『ライファーズ罪に向き合う』とはまた違う角度から、アミティと坂上さんとの出会い、アミティの歩み・組織・活動データ、プログラム内容(例えば映画『プリズン・サークル』でも出てきたソーシャルアトムやサイコドラマなど)などが書かれている。

映画を観た人にとっては、「あのTC」が影響を受けたアミティのプログラムについて、より理解を深めることができる。

 

しかし、わたしが本書で最も強く心をつかまれたのは、第2章の、2000年に起きた西鉄バスジャック事件の生存者の語りだった。この章を読むまで記憶から遠ざかっていたが、事件当時、大きな衝撃を受けた。その事件を彷彿とさせる青山真治監督の『EUREKA(ユリイカ)』を観たこともあって、何年も考え込んでいた。

その記憶が一気に押し寄せた。

あのとき何が起きていたのか、事件のあと被害者の人生はどうなったのか、家族との関係は、加害者との関係、加害者家族との関係が、克明に語られていく。読みながら心は大きく揺れたが、それを上回る語りの力に、確かな光も感じられた。

時間が止まっていたあの出来事に今の自分として出会う。

本で出会う。

出会い直すことの意味を差し出されたような体験だった。

 

本書は、感情の取り扱いと暴力との関係という点では、カウンセラーやセラピスト、コミュニティの運営者やスタッフなど、対人支援職の方の大きな学びになるだろう。

また、「加害者の回復を支援することがなぜ必要なのか?」という長年の問いを抱えている人にも、加害と被害の相関を示す一つの答えを示している。

もちろん、あくまでも出版された2002年当時(あるいは少し前)の状況であって、20年近く経った2020年の今はまた違う状況や語られ方があるだろうけれど、本書はこの時点での非常に重要な記録であり、社会への提言だ。

 

何箇所か引用する。

子どもに限らず大人も老人も、だれにも関心を払われることなく自らの感情を閉ざしたまま暮らすことを余儀なくされているのが現代であり、そこで溜めこまれた負の感情が、前後の脈絡もなく暴発するという現象は時代が生み出した病理だといえる。ゆえに、私たちはアックンのように施設で暮らす子どもたちだけでなく、社会のあらゆる層の人々に感情表出の機会を保障する方法を、いかに構築していくかということをも視野に入れる必要があるように思う。(p8)

 

人と人との関係の中で生じたダメージは、人間同士の関係の中でこそ修復が図られるのだと思う。(p9)

 

前後のつながりを把握し難い事件の顕在化の背景には、経済効率を至上とする社会的価値観の影響が多分にあるといえる。(p11)

 

噴出する感情が向かう先は一定ではなく、人によっては自己に対する攻撃となって発露されるし、また外部へ向けた攻撃となって現れる場合もあるし、内と外へ同時に向けられることも珍しくない。(p12)

 

アリス・ミラーは、「事情をわきまえた証人」や「助ける証人」の存在が、暴力の連鎖を断ち切るキーポイントになると言っている。地域社会や家族に、そうした存在を期待することが困難なのだとすれば、私たちは「証人」を生み出す必要があると思う。(p14) 

 

あのとき、強く印象に残っているのは「連帯責任です」という言葉です。ああ、彼はそういう言葉で傷ついていたんだなあと、すごく思いました。(p.54)

 

こういったポジティブなメッセージや姿勢は、破壊的な行動を逆転させるのに役立ちます。そのなかで、スタッフ、教師、そして大人たちは、参加者に変化を要求するだけでなく、自らも変化する必要があります。(p.211)

 

上記引用のどれかひとつでも気になるものがあったら、ぜひ読んでみてほしい。

大変残念なことに、現在は絶版のため、どのサイトでも大変な高値がついている。

図書館で借りれば読めるが、本来なら購入して手元におきたい本だ。

再版を希望する。

 

 

▼これを読んでいて思い出した書籍 

 

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書籍『ヒロシマ 消えたかぞく』鑑賞記録

『ヒロシマ 消えた家族』(ポプラ社)

 

毎日小学生新聞の本の紹介欄で知った写真絵本。

女の子と背中のネコが同時に目を細めている表紙が印象的で、今すぐ読みたいと思った。

 

めくっていくと、アルバムのようなつくり。

レイアウトされたモノクロ写真にコメントが添えられている。

家族の父で、これらの写真を撮った鈴木六郎さんの筆跡もあれば、著者の指田和さんが、遺族の話を聞いて添えたものもある。

 

お父さんの眼鏡を借りて、

4人きょうだいと従姉妹が手をつないで、

海辺でおにぎり、窓いっぱいに落書き、満開の梅の花に手を広げる、

弟の誕生、草むらに寝転んで、ネコといぬと遊んで、、、

 

家族の一人ひとりがほんとうにかわいくて愛おしくてたまらないと、カメラを構える六郎さんの気配がする。

六郎さんの写真もある。妻のフジエさんが撮ったのだろうか。

 

一枚一枚からあふれ出る愛。幸福。

 

犠牲の数字の大きさや凄惨さ、終わらない苦悩の深さに目が眩んでしまう。

けれども、ここには、笑顔と愛にあふれる家族が、確かに生きていた記録がある。

知らないこの家族のことを一瞬で大好きになってしまう。

そのおかげでわたしは出来事を見つめることができる。

どんな重大なことも、具体的な人間の生を通してしか、ほんとうのところは理解できないのじゃないか。

実在にせよ、架空にせよ。

誰かが編んでくれて橋渡してくれた、誰かの表現を通じてようやく、わたしの貧しい想像力は最大化される。

 

新しく「発掘」し続け、解釈し続ける。

人々の、そのたゆまぬ努力を讃えたい。


英訳も全ページについているから、日本語話者でない方にもシェアできる。
隅々まで丁寧に愛を込めてつくられた本。

出版してくださってありがとうございます。

 

 

広島といえば、こんな本も思い出す。

映画監督でもある西川美和さんの『その日東京駅五時二十五分発』

なぜか忘れ難い一冊。これもまた、具体的な人間の生。

 

 

*7月25日(土)20:00〜

オンラインでゆるっと話そう『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

chupki.jpn.org

 

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書籍『ナウシカ考 風の谷の黙示録』鑑賞記録

6月末から、映画館でスタジオジブリの4作品をリバイバル上映している。

www.ghibli.jp

 

5月に漫画版『風の谷のナウシカ』を語る会をひらいたこともあり、アニメ版ナウシカは気になるところではあった。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

観に行った人たちが口々に、「観てよかった!DVDじゃわからん!絶対に映画館で観るべし!」と話していた。誰も彼もがすごい熱量。これはなんかある。

人間活動が温暖化など、地球に与える影響は年々、いや、時々刻々、待ったなしの状況。被害に備えて戦々恐々とし、被害を聞いて憂えるだけでなく、解明したい、これからの行動の指針を自分の言葉で語りたい、という気持ちがずっとある。

そもそも漫画版を買い直したのも4月の上旬だった。(10代の頃に買ったものが実家にあるはずだが、きょうだいの誰かが持って行ってしまったらしく、今はない)

あの時期、何かに突き動かされるように、ナウシカの物語を求めた。

 

 

観る前にどうしてもこちらの本を読んでおきたかった。どうせ観るなら、マンガ版とアニメ版の相違・差異や、今この時代にアニメ版を観る意味をしっかりとつかんで言葉にしたい。

『ナウシカ考 風の谷の黙示録』

 

 

漫画版『風の谷のナウシカ』を読んで、もっと深く考えたい人向き。

 

とはいえ、作り手の意図や仕掛け、謎解きをマニアックな目線であばいて得意顔になる考察本を想像すると、だいぶ肩透かしを食らう。

語り口調はおずおずと、想像と推論と問いかけを取り混ぜ、共に語らいながら読書を進めていく。評論というよりも、まるで読書会のような趣のある本だ。

漫画のコマもときどき引用されているが、多くは情景説明や、セリフの引用しながら物語を歩いている。この感覚も今までにない感じでおもしろい。読書会で、付箋を立てたところを感想を述べ合って行ったり来たりしながら、螺旋状に深まっていく感じに似ている。

赤坂さんがご自分を目一杯使って感じ、考え、調べ、言葉を紡ぎ、余白を残しながら語ってくれることで、読んでいるわたしにも気づいたり、思い出してつながることが多い。かといって感想ブログのようなものでは決してない。

作者の宮崎駿の前後の作品制作も追いながら、時代背景も提示しながら、古今東西の研究を引きながら、作品を観察して、重要なキーワードを提示しながら、作者の意図を超えたところにある大きなものを見ようとしている。

なんといっても「この物語は黙示録」という解釈だ。

この作品がわたしたちにとってなんなのか、何を伝えようとしているのか、何が読みとれるか、わたしたちの中に何が生まれるのか、どんな意味があるか、、、読者の中の詩的で思想的で哲学的な部分に、橋をかけ続けてくれる本だ。
 

これぞ鑑賞なのでは!?


そもそも表現とは、鑑賞者が半分は担って完成させるものなので、作品から鑑賞者が何を受け取るかは自由。作り手の意図や隠された暗号を知ることは、その鑑賞体験を豊かにする範囲において意味があるけれど、それに引きずり回される必要はないのだ。

 

読み終える頃には、自分の中でマンガ版『風の谷のナウシカ』がかつてないほど屹立している。この混迷の時代にあっても、絶望せず、虚無にさらわれることなく、一つひとつの命を精一杯生きよう、と思える。

 

▼読書メモ、もりもり。

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赤坂さん独特の揺らぎや戸惑いの文体(「〜ではなかったか。」)やあえて宙吊りにして、時には回収もしない進め方に、煮え切らなさをおぼえる人もいるかもしれないが、わたしはそこが魅力だと思っている。 これは、2017年に開催された『性食考』の出版記念イベントで、赤坂さんの「穏やかだけど常に戸惑い揺らぐような話ぶり」に出会っていたことが大きいと思う。

▼短いイベント鑑賞記録。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

この日も対談パートナーの鴻池朋子さんの鋭いツッコミがあってようやく出てくる話がどれもよかった。このとき聞いた中で覚えているのは、「『性』の話は恥ずかしくてなかなか書けなかった」という告白(?)。「研究者が恥ずかしいって!」とびっくりしたけれど、正直な部分をある程度歳を重ねた男性が、公の場で戸惑いながら出すっていいな〜と思ったのだった。 

このイベントに行っていなかったら、『ナウシカ考』はずいぶん戸惑いながら読んでいたことだろう。

 

作品は作品としての人格を持ち、いろんな人と出会いながら独自の道を歩いていくものだ。とはいえやはり、作者の人柄とは、切っても切り離せない。

それを含めた読書の楽しみ方だってある。(作者本人がそれを望む望まぬとにかかわらず)

 

 

▼こちらのインタビューは、『ナウシカ考』本編でふれていない部分について、これまた小説家の川上弘美さんがよい切り口を提示をしてくださっていて、興味深い。

www.asahi.com

 

上記のインタビューでも、5月の漫画を語る会でも思ったが、人間は性の別だけで必ずしも区切れるわけではないが、この物語に関して言えば、複数の性のアイデンティティから照らしてみることは、かなり有効かもしれない。全然違っておもしろいから。

それぞれの着眼点の提示が、他者へのギフトになることは間違いない。

 

 

漫画版もぜひ一生に一度は読んでほしい。(でも、一度ではわからないので、何回も読む羽目になる......)アマゾンでは今、一時的に価格が高騰している模様。

 

 

うーん、映画が楽しみになってきた!!

 

 

noteでもあれこれ書いたりしゃべったりしています。

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映画『<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事』鑑賞記録

7/25にひらく「ゆるっと話そう」の準備の一環で、ドキュメンタリー映画『<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事』を観てきました。7/14(火)までなのですべりこみ!

chupki.jpn.org

 

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、想像以上に大切に緻密に積み重ねて作られた映画でした。

だからあのように人々が生きていたし、わたしもたくさんのものを受け取ったんですね。(先日観たときの感想>>https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2020/07/11/170423

 

「映画は映像と音しか作れない、あとはお客さんが心の中で作る」ということを片渕監督がおっしゃってましたが、その「お客さんが作れるように」するための作り込みの。でも大切な部分は描ききらずに、余白を十分に残してあって。

ああ、すごいな。。映画ってすごい。

 

ドキュメンタリー映画にも登場する「水口マネージャー」さんが上映後のトークにいらしていて、映画が「片隅たち」に光を当てる様をリアルに見ました。この方の存在はちょっと説明が難しいけれど、片渕監督の言を借りれば、「物語の世界と現実の世界をつなぐ人」。https://twitter.com/mizuguchisanten

 

 

全国にある地元の映画館とそれを愛する人々もたくさん出てくる。

世代をつなぎ、違いをつなぎ、土地をつなぎ。

映画の世界ってこんなにも豊かなんだ、と胸にこみ上げるものがありました。

 

片隅の声は小さい。

けれども、この世界に無数にある片隅の物語は、必ずだれかの居場所になっている。そしてその物語を愛する人もたくさん。

 

このドキュメンタリーを観終えて、自分の中のヒロシマに向き合うときが来た、という思いがふと降りてきました。それを中心とした内容ではなかったのですが、真摯なものづくりに刺激されるものがありました。

 

ちょうど広島平和記念資料館では、10月末までの予定で『広島のすずさん』展を開催しているようです。

http://hpmmuseum.jp/  

 

★シネマ・チュプキ・タバタでの上映は7月31(金)まで

chupki.jpn.org

 

 

★2020年7月25日(土)20:00〜 Zoomにて

オンラインでゆるっと話そう『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

chupki.jpn.org

 


f:id:hitotobi:20200712202938j:image

 

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METオペラ『アグリッピーナ』鑑賞記録

METライブビューイングで、ヘンデルの『アグリッピーナ』を観てきた。

 

陰謀大好きな女帝から、ドラッグ大好きなドラ息子、ゴルフ大好きセクハラ王、現代演出だからこそさらに深く面白い!今シーズンのベストワンとの呼び声高い本作(公式twitterより)

 

www.shochiku.co.jp

 

 

昨年末に古楽器によるヘンデルの『リナルド』というオペラを紹介してもらったことが大きい。読み返すと当時の興奮を思い出す。やっぱり感想、書いとくといいわぁ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

METライブビューイングのページに動画も載っているので、それを聴いて、いくつか直前にサイトを見て予習。

ROHではカウンターテナーが3人とか!客席も巻き込んでの演出とか!

www.j-news-uk.com

 

家系図助かる。このサイトでは3幕構成になっているね。

handel.at.webry.info

 

▼今回の公演のレビュー

www.gqjapan.jp

 

で、観てみて......。

 

いやもう最高!!!!!最強!!!!!

なんという!!!

 

あらすじも歌詞もあんなにえげつないのに、音楽も歌唱もどこまでもどこまでも美しく、天に昇っていくようで。

バロックの音階に浸りながら、人間の欲望や邪悪さ、醜さや滑稽さがこれでもかと吐き出されていく。自分の中にも確かにあるそれらが、執拗なまでのリフレインを仕掛けるバロックのトランスに載って展開されていく様は、不思議な爽快感があって、観劇というよりほとんどお祓いだった。

 

とにかく元気が出る。

 

あれ、この感じってどこかで味わったことがあるな?と思ったら、シェイクスピア演劇だ!わたし、これから「ヘンデルってオペラ界のシェイクスピアを目指したんじゃないか?」説を唱えていこうと思います。(ピーター・グリーナウェイの世界観もある説)


緊張感のある舞台だけれど、基本は喜劇なので、心理的に追い詰められる感じはまったくない。めっちゃ楽しいときって、マジ顔でハラハラワクワクしている。あのときの感じ。でもゲラゲラ笑うときもあって。稀有な体験をした。。

 

ローマ帝国を、バロック音楽で、現代に置き換えるって、どんな時空の超え方よ?と思うけれど、これがピタッとはまって、完全に昇華されている。すばらしい演出。

演出、演技、歌唱、衣装、照明、撮影、、舞台全体のクリエイティビティとクオリティが高くて、すべてにおいて進化している。

キャストが最高。

「芸」が細かくて、1カットも見逃せない。

METスゴイ。

ヘンデルに300年後こんなふうになってるよ!!と教えに行きたい......。 

 

上映時間は3時間55分(途中10分休憩)だけど、全然長さを感じない。
(長尺を見慣れているというのもあるけれど)

 

友人と誘い合わせて観に行って、帰りに三越ラデュレで美味しいお茶飲んで、わいわい喋り倒して、「今夜は肉しかない!」と言いながら、良い気分で帰宅。

鑑賞仲間にチャットスレッドで感想を話し始めたらもう止まらず、「ぜったい観てほしい〜」と煽りまくった。

また大好きなオペラが増えた。うれしい。

 

 

製作陣一人ひとりの次回作を観るのが楽しみでならない。
ぜひコロナが落ち着いて、公演を再開できますように。

まずはインスタグラムのフォローから......。

Joyce DiDonato
https://www.instagram.com/joycedidonato/

Brenda Rae
https://www.instagram.com/brendaraesings/

Kate Lindsey
https://www.instagram.com/kate_mezzo/

 

毎シーズン観ていると、「知っている人」が少しずつ増えていくのも鑑賞の楽しいところ。もちろん鑑賞仲間とのつながりも。豊か。

 


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思わずこれつぶやいてしまったけれど、ほんとそうじゃない?

 みんな怒ったとき、やりきれないとき、ハッピーなとき、刺激がほしいとき、オペラ観るといいよ〜!!

 

 METライブビューイング、ほんとうに好き。たくさん世界を広げてもらいました。

 

www.instagram.com




アグリッピーナ』を演出したデイヴィッド・マクヴィカー曰く、「歴史は繰り返す」がテーマだと。

確かにこういう構図を家庭や職場や学校や地域や自治体や国や、、いろんな単位で見たことがある。

アグリッピーナの権力欲だって、ただ一人の異常な行動ではなく、自分が成し得なかったことや努力のしようもないことなど、社会(父性、父権)への恨みを晴らすために、自分の子の人生を使おうとすることは、大なり小なりある。

特に子どもが男ならなおさら、男社会に刺客として送り込みやすいから。数々の悲劇が生まれてきたことだろう。わたしも自分が親で、息子がいるので、他人事ではない。

もちろん性別の問題だけでもない。

 

あのオペラの中でまともそうな人はオットーネだけだけど、力はない。良い人ほどだまされやすい。
大事なのは、自分の中の邪悪さは漂白しないほうがいい、ということ。
邪悪を持っているからこそ、邪悪のことがわかる。

 

放っておくと、いろいろやらかしちゃう人間のために、予防と治療を同時にやっているのが、芸術なのかもしれない、なんてことも思った。

オペラや映画や文学、、

何かわからない危険な(アグリッピーナ的な)ものが発生したときに、社会学や心理学の眼差しだけでは到底理解しきれないことが出てくる。そういうときに、芸術の出番。歴史や地理や文化を濃縮した作品の形に提示するからこそ共有できたり、解釈可能なものになる。

 

 

当日の鑑賞と、仲間との感想のやり取りから、そんなことを受け取りました。

 

いやー、もう一回観たい!!!

年に一回は観たい!!!

人類に必要なオペラ!!!

 

 

 

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映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』鑑賞記録

今月末にチュプキさんと対話の会をひらくため、鑑賞した。


『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

ikutsumono-katasumini.jp

 

 

この映画の関係者の方とたまたまお話する機会があったときに、「前作にもやもやしている方にはぜひ観てもらいたい」とおっしゃっていて、「へえ〜」とは思ったけれど、それでもなかなか積極的に観に行こうと思えなかった。


それほどに、前作には大きな違和感があった。

違和感について4年前にブログに書いた。

hitotobi.hatenadiary.jp

hitotobi.hatenadiary.jp

 

今読むと稚拙な書きぶりが恥ずかしいが、自分なりの大事な視点も入っていて、今回の鑑賞に活かされているので、書いておいてほんとうによかったと思う。

 

 

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、『この世界の片隅に』の公開から3年の月日を経て、250カット以上の作画を追加し完成した作品。

「ディレクターズカット版」や、「すず&りん編」ではなく、(さらにいくつもの)を真ん中に入れ込んだタイトル。

追加された(さらにいくつもの)が意味するものは、実際に観てみるとよくわかる。

 

原作にありながら、前作では描かれなかったりんと主人公すずの関係を中心に、すずの新たな面を取り込んだことで、周りの人物が生き生きと立ち上がっている。どのシーンにも感情が映り、物語の世界の大切な一部となっている。

いくつもの片隅の物語が動き出し、簡単に善悪のつけられない、複雑で混沌とした世界の有り様が描き出されている。

 

完成度の高さに息を呑んだ。

そう、これが観たかった、これだよ、これ!と観ながらわたしは興奮していた。

原作世界への深いリスペクト。

声優、俳優の素晴らしい演技。

アニメーションにしかできない映像と音響の革新的な表現。

全方位に技術の進歩を感じる仕上がり。

感情の繊細な動き。緻密さと余白。

 

それでわかった。

前作で削られていたものの中には、わたしの、多くの女の人たちの、かつて子どもだった人たちの生にかかわる大切なことがあったのだ。

ゆえに削られたことがこれほどまでに苦しく、悔しかった。

そこは見ない、ないことにされたようで。

また、それが削ぎ落とされた世界を、多くの人から絶賛されていたことが辛かった。

 

「すずさんの知らない面を多く見て戸惑った」というレビューを見かけた。

そう、複雑な存在だ。誰しも。

誰にも言えない気持ちを持っている。心の奥底に秘密があるし、いろんな感情がうごめいている。精錬で優美で邪悪で陰険だ。繊細で雑で、清純で妖艶で、子どもで大人で、弱くて強い。矛盾に満ちた複雑な存在だ。

相手との関係によって見せる面がくるくると変わる。

人間は役割や設定を生きているわけではない。

 

暑い時期に観ているので、映画の中と重なってきて、考えることが多かった。

 

戦争を背景に、その時間を生きる人たちの姿を見、

人たちの姿を見ながら、戦争を見る。


「この人たち」が命をつないでくれたから今の自分がいる。その人間のたくましさや希望を見る。

それと共にわきあがるのは、市民が、被害も加害も、とにかく現実を何も知らされていなかった、知り得なかったことへの無力感。

まだ聴いていない無数の片隅の物語が、あとどれだけあるのだろうという徒労感。

2020年の今もなお知らないことや、ふりかえれていないこと、課されてきた宿題の膨大さ、甚大さ......。

 

そして、なにより恐ろしいのは、もしも次に戦争になったとしても、もはやこのような画ではない可能性が高いということ。

言い方が難しいが、、映画は、戦争の恐ろしさを伝える役割やふりかえりの機会を提供しながらも、わたしたちの中の戦争のイメージを固定化する危険性もどこかはらんでいる、とも思う。今後起こり得ることについて考えるときには、他にも様々な叡智を駆使する必要がある。(参考図書:戦争とは何だろうか

......など様々な思いが胸をよぎる。

 

いや、まずは日本全国津々浦々、共有できる状態になった、知るところになった、ということが大きいのか。広島や長崎や沖縄で育った子どもたちは、その土地固有の学びとして、「平和教育」でこのような物語は、おそらく繰り返し繰り返し扱われてきたことだろう。この映画によって、それ以外の土地で育った人たちにも届いた。

さらには、世界へ。

 

 

ひと言では語れない。白黒つけられない。やりきれない。

でもそれだけじゃない。何かを言葉にせずにはいられない。

 

これもまた、わたしたちの生きている世界。

わたしたちが見てきたいくつもの片隅の物語。

このことを、映画を通して共有できる有り難さ。

 

ぜんぶ最初から丁寧にすくって描いてもらえた気がした。

再び作ってくださってとてもありがたく、報われたような気持ちになった。

 

前作を観た方も、新しい作品を観るように、出会ってほしい。


必見。

 

 

チュプキさんの音響は、「防空壕サウンド」の異名を持つほど、爆撃音や砲音などがリアルな轟音と振動で伝わってきます。わたし自身、想像以上の恐怖を味わいました。感じ方は人それぞれですが、「自分はきっと苦手だろう」と自覚されている方は、音量調整が可能な「親子室」での鑑賞をお勧めします。お一人でもご利用できます。

 


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____Information____

7月25日(土)夜、Zoomにて

オンラインでゆるっと話そう『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を開催します。

chupki.jpn.org

 

 

▼チュプキさんのロビー、今こんなんなってます。
f:id:hitotobi:20200711161557j:image

 

 

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